もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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 ――新章に入るといったな、あれは嘘だ。


幕間の物語・1
<上>


 ――おかしな男がいる、という話を初めて耳にしたのは、一体いつのことだったろう。

 

 

 師であるドローナは当時としては異例なことに、全ての階級の戦士としての才能を持つ者相手にその門戸を開いている武闘者であった。

 

 恐らく、その気前の良さの裏側には、己の恨みを晴らすために優れた弟子を求めてという思惑があったのだろうが、そうは言っても、それを実行してのけたという点においては評価すべきことではある。

 

 必然、ドローナの指導を求めてその門戸をたたく若武者の卵たちは大勢いた。

 

 ――彼らはそれぞれに野心を抱いて入門を希望していた。兵士としてよい給金を得ることを目的としていた者、才覚を磨き戦士として大成することで窮屈な身分制度からの脱却を目指す者、はたまた純粋に当代一と名高いドローナに師事することを誉れと感じてやってきた者。入門した彼らの理由と目的は様々だったが、その誰もがまだ見ぬ栄光を求めて、ギラギラとした炎をその目に宿していた。

 

 ここまで階級・種族・年齢が雑多になった教室は、この国の歴史においても滅多にないことだったのは間違いない。ただ、身分を問わずというのがこの修練の場の謳い文句であったがためか、ごく一部の例外を除けば、ドローナの弟子達は互いの身分を探らないことを暗黙の了解としていた。

 

 ――ところが、様々な階級の者たちが入り混じる中、一人また一人と弟子たちは櫛の歯が欠けるように脱落していった。当初は大勢の若者たちの活気と野心による熱気で溢れていた鍛錬場も、日数の経過とともにやってくる面々の顔ぶれは徐々に固定化されていく。

 

 ――それもまた仕方のないことだった。

 弟子同士の間で次第に形成されていった、才能と序列に基づく差別。

 半神の子供達の鍛錬とそう遠くない距離感で修行に励まなければならないという環境。

 公平に見えたドローナの、裏切りとも言える一握りの弟子にのみ注がれる熱意。

 

 そうして磨耗していく有象無象の弟子たちの精神に止めを刺すのが、夜空にひときわ煌めく白銀の月のようなアルジュナという存在だった。

 どんなにあがいたところで彼の立つ頂に届くことなど敵わず、せめてと星として輝いたところで夜空で最も高貴な輝きに及ぶはずがない。

 

 ある者は己の才覚のなさに諦観し、ある者は過酷な修行に根をあげ、またある者は身分制度によって定められた世界における己の将来性の限界に絶望した。

 

 結果的に、そんな理不尽な環境に耐えられる者、他に行き場のない者、ドローナから弟子として辛うじて認められることがかなった者。そういった者だけが、人気の少なくなった教室に挫けることなく通い続けた。

 

 ――そんな風に、門下生達が次々と脱落していく中、一際異彩を放つ弟子がいた。

 誰も彼について詳しいことを知らず、ただカルナという名だけが弟子たちの間で知られていた。

 

 黒く濁った闇に覆われている全身と、時折その合間から覗く幽鬼のように白い肌と謎の金の光。

 白皙の面は常に酷薄な表情をたたえ、長い前髪の奥の蒼氷色の双眼には年齢に不相応な鋭利さ。

 薄い唇から紡がれる言葉は万年雪の冷徹さをまとい、相手の感情を逆撫でするような振る舞いも厭わないが故に、師であるドローナを含めてカルナは他者から敬遠されていた。

 

 なまじカルナが優れた才能の持ち主であったことも、遠巻きにされる理由の一つとなった。

 誰も素性の知らないカルナの才覚は、生来の戦士階級である者達を遥かに凌駕していた。

 そのせいか、身分に囚われない広い視野を持つ者達の間柄では、ひょっとしたら最強だと謳われているアルジュナ王子やビーマ王子に匹敵するのではないか、という話がまことしやかに囁かれるくらいだった。

 

 これで、カルナの属する身分が上位の物であれば問題はなかったのだ。

 けれども高貴な身分に属する者達が誰もカルナのことを知らなかったために、目端の利く者達はカルナの所属する階級が低いものであるということに薄々察しをつけていた。

 

