ラブライブ!サンシャイン!!~陽光に寄り添う二等星~ 作:マーケン
私にはただ一つ、誰にも話していないことがある。それは沼津への引っ越しがいよいよ決定したことではない。もっと楽しくて、ドキドキして、それでいて今となっては切ない思い出。
あやふやで、でも確かにあったバレンタインの記憶。
小学校高学年だか中学生だか非常に曖昧だが、それなりに活動範囲は広かった私はその日は一人、秋葉原をふらついていた。
特別人に対して恋心を抱いた事が無い私にはバレンタインなど何処吹く風。アニソンにハマっていた私は埼玉では置いていない、ちょっと古めのアニソンを求めに秋葉原に来たのだ。
どこもかしこも浮ついて、客寄せのメイドさんもどこかバレンタインを意識した呼び込みをしていた。
私はCDを購入した後で真っ直ぐ帰るのは勿体ないと、バレンタインに色めく秋葉原の散策をしたのだ。
恋ってなんだろうと、ぼんやりと考えながら街を当て所なく歩いた。
異性を好きになるということが私にはよく分からない。なんとなくクラスメートに人気のある男子なんかは意識をしたりもするが、それが“好き”と同義かと言われれぱ違う気がした。
他の好き、と照らし合わせて考えてみれば物事の優先順位を決めるに当たっての中心となるものとも考えられるが、それでは良く聴くドキドキするという感覚は得られないと思う。
街を歩く人を眺めると歴戦のソロプレーヤーに紛れてカップルらしき人達がちらほらと居るが、彼ら彼女らの様子を見ても、同級生の男子と世間話をする自分とどれ程の違いがあるのかと疑問は募るばかりだ。
正直つまらないイベントであると私は早々に飽き始めていた。
恋だの愛だのと今の私には退屈だ。なにか見つけられるかもとも思ったが、こんな事ならば一人カラオケをした方がましだと思い、秋葉原駅まで戻ろうと踵を返した。そう、その時だ。今でもその瞬間だけは奇妙に記憶にこびり付いている。
最初見た時は何の冗談かとも思ったが九人のメイドがいたのだ。メイド自体は秋葉原ならままあること。しかし、それも駅周辺だけで少し離れればそうでもない。そんな駅とな離れた場所で九人のメイドが歩いていたのだ。
バレンタインで羽目を外したのかとも思ったが、その九人は何となく浮ついたのとは根本的に違う、別の価値観で楽しんでいる雰囲気があった。
そんなメイドさん達が楽しげにイベントがどうとか話しているのだ。俄然興味が湧くものだ。
私は高校生くらいの九人のメイドさん達の後をつけると、程なくして九人のメイドさんは学校の敷地内へと入っていった。
「音ノ木坂学院?」
まだ高校の事など近所の高校以外何も関心のない時期だったから聴いたことのない高校を前に私は好奇心に抗えなかった。
思い切って九人の背後まで駆け寄り、しれっと音ノ木坂学院の敷地内へと侵入した。
「呼び込みは完璧」
「ことりのビラ配りの上手さには脱帽ですね」
「そんなことないよ、海未ちゃん」
「お客さん沢山来るといいわね」
「うう、緊張します」
「撮影終わったらみんなでラーメン食べるにゃー」
「デリシャスやね」
「いい?アイドルはラーメンを食べるとき汁を飛ばさないのよ。そこんとこ気を付けなさいね」
「何言ってんのよ」
なんて軽口を叩いているため、私は思わず声を出して笑ってしまった。
シックな色調のメイド服を着ているからどんな人達かとも思ったが普通の女子高生の会話をしているのだから、ギャップが面白い。
当然ながら真後ろで笑い声が聞こえれば気付かれるに決まっている。
「あれ?どうしたの?」
「可愛らしいお客様ね」
「お姉さん達何かするんですか?」
この人達は唐突に現れた私を邪険にするでもなく対応してくれた。
「お姉さん達、じゃないわ」
「私達ね、μ’sって名前で活動してるんだ」
「石鹸の?」
「そのネタはもう聞き飽きました。穂乃果が変なことばかり言うからお客様にまでネタにされるんです」
「酷いよ海未ちゃん。ことりちゃんも何か言ってよ」
「えっとー、石鹸じゃなくて“所沢の”にすればいいんじゃない?」
「ミューズ違いね。言ってること同じじゃない」
「私達はスクールアイドルをやってるの」
「スクールアイドル?」
「はい。にこっち出番だよ」
「にっこにっこにー」
「こんな感じにゃー」
「誤解を生みそうだから、もうやめた方が」
そう。この時の私は知るよしもないが彼女達こそスクールアイドルの星、μ’sだったのだ。今となっては伝説とまで謳われる彼女達と邂逅を果たしたのだ。
「スクールアイドルって芸人さんなんです」
「何でそうなるのよ」
「にこちゃんのせいでしょ」
「納得いかない」
女三人寄れば姦しいと言うが見事に話しは脱線していき 、気付いた時には彼女達の部室でお茶を飲みながら雑談していた。マイペースな空気に当てられたのか、そこまで人懐っこくない私が妙な居心地の良さを感じた。
「星ちゃんはこの近所の子?」
「いえ、埼玉からCDを買いに来ました」
「どんなの?」
「RAMARのWild flowerです」
「んー、聴いたことないや」
「マイナーですからね」
「折角だから聴かせてよ」
高坂穗乃果さんにCDを渡すとパソコンに入れて再生した。
この曲はアニメ“ゾイド”のOPとして使われた曲だ。旅をするアニメの作風と相まって非常に開放感のある旋律と力強い歌詞、延びのある歌声。それらが聴く側に力を分けてくれる、凱歌のようなそんな曲だ。
「格好いい曲だね。なんだか私も歌いたくなってきた」
「って、もうこんな時間!?」
「早く準備しないと」
ついさっきまでまったりとしていたμ’sの面々は慌てて湯飲みを片付けはじめた。
「何が始まるんです?」
「生PV撮影だよ」
「星ちゃんも見ていってね」
どたどたと片付けが終わると、私は穗乃果さんに手を引かれて走り出す。
さっきまで普通のお茶のみ仲間のような雰囲気から一変していた。楽しさを探しに行くような、そんな高揚感が引かれた掌から伝わってくるようだった。
何が起きるのだろう?どんなものが待っているのだろうと、胸の高鳴りが私自身からも聞こえはじめた。
「着いたよ。私達はステージに行くから、星ちゃんはあそこから見ていて」
たどり着いたのは煌びやかなステージ。そして満員の会場。
私はそんな人波の中に入るとまもなくμ’sのみんながステージに姿を現す。
彼女達の簡単なMCが終わるといよいよ生PV撮影が始まった。曲は「もぎゅっと“love”で接近中!」。
私は生歌や生ダンスパフォーマンスを見るのはこれが初めてだったがそのステージは圧巻だった。
これがさっきまで雑談していた人達と同じ人がやっているのかと思うと俄には信じられなかった。ステージにいる彼女達は格好良くて、可愛かった。その歌に胸をきゅっと締め付けられるくらい感情移入した。
こんなにドキドキしたのは初めてだった。
これが私の嘘のようなバレンタインの思い出。恋だの、愛だのとは全く関係ない、色気のないバレンタイン。いや、色気はあった。煌びやかな九色に私は確かに包まれていたからだ。