ふぅ……と息を吐いて、フェイトはソファに身を沈めた。
柔らかなソファに小さな身体を――それでも、幾分か成長した身体を――預けて、疲れたように天井を見上げる。
もう見慣れたそこは、海鳴市のハラオウン家だった。
海鳴市内の高級マンション、フェイトの今の家だ。
なのはの家にもほど近く、彼女自身も気に入っている。
ここに暮らし始めて、もうすぐ1年半が経つだろうか。
私立聖祥学園の白い制服のリボンを解くこともせず、そんなことを考える。
「おかえり、フェイト……フェイト? どうしたんだい、具合でも悪いのかい?」
「……ううん、何でも無いよアルフ。ちょっと、疲れちゃっただけ」
「だから、今日くらい休めば良いのにって言ったのに……」
尻尾を振りながら彼女の足に縋りついて来たのは、赤い毛並みの子犬だ。
フェイトの使い魔であるアルフの、魔力消費の節約を実現させた子犬フォームだった。
ソファから軽く身を起して、フェイトは細い指先を赤い毛並みの中に埋もれさせる。
「大丈夫だよ、アルフは優しいね」
そう言って撫でても、アルフは心配そうな顔のままだ。
数日がかりの仕事から昼に戻って来て、そのまま学校に行ったフェイトを心配しているのだろう。
5年生になっても心配かけてばかりだと、フェイトは苦笑する。
午後の授業から登校してきたフェイトを、なのはやアリサ達も物凄く心配してくれた。
疲れていないかとか、無理してないかとか。
そして案の定、微熱気味だったことがバレてなのはに怒られてしまった。
「本当にちょっと、疲れちゃっただけだから。皆には言わないでね、心配かけちゃうから……」
「フェイト……でも皆、心配はしても、迷惑だとは思わないはずだよ?」
「それでも、だよ」
皆、と言うのはもちろん同居人たるハラオウン家の面々のことだ。
フェイトの学校通いに合わせているのか、皆がこの家に住んでいる。
それを申し訳ないと思いつつも、誰も何も言わないので甘えているのが現状だ。
もう1年半、一緒に住まわせて貰って、良くして貰って、何不自由なく生活させて貰って。
公私ともに、お世話になりっぱなしである。
管理局からお給料も貰っているし、せめて食費くらいは入れようとしたこともあるが……申し出る度に、困った顔で断られてしまうのだ。
「リンディさんやクロノ達に、心配、かけたくないんだ」
「フェイト……うーん、そんな遠慮しなくても良いと思うんだけど、今更」
「遠慮って言うか……まぁ、ね」
1年と少し前、『闇の書』事件のゴタゴタが一段落した頃だろうか。
クロノとイオス、そしてフェイトの実母であるプレシアのお墓参りに皆で行って、その足でイオスの実母サルヴィアのお見舞いに行った時があった。
そしてその日の夜に、リンディがある申し出をフェイトにしたのだ。
『フェイトさんが良かったらなんだけど……うちの子になってもらえないかしら?』
つまり、養子縁組の誘いだ。
現在、フェイトの保護責任者はリンディだ。
事実上の保護者であり、実際、現在の状況を考えればほぼフェイトはハラオウン家の一員と言っても良いはずだった。
だが現実には、フェイトは未だリンディの申し出に対し明確な答えを返していない。
にも関わらず、ハラオウン家に未だに厄介になっているのである。
フェイトは、自分の図々しさに呆れすら抱いているのだった。
(……受けた方が良いって、わかってる。でも……)
その決断が、出来ない。
卑怯者だと、そう思う。
相手の好意に甘えて、自分では何も決断していないのだから。
リンディの申し出を素直に受けられない理由は、いくつかある。
第一に、実母プレシアのことだ。
プレシア以外の人間を母と呼べるのか、フェイトには自信が無かった。
それに、もし自分が正式にハラオウン家に入ってしまったら。
