常夏の太陽の輝きが、どこまでも広がる透き通った海の波間に反射して煌いていた。
手前は海水の下の砂を映して白く、そして水平線へと向かうにつれてエメラルドグリーンにも見える深い色合いを見せる。
足の裏に感じるのは、太陽の輝きで火傷しそうなまでに熱せられた砂の感触だ。
「お、おぉー……」
パウダーのようにサラサラした砂浜の上、太陽にも負けないキラキラとした眼差しで目の前の海を見つめている少女がいた。
5歳か6歳くらいの、金髪に
リボンで結ばれた髪の両サイドを白浜に来る波のリズムに合わせながら揺らし、両手でもったピンクの浮き輪を強く握っている。
浮き輪がある以上、身に纏っているのは当然、水着だ。
桃色の、白いフリルがこれでもかと装飾された可愛らしい水着。
良く見れば、浮き輪にはウサギのデフォルメイラストがついている。
まだ使い始めて間も無い健康的な白い肌を太陽の光に晒しながら、その少女――――。
「う……海だぁ――――っ!!」
――――ヴィヴィオは、白いリボン付きのビーチサンダルで砂浜の上を飛び跳ねながら、歓声を上げた。
◆ ◆ ◆
第15管理世界「サライルア」は海と陸の面積比率が99対1と言う、小さな島嶼がいくつも点在する海の世界である。
その中の島の一つ、南部辺境のリゾート島「マレクラ」に彼らはいた。
100平方キロメートル程度の小さな島で、人工は観光業関連の者を含めた2000人程。
転送ポートと「サライルア」中心部からの航空機移動込みで、ミッドチルダから片道2時間。
管理局が島の敷地の一部を買い上げて整備したリゾート地は局員の慰安旅行に使用されることが多く、プライベートビーチでの海水浴はもちろん、マリンスポーツなどの豊富なアクティビティやショッピング、島の観光などを楽しむことが出来る。
そして常夏の世界なので、常にシーズンと言うリゾート地だった。
「おー……子供は元気が良いなぁ」
「そうですね」
「いや、お前も子供だろうよ……エリオ」
ヤシの木のジャングルをバックに、ヤシの木材と葉で作られた人工のパラソルの下、イオスが砂浜で飛び跳ねているヴィヴィオを見て苦笑している。
そしてそんな彼から日焼け止めクリームの容器を受け取るのは、エリオである。
イオスは黒のサーフパンツに白のシャツを羽織り、エリオは髪色と同じ色の海水パンツを履いている。
「よーくクリーム塗っとけよ、じゃないと夕方の風呂でマジ痛いからな」
「はい、イオスお兄さん」
なお、何故彼らがヴィヴィオとこんな所にいるのか。
理由は酷く単純で、慰安旅行である。
いや、機動六課自体は解散しているので正確には違うのだが……引き継ぎや任務移行の間隙を縫っての休暇を利用した旅行であるのは間違いない。
イオスがいるのは、合同捜査本部の縁である。
まぁ、実は今日は慰安旅行の2日目である、1日目は午後からの移動でホテルに入って終わりだった。
ために、ヴィヴィオは今まさに人生初のビーチに興奮していると言うわけだ。
六課の宿舎からでも海は見えていたが、ビーチと言うのは初めてらしい。
「おじちゃん、イオスおじちゃん! うみ! うーみー!!」
「は、ははは……ママ達が来るまで入っちゃダメだぞ~」
「はーいっ!」
我慢できなかったのか、ママであるなのはとフェイトを放って出てきてしまったらしいヴィヴィオ。
ただ、ヴィヴィオのテンションが上がるにつれてイオスがダメージを受けている気がするのは何故だろうか。
「お兄ちゃん! おすなあついよ~!」
「あ、サンダル脱いじゃダメだよ」
「はーいっ」
「エリオ、お前後でスクワット30回10本セットな」
「何でですか!?」
「出来るだろ」
「出来ますけど……」
ヴィヴィオに「お兄ちゃん」と呼ばれて(イオス視点で)良い気になっているエリオに大人気ないことを言いつつ、イオスはヤシの葉のパラソルの間から見える青空に目を細めた。
数ヶ月前までの忙しさを思えば――今も事後処理などで多忙だが――嘘のように穏やかな時間だ。
ゆったりとした時間が、そこには流れている。
「……つーか、アイツなんで海にまで来て犬になってんだ?」
「ええと、犬じゃなくて狼かと……」
「似たようなもんだろ」
イオスの視線の先には、3人目の男性陣であるザフィーラが砂浜にいる。
ヴィヴィオを見守っているのだろうが、肉きゅうが熱くないのだろうか、あの青い毛並みの狼は。
おそらく、人間形態だとヴィヴィオにザフィーラだと認識してもらえないのだろう。
「イオスさん、エリオ、お待たせや~♪」
そしてその時、聞き覚えがあり、かつ上機嫌な声がその場に響いた。
◆ ◆ ◆
振り向いた先にいるのは、ホテルの方向――つまりヤシのジャングル――から出てきた女性陣がいる。
当然、機動六課のメンバーがほとんどであるわけだが、中には部外の人間もいる。
まぁ、解散後かつ休暇中に部外も何もあったものでは無いとも言えるが。
「イオス、エリオのこと見ててくれてありがとう」
「ヴィヴィオが迷惑かけなかったですか? あれ、いない……」
まず、六課の分隊長2人……つまりはなのはとフェイトがやってきた。
当然だが2人とも水着であって、制服などとは比較にならない程に肌の露出が多い。
2人が学生の頃は付き添いでプールに行くこともあったが、その頃とは身体の造りがまるで違う。
言ってしまえば、記憶にあるよりもぐっと大人の女性を感じさせる姿だった。
「フェイト、エリオは5歳児じゃないんだから。そして高町さん、ヴィヴィオは良い子だが今はあっちでザフィーラの背中に乗ろうとしてる」
なのはは髪はいつものように左にまとめたサイドポニーテールで、水着は白地に桜色のラインの入ったものを着用していた。
