結局、午前中はやる事が盛りだくさんで、切りの良い所まで集中して作業をしていると、気付いたら既に昼休みの半分が経過していた。
本当であれば、今日は近場に新しく出来たお洒落なカフェで昼食でも取りながら、ゆっくり三葉に電話しようなんて思っていたのに、流石に今からでは間に合わない。
そこで取りあえず昼ごはんの事は後回しにして、彼女に電話をすることにした。
昼休み開始から三十分程度経った今であれば、彼女も食事を終えて休憩している頃合いだろうから、丁度いい。俺は自分のスマホを取り出し、早速彼女に電話を掛けた。
無機質な電子音が数回鳴った後、デフォルトの呼び出し音が流れ始める。
一回、二回とコールを重ねていく間、俺は彼女と何を話そうかなと頭を捻らせていた。
彼女と話したいと言う欲求に駆られあまり深く考えずに電話をしたものだから、何を話そうか全く考えていなかったのだ。
やがて、六回目の途中位で呼び出し音は途切れ、電話が繋がった。
「あの、急に電話してすいません。立花ですけど……」
「た、立花君! えっと、この度は一体何ようですか?」
……何だか言葉遣いがぎこちない。やっぱり、急に電話したら驚くよなぁ。俺は少し申し訳ない気持ちになった。
「あ、あの、急に電話なんてしてすいません。ただ、少し宮水さんとお話ししたくて……」
俺は素直な気持ちをそう告げたのだが、振り返って自分の言っていることの恥ずかしさに、思わず赤面してしまう。電話で良かった。もしこんな姿を彼女に見られようものなら、威厳もへったくれもない。
「わ……私も、もっと君とお話ししたい……よ」
宮水さんは受話器越しからも分かる程度に恥ずかしがりながらも、そう告げる。その言葉は、俺の心を温かくする。
「その、俺、最近できた行ってみたいカフェがあるんですけど、良かったら今日、仕事終わりにご一緒にどうですか?」
そうして、考えるよりも先にそんな言葉が口をついていた。
「え、それってひょっとしてヴォートル・プレノン? 今凄い有名だよね。私も行ってみたかったの」
「本当ですか!? それなら、ちょうどいいですね。それじゃあ、また後で詳細な予定をメールしますね」
「うん、すっごい楽しみ」
「はい、俺も楽しみです。では、また後ほど」
うん。我ながら名案だ。彼女とお話しできて、行きたいカフェにも行ける。正に一石二鳥の作戦である。そうして少し冷静になり、漸く俺は自分の提案の意味を理解する。
……あれ? 宮水さんと一緒にカフェ?
これって、ひょっとして、いや、ひょっとしなくても……
デートじゃん……
その事実に気付いた俺は愕然とする。何せ、俺はデートに余り良い思い出がないからだ。
そもそも、ずっと恋人がいなかった俺は圧倒的に女性経験に乏しい。当然、デートなども碌にしたことがない。いや、大学時代、女性からのアプローチでデートする機会が何回かあるにはあった。しかし、その結果は例外なく散々だった。恋愛に対する意欲という感情がやけに希薄であった俺は折角のお誘いにも関わらずどうにも他人行儀な接し方をしてしまい、終わった頃に、
瀧くんって私に全然興味ないんだね。今日一日一緒にいたけど、一度もちゃんと私の事見てなかった。まるで、見えない何かに恋してるみたい。正直、あなたの事ちょっといいなって思ってたけど、勘違いだったみたい。ごめんなさい。
などと、相手に半分罵られるようにして振られるという、散々な結果に終わっていた。
そんな事実もあり、大学時代終盤には菩薩などという不名誉な渾名までつけられる羽目になり、よく司や真太にからかわれていた。
そういえば、最早しっかりとは覚えていないけれど、高校生の頃に一度だけ奥寺先輩をデートに誘って、あの時も碌に会話が続かず似たような理由で振られたっけ。
ともかく、そんな事情で俺はデートに軽いトラウマがあるのだ。一度も女性に楽しんでもらえるデートを出来ていないというトラウマが。
そんなわけで、俺は昼ごはんも取らず残りの休み時間でインターネットを使ってデート攻略法を読み漁ったのであった。
―――
「お待たせ。ひょっとして、待たせちゃった?」
「いえ、たった今来たとこですよ」
「そう、よかったぁ」
待ち合わせの場所に定刻の10分前に現れた彼女の頬はほんのりと紅潮しており、若干だが肩が上下している。ひょっとして走って来たのだろうか?
