「……本局が襲撃された!?」
声を上げて腰を浮かせかけたクロノは、しかし艦橋スタッフの視線を受けて声のトーンを落とした。
自分を落ち着けるように咳払いをして、クロノは緊急で開いた僚艦との通信画面に視線を落とした。
そこには、『テレジア』の艦長であるハロルドの白い顔が映っていた。
顔が白く見えるのは、別に体調が悪いからではないだらう。
「……本当なのか?」
『ボクはユーモアのセンスはあるつもりだけど?』
「つまり、本当と言うことか……」
外の戦況以上に景気の悪い話に、クロノは溜息を吐いた。
いや、むしろ本局襲撃の方が拙いかもしれない。
何しろ、クロノはハロルドと違って『預言』を知っているのだから。
『不覚だよ……密輸対策ばっかで内部に侵入される経験なんて無かったから。艦まで壊されて転送ポート使われるとか、どんだけ不覚……』
凄まじく落ち込んでいる様子のハロルドはひとまず置くとしても――酷い話だが、付き合っていられる状況ではない――クロノとしては、本局の方が気になった。
『……それにしても、たかが2人で本局を落とすつもりなのかな』
「……どうだろうな」
呟くように応じて、クロノは懐から一枚のカードを取り出した。
鈍い光沢を放つそれに、目を細める。
そう、彼は知っている……識っているのだ、『預言』を。
そしておそらくは、敵の目的を。
だからこそ、彼は迷っていた。
自分がこれからどう行動するのが最適か、いつものことだが厳しい選択だ。
ここで艦隊の指揮を執り続けるか、それとも……。
『……行けばいいさ』
驚いて顔を上げれば、ハロルドが静かな表情で自分を見ていることに気付く。
『失敗直後で説得力無いだろうけど、まぁ、こっちはボク達でも何とか出来る。でも、そっちはキミにしか出来ないことがある……だろ?』
「……ああ!」
手の中で回していたカードを指先で挟み、クロノは頷いた。
そして決断する、はやての時には出来なかった決断を。
結果は甘受する、しかしその全ては自分の行動の結果でなければならない。
『ハロルド、少しの間ここを頼む!』
「あいさ了解――――両艦の指揮を代行する! 代行想定時間90!」
翻って『テレジア』艦橋、ハロルドが指揮シートから立ち上がりながら腕を振るった。
副官のエミリアを始め、色も形もそれぞれ異なる眼鏡をかけた女性スタッフ達が眼鏡に触れながらハロルドを見た。
「左舷、補修は!?」
「完了しています! 内部の損傷については戦闘終了後の補修になりますが……」
「OK、十分だよ!」
報告に親指を立てて見せて、ハロルドは戦況を映すスクリーンを眼鏡越しに見つめる。
「航空武装隊、出撃! 陸士部隊とカチ合わないように配置! 生命が関わらない限り棲み分けきっちり! 失点を取り返して――――皆で、上に上がるよ!」
「「「了解!」」」
謳うようなハロルドの声に、スタッフの声が唱和した。
◆ ◆ ◆
緑の髪の毛先を揺らしながら、破壊の跡も生々しい通路をリンディは走っていた。
総務統括官……局内の環境に責任を持つ身としては、後の仕事量を思うと気が遠くなりそうだ。
しかし今は、現場に赴く方が先決だった。
それほど速くない足で通路を駆ければ、目的地である第六技術部の区画にまですぐに到着した。
そこはすでに騒がしく、ここに来るまでにも複数のストレッチャーと擦れ違った。
負傷者も多くいる様子だが、それ以上に通路の破壊の規模が大きい。
熱量の高い砲撃魔法でもブチ込まれたかのような破壊痕だ、何故かなのはを思い出した。
「あー、リンディ提督じゃないですかぁ!」
「あ、貴女は確か……」
「はい、脅威対策室のルイーズ・W・ストボロウですぅ」
ブチ抜かれた壁に背を預け、中を伺うように屈んでいた女性の傍に膝をつくリンディ。
ルイーズは20代後半の若手だが、その彼女と並んでも遜色無い程に若々しい。
そのことについて内心で脅威を覚えつつ、ルイーズはデバイスの槍を抱えたまま敬礼のようなサインを送ってきた。
周囲には本局駐在の武装隊員達が集まっており、中には奥から響いてくる断続的な爆発音に身を竦ませている者もいる。
本局駐在の武装隊は、艦隊常駐の人員に比べて戦闘経験が少ないことが多い。
それだけ、本局施設は不可侵の場だったのである。
「中の様子は?」
「詳しいことは何もわかりません、ただ……」
ルイーズは対テロを専門とする脅威対策室の人間だ、だからこうした事件が発生した際には真っ先に動く。
彼女はそう言う仕事に望んで就いたのであるし、自分でもテロの際に前線に赴ける今の仕事を気に入っている。
ただ、それでも彼女自身はそこまで高位の魔導師ではない。
「……正直、化物クラスの人達が全力で戦闘してて近づけないんですよぉ」