胸のサイドから首の後ろで縛るタイプのホルタービキニで、縁取りのチュールレースが可愛らしく、またブランドロゴ入りの桜色の短いパレオが可憐さも加えていた。
そしてフェイトは、バリアジャケットの時のように髪をツインに上げている。
海水に入るためか運動するためかはわからないが、ストレートにはしなかったらしい。
水着は黒のビキニらしいが、水着用のショールとパレオで隠しているためデザインはわからない。
何かを気にしてそのような水着にしたようだが、逆に細く引き締まったウエストやきゅっと締まった脚線美などが強調されるようなデザインになっていた。
「シグナム、大丈夫? 貴女が一番怪我をしてたんだから……」
「いや、大丈夫だ。私よりも主やヴィータの心配をしてやってくれ、シャマル」
「私は大したことねーよ、非殺傷で喰らっただけだしな」
次にやってきたのは、はやての騎士達である。
リンクを失っても、あまり関係は変わっていないようだった。
なのはとフェイトを見た後、イオスはまずヴィータを見た。
白地に赤のラインが入った大人しめのワンピース、首元の赤いリボンが特徴的だった。
「んだよ、何か言いたいことあんなら言えよ」
「何もあるわけねぇだろが」
「……けっ、これだからおじちゃんはよ」
「ああん?」
「おぉ?」
「ま、まぁまぁ、2人とも落ち着いて……」
何故か出会い頭にメンチの切り合いを始めた2人の間で手を振るのはシャマルで、彼女はネイビーグリーンのビキニを着用していた。
水着を止める紐は結ばれておらず、金のリングで止めるタイプだ。
ボトムもそれは同様で、腰にある大きなリングに水着が直接結ばれている。
普段は白衣に隠れてわからないが、彼女もまた豊満なスタイルを持つ女性だった。
その横で、イオスとヴィータの諍いを止めるでもなく涼やかに立つがシグナムだ。
先の戦い切られた髪を不自然でないように切り揃えた桃色のセミロング、水着の色は白枠に紫。
豊かで張りのある胸を細い肩紐が首から胸の中央までV字に交差するセンターストラップビキニで覆い、ボトムはパレオも無い剥き出しのデザインのもの、肉付きの良いヒップと太腿が印象的だ。
シグナムの性格から考えれば意外に露出が高く、何かを諦めたらしい。
「エリオ君……えっと、どう、かな」
「う、うん……その、凄く似合ってると、思う」
「……はぅ……」
「えっと、えーと……あ、あはは」
そして、いつの間にかイオスとヴィータとは真逆の雰囲気を作っている2人がいた。
エリオとキャロだ、赤い顔で頭を掻いているエリオの前で、キャロがエリオ以上に顔を赤くして俯いている。
お腹の前で指を絡めて照れているらしいキャロの姿は、控えめに見ても女の子らしく可愛かった。
水着は意外なことに赤のホルターネック・ビキニで、胸元の白リボンが可憐だ。
ボトムはスカートタイプだが丈が短く、ほっそりとした足が惜し気もなく晒されている。
こうして見ると、腰の位置が高いことに気付く。
そんなキャロとエリオを見て、イオスは頷いた。
「やっぱスクワッ……」
「モテない男が見たら涙を流して羨ましがりそうな光景ですよね」
「……ットなんてさせるわけねぇだろ、俺、モテない男じゃねぇし」
「何だか物凄く哀しくなってくるような話ですね」
いつの間にそこにいたのだろうか、オレンジの髪の少女がイオスの傍にいた。
先程までヴィータがいたはずだが、エリオとキャロを見ている間にどこかに消えたらしい。
そして今は、ティアナが物凄く冷めた目でイオスを見ていると言うわけだ。
当然、彼女もまた水着である……オレンジのチューブトップビキニ、太陽の下に晒された薄い肩と鎖骨が印象的だった。
ちなみにその肩の上には何故かフリードが足を乗せていた、主人の傍にいかないのは空気を読んでいるとでも言うのだろうか。
そして、フリードの頭の上でふよふよと浮いている存在がもう1人。
「暑いですぅ……」
「まぁ、南国の海だからな」
氷結を得意としているからか、リインはぐったりとしていた。
薄い水色のワンピースタイプの水着を着ているのだが、それが溶けた氷に見えるのは何故だろうか。
「ほぉら、ギン姉も早く行こうよ!」
「ちょ、ちょっと待ってスバル。本当にこれ変じゃな……」
「大丈夫大丈夫!」
妙に騒がしい、ティアナから視線を逸らしてそちらを見ると、仲の良い姉妹がそこにいた。
まずスバル、六課が来ていて彼女がいないと言うことはあり得ない。
彼女の水着はスカイブルーに白ドットと言うデザインで、彼女のイメージに合っていた。
鍛え上げられた肢体は躍動感に満ちていて、適度に日を浴びた白い肌と相まって健康的な魅力を全身から放っている。
そしてスバルが腕を組んで引っ張っているのが、姉であるギンガである。
イオスと似たような事情で招待されているのだが、他の面々と異なり妙に恥ずかしがっている。
しかしそれも、スバルによって半ば引き摺られることで意味を成していないが。
「え、えと……ど、どうも……」
「何で、そんな久しぶりに会いましたね的な挨拶になるんだよ」
「あ、あははー……ま、まぁ、良いじゃないですか」
ギンガの水着は、他の面々とはまた違うデザインだった。
サポーターと言うのだろうか、イオスも女性用水着に詳しいわけでは無いので――詳しかったら問題だが――外見には、水着を2つ重ねて着ているように見える。
まず白の水着、細い肩紐を回すトップと、紐を結んで留めるタイプのボトムだ。
その白ビキニの――恐らくサポーター――の上に、改めて黒のビキニを身につけるデザインだ。
こちらは胸の前で紐を交差させるホルターネックの物で、ボトムもパンツタイプのそれだった。