(……今のクロノ達の関係を、壊しちゃうんじゃ無いかって)
それが、怖かった。
今はまがりなりにも安定しているハラオウン家の形を、自分が入ることで壊してしまう。
考え過ぎだとは思うが、しかし怖いのも事実で……。
「あ~……久々に超寝たぜ……お?」
「あ……っ」
その時、リビングの扉が開いて――部屋着らしいラフな格好の水色の髪の少年が入って来た。
考えていたことが後ろ暗いことだったからか、フェイトがびっくりしたような顔で少年を見る。
少年……イオスは、目を丸くして自分を見るフェイトに対して、汗を一滴流して見せて。
「……え、何か不味かったですかね……?」
何故か敬語で、そんなことを言ったのだった。
直後、フェイトが両手と顔を横に振って「大丈夫」と連呼したのは言うまでも無い。
◆ ◆ ◆
イオスは思う、格好が不味かったのだろうかと。
黒のパーカーとトレーニングパンツ、寝間着代わりに使っているのだが……11歳の少女の前で着るには少し配慮が足りなかっただろうか。
いやしかし、待ってほしいとイオスは思う。
ここは家だ、家の中でくらい好きな格好をさせてほしい。
それこそ全裸とか非常識な格好で無い限り、許してくれても良いだろうと思う。
それともアレだろうか、特定の年齢層の少女特有の異性への忌避感と言うものだろうか。
……と、瞬間的に悩んでいたのが5分前。
「え、えっと、もしかして寝てたの?」
「ん? ああ……うん、今朝やっと帰れてさ、久々に仮眠室の寝袋じゃない所で寝れたよ」
「そうなんだ……無理しないでね」
5分後には誤解……かは微妙だが、とにかく解けて、イオスはテーブルの椅子に座っていた。
ソファに座るフェイトとは微妙な距離があるが、特に意味は無い。
それどころかイオスは、フェイトが心配そうな顔で無理をするなと言ってくれたことに感動すら覚えていた。
(今の台詞、クロノの野郎に聞かせてやりたいぜ……!)
実はイオス、はやての特別捜査官としての初任務に付き合った昨年末から数ヵ月、かなり仕事に忙殺されていたクチである。
元々のクロノの執務官補佐としての仕事と管理局二等空尉としての仕事はともかく、はやて関連やなのは関連の仕事まで回ってきているのだ。
特にはやて関連では、『闇の書』事件遺族会への対応やら何やら精神的にキツい仕事が多い。
個人的にいろいろ考えたいことでもあると言うのに、しかし事後処理の余りの煩雑さにそんなことを考えている暇は無くなってしまった。
年に2回しか無い執務官試験のための勉強も、最近は疎かになりがちだった。
「アンタも大変なんだねぇ」
「うるせぇ、その形態で俺に近付くんじゃねぇ」
心持ち足を椅子の上に上げながら、イオスは子犬フォームのアルフから距離を取った。
と言うか、何故アルフは犬形態なのだろうか。
魔力節約か何か知らないが、イオスの精神衛生上非常によろしく無かった。
当のアルフは、フローリングの上で愉快そうに尻尾を左右に揺らしているが。
それを見て、フェイトがクスクスとおかしそうに笑っていた。
「笑うなよ」
「ごめんなさい」
バツが悪そうな顔をするイオスに、穏やかに笑うフェイト。
何と言うか、どちらが年上かわからなくなる関係性だ。
……関係。
それは、どう呼ぶべきだろうか。
「はやての方は、どう?」
「あれ、会って無いのか?」
「うん、私今日、数日ぶりに学校行けたんだけど……入れ違いだったみたいなんだ」
「そっか……八神さんは、今頃はたぶん本局かなぁ」
イオスは、ふむ、と腕を組みながら思い出すようにして話した。
ここ数ヵ月間、管理局本局と聖王教会ベルカ自治領を行ったり来たりしている少女のことを。
――――古代ベルカの魔導書の再生を夢見る、主のことを。
◆ ◆ ◆
