もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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大地への負担を減らすだけなら大洪水でも起こせばいいのに、どうして神々はこんなまだるっこしいやり方を選んだのだろうと不思議でしたが、要するにこういうことだったのかなぁ、と。

(随分と久方ぶりの更新でしたが、感想やお気に入り登録、評価などなどありがとうございました。
更新はゆっくり目になると思いますが、完結目指して頑張りたいと思います)


天界の談合<下>

「…………」

「…………」

「……貴様が末の息子たちを、自らの手で傷つけるような振る舞いをするとは到底思えんな」

 

 無言のまま、ゆらゆらと水中の海月のように揺蕩う人型の炎。

 いつでもその首を穿てるように金剛杵を構えたインドラが慎重に言葉を紡ぐ。人が地上の蟻を目にした時、群体としてそれらを捉えることができても、個としての区別がつけられぬように、神もまた一部の例外を除けば、人間という存在を個体としてその目に移すことはない。

 

 だからこそ、その無慈悲な宣告はインドラを大いに戸惑わせた。

 この出来損ないの太陽神の人形が随分と特定の二人に思い入れがあるのは間違いない。それゆえに、禁を犯すことを承知の上で、わざわざ地上から天界にまで昇ってきたのだろうから。

 

「確かに――もう一人のワタシ(アディティナンダ)であれば、出来ないでしょうね」

 

 冷酷に、冷徹に。

 慈悲深き微笑みを浮かべたその口で、無慈悲なる神の理を人に押し付ける。かりそめとはいえ人間性を習得した表層意識では絶対に口にしない――神の都合で人間の運命を捻じ曲げる――そんな言葉を軽やかに告げる。

 

 そう遠くない将来に勃発する、神々の意図した大戦争で死ぬことも。

 今、この場で唐突にもたらされる地上への大災害の余波で死ぬのも――『死』という点で見れば同じではないかと宣う。

 

「――例え、太陽が地上に墜ちたとしても、あの鎧があれば問題ないでしょう」

 

 神々の光輝を体現する黄金の鎧。

 金剛杵の一撃すら防ぎ、所有者に莫大な恩寵を与える太陽神の鎧。地上の半神風情に与えるには過ぎたる力。だが、確かに、同じく太陽神の一部から造られたあの鎧であれば、日輪の一撃にも耐えうることだろう。

 

「仮に、カルナが命を落としたとしても大した問題ではありません――その時は、あの子の『魂』を回収して本来の使命を果たすまでのこと」

 

 だから、選んでください――と人型の炎は謳うように言葉を紡ぐ。

 地上に生きる一切合切の生命体、カルナもドゥリーヨダナも、パーンダヴァの子供達も――その全てを灰燼と化すことで大地の負担を減らすことを許容するのか。それとも、ワタシの要求を呑んで、今、この瞬間における彼らの延命を計るのか――どちらでも構いません。

 

 その要求に神々の王は押し黙るしかない。

 今、こんな横紙破りの荒技によって彼らを失うわけにはいかない――たっぷりの沈黙の後、深々とした溜息と同時に苦虫を噛み潰したような表情で受諾するしかない。

 

「…………貴様の要求を呑もう」

「はい。――それでは、アナタの言を持って、天界の総意とさせていただきますね?」

 

 ……これにて、世界の命運は定まった。

 大地の女神の悲痛なる訴えから始まりし、大いなる神々の陰謀。

 

 そのために地上という盤面に用意されたのが、駒としての五人の半神の王子たち(パーンダヴァ)に、その対を成す呪われし忌子(ドゥリーヨダナ)であった。しかし、今日、この時より世界の趨勢は天界の神々の手を離れ、地上に住まう人間たちの手へと委ねられることとなった。

 

「大した内容ではありません。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――それがワタシの要求です」

 

 ――――どの道、戦は避けられない。

 大いなる神々の示唆、天の代行者の暗躍、忌まわしき王子の欲望、蓮華の王妃への侮辱。

 あらゆる要素が複雑に絡み合い、縺れ合い、解きほぐすことは叶わない――であれば、せめて。

 

 ――せめて、彼らの選ぶ道だけは、彼ら自身のものであるように。

 無慈悲な神々が差し伸べた指先で、かよわき人々がこれ以上、神々の恩寵と言う名の気まぐれによって、翻弄されることのないよう、誓約という名の枷を科させていただこうじゃないか。

 

 どのような無理難題が飛び出してくるのかと身構えていたインドラが片眉を釣り上げる。

 

「……それだけか?」

「はい、それだけです」

 

 しかし、それだけのことがどれほど重要で、危うい均衡の上に成り立っていることか。

 天から人という群れを見るだけの神では気づかない――否、気づけない。地上にて神を気取る天の代弁者(アヴァターラ)は気づいていても気にしない。されど――地上に赴き、人間(じんかん)にて、個としての人間を見続けてきた者だからこそ、見えるものがあった。

 

 ――何故、神々は自らの手で地上の人間の数を減らそうとしなかったのか。

 かつてのように、地上に大洪水を巻き起こし、一度に人間を減らす手もあっただろう。秩序神が送り込んだ代行者にさせたように特定の階級の人間たちを絶滅の危機に追いやることとて無理ではなかったはずだ――それなのに、人の女との間に子供を作らせるような、回りくどい手段を取らざるを得なかったのか?

