ラブライブ!サンシャイン!!~陽光に寄り添う二等星~   作:マーケン

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また恥ずかしい歌詞を書いてしまったため今回の更新は難産でした。


第百二十四話

 沼津市内のホテルの宴会スペース。そこで食事会の腹休めの時間として各種パフォーマンスが披露される。今日はそんな会だ。

 地域の人との交流の一環である催しであるため、私を含めたパフォーマーもまた食事を一緒にした。どうやら地元出身のパフォーマーらしく、中には老人会の面々と顔なじみの人もいるようだ。

 私もまたその輪に加わって元気なお婆さんやお爺さんと会話していた。もっとも、私から話を振ると言うより聴き手に回っている形であるが。

 

「アンタ浦女生なんだって?私もそこ出身なのよ」

 

「そうでしたか。その頃はどれくらい生徒がいたんですか?」

 

「まだ学校数が少なかったからね。今の倍以上いたんじゃないかな」

 

「浦女生って言ったらその頃はこの地域のマドンナだったのよ」

 

「何がマドンナだ。坂の上まで登校するので鍛えられてるもんだから、みんな足が太くて、大根足を見たら浦女生だって思えって良く言ったもんだ」

 

 がはは、と茶々を入れたじいさんが最初に話し掛けてきた婆さんにどつかれていたのは見なかったことにする。

 因みにマドンナと言えばアメリカの歌手のマドンナは決して細身ではないようなので、あながち間違いではないのかもしれない。

 

「遂に廃校になるのか」

 

「だから共学にせいと儂は中学生の頃から言って追ったのじゃ」

 

「それは単に可愛い子と登校したかったっていう下心でしょ」

 

「悪いか!」

 

「悪いわ!」

 

 本当に和気藹々と、そして遠慮のないそのやりとりは見ているこちらが元気になるくらいだ。

 

「まだ廃校になるか確定はしていませんよ。今、みんなで浦女のPRを頑張ってます」

 

 この片田舎で100人の生徒を集める。それは尋常でない奇跡がなければ無理だろう。けれど、尋常でない努力と全力の活動が実を結んだのか既に50人を超える入学希望者が集まっている。

 実際の数字として成果を見た時、私は奇跡が起こるんじゃないかと思いたくなった。この50人という数字の時点で奇跡なのだから。

 

「学校のために頑張ってくれてありがとうね。でも、廃校を阻止することだけが学校を救うことなの?」

 

「? そうしなければ学校がなくなってしまいますよ?」

 

「形あるものは必ずそのままではいられないの。私と同じ浦女生の同窓だってもう何人も見送った。もちろん悲しかったけど、そればっかりは覆せないの」

 

「ならどうしたら」

 

「どうして欲しい、っていうか思考を固まらせないでって話。だって、仮に一年延命したとして、貴方達はこれからずっと浦女を守り続けられる訳じゃないんだから」

 

 確かに私達が高校生で居られる時間は限られている。卒業してしまえば浦女のために費やす時間は限られる。というよりだ。

 

「学校のための自分じゃなくて、自分のために学校を救いたい。それを見失っちゃだめなんですね」

 

「うーん、まぁ今はそれでいいわよ」

 

 どうもお婆さんが意図していたこととは違ったらしいけれど、お婆さんはそれ以上は語らなかった。

 

「それでも無くなって欲しくないものもある」

 

「どうしたんです、おじいさん?」

 

「結婚指輪を無くしてしちまって、じいさんったらすっかり老け込んじゃって」

 

「あの頃は金が無くて、飯も抜いて少しずつ少しずつ金を貯めて、そんで一世一代の勝負に出たもんだ」

 

「プロポーズですね」

 

「いや、金が足りなかったから競馬でな」

 

 なんだか急にこのおじいさんが駄目な人に思えて来たけれど取り合えずスルーするのととした。

 

「もちろん外れたがな。婆さんにコッテリと絞られたわい。けど、なけなしの金でおもちゃみたいにシンプルな指輪だけは贈ったよ」

 

 それが生涯のものになったのだから贈り物は金じゃないんだ、と良いこと風に言うけれどどう考えても競馬の話は余計だと思う。

 

