東方信頼譚   作:サファール

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 閑話はこれともう一つあります。理解を深めて頂けたら嬉しいです。
 感想、お気に入り登録、評価などは、作者を非常に励ましてくれます。どうかよろしくお願いします。


 ではどーぞ。


 


閑話1.手に刺さる薔薇の棘と達観する幸福

 これは、彼が闇に呑み込まれてしまった原因のお話。

 

 

 

 

 雄也は、修司に事前に命令されていた撤退命令に素直に従い、隊員達を誘導していた。

 

「急げ!搭乗口はこっちだ!」

 

 命が助かれば何でもいいという心境だったので、皆武器は捨てて身一つで怪我人を背負いながら、ロケットの搭乗口に殺到した。ただ、それでも『不死隊』の名前を持つ兵士なので、迅速に効率良くテキパキと並んでいる。ここまで素行が良いのは、(ひとえ)に隊長である修司のお蔭だ。

 

「雄也!全員乗ったぞ!!」

「おし了解だ!」

 

 こちらまで地響きが届くほど激しい戦闘を繰り広げている修司の方向を見ていた雄也は、その声に応じてロケットに目を向けた。列は既にロケットの中へと消えており、後は雄也と隊長のみである。

 外で待つ理由も無いので、雄也は誘導を止めて搭乗口に通じる階段を三段飛ばしで駆け上がった。

 

「雄也、隊長は?」

「分からん。まだ戦闘中だ」

 

 最後まで誘導をしていた隊員ということで、みんなから隊長の姿が見えなかったかを問われる。だが、今も尚地面を震わせている衝撃を感じているので、自然と結論は一つに纏まったようだ。

 質問はそれ一つだけに留まり、後は皆静かに窓から隊長の姿が見えるのを心待ちにしている。口々に、隊長なら絶対に勝てる、必ず戻ってくる等等、彼の実力を信じて救援には向かわなかった。

 

「まだか……まだなのか…!!!」

 

 突如、隊長を応援する声以外の野太い怒声が響いた。

 周りの隊員達が、年嵩(としかさ)でヒゲを存分に蓄えた初老の男の方を振り返る。

 

「あいつは強いのではないのか!何をグズグズしておる!!」

 

 四基目に、防衛軍の責任として乗せられている将軍だ。防衛軍の兵士が作戦に参加しているのだからと、ツクヨミ様に言われて渋々最後のロケットに乗る事を承諾した、謂わば臆病者だ。

 

「誰か!誰か責任者は!?」

 

 まるで難癖をつけるレストランの客のように、将軍はロケットのど真ん中で喚き散らして地団駄を踏んでいる。余程イライラしているのだろう。

 

「(雄也、お前が行くべきなんじゃねぇか?)」

「(はぁ?誰があんな奴と喋るかよ)」

 

 近くの隊員が雄也にこっそり耳打ちして、代表者として進言してはと勧められる。確かに修司が居ない時の代理は彼に一任されているが、無視を決め込んで修司を待っていればいい。わざわざ耳が痛くなる会話をするなんて真っ平御免だ。

 

「(だが、このまま放っておくわけにも行かないぞ)」

「(む?どういう事だ?)」

 

 彼が気になることを口にしたので、雄也は少し屈んで声が聞こえやすくなるようにした。

 

「(将軍は本当に軍の飾りでしかないからな。これがきっかけで、俺達を処罰する事だって有り得る)」

「(そんなまさか…)」

 

 雄也は僅かにかぶりを振って隊員の言葉を掻き消すが、彼の言う事は悲しい事に当たっているかもしれない。

 将軍は正に将軍という地位だけを求めてのし上がった屑だ。皆をまとめ上げるリーダー性は無いし、権力や金以外のことは右から左へとスルーする相当な野郎なのである。

 もしここで誰も将軍の命令に反応しなかった場合、奴はこれ幸いと特隊を潰しにかかるだろう。

 こんな事で隊を処罰出来るのかと思うかもしれないが、それが権力というものであり、人間という種族なのだ。恐らく将軍は、修司が任務をキッチリ遂行出来なかったとか、将軍の命令を隊が聞かなかったとか、そう言った理由で特隊を傷つけ、最終的に消滅させる事も視野に入れている筈だ。