そこは、戦場だった。
視界を明滅させる演算を続ける量子コンピュータ、鼻につく独特の精密機械の匂い、耳を打つ静かな電子音声、指先を幾度となく打つキーボードの感触、舌先に感じる閉め切った空間特有の湿気。
5感全部を刺激するそこは、彼女達にとっての戦場だ。
「うぬ……ぬ……むむむ……むー……のわあぁ――――ッッ!!」
そしてそんな空間において、1人の少女が根を上げるように椅子の上で仰け反った。
短い茶色の髪に陸士の制服を着込んだ小柄な少女は、自分が空中にバラ撒いた書類の雨を浴びながら深々と溜息を吐いた。
「あぁ~上手くいかへ~ん……なんでやぁ~……」
「仕方無いですよ、古代ベルカ式の融合機なんて誰も作ったことが無いんですから」
「うあ~……」
「……ダメですね、かなり参ってますよコレ」
そう言って苦笑しているのは、本局の精密技術官であるマリーだ。
本名マリエル・アテンザ、元々は第四技術部所属だが、現在は出向扱いで昨年の春に新設された第六技術部にも所属している。
若干18歳でありながらベルカ式のシステムに詳しく、なのはやフェイト、はやてのデバイスの点検・修繕・システム開発とを担当している。
そして今の課題は、管理局で初と言っても良い融合機――ユニゾンデバイスの開発だ。
魔法媒体としてのアームドデバイス『シュベルトクロイツ』については目処が立ったものの、これはあくまでもはやての魔法の補助しかできない。
本格的な魔法行使には、古代ベルカ・ミッドチルダ双方の性能を持つストレージデバイスが必要だ。
「聖王教会と無限書庫の協力で、だいぶ良い所まで進んで来たと思うんですけど」
マリーにとっては、この第六技術部は宝の山だった。
守秘義務は厳しいが、古代ベルカ式のデバイスを触れて、しかもロストロギア級の情報を閲覧できて、さらには古代ベルカ・ミッド混合の術式開発、極め付けが古代ベルカの秘宝である融合機――ユニゾンデバイスの開発・製造・メンテナンスまで行えるのである。
技術者として、これ程やりがいのある仕事は無い。
「けど、1年以上かけて形にもならへんかったら意味無いし……」
「デバイス開発は根気と忍耐ですよ、はやてちゃん」
ギル・グレアムを長とする第六技術部の任務は、古代ベルカ式デバイスの開発と実験、及び守護騎士3名の持つ貴重なアームドデバイスのデータ取りだ。
しかしそれに加えて、裏向きの理由がある。
ロストロギア『夜天の書』の、健全かつ完全なる修復――すなわち、リインフォースの復活だ。
そのためにはやてが取っているアプローチは、「新たなユニゾンデバイス」の開発。
管制デバイスでもあり、はやてのレアスキル『蒐集行使』の使用に不可欠な存在である。
そして、ユニゾンデバイスの開発によって融合機の基礎構造について学ぶこと。
その経験をリインフォースの基礎構造の歪みの修正に活かし、何とか凍結の解除に持ちこもうとしているのだが……上手く行っていない。
(まだしばらくは、本局と無限書庫と聖王教会と古代ベルカの遺跡と、行ったり来たりやな)
時間を置いて落ち着いて来たのか、はやては自分達とデバイス用の真空ルームとを隔てる三重の強化ガラスの向こう側を見つめた。
そこには、1冊の本が真空管の中に浮かぶ形で存在している。
『夜天の書』では無い、ややそれよりも蒼みを帯びた装丁の本だ。
まだ未完成、完成の目処はなかなか立たないが……忍耐と、根気だ。
「じゃあ、もう一度最初からやり直してみましょうか」
「そやな……うしっ、ガンバろ!」
ぱんっ、と頬を両手で叩いて気合い一発、はやては再び表示枠に向き合った。
今、自分がしている努力が。
眠っている家族と再開するために、必要な一歩なのだと信じて――――。
◆ ◆ ◆