実は、一部の役職持ちの将官や高級士官を除いて本局には高位の魔導師はほとんどいない。
人手不足なので、大多数は航行艦勤務として他の次元世界に派遣されている。
まぁ、それは管理世界を増やし続けると言う最高評議会の方針にも原因はあるのだが……。
そんなことを話している間にも、強烈な爆風が抉られた壁から吹き抜けてくる。
本局全体を揺らすようなその衝撃は、中で行われている戦闘による物だ。
まさかこのタイミングで武装隊を突入などさせられない、しかし無視も出来ない。
ルイーズにとって、悩ましい時間が続きそうだった。
◆ ◆ ◆
至近距離で起きた爆発にやや眉を顰めつつ、オットーは煙の端を身体に纏わりつかせながら後退した。
着地してなお2メートルの後退、そこで体勢を立て直して右手を掲げる。
掌に収束する緑色のエネルギーの球体が、たわむように歪んだ。
「唸れ光渦の嵐……」
しかしそのエネルギーが砲撃として放たれることは、残念ながら無かった。
オットーの右掌に対応するように、細く白い女の左掌が球体に押し当てられたからだ。
どうやっているのかはオットーにはわからないが、相手が放つ魔力が自分の能力を中和させてしまうのだった。
張り詰めた風船が割れるような音が響き、強い風が2人の間を吹き抜ける。
反発し合うエネルギーの余波に長い髪を靡かせながらオットーの前で笑うのは、リーゼアリアである。
その笑みが気に入らなかったのか、オットーは右手を引く力を利用して時計回りに身体を回転。
遠心力を利用し、蹴り離すような要領で回し蹴りを放った。
当然、リーゼアリアは後ろへと身を逸らして蹴りを回避する。
「IS――――『ツインブレイズ』」
赤い双剣を構えたディードが、瞬間加速による死角への回り込みを行う。
リーゼアリアの背後、戦闘機人の少女が身体を逸らすように両手の剣を振り上げた状態でディードが出現した。
それを眼で追えてはいるものの、リーゼアリアは特に防御の動きを見せなかった。
何故ならば、必要が無いからだ。
「へぇ、面白い戦い方するね」
「……!」
ディードの瞳だけが急速に後方を見る、そこにはリーゼアリアに良く似たショートヘアの女がいた。
リーゼロッテ、リーゼ姉妹の近接戦闘担当にして――――イオスとクロノに体術を教えた師である。
その存在を知覚した瞬間、ディードは再度の瞬間加速を行った。
スローモーションの世界の中、ディードだけが通常の速度で動ける。
「え……?」
だからこそ、加速が終わった時点でディードは素直な気持ちを吐露した。
ディードの立ち位置は、オットーとリーゼアリアの位置から人間1人分のスペースを挟んだ所だ。
つまり、彼女としてはリーゼロッテの背後に回ったつもりだったのである。
だが、リーゼロッテはさらにその後ろにいた。
「でも、私の方が上手いんだなぁ……お・嬢・さぁ……んっっ!!」
「ぐっ……!?」
咄嗟に身体を捻って横向きにし、胸の前で双剣を十字にクロスして防いだ。
交差した剣の中央、そこから来るリーゼロッテの蹴りの圧力に眉を顰める。
しかもその衝撃を殺しきれずに、ディードの身体は壁へとめり込んだ。
小さなクレーター状に壁がヘコみ、常人であれば昏倒するような衝撃がディードの身体を抜ける。
蹴りを放ったリーゼロッテも、それ以上の追撃は行わない。
さらに後方に跳躍して消え、そんな彼女の前にリーゼアリアが短距離転移で姿を現す。
そして両手を掲げて強固な障壁を張れば、そこに緑の幾条もの細い光線が殺到したのである。
一瞬、圧力に押されるようにリーゼアリアの靴底が数ミリ後退する。
それを見たリーゼロッテは、床に膝をついた体勢で傍らの姉妹を見上げ。
「大丈夫?」
「ええ、この攻撃は凌げる……ただ」
ちら、と自分達の後方に視線を投げて……戻し、頬に冷たい汗を一筋流しながら、リーゼアリアが言う。
「なるべく、早く終わらせないと」
「うん……」
防御の輝きに目を細めながら、リーゼロッテも深刻な顔で頷く。
実際、実力的にはリーゼ姉妹はオットー・ディードに勝ることはあっても劣ることは無い。
しかしそれは、彼女達が何の憂いも無く全力で戦える場合の話だ。
「……中途半端に強いって言うのは、面倒だよ全く」
拳を握り締めて、そう呟く。
攻撃と防御が終われば、そこには体勢を整えたオットーとディードがいる。
それを認めたリーゼ姉妹は、表情を引き締めて再び攻勢に出た。
◆ ◆ ◆
「「うおおおおおおおおおっっ!!」」
青と金の道が交差し、激突を繰り返す。
互いの右拳が轟音と共に重なり、ぶつかり合った魔力の余波が衝撃となって互いの髪を揺らす。
拳の甲同士が互いのパーツを削りながら擦過し、すれ違い様に互いの道を蹴って再び交差する。
繰り出した拳は互いの顔面に直撃した、生々しい鈍い音が互いの耳朶と脳を打つ。