 将軍にとっては、自由に動いて栄光を勝ち取っている特隊が不愉快極まりないものである。将軍は特隊が設立された当初から、積極的に修司に嫌がらせをしていた張本人だ。こっちが隙を見せたら最期、これでもかと叩き潰されるだろう。

 

「(宥めるだけでいい。頼む)」

「(ちっ…わぁったよ)」

 

 舌打ち一つして、彼は顔を引き締める。他の隊員は将軍の怒声を浴びながらチラチラと雄也に視線を送っていたので、彼の舌打ちを聞いて安心した。

 

「ごほん…将軍、俺…私が、白城部隊長の補佐を務めている者でございます」

「お前か!全く、俺の下にいるならばもっと早く出てこい。命令一つまともに聞けないなんて軍の恥晒しだぞ」

「……申し訳ありません。何分状況が状況でしたので…」

 

 将軍の上からの物言いにこめかみをヒクつかせながらも礼節を弁えて対応する雄也。もう既に彼の堪忍袋は切れそうだった。そして皆がその表情を見て、いやいや早すぎるだろ、とツッコミを入れる。勿論心の声で。

 

「ふん、それで、作戦の首尾は?」

「はい、まず────」

 

 やはり将軍も、修司が遅いことよりも戦局がどうなっているのかが気になるようで、先ほどの訴えとは全く別方向の命令を出してきた。

 

「────と、なっております。妖怪は、部隊長が戦っている一人を除いて、全て撃破しました」

「それくらいでなければ困る。何せ、俺の部下共なのだからな」

 

 強力な妖怪二千を相手に、AI加えてたった数百程度の軍で死者を出さなかったというのに、こいつはどこまでも傲慢でどうしようもない奴だと、この時全員がそう思った。激昂して叫ぶ隊員が居なかったことが驚きだ。よく耐えたもんだ。

 

「はい、我らは妖怪に────」

「で、まだあいつは来ないのか」

 

 雄也が喋っているにも関わらず、将軍はさも当然のように言葉を被せてきた。そしてそれに吃驚していると、将軍はまた怒鳴り散らした。

 

「さっさと答えんか!このろくでなしめ!!誰のお蔭で飯が食えていると思ってる!給料を出すのはこの俺なんだぞ!!」

 

 そろそろ我慢の限界が近い。雄也は将軍の奥にいる人達に「もうキレてもいいか?」という類いの視線を送ったところ、返ってきたのは「耐えてくれ雄也」という懇願だった。

 いい加減にしないと、ロケットの外に放り出しそうだ。

 

「これで遅れてツクヨミ様達から何か言われたら、責任は全てあの若僧にとってもらうからな。八意様の従者だからって調子に乗りおって…」

 

 次々と口から垂れ流される文句の数々。よくそんなに喋って噛まないもんだ。というか、スラスラと言葉が尽きないあたり、相当鬱憤が溜まっているらしい。それを、権力にものを言わせて堂々と彼らの目の前で続ける、こいつの屑加減にほとほと呆れが混じるな。

 

 

 

 

「……一人くらいいいか」

 

 

 

 

 待て。

 今この馬鹿は何と言った?

 

「…は?」

 

 落ちた顎を戻そうとせず、雄也は目の前にいる将軍の言葉を頭の中で反芻し、理解という形に落とし込む。

 衝撃で処理が遅くなっている雄也に、将軍はニヤリと笑いかけた。

 

「ご苦労だった。任務はもう完了だ」

 

 そう言って彼はバッと振り返り、踵を返してとある壁のパネルに向かう。仮にも将軍なので、行く手を遮ったりすれば、即刻処罰されるだろう。皆それを恐れ、彼の行動を許してしまった。

 

 シッカリと的確にあらゆるボタンや機器を操作していく。

 雄也が彼の行動の意味を知った時には、既に最後のボタンが押されようとしていた。

 

「さらばだ!忌々しい妖怪共め!」

 

