東方信頼譚   作:サファール

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 皆さん初めまして。サファールという者です。
 この小説が初投稿ですが、文章に慣れていくにつれて上達すると思いますので、何卒温かい目でご覧下さい。

 サブタイにある通り、プロローグはリメイクしました。
 なぜかと言うと、ある日序盤の内容を見返していた時に、「ちょっとこのプロローグは見るに耐えん」と思ったからです。

 初見さんには申し訳ありませんが、元祖のプロローグは削除します。元祖を気に入っていた方、ごめんなさい。

 では、どうぞ。

 


序章.二度目の生に響く哀れな慟哭
0話.プロローグ(リメイク)


 

「…」

 

 始まりなんて、ほんの些細な出来事だった。起きても気付かないような、そんな小さな出来事。

 倒れるドミノが段々と大きくなっていくように、世界は色を変え、全てが狂い始めた。

 

「……」

 

 モノクロの現実は静かに、しかし素早く青年の心に染みてゆき、(またた)く間に黒く染め上げていく。眩いばかりの純白は、残酷な漆黒の前では無力。故になす術なく、彼は“罰”を受けてしまった。

 

「………」

 

 何でもない校舎の、何でもない屋上。腰まである手すりに手を置いて、彼は呆然と眼下の大地を見下ろしていた。

 

「…………」

 

 まるでトイレの水に浸したかのような、異臭のする濡れた上履き。

 まるでバケツを頭から被ったような、びしょ濡れの全身。

 まるで袋叩きにされたような、痛々しい青あざと血の痕。

 

 荷物はどこかに消え、腹は昼から煩く鳴っている。ここに来るまで浴びた罵声と陰口は彼の心を抉り、鮮血を撒き散らしていた。

 

「…信じてたん、だけどなぁ…」

 

 零れた言葉すら詰まる程、彼の口は酷い状態だった。

 

 始めは、違和感。次いでその真意に気付き、疑問を感じる。何か気に食わないことがあったのか、自分の何が至らなかったのか。必死に努力し、解決を望んでいた。

 

────なのに。

 

 気付けばそれは周りにも波及していて。思えばずっと前からだったなと小さくない衝撃を受け。何故、と問いかける口すらも彼らには不快なようで。

 

「……なんで」

 

 涙なんて出ない。そんなものとっくの昔に枯れたし、流せば嘲笑は更に酷くなるのだと学んだから。

 

 抵抗はした。

 

 しかし両親はまともに取り合ってくれず、先生はお前が悪いと逆に非難した。友達は軒並み彼の前から姿を消し、近隣の人は耐え難い視線を突き刺してきた。

*学校は休ませてはくれなかったし、周りが求めるハードルもどんどん高くなっていった。いくら鈍感な彼でも、流石に察してしまった。

 

「……どうして」

 

 手すりに乗せた手に握力が込められる。

 全て信じていた。全て許容していた。全てを、全てを受け止めていたからこそ、その反動は通常の比ではなかった。

 

「アハ……ハ…ハハ…」

 

 自嘲気味な笑いは空に溶けて霧散した。下校中の生徒達は屋上の彼を見向きもせず、親しい者と談笑をしている。

 

(なんで…なんで今まで知らなかったんだろう)

 

 世界は白だけではないという事に。人間は決して優しい物ではないという事に。──友達とは、呆気ない程に薄っぺらな関係であるという事に。

 

 世界が黒色に変わってから(しばら)くして、彼に転機が訪れた。

 その他有象無象と変わりないと思っていた一人の女子が、彼に声を掛けたのだ。

 もう何年もしてないような暖かい会話。彼女の纏う雰囲気は彼を癒し、耳に入る声は夏夜に響く風鈴のように彼の心を揺らし、見せる表情は(きら)びやかに彼を照らした。

 

 久しく忘れていた朗らかな感情。彼女のお(かげ)で、また元の世界が戻って来る。

 そう、思ってたのに……

 

「………っ」

 

 伸ばした腕に絡みついたのは、真っ黒な茨。茨は棘を深々と皮膚に突き刺し、その毒を容赦なく流し込んできた。上がり始めた心はどん底へと叩き落とされ、精神が病んでいく感覚に襲われる。

 

 どうして、どうしてだろうか。頑張って信じようとしていたのに、どうしてこうもあっさりと手の平を返されるのだろうか。屈託のない笑みで誘いながら、実際は内心ほくそ笑んでいたというのか。

 

────楽しかった?