「こないだ散歩に行くまではあったんじゃ」

 

「ああ、捨て犬がいたって言ってた日か」

 

 ん、と気になるワードが耳に入る。そして、ポケットに入れたまますっかり忘れていたある存在を思い出す。

 

「それって、これ?」

 

「それをどこでっーーーー!?」

 

 ポケットから取り出した指輪を見ておじいさんが咽せだしたのは焦った。

 流石に警察に届けようとしてすっかり忘れていたなんて言えず適当に誤魔化したけれど、ついさっきまで背中が丸まっていたおじいさんはどこへやら。狂喜乱舞していた。

 合縁奇縁とはまさしくこんなことなのだろう。

 このおじいさんだけではない。ここにいる皆この地域の人だからどこかで繫がっている。さっきのお婆さんのように浦女の卒業生もいる。割と近所の家のおじいさんもいる。漁業組合の人もいる。ことこの場において繋がりの無い人はいないのだ。

 そんな元気な皆に囲まれてパフォーマー達の演目は始まった。

 大道芸の人は分かり易い超絶テクニックで拍手を誘い、熟年の落語家は静と動の空気の読み方、動かし方が流石の一言で私達を引き込んだ。

 そして私の出番。ここに居る人に受け入れられるのか?楽しませることは出来るのだろうか?

 仲間内で好きに鳴らすのとは違う、誰かのための音楽。大舞台は花火大会の時以来だ。あの時はAqoursのみんなも、吹奏楽部の皆もいた。けれど今日は仲間が居ない。

 少しの緊張、少しの不安。けれど、ステージに立って見ていてくれる人達の姿を見るとその感情に蓋をすることができる。思考のシンプル化。がんばろうと。

 

「ーーーーーーー」

 

 曲は“Singin’in the Rain”。ハリウッドが誇る名作映画“雨に唄えば”の劇中で披露されたシーンの再現だ。

 自由に、伸びやかに、楽しそうに歌うその様は多くの人を魅了し、未だにそのシーンはハリウッド史上最高にロマンティックなシーンであると名高い。

 かく言う私もタップダンスの練習の題材として最初に目指したのはこのシーンだ。

 タップダンス、というワードに必ずついて回る程に有名であり、それだけ説得力の詰まったシーンなのだ。

 流石に室内だから雨は降らないけれど、小道具として傘も持ってきた。ハーモニカを片手で吹くのは大変だけれど、ある程度タップダンスが出来るようになってからは幾度も打ち鳴らした楽曲だ。音楽とダンスにこれ程身を預けられる曲もそうは無い。

 気付けばリズムに合わせて手拍子が聞こえるようになり、私は更に楽しく音楽に没頭した。

 やはり、私の音楽は誰かのためより私のためなのだろう。でなければここで一番楽しんでいるのが私であるはずがないのだから。

 体が浮くような熱に身を浸し、約4分もの演技を終える。そう、音楽とダンスが融合しているのだからそれは演奏と呼ぶより演技と呼ぶのが相応しいだろうから。

 

「懐かしいね」

 

「ああ。モテたくてタップダンスをしようと思ったのはこの映画だった」

 

 音楽を聴けばそれが自分の中で流行っていた時、自分がどんな事をしていて、どんな事を思っていたのか思い出す。だから音楽とは人生に寄り添うもの、思い出とワンセットのものであるというのが、私の音楽論だ。

 

「ありがとうございます。一つの音楽に宿る思いは人それぞれですが、積み重ねた思い出を少しでも呼び起こせればと思います。短い時間ですがどうぞ楽しんで下さい」

 

 次の楽曲はThe Beatles、いやビートルズの“Help!”。音楽の授業ですら扱われる程音楽業界に影響を与えたモンスターバンドの楽曲だ。

 上はお父さん世代や、更にその上の世代、下は私達まで幅広く認知され、キャッチーなメロディーは一度耳にすれば覚えてしまうほどだ。

 この楽曲はテレビ番組“なんでも鑑定団”で使われているのがお茶の間ではお馴染みとなっている。

 今日の選曲は結構メジャーどころが集まったけれど、これは聖良さんがリストアップし、私が剪定し、犬が選んだのだから面白い。

 やはりと言うべきかこの楽曲の認知度は高く、私がハーモニカを吹いているから変わりにと歌ってくれる人が多い。英語の歌詞だけれどもしっかり覚えている人が多く、その流行の凄さを改めて思い知る。