 瞬間、駆け出し、その背中を掴んでボタンから引き離そうと手を伸ばす。他の隊員の気付いたが雄也より遅く、可能性が残っているのは雄也のみとなった。

 

「待てええええええええ!!」

 

 戦争の疲弊で重い体を必死に引き摺り、権力やしがらみを引きちぎるように目の前の上司を発射ボタンから遠ざける。

 

 床に投げ飛ばした雄也は、弾かれたように機器の方を向き、次いでその文字を目にした。

 

 

 

 

 

 

 

────発射します。

 

 

 

 

 

 

 

シューーガコン!!

 

 ブン!と音が鳴るくらい首を回して背後を見やる。

 

ゴゴゴゴゴ………

 

 先程まで外を映していたロケットのドアはいとも簡単に閉じ、その意味を理解する前に下部から轟音が響く。

 

 

────え…そんな…

 

 

 認めたくない。その一心でフラフラと立ち上がる。

 そして搭乗口を虚しくも閉じたドアに向かって拳を振り上げ、殴って壊そうと突撃する。

 

 

────まだ……

 

 

 当然、他の隊員達に両サイドから腕を取られ、後ろから羽交い締めにされる。それでも振り切り、眼前にあるそれを壊そうと力を込める。

 

 

────みんなで…脱出…

 

 

 今持てる全ての力を右拳に注ぎ、間合いに入った鉄の壁に振り下ろす。

 だが、気付いた。

 

「みんな……」

 

 俺は、修司もキチッと一緒に、みんなで脱出したい。だが、目の前にあるコレ(・・・・・・・・)を壊したら、どうなる?

 

「止めてっっ!!!!」

 

 女性隊員の声が掛かる。それに従ったのか、はたまた自分で気付いてしまった(・・・・・・・・)のか。

 兎に角、彼は寸でのところで拳を止める事が出来た。

 

 コレを壊したら、このロケットは飛べなくなる。仮に宇宙まで行けたとしても、中の空気は全て外に出てしまうだろう。そうなれば、ここにいる、今まで数多の時間を共にしてきた仲間が死んでしまう。

 簡単な事実じゃないか。ドアを壊せばみんなは死に、壊さなかったら犠牲が一人だけで済む。

 

 雄也の中には、天秤があった。

 片方の受け皿には、自分を含むここにいる全ての命。

 片方には、親友である隊長の命。

 

 二つの受け皿はそれぞれに掛かった重みを確かに受け止め、もう片方の皿を浮かせようと中心を支点にしてグラグラ揺れている。

 

 拳を止めた時、彼の心の天秤は一方に傾いてしまった。

 判断の基準が何だったのかは全く分からない。ここにいる仲間は当然大事だし、外でまだ闘っている親友も、勿論大事だった。

 

「ぁ…」

 

 今更後悔したってもう遅い。

 ロケットが激しく揺れ始め、無機質な音声が内部に流れ出た。

 

 

 

 

「発射致します」

 

 

 

 

 ドアに対して寸止めの状態で止まっていた彼は、突如として自分に掛かってきた重力によって、その場でガクリと膝をついた。都市の頭脳さんが開発したこのロケットは、搭乗者の負担を減らすために特殊な機構が備わっており、あまり重力を感じないようになっている。

 

 窓から見える景色が段々と下に降りてゆき、将軍の「脱出出来るぞ!」という歓喜の叫びと、ロケットの轟音によって、その場の人の耳には何も聞こえていなかった。

 だが、ロケットの少ないGと立つのも難しい揺れによってなのか、それとも、やってしまったという後悔で打ちひしがれているのか定かではないが、ドアの前で四つん這いになっている屈強な彼。

 特隊の仲間である皆は、周囲の轟音で耳がやられていたが、確かに聞き取った。

 

 彼の、これまでに無く悲痛な慟哭(どうこく)を。

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

ゴゴゴゴゴ………

 