スバル同様、あるいはそれ以上に豊かな肉付きの――女性的魅力と言う意味で――身体は、普段の陸士制服では考えられないようなレベルで肌を晒している。
恥ずかしいのか、右手で左の肘を握っているが……それがより身体を強調する結果になっているのだった。
「ほら、男性としての意見を聞かせてくださいよ、イオス査察官!」
「ここで査察官の肩書きはいらないだろ、あと、まぁ……似合ってるんじゃないか?」
「……エリオ以下……」
「何か言ったかそこの二等陸士」
「いえ、別に何も」
白々しい表情で首を振るティアナに、何故か妙にムカつくイオスだった。
「に、似合いますか? 私、こう言うのはあまり買わないもので」
「ん? ああ、すげー似合ってると思う。少なくともどっかの騎士と二等陸士の100倍は似合ってる」
「聞こえてんぞ!」
「器が小さい……」
慰安旅行で、何故か一部の人間関係が急速に冷え込んでいた。
そしてあまり男性に容姿を褒められる経験が無いのか、あるいは単純に恥ずかしいのか、それとも他に理由があるのか、ギンガは照れ笑いのような笑みを浮かべいる。
ポニーテールにまとめられた濃紺の髪は、どこか彼女の母を彷彿とさせた。
「あ、ありがとうございます、イオス一尉もよくお似合いですよ」
「いや、男の水着は別に……おわっ!?」
「ふふふ~、だーれや?」
ギンガの言葉に苦笑を返したその時、何者かが両手の掌でイオスの視界を覆った。
後ろから伸ばされたために、触れるか触れないかくらいの距離に接近したぬくもりを感じた。
そして、イオスはそのぬくもりの正体を知っているような気が……。
「ヒントです、八神部隊長ではありません」
「そこの二等陸士は黙ってろ」
いずれにしても、それで完全に正体がわかってしまった。
いや、すでに声などですでにわかっていたわけだが。
それが伝わったのか、イオスの目を覆っていた人物もぱっと彼から離れた。
「も~、あかんよティアナ、そんなすぐにバラすようなことしたら」
「すみません、つい……」
「ええよ、お遊びやしな。イオスさん、こんにちはや♪」
「お前なぁ……」
目を丸くしているギンガとスバルに半ば背を向けて後ろを振り向くと、想像通りの女性がそこにいた。
腰の後ろあたりで手を組み、前かがみの体勢で片目を閉じて。
彼女はイオスの顔を覗き込むようにして、悪戯好きそうな笑顔を浮かべていた。
――――八神はやて、1ヶ月前にスカリエッティ陣営に拉致された女性である。
しかし今は年頃の乙女らしく、白黒チェックのワイドストラップビキニにボーイレッグのボトムと言う水着姿である。
そしていつもは胸元に揺れている剣十字のペンダントが左手の手首に巻かれていた。
豊満と言うわけではないが、スレンダーにまとまった肢体は瑞々しさに溢れていて魅力的だった。
どことなく小悪魔なイメージがつくのは、浮かんでいる笑顔のせいだろうか。
「どうどう? ……似合うやろか」
「んー……予想外に似合うな、そう言うの」
「へへー、そやろー」
どことなく子供っぽい笑みを浮かべるはやてに苦笑する、まぁしかし似合っているのは事実なので、イオスとしては文句の言いようも無かった。
さらにはやては二言三言、言葉を重ねようとしたが……その時、最後の1人が登場した。
「ごめんなさいね、忘れ物をしてしまって」
「あ、リンディさん」
リンディである、流石に慰安旅行と言えど佐官クラスではプライベートビーチの貸し切りは出来なかった。
後見ということで無関係でもなく、彼女の名で申請した所、貸し切れたのだ。
ちなみに、遅れるがユーノやクロノ達もこの旅行に参加することになっている。
まぁ、それはともかく……海なので、当然リンディも水着姿なわけだ。
流石に年齢を考えたのかビキニではないが、慎ましさと扇情さを共有したワンピースタイプの水着を着用していた、右手に白いタオルを持っているのも、不思議とデザインの一部と思えてしまう。
胸元はV字で深くスリットが入り、脚刳りのラインも深くセクシーである。
それでいて年齢相応に控えめに肌を見せるコバルトブルーの水着は、年齢よりも遥かに若々しく女性的魅力に溢れたリンディの身体を覆っていた、高い位置でのポニーテールも懐かしさを刺激される。
「あら、どうかしたの? イオスさん?」
「え」
急にリンディに声をかけられて、イオスは珍しくどもった。
それから何故かワタワタと手を振りつつ、笑顔など作って、やはり何故かどもりつつ。
「あ、いや、そのー……なんと言うか、水着、似合ってますね」
「うふふ、ありがとう。でも、若い子に囲まれてちょっと恥ずかしいわね」
「いや、全然大丈夫っスよ。めちゃくちゃ似合ってます、はい」
そんな2人の様子を、はやては何とも言えない表情で見ていた。
ギンガはリンディの姿にポカンとしているし、スバルとティアナは顔を寄せ合って反則とか何とか言っている様子だった。
そして、全員の見解として一つだけ一致を見たのは。
――――リンディと他で、イオスの反応が随分と違う。
◆ ◆ ◆
砂浜が程よく見渡せる位置、横と後ろから跳ね上がる水飛沫を全身で感じながら、ギンガは水上スキーのハンドルを右に切った。
より沖合いへと向くその軌道、水飛沫がさらに高まると同時に後ろから歓声が上がる。
「きゃああぁ~~~~っ♪」
「あははっ、ほらヴィヴィオ、ちゃんと掴まってないと落ちちゃうよ~?」
「だ、ダメだよなのは、危ないよっ」
水上スキーと特殊なワイヤーで繋がり、スキーの動きと波の微妙な動きで上下左右に跳ねながら動くのは、いわゆるバナナボートと呼ばれるものである。
乗っているのは、前から順番にヴィヴィオ、なのは、フェイトである。
一応念のために救命胴衣をつけているが、それでも先頭のヴィヴィオなどは大興奮である。
