やっちまった男の英雄譚   作:ノストラダムスン

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かくして役者は集いたる [前]

 第四次聖杯戦争六日目も、冬の凍てつく寒気は変わらず列島を覆っていた。しかし今日は晴れ模様で、昼下がりの柔らかな日差しが冬の寒気をやわらげている。

 

 この日、冬木市の最寄り空港であるF空港の滑走路に、とある二人連れを乗せたドイツ発の一機のチャーター便が舞い降りた。

 

「到着ね、セイバー。どうだった? 空の旅の感想は」

 

 旅客便から外の景色をキラキラした目で見ていた、美しい銀髪の女性……アイリスフィール・フォン・アインツベルンは、隣席に座る連れに問いかけた。

 

 実はひそかに連れの……セイバーの反応を楽しみにしていたアイリスフィールだが、肝心のセイバーは、その問いに何も答えない。

 と言うより、そもそも聞いていないのだった。

 

「あら、セイバーったら。もう日本に着いたわよ?」

 

 その言葉を聞き、ようやくセイバーの注意が外界へ向く。他の客がガヤガヤと降りていくのを見て、あわてた様子で立ち上がった。

 

「す、すみませんアイリスフィール。私としたことが……」

「飛んでいる間中、ずっとその本を読んでいたわね。そんなに面白い本なの?」

 

 私の読んだ事ない本ね、後で見せてくれない?

 

 タラップから降りながら、朗らかに笑うアイリスフィールとは対照的に、セイバーは目を見開き、驚いた様子を浮かべた。

 

「アイリスフィールは、この本を読んだ事がないのですか? 切嗣なら、知らないはずはないと思うのですが…………」

「『ハルメアスについての記録』……? うーん、聞いた事はあるのだけれど……」

 

 読んだ事はないわね、と困り顔で言うアイリスフィールに、セイバーもまた困惑した顔で首を傾げる。

 まさか切嗣が読んでいないとは思えず、読んだならばきっとアイリスフィールにも薦めているだろうという、セイバーの読みは外れてしまった。

 

 

 この美しい姫君の事情は知っている。生まれてから一度として実際に外を歩いた事がなく、切嗣が持ってくる映画や写真で世界を知り、切嗣の話す世界の景色に思いを馳せながら、あの極寒の地の城に住み続けていたのだと。

 

 その生活の中で、唯一と言っていい娯楽は、書物を読む事だという。切嗣が届けてくれる外の世界の本は、退屈を紛らわすには持って来いの代物らしい。

 

 

 故に、アイリスフィールが少々世間知らずな面がある事は承知している。

 セイバーの着るこの燕尾服のような黒服や、アイリスフィールの纏う一目で高級品と分かるカシミヤのコートが、今日の日本の一般的なファッション常識に照らせばおかしなものである事も、すでに気が付いている。

 

 しかし、この書の存在を知らない事だけは相当に意外だった。それはアイリスフィールに対してと言うより、切嗣への驚きだった。

 

「有名な本なの?」

「少なくとも私の時代では、他のいかなる本よりも人に知られた書でした。そして恐らく、今もそうなのではないかと」

 

 切嗣の聖杯への望みはアイリスフィールから聞いている。万能の願望機によって、世界を救済するのだと。そのために、彼はすべてを擲って、この聖杯戦争で勝利を掴むつもりだと。

 

 誇るべき願いだと思う。その願いの成就のためにこの剣を振るう事は、騎士としての誉れと言える。そこに疑いはない。

 

 しかし、だからこそ、なぜなのだろうと思う。世界の救済を目指す者が、その実現者たるハルメアスの英雄譚を、己の妻に見せなかった理由。

 

「どんなお話?」

「…………それを語り出すとキリがありません。円卓の会議中も、たびたび互いの主張がぶつかり合って収拾がつかなくなりました。なので、かいつまんで話しましょう」

 

 あの日の情景を思い出す。本を片手に正義の意味を共に探り、全ての民を守るという理想の是非を問い合い、騎士の誇りとは何かを語り合った。

 ハルメアスこそがそれら全てに完璧な解答を出した真の英雄だとする者もいれば、彼は後に続く者たちの指標であり、最後はその時代に生きる者たちが答えを出さねばならないとする者もいた。

 

 楽しかった。だからこそ、無念だった。だからこそ、あのカムランの丘で、眼前の地獄を嘆いたのだ。

 ブリテンが滅んでしまう事、二度と騎士たちと会えぬ事、どうにもできなかった自分。

 その全てが、セイバーには許容できなかった。

 

 その思いが、こうしてセイバーを聖杯戦争へと招いたのだ。

 

「率直に述べるならば、英雄の記録です。……ですが実際、哲学書としての価値があり、歴史書としての価値があり、戦術書としての価値があります。記録は膨大で、『誰々という英雄がどこで何と戦い、どのように勝利したか』という、ただそれだけの記録ではないのです」

 