「あの、すいません。急がせちゃったみたいで。ここ、俺の会社からは近いけど、宮水さんの会社からは結構ありますもんね。申し訳ないです」
そんな俺の謝罪を聞き、宮水さんは少しむっとした表情を浮かべる。
「だめ、謝るの禁止。私が早く君に会いたくて勝手にやったことだし、立……瀧くんは何も悪くないんだから」
そう言って少し恥ずかしそうに笑う彼女がとても愛おしく見えて、俺は胸の鼓動が高鳴るのを感じた。それに、さり気無く名前で呼ばれたものだから、余計にドキドキしてしまう。
「い、行きましょうか。場所はすぐしょこです」
……噛んでしまった。明らかに動揺が隠し切れていない。
「くすっ。瀧くん、可愛いね」
「や、やめてください。いい年して可愛いなんて言われると真面目に落ち込みます」
目的のカフェは本当にすぐそこで、俺達は店内に入ると予約してあった窓際の席に腰を掛ける。
店の内装は若者向けのポップな感じで、白を基調とした外壁に高そうな絵画がバランス良く掛けられている。照明は意図して抑えられているのだろう、暖色系の光が店内を仄かに照らしている。
「わあ、お洒落な店だね」
彼女は嬉しそうに笑う。その姿は初めて玩具を与えられた子供の様に無邪気だった。
「そうですね。気に入ってくれて良かったです」
「うん、とっても素敵な場所ね」
俺達は早速メニューを注文する。
まだ、仕事が終わって間も無い、日も暮れていない様な時間だったが、昼御飯を抜いていた俺はお腹が減って仕方なかった。
一方、彼女の方はどうやら甘い物に目が無いようで、高そうなスイーツを目を輝かせながらあれこれと注文していた。そんな微笑ましい姿に、思わず笑みが溢れる。
やがて俺達は、出される料理に舌鼓を打ちながら、取り留めない会話を楽しんでいた。
そんな折に、ふと彼女が窓の外を指差す。
「ほら、見て」
夕暮れ時、日中悠然と輝いていた太陽が最後の仕事をしようと空を真っ赤に染める刹那の一時。
東京の街にそびえ立つ高層ビル達が纏う赤い衣と、太陽の真逆より滲み出る夜闇から浮かび上がる様に漏れ出る窓からの光が重なり合い、幻想的な光景を演出していた。
「綺麗……だね」
「ええ、めちゃくちゃ綺麗です」
それは、普段見慣れた景色。幼いころから嫌になるほど見てきた何気ない景色。それなのに、今この時見るこの光景があまりに美しく思えるのは、一体どうしてなのだろうか。
「
「え?」
「昔ね、先生に習ったの。黄昏時の語源って誰そ彼から来てるんだって。私ね、この詩好きなんだ。なんだかとても切なくってね」
そう言う彼女の姿は何故かとても儚げで……
「ねえ、カタワレ時って知ってる? 私の故郷の方言らしいんだけどね。誰そ彼、
「カタワレ……時……」
「私ね、ずっと誰かを探してたの。私にとって大切な人。忘れたくなかった人。だけど、忘れちゃった。昔、ある事がきっかけで、全部なくなっちゃった」
うっすらと彼女の瞳に涙が浮かんでいる。そんな彼女を見て、俺は胸の奥が熱くなる。
「だから私は大切な何かを無くした片割れ。大切な何かを失ってから、私の胸にはずっとぽっかりと穴が空いていたの。だけど、今日……君と出会って、胸のあたりが暖かくなって、その穴が埋まっていくのを感じたの」
心臓が弾けそうな程に高鳴るのを感じる。彼女が愛おしくて、愛おしくて、ただただ愛おしい。
「ねえ、瀧くん、君は……
私のカタワレ?」
彼女の頬に一筋の涙が伝う。
「あれ? おかしいな。こんなつもりじゃ……なかったのに……」
大事な人。忘れたくない人。忘れちゃだめな人。
「だめ……私……ごめんなさい」
彼女は両手で自分の涙を拭いながら店外へ駆け出す。
俺がずっと探していた、会ったことのない大切な人……。
みつ……は……?
記憶はない。覚えも無い。
彼女と会ったのは今日が初めてで、俺達はまだ出会ったばかりの筈で……
だけど、俺の心は、身体は、確かに君を求めている。
理屈なんかじゃない。運命だとか未来だとかって言葉がどれだけ手を伸ばしても届かない場所で、きっと俺達は恋をしていたんだろう。
昔、あの糸守の地で、夢の景色のように美しい夕暮れの記憶と共に、失われてしまった俺のカタワレ……
大事な人。忘れたくない人。忘れちゃだめな人。
君の名前は、名前は――
「みつはーーー!!!」
―――
……おかしいな。こんな筈じゃ……無かったのに……
涙が溢れてとまんないよぉ……
今日、お昼に彼からデートに誘われて、とっても嬉しくって……
だから私、頑張ってみようと思って、本当はとっても恥ずかしかったけど、積極的にアピールしてみたりして……
彼と過ごす一時はとてもぽかぽかしていて暖かくて、彼と過ごす一秒一秒が私の中で大切な思い出として刻まれていって……
君と見る夕日は何時もと違って見えた。もう見慣れてしまった無機質に並ぶビル街も、初めて東京に来て見た時の様に夢と希望に溢れた街並みに思えた。
そう、それは全部君がいたから……。君と過ごすこの世界は本当に何もかも違って見えた。