そのヴィヴィオを後ろから抱くようにしているなのはも笑顔である、が、最後尾のフェイトはヴィヴィオが心配なのかなのはの肩越しに身体を伸ばしたりしている。
……が、実はそれが致命的なミスとなって、直後にはバナナボートが転覆して3人共に海に放り出されることになる。
「あの子ったら……何をやっているのかしら」
「あはは、まぁ、ヴィヴィオも大丈夫みたいですし」
白いビーチチェアに寝転ぶようにしてその様子を見ていたリンディが、苦笑を浮かべて孫とも言うべき女の子と、自分の娘と娘の親友が海の中に落ちる様を見ていた。
その後に響いてきた笑い声でより表情が柔和なものになるのを、救護班を買って出ているシャマルの座るチェアの側に伏せているザフィーラは見た。
そしてその彼も、特に問題が無いとわかると身を低くして目を閉じた。
耳を立てて周囲を警戒してはいる様子だが、それ以上のことはしない。
――――問題は無い。
この3人の組み合わせでそう言えることが、どれほどの奇跡か。
「ま、平和ってことだろうな」
そう呟くのは、ギンガが水上スキーを止めている間にバナナボートにヴィヴィオ達が再び乗る様子を横目に見ているヴィータだった。
ちなみに海上、海の色が砂浜の白と沖合いの青に変わる微妙な位置で、赤い大きな浮き輪に膝裏と背中を押し当てるようにして浮いている。
髪先とお尻、そして足首から下などを海水につけて、のんびりと海の上でたゆたっている。
そんな彼女の呟きを同意を示したわけでもあるまいが、その傍を通り過ぎたのはシグナムだった。
ちなみに彼女はヴィータと異なり浮き輪でのんびりなどしていない、では何をしているのか。
いわゆる、遠泳である。
皆が遊び始めてすでに1時間以上が経っているが、シグナムはすでにその間で沖合いと白浜を4往復していた。
「病み上がりなんだから、あんま無理すんなよ~」
そう言うと、クロールで上げた顔で一瞬だけ視線をヴィータに向けてきた気がする。
そして何とは無しにその様子を追いかけていけば、シグナムが沖合いのゴールにしている位置に1隻の船があることに気付いた。
いわゆるクルーザーと言う奴であろうか、小型のそれが沖合い数キロの地点にぽつんと見える。
「あー……おわぶっ!?」
なお、ヴィータが後ろに身を逸らしすぎてひっくり返ったのは、別の話である。
そしてヴィータが海に落ちる直前まで見ていて、かつシグナムが遠泳の折り返し地点にしているクルーザーには、リインとフリードがいた。
「機材の動作は問題ないですぅ?」
「キュクルー?」
リインの言葉に首を傾げるフリードは、クルーザーの手すりに足を乗せて、不思議そうな目で海面を見ていた。
そんなフリードの傍からは、機材に繋がれた細いチューブが4本、海中へと伸びていた。
それは海中へと空気を送るための機材であって……いわゆる、スクーバ用のものだった。
『うわぁ……綺麗だね、エリオ君』
『うん、そうだね』
水深にして30メートル前後、まだ比較的浅いその場所は、地上には無い幻想的な光景を見せてくれる。
上に見える水面は太陽の光でキラキラと輝き、うっすらとグリーンの輝きを見せる海底の砂、そして周囲に広がる美しい珊瑚礁と小さな魚達の群れ。
俗な言い方をすれば、海の中の散歩、と言うことになるだろうか。
『きゃっ……うふふ、くすぐったいよぉ』
そしてキャロは召喚士、動物に対して非常に強い感応力を持つ。
送気式、つまり船から直接空気を送るマスクを頭にかぶったキャロの周りには、小魚達が次から次へと寄って来ている。
中には海の中にしか咲かないと言うこの世界特有の花を持ってくるものまであり、ここまで動物に慕われているとエリオとしては苦笑するしかない。
ただ、自覚は無いようだが……結果として見るならば、エリオが周囲の景色を見る比率と小魚に囲まれるキャロを見る比率とでは、言うまでも無く後者にかなりの偏りがあった。
繰り返すが、自覚は無いようだ。
しかし第三者視点では、どうでもない。
『うーん、いい雰囲気だよね、ティア』
『どうでも良いけど、何で海の底まで来てこんなことしてるの、私?』
『良いから良いから』
微笑ましそうな顔で、珊瑚礁の陰からエリオとキャロの様子を見守るスバル。
そして、どうして自分はこんなことをしているのかと本気で悩むティアナ。
ちなみにティアナの結論としては、「結局、お人好し」である。
まぁ、スバルから見ればまた別の見方があるだろうが……。
「皆、思い思いに楽しんでくれとるみたいやねぇ」
「そうだなー」
所変わって砂浜、ただしパラソルやチェアがある場所からはやや離れている。
プライベートビーチだけあって人はいない、いくらでもスペースはあると言う物だった。
足先が波打ち際に入るか入らないか、そのくらいの位置に腰掛けているのはイオスであり、さらにその横で両膝を立てて座っているのがはやてだった。
2人の間の砂浜には3メートル弱の大きな釣竿が立っており、ロッドが曲がることもなく、ゆったりとした心地で糸が波に揺れていた。
イオスは特に釣れることは期待していないのか、遠方に放られた釣り針を気にするわけでもなく、ただぼんやりしていた。
なので、イオスとしては。
「……八神さん、暇じゃね?」
「ん? そんなことないよー。釣りってしたこと無いけど、こんなもんなんやろ?」
「うぐ」
「……うぐ?」
何かを最初にする時、基準となるのは初めて教えてくれた人間である。
そんな言葉が脳裏をよぎったが、かと言って何を言うこともできず、結局はそのまま。
つまり、イオスは現在、深刻な劣勢状態にあった。
(……いや、釣りにおける劣勢って何だよ)
