(*ようやく、伏線を回収できました。まだまだ、伏線はあるんだけどねー、それこそ主人公の正体とか!*)
――お互いの未来を賭けようじゃないか、と悪辣さを世に響かせる王子は嗤った。
――誓約は果たさなければならないね、と清廉さを世に轟かせる聖王は苦笑した。
わたしも貴様も、王国を巻き込んでの大戦を、
だが、このままでは、貴様の家臣もわたしの家来も収まるまい、と王子は甘やかな声で、不吉な未来を物語る。
……是、と聖王は首肯する。
だが、このままでは、
――であれば、一つ賭けをしよう。
悪鬼羅刹の類が善人を悪の道へと導く時の様に、毒を孕んだ声で、王子は怪しく囁いた。
賭け事、の言葉に身を固くする面々に向かって、王子は端然と微笑む。
――なぁに。そう、心配する様なことではない。
貴様の大好きな神々に、我々の運命を委ねてみようと言うだけのこと――神々が貴様らを支持するのであれば、当然のことながら、賽の目もそれに応じたものとなるだろうよ。
……賭け事の内容は、こうだ。
どちらが負けるにせよ、賭けに負けた者は十二年の間、森に住まわなければならない。
そして、十三年目の年には、その正体を一年間の間、隠し通さなければならない。この十三年目に発見された場合、森に住む年月は更に十二年間、延長しなければならない。
ただし、十三年目の年が無事に過ぎ去った場合。
その場合は、相手の失った王国を返却しなければならない――さぁ、我が親愛なる従兄弟殿。
――賭け事を、しようじゃないか?
世に悪名を轟かせる悪辣王子はその異名の通りに、嗜虐的な嘲笑を浮かべたのであった。
*
*
*
「――……やっぱり、パーンダヴァが負けたか」
「その様だな。俄かには信じがたいが……」
王都・ハースティナプラの王城の城壁の上。
黄金の鎧を身に纏い、粛然と城下を睥睨するカルナの隣で囁けば、淡々とした声の応えが返ってくる。
壮麗な王宮と城下の境界に聳える、王族用の城門。
本日三度目となる開門を迎えた城門は、嘆き悲しみ、憤激する者たちと悪意に満ちた嘲笑を浮かべる者たち――二種類の相反する感情を発する人々によって占められていた。
大衆の眼差しが、向けられている先。
質素な衣服をまとった、六人の男女の姿を認めて――嗚呼、と嘆息する。
――――
「……気味が悪くなる程、ドゥリーヨダナに都合よく物事が進んだね」
「――そうだな。些か、上手く行き過ぎて、訝しまずにはいられない程度には」
打てば響く返事に、黙って頷く。
そう、カルナの言う通りだ。あまりにも、ドゥリーヨダナの思惑通りに進み過ぎてしまった。
これで、相手がパーンダヴァでさえなければ、違和感を覚えずに済んだものを。
「神々の寵愛深いパーンダヴァがここまで追い詰められる――その理由はなんだと思う?」
彼らの全身を彩っていた黄金も宝玉も全て失い、煤と灰で全身を飾り立てた彼らは、紛れもなく追放者そのものだ。
一度はこの世の栄華全てを手中に収めた王とその眷属たちとは思えぬほどの凋落ぶりである。
「心当たりが多すぎる――だが」
栄光に満ちた彼らの姿を知っているだけに、その姿は哀れとしか評しようがない――ただし。
カルナも俺と同じ様な心境らしい。
眉間の皺を深め、険しい顔つきで眼下の愁嘆場を睨みつけている。
「……ドゥリーヨダナ曰く、ユディシュティラ王は、何かに迷った時に必ず神々の啓示を受け、その通りに行動する――のだと言う」
蒼氷色の双眸が、長い灰銀の髪を結わずに垂らし、瞳を固く閉ざしている男へと向けられる。
それに合わせて、俺もまた――聖王とまで称えられたユディシュティラに、視線を合わせた。
都落ちの場面だと言うのに、その表情は静謐そのものである――他の兄弟たち、忿怒で顔を赤く染めている次男坊や憂いの表情を浮かべているアルジュナ王子とも、羞恥に身を震わせている双子たちとも違って、己の運命を粛々と受け止めている――様に、見える。
――諦め、とは違う。
あれは寛恕とでも称されるべき感情を抱いた時に、人の子が浮かべる類の表情である。
聖王ユディシュティラは気高く公平で、誰よりも誠実かつ篤実な人物であるとか。
自身の法と戦士の掟に忠実であることを讃えられた男であるからこそ、ドゥリーヨダナから持ちかけられた賭博に対して退くことが出来なかった……その可能性は大いにある――だが。
「……アディティナンダ」
「ん? ――どうした、カルナ」