「難しい開発だから、まだ結果は出て無いけどなー。あそこに八神さんと守護騎士の連中を押し込むの、やたらにしんどかった……裁判担当したの俺だし」
「あはは、お疲れ様」
本当に疲れた顔をして見せるイオスを笑って、しかしフェイトはふと気付いた。
もしかして、自分のことも負担になっているのだろうかと。
自分の裁判は随分と前に終了したが、保護観察は続いている。
月々の経過報告書などにはクロノやイオスなども関与する、つまり仕事を増やしているのだ。
さらに言えば、最近は自分の執務官試験の受験のためにいろいろと骨を折って貰っている。
以前リーゼ姉妹になのはと一緒に本局を案内してもらう機会があって、それからいろいろと考えた。
クロノやイオス、エイミィを見て、それに自分の経験も考えて。
自分みたいな人達を、クロノ達のように助けられたら……と、そう思った、のだが。
(でも、それは私の勝手な考えだし……手続きとか、迷惑かな……)
そう思うと、段々と不安になってくる。
執務官は管理局でもかなり上位の役職だ、だからこそ合格率は筆記・実技・面接を合わせて1%以下だし、受験に際しても厳格な身分証明が必要だ。
裁判記録があり、いわゆる前科持ち同然の自分の受験資格取得のためにどれだけの労力がかかるだろう。
「あ……」
「何だよ」
「あ、えと……う、ううん、何でも」
あからさまに言い淀んだ自分に、イオスが不思議そうに首を傾げる。
足元で丸くなっているアルフも、片耳を立てて様子を窺って来ている。
精神リンクの繋がりで、フェイトの心情が流れているのだろうか。
(イオスも……えっと、同じ……だよね?)
ここで言う同じとは、2つの意味を持つ。
1つは執務官を目指していること、もちろんイオスの方が先輩だが。
そしてもう1つは、言いにくいことだが、彼が現在リンディの養い子であることだ。
サルヴィアの入院が続いている今、彼の後見人はリンディのまま。
それでいて、執務官を目指している。
もしかしたら自分で受験料などの支払いもしているのかもしれないし、フェイトと異なって前科も無いが……それでも、最初はどうだったのだろう。
士官学校にも通っていたらしいし、イオスはそのことについてどう考えていたのだろう。
それが、気になってしまった。
「…………」
会話が途切れたリビングの中で、フェイトは話を切り出そうか迷った。
何しろ、話題が話題だ……極めてプライベートなことで、そこまで踏み込んで良いのかの距離感がわからない。
遠慮している、アルフの言葉を借りればそう言うことだった。
聞くか、聞くまいか。
フェイトは悩んでいたが、それは外から見るとイオスをチラチラ見ながらモジモジするという状態となって現れていた。
それを見ているイオスは、思った。
(……何だアレ)
たまにリンディやエイミィが見て「カワイイ!」と叫ぶ時のフェイトに似ている気がするが、年頃の少女の扱いに自信があるわけでは無いイオスから見ると脅威だった。
どうしたら良いかわからない、と言う意味で。
心の中で脂汗を流しながら、こちらから話を振るべきか悩む。
何しろ、イオスにとってハラオウン家におけるフェイトはかなり微妙な位置にいる。
(アストが産まれてたら、まさにこの年頃だしなぁ)
『闇の書』事件以降、イオスは『闇の書』の夢の中で見た産まれるはずだった妹のことを考える時が稀にあった。
実際、妹は産まれてさえいればフェイトやなのは、はやてと同年代である。
なので、無下にも出来ないと言う気持ちが芽生える時があるのだった。
今とか。
しかもフェイトは純粋で素直だ、その点エイミィとはまるで違う。
こちらの言ったことを疑いもせずに「そうなんだ」と頷くので、嘘も吐けない。
なので、意外と気を遣うイオスだった。
「…………」
「………………」