心の中でそんなツッコミをしつつ、イオスは前を向いたまま、目だけで自分の横に座る後輩の様子を見ていた。
泳ぐでも遊ぶでもなく、砂浜で座り込んで面白くも無い釣りの様子を見ている。
……しばし考え込んで、イオスはふと一つの可能性に考えが至った。
「八神さん、実はお前泳げな」
「早く釣れへんかなー」
「……そうだな」
露骨に話題を逸らされた上、プレッシャーをかけられた。
しかし釣竿に変化は無い、そもそも釣れることは期待していない。
燦々と照りつける太陽の下、イオスは静かに思考する。
この謎のプレッシャーの重圧から脱するには、どうするべきかと。
横目で見るはやては、見た限りでは上機嫌なように見える。
何故そうなのか……いや、女性は外見だけで判断すると痛い目を見ると彼はエイミィやリーゼ姉妹で身に染みて知っている。
今ここには身代わりに出来る幼馴染はいない、あの馬鹿は仕事の後に家族を迎えに行ってからここに来る、イオスの読みではどうせ予定の時間から3時間は遅れて来るはずだった。
「……平和やなぁ」
ふと漏れる、はやての呟き。
いつもならタイトスカートとタイツに覆われている膝に顎を乗せて、海で遊ぶ仲間達を穏やかに見守る。
……それに対して、世界のどこかでは今でも平和とは程遠い生活をする人がいるとか、平和の定義にもよるだとか、そんなことを言う程に空気が読めない男ではないつもりだった。
実際、今日は酷く穏やかな時間が続いているのだ。
血生臭い事件も無く、六課や本局からの事件連絡も無く、目に見える範囲で要救助者や犯罪者がいるわけでもなく、ただひたすらの穏やかで優しい時間。
ほんの数ヶ月前には、想像もしていない時間だ。
(……まぁ、良いか)
イオスとしては非常に珍しいことに、そんなはやての様子を見てそんなことを思った。
特に何を考えるでも、何を話すでもなく、ただぼんやりと海を見る。
普段があくせくし過ぎなのであるから、たまには良いだろう。
どこまでも広がる青い海に、太陽に晒される白い砂浜、穏やかにヤシの葉を揺らす風。
ヴィヴィオ達の歓声、リンディ達の談笑……その他、ヴィータが海に落ちていたりシグナムが遠泳していたり、ダイビングからクルーザーにフォワードが戻ってきたり。
そう言うものを、何とは無しに見ているのも。
「……」
「…………」
「…………なぁ、イオスさん」
「あん?」
すでに釣竿すら見ず、両手を塗れた砂の上に置いて天を仰いでいたイオスに、はやてが穏やかに声を上げる。
対するイオスも、言葉はともかく声音は柔らかい。
はやてはそれに目を細めて笑みを浮かべ、言った。
「何か暇やから、ビーチバレーでもせーへん?」
「やっぱ暇だったんじゃねぇかよ!?」
立ち上がって突っ込むと、はやては軽く舌を出して笑った。
そして立ち上がり、軽やかに駆け出すと、イオスが追う間もなく水上スキーで遊んでいるなのはやギンガ達に声をかけに行っていた。
(……まったく)
はやての白い背中に視線を当てながら、イオスは溜息を吐いた。
そして釣竿を素直に片付け始めるあたり、イオスは自分の性格について少々真面目に考えるのだった。
……まぁ、今さらである。
◆ ◆ ◆
ビーチバレーおいては、母が娘に一切の容赦をせず、娘を味方に引き入れて優勝を狙おうとした茶髪の女性の目論見を木っ端微塵に打ち砕く……という一幕もあったものの、概ね楽しめた。
そして日が沈みかけて、遠泳を続けていた桃色の髪の女性が呼び戻された頃。
「じゃあ、晩御飯前にお風呂に行くってことで」
「そうだね、そうしようか」
ヤシの木のジャングルの道を皆で歩きながら、管理局員の慰安施設を兼ねるホテル「マレクラ・リゾート」へ向かう一同。
散々動き回って疲れたのだろうか――お昼寝もしていない――ヴィヴィオはなのはの背中でスヤスヤと眠っている。
なお、リインがはやての肩の上で同様の自体に陥っているのは完全に蛇足である。
全員、一応ビーチの簡易シャワー室で海水や砂などを洗い流してはいるものの、やはりそこは女性、ちゃんとしたお風呂に入って身を清めたいのだろう。
まぁ、これに関しては男性陣も似たようなことを考えているのかもしれないが。
実際、イオスは海風で毛並みがパリパリしているザフィーラを見て。
「……お前、それで人間形態になったらどうなるんだ?」
「大丈夫だ、気にするな」
「ホテルの浴場行くときは人間形態で行けよ……?」
イオスが心の底からそう頼んでいると、その場の空気を一部凍らせるような発言が別の場所から飛んだ。
いや、それはある意味で予測されてしかるべきだったのかもしれない。
と言うか、若干1名は完全に読んでいた様子で……。
「じゃあ、エリオ。大浴場で皆と一緒に待ってるからね」
「え、それって……」
「うん、一緒に入ろう?」
フェイトである、彼女はキャロと手を繋いだままエリオに微笑みかけていた。
それはそれは魅力的な微笑だったが、しかしエリオは表情を引き攣らせた。
当然だが、ここは宿舎の浴場でも一戸建ての浴室でもない、そしてエリオ達だけでもない。
エリオは、表情を引き攣らせた。
「え、と……あの、僕男の子ですし」
「フロントの人に聞いたら、12歳まではOKだって」
「ほ、ほら、他の人もいますし……」
エリオの言葉に、フェイトは後ろを振り向いて仲間達を見た。
皆、苦笑はしつつも止めはしなかった。
積極的、消極的いろいろあるが、概ね拒否の感情は無い様子だった。
なので、フェイトはエリオにも笑顔を見せて。
「大丈夫だって」
「いや、あれってそうなんですか!? と言うか、キャロは嫌だよね!?」
「え? フェイトさんとエリオ君と一緒にお風呂? 良いよ、楽しそう」
ちょっと待ってよ、水着を見せるのは恥ずかしくてお風呂は良いの!?
