やっちまった男の英雄譚   作:ノストラダムスン

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かくして役者は集いたる [後]

 ウェイバーはここの所、内にくすぶる苛立ちと言うか、そろそろ怒りに転じつつあるそれを持て余し気味だった。

 あの時計塔の神童にして生粋の貴族主義者、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの元から、彼が呼び出そうとしていた英霊の触媒を盗みだし、夜の公園でひそかに召喚の儀を行った時までは、少年の心には確かな興奮と情熱があったと言うのに。

 

 これから行われる、魔術師同士の張りつめた心理戦、己の能力の極限を競い合う魔術戦に思いを馳せていた自分。それを思い出すにつけ、今の己の現状にどうしようもなく不満が募る。

 

 その原因は明白。今、ウェイバーの部屋で寝っ転がり、せんべいをボリボリと噛み砕きながら、うず高く積み上げた本を読みふける赤髪の巨漢。

 ウェイバーの怒りは全て、この男、ライダーこと征服王イスカンダルに帰結するのである。

 

「おい、聞いてるのかお前! アサシンがやられたんだぞ。もう聖杯戦争は始まってるんだ!」

「ふぅん」

「……おい」

「…………」

 

 殴ろう。ウェイバーはそう決意した。英霊たるこの男が自分の拳でダメージを負うとは思えないが、もはや殴るより他に道はない。魔術師としての誇りに反するだろうか。否、これは主としての誅罰である。

 しかも、実は似たようなやり取りを、すでに幾度か経験している。この辺りで一発、己とこの男の関係を思い出して貰わねばならない。

 

 その煮えたぎる怒りがようやく届いたのか、ライダーがさも面倒くさそうにこちらを向く。パンダか何かのように床をごろりと転がる様の、なんと情けない事か。

 しかし世界はかつて、こんな男に征服されかけたのだ。そんな事にならなくて良かったと、ウェイバーは切に思うのである。

 

「あのなぁ坊主。アサシンがやられたから何だというのだ? 闇に隠れるしか能のない臆病者なぞに、余が負けると思っているのか」

「…………」

「それよりもだ。これを読め。坊主のような年頃の男は、こういったものを読まねばならんぞ」

 

 そう言いながら、積み上げた文庫タワーの一番下から、一冊の本を器用に抜き取って渡してくる。

 なんで僕がこんなものを、と思いながらも題名を見ると、そこには銀色の文字で『ハルメアスについての記録 一巻』と書かれていた。

 

 見覚えのあるタイトルだった。ウェイバーがまだ幼い頃、絵本か何かで見たような気がする。

 ゴーストだのドラゴンだのを倒して、最後に悪い魔法使いを退治してめでたしめでたし……みたいな話だったと思う。うろ覚えだが。

 

「馬鹿にすんな。そんなの子どもの時に読んだよ。昔むかし、こんなに強くて優しくて素晴らしい人がいて、色々あって世界を救いましたって話だろ?

 こう言っちゃなんだけど、世の中ってのはそこまで単純にできてな……」

「馬鹿モン」

 

 言うが早いか、筋力Bを誇るライダーのデコピンが繰り出され、ぶべち、とウェイバーの額に突き刺さる。冗談抜きで脳が揺れるような衝撃に、ウェイバーはもんどり打って倒れ伏した。

 

「知らぬ事を安易に信じないという姿勢は正しい。が、知らぬ事を知らぬまま、無根拠に信じないのも危険な事だぞ。どれ、もう一発…………」

「ま、待てって! もう一回されたら気絶する!」

 

 確かに多少斜に構えたような返答はしてしまったが、これはひどい。肉体を鍛えるようなトレーニングなど、魔術師である己にふさわしくないとして一切して来なかったウェイバーにとって、その一撃は重すぎた。

 

「マケドニアの戦士たちに聞かれなくて良かったと思えよ。特にヘファイスティオンにはな。ヤツもヤツで行き過ぎだとは思うが……。

 ま、実際の所、余も若き頃は、こんなモンは古代人の益体もない妄想だと思っとった。どこの誰ともはっきりせん輩の書いた本なぞ、さして有難がる必要はない、とな。

 余の教師であったアリストテレスが熱心に薦めるのでなければ、読みもせず、従って信じもせんかっただろう。だからまぁ、若いお前が疑わしく思うのも無理はない」

 

 じゃあなんでデコピンを、と恨みがましい目でライダーを見るが、言葉にすると本当にもう一発お見舞いされそうなので黙っていた。

 

 そんなウェイバーの様子に構わず、ライダーは、だがな、とウェイバーを指差し。

 

「この書をただのおとぎ話、ありがちな英雄譚だと思っていかん。華やかな勝利の物語に隠れがちだが、ここには『知識』が描かれているのだ。

 戦士が、魔術師が、学者が、詩人が。それぞれが求める知識が、この書には山と記されている。

 余がかつて、『最果ての海(オケアノス)』を目指して軍を率いていた事は知っているな?」

「ああ。進路の途中にある国は全部強引に突破して、ひたすら東を目指したんだろ? よくそんな事やろうと思ったな」

 