 分かりにくい説明ですみません、と申し訳なさそうなセイバーに首を振り、なら、そうね、とアイリスフィールは切り出す。 

 

「分かったわ。どんな本なのか、一口に語るのは難しいという事ね。じゃあ、そのハルメアスという人は、何をした人なの? いえ、何を為した人なの、と聞くべきかしら」

 

 英雄というのは、ただ強く勇ましいだけの人間ではなり得ない。賢者たるだけでは、英雄とは呼ばれない。その生涯において、善悪はともかく、「何かを為した」者だけがそう名乗る事を許される。

 

 ならば、ハルメアスという人物を知るにあたって、何を為した者なのか知ろうとするのは当然だった。

 

 アイリスフィールの問いに少しだけ考え、それならば、とセイバーは頷く。そして、

 

「ハルメアスは、正義を為した英雄です。

『幾たびの戦場を越えて不敗。ただ一人の犠牲もなく、ただ一度の絶望もなし。』

 後世の詩人は、ハルメアスをそう謡いました」

 

 そう、言った。

 

「…………」

「また、ハルメアス本人も、最後の死地に向かう直前、『愛する少数を捨て、見知らぬ大勢を助けるか。あるいはその逆か。どちらも正しく、どちらも悲しい。だから、俺は全てを救ってきた。』 と語っています。

 故にこそ、彼は人理の救済者、理想の正義の体現者と讃えられているのですよ」

 

 それを聞いて、ああ、という納得が、アイリスフィールの胸に落ちてきた。

 そうか、と、理由を悟った。夫が、自分にその記録を見せなかった理由。

 

 少数を救わなかった者が、全てを救ってきた者の物語を、救わないと決めた者に見せる。

 あの優しい夫は、断じてそれを許せなかったのだ。何にも勝る罪深い行為だと考えたのだ。

 

「それは……もちろん。そう在れるなら、それが一番よね」

「……ええ。ですが、それは生半(なまなか)な道ではない。正しくあるという事は、私が思い描くほど容易ではありませんでした。

 国を守るために、村を切り捨てた事もあります。より多くの隊を救うため、一隊を殿として使い捨てた事も。それが国を守る唯一の方策と信じ、実行しました。それが王たる私の役目だった。

 ハルメアスのように、という理想は、ハルメアスならば、という想像でしかなくなりました。そして最後には、ハルメアスではないのだからと、まるで言い訳のように、かの英雄の名を使うようにさえなりました」

 

 そしてもう一つ。あれほどまでに切嗣が、セイバーを嫌う理由。

 話を聞けば、あるいは二人が口を揃えて否定したとしても、これほどの不和が生まれる理由は明白だった。

 

 立場こそ違えど、セイバーと切嗣は、似ている部分がある。

 同じ物語を読み、憧れた者という共通点。そして、理想は叶わず、「やむなき犠牲」を許容したという共通点。

 

 切嗣は平和のため、セイバーはブリテンという国のために。二人はあまりにも似通っていた。

 しかも二人は、二人ともが、聖杯でもってその理想を果たそうとしているのだ。万能の願望機をもって、夢見た理想に追いつこうとしているのだ。

 

 切嗣の半生を知らないセイバーは、どうしてああまで嫌悪されているのか理解できないだろう。しかし切嗣は、セイバーの生涯を知っている。

 

 自分より遙かに若い少女が、国の未来、民の命などという、途方もない重荷を背負わされた事。それをあろう事か、彼女自らの手で選んだ事。

 彼の内には、ブリテンへの怒り、アルトリア・ペンドラゴンという少女への怒り、そしてある種の同族嫌悪が渦巻いているのだ。

 

「そうまでしてさえ、私はブリテンを守れなかった。私の最後は知っての通りです。騎士たちの心は私から離れ、最後はモードレッドの反乱で国は滅んだ。

 あのカムランの丘で、私は…………ど、どうしました。アイリスフィール」

 

 いいえ、なんでもないわ。なんでもないのよ、セイバー。

 

 そう言いながら、そう微笑みながら、眦にはみるみる内に雫が溜まっていく。自身の重さに耐えられなくなった水滴が、アイリスフィールの頬を伝っていく。

 

 どう見てもただ事ではない。また、ただでさえ集まっていた視線の濃度が濃くなった。周りからの注目を浴びすぎている。

 

 セイバーは少し悩み、とにかく乙女の涙は衆目に晒すべきではない、と判断した。人のいない場所で休んだ方が、気持ちも落ち着くはずだ。

 素早くその細く白い手を掴み、アイリスフィールを先導する。セイバーは、目を丸くしてこちらを見る幾多の視線を振り切って、人目のない場所へと急ぎ足で向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雁夜と色々話し合っていたら、いつの間にか二人して昼寝してたぜ。

 

 なんか切嗣が泣きながら起源弾を叩き込んでくる夢を見た気がしたんだが……どうだったかな。気のせいかも。

 夢って思い出そうとすると急に忘れていくよね。あれ何でなんだろう。

 