そう叫べたらどんなに楽だろう、しかし心根の優しいエリオにはそれが出来なかった。
出来たことと言えば、助けを求めるように周囲の人間を見渡すことぐらいだった。
しかしなのはやギンガは苦笑を浮かべるばかりで、はやてや騎士達は不干渉、スバルは笑顔で、ティアナだけは肩を竦めた。
結果的に言えば、誰も助けてくれなかった。
しかし、例外が1人だけいた。
「え?」
不意に頭に手を置かれて、エリオは不思議そうな声を上げた。
何かと思えば、後ろにいたのはイオスだった。
彼はエリオの頭に手を置いて、フェイト達と向き合っていた。
何事かと首を傾げるフェイトに、イオスは言った。
「エリオは、俺と風呂に行く」
ザフィーラも入るが、ここでは省かれている。
「え、でも……」
「俺が、エリオを風呂に連れて行く」
珍しく強い口調でそう言うイオスに、フェイトは首を傾げた。
それは本当に不思議そうな顔で、「どうして邪魔するの?」とでも言いたげな顔であった。
視線を下げれば、キャロも似たような表情を浮かべている。
「でも、エリオは私達と」
「いーや、俺が連れて行く」
「私達もエリオと入りたいんだよ?」
「いーや! 俺の方がエリオと入りたいね!」
「私の方が!」
「いや俺だね! 俺の方がエリオと入りたいと思ってるね!!」
「……ドン引きだわ」
何故か喧嘩に発展している2人、特にイオスに向けて放たれたティアナの呟きはこの際無視する。
そしてイオスはと言えば、「こいつら何もわかっちゃいねぇ」と思っていた。
10代前半の少年が、女の子と湯を共にすることがどれだけ大変かまったくわかっていないと。
そして、イオスは知っている。
『あ、こら暴れるな。昔は良く一緒に入ったじゃん、恥ずかしがるなよー』
10年以上昔、師匠達の手で幼馴染と共に玩具にされていたあの頃を。
思い出すだけで涙が出てくる記憶だ、エリオに同じ思いをさせるわけにはいかない。
だからこそ、イオスはエリオのことを守らねばならなかった。
師匠と違い悪意はなく、そしてだからこそよりタチの悪い女性陣の魔の手から。
「もうっ、イオス! どうして邪魔するの!?」
「やかましい! 良いか、俺はな!」
だからイオスは、フェイトに対して正面から言ってやった。
「俺は、エリオと風呂に入れりゃそれで良いんだよ!!」
エコーでもかかりそうな男の叫びである、ティアナなどはもう完全に引いていた。
そして目の前で宣言されたフェイトはと言えば、幾分か落ち着いたのか、そしてイオスの言葉の数々を思い出して。
「……え?」
「だからフェイト、エリオは俺が風呂に連れて行くぜ……!」
「え……え? あれ?」
目を白黒させてフェイトが動揺する、そしてその隙にイオスはエリオを小脇に抱えて駆け出していた。
止める間も無い早技だった、一方でフェイトは目を点にして養い子を連れて行った義兄の背中を見ている。
そしてそれはフェイトに限らず、奇妙な沈黙と疑惑がその場に広がっていた。
唯一、例外があるとすれば。
「……エリオ君、行っちゃったね」
「キュクルー……」
まともにしょんぼりとしている、少女と小竜だけだった。
◆ ◆ ◆
イオスがエリオに浴場で「いかに無邪気な女と付き合う上で強かに生きるか」について話し合った後、ザフィーラも交えてレストランの席に座って女性陣を待った。
メニューは無く、シーフードバイキングと言う物だった。
美味しそうな香りに負けそうになりつつも、しかし女性陣を置いて食べるわけにはいかないので待つ。
そしてレストランの一部をほとんど独占しての予約席、そこで待っていると女性陣よりも先にある人物がやってきた。
その姿を入り口に認めたイオスは、座席に座ったまま笑みを浮かべて手を振った。
「おー、来たかユーノ」
「お久しぶりです、イオスさん。すみません、遅れちゃって」
「いやぁ、仕事なら仕方ねぇよ。あ、お前はそこの席な」
エリオやザフィーラにも挨拶をしつつ、ユーノはイオスに言われた席に座った。
素直に座ったは良いものの、ユーノはふと首を傾げる。
別に名札が立ててあるわけでもなし、イオスの隣でもどこでも良いような気がするのだが。
「どうしてこの席なんです? いや、別に良いですけど」
「ああ、そこ高町さんの隣だからな」
「イオスさん、隣良いですか?」
「良いわけねーだろ」
腰を浮かしかけたユーノに手で座るように促しつつ、イオスはそれっぽいしたり顔で何度も頷いた。
「まぁまぁ、そういきり立つなって」
「立ってませんよ! 何で来た瞬間にそんなこと言われなくちゃならないんですか!?」
「つったってお前、高町さんと休みあったの久しぶりだろ? 少しは進展見せないとその内クロノと並んで局内の二大ヘタレ認定されるぞ」
「嘘でしょ!?」
「嘘だけどよ」
今の所は。
「……で、実際の所どーなのよ。高町さんとは」
「どうって……別に、良いお友達だと思いますけど」
イオスの問いに、なんだかんだで椅子に大人しく座りながらそんな感想を漏らすユーノ。
素直じゃない、その姿にイオスはそんな感想を持った。
まぁ、ユーノがなのはに対して一定程度の「遠慮」を持っているのはイオスだけでなく全員が気付いていることだ。
その上での「友達」と言う発言に、どんな意味があるのかは他人にはわからない。
ただクロノと言う経験を持っているイオスとしては、どうすべきかと考えるまでも無いように思う。
気持ち次第の物であるし、男が思っていることを女が思っているとは限らない。
「……まぁ、彼女いない暦=年齢な俺が言っても全く説得力ねぇだろーけどな……」
「イオスお兄さん、どうして急に落ち込んでるんですか!?」
「お前に俺の気持ちがわかってたまるか」
「ひょ、ひゃふぇふぇふあふぁふぉ~」
風呂の件では味方したものの、キャロというパートナーを得ている(らしい)エリオは基本的にイオスの敵である。
よって、その両頬を指で摘んでしこたま伸ばすイオスだった。
同時に、後でフェイトに言いつけられたらどうしよう、などと凄まじく情けないことを考えた。
「……つーかお前のその気遣いって、高町さんが気にして初めて成立するもんじゃね?」
「……あ、あはは……ですよね……」
ユーノが苦笑を浮かべるのは、単純になのはが全く気にした様子が無いためだった。
つまり自分が気にしていることを相手が全く気にしていないという事実がそこにあるわけで、それはなかなかに重い事実ではあった。
それは、割とユーノにとっては厳しい現実と言えた。