拳の形に歪む頬、拳を伝わってくる相手の頬骨が軋む感触、そして互いに相手の一撃の衝撃で下がる。
が、同時に互いのローラーブレードが回転を強めて加速、前進を強行する。
三度の交差、赤の拳を身を回すことで擦り抜けかわした青が逆に右拳を前に出した。
「いやああああああああぁっっ!!」
「――――くぉんのぉっ!」
刹那、ノーヴェは顎に衝撃を覚えた。
脳を揺らす――「生の」脳だ――一撃に、比喩でなく目の前で火花が散った。
クラクラする視界の中、ノーヴェが意識を持っていかれずにすんだのは覚悟していたからだ。
仰向けになるような形で身体を倒し、自分から顎を晒しに行けば覚悟も出来る。
そしてその代わりに、彼女はカウンターの一撃をスバルに与えることに成功していた。
ぐぷっ……と、およそ人体から出てはいけない音がスバルの口から漏れる。
その身は左に向けてくの字に折れている、右の脇腹にはノーヴェの蹴りが突き刺さっていた。
肺にまで抜けてくる衝撃に、さしもの頑丈なスバルも表情を苦悶に染める。
右拳がノーヴェへの攻撃に使用されていたため、逆にガラ空きだったのだ。
「~~~~っ!?」
<Are you all right,buddy?>
「だ、大丈夫……!」
一旦互いに距離を取り、脇腹を押さえながら『ウイングロード』上を走りながら相棒に応じる。
今ほど頑丈な自分の身体を有難く思ったことは無い、普通の人間ならば今のノーヴェの一撃で内臓が潰れている。
まぁ、それはノーヴェにも言えることだろうが。
「IS発動、『スローターアームズ』」
その時、周囲から何かが迫る気配にスバルは顔を上げた。
見れば、桜色の輝きを放つブーメランが4つ、別々の方向から自分に迫っているのが見えた。
肺を打たれたせいで息の乱れはまだ戻っていない、高速での回避運動にはやや難がある。
……もちろん、相手がスバルの都合を考えてくれるはずも無いが。
<They are moving in our direction>
「わかってる――――『マッハキャリバー』!」
<All right buddy>
クリスタルを輝かせて『マッハキャリバー』が応答する、するとAI制御で新たな『ウイングロード』が形成された。
螺旋状に敷かれたそれに、加速状態でスバルが突入する。
不規則な機動で攻撃を振り切ろうとする魂胆だったが、一つ想定が外れた。
セッテの固有武装であるブーメランには、バリアブレイク効果が付与されていたのである。
つまりこの場合、形成されていた『ウイングロード』の道を砕いた。
ガラスの砕けるような音が響き、青い破片が散り散りに吹き飛ぶ。
「げ……!」
<Wing road!>
空中でバランスを崩すスバルと、新たな『ウイングロード』で補助しようとする『マッハキャリバー』。
しかしそれよりも速く、戻ってきたブーメランが襲い掛かってくる。
「『クロスファイア」
そしてそれを、逆に下から飛来した無数のオレンジの弾丸が撃ち抜いて潰す。
「シュ――――ト』ッッ!!」
十数発の魔力弾が滑らかなカーブを繰り返しながらブーメランを追い、撃ち落としていく様は壮観だった。
その間にスバルは危機を脱し、体勢を整えることが出来た。
彼女は眼下で駆けているパートナーの少女をちらりと見ると、口の端に笑みを浮かべて。
『ありがとー、ティア!』
『まったく、世話が焼けるわね……!』
唯一空戦技能を持たないが故に、ティアナはなかなか辛そうだった。
しかしそんなことはおくびにも出さずに、彼女は自分に出来ることを重ねていく。
中距離射撃、なのはに教えられたそれを武器として。
(なのはさんの魔法は、私の中にちゃんと活きてる……お兄ちゃんの魔法だって!)
今度は自分を標的にしたらしいセッテ、自分に向かってくるブーメランの群れに『クロスミラージュ』の銃口を向ける。
(……どこかの査察官に、笑われない程度には……!)
そう思い、思うことで、ティアナは引き金を引く指先に力を添えた。
◆ ◆ ◆
無尽蔵とも思える金属製ナイフを、小さな氷の剣の群れが迎え撃つ。
中間で衝突したそれはオレンジ色の爆発と共に風を生み、直後に起こった衝撃波が一気に吹き飛ばした。
その衝撃を活用して跳躍し、身体を回転させながらチンクが着地する。
しかし止まることなく、視線を後ろへ下げると同時に身を屈める。
そのすぐ頭上を、空気を切る凄まじい音を立てながら蹴りが通過していく。
イオスの蹴りだ、屈んだまま後ろを向き構えたナイフを投げようとする。
「……っ!」
しかしそこで、チンクは顔色を変える。
自分の身体が、締め付けられる感覚に陥ったためだ。
視線を下げれば、そこには透明な流水の鎖がある。
水で出来た連環が、チンクの小さな身体を締め上げている。
(厄介な……!)