 それにしても、聖杯戦争ってこんなに何もなかったかなと思うほどに退屈な日々だ。二日目、三日目あたりは結構集中して気を張っていたが、よく考えたら倉庫街でセイバーとランサーが一戦交えるのは六日目なのだ。

 サーヴァントはだいたい二日目に召喚されるから、暇になるのは当たり前だった。

 

 とは言え、それも今日で終わり。本日セイバーとアイリスフィールが日本にやって来て、ついに第四次聖杯戦争、初戦の火蓋が切って落とされる事になる。

 

 あ、ザイードさんは数に入ってないんだ。すまない。

 

 とにかく、これからは本当に、血で血を洗う命の奪い合いになる。死者である英霊も、生者であるマスターも、等しくその身を危険に晒す事になるだろう。

 俺とて例外ではない。すでに転生前に一度、転生後に一度、生を終えている俺だが、なかなかどうして死の恐怖というのは根強い。生物の本能だからだろうか。

 

 ま、昔よりはマシになったけども。でなけりゃ、とっくに逃げ出してるわ。

 

「ぐぁ、ぅぅぅ…………」

 

 しかし、雁夜がヤバい。小説やアニメではあまり描写がなかったが、毎日こんなに苦しんでたのかと思う。

 これでも俺を召喚してから少しは良くなっているらしいが、そうは言っても、先ほどからずっとうなされ続けている。俺が起きる前も、おそらく寝ながらにして七転八倒していたのだろう。基本的に身体がもう限界なのだ。

 

 夢見もかなり悪いらしい。さっきから「地平線が……黒い……。暗黒の軍勢……無茶だ、一人でなんて……や、やめろぉぉぉぉぉっ!」とか叫んでいるので、相当な悪夢を見ているに違いない。

 

 幸か不幸か俺の場合、あまりにも能力値が低いため、雁夜が供給する必要のある魔力量がほとんどない。加え、俺の五体から溢れ出るカリスマオーラ的な何かが、体調を少しだけ回復させているらしい。

 

 ある意味エコなサーヴァントだ。雁夜にはピッタリかもしれない。

 

 とは言え、燃費がいいと言えばその通りだが、逆を言えばその程度だという事だ。魔力喰いに定評のあるイスカンダルなどは、それ相応に強力な宝具を持っている。

 

 まあ、燃費が良くて基本性能が高い上に、宝具も強力なサーヴァントなどそうそういないからな。こればかりは如何ともし難い。マスターによってポテンシャルを大きく変える者もいるのだし。

 例えば……fate/Apocryphaの赤の陣営のキャスターなど、その代表例だろう。普通の聖杯戦争で呼ばれてたら完全にハズレサーヴァント枠だよなあれ。

 

「それにしても…………」

 

 毎日ゴロゴロとテレビを見ながら過ごしていると、嫌でもニュースが目に入る。この辺りで龍之介とキャスターが起こしている連続幼女誘拐事件。日増しに騒ぎが大きくなっている感じだ。

 教会からルールの変更が通達されるのは何日目だったか。さすがにそんな細かい所までは覚えてないんだよなぁ。七日目? 八日目?

 

 とりあえず、この原作知識が今、俺が持つ最大のアドバンテージだからな。うろ覚えでも活用していかねば。

 

 しかしそうは言っても、現状のところ、原作通りに物語が進行しているのか確認する術がない。そもそもすでにバーサーカー枠は埋まっているわけで、初日からストーリーが破綻しているとすら言える。

 とりあえずは、今夜の倉庫街での初戦闘を注意深く観察して、問題なく進んでいるのか、あるいはズレが生じてしまっているのかを見定めなくてはならないだろう。

 

「…………」

 

 時刻は午後三時。昼寝も終えたし、そろそろ出かけて行って、ちょうどいい場所を探しておくのが吉か。

 

 ランサーがウロついているかもしれないが、問題ない。どうせ誰も俺をサーヴァントと気付かないのだから。少なくとも実体で街に出て、誰かに「こいつ、只者じゃねぇ!」的な視線を向けられた事はない。

 

 臓硯に「三流魔術師以下」と言われた実績は伊達ではないのだ。マスターである雁夜は俺から何か温かいオーラを感じているようだが、きっと心の清らかな者にしか分からないのだろう。

 もしランサーにバレたら……ま、その時はその時だ。あいつはミスター・騎士道だからな。ビビリまくってる感じを見せたら見逃してくれるだろう。

 

 なんか「そこにシビれる! あこがれるゥ!」って感じに拳を振り上げて盛り上がってる様子の雁夜を起こすのも悪いので、手紙を置いていく事にする。

 どんな夢見てんだろう。さっきはだいぶヤバげだったが、今は大海魔を見てハイになった龍之介みたいな動きをしている。寝てるけど。はたから見てると結構笑える。

 

 ま、下水道に潜りこんで、一人寂しく刻印虫に食われ続けるよりはマシなようで安心した。

 

 ゆっくり休んでいてくれ。

 


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