沈黙のリビング、しかしアルフを除く2人は緊張した様子で固まっている。
どうしたら良いのか、わからない。
だからそのまま、沈黙が永遠に続くかと思われたその時。
「……何をしているんだ、お前達」
救世主、クロノ・ハラオウンが帰宅したのだった。
◆ ◆ ◆
「もう日も暮れるぞ、明かりもつけないで……と言うか夕食は食べたのか? 今日は母さんもエイミィもいないぞ」
「ええぇ!?」
何故か反応したのはアルフだった、リンディかエイミィのどちらかがいれば骨付き肉を貰えるので、いないとなると彼女にとっては絶望的なのである。
まぁ、クロノやイオスがこの時間に家にいること自体も珍しいと言えるのだが。
とにかく母も姉的存在もいない今、夕食は自分達で用意しなければならない。
「しゃーねぇ、じゃ俺が何か適当に作るかぁ」
「やめろ馬鹿、舌のおかしいお前に作らせたら調味料がもったいない」
やれやれと肩を竦めて立とうとしたイオス、しかしクロノがそれを止めた。
実はイオスは過去、何度か料理をしたことがある。
士官学校の野営訓練時の野戦食は省くが、しかし彼の料理にはある特徴がある。
甘い。
そう、甘いのだ――――と言うか、リンディの淹れるお茶が好物の段階でわかりきっていることだ。
彼は、味音痴なのだ(クロノ談、賛成はエイミィ他多数、本人は否定)。
重要なのは、けして不味いわけでは無くただ甘いと言う点だ。
だからクロノも「食材が」では無く「調味料が」もったいないと言っているのだ。
「イオス、イオス、アンタ、お肉焼けるのかい?」
「ふ、俺に焼けない物は無ぇ」
「騙されるなよアルフ、コイツは肉に塩じゃなくて砂糖を練り込む奴だぞ」
「あ、アンタ……正気かい!?」
「失礼な奴らだな……そんなことするわけねぇだろ!?」
畏れ戦くアルフにイオスが憤る、とにもかくにもイオスが夕食を作る案は潰えた。
とはいえアルフは無理だ、クロノも実は料理はしない口である。
残るはフェイトだが、実はまだ勉強中でそれほどレパートリーが無い。
ここの所、皆があまり帰って来ていないので冷蔵庫の中身も貧弱で、心もとない。
「じゃあ、出前でも取るかー? この世界のデンワとか言うデバイス使って」
「そうだな、ピザか中華か弁当か……フェイト、何か食べたい物はあるか?」
「あ、私は良いよ。2人とアルフが買ったのをちょっと分けてもらえれば……」
フェイトからすれば、少し食欲が無いのでそう言ったのだった。
ただ何も食べないのも心配させてしまうので、少しだけ食べようと思った結果、「分けて」と言う考え方になった。
実際、今日の昼食はなのは達にお弁当を分けて貰った。
しかしクロノとイオスは、フェイトの言葉に沈黙した。
2人で見つめ合い、頷き合う。
そしてイオスが立ち上がり、ソファに座るフェイトに近付いて肩に手を置いて。
「うちの家計はそこまで悪化してないから、気にしなくて良いんだぜ……?」
「え、え、え……違うよ、そう言うことじゃ無くて。えーと……今日は、お夕飯ちょっとで良いかなって思っただけで」
「いやいや、気にすん……お?」
「え?」
フェイトの肩に手を置いたイオスが、軽く眉を顰める。
それから一言断りを入れて、フェイトの額に触れる。
そしてさらに眉を顰めて、振り向いた。
「クロノ」
「ほら、体温計だ」
「え、え……え?」
デバイスを使えば一発だが、一応形式として。
イオスは、いつの間にかクロノが持って来ていたこの世界の体温計をフェイトに渡した。
フェイトは、戸惑った顔でそれを受け取った。
◆ ◆ ◆
はふ、はふ……卵のかかった熱いお米を小さな口に入れて、フェイトは舌に感じる熱に慌てた。
口に入れる前に息を吹きかけて冷ましたのだが、冷めたのは表面だけだったようだ。