 四基目のロケットが発射されたのを確認した永琳達は、眼下に繁栄している都市を、何処か寂しげな面持ちで見つめていた。

 ツクヨミ様が見ている窓に近付いて、彼女と、四基目に乗ったであろう我が従者(建前上は)について言葉を交わす。永琳はしきりに彼の無事を確認したがっていたが、現場から一番に逃げ出した自分に現状が分かる筈も無く、ツクヨミ様はただただ気丈に振舞えとしか言えなかった。

 

「それで、永琳よ」

「はい。何でしょうか、ツクヨミ様」

 

 適当に雑談で、このつまらない時間を浪費していたツクヨミだったが、ふと自分が前々から思っていた推測を確かめる為に、隣で視線を外に流している彼女に問いかけた。

 

「彼…白城の事を、お前はどう思っている?」

「へっ!?し、修司の事ですか…?」

 

 下の名前で呼ぶほどだ。きっと予想通りの関係になっているに違いない。

 

「一応、お前の従者という立場は与えているが、お前達の雰囲気が気になってな」

「そ…それは…」

 

 言葉を詰まらせて目を右往左往させる永琳。

 

「…もしや、既にそういう関係(・・・・・・)なのか?」

 

 ツクヨミ様のイキナリの質問は、永琳の頭をショートさせるには十分だった。

 

「えぇっ!?」

 

 いくら歳をとろうとも、彼女はまだまだうら若き乙女なのだろう。顔はみるみる紅潮し、あまりの熱に頭の天辺から湯気を出している。都市の頭脳と言えど、こういう話(・・・・・)には全く耐性が無い。というか、彼女は生まれてこの方、こんは浮いた話なんて一度もした事が無かった。縁談やお見合いなんかで、有象無象が彼女に寄って集って甘い言葉を掛けてはいるが、そんな冷めた恋愛に対する経験は、この類いの話題には実力を発揮してくれないようである。

 

「ち、違います!私はそんな…」

「ふむ…。だが、発射間際の時のお前は、とても面白い顔をしていたぞ?」

 

 目に笑みを湛えて、ツクヨミ様は茶化した。

 永琳はまたもや激しく動揺し、両手を頬に当ててお辞儀と見間違うほどに俯いた。

 

「あ…あれは…!」

 

 彼女は最早致命的だというのに、まだ弁解しようと努力しているようだ。既にツクヨミ様に内心を看破されているという事に全く気付いていない。

 

「ふふふ……お前のそういう顔を見るのは、案外初めてかもしれないな」

 

 

 

 

 その後、永琳はツクヨミ様の生暖かい視線を受けながらも、必死に、あれはこうだのそれはどうだのと言い、盛大に墓穴を掘りながら、ソワソワする時間を過ごしていった。

 ロケットは月を目指して飛んでいく。

 

 思い出して欲しい。ここには都市の権力者が全員集まっている。彼らは窓際の二人の様子をチラチラ窺いながら、口々に脱出について喜びの声を上げていた。

 だがそう言った反応をしながらも、彼らは静かに、“その時”が来るのを待っていた。

 ツクヨミ様や都市の頭脳さんに悟られてはならない。永琳にとある依頼をして、“ソレ”を開発してもらったのだが、彼女は非常事態なのもあって、彼らの真意を図る事を怠った。元々人間の屑として彼女達に見られていた彼らを、警戒する必要は無いと思っていたからだ。

 だから彼らは、二人に気付かれる事無く、“ソレ”をあるロケットに搭載させる事が出来た。

 

 理由として挙げられる事はいくつかある。

 都市に残した不正の隠蔽。残った妖怪達に技術を与えない為。置いてきた“要らない物”の処分。

 色々な目的はあるのだが、一番の狙いは、“白城修司の排除”だった。

 

 いきなりポっと台頭し、その後どんどん権力を高めていった彼。幸い、防衛軍のお偉いさん(将軍)が何とか部隊長止まりで防いでいたが、それも時間の問題だった。八意様の従者という立ち位置を利用して政治に口を出してくるという事は一度だけあったが、きっとこれからはその頻度も増してくるだろう。