 であろう、とライダーが自慢げに鼻を鳴らす。褒めたわけではなかったが、話の続きが気になった事もあり、ウェイバーは黙して流した。

 

「しかしだ。余は若き頃にはすでに、この星、地球に、果てなどない事を知っていた。頭の固い学者や研究者連中は『そんな事はあり得ない。非現実的だ』などと言ってばかりだったがな。

 この記録を見れば、地球という星が丸く、太陽の周りを月を伴って回っている事など、とうの昔に知られておるはずだったのだ」

「じゃあ、どうして『最果ての海(オケアノス)』なんか目指そうとしたんだよ?」

 

 それはだなぁ、とライダーは頭を掻いた。

 

「えーと、この巻の……あぁ、ここだ。ここを読んでみろ」

「ん、と……『命ある内に、このような景色を見られようとは。ハルメアスが船首に立ち、あの大渦に突っ込めと叫んだ時は、いよいよこれまでと思ったが、なるほど。彼の魂は、あの螺旋の中に飛び込む勇気を持つ者だけが、最果ての海(オケアノス)に至れる事を知っていたらしい。』 か」

「そうだ。まさに余が目指すに足る場所ではないか、最果ての海(オケアノス)というヤツは!

 幾多の嵐、大波、海竜が襲いかかる大航海を越えて、余はこの東海の大渦を前に、己の勇気を問うてみたかったのだ」

 

 なるほど、確かにこの男ならやりかねない。いや、待てよ。

 

「もし渦があったとして、このハルメアスってやつが入ったのと同じものじゃなかったらどうするんだ? 部下の船から先に行かせるとか?」

「大馬鹿モン」

 

 どべしっ、と再びのデコピンを受け、体重の軽めなウェイバーの身体がほんの少し宙に浮いた。積み上がる本の塔が崩れ、床に散らばる本の上に落下する。さっきよりも数倍痛いが、今回はまあ、自分に非があったと言うべきだろう。

 

「王たる余が部下に先んじて行かずしてどうする。もし最果ての海(オケアノス)へ通じる渦でなかったとしても、それはそれだ。笑いながら呑まれてやるわい」

「お前らしいよ……。と言うか、陸であんなにやりたい放題暴れ倒したのに、海にまで出る気でいたのか?」

 

 愚問だ、とライダーは笑う。

 

「そりゃあ大きくて頑丈で、豪華で壮大な、後の世の語り草になるような船を造ろうと思っておったわ。『征服船イスカンダル号』! かーっ、良いっ! 余のライダーとしての格も、今よりもっと上がっていただろうにのう!」

 

 惜しいなあ、実に惜しい。言いつつ、ライダーの顔に悔恨の色は窺えない。しかし、諦めた者の表情でもない。

 「届かなかった。しかし、良い夢を見て、良い人生を駆け抜けた」。そう思っている事が、その豪快な笑いから見て取れる。そして今、サーヴァントとして現世に呼ばれ、野望の続きを夢見ているのだろう。

 

 何かにつけて後悔しがちなウェイバーには、それは眩しい生き様だった。

 

「まあ、つまりだ。余の遠征の始まりは、まさにこの書、この記録の知識によるものだった。おとぎ話だと端っから決めつけておった連中は、死ぬその瞬間まで地球の姿を誤解しておったのだ。

 この時代に来て、地球が丸いと聞いても余は驚かなかったぞ。ハルメアスのように、己の足で世界を回ったわけではないが、その足跡を知っていたのだからな!」

 

 ふぅん、と零し、ウェイバーはその本に目を落とす。歴史に名を残す英傑、征服王イスカンダル。彼の遠征が目指した最果ての海(オケアノス)。古き時代、誰よりも先にそこにたどり着いた、伝説の英雄の物語。

 

「まあ……そこまで言うなら読んでみるよ」

「おう、そうしろ! 坊主はちと軟弱すぎるからな。男の生き様というヤツを学ぶと良い!」

 

 一言余計だ、などと言いつつ、ウェイバーは文庫の一ページ目を開いた。

 

 

 

 

 

 

 結果から言おう。ウェイバーはハマった。

 

 ライダーに言われて、というのが実に癪だったが、子どもの頃の漠然とした「英雄のお話」という印象は、一巻を読み終える頃には完全に払拭されてしまった。

 

 思い返せば、小さい頃に読んだのは、おそらく子供向けにアレンジされた、分かりやすい正義のヒーローの物語だったのだろう。『ハルメアスについての記録』の、魔物や怪物と戦う所だけをピックアップしていたのだ。

 

 あの頃はそれで良かった。そこそこ楽しめた。しかし、成長した今、改めて「きちんとした」記録を見ると、断然こっちの方が良いなと思うのである。

 これは、勇気と冒険の物語だ。思索と哲学の探求本だ。途方もなく古い時代の人間の在り方、神秘に満ち溢れた世界の在り様を記した古文書だ。

 