物理的な鎖であれば、聴覚と視覚で察知することも可能だ。
だが今の鎖、『テミス』の第2形態にはそれが無い。
鋼ではないから音もなく、透明であるから周囲に溶け込んで見えない。
戦闘機人の瞳の中に備わっている解析システムにも、何故か引っかからないのだ。
しかし逆に、チンクにとっては好都合な点もあった。
それは無機物の鋼ではなく、イオスの魔力で形成される流水だからこその弱点だ。
その弱点の結果、チンクは流水の戒めから逃れることが出来る。
「うぉっ……!」
「残念だったな……!」
ぱしゃっ、とただの水のように散った鎖に驚くイオスに、チンクは指で挟んだナイフを投げる。
至近距離なのでチンクも巻き込まれるが、誰かが自分の足を掴む感触を感じて安心する。
セインに引かれた彼女は、次の一瞬には床の下にいた。
「恩に着るぞ、セイン」
「へっへー」
爆発の衝撃を床越しに――なかなか出来る経験ではない――感じながら、チンクは自分を抱くすぐ下の「妹」に礼を言った。
ちなみに、イオスの水の呪縛から逃れられた理由は彼女のコートにある。
物理的な鎖はともかく、魔力の通りを停止すればただの水になる流水の鎖には効果がある。
「いっつつつ……」
一方で、地上で爆発の中から飛び出したイオスは、黒い煙の端を払うようにバリアジャケットの肩を手で払う。
これは予想外だった、次からは注意せねばなるまい。
「つーかアイツ、死角が無くてどうしたら良いかわからなくなるなオイ」
無機物で攻めれば爆破され、流水で攻めれば無効化される。
その上広域殲滅に優れたナイフ投擲による連続爆破、明らかに戦闘機人の中でも戦闘経験に優れた存在だ。
しかもここに来て、イオスは戦闘機人と人間の決定的な違いについて考えるようになっていた。
(正直な所、こいつら撒いて先に進めればそれが一番なんだが……!)
それが出来ないから、イオスとしては非常に困っている。
流水の鎖の存在で幾分か天秤を傾けたとは言え、それでも決定打にならないことは今証明された。
しかし、そうなってくると……。
◆ ◆ ◆
――――このままでは、自分達は勝てないとリインは思う。
融合機である自分はともかく、消耗戦になればイオスはチンクやウェンディには勝てないからだ。
実は、イオスは同格以上との戦いにおいては勝率が高い方ではない。
なのはやはやてのような長距離砲が相手になれば致命的だし、フェイトやシグナムのような超近距離戦の専門家が相手ではもはやついていけない。
だから彼は、常に勝利できる条件を――数的優位など――整えて戦いに臨む。
勝利以外に場を切り抜ける方法があればそうするし、むしろ自分個人の勝利などには関心が無い。
だから逆に、押し通らなければならない今のような状況には強くない。
(それでも何とかなる時は、一緒に戦う人の存在が大きい時です……!)
消耗戦が、一番不味い。
リインが見る限り、今の所戦況は互角と言って良い。
同程度のダメージを与え合っている状況だ、それはつまりイオス達に不利だと言える。
イオスにどれだけ力があろうとも、彼はただの人間だからだ。
ギンガやスバル、ましてやチンクやウェンディと比べて、頑丈さで劣るからだ。
耐久力、その一点においてイオスは戦闘機人の少女達には絶対的に及ばない。
体力も同様だ、生まれた時点でのスペックが違い過ぎる。
「捕らえよ、凍てつく足枷!」
この空間には今、イオスの魔力を受けた水分が多分にある。
それ故に、氷結の属性を持つリインも力を十分に発揮することが出来る。
(イオスさんは、私が護るです……はやてちゃんと、約束したですから!)
小さな胸に渦巻くのは決意だ、自身の中に記録された術式を、自分自身のデバイスとしての回路を使用して発動させる。
何故かいつにも増して回路が活性化しているのは、それだけ気合いが乗っていると言うことだろうか。
熱に浮かされるかのような心地で魔法を発動し、詠唱を完成させるリイン。
一方で、詠唱を耳にした側は表情を嫌そうに顰めた。
(うえっ、また寒そうな魔法っスねー……)
ウェンディは、寒いのは嫌いだ。
暑いのが得意かと問われればそうでも無いが、いずれにせよ好きではない。
特にこの戦闘に入ってからというもの、あの小さな融合機には邪魔されてばかりだ。
相性が悪いのかもしれない、精密動作などを得意とする相手は苦手なウェンディだった。
絶えず『エリアルボード』を噴かして空を飛びつつ、ロックされないように身を振らせる。
しかしリインはそれを追える、戦闘機人に勝るとも劣らない技術の英知である彼女には。
預言者が神から言葉を賜るように、彼女の左手に持たれた青い装丁の本――『蒼天の書』から術式をダウンロードし、使用する。
「『
(―――――――ッ!?)
そのダウンロードの段階で、異常が発生した。
視界が強制的にシャットダウンされ、ブラックアウトした後にミッド語……ではなく、古代ベルカ語での警告文がリインの意識野に羅列される。
発動しかけた魔法は霧散し、標的のウェンディは表情を怪訝に染めた。
(何……っ?)