「神々が、ユディシュティラ王の振る舞いを誅さなかったのは――何故だ?」
抜き身の刀身を連想させる、鋭い輝きの宿った双眸。
それをじっと見つめ返して、そうして、できるだけ感情的な思考を排して、その疑問に答える。
「考えられる理由は幾つかある――けど」
一拍置いて、唇を動かす。
カルナのものと交わっていた視線を外して、眼下の繰り広げられている愛憎劇を観察する。
……本当に、人間というものは複雑極まりない生き物だ。
嘆く者、嗤う者、泣く者、喜ぶ者、同じ人間という群体の中に定義づけられておきながらも、その反応は千差万別であり、美しさと醜さがここまで密接している個体は他にはいない。
「今回の一件で、確実にドゥリーヨダナとパーンダヴァの間にあった奇妙な均衡が崩れた」
――まるで、光と陰の様だ。
一見すると相反する感情を抱えて、人間とは営みを続けているのかもしれない。そんな考えが、ふと脳裏をよぎっていった。
親しい人々に別れを告げ、敵対者には報復を予告し、そうして神々の子らは立ち去っていく。
長兄であるユディシュティラ王を先頭に、年齢順に並んだ兄弟たちは、彼らの妻を守る様に列をなして静粛に歩みを進める。
母親であるクンティーがその場に堪えきれぬと言わんばかりに、その場に崩れ落ち、叔父にあたるヴィドゥラがその背を支える。
王妃であったドラウパティーが彼女の肢体を包む粗布で涙を拭い、彼女の侍女たちが嘆き聲を天にまで響かせた。
「――十二年後に、確実に戦が起こる。それも、
そして、それは――と一息入れる。
じっとりと手のひらが汗で濡れ、気分を落ち着かせようと深呼吸を一度だけ行った。
「――それこそが、神々の最も望むことだろう。何せ、人間たちは増えすぎた」
「……大地の女神、か」
ユディシュティラ王もドゥリーヨダナも、為政者として優秀すぎたのだ。
優秀な為政者の庇護のもと、文明が栄え、街々が発展し、人々の総数が増えていく。その結果、生半可な魔獣や災害では、大幅に人口を削ることが不可能になった。
「大地の女神は、過剰な人口によって悲鳴をあげている。このままでは、人々の住まう大地が崩壊する。
その声が天界のインドラの元に届いたからこそ、神々の子らは人の世へと送られたのだ――そう考えれば、何もかも、辻褄が合う」
そして、そのための敵対者に選ばれたのがドゥリーヨダナだった―その言葉は、そっと胸に秘めておく。
これは、ドゥリーヨダナはカルナには知られたくないことだと思っているから、何も言わないでおこう。
薄暗い天幕の中。
ドゥリーヨダナが、その胸のうちに秘め続けてきた感情を暴露して以来、俺もまたずっと考え、情報を集め続けてきた。
天の太陽神との接続が切られてしまった以上、手がかりとなるのは、あの月夜に、あの男と交わした会話の内容だけ。
そんな状態で、入念な調査を重ねた結果、浮き彫りとなったのが、このどうにもならない事実だった。
「……だからこそ、ドゥリーヨダナはこの十年、奴らと敵対することを避けていた」
「そうだよ。だけど、もう時計の針は進んでしまった。もう――戦は避けることができない。であれば、ドゥリーヨダナが為すべきことは、未来に備え、力を蓄えることだけだ」
振り返ることなく立ち去っていく神々の子らの一人。
黒の蓬髪に褐色の肌、やや薄暗い白の衣に身を包んだ青年の姿を認めて、カルナの表情がやや歪む。
――物言いたげな顔つきの弟の頭を、宥める様に撫でる。
ざんばらな髪型に反して指通りの良い髪質にそっと目を細めると、不満そうな色がその瞳に宿るが、特に文句がその薄い唇から溢れることはなかった。
「……カルナ。俺は――いや、
「……アディティナンダ?」
蒼氷色の双眸が軽く見開かれる。
心配する様にこちらを見つめ返してくるその眼差しに、安心してほしいと伝えるために微笑む。
「聡明なお前のことだ。……わかっているだろう? この戦いは、人と人との戦いであるべきだ、だからこそ――――」
そっと、その頰を撫でて、理解してほしいと乞い願う。
いや、頭では理解していてはいるのだろう。この子は、とても聡明な子供だった。
……ただ、頭では納得できても、心では納得できないことは、あるのだろうが。
「――だからこそ、俺が行く。戦場においてまで、神々に下手な介入などさせるものか」
五兄弟の父親である神々を、ドゥリーヨダナとカルナの戦場に、介在などさせない。