 

 そう問えば、きっと外面ではそんな事無いと叫ぶのだろう。

 しかしその言葉の裏はどす黒い。だから彼は、その内面を見据えて毒づくのだ。

 

 何をしようと変わらない。だから選択肢に差はない。何故なら、全てが悪い方向へと向かってしまう死の選択だからだ。世の中は理不尽で溢れていると父は言ったが、都合のいい方便に過ぎない。

 

「……残酷だなぁ……」

 

 彼は徐に手すりに足を掛け、静かに飛び越えた。縁に立ち、後ろ手に手すりを掴む。

 

 思えば、既に闇は潜んでいたのかもしれない。全てが白色だと信じて疑わなかったあの頃から、既に。

 空を見上げると、そこには清々しい青空が広がっていた。

 

 彼は、そんな世界に最期の一言を言う。

 

「────」

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 日が照る事の無い場所。世界と世界を橋渡すために存在する、川の向こう側の空間。

 ここにいるのは、川を渡る為の船頭をしている死神や、運ばれてきた魂を判別する閻魔、その他の取り留めのない存在。

 

 死後の世界の行き先を示す場所。有り体に言えばそれがこの空間の全てであるが、判決を下す建物と目の前の川以外に何も無いこの場所に名前はない。

 一応属する世界はあるが、ここは隔絶された空間。別世界と考えても差し支えない場所だった。

 

「う〜ん……」

 

 (くだん)の建物の中。私室で一人唸っている女性は、机にある一枚の書類に頭を悩ませていた。

 本日の業務は全て終了し、後は部屋でゆっくりと一日の疲れを癒すだけ。だがしかし、彼女はまだ閻魔装束を脱いでおらず、彼女の持ち物である悔悟棒(かいごぼう)もまだ手元にあった。

 

「どうしよう、これ」

 

 まだ仕事から解放されていない原因は、目の前の書類の処理に時間がかかっているからである。今までに類を見ない案件なだけあって、その処理難度は桁違い。難しい顔のまま固まるのも仕方ないことだった。

 

 閻魔の仕事とは一つだけ──死後の魂を天国か地獄に送ることである。その判決をするのが主な部分なのだが、この書類──青年の処遇だけは、どうしても決められなかった。

 

「いい加減決めないと。期限が迫ってるし…」

 

 閻魔である彼女に用意されている私室。

 ここで彼女は、一人静かなティータイムを楽しんだり、ピシッと垂直に固まった背筋を解すためにベッドにダイブしたりするのだが、生憎それはまだお預け状態となっている。お洒落なテーブルも、控えめながらも目を引くこの椅子も、使用者である閻魔がグデーっとしていれば、その華やかさも形無しであろう。

 

「う〜。どうしようもないじゃない、こんなの!」

 

 机に突っ伏して、仕事を放棄する。

 

 魂に直接判決を下し、その後彼らの書類をまとめて天国と地獄に本人と共に送る。これが閻魔の唯一の仕事である。どこかの閻魔は、わざわざこの世に降りて善行を積ませようとするようだが、そんな面倒な事はしない彼女だ。

 書類をまとめると言っても、実際は判子を押して二言程度備考を書くだけだ。しかしこの青年については、対処のしようがなく判断に迷っていた。

 

「もう天国でも地獄でもどっちでもいいか……いや、そもそもの話だったわね」

 

