夢を見ていた。何処かとても懐かしい夢。
私とお
「この作業つまらんよ〜。あーん、私もそっちがいいわぁ」
「四葉にはまだ早いわ」
私の必死の抗議もお祖母ちゃんの鶴の一声で一蹴される。
「糸の声を聞いてみない。そうやってずーっと糸を巻いとるとな、じきに人と糸との間に感情が流れ出すで」
「へ? 糸は喋らんもん」
お祖母ちゃんの話はいちいち難しい。人以外の思いを読み取れる様になれなんて、小学生だった私には到底理解し難い話だった。
すっと、何の違和感も無く場面が切り替わる。
高々と
そこは糸守神社の御神体が祀られてる
「ね、婆ちゃん! おぶらせて、良かったら」
そう言って姉はお祖母ちゃんをふらふらしながらも背負って山道を登る。全く、無茶しすぎなんよ……
そう、この時期の姉はいつも以上にうすらぼんやりしていて、正直見ていて危なっかしかった。けれども、そんな姉の姿に、何処か憧れを抱く私がいた。
「ムスビって知っとる?」
「ムスビ?」
お祖母ちゃんの問いに、私は疑問形で返す。お姉ちゃんなら知っているのだろうかと思い、その顔を覗き込んで見たが、姉は何のことやらとでも言いたげにしかめっ面をしていた。
「土地の
お祖母ちゃんの話は難しい。だけど、その言葉には重みがあって、私の中にすっと入ってくる。
「知っとるかい? 糸を繋げることもムスビ、人を繋げることもムスビ、時間が流れることもムスビ、ぜんぶ、同じ言葉を使う。それは神さまの呼び名であり、神さまの力や。ワシらの作る組紐も、神さまの技、時間の流れそのものを顕しとる」
私は今まで作ってきた組紐を想像する。赤、青、黄、緑、様々な糸が寄り集まって作られる組紐。
「よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それが、ムスビ」
私は私たちが作った組紐がすーっと解かれて行くイメージを浮かべる。ああ、実際にそんな事になったら、お姉ちゃん、きっと発狂してまうんやろな。幼い私は、その姿を想像して大きく溜息を吐いた。
やがて、カルデラの窪地にある、宮水神社の祠に到着した。そこは湿原になっており、
私達は祠の中で自らの半身である口噛み酒を神さまに捧げる。
半身だとか
ただ、終始、お祖母ちゃんを献身的に支えるお姉ちゃんの姿が、とても頼もしく、そして格好良く見えて、知らず知らずの内に姉への憧れが募っていく。
やる事を終えた私たちが帰路に着く頃、何処からかひぐらしのカナカナカナという切なげな声が聴こえてきた。私は、こんな時期にひぐらしが鳴くなんて珍しいなぁなんて、のほほんとしながら思っていた。
「もう、カタワレ時やなあ」
やがて私たちは山里を一望できる所まで来て、夕暮れ時の糸守の美しい光景に目を奪われていた。私は夕刻より浮かび上がる夜空に彗星が見えないか、必死で探した。ああ、あの時はまだ、彗星はただただ美しいものだと、そう思っていたっけ……
無邪気にはしゃぐ私を尻目に、おや、三葉、とお祖母ちゃんがふと気づいた様に声を上げる。
「―――あんた今、夢を見とるな?」
はっと目が覚める。そこは一面白壁に包まれた無愛想な東京の自室。
やけに鮮明な夢だった。懐かしい糸守の記憶。今はもうない、私たちが生まれ育った自然がいっぱいの田舎で過ごした思い出の一ページ。
それにしても、夢を見ているのは私だというのに、どうしてお姉ちゃんが夢を見ているのか。やっぱりお祖母ちゃんの話は難しい、なんてある程度大人になった今でも思ってしまう私は成長してないのだろうか?
……どうしてこんな夢を見たのだろう。私はふと疑問に思う。必死で考えてみたが、結局答えは見つからない。ううん、そうじゃない、きっと私は……
―――
毎日六時にきっちりと目が覚める私は、いつも通りキッチンに立って簡単な朝ご飯を作る。平日は当番制だが、休日の姉は頑として起きようとしないので、各々で準備する事になっている。
本人曰く、
「折角の休日やんに、寝やんと損やろ。四葉も社会人になったらわかるわぁ」
との事だった。寧ろ折角の休日こそ、早起きして有効活用すべきなのではと思ったりしたが、姉にそんな事を言ってもどうせ無駄なのでやめておいた。そもそも、お姉ちゃん、社会人になる前からずっと休日は遅くまで寝てたよね……
そんな少々だらしないとも思える姉だったが、今日は珍しくきっちりと朝早くに起きて来た。
質素ながら絶妙に可愛らしさが垣間見れる姉の装いを見て、今日のデートへの意気込みを感じる。
その一挙手一投足に気合いが入っている様子が見て取れて、我が姉ながら分かり易いなぁ、なんて生温かい目で見守っていた。
ふと、姉がテレビの占い番組をつける。
姉は六位の様で複雑そうな表情を浮かべていた。ラッキーカラーはオレンジ!
