「わー、男の子の部屋に入るのってなんかとっても新鮮なんよ。 あ、ほら見て〜! 玄関に可愛らしい絵が飾ってあるんよ!! きゃー、すてきー」
「ほんとほんと! 瀧さんって、やっぱりセンスいいなぁ。私の周りの男子なんて、みんな子供っぽい人らばっかやし、私も瀧さんみたいな彼氏欲しいんよ」
「あー、よーつーはー。もーし、私の瀧くんに手出したら、たーだじゃおかんのよぉ〜。あ、私、瀧くんの前で私の瀧くんなんて……えへへ」
……どうしてこうなったのだろう。
俺の家で、それはもう自由奔放にはしゃぎ回る三葉と四葉の姿がそこにはあった。三葉は普段よりも露骨に甘えてくるし、四葉は四葉で、あれだけ丁寧な標準語を操っていたのに、いつの間にか方言混じりの喋り方に変わっていた。
二人とも、顔は真っ赤になっており、三葉に関しては若干呂律が回っていない。そう、彼女たちはべろんべろんに酔っ払っていた。四葉に関しては、未成年にも関わらず、である。
今まで男以外上げたことが無かった我が家にいきなり泥酔した彼女とその妹がやってくるという奇妙な展開に、俺の頭はオーバーヒートしかけだった。
俺は、落ち着きを取り戻す為にも今一度これまでの展開を振り返ってみることにした。
四葉によるひと騒動の後、俺は食事に行こうと提案した。
時刻はちょうど六時を回った位で、夕食をとるにはうってつけの時間だ。
すると、四葉は、
「それじゃあ、この辺りでお邪魔虫は退散して、お二人で楽しんで下さいね」
と、笑顔で俺たちを冷やかしながら、さっとその場を後とした。俺たち二人に気を使ったのだろう。けれども、俺にはその笑顔が作り物に思えて、彼女の後ろ姿がやけに寂しげに写って、
「なあ、三葉が嫌じゃなければ、今日は四葉も一緒に夕食にしないか?」
と、殆ど反射的に三葉に提案していた。
そんな俺の提案に、三葉は見ているこちらの心が温かくなる様な優しい微笑みを浮かべながら、二つ返事で俺の提案に賛成する。
「瀧くんが言わなかったら、私から提案しようと思ってたんよ。折角のデートだし、瀧くんと二人っきりで楽しみたいって思いはかなりあるんやけどね。だけど、やっぱり私にとって、四葉は大切な妹なんよ。だから、瀧くんも同じ様に四葉のことを大事に思ってくれるんは、本当に嬉しい」
でも、と言って、三葉は左手を腰に当て、少し前のめりになりながら、これだけは守るよーに、とでも言いたげに右手の人差し指をびしっと立てて、俺の鼻先まで持ってくる。
「もし、四葉に手出したら只じゃおかんからね!!」
そんな姿が可愛く見えて、俺は前のめりになっているので丁度良い位置にあるおでこを、自分の中指で軽く弾いた。
「いたっ。ちょっと、何するんよ」
「ばーか。俺はお前一筋だよ」
「もう……またそういうこと言って……私だって瀧くん一筋なんよ?」
我ながらバカップル街道を全力でひた走っている事は自覚していたが、こればかりはどうしようもなかった。それほどまでに三葉が好きなんだから仕方がない。これまで、人前でいちゃつくカップルを見て、恥かしくないのかな、などと思っていたが、三葉が彼女になって彼らの気持ちが漸く理解できた。要するに、周りなどどうでも良くなるのである。
しかし、そんな俺にもまだ人並みには羞恥心が残っていた様で、俺は恥ずかしさを紛らわせる為に、急いで四葉を追いかけたのだった。
「それで、どーするの?」
四葉を連れ戻した俺たちは、四葉を交えて三人で本日の夕食をどうするか思案していた。
腕を組みながら、首を少し傾ける二人の姿は瓜二つで、やっぱり姉妹って似るんだななんて考えると思わず口元が綻んでしまう。
「それなんだけど、俺の行きつけって言うか、思い出深いイタリアンのお店があるんだけど、良かったらそこ行かない?」
そんな経緯で、俺たちは俺が大学卒業まで、長年働いてきたレストランへ行く事になった。そう、今から思うと、これが全ての元凶だった。
そのイタリアンレストランは俺にとって非常に思い入れのある店だった。司や高木、そして奥寺先輩と仲良くなったのも、そのレストランで共に働いていたと言う理由が大きいし、その他の方々にも色々と良くして頂いた。
そんな訳で、今でも俺は折を見てはここへ通っているのだった。
「いらっしゃいませー、って瀧先輩!? 珍しく女の人を連れてきたと思ったら、こんな美人さんを二人も……先輩も隅に置けませんねぇ」
受付で俺を出迎えた今時の大学生風の女の後輩が肘で俺を小突いてくる。東京の一等地に拠を構えるリストランテなだけあって、採用される女性はお洒落な人が多かった。
「ほら、軽口叩いてないで、仕事に戻れ。で、予約して無かったけど、今って空いてる?」
「ちょーっと待って下さいね。席は一杯なんですけど、一つキャンセルが出そうなんで、そこ入れないか確認します」
そう言って、彼女はインカムで上に掛け合ってくれる。
「ありがと、毎回助かるよ」
「他ならぬ瀧先輩の頼みですから。……と、大丈夫みたいです。じゃあ、ご案内しますね」
彼女に連れられて店内を歩いて行くと、仕事中の元ウェイター仲間たちが手を振ったり、軽く会釈したりと、三者三様の挨拶をしてくる。人それぞれやり方は違えど、歓迎して貰えるというのはとても喜ばしい事だ。そして、俺の後ろに付いて歩く三葉と四葉の姿を見て、
え?あの瀧さんが!?