リイン自身が混乱する、何が起こったのかその場では判断できない。
確かなのは彼女の魔法がキャンセルされ、宙に浮いていた彼女の身から浮遊の力が消えたことだ。
意識を混濁させたまま、身体が傾く。
「何だかわかんねぇっスけど……チャンスっスねぇ!」
笑みを浮かべたウェンディは急上昇し、ボードを傾けて砲撃体勢に入った。
体内のシステムを使って照準を済ませ、リインと異なり停止することなく砲撃を放つ。
濃いピンクの砲弾が、まるで躊躇されることなく放たれた。
砲撃の衝撃で後ろへと押し出される中で、ウェンディは笑みを浮かべた。
「ま、庇うとは思ってたっスけどねー♪」
楽しげに言うその視線の向こう、そこには頭を下にして落下するリインと。
その彼女の傍に転移し、片腕で抱き込んで庇ったイオスの姿があった。
間に合わせるために行った転移、その直後では鎖の防御も間に合わない。
ウェンディの砲撃が直撃し、イオスはリインを抱えたまま無様に吹き飛ばされた。
上から放たれた衝撃を殺すことも出来ず、背中から床に激突する。
轟音と同時に起こるのは、床がクレーター状に砕ける独特の衝撃だ。
背骨を駆け抜ける衝撃に息を詰め、吐いた後、イオスは何とか身を起こした。
彼の背中には水の鎖があり、どうやら落下の瞬間ネット代わりになったらしいことがわかった。
「……っ、くそ。リイン、どうした!?」
「……………………」
左手の中に寝かせたリインは、イオスの声に反応しなかった。
背骨と筋肉の軋む嫌な感触に顔を顰めていたイオスは、さらに表情を歪めた。
光の無い瞳に半開きの唇、リインの様子は明らかにおかしかった。
デバイスマイスターでは無いイオスにはわからないが、何らかの深刻な不具合かもしれない。
この状況では、まさに最悪だ。
「で、またこうなるわけね……!」
ギンガに続き2度目の状況、強がりの笑みを唇に添えて膝をつく。
上を見ればそこには両手を上げたチンクが跳躍しており、空間に出現させた100本以上のナイフの切っ先がイオス達の方を向いていた。
――――あれは不味い、と判断して右手を動かそうとした、が。
その右腕を、床下から伸びた2本の手が掴んで止めていた。
誰の手かなど言うまでもない、そしてそちらに一瞬でも意識をとられれば負けなのだ。
振り仰いだ次の刹那、無数のナイフが放たれる。
「『オーバーデトネイション』!!」
チンクの持つ技術の中で最も破壊力のあるそれが、イオスに向かって殺到した。
明らかに、致命的なタイミングと威力。
同時に腕を掴んでいた手が消える。
鎖のクリスタル部を投げ、流水の魔力で繋いだそれを宙に舞わせる。
(この程度で……)
この程度で、諦めるわけが無かった。
根を上げもしないしへこたれもしない、この程度の修羅場はいくつも潜ってきたのだ。
それを今、諦める理由にはならない。
諦めるくらいなら、10年前のあの時にとっくに諦めているのだ。
10年前、『闇の書』の中に取り込まれたあの時……あの女の言うように、夢の中でまどろんでいれば良かったのだ。
あの夢の世界を選ばなかった彼が、ここで屈するわけにはいかない。
不屈と再起、その精神でもって『闇の書』に対したイオスが。
「守れ――――『テミス』!」
<Chain protection>
透明な鎖が宙を舞うのと、爆発が連続で巻き起こるのはほぼ同時だった。
最初こそナイフを鎖で弾くことは不可能でなかったが、爆発によって鎖はたわみ、弾かれてしまう。
しかもナイフの中に爆発物に変化していない物が含まれており、防御を抜けてイオスの身体を掠めるのだった。
「ぐ、ぉおおおおおおおおっっ!!」
流体であり、以前にも増したしなやかさでもってナイフを弾き返していく『テミス』の鎖。
しかし先にも述べたように爆風には弱い、広がった隙間から無数のナイフがイオスの周囲に降り注ぐ。
断続的な金属音、足元に刺さったナイフの群れが黄色の輝きに包まれて。
爆発。
ほとんど同時に起こった爆発は轟音と衝撃を生み、オレンジ色の閃光がイオスを包んで隠した。
そこにチンクの放った後続のナイフが続き、断続的な爆発が続いた。
さらに、その様子を空中で伺っていたウェンディがボードを急降下させる。
その先端に濃いピンクのエネルギーを収束させつつ、床スレスレの低空飛行へと進む。
「これで――――」
赤黒い煙が晴れて、中からゆらりと現れたイオスに向けて疾走する。
リインがどうなっているかは不明だが、イオスはかなりのダメージを受けているようだ。
バリアジャケットを朱色に染めて、意識があるのかも判然としない。
「トォドォメええええええええええええっっ!!」
ぐるんっ、とボードを一度だけ螺旋状に回転させて。
まるでドリルか何かのように、ウェンディがイオスに突撃した。
轟音、そして衝撃。
それから……ガラスが砕けるような音が、響き渡った。
そして、ここでほんの少しだけ時間を遡る。
ほんの数分間だけ、時間が遡る。
それは、この場での出来事ではなく……外の出来事だ。
リイン……リインフォース・ツヴァイがその機能を一時的に「停止」させた原因。
そして、今後の戦況に決定的に影響を与えるだろう原因。
<――――Reboot>
それが起こった瞬間にまで、時間を遡る。
現場は、遥かな次元の海に浮かぶ場所――――。
◆ ◆ ◆
愛弟子が同じような悩みに陥っているとは露とも知らず、リーゼロッテは自分の攻撃の手応えの無さに舌打ちしそうになった。
疲れ知らずのオットーとディードは、徐々にだが学習し、自分達の魔法に対応しつつある。
特にオットーが曲者だ、なかなか拘束の機会を与えてこない。
しかも。
「……全力じゃない」
気付きやがった、ディードと拳で切り結びながらリーゼロッテは今度は確実に舌打ちした。
そしてオットーの指摘は正しい、今、リーゼ姉妹は全力では戦っていない。
全力全開で戦えているのならば、すでに決着しているだろう。
それだけの実力差があると、プライドで自分を縛らない戦闘機人の彼女達は気付いている。
だが、リーゼ姉妹が全力で戦えていない今ならば別だ。
いや、そもそもリーゼ姉妹はかつて程の力を使えないのである。
これは、同じミッド式の契約に縛られているアルフあたりなら納得する理屈だろう。
――――魔力供給元の、主の衰退である。
(お父様はもう高齢だ、負担をかければ寿命が……!)