 彼の実力、そして不明性、謎の奇行。彼が彼らに与えた印象のどれもがとても不安定で、不明瞭なものばかりだった。

 今はまだ何もしてこないが、その内彼は、自分達を脅かす存在となるだろう。もしそうなった場合、自分達の席を確保するのすら困難になってしまう、そう、皆は思った。

 

 不確定で、混沌とした要素は、早々に排除するのが得策だ。それは、彼らの共通認識であり、この世界に浸ってから学んだ絶対の法則でもあった。

 ツクヨミ様と永琳以外の全ての権力者が結託し、彼を“殺す”算段を立て始めた。それの最終段階が、今、この瞬間である。

 

(……おい、集まれ)

 

 誰かが一人の男とツクヨミ達の間に立った。それを見た他の奴らは、互いに目配せをして、頷いた。

 一人の男を彼女達の視界から消すようにして人垣をつくり、不自然にならないように細心の注意を払って挙動を心掛ける。

 

「(…やれ)」

 

 一人がそう彼に耳打ちした。

 男は懐からボタンが付いた機械を取り出し、彼女達に見えないように万が一を考慮して後ろを向いた。誰がスイッチを押すかという議論はあるにはあったのだが、この男が自ら進んで買って出、喜んで引き受けたのだ。

 男の名は述べる必要は無い。特徴的なちょび髭を見れば、皆それが誰だか予想がつくだろう。

 ツクヨミが修司を呼び出す時に寄越した、あの高慢的な人物である。皆、スイッチが見つかった時の責任を恐れている中、彼だけは、修司に対する並々ならぬ憎悪を抱いていた。故、この役を望んだのだ。

 

「…………!」ポチッ

 

 男がボタンを押した瞬間、遥か下にある四基目のロケットから、エンジンを分離する時のように、ある一つの物体が落下していった。

 ドス黒いものを沢山含んだ爆弾は、重力に従って、無常にも落とされたのだった。

 

 

 

 

「…おや?」

 

 ツクヨミ様が、下を付いて来るように飛んでいる四基目から落ちた物体に気付き、目を細めた。

 

「永琳よ、あれは何だと思う…?」

「?…あの、四基目のロケットから落ちた物ですか?」

 

 一瞬彼女に視線を遣ってから、また窓の外に目を向けた永琳は、まるで水鳥の雛のように自分達に付いて来るロケットの、更に下に目を凝らした。

 

「あれは、私が議会から開発を依頼されていた、核爆弾です」

「お前、そんなもの作ってたのか…」

 

 いくら権力が強大とは言え、都市は会議による話し合いと投票で決定される。二人が意見を押し通すのは、思ったよりも難しいのだ。

 

「すいません、何分────」

「気にするな。お前に責任は無い」

 

 言い訳にも聞こえるその弁明を遮り、ツクヨミ様は固まってこちらをチラチラ見ている彼らから背を向けて、大儀そうに溜息をついた。

 

 ツクヨミ様としても、これは都合の良い結果だ。核がその残酷な鎌を振るえば、都市を跡形も無く消し去る事が出来る。残った知性ある妖怪に明け渡すよりは、核の汚染を置き土産として放って置くのも一興だ。

 ツクヨミ様も、議会の難儀さは身に染みて理解している。核爆弾の事について咎める気は無かった。

 

 兎も角、これで今回の計画は殆ど終了した。後は月に着陸し、そこで新たに都市を建て直す。終わってホッと一息、これからに溜息だ。

 

 

 

 

ウィーン…ピシャッ!

 

 暫くして、最後尾が爆風にやられないくらいに爆弾と距離を取ったところで、窓の外は閃光に包まれた。その瞬間窓にシャッターが掛けられ、目を潰す光量を放つ爆光が完全に遮られた。

 

「…何はともあれ、これで一件落着だな」

 

 自分が計画した事が全て完璧に滞り無く進み、ツクヨミ様は何処か誇らしい気持ちになった。

 

「えぇ、そうですね。彼らも満足そうで何よりです」

 

 閉じられたシャッターから目を離し、色んな意味で成功した事に喜んでいるお偉いさん達を冷ややかに嘲笑を漏らす。

 

 

 

 

ザザァ……

 

