もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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(*もしかしたら、人によっては不快に感じる表現があるかもしれません。
 現代とは価値観の違う、インドの神代であるからの発言であるということで、ご理解を示していただけますと幸いです*)


賭け金

「――よし! 言質はとったぞ!

 というわけだ。賭け事で奪われたものは、賭けで取り戻すとするか!!」

 

 望む返事が返ってきたので、その場に王妃を捨て置いて、シャクニの方へと向きなおる。

 そうして、会場中の人々の視線を集めながら、円状の広間の中央に備え付けられている骰子遊びの道具が置かれている場所へと衣を翻しながら座り込んだ。

 

「なかなか威勢の良いお嬢さんだ。――ところで、貴女自身は何をお賭けになるのかな?」

 

 顔面には微笑みを浮かべているが、俺の前へと座り直したシャクニの目は笑っていない。

 いうなれば、油断のならない人間の目をしている……こっちが隙を見せれば直様食らい付こうという気概を感じて、愉しくなる。

 

「――そうだな。俺の持ち物の中で価値あるもの、といえば――()()()

 

 あまりにも抱き心地がいいので小脇に抱えたままの壺の中から、入れっぱなしにしていた黄金の腕輪を取り出す。

 炎を閉じ込めたような赤の輝石が象眼された、見事な細工の金環に目を奪われた人々の感嘆の声が会場内に充満し、シャクニの目がキラリと光った。

 

「なるほど。確かにそれは見事なものだ。一目で人の手で作られたものではないと判別できる。――しかしながら、()()()()()()()()()、というしかありますまい」

「……足りない? どういうことだ?」

 

 至極残念そうにため息をつきながら首を振るシャクニの言葉に、眉をひそめる。

 これが人の手によるものではないことなど、この腕輪自体が醸し出す尋常ならざる神秘の力の痕跡によって、当然この男は気づいているはずだ。

 

 それなのに、この腕輪にドラウパティー一人分の価値がないとはどういうことなのだろう?

 

「貴女はそこな元王妃を助けると仰られた。……しかし、奴隷の身に落とされた彼女を救うには、彼女の夫である者たちをも助けださねばなりますまい!! 何せ、奴隷の妻もまた奴隷ということになってしまいますからな!」

「……そーいうことかよ」

 

 大仰な仕草で芝居掛かった台詞を口にするシャクニに、一本取られた! と内心で臍を噬む。

 いや、ぶっちゃけ、この姫君しか助けるつもりはなかったんだが、彼女の身の保障のためにはドラウパティー姫の五人の夫まで奴隷の身分から解放してやらねばならぬということか。

 

 ――それにしても、五人の夫ってやっぱり非常識だよなぁ……。

 でも、よく考えれば、なんで一人の夫に複数の妻は許されるのに、一人の妻に複数の夫は非常識扱いされるのだろう? 考えてみれば不思議だ。

 

 思わずジト目になる俺に対して、周囲の野次馬どもが好き勝手言いながら囃し立ててくる。

 なんかひどく猥雑なことまで言われているらしいが、そういう言葉は右から左に流れていくのでどーでもいい。

 

 ――――カァァンッッ!

 

 カルナがいつの間にか手にしていた槍の石突きで力一杯床を叩いた音が会場に木霊し、その威圧的な音色に気圧された酔漢たちが揃って口を閉ざした。

 

 ちらりと視線を向ければ、憮然とした表情のカルナが唇を噛み締めていた。

 軽く肩を竦めて、気にしていないことを示せば、少しだけその身にまとっている気配が和らいだ。……そうだよ、お前はそれでいいんだ。

 

 再び静かになった会場で、軽く咳払いをして、場の流れを引き戻す。

 

「――なら、この金環四つでどうだ? 俺の両の手足に一つずつ。

 効能としては、そうだな……人間であれば、持ち主に永遠の若さを与え、最上の状態を維持する。神々の子らとその妻の代金としては十分すぎるだろう?」

 

 元手として見せた腕輪の他に、現在着用している腕輪と足輪をそっと見せつける。

 この勝負、もし負けでもしたらとんでもないことになるなぁ……とか思いつつも、それ以外に差し出せるものがない。

 