そもそも、使い魔の強さは主の強さに比例する。
10年前の時点で、リーゼ姉妹はその気になれば当時すでにAAAランクの魔導師であったフェイト・なのはのコンビを一蹴することが出来ていた。
守護騎士を一度に相手にしても譲ることは無かったし、敗れたとはいえ弟子2人にも勝るとも劣らない実力を発揮していた。
つまり、2人の主であるギル・グレアムは2人よりも弱い魔導師の全てより強かったのだ。
もしクロノやイオスが実力行使でグレアムを止めようとしたならば、それを振り切って計画を実行に移せる程度には。
……しかし、それももはや昔の話だ。
肉体的な老いが進み、身体も思うように動かせなくなったグレアムからの魔力供給は……。
「事情はわからない、けれど」
「ちぃ……っ!」
「正面からなら、私達の方が力が強い」
リーゼロッテの蹴りを回避し、2度跳躍、ディードは双剣を解除しつつオットーの隣に立った。
そのオットーは、右腕をリーゼロッテに、そして彼女の後ろへと向けて。
「最大出力、『レイストーム』」
今までの比では無いほどの分厚い緑の閃光を、その手から放った。
当然、リーゼアリアがリーゼロッテの前に出て防御に入る。
両手で掲げた精緻な防御壁は、六課隊舎を守ったシャマルのそれと比べても遜色ない。
5つの緑の光線は束となってリーゼアリアを襲う、彼女はそれを後ろ以外の全ての方向に裂いて逸らすことで防御した。
左右と斜め後ろ、真後ろにだけは死んでも通すつもりがなかった。
破壊音と破砕音が響き、本局施設が熱線に解かされて崩れていく。
区画の結合部まで揺るがすその攻撃は、まさに凶悪だった。
「――――よし、防い」
だ、とリーゼアリアが言葉を締める瞬間、彼女は見た。
視線だけが動いてそれを追う、『レイストーム』とリーゼアリアの防御障壁が砕けた一瞬で、ディードが投げたそれを見る。
それは、赤く輝く小さなクリスタルだった。
赤い光を放つそれは、放物線を描きながらリーゼアリアの後ろへと放られる。
何か特殊な術式が込められているらしいそれは、酷く魔力の圧力に弱いようだった。
そしてそれを、彼女は知っている。
――――『レリック』だ。
「こ、の……ぉおおおおおおおおおおおおっっ!!」
叫び、リーゼロッテが迷わず飛びかかった。
リーゼアリアは術後硬直で動けない、魔力封印などまるで得意ではないが仕方なかった。
今にも火を噴きそうなそれを、力任せに掴もうとした瞬間。
甲高い音を立てて、槍型のデバイスが『レリック』に突き立った。
前方から飛来してきたらしいそれは、封印術式が込められていたらしい。
『レリック』周囲に小さな連環魔方陣が連続展開して収束する、込められた魔力にリーゼロッテは覚えがあった。
口元に笑みを浮かべつつも、同時に理解する……足りないと。
(――――お父様からの供給は受けない、自前で何とかする!)
掴んで抱き締め、封印術式に己の持つ全魔力を供給する。
赤いクリスタルを抱き締めた瞬間、肌の焼ける感触に笑みを深くする。
服が溶け、肌が焼けて、本局全てを巻き込まんとする光が視界を埋め尽くす中で。
それでもリーゼロッテは、笑っていた。
◆ ◆ ◆
――――本局全体が、一度激しく振動した。
それはドックの次元航行艦にまで伝わる振動で、次元の海に本局施設を固定している機械術式がコンマ数秒とは言え警告を発する程の物だった。
しかし衝撃に比して、規模は極めて小さな物だった。
「ど……どうなりましたぁ!?」
「――――わからないわ」
『レリック』の爆心地に最も近く、かつ壁や天井、床や柱が何もかも吹っ飛んだ空間。
生き残っている一部のスプリンクラーが消火のために降り注ぐ中、リンディは煤に汚れた頬を手の甲で拭いながら立ち上がった。
そこには、もはや近未来的な様式美に溢れた通路も部屋も存在しない。
ただ、爆心地を中心に何もかもが吹き飛んでしまった広い空間だ。
実際、彼女自身も鉄製の瓦礫を押しのけながら立ち上がっているのである。
他の負傷者の存在を確認するルイーズの声を聞きつつ、リンディは周囲の様子を窺った。
(咄嗟に、ルイーズさんのデバイスに封印術式を込めて投擲して貰ったのだけれど……何とか、本局消滅の憂き目だけは避けられたようね)
しかし、被害は甚大だった。
最低、第六技術部はもはや使用できない。
何しろ天井と床の消滅で、3階層上と2階層下の空間と繋がってしまっているのだから。
そこで、リンディは不意に気が付いた。
気付きたくはなかったが、気付かなければならないことに気がついた。
……氷が、無い。
「あ……」
第六技術部のほぼ半分を占めていた封印ルーム、その部屋を多い尽くしていた氷が、見えない。
しかしそこは、押さえ込んだとはいえ『レリック』規模の魔力爆発を至近で受けた場所だ。
凍結による永久封印とは言え、ロストロギア級の爆発を受ければ。
「……あれ、は……」
――――まさか、再び見ることになるとは。