 突然、各ロケットを繋ぐ伝達機器にノイズが走り、そこから途切れ途切れに声が聴こえてきた。

 

「……!ザザッ………ぁ!」

 

 外で爆発がまだ止んでいないからか、電波が悪くて音が意味を成していない。

 だが、爆発が終わり、シャッターが開くと、途端に声は明瞭に彼らに届くようになった。

 

 その内容は兎も角、永琳は代表としてその呼び掛けに応じる。

 

「…こちらは第一ロケット、八意永琳です。何かありましたか?」

 

 一旦声は止み、喧騒に塗れていた室内が鍾乳洞の深部のように静かになる。十分歳を召しているというのに子供みたいにはしゃいでいた彼らは永琳と機器から遠ざかるように後退し、壁際まで後ずさった。

 

 注意して耳を欹(そばだ)てていると、急に、本人がその場にいるかなような怒声が響き渡った。

 

 

 

 

「────何かありましたかじゃねぇ!!!」

 

 

 

 

「っ!!」

 

 これまでの人生の中で、これ程までの罵声を浴びた事があっただろうか。権力を背景に見られ、誰もが自分を上に立たせてくる。そんな生き方をしている永琳にとって、目に見えぬ彼の声はとても久しくて、同時に不可解なものを残した。

 因みに、初めて怒られたのは修司が初めてだ。優しい彼に怒られた時の落ち込みは、半端じゃなかった。

 

「あの爆弾は何だ!あんなのをどうして落とした!」

 

 尚も激情のままに声を荒らげるが、逆に彼女はそれのお蔭で冷静さを取り戻す事が出来た。他人が怒ると自分は静かになると言うが、どうやらそれは本当らしい。

 驚嘆、狼狽、困惑と来て、最後に冷静をその心に貼り付けた永琳は、若干の声の震えさえあれど、気丈に返答した。

 

「あれは議会で決定しました。目的はあなたが知る必要はありません。それより、あなたは誰ですか?」

 

 機器からは少しの沈黙を置いて、所属を明かした。

 

「……俺は、第四ロケットに搭乗している、特隊所属の蔵木雄也。だが今それはどうでもいい」

 

ザワザワ……

 

 驚いた。

 どうりで聞いたことのある声だと思ったら、あの時の体躯のいい青年ではないか。

 ここに無線を掛けてきたという事は、自分が格上の相手と会話するのを理解している筈。彼は、それを踏まえた上で、感情を殺す事無くありのままに吐き出している。

 

 とても許される事じゃない。処罰確定の、最悪不敬罪に当たる可能性すらある危険な行為だ。

 

「どうでもよくは────」

「今はそれどころじゃねぇんだよ!!!」

「っ!?」

 

 声が少し裏返る事なんてどうでもいいと言わんばかりに雄也は叫んだ。権力が何だ、状況が何だ、それよりも大事なものを突き通すため、彼は無我夢中で追求せずにはいられなかった。

 

「八意様だよな」

「はい」

 

 今更ながら彼は罵倒している相手の名前を確認する。最初に言ったことを忘れているわけではないようだ。

 

「…あの爆弾、あれは誰が落とした?こっちにはスイッチみたいなのは無かったぞ」

「それは…」

 

 言い淀み、彼女はチラッと背後の人垣を振り返った。

 だが、彼女はこの事について知らされていない。ここで彼らだと言えはしなかった。

 

「…分かりません。少なくとも、私ではないです」

 

 ここまで一貫して敬語を通しているのは、偏に無線越しの雄也の気迫に押されているからに過ぎない。本来、彼女はツクヨミ様のみにしかあまり敬語は使わないのだ。

 

「そうか…」

 

 向こうの雄也は暫し逡巡する。その間に永琳が話の主導権を握ろうと口を開いた。

 

「あの、一体何が────」

「誰がやったかなんてどうでもいい。八意様に伝えなきゃいけないことがある」

「………」

 