 下の世界では諸説あるが実際の話、天国と地獄は想像されているような場所ではない。天国の魂が転生の順番に優遇されて、地獄の魂は少し遅れるだけ。たったそれだけの違いだ。

 死者の魂はそこで永い時を過ごし、その身に染み付いた善行や悪行を全て削ぎ落とし、まっさらな魂へと生まれ変わって転生する。待つ間、それぞれの環境が少し違うだけ。

 

 だがどうしてか、下の世界の人々はやたらと天国を美化する。誤解を解こうと死神を派遣して説明させた事もあったが、“警察”とやらに捕まりかけて泣く泣く諦めた。

 あの時の書類作業は今までにない苦行だったと彼女はこめかみを押さえる。ただでさえ人員不足なのに職員を減らされてはどうしようも────

 

「……はっ!?」

 

 他事に思考がシフトしていた事に気付き、慌てて掻き消す。

 

(こんな事思い出してる暇ないのに…)

 

 隅に置いていた湯呑みに手を伸ばし、僅かに啜る。まだ温かさの残る緑茶は、疲弊した彼女の心を癒してくれた。

 

 彼には、とある問題がある。

 前世での事なのだが、ある災難が彼の身に降りかかり、非常に濃い負の感情を背負ってしまったのだ。

 

 前述の通り、転生するには過去の善行や悪行を削ぎ落として、まっさらな魂にならなければならない。だがたまに、どれだけの年月を費やしても過去の“所業”が取れない魂があるのだ。

 その場合には、こちらで無理矢理その癒着した“所業”を切り取り、天国や地獄に送る。

 

 だがしかし、件の彼の“所業”だけは、どうしても浄化出来なかった。

 

「一体、どれだけの“負”を受けたのかしら…」

 

 想像するだけで身震いが止まらない。神やその末端にあたる閻魔一同の力を持ってしても、完全に消すことの出来ない頑強な“負”の殻。どれ程酷い経験をすれば、こんなものがこびり付くのだろう。

 

 数日前、時間を掛けた除去が難しいと上が判断し、一度強制的に魂に付着した善悪の“所業”を抹消しようとした事がある。

 しかし結果は失敗。大半の記憶や前世の情報を消去したが、問題である特定の記憶などは残ってしまった。

 それを受けて上は匙を投げ、処遇を彼女に一任すると言ってきた。つまり、どんな方法を使っても構わないが、残りの“所業”を排除出来なければ処罰すると言っているのだ。

 

「やっとの思いで閻魔になったのに…クビとか嫌よ」

 

 人の魂を扱うので、失敗と事故は許されない。簡単に首がすげ変わるのは重役の辛いところだ。

 一人苦悩する閻魔だが、そんな彼女に突然声を掛ける者が現れた。

 

「はいはいはい。そんな悩める閻魔ちゃんに朗報だよ?」

「シャラップ!!」

「ぶべらっ!?」

 

 イライラが限界点に達していた事もあり、一人である自室に現れた人物に反射的に机上の分厚い冊子を投げつけてしまった。

 次いで閻魔である彼女は頭を働かせる。誰も入る事を許されていない自室に、気配も無く現れた存在。仕事が仕事なだけに、魂を狙って忍び込む輩は少なからずいる。

 腐っても閻魔な彼女は一瞬で思考し、結論を導き出す。呑気な声で話しかけてきた向かいの女性を視界に入れると、すぐ様立ち上がって悔悟棒を突き付けた。

 

「っ!…侵入者ね。声を掛けるなんて馬鹿かしら」

「いてて…。おデコにヒットしたよほら。このタンコブどうしてくれるのさ〜」

 

 悪びれる様子もなく平然と立ち上がる侵入者。机を挟んでいるので少し距離はあるが、それでも閻魔の武器である悔悟棒の射程内。全く問題はない。

 