 なので、なんとかして勝負自体を始めないとどうにもならないのから、こっちとしても必死だ。

 

 ――それにしても。

 なーんで、俺がパーンダヴァの奴らのために必死になっているのやら。

 

 思わず白けてしまいそうな内心の声から耳を閉ざして、今はこの場にいないあの腹黒策士(クリシュナ)へと罵声を飛ばした。

 

「――いいえ、それでも足りませぬな」

「はあっ!?」

 

 そんなことにかまけていたせいで、次のシャクニの言葉には素で呆気にとられた。

 当の本人といえば、残念極まりないと言わんばかりの態度で首をゆるく振り、訳知り顔で滔々と彼の理屈を語る。

 

「なるほど、神の力を宿した神宝を四つ。それは結構!

 しかし、自分が此度の賭けで我が甥の手に収めたのは、類い稀な力を宿した神々の息子が五人! そして、その美しい妻を合わせて全部で六人! 四つ程度の宝では、到底その価値が釣り合いませぬなぁ」

「…………」

 

 ドゥリーヨダナって、思っていた程、嫌味なやつではなかった。

 この叔父さんの方がずっと厭らしいというか、なんというか……こういうあくどいところも人間の一面なのか、と正直感心すらした。

 

 しかし、参ったなぁ……。神の子と天下一の美女に釣り合うほどの宝、かぁ……。

 うーむ、うーむ。――あ、そうだ!

 

「――なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺とて人外の端くれだ。当然、お前としても、それで十分だよな?」

「!!」

「……まて、それは」

「よしなさい、ドゥリーヨダナ。お前はこのシャクニにこの勝負を任せたのだ、であれば黙って見届けるが良い」

 

 ドゥリーヨダナが思わず、といった感じに玉座から立ち上がろうとするが、それを険しい語気でシャクニが押し留める。

 年長者として敬わなければならぬ叔父に制されて、ドゥリーヨダナが渋々といった表情で俺を見つめてくる。

 

「――ですが、それでも五つ。あと一つ、足りませぬ」

「…………」

 

 ……俺、こー見えても正真正銘な神霊なのだけど、半神の王子様とは価値が釣り合わないのだろうか。

 少しばかりそこが不満だが、俺が神らしく見えないというのはドゥリーヨダナからも言われていることだし、威厳のない自分自身のせいであると口をへの字に曲げる。

 

「――では、オレではどうだ?」

 

 涼やかな、どのような喧騒の中にいても必ず聞き取れると豪語できる、世界で一番聞き慣れた声がそっと俺の耳元で()()()()

 金属の鎧が触れ合って、澄んだ音色を立てる――肩に置かれた、強張った手の重みを感じる。

 

「――……カルナ」

 

 ――いつの間にか、俺の背中に寄り添うようにしてカルナが膝をついていた。

 

「元々このような事態になったのは俺の責だ。ユディシュティラ王も己の弟を賭けに出したのだ。――であれば、同じことを俺がされても構うまい」

 

 炯炯と光る蒼氷色が、シャクニ王を貫く。

 それまで薄ら笑いを浮かべていた王が武人の眼差しに睥睨され、僅かに気圧されたようだった。

 

 周囲には先ほどのカルナの声は聞こえなかったようだ。ざわざわと俺たちの関係性を訝しむ囁きが耳に入ってくるが、それらの内容はせんなきこととして、俺の脳裏に刻まれる前にそっと消え失せる。

 

「失礼ながら、将軍とそのお嬢さんとの関係は?」

「……答える必要があるのか」

 

 素っ気無いカルナの返事に、シャクニ王の顔が引きつる。

 こんなにも適当な扱いをされたのは彼の人生において初めてのことだろう。甥の懐刀であるからこそ皮肉を口にしないだけで、内心ではさぞかしカルナへの罵倒の嵐であると推測した。

 相対しているカルナの顔は涼しげだが、少しばかり焦っているようにも見える。

 

 ――しかし、弟……弟か。

 ちょっと気になることがあって、少しばかり考え込む。弟、妹、家族、父・母、それに娘に息子……。

 