 度胸は買ってやるが、流石に雄也の態度に口が引くつき始めた。眉間に皺が寄り、気配に怒気が混じる。

 周りの人達も状況に付いて来るようになり、たかが一介の隊員である雄也のことをヒソヒソと小声で罵り始めた。自分達の下で盾として利用してきた隊員が偉そうにしているのだ、良く思うわけがない。

 平等に接して欲しいと思っている永琳でさえ怒りかけている。それ程までに雄也の話し方は一方的で、癪に障るものだった。

 

 だが、そんなちゃちな感情が全て吹き飛ぶ程の報告が、彼の口から無線越しに届いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

「────あの爆弾のせいで、白城部隊長が死んだ」

 

 

 

 

 

 

 

 その後の彼女の悲痛な叫び声は、聴く者全てに生々しい爪痕を遺す事となった。

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 核爆弾が天にキノコ雲を噴き上げながら自然を蹂躙していく様を遠くから見つめながら、一人の女性は宙に浮いていた。

 そんな芸当が出来る彼女は勿論人間なんかではなく、この世の全ての『幸福』を願っている神だった。

 ツクヨミとはまた違った雰囲気の神々しいオーラを身に纏い、同族(ツクヨミ)が地球に遺した文明が消滅する光景────ではなく、そこに一人取り残されてしまった哀れな人間を見据えていた。

 神だからと言って視力がいいわけではないので、実際には見えていない。見えているのは、遥か遠くに出現したもう一つの太陽と、彼女との間にある数々の山のみである。

 

 だが、彼女にはしっかりと、絶望に染まる彼が驚愕に顔を歪ませるのを見る事が出来た。

 

 彼女には、特に名前は無い。しかし、それは“今は”という条件があるだけなので、本人は“その時”が来るまで気長に待っている。

 

 彼女は、『幸福の神』。

 

 生きとし生けるもの全ての幸福を一途に願う、幸せを呼ぶ神だ。

 現代で閻魔が裁けなかった彼に能力を使い、彼をこの時代へと飛ばした。

 ここは別世界などではなく、彼はただ単に過去にタイムスリップしただけである。外見などは生前のままに、新しく命を吹き込んで。

 彼女の能力によると、こうするのが彼にとっていい結果に繋がると示していたので、幸福の力を惜しみなく使って彼をここに飛ばした。

 

 目を細め、微かに顔を顰める。

 

 同世界へのタイムスリップの条件として、同じ時に同じ存在は二人以上は居られない。現代の彼女は、彼を送ったはいいが、これでは経過を見守ることが出来ない。そう思い、また力を行使する事にした。

 彼が送られた時代にいる自分に、今の自分の記憶を流し込むのだ。そうする事で、産まれてから常に世の幸福を想っている過去の自分が、彼を見守ってくれるだろうと予想した。

 

 結果、その予想は的中した。

 まだ都市すら産まれる前からこの世の幸福の象徴として存在していた彼女は、ある日、唐突に、頭の中に情報が流れ込んできた。

 それは、これからこの世界で起こる出来事の全て────未来で彼女が見聞きしたもの全てだった。

 そして、最後の記憶として、(くだん)の少年の事が浮かんだ。

 

 これからを知って、彼女は笑みを零した。

 

 自分が数億年経った時でも、今のまま万物の幸せを祈っていると知り、やはり自分は変わらないなと心が暖かくなる。

 

 なら、自分が今からやる事は一つだ。

 

 遥か遠くで死にそうになっている彼────白城修司という、生前の“ある出来事”がきっかけで心に深い闇を抱えてしまった不幸な彼の事を、これからも慈愛に満ちた視線を以て見届けよう。

 自分が干渉するのは“ある二点”のみ。その時が来るまで、彼女は今と変わらずにこの距離で彼を見守る事を誓った。

 

 

 

 

 どうやら、最後まで闘っていたライバルの妖怪が、彼を庇って犠牲になったらしい。彼の心の『信頼』を司る部分が深く黒く染まり、『疑心』へと変化した。

 宇宙(そら)に向かって復讐の呪詛を喚き散らしながら、修司は死に行く彼女の最期の言葉を聞き取って、彼女の願いを叶えた。

 