同時に、ユーノ自身が卑怯を感じている所でもあるのだが……。
「あ、あれってユーノじゃない?」
「え? あ、ほんとだ。ユーノ君、久しぶりー!」
そしてそのタイミングで、話の渦中の女性が軽やかな足取りで駆けて来るのがイオスには見えた。
女性陣の先頭を切ってこちらにやってくるその人物、その笑顔を見て、思う。
まぁ、心配はいらないような気もするが……と。
◆ ◆ ◆
シーフード入りグリーンカレー、専用ソースと海老のグラタン、白身魚のスパイス焼き、鰆のグリル干し貝柱ソース、シーフードバーベキューマレクラスタイル、、海の幸カクテル、ビーフステーキコーナー、コールドヌードル、サラダバー、そしてフルーツとデザート……。
レストランのバイキングに用意された料理はどれも一流シェフによるもの、苦手な物もあるかもしれないが、それでも舌鼓を打つには十分な味だった。
まぁ……一部、シェフの想定を超える事態が起こっている面もあるが。
実際、厨房で顔を青くして追加を作るシェフ達の姿が想像できてしまうティアナだった。
「……ほどほどにしときなさいよ、アンタ達」
「「え?」」
「あ、あはは……」
言うまでもなく、スバルとエリオである。
キャロが苦笑するのも仕方ない、2人の前にはもう皿に移さずに大器ごと持ってくれば良いのでは無いかと思える程に無数の皿が積み上がっていた。
正直、一緒にいて恥ずかしいとすら思う。
一方で、スバル並に食べるだろうと目されていたギンガは常識的な範囲に留まっていた。
それでも常人よりは遥かに多い量を食べているのだが、しかしおかわりについて費やしたのはまだ6往復である。
そして、それを不思議に思ったのは隣に座るイオスだった。
ちなみにギンガの右隣がスバルなので、余計に差異が目立つわけだ。
「ギンガさん、そんだけで足りるのか?」
「え? あ、はい、今日はそこまで空腹でも……」
きゅぅ~……と、可愛らしい音が響いた。
その場にいる全員が一瞬動きを止めたが、ヴィヴィオは止まらなかったのでそのまま全員が流した。
カチャカチャと食器の鳴る音を耳にしつつ、イオスは隣で頬を薔薇色に染めて俯く濃紺の髪の女性を見つめていた。
「え、と……あだだっ!?」
何と声をかけたものかと思っていると、左隣から耳を引っ張られた。
何かと思えばそれははやてであって、彼女は澄ました顔でシーフードパスタを口に運びつつ。
「イオスさん、女の子いじめたらあかんよー。セクハラで訴えられても知らんで」
「リアルに諌めんのやめろよ、マジでビビるだろうが」
はやての向こうには、長テーブルに並ぶようにして座るヴィータ達が見える。
しかし彼女らは特にこちらに関心が無いらしい、何も言ってこない。
一方ではやては、唇についたパスタのソースを舌先で舐めとりつつ、顎先で前を示した。
そこには当然、向かい側の座っている面々がいるわけだが。
「あれ、どう思う?」
「どう……って、言われてもなぁ」
心の中で頭を掻きつつ、イオスはそちらを見た。
そちらにはフェイトがいて、ヴィヴィオがいて、そしてなのはがいる。
そしてなのはのもう片方隣には先程やってきたユーノがいるわけだが、現在は穏やかに笑いながら料理を食べている。
さっきまではなのはとも会話がいくらかあったのだが、今はなのはがヴィヴィオの世話を焼いているためにそれも無い。
見ようによっては、酷く穏やかな光景だろ。
しかしヴィヴィオが来る以前は、基本的にこういう場ではなのははユーノと話していたはずだった。
が、現状それはどうやら望めないらしい。
「子供が出来ると女性は優先順位が変わる言うけど、本当やったんやね」
「マジか、女って怖いな……」
「そこを勘違いすると、女性に見放されるよ」
「マジか、やっぱ怖いなオイ……」
そんな会話をしていると、ふとヴィヴィオがむずかり始めた。
要するに本格的に眠くなってきたらしい、お風呂で起きたは良いが、やはり寝が足りないのだろう。
たくさん遊んで、お風呂に入って、お腹もいっぱいとなれば、子供なら眠くなって当然だ。
「ママぁ……」
「ん? もうおねむさんかな?」
「うん……」
今にも閉じそうな瞼を擦るヴィヴィオの手を止めて、なのはがそっとヴィヴィオを抱き寄せる。
その姿はまさに母性に感じられるものであって、見ている者達は柔和な心地になるのだった。
そしてそれを知ってか知らずか、なのははヴィヴィオを抱っこして席を立った。
抱かれたヴィヴィオはなのはの服を掴んで、その胸元に顔を埋めている。
「ごめん、ちょっと寝かしつけてくるね」
「……後輩からそんな台詞を聞くと、何故かドキッとするな」
「奇遇やね、私もやよ」
フェイトは自分が行こうかと言ったが、なのはは苦笑して首を横に振った。
どうやらヴィヴィオが離してくれないらしい、本当に懐いたものだ。
そしてイオスは手をヒラヒラと振ると、視線をユーノに向けて。
「ユーノ、お前、ちょっとついてってやんな」
「え、でも……」
「お前、まだ自分の部屋の位置知らねぇだろ。皆同じ階だから、ついでに確認して来いよ」
そう言われては否とも言い難い、ユーノは微妙な心地でなのはを見上げた。
視線で可否を尋ねると、返ってくるのは当然のように快諾の微笑だった。
それに笑みを返して、ユーノも席を立つ。
その後ろ姿を目で追いながら、ふむとはやてはフォークをお皿にかけるように置いて。
「流石やね、イオスさん」
「ふ……俺はこう見えて、クロノとエイミィの背中を押した男だぜ? これくらい、ちょろいもんよ」
(((他人のことより自分のことをやれば良いのに……)))
そう思ったのは、一部の天然を除いた全員であったことは言うまでもない。
◆ ◆ ◆
レストランから出た後も、ヴィヴィオはなのはの腕の中でスヤスヤと眠っていた。
部屋まで頑張れと言ったのだが、限界だったらしい。
なのはは困ったような笑みを浮かべると、よいしょとヴィヴィオを抱え直した。
「僕がしようか?」
「ううん、大丈夫」
ユーノの申し出を、なのはは柔らかく断る。
確かにヴィヴィオの身体はずっしりと重いが、なのははこの重みが好きだった。
いろいろと大変な時もあるが、腕の中で安堵した表情で眠ってくれているのを見ると、何とも言えない愛しさがこみ上げてくるのだった。
そしてヴィヴィオを優しげに見つめるなのはの表情に、ユーノは微かな胸の痛みを感じた。
それはなのはとの付き合いの中で幾度も感じたものであるが、今回のそれは郷愁にも似た感情だった。
何故なら、その時のなのはの表情に――――ユーノは、彼女の母の姿を重ねたからだ。