 どんなに才能に満ち溢れていたとしても、この世界では階級を逸脱するとみなされる行為は許しがたい大罪であった。そのため、カルナに自分たちが及ばないと思い知らされた者達は、そうやってカルナの出自を邪推し、あげつらうことで、なんとかして自分たちの溜飲を下げていた。

 

 偏見という分厚い雷雲によって隠されて仕舞えば、日輪の光輝とて地上に届くことはない。

 

 ――カウラヴァ百王子の長兄である、ドゥリーヨダナ。

 将来を見越してビーマやアルジュナを凌ぐ勇士のことを探し求めていた彼は、噂のカルナについて、彼にしては珍しくただ純粋に勿体ないな……と、感じていた。

 

 武術を身に付ける前の素人目に見てもカルナの才覚は際立っていたし、実際ドローナやバララーマに指導を受け、武人として成長して目が肥えていくにつれて、自分の目は間違いではないと確信するに至った。

 

 半神であり、王族でもあるパーンダヴァの子供達は他の弟子たちのことにあまり関心がないようだったから、カルナの存在が彼らの耳に届かないことは、ドゥリーヨダナにとってもありがたいことだった。

 

 あまり自分が表立って動くとカルナの存在が衆目を集めてしまい、パーンダヴァ贔屓のドローナの手でカルナが破門される恐れがあること。あと、なんだかんだで小心者のドゥリーヨダナが、地上の栄光に見放されたような泥濘の闇に包まれているカルナに対して、言葉にならぬ恐れを抱いていたこと。

 

 ――難点としてあげるのであれば、上記の二つが大きな問題だった。

 そのためドゥリーヨダナはこの異端の男に関心を持ちつつも、下手に接触することが叶わなかったのである。

 

 

 ――とはいえ、カルナに関心を抱き続けていたドゥリーヨダナは、ある日その光景を目撃することになる。

 

 それに大した理由なんてなかった。

 たまたまカルナが王宮の窓から覗くことのできる場所で訓練していたこと、勉学の息抜きをしにきたドゥリーヨダナが涼を求めて窓側に近寄ったことで目に入ってきた情景に過ぎなかった。

 

「カルナー、カルナー、カールーナー!」

「大声を出さずとも十分に聞こえている。……今日は終日晴れていたはずだが、その全身はどうした?」

 

 今日も今日とて鍛錬場の隅っこで黙々と訓練に励んでいたカルナの元に、興奮した面持ちの青年が金色の輝きと共に飛び込んできた。

 

 ――異様といえば異様だった。

 なにせ、カルナよりも年かさに見えるその青年の全身は、土砂降りにあったかのように水浸しだったのだから。普段無表情を貫くカルナも流石に驚いたのか、切れ長の蒼氷色の双眸が常よりも見開かれている。

 

「へっへっへ。ちょっと、都の外の豪商のお屋敷に歌い手として招かれたのは良かったんだけど、その帰り道に乗っていた馬車が大蛇(ナーガ)に湖の底に引きずり込まれちゃって」

 

 間違っても笑えない内容を歌うように語りながら、全身ずぶ濡れの青年は朗らかに笑う。

 青年が駆け寄ってきたと思しき道中に大量の水の染み込んだ跡があちこちに確認できることから、まんざら冗談の類でもなさそうだった。

 

「いやぁ、本当に参ったね! 御者の方はガクガク震えて頼りにならないし、一緒についてきてくれた兵士は気絶しちゃうし!」

「……彼らも災難なことだな。同伴者が頼りにならない楽師であっては、生きた心地がしなかったことだろう」

 

 カルナが静ならば、青年は動だった。

 表情一つ変わらないカルナに対し、くるくると独楽回しのように青年は感情を入れ替える。

 カルナの冷淡な反応に対しても気を損ねることなく、水晶を打ち鳴らすように澄んだ笑い声を響かせた。

 

「まったくだね! でも大丈夫だったよ。命乞いも兼ねて全身全霊を込めて唄ってあげたら、彼らもすっごく満足してくれてね。おまけに、見事な技のお礼にということで、こんなものをもらったんだ!」

 

 濡れているせいで全身にべったりとくっついている着衣の内から、青年が両手で抱えられる大きさの壺を取り出す。中にあるものが零れ落ちないように、口はしっかりと密閉されていた。