良かったじゃん、その髪を結ってる組紐、オレンジ色だよ?
そして、私はと言うと、見事に一位だった。
今日は長年抱いてきた思いが叶う最高の日! だそうだ。
馬鹿馬鹿しい、と私は思う。別に占いを否定したりしないが、数億もいる人間をたった十二等分しただけで、願いが叶うなんて無責任な事言わないで欲しい。
どうせ、私の願いなんか叶いっこ無いんだから……
―――
鼻歌でも歌いそうな勢いで意気揚々と出かけた姉の後を、こっそりと私は追っていく。
相変わらず東京は人で溢れており、駅で一瞬姉の姿を見失いかけたが、前もって何処へ行くか聞いていたおかげで何とか再び見つける事が出来た。
やがて、お姉ちゃんは目的の場所に着いたのか、ベンチに座りながら前もって買っていた缶コーヒーを両手でちびちびと飲んでいる。
そんな姉をずっと遠目から見守っていたのだが……
長くない??
待ち合わせ場所に到着してから、彼此一時間近く経つ。え? 何? ひょっとしてすっぽかされたの?それにしては、姉の表情はとても穏やかだ。
時々、ナンパだろうか男から声をかけられていたが、毅然としたら態度でいつも通り丁重にお断りしていた。
うーん、待ち惚けを食らった挙句、ナンパされたりしたら、普通面倒くさくなって帰るけどなぁ。やっぱりお姉ちゃんの感覚はよくわからない。
やがて、漸くお姉ちゃんね彼氏らしき人物がやってくる。
整った顔立ち、ハリネズミみたいな髪型、清潔感溢れるその出で立ち。成る程、確かにお姉ちゃんの好みを詰め込んだ様な男ではある。
その人は、特に悪びれる様子も無く、笑っている。そんな彼を見て、姉も笑っている。これには思わず首を傾げざるを得ない。ちょっと、お姉ちゃん、一時間以上遅れる様な人、ろくな奴じゃないよぉー!
やはり、姉の感性はよく分からない。昔から
やっぱり、お姉ちゃん、騙されとるん??
そんな疑念が強まったのだが、ずっと姉らを観察していると、どうもそんな感じでもない気がする。
割と頻繁に言い争っているし、決して互いが遠慮し合うという仲でも無さそうだ。かと言って仲が悪いかと言えば、そんな事は決して無く、傍目から見ても仲睦まじいラブラブのバカップルにしか思えなかった。
そこで、私はお姉ちゃんが居なくなった頃合いを見て、彼に近づいた。
こう言うのは直接話すのが一番手っ取り早い。何を聞けばいいか、どう接したらいいか、そんな細かい事は全く決めていなかったが、接していれば大体の人となりは把握出来る自信があった。
そうして、私は彼に話しかける。彼は大きくって力強い瞳で私をじっと見つめている。
軽く会話を交わし、何か大切な思いに満ち溢れているかの様に力強い彼の態度を見て、私は何故か、そう、何故かとても嫌な思いに取り憑かれる。
そうして私は殆ど無意識のうちに、姉への暴言が口を衝いて出ていた。
「私、姉のこと嫌いなんです」
どうしてだろう。本当は違うのに、こんな事を言いたい訳じゃないのに、まるで決壊したダムの水の様に姉への悪口が溢れて止まらなかった。私を見つめていた彼の温かい瞳が、見る見るうちに私への不信感を内包していく。
怒られる。私はそう思った。確かに名目は彼を試す為だったけれど、この人が姉を心から愛している事は、少し接しただけで十分に分かった。そう、分かった筈なのに……
どうして私は……
「四葉ちゃん……」
その言葉に私は思わず下を向く。怖い……怒られる事が? 嫌われる事が? ううん、そうじゃない……
だけど、彼は私を怒らなかった。こんな私を心配して、優しく接してくれた。その言葉は、私の心の奥まで酷く染みるものだった。思わず、涙が溢れた。彼への申し訳なさに、姉への申し訳なさに、そして、自分の心の醜悪さに……私は、涙が止まらなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、本当にごめんなさい」
それは心の奥底からの謝罪。今の私に出来る事は、ただひたすら謝る事だけだった。
そして、漸く、理解する。
ああ、私は……
一人ぼっちになるのが怖かったんだ。
小さい頃に母を失い、母を失った哀しみもさめやらぬまま父がいなくなり、そうして、糸守町まで無くなった。結局、お祖母ちゃんとも離れ離れになり、友達とも別れ、見知らぬ町東京で、私はずっと姉を頼りに生きてきた。