「警備が杜撰だからってあまり油断しない事ね。一人でどうにか出来る程、ここは甘くはないわよ」

「無視された……。まぁ、侵入者な事に変わりはないから弁解はしないけどさ」

 

 大げさにガックリして見せる侵入者。ゆったりとした服装の女性だが、世界の狭間にあるここを襲撃した時点で、容姿なんてアテにならない。どっかの閻魔のように、小さくて説教臭い子でも、凄まじい力を持っている世界だ。油断は禁物である。

 

「目的は何?どうせ魂でしょうけど」

 

 全く感じ取れないほど上手く力を隠している侵入者。相手の実力を鑑みてこっそり応援を呼ぶ閻魔に、彼女は首を振って見せた。

 

「違う違う。私はそんなものに興味は無いの」

 

 本心であろう言葉に内心で首を傾げる。ここに来て狙うものなど、人間の魂以外に無いというのに。侵入者は武器を突きつけられている状態で、閻魔に手を差し伸べた。

 

「私はね、悩める閻魔ちゃんにいい話を持ってきてあげたの」

「いい話?」

 

 侵入者は微笑み、話を――――

 

 

「閻魔ちゃんを悩ませている青年の対処法なんだけどね――」

「天誅!!」

「ぴぎゃっ!?」

 

 

 不意打ちの悔悟棒が、彼女を襲った。

 

 

 

 

 閻魔が処理する死者の情報は、トップシークレットだ。上司である神ですら、その口を鉄糸で縫うほど情報規制は厳しい。故に侵入者がその事を知っている事実に、彼女は反射的に攻撃してしまったのだ。

 

「…話くらい黙って聞いてくれないかな…」

 

 棒に頬を強打され、部屋の隅に吹き飛んだ侵入者。しかし次の瞬間には元の位置に戻っており、真っ赤に腫れた頬を擦りながら飽きれた溜息を吐き出した。

 ダメージが無いことには驚かない。しかし力の波動を感じさせずに瞬間移動をされ、閻魔は更に警戒した。

 

「……どうやって──」

「死者の情報を手に入れたのかって?」

 

 予想していたかのように人差し指を立てる侵入者。すると彼女の周りに隠されていた力が滲み、閻魔にも感じ取れるようになった。その力の性質に、閻魔はギョッとする。

 突き出している悔悟棒が震える。種族としての格差に、本能的な服従を強いられそうになる。

 

 

「それは、私が神様だから」

 

 

 憎たらしい笑みを浮かべて腕を広げる侵入者は、自らを神と名乗る。滲み出る力の名は神力と言い、神のみが扱えるエネルギーだ。

 神は閻魔よりも上の存在。何故ここに、と考えて、揺らいでいた腕に力を込めた。

 

「…そうですか」

「んん?反応が鈍いなぁ」

「神力を持つことから、確かにあなたは神様なのでしょう。しかし何を司る神様かは存じ上げませんが、この場に侵入する事は重罪です」

 

 例え目の前に居るのが神だとしても、閻魔が従うべき神は上司と呼ぶ数名の神のみ。こいつは違う。

 また、人間の輪廻転生を管理する職場の職員は、中立的な立場を維持する事が義務付けられている。他者からの干渉により魂の流れを乱してはならないからである。

 

 神だろうと、侵入者は侵入者。捕まえ、上司に突き出すのが義務である。

 

「どうやってこの彼の事を知ったのかは知りませんが、その情報の取得も重罪です」

「これは、閻魔ちゃんが言う上司から教えて貰った情報だよ」

「え?」

 

 思わず信じそうになってしまう。閻魔は上司を尊敬しており、彼が間違った選択をする事は絶対に有り得ないと確信している。

 しかしそれをのたまった口は身元も分からぬ侵入者のもの。信じる道理はどこにもない事を自分に言い聞かせ、頭を振る。

 