 それを何処か悲しそうな色で見ていた幸福の神は、彼の『心』というものの、複雑で繊細な構造に、少し辟易した。

 

 現代で彼は死に、魂となって閻魔の裁きに掛けられて、天国か地獄かのどちらかに送られる手筈だった。

 だが、生前の彼に降り掛かった災難は、彼の心を深淵の谷底のように黒々しく染め上げ、その影響は魂にまで深く根ざしていた。

 故に、閻魔は彼を裁いて輪廻の輪に送ろうとしても、穢れた魂を綺麗に浄化しきれずに、どう対処するかで悩んでいたのだ。

 

 彼女は、一度無理矢理彼の魂に浄化しようと強行手段に出たことがあった。今思えば、そんな愚かなことをせずに、もっと早く自分が彼の元に着けていれば、事件はそう難儀なものにはなっていなかった筈だと、後悔している。

 

 彼の魂は、強制的に浄化されようとした反動で、かなり脆くなっているのだ。それはまるで、厚さ1mmの硝子細工のように繊細で儚く、それでいて、幾千ものヒビが各所に枝葉を伸ばしていた。

 

 それで、肝心の精神()の方はどうなったのか。

 

 それは、これまでの彼の苦悩を見れば、大体予想はつくと思う。

 

 閻魔の強引な浄化によって、殆どの記憶と、魂と精神にこびり付いた闇はそれなりに取り除けた。

 だが、心の闇というものは、全てを除去しなければ、水面に落ちた一滴の墨汁のようにすぐに繁殖して、いずれはまた全体を侵食していく。正体は分からなかったようだが、彼は早々にこれに気付いた。

 だが、様々な手を尽くして何とかしようとしていたが、遂に彼は再び闇に呑まれてしまった。決定的なトリガーは、永琳達の裏切りと、心から信頼出来る者の死だった。

 

「────これから、どうなっちゃうんだろうね…」

 

 見守ると言った手前、何かの手段で対象に接触するのは御法度なのだが、彼の今の状況を見ていると、どうしても不安に駆られてしまう。

 このまま彼はどうなってしまうのか。本当に彼は結果的に幸せを手に入れる事が出来るのか。現状からの判断では、どうしてもそのビジョンが見えてこない。

 自分の能力を疑うわけではないが、ここまで酷いものになると、やはり懸念が心に残るのは当たり前である。

 

 遠くでむせび泣いている修司から目を背け、ゆっくりと空中を進みながら思考に耽る。

 

 彼の心の根幹は、『信頼』を司る感情が大半を占めている。これが、彼の心が“特殊”だと言われる理由である。

 では、その『信頼』の部分が闇に染められてしまったらどうなるのか、それは、今の彼を見れば十分理解出来る。

 彼の心は、それほどまでに他との信頼や繋がりを大切にしており、そこに重きを置いているのだ。

 

 心の根本を黒く染められてしまった人間は壊れる。

 自分が一番大切にしてきたものが失われるのだ、狂わないわけがない。それは、その人の存在自体を否定しているのとほぼ同義と言っても過言ではないだろう。

 

「今後の彼が、一体何をするのか…見届けなきゃね」

 

 適当な山の頂上の木に背中を預け、これから起こるであろう予測不可能な彼の行動に思いを馳せ、瞼を閉じる。

 

 根元が腐った彼の心は、緩やかに崩壊するだろう。そうなれば、もう手段はない。

 それでも、彼女は願った。

 彼を救う誰かの出現を。

 だが、彼女はそれが希望薄なのを悟っていた。

 

 何せ、これから人類が誕生するのは、何億年も先の出来事なのだから。

 

 




 


 プロローグに登場したっきりの『幸福』の神がここで出てきました。修司の心の事情が若干分かって、少し理解してもらえたかと思います。
 閑話の筈なのに、何故か結構重要な話で見飛ばせないというw。
核爆弾を落とした張本人ですが、実際はちょび髭でも誰でもよかったりします。核を落とした、という事実が必要だからです。

 次回もこんな感じに仕上がっていますので、来週までお待ちください。



 それでは今回はこの辺で。


 

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