だから、君を失ってしまう事がどうしようも無いくらいに怖くなって……
今まで溜まっていた思いが止めどなく
ああ、私ってどうしようもないあほだ。
折角楽しい時間を、自ら台無しにしてしまった。
胸がとっても苦しくなって、私の右手が大切な温もりを求めてぎゅっと切なくなる。
私の瞳から溢れた涙はいつの間にか頬を伝う一筋の雫となっていた。
私は行く当ても無くただただ走った。人混みの少ない公園を抜け、街灯の眩しい歩道を駆け、忙しなく車両が行き交う道路に架かる人通りの少ない歩道橋の真ん中辺りで、私は走り疲れて足が止まる。
愛おしい、こんなにも君が愛おしい。
瀧くん……
瀧くん……
瀧くん……
「瀧くん……会いたいよ……」
「みつはっ!!」
その声に振り返ると、そこには確かに君がいて。君は私に駆け寄って私の体を抱き寄せて……
大きくって力強い、それでいて何処か優し気な瀧くんの腕に抱かれ、私は嬉しさで涙が止まらなくなる。
ここに瀧くんの温もりを感じる。ここに瀧くんの胸の高鳴りを感じる。君は、確かにここにいる。
私達は互いを感じ合う様に暫くの間ただただ無言で抱き合っていた。やがて、数秒にも数分にも思える時間が過ぎ、私の涙が止まった頃合いを見て、瀧くんは私を抱いていた腕をそっと解く。
「落ち着いた?」
彼の優しい問いかけに、私は無言で頷く。
「そう、良かった」
そうにこやかに笑う彼はとても格好よく見えて、つい彼から視線を外してしまう。
振り返ると、私は瀧くんの胸でさめざめと泣きながら、瀧くんに無言であやされていた訳で、冷静になってみると、それはもう恥ずかしさのあまり死んでしまいたくなる程だった。
「さて、それじゃあ、俺から三葉に説教しなきゃならない事が三つある!」
「え?」
まさかの台詞に驚いて瀧くんに視線を戻すと、彼はにやりと不気味な笑みを浮かべながら、指でカウントを始める。
「まず一つ目。いきなり店から飛び出したりされたら、本気で困る。周りの人の視線とかめちゃくちゃ痛かったし。あれだけ手間かかりそうなスイーツ注文しといて、結局手をつけないまま会計した時の店主の目、一度三葉も味わってみるべきだ」
うぅ、まさにぐうの音も出ない正論とはこの事だ……
「二つ目。いなくなるの早すぎ。店出たら姿もう見えないし。色んな人にあちこち聞いて回ったから見つけられたけど、道行く人に聞いて回るのがどれだけ恥ずかしかったか分かる?」
「……はい」
「三つ目、慣れない事し過ぎ。大人ぶってリードしようとしてくれてたんだろうけど、めちゃくちゃぎこちないし、それで逃げてるようじゃ世話無いよ」
「……そんな事言って、鼻の下伸ばしとったの知っとるんよ、私」
瀧くんは一瞬ギクッとした表情を浮かべるが、直ぐに気を取り直して強気に戻る。
「それはそれ。俺が言いたいのは、無理する位ならやらなくていいって話。自然体が一番って事」
何だか少し釈然としないが、確かに慣れない事をやっていたというのは間違っていないので、これ以上の反論は控えておいた。
「それじゃあ四つ目」
「えぇ!? さっき三つって言っとったやんね?」
「いいから、黙って聞け、ばか三葉」
な、な、な、なにをぉ!?
言うに事欠いてばかとはなんね? ばかとは?
いくら私に非があるとはいえ、こちらにも我慢の限度というものがある。
流石に人をばか呼ばわりされて黙っておける程、私は大人しい性格では無かった。
「さっきから言わせておけ「お前が好きだ!」」
「……え」
「どうしようも無いくらい、三葉が好きだ。まだ会って一日にも満たないけど、俺の心が三葉を求めてる」
……待って。急にそんな事言われたら、私、また……。
「俺も、今までずっと誰かを探してた。会った事の無い誰かを探してた。今日、三葉に会って、
短いけれど同じ時間を過ごして、それが三葉だったって確信してる。俺のカタワレは、三葉だって」
涙が頬を伝うのを感じる。あれだけ泣いて、体中の水分は全部枯れてしまったと思っていたけれど、おかしいな、涙が溢れて止まらない。
「ずっと君を探してた、三葉」
「私も……瀧くん、あなたが……好き」
瀧くんはそっと私の肩を抱く。私は彼の首に手を回して、そっと目を閉じる。
やがて、永遠にも思える刹那の後、瀧くんの唇が優しく一瞬だけ、私の唇に重なるのを感じる。
初めてした瀧くんとのキスは、自分の涙のせいでほんのりとしょっぱかった。
どうも、水無月さつきです。
今回もご覧下さいまして誠に有難うございます。
私の書く二人の再会はいかがでしたか。これは、私が考えた数ある話の中の一つに過ぎないのですが、きっと皆様一人一人考えるその後がおありで、それも全てがあり得る話なんでしょう。
私の話が、その参考になればいいなんて、私はそう思います。
さて、今話は多少ビター(?)なお話でしたが、次話からはもっと甘く出来たらいいななんて思っております。
ちなみに、次話には巷で人気の妹ちゃんを登場させる予定ですので、乞うご期待です!