「お茶目で固い閻魔ちゃんに納得してもらうために、こんな紙切れも用意してくれたし」

 

 しかし、そんな侵入者からの痛恨の追撃。服の内側から取り出した書類を机の上に置き、読むように促す。不信感マックスながらも、物品の証拠があれば、信用度はグッと増す。閻魔は悔悟棒を構えながらも、その紙を手に取った。

 

「これは…」

 

 尊敬する上司の字体で、侵入者──『幸福の神』に対して例の彼の情報を渡す事に同意している。しかも、上司の神力が込められた印付きだ。

 

「どう?信じてくれた?」

 

 しつこく尋ねてくる神に生返事を返しながらも、あまり信じたくなかった事実を受け止める。次に閻魔は、悔悟棒を降ろし、書類を机の上に置いた。

 

「……情報の取得法に正当性がある事を認めます」

「あ〜良かった!これ以上拗れるのは面倒だから、物分りが良くて助かったよ」

 

 安堵の吐息を漏らす幸福の神。しかし悔悟棒の次に突き付けられたのは、下界でも使用される手錠と呼ばれる拘束具だった。

 「えぇっと、閻魔ちゃん?」と把握しきれない様子の神に、閻魔は仕事顔でこう言い放った。

 

「ですが、ここに不法侵入した罪は消えていません。素直に投降願います」

「……頭固過ぎでしょ」ボソッ

「せぇい!」

「まそっぷ!?」

 

 地獄耳は閻魔の標準装備らしい。悔悟棒の錆となった神は結局手錠を付ける事になり、閻魔の自室の真ん中で正座する事となった。

 

「あの方が認めた点を考慮し、事情聴取は私が行います。どうせ応援を呼んでも来るまでに時間がかかりますからね」

 

 ここの職員である死神は、閻魔の部下でありながらあまり仕事に義務を感じていない。

 死神は魂をここに連れて来る事が使命であり、他の事は二の次になる事が多いのだ。川向かいまで運んだり、閻魔の元へと誘導したり、建物内を警備したり。それらにはあまり身が入らないらしい。

 

「さて、処罰は後で決めるとして、まずは動機を訊きましょうか」

 

 神だからある程度の敬語は使うが、やはり犯罪者ということで棘を含めてしまう。神は不貞腐れたように顔を背けた。

 

「ちぇ……どうせ私の持ってきた話が気になるだけの癖に」

「…次はフルスイングですよ?」

「閻魔ちゃんにいい話があるからですはい!」

 

 閻魔は一応神とはいえ、その地位はやはり神の中ではあまり高くない。幸福の神が素直に従ったのは、閻魔の迫力のお陰だ。仕事を忠実にこなす彼女の性格は、よく同僚の閻魔と比べられる。

 

「では、そのいい話とは?」

「そっちで解決出来なかった“彼”の問題を解決する方法があるのよ」

 

 話の内容に、閻魔は思わず鼻で笑ってしまった。

 

「あ〜、神様を嘲笑っちゃいけないんだぞ〜?」

 

 バチ当てるぞ〜?と脅してくるが、生憎こちらも神の一種である。バチは当てられないだろう。

 閻魔が鼻で笑うのも仕方ない。何故なら、上司や閻魔の持つ力でさえ彼の魂を清める事が出来なかったのだ。輪廻転生に特化した自分達が解決出来なかった問題を、彼女がどうにか出来るとは思えないのだ。

 

「すいません。面白かったので、つい」

「何が面白いのさ〜」

「私達で対処し切れなかった案件です。輪廻転生に関係していないあなたには無理です」

 

 神とは、この世の何かを司り、その力を操る存在だ。ピンキリだがその性質は全ての神が持っており、逆に範囲外の事は全く対処出来ない。

 

「ちっちっちっ。幸福の神様には出来るのだよ」

 

 手錠されながらのドヤ顔は非常にムカつく。悔悟棒を振りかざして威嚇したら、案外すぐに引っ込んだ。

 