 ――――()()

 

「パーンダヴァの子供達を助けるために貴方がその身を差し出すと? ご冗談もお辞めなさい、カルナ将軍。……そもそも、その賭けは成立しないのです」

「何故だ? オレは確かに武しか取り柄のない男だが、それなりの戦闘能力はあると自負している。その点においては、そこの第三王子にも引けを取るまい」

 

 人々のぶしつけな視線から守るように俺の背中側に膝をつき、片側の肩を掴んでいるカルナの手に力が篭る。

 

「ええ、それでも賭けは成立しないのです。何故なら、貴方はドゥリーヨダナの家臣。

 すでにドゥリーヨダナのものであるというのに、どうしてそのような賭け金が成立するのでしょう?」

 

 ――しまった、とカルナが小さく呟いたのが聞こえた。

 

 確かに、シャクニ王はドゥリーヨダナの代理であって、この賭け自体は俺とドゥリーヨダナの勝負なのだ。

 ドゥリーヨダナの持っていないものにこそ価値があるのであって、悪辣王子の懐刀として名を馳せているカルナでは、この賭けは成り立たない。

 

「まぁ、そうなるよなぁ。――とはいえ、余計な気を回す必要はないぞ、弟よ。

 お前は確かに俺の弟で、俺はお前をこき使う権利を持ってこそいるが、それだって、いざという時にお前を守るという名目のもとで行使できる、長子権限というやつだ。何より、大事なお前を賭け事に出したりなどするわけないじゃないか」

「だが、……しかしそれでは」

 

 クシャクシャと肩の上にある形のいい頭を撫で付け、そっとその額を押して退かせる。

 こそこそ声で話している俺たちに周囲が不審そうな目を向けているが知ったこっちゃない。

 

 それでも、なおもカルナが責任を感じているようだったので、ちょっと冗談を飛ばしてみた。

 

「――第一なぁ、お前の髪の一筋、血の一滴、肉の一欠片に至るまで、お前はお前自身のものなんだ。お前の意思と心がその肉体に宿っている限り、お前の身はお前だけのものなんだ。お前は俺の弟だけど、俺の所有物じゃない。

 何より、どこの世界に、大事な弟を借金のカタに売り飛ばすような兄……じゃなかった姉がいるかよ?」

 

 ――敢えて声高に言い切った途端、会場の片隅で奇声が響いた。

 

「…………グフッ!」

「わー、ユディシュティラ兄上が泡吹いて倒れた!!」

「わー、ユディシュティラ兄上が痙攣してる!」

「……ごめん、今のは聞かなかったことにしてやって」

 

 これは酷い、とシャクニ王が哀れみを浮かべ、双子の医神(アシュヴィン)の子である双子が叫ぶ。

 妃と双子とで、必死に倒れ伏した長兄の介抱にかかりっきりになっているのを皆が白けた目で一瞥したが、何かを口にするものはいなかった。

 

 あの慕われっぷりからすれば、多分、普段はいい兄貴なのだろう。

 ――ただ、どうしようもなく破滅的な悪癖があるだけで。

 

「それにしても、もう一つ、か……。うーん、そうだなぁ……」

 

 別に俺が助けないといけないと思うのはあの王妃様だけであって、その他の兄弟がどうなろうがどーでもいいのだが。

 けれども、その王妃様を助けるためにはその夫たちも助けなければいけないという板挟み状態である。

 

 あ、そーだ。いいこと思いついた!

 

「――なあ、別に五人も夫がいるなら、一人くらいいなくなってもよくね?」

「そ、それは困る!」

 

 とんでもない名案だと思ったが、クルの長老のどっちかが狼狽しきった声を上げる。

 そのまま、聖典に基づいてどっちがどうとか、何がどうだとか好き勝手言っているのを右から左に流しながら、大きく溜息を吐いた。

 

 ドゥリーヨダナへと視線を向ければ、高速で首が左右に振られた。

 これ以上ない意思表示に、名案を思いついた時の高揚感が薄れていく。

 