とでも言いたげに首を傾げるまでがテンプレだった。あいつらなぁ……
案内された席は店内が一望できる二階のロフト席で、普段は真っ先に予約が埋まる人気席だった。案内を終えた受付の彼女は、担当の男の先輩社員にバトンパスした。その人は俺にとっても先輩に当たるベテラン社員で、色々とお世話になった人だった。
「本日は、ご来店頂きまして誠に有難う御座います。お客様、当店のご利用は初めてでしょうか?」
先輩社員は茶目っ気たっぷりに定型の質問を投げかける。これには思わず笑みが溢れる。先輩社員は俺の言葉を待つまでもなく、続け様に本日のコースメニューを紹介する。
「本日のコース料理は、アンティパストに季節の野菜5種を使ったサラダ、プリモに北海道産子羊のパッパルデッレ、セコンドは本日の鮮魚のピカタか子牛の頬肉の赤ワイン煮込みからお選び頂けます。ドルチェはそちらに御座いますメニューよりお好きな物をお選び下さい。ちなみに、本日、ピエモンテより新しくワインが入荷しておりまして、大変お勧めとなっております」
ふと、二人の方を見ると、一体絶対何が何だか分からないと言った様子で目が点になっていた。まあ、あまりイタリアンに馴染みがないと全然分からないよなぁ。俺も初めは料理を覚えるのに、めちゃくちゃ苦労したからな。
そんな訳で俺は分かりやすく噛み砕きながら彼女たちの意見を聞き、料理を注文した。
やがて、俺たちは出される料理に舌鼓を打ちながら、食事の時間を堪能した。俺と三葉はワインを一杯だけ注文したが、少なくともそれで酔い潰れる様な事はなかった。
そう、ここ迄は非常に楽しいひと時だった。間違っても三葉が酔い潰れ、未成年の四葉までお酒を飲むなどと言う事態には成り得るはずが無かった。
おいしい料理を満喫しながら取り留めない会話を交わしつつ、次のメイン料理をいよいよ待つばかりという俺たちの所に、何故か頼んでいない赤ワインが一本運ばれてきた。しかも、グラスが三つもある。四葉は雰囲気が大人びて見えるから、ひょっとすると成人していると勘違いしたのかもしれなかった。
「お客様、こちら、当店からの心ばかりのサービスで御座います」
先輩社員はウインクをしながら周りの客に気付かれない様に小声でそう告げる。とは言え、いくら何でも未成年にお酒を飲ますのは不味いので、四葉のドリンクを追加で注文しようとしたのだが、
「瀧さん、大丈夫」
四葉はふるふると首を横に振った。きっと、お店の好意を無下にしたく無かったのだろう。
まあ、ちょっと位なら大丈夫か。ワイン一本なら一人当たり二杯程度だし、俺はお酒は強いので、無理そうなら俺が飲めばいいしな。だが、俺は直ぐにその考えが甘かった事に気付かされる事になった。
結局、俺がグラス三杯飲み、三葉と四葉が二杯弱飲んだのだが、この二人が、俺の想像以上にお酒に弱かった。ワイン一杯飲んだあたりで口数が少し減り、二杯飲み干した辺りで目がとろーんとしてきた。顔はみるみるうちに赤く染まり、次第に饒舌になっていく。
結局、デザートを食べ終わった辺りで、酔っ払い二人の完成である。
「あはっ、瀧くんが二人いるー。瀧くんがいっぱーい」
「それなら、私に一人ちょうだい〜」
「だーめ。瀧くんはみんな私のもんやの」
「えー、お姉ちゃんのけちー」
レストランの会計を終え、店長に御礼を言って店を出て以降、二人はずっとこんな調子である。
どうも、二人とも酒に酔うと笑い上戸になるらしく、何がおかしいのやらあらゆる出来事に笑いが止まらなくなっていた。
「ほら、三葉。四葉。このまま帰れるか?」
「えー、私瀧くんと離れたくないんよお。今日は一緒にいて?」
「わー、お姉ちゃんってば大胆ー。瀧さん、お姉ちゃんを末永くよろしくなんよぉ」
「えへへ、不束者ですがー」
こんな調子の二人を見て、俺は途方に暮れていた。このまま解散しようにも、正直危なっかしくて、ちゃんと家まで帰れるのか不安だし、かと言って、家まで送ろうにも場所が分からない。
今日は土曜日、幸い明日は休日だ。それに、都合がいいことに丁度我が家は親父が出張のため留守にしていた。
「はぁ、仕方ないか。ほら、三葉、四葉。今日は俺の家が空いてるから、そこに泊まりな。すぐそこだから」
「えー、お泊りなんて、ちょっと早いんよぉ。そりゃあ、瀧くんなら構わないけど、もうちょっと段階を踏んでからの方が良いと、三葉さんは思うんよ」
「もー、お姉ちゃん、そんな事言っとるから行き遅れるんよ。お姉ちゃん、もう結婚してもいい年なんだし、折角瀧さんが誘ってくれてるんだから、もっと積極的にアピールしぃー」
「えー、やっぱりそうかなあ」
「……お前たち、ちょっと落ち着け。ほら、ここに水があるから、ちゃんと飲む」
「きゃ、瀧くんと間接キスやぁ」
……もうめちゃくちゃである。俺は、二度とこの二人に酒は飲ませまいと、心に誓いつつ、二人を介護しながら自宅へと連れて行ったのであった。
―――
……知らない部屋だ。ふと目を覚ました私は、その部屋の間取りを見てぼんやりとそう思う。今流行りの接触冷感度に優れた、青を基調としたカバーに包まれたベッドの上で、なぜか四葉が私の直ぐそばで横たわっている。その服装も、昨日着ていた余所行きの格好のままだ。
あれ? 私たち、どうして一緒に寝てるんだろう。ていうか、ここはどこ?