口の中を見せないよう手を翳して、熱のせいで目尻に涙を浮かべながらテーブルの上を目で探る。
「ほら」
「ふぁ、ふぁいふぁふぉ……」
クロノがコップに入れた水を渡してくれて、お礼を言いつつフェイトは水を口に含んだ。
恥ずかしさのせいなのか微熱のせいなのか、頬が微かに赤い。
その様子を見つめながら、イオスは自作の米と卵の雑炊(ネギ入り)をモグモグと食べていた。
そして、一言。
「……やっぱ、パンチ足りなくね?」
「アンタ、将来病気になるんじゃないかい?」
「そうかなぁ……」
ちなみにこの雑炊、アルフがおつかいに行って買ってきた物でイオスが作った。
ただしクロノ監修、レシピ通りの物を作成。
なのでイオス的には、没個性的な作りになっている。
それでもフェイトとしては十分に美味しく感じられるし、おでこに張られた冷却シートと相まって申し訳なさが倍増していた。
あれから体調が悪い事がバレて、フェイトがパジャマに着替えている間にアルフがおつかいに行って……と、迷惑をかけてしまった。
「あ? 迷惑ぅ? ……これで迷惑とかお前、どんだけ遠慮しぃなんだよ。まぁ、クロノならほっとくけど」
「おい。まぁ、僕もイオスなら別に多少熱があっても放っておくがな」
「最悪だなお前、それでも執務官か」
「執務官は関係ない、そして最初に言ったのはお前だ」
謝ったら、そんな反応が返って来た。
迷惑じゃないと直接言われたわけではないが、近いことを言われている気がした。
「つーか、具合悪いなら言えよ。それくらい面倒見るから、クロノが」
「僕がか」
「何だよ、見ないのかよ。じゃあ俺が見るしかねぇな……」
「見ないとは言って無い」
憮然とした表情でそう言うクロノに、フェイトがクスリと笑う。
するとますますバツが悪そうな表情になって、イオスがそれを笑って、フェイトは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
精神リンクで繋がっているアルフにもそれが通じているのか、尻尾を振ってご機嫌なようだった。
そしてフェイトから見て、イオスもクロノは本当に仲が良い。
イオスは養い子だが、それを感じさせないくらい。
こんな自分のことも家族みたいに面倒を見てくれて、本当に優しいと。
「まぁ、フェイトも……具合が悪い時くらい僕達を頼ってくれ。2年近く一緒にいるんだから」
「現場で倒れられても困るしなー」
「そう言うことじゃないだろ」
優しい。
だからかもしれない、ふと口に出してしまった。
「イオスは……いつから、クロノの家に……その」
「厄介になってるかって?」
それでも言いにくそうなフェイトの言葉を、あっさりと続けるイオス。
フェイトが拍子抜けしてしまいそうな程、あっさりと。
だが、フェイトは気付いているだろうか。
自分の今の言動が、いわゆる「家族への甘え」のそれに近いと言うことに――――。
◆ ◆ ◆
あー……と、イオスはフェイトの前で首を捻る。
何かを思い出すような仕草だ、フェイトだけでなくクロノもアルフも注目する。
彼は数瞬の間そのままの姿勢を保ち、ふとクロノを見て。
「お前、俺が来た時どう思った?」
「丸投げか」
別にそう言うわけではないが、こう言うのは入る側よりも受け入れる側の方が重要だろう。
それがわかっているからか、クロノも真面目に昔のことを思い出した。
3つか4つくらいの時の話だから、そこまでは細かくは覚えていない。
当時のクロノにしてみれば、近所の幼馴染の友達がいつの間にか家にいた、くらいの感覚だ。
『クロノ、今日からイオス君が私達の家族になるの。仲良くしてあげなさいね』
そう、母に言われたのを辛うじて覚えている。
当時は理由も良く分からなかったし、養い子がどうとか言う意識はあまり無かった。