 

 答えは簡単。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そのことを無意識に悟っているからこそ、神々は盤上遊戯を気取って大戦争を画策した。そうして、まっさらになった地上に神々にとって都合の良い支配を敷くための代理人としてパーンダヴァの子供達を送り込んだ。

 

 そしてそれ故に。

 彼の半身の子供達は神々にとって、今はまだ失ってはならぬ、必要不可欠な存在だった。

 

 ……ゆっくりと、そして密やかに。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――ひょっとすれば、地上の全ては人間の手に委ねられ、神々と人間とが永遠の決別を果たすことすらありえるかもしれない。であれば、神々による盤上遊戯に貶められていたクル族の大戦争の趨勢を人の手に返したことは後々、大きな意味を持つことになるだろう。

 

「――ただ、それに気づいたのはまだワタシだけでいい」

「……何か口にしたか?」

「いいえ、何も。お気になさらず――さて」

 

 小さく呟いて、人型の炎は全身に鎧のようにまとっていた白銀の焔を掻き消す。

 それを視認したインドラもまた、己が指先一つで操っていた全ての水の元素をあるべき場所へと還した。それにしても、心底、苛だたしそうな表情を浮かべている。

 

 たかが操り人形に過ぎない相手にしてやられたことが相当腹立たしいのだろう。

 それも致し方のないことだ。これだけのことを太陽神ならざる身が仕出かせば、勿論ただで済むわけがない。神々の王からの報復すらも覚悟の上での、下手すれば我が身を消されることすら織り込み済みで、天界の譲歩を引き出したのだから――だから、そう。

 

「貴様の要求は呑もう。だが、それはそれとして――――」

 

 インドラの眼光が真紅に染まり、ゆっくりと掲げた右手の上で紫電の槍が火花を散らす。

 いっそ優美にすら感じさせる動きで手首がしなれば、目に止まらぬ早さで放たれた槍がまっすぐに、中空へと無防備に浮かんだままの人型の炎の胸元へと吸い込まれていく。

 

 ――――ドン……ッ!!

 

「天界の総意に逆らい、忌み子に組した貴様にはそれなりの罰を下さねばならぬ」

「――っ、ああ、う、ぐあぁ………! 嗚呼、嗚呼嗚呼嗚呼――〜〜っ、っ!!」

 

 それまで重力の縛りに逆らい、虚空を漂っていた炎の胸元へ紫電を散らす神槍が突き刺さる。

 バチバチと凶悪に輝く紫の雷電が炎の華奢な全身を駆け巡り、苦痛の叫びを上げさせる。

 

 雪の降り積もった霊峰を想起させる玲瓏たる声音が奏でる絶叫をむしろ心地よさそうに浴びながら、神々の王は冷徹にその双眸を細める。

 

「うぅぁ、あああっ、あああ〜〜〜!! 

「太陽神の人形。此度の叛逆に対する罰として貴様の特権の一つを剥奪する。二度と、此度のような振る舞いが成せぬよう――我が許しなくば、天に昇ることは二度と罷りならんと知れ」

 

 絶対の宣告が告げられると共に、紫の雷光を纏った神槍が黄金の光となって大気に霧散する。

 

「――……ぁ」

 

 ――くらり、と。

 全身を奇妙に弛緩させた炎がそのまま、浮力を失ったことで急激に地上めがけて落下していく。

 懲罰を終えたことで関心を失ったインドラが片手間にナンダナの園を穿った孔を修復したことで、最早、天に住まう全ての視線から見放されたその先で、さながら――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――より太陽神に近しい眷属としてのワタシから、人間カルナの兄(アディティナンダ)へと。

 

 そうして、落ちていく。

 落ちて、堕ちて、眩い黄金の軌跡を蒼天に描きつつ、()()()()()()()()()()()()()()()()()




本作において、神々の目から見た人間=蟻。半神(五王子やビーシュマ、アシュヴァッターマン)=鳥。
ドゥリーヨダナ=ゴキブリ、といった感じで認識されております。

そんなわけだから、某ヴィシュヌの化身から「悪趣味!」と罵られても仕方ないよね。

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