 

「なんか、もともとは高貴な人物が変成してなった蛇の一族だったらしくってさ。せっかくだから歌の代金と迷惑料も兼ねてもらってきた」

「……生命の危機にも報酬を忘れないその抜け目のなさは流石だな。その強かさはオレには到底真似できまい」

 

 カルナが相手を賞賛しているのか、それとも貶しているのかは毎度のことながら判断が問われるところだった。

 なんせドゥリーヨダナが見ている限りではあるが、カルナは相手が誰であってもこの態度を貫くため、大抵の場合、話し相手が怒って席を中座し、望洋とした表情のカルナが取り残されるのが常だったからである。

 

「いいんだよ、カルナは俺の真似なんかしなくって。お前がしない分は俺がするって決めたんだし」

「そうなのか」

「そうだとも。そんなことより、見てごらん。これが、かの有名な神々の為の天上の雫。これこそ、神々だけに許された至上の美酒こと――甘露(アムリタ)さ!」

「なるほど、それは確かに至高の名酒とも言えるだろう。しかし、オレとお前には無用なものでしかない」

 

 神々に不死(ア・ムリタ)を授けたという神宝中の神宝を自慢げに差し出す青年にも驚いたが、それ以上にどのような王侯貴族であれ垂涎ものの品を出されたのにもかかわらず、欲のない態度のカルナにもドゥリーヨダナは驚いた。

 

「まあ、俺の場合はこの金環、お前に至ってはその鎧と耳飾りがあるからなぁ。――さて、どうしようか」

 

 下手に誰かに渡すと、困ったことになるし……と言いつつ、青年は甘露の詰まった壺を指先でクルクルと回す。

 

 ドゥリーヨダナは他人事ながらも、その壺を手に入れる為に、どれだけの人間が金銀財宝を積み上げるのかわかってんのか、と内心でついつい突っ込まずにはいられなかった。

 

 それにしても、鎧と耳飾りとは一体どういうことなんだろう、とドゥリーヨダナは考え込む。

 全身が濁った闇に覆われているカルナの体にそのような物を身につけている形跡など、これまで確認できた覚えがない。

 

「でもさぁ、これって甘露だよ? カルナは、もったいないとは思わないの?」

 

 くるくると高速回転していた壺を一旦止めて、青年がいたずらっぽく微笑む。

 

 それにしても、どこかで見たことのある顔である。

 些細な既視感が気になって、ドゥリーヨダナは脳内に記録している人物一覧表に一致する人物を探し出す。

 

「……全財産を投げ打ってでもそれを手にしたいと思う者であればそうだろう。どれほど富を得ても飢えている者も同様に。……だが、オレの心身はすでに満たされている。これ以上の報酬を求めるというのは、いささか強欲が過ぎるというものだろう」

 

 ふぅ、と軽くため息をついて詮無きことのように言い捨てるカルナ。

 そのカルナを困ったように見つめている青年の姿に、ようやく該当する人物の名が思い当たって、ドゥリーヨダナは目を見開いた。

 

 陽光を紡いだような、と噂されるこの国では珍しい黄金の頭髪。

 簡素ながらも上質な衣から伸びる獣の四肢を思わせるしなやかな手足。

 艶やかな気配を纏う蜂蜜色の肌色に、それによく映える赤石を誂えた太陽を模した金環。

 数年前から彼の父であるドリタリーシュトラが寵愛している楽師・アディティナンダであるということに、ここにきてようやくドゥリーヨダナは思い当たった。

 

 そうして、思い当たったからこそ――驚愕した。

 下手したら、こっそり暗殺しようとして毒蛇の住まう湖に突き落としたビーマが外傷一つなく帰ってきた時並みに驚いたかもしれない。

 

 何せ、ドゥリーヨダナが知っているアディティナンダという楽師は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ではなかったからだ。




原典『マハーバーラタ』を読む限り、ドゥリーヨダナはカルナのことを競技会の前から知っていたようですが、パーンダヴァの王子たちはカルナという武芸者の存在に気づいていなかったみたいなので、その理由をちょっと考えてみました。

この幕間の物語は時間軸的には、一章終盤以降と二章の間になります。

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