雷霆を操るインドラ、暴風を纏うヴァーユが我が子可愛さゆえに戦場に出てきでもしたら、と考えるだけでゾッとする。
黄金の鎧を纏うカルナであれば敗北はないだろうが、それでも、神々の強大な神威の片鱗だけでも、人間は死んでしまうということを俺は知っている。
「――神々が、それを聞き入れるだろうか」
「だからこそ、俺たちが行くんだ。神々――特に、インドラはワタシに対して借りがある」
ポツリと零された呟きに、断言で持って返す。
それに、やや俯き加減であったカルナが虚をつかれた様子で顔を持ち上げた。
「アディティナンダ?」
「――なぁ、カルナ。お前、どうして俺の元に天女が来たのだと思う?」
アプサラスは、水の精霊であり、インドラを始めとする神々に仕える侍女でもある。
――だが、それは彼女たちの有する性質の、ほんの一側面でしかない。
「天女とは、古来から男を惑わす存在だ。彼女たちは美しく、淫らで、艶かしい。
生まれながらに、異性を誘惑し、惑乱させ、堕落させることに長けている。
それゆえに、古来から、天女に心を奪われたがために、苦行を断念し、その志半ばで道を踏み外した者も多い」
女という存在の、その極みにある者。
それが天女という魔性であり、神々によって創られた、生ける偶像たちである。
その眼差し一つ、その微笑み一つで、数多の英雄が彼女たちによって破滅へと導かれていった。
「――そして、彼女らは専ら、神々の王たるインドラの命令で動く」
苦い顔になったカルナが眉間の間の皺を深める。
聡いカルナのことだ。俺の端的な言葉だけで、何を言わんとしているのか理解したのだろう。
「……だからか」
「だからだろうねぇ。あんな垢抜けた美人さんが鄙びた村に足を踏み入れたのは」
あはは、と笑い声をあげれば、カルナが睨んでくる。
いやはや、今となってはいい思い出だけど、あの時は村中が大混乱に陥り、大変な騒動になったんだったけ。
老いも若きも男として産まれた者たちはあの天女にぞっこんになったせいで、女たちは嫉妬と羨望に苛まれるし、敬虔な信徒たちは卒倒してしまうし――うん、一時は村としての機能が停止にまで追い込まれたもんな。
最終的に、俺が彼女のことをこっぴどく振った形で決着がつきはしたんだけど。
その代償として、女体化の呪いをかけられはしちゃったんだけど――まあ、それはそれだ。
「まあ、インドラとしては俺とお前を早々に引き離しておきたかったんだろうね。
お前が天賦の才をもって生まれた戦士ということはあの時点でも薄々判明していたことだし……。実際、今のお前であれば、適切な武器さえ持てば、神霊だって殺せるだろうよ」
「それは過大評価が過ぎるというものだ。ましてや、どこで誰が聞いているとも分からぬというのに、その様なことをそうやすやすと口にするべきではない」
苦虫を嚙みつぶしたような顔でカルナが苦言を呈する。
それに、わかっているとよと頷いて、そっとその形のいい頭を撫でた。
――暫く、この子ともお別れだなぁ……。
「神々の都合と人の世の趨勢はもはや合致してしまった。こうなっては、約束の十二年後に戦は必ず起こるだろう。そして、それはかつてないほどの規模であることは間違いない――もはや、避けようにも避けられない」
だから、と小さく息を吸う。
なるべくカルナが不安に思わない様に、不審を抱かない様に、できるだけ普段の俺らしさを思い出しながら、
「その結末が如何なる物であるにしろ、それは人と人の間で定められた出来事であるべきだ。神々によって好き勝手に弄り回されていい物ではない――と俺は思う。傲慢で無慈悲な神霊の一柱であるからこそ、余計にそう思う――だから、カルナ」
一歩、二歩、後ろに下がって、城壁の上へと腰掛ける。
そうすると、俺の足りないだけの高さが付け足されたおかげで、見上げるばかりだった蒼氷色の双眸とひたり、と視線が交わる。
「――俺は行くよ」
美しい、湖水の様に透き通った蒼氷色の双眸が、ゆらりと揺れた。
(*なんか、ひょっとしたら、アディティナンダ(偽名)の正体に気づいている人がいるかもですね。アディティナンダにせよ、ロティカにせよ、タパティーにせよ、設定上、主人公の正体にかなり関わる名前なので……*)
(*ひょっとして……! と思われた方が感想欄には書かないでくださいね。メッセージとか、人目につかないところであったら大丈夫ですけど*)
(*多分、正解だったら、答えを返さないと思いますが……*)