 あー、確かに。

 兄弟の一人が奴隷のままだったら、兄弟思いの彼らは、その奪還のために死に物狂いで力を尽くすだろう。

 俺だって、カルナが同じ立場に置かれたら、そうする自信がある。

 

 財産を失った彼らとはいえ、その力は並大抵のものではない――何より、賭博をふっかけたのがドゥリーヨダナである以上、それを責め立てる意義も込めて、親パーンダヴァの連中もドゥリーヨダナから離反するかもしれない。

 

 ドゥリーヨダナだって別に従兄弟を奴隷に貶めたくて貶めたわけでもなく、むしろ勝手に自滅されたようなものだから、そんな扱いに困る奴らなんていらんよなぁ……。

 

「あー、わかった。なら、こうしよう。六つ目の賭け金には、()()()()()()()()()()()()()

「まあ、手元にないものを賭けるのは別に規則に反しているわけでもありませぬゆえ、よしと致しましょう。――何をお賭けになるのかな、お嬢さん?」

「――……()()だ」

 

 子供? とシャクニが首を傾げ、背後のカルナがひゅっと息を飲む。

 少し離れていた距離が一気に詰められ、載せられたカルナの手がギリギリと俺の肩が軋む勢いで掴んだ。

 

「正確には、これから俺が産むであろう子供だ。――この賭けに負けたら、俺はこの世で最高の資質を持つ天性の戦士を――それこそ、ここのカルナにも、最優の戦士として名高いアルジュナ王子にも引けを取らぬ、そんな子供を産んでやろうじゃないか。

 ――そうら、これで六つ目。――どうだ、これで賭け金は揃ったぞ?」

「――アディ、……ロティカ!」

「これは大きく出ましたな!!

 ここのカルナ将軍にもアルジュナ王子にも引けを取らぬ戦士ですと?」

 

 品定めするような視線で俺を見つめているシャクニに、できるだけ魅力的に微笑んでみせる。

 

 それにしても、肩に置かれているカルナの握力が痛い、地味に痛い。

 ――――いや、滅茶苦茶痛いんだが。

 

「――俺は混ざりっ気なしの正真正銘の人外だからな。その俺が母体になるんだ、生まれてくる子供の資質に文句はないだろう?」

「よろしいでしょう。そもそも、女性にそこまで言われて勝負を断るのも、男が廃るというもの――お受けいたしましょう」

 

 ……残念ながら、ただの皮の器にしか過ぎぬ俺の体に生殖機能はついてないんだが、その辺は黙っておこう。

 女の体であるという不利益を生かして、この勝負を成立させるには、もうこれしか手段がない……というか、思いつかない。

 

「――ただし、勝負の詳細は俺に決めさせてもらおうか。とはいえ、さっきまで難癖つけまくってくれたんだ、それくらいの譲歩は当然してくれるよな?」

「いいでしょう。さて、その内容とは?」

 

 お互いの座っている席の真ん中に置かれていた賭け事用のすり鉢を手に取り、軽く揺らす。

 カラカラ、と中に入っている骰子が転がって、乾いた音を立てる。

 

「出した目を当てるだけの、簡単な遊戯さ。

 ただし、参加者は互いに目隠しをした状態で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 先に……そうだな、六回当てた方が勝ち、ということにしようぜ?」

 

 コロコロと回っている骰子がピタリ、と止まった。

 出した目は――六と六の最大数。通常のサイコロ勝負であれば最高値の数であった。




(*賭け事で勝負しよう、というのはだいぶ前から決めていたプロットでした。そして、そのためには六人ぶんの対価を用意せよ、と言われたアディティナンダが金環の数が足りないから自分自身の人格を差し出す、というのも*)
(*この辺は完全に二次創作だからこそできるフィクション。とは言え、恐ろしいことに原典の流れと一緒*)
(*原典の流れに沿う場合、このエピソードで重要なのは「神」と「女」によって救われるパーンダヴァ兄弟、となること。この場合の女とはドラウパティーで、彼女の悲痛な助けを求める叫びを聞き遂げた神々の手によって王妃が救われる、というのが原典の流れなのです――そして、そのためのロティカであり、そこから×××の発言へとつながります*)

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