「はぁ…それで、そんなお伽噺をするためにここへ?」

「お伽噺じゃないよ。ちゃんとした方法があるんだ」

 

 片眉を上げた閻魔は悔悟棒を降ろす。

 

「なら、聞くだけ聞きましょう。徒労に終わるでしょうが」

「そんな事ないよ。やる事はただ一つで、とても簡単な事だから」

 

 寧ろ閻魔ちゃんの出番は無いしね、とカラカラ笑う幸福の神。そして彼女は、不意の真顔でその方法を口にした。

 

 

「──私の能力を使う」

 

 

 能力、と呟いて、閻魔は続きを促した。

 

「私の能力は、閻魔ちゃんの親友の担当する世界で言えば、『幸福にする程度の能力』。幸せにしたいと思った相手の事を、必ず幸せにしてあげる能力」

 

 能力の内容を聞いて、閻魔は戦慄した。幸福を司ると聞いて若干嫌な予感はしていたが、彼女の能力はとんでもなく強力なものだ。

 

「発動に力は要らない。能力を使用すれば相手が幸せになる道筋を導き出し、その過程をクリアするために必要な分の力を手に入れることが出来る。…どう?凄いでしょ」

 

 つまり、彼女の匙加減一つで、どんな悪党でも世界を征服できるという事だ。殺人も強盗もテロも不正も、彼女が対象を幸せにしたいと思えば叶えられる。そうなれば、人間界は滅びてしまう。

 閻魔が最悪の事態を想像していると、神は手錠を煩わしそうにしながら言った。

 

「…安心して。閻魔ちゃんが考えてるような使い方はした事ないし、するつもりもない。私は幸福を司る神。大多数や──世界の平和を基準に動いているから」

「そう、ですか」

 

 少し不安が取り除かれたが、次に「気分で動く事もあるけどね」と言われ、本格的に拘束しようかと思った。

 

「それで、その能力を使って彼を助けると?」

「そうそう!肉体や自我がなくても能力は使えるから、彼が何も出来ない間にパパっとね」

 

 何も出来ないという言葉が引っ掛かるが、取り敢えず閻魔は首を振った。

 

「……よしんばあなたの言った事が本当だとしても、あなたに彼を預ける事は出来ません」

「え〜?なんで?」

「それは、彼が私達の管轄下に置かれているからです。部外者に干渉されては、今後の立場が危うくなります」

 

 誰にも干渉されず、ただ淡々と人間界の輪廻転生の概念を維持する機関。一度でも外部から手を出されたとなれば、調子に乗って他から色々と口出しされるだろう。

 自分にも管理させろ。その人間を寄越せ。死神を貸せ。前例が規模を肥大させ、やがて崩れてしまう。それだけは避けねばならない。

 

「一柱の神が閻魔の自室に不法侵入し、人間の魂を要求する。その罪は、決して軽くはありません」

 

 神の中には、人々から信仰を得て存在している者もいる。別の神が人間を管理出来るようになれば、その者は手綱を握られているのと同じだ。

 バランスが崩れる。その事実を理解している筈なのに、幸福の神は意志を折らない。

 

「お願い。彼を助けさせて。私の能力を使わないと、世界中の人間が死ぬ事になる」

「……どういう事ですか?」

 

 聞き捨てならないセリフだ。神は机に上にある書類に目を向けた。

 

「彼はこのままだと悪霊と化し、ここを抜け出して人間界に行く。そして心にこびり付いた感情のままに、地球上の人間を殺し尽くす」

「…そんな馬鹿な。流石に管理庫のセキュリティは万全です。内外から出入りする事は有り得ません」

 

 神のヘラヘラした雰囲気は既に消え去っている。彼女の言う事が信じられず、閻魔はすぐ様否定した。

 魂が逃げ出さないように、裁判を終えた魂は一旦管理庫に入れられ、そこから天国や地獄に送られる。現物を扱う場所なので、そこは閻魔の自室付近よりも強固な警備が敷かれている。どんな高位の神でさえ、侵入は困難だ。逆も然りである。