そう思い、生唾を飲み込みながらリンディは爆心地の縁に立った。
2階層下までがぱっくりと見えているその空間に足を踏み入れ、頬を伝う汗をそのままに目の前の事実をただ見つめている。
爆心地の空間の中央、元は封印ルームが存在していただろうその場所を。
そこには、妖しい紫色の輝きが満ちようとしていた。
発光源は、たった一冊の本だ。
茶色の装丁に金の剣十字が装飾された特徴的な本だ、リンディにとっては忘れられるはずも無い。
それが目の前で、奇しくも10年と言ういつも通りの時間で……封印が。
「解ける……!?」
呟いたその時、気付く。
本が、徐々にだが開いていくのだ。
1ミリ2ミリと、徐々に……ゆっくりと、しかし確実に。
氷の戒めを解かれたその本が、開かれようとしていることに気付いて。
「――――っ!」
ばっ、と、リンディは即座に胸の前で腕を交差して構えた。
背中と腰から2対4枚の妖精のような羽根が閃き、交差した腕の間に沈む瞳に緑の輝きが宿る。
させるわけにはいかない。
それを、させるわけにはいかない。
彼女の息子達が10年させなかったそれを、今ここでさせるわけにはいかない。
自殺志願の趣味は無いが、しかしそれでも、身を挺してでも。
封印できないまでも、押さえ込んで見せる。
リンディがそう決意した、その刹那。
「――――ありがとう、母さん」
立ち止まる母の横を、黒の息子が駆け抜けて行った。
それは、まるで人生のようだった。
黒の衣装に身を包んだクロノがリンディやルイーズ達を抜き去り、跳躍し、開かれようとしている本に向けて真白き杖を突きつけた。
何をするつもりなのか、誰の目から見ても明らかだった。
再封印だ、それしかない。
一度出来た封印だ、二度出来ないわけが無い。
しかし、それをさせてくれる程に相手は温くなかった。
「――――『ツインブレイズ』!」
クロノの背後に茶髪のロングヘアの少女が出現した、その手には当然のように赤の双剣を握っている。
身を逸らし、振り下ろそうとするディードにクロノは成す術が無かった。
しかし、弟子への攻撃を許す程に彼の師達は温くなかった。
「オ……ルァアッッ!!」
濁点が付きそうな程の低い声で、横からディードに激突した者がいる。
眦を決して飛び込み、ディードの腕と腰を掴んだのはリーゼロッテだった。
『レリック』の爆発を押さえ込んだ彼女は、上半身の衣服をほとんど失い、かつ首元から腹部にかけての広い範囲に深刻な火傷を負っている様子だった。
しかしその力はまだ衰えず、攻撃のために静止したディードに身体ごとぶつかって共に吹き飛んだ。
2人の身体は絡まり合いながら、ちょうどリンディ達の下あたりの壁に激突した。
だが敵はディードだけでは無く、もう1人いる。
「『レイストーム』……!」
オットーだ、彼女は2階層下の床の上からクロノを狙っていた。
両手を掲げて放とうとするのは緑の光線、掌の中でエネルギーの塊がたわむ。
それを、再びリーゼアリアが止めた。
彼女はリーゼロッテとは反対に背中に火傷を負っていたが、構う様子も無くオットーの『レイストーム』を止めるために両手の掌をオットーの掌に押し当てた。
乾いた音が響き、エネルギーの余波が雷鳴のように空気を奮わせた。
それはリーゼアリアの両腕をも伝わり、赤い血と共に黒い服の袖を吹き飛ばした。
唇を噛んで悲鳴を殺し、代わりに口をついて出た言葉は姉妹と同じ。
「「やれぇ――――――――ッッ!!」」
その間に詠唱を終えたクロノは、言葉ではそれに応じない。
代わりに幼馴染の持つデバイスと対を成す白き杖を掲げ、叫ぶのだ。
「凍てつけぇっ!!」
<Eternal coffin>
広域凍結魔法、リンディが退避を命令すると同時にそれは放たれた。
絶対零度の冷たい空気が輝きと共に放たれ、収束して弾け飛ぶ。
それは何もかもを巻き込みながら拡大し、威力を増し、抱き込んだ全てを凍結させて全ての活動を停止させた。
そして、再び封印は成された。
しかし実は、凍結の時点ではまだ完全には封印は解けていなかったのである。
まどろみのような、朝、眠りから覚める直前、夢が終わるか終わらないかのあの状態だった。
時間にして、僅か12秒だ。
しかし、この12秒が。
――――地上の戦況に決定的な影響を与えたことを、その場にいる者達は誰一人として気付いていなかった。
◆ ◆ ◆
――――そして、時間と場所は再びミッドチルダ東部の地下へと戻る。
遠く本局の戦況の影響をモロに受けたのは、イオスへのトドメに固執したウェンディだった。
彼女は、固有武装『エリアルボード』の突撃によって彼を轢き潰そうとしたのだが……。
「な……?」
一瞬、彼女には何が起こったかわからなかった。
自分があまり頭の良い方では無い――姉妹間での記憶共有はともかく――と自覚しているウェンディだが、しかしいくらなんでも自分が攻撃すべき相手を間違えるようなことはしない。
と言うか、間違えることができる状況ではないだろう。