寝惚け眼で部屋を見渡しながら、私は半ば眠った頭で昨日の出来事を思い出す。
ええと、昨日は瀧くんとのデートの日で、確か四葉と三人でイタリアン料理を食べた筈……
それで、べろべろに酔った私たちを瀧くんが送ってくれて……
送る? 何処に?? 瀧くんは私の家なんか知らない筈なのに?
思考を回転させると、徐々に昨日の出来事の細部まで思い出されてくる。
そうよ。瀧くんは酔った私たちを自分の家まで連れて来てくれたんだ。
えっ? じゃあ、ここって瀧くんの家!?
じゃあ、ひょっとしてこれって瀧くんのベッド?
ふと、本当にふとした気持ちで、瀧くんの布団を抱き寄せて、その匂いを嗅ぐ。
ああ、男の子だ。男の子の匂いがする。これが、瀧くんの匂い……
そんな事をしながら、昨日の出来事を振り返っていると、漸く、昨日の自分の言動が思い出されてきた。
私、酔った勢いでとんでも無い事言ってたんよ……
ああぁぁ、穴があったら入りたい……
兎に角、色々を迷惑を掛けてしまったから瀧くんに謝らなくては……
隣では四葉がまだぐっすりと眠っている。普段自然に朝早く目が覚める四葉にしては珍しい。私は、四葉を起こさないよう、ゆっくりとベッドから抜け出し、もう一度部屋の中を見渡す。
瀧くんの勉強机にはデッサンや風景画の教本がびっしりと並べられ、壁には画用紙に書かれた風景とか建築物のデッサンが隙間無く貼り付けられている。
そのどれにも何度も書き直した跡が微かに残っており、細部に対するこだわりとこれらを書き上げるまでの苦労がひしひしと感じられた。
瀧くんが見て、瀧くんが歩んできた光景が、それらデッサンを見る事で感じ取られ、自然と胸の奥底が温かくなった。
瀧くんは、こういう見ている人が温かくなる様な建物を作りたいと思っているのだろう。そんな思いがこれらの絵からは感じられる。
私は暫くの間、それらデッサンに見惚れて、ぼんやりとその一枚一枚を眺めていた。そして、壁に無数に貼り付けられたデッサンのある一角で、私の目はふと止まる。
あれ? この風景って……
それは、八年前、嫌になる程見てきた何気ない風景。本屋も無ければ歯医者もない、電車もバスも碌に走らず、コンビニは九時には閉まる。カフェも無いのにスナックは何故か二件もある。そんなど田舎の何気ない光景。当時は嫌で嫌で仕方がなかった、田舎特有の緑しかない単調な景色。
そして、もう二度と見る事が出来ない、穏やかでのんびりとした愛しい町のとある一面。
これ……糸守だ……
私は、瀧くんの書いたその風景に、暫くの間、時間を忘れて心奪われていたのだった。
いつもお読み頂き誠に有難うございます。
気づくと本作が日間ランキングにランクインしており、驚きでいっぱいです。
大勢の方にお読みいただいて、本当に感謝するばかりであります。
それと同時に、君の名は。の人気の凄まじさをふつふつと感じますね。
さて、今話では瀧のバイト先が登場致しました。
ちなみに、モデルとなっているお店は、リストランテというよりはトラットリアに近い雰囲気なお店という気もしたのですが、まあ、細かい所はご容赦下さい。
あ、あと、未成年の飲酒は法律で禁じられております。
絶対に真似しないでくださいね?
次回は糸守の話からです。
なかなか時間が取れず、更新が遅くなるやもしれませんが、
必ず書きますのでよろしければ次回も是非ご覧くださいませ。
それでは。