 

「いいや、脱走するよ」

 

 確信を持って、神は言う。

 

「私の能力は、使うとまずそのまま時間が経過した場合の未来が視えるの。それを視てから力を行使するのか決めてるわけ。結果、私にはさっき言った未来が視えた」

 

 捕まった状況にも関わらず、神は尚も懇願する。自身の身はどうなってもいい。彼を救い、人類を幸せにしたいと願う彼女の言葉は、真に人類を案じている温かさを感じた。

 閻魔の頭には、彼女の言っている事が全て嘘っぱちである可能性は捨てていた。

 実際、彼に残った黒い感情は彼を悪霊化させるに充分で、その強さは比類なきものだ。懸念を正確に言い当てた彼女の正当性は、証明されたのだ。

 

 しかし、と閻魔は申し訳ない顔をした。

 神は自身が司る領分においては我が物顔で居られるが、輪廻転生関係はそうはいかない。再三言うが、この機関は中立を貫く必要があるからだ。

 

「……そう言われましても…」

「頼むよ閻魔ちゃん。これが、最後のチャンスなんだ」

 

 責務か、私情か。

 悪霊化したとしても、人類が滅ぶ前に神が出張るだろう。そうなったら、ただの霊である魂に抗う術はない。神を抑え付ける程の悪霊なんて有り得ないし、上司が監視すれば万事解決ではないだろうか。

 

「彼の心は、想像してるよりずっと暗い。神如きが消せるものじゃない」

 

 読心でもしたのか。内心ビクついた閻魔は、暫く神と見つめ合い、生涯に一度であろう葛藤を経験した。

 自分達に対処出来るのか。この神に託してもいいのか。様々な思いがせめぎ合い、交差し、混ざり合って。

 

 

「………はぁ」

 

 

 聡明な閻魔は、実の所見切りはつけていたりする。彼女の決定を妨げる材料は自身への言及と処罰のみ。上司が情報を渡した時点で、既に答えは出ていた。

 

「…規則を破り侵入した神が、勝手に魂に処置を施した。異論はありませんね?」

「っ!ありがとう…」

 

 涙を流すほどの事だろうか。感情の起伏が激しい彼女に思わず笑ってしまい、神は軽く憤慨するのであった。

 

 

 

 

「区域座標E-P-K、識別番号A-5972をお願いします」

「了解しました。こちらです」

 

 神を連れて魂の管理庫へとやって来た閻魔。門番の礼に会釈を返し、受付をしている死神に“彼”の元へと案内するように命令した。

 魂は下手に移動させる事が出来ない。自我がない場合は触れることすら許されず、扱いには細心の注意が必要である。

 

「沢山あるんだね」

「日本の死者を全て管理していますから。それに、魂が路頭に迷う事のないよう、収容数に余裕を持たせているのです」

 

 死神に案内されながら閻魔は簡単に管理庫について説明した。

 ここまで数名の死神に見られているが、自室の近くや管理庫の付近は信頼の置ける部下に任せている。口裏を合わせることは容易い。

 

「こちらです」

「ありがとう。流石ですね」

「恐悦至極。…では」

 

 公私は分けるタイプである。

 

「え?もしかして、魂ってここにあるの?」

「そうですよ?どうしました?」

 

 受付の死神に案内されて辿り着いた所には、一枚の扉が。

 

「もっとこう…白い玉が棚に並んでる感じかと…」

「……ハリー○ッターですか?」

「そうそう」

 

 溜息をついた閻魔は扉を開け、中に入る。神もそれに続いた。

 

「そんな雑な扱いはしませんよ。仮にも人間の根幹ですよ?個室に一つずつ、丁寧に保管しています」

「おぉ、ちょっと見直したかも」

「今までどんなイメージだったんですか…」

 