それにそこからは母も自分達を育てるために仕事に忙殺されて、それからリーゼ姉妹に鍛えられて後は士官学校に入って……と、気にしている暇も無かった。
まぁ、つまりクロノにとってイオスが家に来たことは……。
「別段、どうとも思わなかったな」
「そうなの?」
「ああ、気が付いたらいた、くらいの認識だったな」
「マジか……俺、結構気を遣ってたんだが」
「それで僕のおやつを食べるわけか……」
「んなっ、細かい奴だなお前!?」
……やっぱり、優しいな。
何やら過去の諍いについて口論を始めた2人を、フェイトは穏やかな気持ちで見つめていた。
今の2人は、何となくだが……本当に、何となくだが。
フェイトの「遠慮」に、気付いているのだろう。
気づいていて、何も言わず、来たければ来れば良いと言ってくれているような気がする。
2人はもちろん、自分がリンディに養子に誘われていることを知っている。
でも、それについて何かを言われたことは無い。
フェイトから相談すれば別だろうが、フェイトも相談したことは無い。
だから、何も言わないでいてくれている。
(……母さん……)
フェイトにとっての母は、プレシアだ。
それは変わらない、今も月に一度はお墓参りに行っている。
今までもこれからも、フェイトはプレシアを母と呼ぶだろう。
けれど。
(けど……ハラオウンの皆も、私の「家族」だ……)
そう、思える。
そこには、血の繋がりも生まれも何も重なる物が無いけれど。
『何て言うかさ、居心地が良いんだよね。あの家』
いつだったか、エイミィがそんなことを言っていたのを思い出す。
そしてそれを、フェイトも自然に受け入れることが出来ている気がした。
1年前に比べて……「当たり前の生活」だと、思えるくらいには。
当たり前のように一緒にいて、暮らしていて、迷惑をかけて、不自由を押し付けて。
そう言うのを、きっと家族と言うのだろうと思う。
自分の友人の中では、はやてがそれに近い事を言っていたような気がする。
「つーかお前、提督試験受けるってマジ?」
「ああ、前の査定で昇進が決まったからな。三佐になれば艦長資格が持てるから、内勤になった母さんの跡を継いで『アースラ』の艦長になろうと思ってる」
「何だお前、その出世スピード……嫌味か」
「悔しかったら次こそ執務官試験に受かってみせろ、出世のスピードが上がるぞ」
いつの間にか、話題がクロノの昇進のことになっていた。
彼はこの春の人事で三佐に昇格して、提督試験を受けるのだ。
受かれば、夏には艦長研修を受けて順次配属される。
それが『アースラ』になるかは、まだわからないが……。
「あ、つーかお前、今日はそれ食ったら早く寝ろよ。風呂もやめとけ」
「そうだな、熱のある時に入浴すると悪くなるからな。今日はそのまま寝ると良い」
「デリカシーの無い連中だよ」
アルフの声に苦笑で肯定すると、少年2人が何やら落ち込んでしまった。
「当たり前のことを言っただけなのに……」と項垂れているのが、何だかおかしい。
だけど、こう言うことが、そう言うことなのかもしれないと思う。
この日、フェイトはある決断を下した。
その決断をリンディに伝えるのはもう少し先の話だが、そう遠い話でも無い。
ただ、ふと思ったのは……。
(……いつか、お兄ちゃんって呼べると良いな……)
最後までお付き合いいただきありがとうございます、竜華零です。
今回はフェイトさんがハラオン姓を得る直前くらいのお話、という感覚で書いてみました。
あまり見たことがなかったかなと思って、作ってみた次第です。
別に作者が妹要素を追及しているわけではないです(え)。
次回は時系列的に外せない事件について描く予定です、ただ難しい面もあるので苦しいですね。
それでは、また次回も頑張ります。