(もう、何年前かな……)
ユーノがなのはと出会って間も無い頃のこと、彼はフェレットの姿で高町家にいたことがある。
その時、まだ子供だったなのはと母である桃子が話す場面を何度も見ている。
桃子がなのはに対して見せていた顔と、今、なのはがヴィヴィオに見せている顔。
元々が桃子似のなのはだ、重なって見えても無理は無い。
しかし、だからこそ胸を痛める。
もし自分があの時、なのはを選ばなければ……などと、イオスあたりが聞けば笑って「馬鹿かお前」とでも言いそうな悩みだ。
それがわかっていてなお悩むあたり、ユーノは自分に度し難い物を感じていた。
「ユーノ君のおかげだね」
「え?」
「え……って、もう、聞いてなかったの?」
「あ、いやっ、その……ごめん」
情けない声で謝ると、なのはは拗ねたように少し頬を膨らませてみせた。
しかし、すぐに表情を柔らかなものに変えて。
「だから、私がヴィヴィオのママになれたのはユーノ君のおかげだねって」
「え……なんで?」
言い直されたが、さっぱり意味がわからなかった。
ユーノがヴィヴィオに関してしてあげたことは極めて少ない、養子縁組の手続きにした所で主なのはフェイトだ。
それに、ヴィヴィオがなのはに懐いているのはなのは自身の頑張りに過ぎない。
いったい、どこにユーノにお礼を言う部分があるのだろう。
「10年前、ユーノ君が私に魔法を教えてくれたおかげだよ。おかげで私はヴィヴィオのママになれたし、ヴィヴィオを守るために戦うことが出来る。あの日、ユーノ君が私に『レイジングハート』をくれなかったら、出来なかったことだもん」
忘れたことなんて無い、なのははそう言った。
そんななのはの言葉と笑顔に、ユーノはどうしたら良いかわからなかった。
ただ頬が熱を持つのは自覚したし、胸の奥が別の意味で苦しくなったのも事実だった。
ズルいや、と、10年前の口調でユーノは思う。
別にイオスとの会話を聞いていたわけでもなく、単純にいつも思っていることをせっかくの機会と口にしただけだろう。
しかしそれがユーノの心を最も打つタイミングで言うのだから、ズルいと思うのも仕方ない。
計算づくだとしたら、魔性の女と言えるかもしれない。
「ありがとう、ユーノ君。私をヴィヴィオに出会わせてくれて」
「い、良いよ、そんな何度も。本当に僕は、大したことはしてないし……なのはが」
思えば、昔からこの繰り返しだったかもしれない。
ユーノが勝手に気にして、なのはが無意識にそんな彼の重荷を軽くして。
そう言う関係が、延々と続いていたのかもしれない。
それは結局、ユーノが今のなのはを見ていないということになるのかもしれない。
だが、それで良いのだろうか。
そんなことも、思う。
しかし、どうすれば良いのか……あるいは、クロノとエイミィの関係も一つの形だろう。
でも、自分達にそれが当てはまるのだろうか。
19歳という年齢では、まだその結論に達するのは早い気もする。
「ねぇ、なのは……」
「なぁに、ユーノ君?」
ロビーに差し掛かったあたりで立ち止まり、声をかけると、なのはは笑顔のままで振り向いた。
その胸ではヴィヴィオが幸せそうな顔で眠っており、ユーノはそれに優しい笑みを浮かべた。
そして、ユーノは。
「もし、ぼ「ユーノ! なのは! 遅れてすまない!」く……え、クロノ?」
「いや、航空機の出発が天候のせいで遅れてしまってな」
そのタイミングでホテルの扉の方からやってきたのは、黒髪の青年だった。
制服に似たいつもの黒服に身を包んだクロノは、片手を掲げながら申し訳なさそうな顔をしつつ。
「この時間なら……他の皆はまだ食事中か? その前にうちの子供達を休ませたいから、部屋番号を教えてくれるとありがたいん「オ――――ォルァアッッ!!」どぁっ!?」
「イオスさん!?」
そして何故か、どこからともなく現れたイオスが即座にクロノを殴り倒していた。
ロビーに控えていたボーイなどが騒然とする中、クロノは床に尻餅をつきながら非難の声を上げた。
「な、何をするんだイオス!? 事と次第によってはお前でも許さないぞ!!」
「やかましい! お前このタイミングで来るとか天然か! 冗談も大概にしろよ!?」
「お前はいったい、何を言っているんだ!?」
意味がわからないといった顔で殴られた頬を押さえるクロノ、見ているユーノにも何が何だかわからない。
まさかついてきていたのだろうか、にしてもクロノの登場で出てくるとは随分と拙い。
何故ならば。
「ユーノ君、ちょっとヴィヴィオ預かってくれる?」
「え……あ、うん」
さっきは断ったのに……などとは断じて口は挟まない、ユーノは大人しくヴィヴィオを預かって距離を取った。
その際、傍にいたボーイに謝罪などしているあたり彼も強かである。
まぁ、見ていない世界では別の状況が生まれているわけだが。
「イオスさん……クロノ君……?」
「ちょっと待て、どうして僕まで!?」
「お、落ち着くんだ高町さん、俺はクロノを迎えに来ただけで」
「お前、さっき僕が来たことを非難してたじゃないか!?」
「ま、待つんだ高町さん、俺はキミにとって良い先輩だったはずだ……!」
「2人とも…………お話、しましょうか」
ロビーの片隅の気温が急激に下がり、良くはわからないが夫と幼馴染が後輩の女の子に説教されている。
出来れば見たくなかったその光景を、エイミィは3歳になった息子を抱っこして見つめていた。
ちなみに、その隣には娘を抱っこしているアルフがいる。
息子と娘、カレルとリエラはすでにおねむだったので、父親の醜態を見ずには済んでいるが……。
「何をやってるの、あれ」
「まぁ、いろいろあるんですよー」
そしてそのエイミィの隣で、はやてがさも当然のように立っていた。
実はイオスと行動を共にしていた彼女、普通にイオスを見捨てていた。
まったくもって、酷い後輩であった。
大体の事情を持ち前の観察眼で察したエイミィは、息子を抱いたまま肩を竦めたのだった。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
水着の描写で全力を使い切りました、全体を書くよりも水着を考える方が時間かかりました、いえ常日頃から衣装のほうに時間取られてますけどね……!
次回は後日談みたいな形で、ViVidの時間軸(3年後?)の話にするかと思います。
こう、いろいろなキャラクターの「今」みたいなのをイオスを絡めて描いてみたいです。
では、失礼いたします。