 閻魔と直属の上司しか侵入を許されていない禁域なので、様々な憶測が飛び交っているそうで。中には、こっそり魂を使って非人道的な実験をしているという噂もあるとか。誠に遺憾である。

 

「でも、殺風景だね」

「保管室なので。場所しか用意してないんですよ」

 

 中央の台座に、件の“彼”であろう魂がある。それ以外は何も無い数畳の個室で、二人は会話を区切った。

 

「……それで、どうするんですか」

「私の能力は、一度行使すると決めたら止まらないの。でも間違った事はしないから、何をしても怒らないでね」

「物凄く不安なんですが」

「大丈夫大丈夫!失敗はした事ないし、正確性は抜群だよ」

 

 『幸福』という重要なポジションに居るのに、どこか軽い雰囲気が抜けない。それがとてつもない不安を煽り、早くも後悔し始めた閻魔であった。

 

「場所はここで?」

「うん。儀式も道具も要らないからね」

 

 それじゃ、やるよと言い、魂に手を翳す神。固唾を飲んで見守る閻魔は部屋の隅に後退り、一部始終に祈りを捧げた。

 あらゆる手を尽くし、どうしようもなかった厄介な魂。メンツが潰れるどころか、このままでは悪霊と化してしまう危険性もあり、組織は解決策を渇望していた。

 

(これで本当に…)

 

 人間を大切に思い、いい関係を保ちたいと思うからこそ、この輪廻転生に携わる。ここの職員は、皆同じ考えを持っている。

 助かるのか、彼は。彼の無事を案じ、閻魔は目を閉じた。

 

「……」

 

 微風が個室に流れ出し、神の神力がそれに乗る。彼女の神が揺れ、だんだんと神力の密度が濃くなってゆく。

 

(……!これは…)

 

 能力を使い判明した道筋に驚愕する。神は動揺したが、これしか幸せになる方法がないのなら、意を決して飛び込む他ない。

 

「…はは、これは想像以上に大変だ、な」

 

 突如、暴風が吹き荒れる。空中に滲む神力は閻魔が立っていられないほど高密度に達し、個室の壁が振動した。

 

「…でも」

 

 全ての幸せを追求する存在として。『幸福』を司る神として。僅かばかりの理性を主人として。

 彼を助けたい。助けてあげたい。理不尽を潰すかの如く、可哀想な未来に抗いたい。

 

「……いくよっ!!」

 

 溢れ出ている神力が一点に集中する。集中点は彼の魂がある部分。そうして集められたエネルギーの塊は一瞬で練られ、構築され、デタラメな法則を生み出す。

 

 衝撃波の代わりに光が部屋を満たす。目を開けていられなくなった神は目を閉じ、急いで隅にいた閻魔を庇うように抱き抱える。

 そして、祈った。

 

(────どうか、あなたの人生に幸がありますように)

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、一人の青年の人生を綴った愚譚である。

 人間の世に絶望し、諦観し、生きることを放棄した年端もいかない青年。しかし彼に待っていたのは、理不尽に強制された『人生のリスタート』であった。

 

 彼の想いを、数多の事例の一つと一笑に伏すだろうか。よくある事だ、誰しもが通る道だ。そう達観する事は難くないだろう。

 しかしその想いには、どんな代償をも厭わない覚悟と信念がある。侮るなかれ。気付けばその喉元には、『疑心の懐刀』が添えられている。

 

 呪いと化し、魂にこびり付いた黒く固い怨念。心地よく神経を撫でるその感情を、彼はどうするのだろうか。

 私達に出来る事は、その行く末を見届けるだけである。

 




 

 上達してないって?HAHAHAご冗談を。

 目を通して頂き、ありがとうございます。今後もご愛読頂けると幸いです。

 以上でリメイク版プロローグを終わります。ばいばーい。

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