 歌詞とは不思議なもので、意識せずとも一度そういうものだと理解すると、自然と口ずさめるのだ。

 老人達の後押しを受け、私はまた楽しい時間を過ごせた。楽しい時間を共有できた。

 

「今日はありがとうございました」

 

「ありがとう」

 

 ライブ、というと大袈裟だけどそういう会場に行くと、演者も客も感謝を口にする。音楽を聴くとそれを届けてくれた人にお礼を言いたくなるのだ。だからここでも“ありがとう”と言ってくれる人がいた。本当はこっちがありがとうなのに。

 

「星ちゃんのオリジナルはやらないのかい?」

 

「私一人ではちょっと。楽器と歌い手が足りません」

 

 そっか、と残念に思って貰える程度には私の演奏を楽しんで貰えたようだ。

 

「アンっ!」

 

 え、と思うと紐を繋がれたまま飼い主から逃走したのか見覚えのある 小型犬が宴会スペースに迷い込んできた。

 

「こら、ライラプス、待ちなさい!」

 

「ノクターンよ。ごめんなさい」

 

「何やってるんですか、善子ちゃん、梨子先輩」

 

 幸い小型犬は私の方に駆け寄ってけれたから紐を掴んで大騒ぎにはならなかった。

 

「お友達かい?」

 

「ええ。なら、楽器と歌い手、任せられるんじゃないかな?」

 

 え、ええ!?と思わず二度聴きしてしまったけれど、おじいさんは早速とばかりに梨子先輩と善子ちゃんに声を掛け、あれよあれよとピアノまで用意された。というか、ピアノは初めからある道具らしい。

 

「えっと、良いの?」

 

「ここまでお膳立てされたら断るのが野暮です。それより梨子先輩、善子ちゃんは?」

 

「何だかんだで星のサイトから動画は視聴してたから耳にタコができてるし、歌ならなんとか」

 

「私も楽曲の構成に興味あってコピーさせてもらったからなんとか」

 

 普段はそんな事少しも言わないくせに本当にちゃっかりしている。

 ボーカルが善子ちゃんで、ピアノが梨子先輩、そしてハーモニカとタップダンスが私と少し変則な編成だけれども、一度滾ってしまった血はそうそう冷えそうに無い。冷静なんかでいられる筈が無いのだ。

 

「では私の、いや、ジェミニのアカリの曲、聴いて下さい。“Strange Journey”」

 

 “これだけあればいいんだよ

  重いものはいらないんだよ

  確かに言えることは一つ

  楽しむこと ただそれだけ”

 

 いつかの休日にどこまで行けるか試すというただそれだけの理由で始発から終電まで電車に揺られた時に作った曲だ。

 

 “知らないこと一つ見付けたら

  知ってることと繫がって

  新しい未知と道を 教えてくれたんだよ”

 

 けれど、その思い出を二人は知らない。これは私と穹の思い出だからだ。それでも、音楽を聴くと自然とその時のことを思い出すのを止められない。

 

 “どこまでなんて 知らなくても

  どこにだって行ける気分

  だって たぶん きっと そう

  どこだって楽しいはあるから”

 

 音楽とは人生に寄り添うもの。思い出と音楽はワンセット。なんてのはやっぱりその通りだな、と感傷に浸りながら、けれど今、私はたぶん笑っている。私の音楽が形は違えど誰かに聴いて貰えているのだから。

 

 “歩こう そして見付けよう

  知らない先の知らないこと

  走ろう そして見出そう

  躓いても 笑えること”

 

 やっぱり私は音楽が好きだ。それを共有することが好きだ。だからまたいつか、穹とも一緒にされたらいいと、そう思った。

 

 


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