姉が結婚して、私の元から去ってしまったら、私は一人ぼっちだ。それがどうしようもなく怖くて、私はきっと自分でも気付かないまま、姉の彼氏が駄目な人間である事を、心の奥底で願っていた。そうすれば、姉はまた私の元へ帰ってくる、いつ迄も私の側に居てくれる、そんな思いに取り憑かれていたのだろう。
そう、本当はとっくの前から気付いていた。あれだけ恋愛に興味を見せなかった姉が、ずっと何かを失ったかの様に右手を見つめていた姉が、幸せに満ちた微笑みを浮かべたあの日、姉が運命の人を見つけたんだというそんな確信が、私にはあった。ただ、私はそれを認めたくなくて、あれこれと理由を付けて姉が別れる要因を探していたに過ぎない。
けれども、今朝からずっと姉の姿を見て、本当に幸せそうな姉の微笑みを見て、私はこんな考えに取り憑かれる自分が嫌になった。だからこそ、私は彼に近づいた。私が彼の前で姉を非難すれば、きっと彼は私を嫌うだろう。それでいい。それが、こんな嫌な考えしか出来ない、私への罰だ……彼の前で見せた怒りは、殆ど自分自身への怒りだった。
それなのに、彼はこんな私にも優しかった。何処までも何処までも優しかった。その姿はどうしてだろう、何故か、遠い昔、お祖母ちゃんを気遣う姉の姿を彷彿とさせた。そうして気付く。お姉ちゃんも彼も、似た者同士なんだなと。
ふと思い出す。
ムスビ―――
よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながる。
ああ、これがムスビなんだな、と私は殆ど直感的にそう思う。お姉ちゃんと彼は、ムスビによって強く、強く、どこまでも繋がっている。それは、私なんかが何をやったって、決して揺らぐことは無いのだろう。
だから、私は立ち去らなくてはならない。彼は凄く良い人だ。私なんかの我儘で、この二人の邪魔をしてはいけない。大丈夫、私は別れる事には慣れている。きっと今回だって、笑顔で姉を送り出せる筈だ……
私は時々二人の事を揶揄いながら、なるべく気丈に振る舞う様に努めた。二人に気取られてはいけない。弱気になっちゃいけない。これは、自分勝手な私への罰。その償いは、二人の幸せを笑って送り出す事。
そうして別れの時間が訪れる。私は二人に別れを告げる。それは思っていたよりも以外と呆気なかった。
私は帰り道をとぼとぼと歩く。ふと上の方を見上げると、あれだけ青かった空がいつの間にか真っ赤に染まっていた。
「もう、カタワレ時やなあ」
私は無意識のうちにそう呟く。どうしてだろう。街並みも風景も全然違うのに、このカタワレ時は何処までも何処までも美しい。いつか……いつか私にも、お姉ちゃんと瀧さんの様にお互いを思い遣れる相手が出来るのかな……
そんないつになるかも分からない話を柄にも無く考えていた私の背後から、ふと男の人の声が掛かる。それは、つい先程知った、優しい声。
「四葉ちゃん! もし良かったら、俺たちと一緒に晩御飯でもどう?」
それは、正しく私が求めていた言葉。この二人なら、私を一人ぼっちにしたりしない。それを確信させる、そんな一言。嬉しくて、心の底から嬉しくて、気を抜くと涙が溢れそうになる。
だから、私は涙を見せない様に、憎まれ口を叩きながら、素直な気持ちをこう告げる。
「えー、お二人の熱々っぷりを見ていたら、お腹一杯になっちゃいますよぉ。でも、折角なので、ご一緒させて下さい。
……ありがとう」
そう言えば、今朝の占いも馬鹿に出来ないな。これからは、少し位占いを信じてみてもいいかも知れない。私はふと、そんな事を思うのだった。
今回もお読み下さいまして、誠に有難うございます。
どうも、水無月さつきです。
今話は番外編でしたが、如何でしたでしょうか。
番外編と言いつつ、個人的にはかなり気合いを入れて書いた一話になります。
同じ場面を三者から異なる視点で見ると、こうも見方が変わるんですね。
ちなみに、待ち合わせの時間に関しまして、多少わかりづらいかも知れないので補足しておきますと、
待ち合わせ時刻 10時
三葉 8時30分着
瀧 9時30分着
ですので、決して瀧が遅れた訳ではありません。この時三葉は浮かれていて、一刻も早く待ち合わせ場所に行きたかっただけなんですね。
さて、前回、次話は糸守の話と言っていたのに、急に番外編で申し訳ありません。ただ、この話を入れるならここしかないなと思ったので、急遽変更いたしました。
次回こそ、糸守の話となります。
どうぞ次回もご覧下さると嬉しいです。
それでは。