 ライダーは「古今東西の英雄たちの愛読書」と呼んでいた。今なお残る多くの伝承に、たびたび、と言うか結構な頻度で顔を出す『ハルメアスについての記録』。

 

 剣士として、槍兵として、弓兵として名を遺した者たちは、彼の扱った数多の武器、修めた数多の戦闘術、彼自身が見出した戦いの哲学に熱中したのだろう。

 

 魔術師として名を遺した者たちは、古き時代の魔術の法理を研究し、あるいは「悪」そのものとして描かれる、大魔術師サングインに学んだのかもしれない。

 

 魔術師とは立場を異にする科学者も、何千年も前に解き明かされ、書に記録された世界の理に

のめり込んだのだろう。

 

 ライダーが「記録」と語ったのは、そういう意味だったのだ。ハルメアスという人物を軸に据えながら、著者は「世界を記録した」のだ。

 

「おい、坊主。坊主!」

「…………」

「あー、ダメだ。聞いておらん」

 

 今二人がいる場所は、冬木大橋のアーチの上。午後八時を少し回り、外はすっかり暗くなってしまっている。

 ウェイバーはその闇の中、鉄骨に胡坐をかいて、灯光の魔術で本を照らしながら、黙々と読書に勤しんでいた。吹き抜ける冷たい風も、ライダーのふとした動作で危うげに振動する鉄骨も、今のウェイバーには何の妨げにもならない。

 

 ライダーの、見つけたサーヴァントを片っ端から狩っていくという大胆不敵にして無理無謀な作戦によって外へ出て、こうして首尾よく二体のサーヴァントが潰し合う戦場を観戦できる場所にいながら、ウェイバーの視線は文字を追ったままだ。

 

 正直、サーヴァント同士の戦いなど見ている場合ではなかった。魔術師の性として、興味深い事物を前にすると、その他一切がどうでも良くなってしまうのだ。

 

「まあ、良いわ。見物はここらで終わりにしよう。このままでは、あの勇ましき騎士のどちらかが脱落してしまう。あれほどの強者、ぜひとも余の軍門に下らせたい!」

 

 その言葉を聞き、本に目を落としたまま、半ば無意識にライダーに相槌を打とうとした時……本の世界にトリップしていたウェイバーの精神が復活した。

 

「……ん? ちょっと待てよライダー。軍門に下らせるって、どういう意味だ? 同盟を結ぶって事か?」

「違う。家臣にするという事だ。我が覇道を支える勇者の軍団に、彼らを加えたい」

 

 待て。待て待て待て。

 

「できるわけないだろ!? そんな事せずに、潰し合うのを待てばいいじゃないか! お前今が聖杯戦争中だって分かってるのかよ!」

 

 先ほどまで自分も本に没頭していて、マスターとしての己を忘れ去っていたが、それとこれとは別問題だ。あの人外の饗宴に突っ込んでいったら、無事に生きて戻れる保証はない。

 たとえライダーの能力が彼らと並び立つものであったとしても、マスターたる自分は生身の人間並みの耐久力しか持っていないのだから。

 

 しかし、ウェイバーの意見で言を翻すライダーではない事は、ここ数日でよく分かっている。文字通り命がけの抗議は一笑に付され、さらに、むんずと襟首を掴まれた。

 

「あのなぁ、坊主。ここで機を窺っておったのはな、集まって来た者どもをまとめて打ち倒すためよ。そして今、死なせるには惜しい英雄たちが現れた。

 これを征服せずして、何が征服王か! 何がイスカンダルか!」

 

 高らかにそう吼えると、ライダーが片手の剣を虚空に振り切る。膨大な魔力が迸り、目の前に古風かつ豪華な、二頭立ての戦車が現界した。

 一度見ているとはいえ、その圧倒的な存在感にひるんでしまう。その一瞬に、丸太のような腕に吊り上げられ、あっさりと戦車に引きずり込まれた。

 

 どすん、と戦車に尻もちをつく。その痛みにも構わず、ジタバタと暴れ、なおもウェイバーは抗議を続ける。

 

「死なさないでどうやって勝つんだよぉ! お前、聖杯が欲しいんじゃないのか!?」

「勝利してなお滅ぼさぬ! 制覇してなお辱めぬ! それこそが真の゙征服"である!」

 

 ダメだ、話が噛み合ってない。そもそもコイツ聞いてない。

 

「いざ駆けろ! 神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)よ!」

「うわぁぁぁぁぁ!」

 

 宙に浮く巨大な戦車が、冬木大橋の上空を、雷撃をまき散らしながら爆走していく。その姿、まさに覇道を突き進む王の顕現である。

 

 ウェイバーはこんなののマスターになってしまった事を後悔した。自分がケイネスの用意した触媒を盗んで召喚した事を差し引いてもなお、後悔した。

 しかし、現実は変わらない。頭を抱えるウェイバーとは対照的に、実に機嫌良さげなライダーの大笑いが、冬木の空に響き渡った。

 


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