「あ、アンタは……!」
では、いったい何が言いたいのかと言うと……今、ウェンディの前に別の人間が立っていると言うことだ。
そんなまさかと思うかもしれないが、確かなことだ。
いけ好かない水色の髪の魔導師の青年にトドメを刺しに来たはずなのに、今、片手を上げて自分のボードの先端を押さえているのはまるで別人だったのだ。
あり得ない、しかし目の前の事実は消えない。
性別も、身長も、雰囲気も何もかも――――存在感すらも。
イオスがいたはずのその場所に、それはいたのだ。
彼とはまるで似ても似つかない、そんな人物が。
「いったい」
腰を過ぎる程に長い銀の髪、黒のショートワンピースから覗く肌は雪のように白い。
細い手足に位置の高い腰、豊かな胸元を黒のインナーが覆う。
首に巻かれた革のチョーカー、左右で形と長さが異なる黒手袋とソックス、そしてショートブーツ、加えて腰は金の飾りベルトで締められていた。
剥き出しの肩を覆う黒の上着と足を見せるタイプのガードスカート、金のラインが飾られたそれは神秘ささえも感じる。
頬と腕の肌に赤の幾何学的なライン、身体を彩る赤のリボンベルト、何よりも特徴的なのは耳と背中を守る3対6枚の黒き翼。
そんな女が、目を閉じ身体を横に向け、片手でウェンディの渾身の一撃を止めていた。
「……何者っスか」
ウェンディの言葉に、その女は何も答えなかった。
ただ片手を掲げ、直接触れてもいないのにウェンディのボードを止めている。
さも当然のように、何でも無い様子で止めている。
気のせいでなければ、ボードの先端が凍り始めているようにも見えた。
そして存在を問いかけるウェンディに、女は初めて瞳を開けて見せた。
射抜くようなその視線に、ウェンディは息を呑んだ。
胸を射抜くような、深く昏い、闇の底を見てきたかのような瞳に怯んだ。
それは、彼女にとって初めての経験だった。
女が開き、ウェンディを見つめたその瞳は……。
――――何万もの人間の血を飲み干したかのように、真紅の輝きを放っていた。
◆ ◆ ◆
レジアス・ゲイズは、苛立っていた。
深夜にも関わらず彼は起きており、執務室から出ることなく机に肘をついている。
その表情は、極めて厳しかった。
眉間にいった皺は深い、額に滲んだ汗は玉の雫を作り、見開かれた目は充血していた。
まるで、何かに怯えているように。
そんな地上のトップの様子を、オーリスは静かに見つめていた。
(……父さん)
局員になってからは、そう呼んだことは無い。
オーリスのファミリーネームは、ゲイズ。
彼女は、今自分に背中を見せている男の実の娘である。
地上の守護者として奮闘する父に憧れ、父の助けに入ったこの世界。
しかしいざ入ってしまえば、子供の頃に抱いた憧れの感情はすぐに薄れた。
それでも、助けになりたいと言う気持ちに変わりは無かった。
だから、オーリスは今もここにいる。
「……ゼスト……」
父の呟きに、オーリスは目を伏せる。
その名前は知っている、父の昔からの友人の名だ。
だが、今はもう失われてしまった名前だ。
父が、そのことをずっと悔やんでいたことは知っている。
そしてそのために、止まれなくなってしまっていることも。
自分には、それを止めることはできない。
止められない。
だから、と、心のどこかで思っていることがある……。
「……誰でしょうか?」
「どうした、オーリス」
ふと気が付いて、オーリスは手元に表示枠を開いた。
本局からの通信要請、それを見て眉を顰める。
時間は別に問題ではない、レジアスは時間に関わらず要件があれば通信にも訪問にも応じる。
そして今オーリスの手元の表示枠には、正規の手順で通信を求めてきた相手の映像と、データバンクに登録されたプロフィールを確認する。
そして、オーリスは固まってしまった。
そこに記されている名前に、身を固くしてしまった。
「どうした、オーリス」
繰り返して尋ねてきたレジアスの声にはっとして、オーリスは居住まいを正した。
それでもやや逡巡する、それだけの人物が尋ねて来たからだ。
しかし、彼女には報告の義務がある。
故に、彼女は告げた。
「中将、本局の――――」
「本局だと?」
今一番聞きたくない単語に、レジアスの眉が動く。
しかし今度はそれに臆せずに、オーリスは言った。
「……ギル・グレアム提督が、中将に通信会談を求めてきています。内容は……現在の事態、その全てについて」
最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
今回は、物凄く梃子摺りましたが……こう、違う場所でほぼ同時に出る変化がリンクする、みたいな話を書きたかったのです。
しかしやってみると、いや難しかった。
今の私には、これが精一杯、それでも楽しんで頂けたらなと思います。
本編はあと少しで終わりますが、その後しばらくほのぼのな話を書いていきたいと思います。
では、またお会いしましょう。