もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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そもそもなぁ、女性に権利があったらこんな事態にはならんかったんじゃないかと思わなくもない。
けど、神代の時代にそれを求めるのは酷というものだ。


女、あるいは王妃の権利

 ――にこやかに微笑んでいるが、目が笑っていない。

 例えるのであれば、一噛みで敵を絶命させる毒蛇のような油断ならない男だ、という印象を受けた。

 

「お……私、ですか。

 私は、そうですわね……通りすがりの……通りすがりといったところでしょうか!」

「あ、ああ。な、なるほど――む?」

「――結局通りすがりであることしか分からんではないか……」

 

 上手い言い訳が思いつかなかったので、とりあえず勢いで押し切った。

 人間、相手を混乱させてしまえば、後は押しの強さと笑顔でなんとなかる! というのがドゥリーヨダナの教えだったのでちょっと真似してみたが、なかなか効果的である。

 

 心なしか目の前のシャクニ王が困惑しているようだ。

 そんでもって、その背後にいるドゥリーヨダナがボソッとツッコミをしていたが、聞かなかった振りをする。

 

「見た目に関しては気にしないでくださいまし。

 これでも成人は迎えておりますゆえ――そして、目的、目的についてですけど……」

 

 しっかし、女言葉って面倒臭いなぁ……。正直に言えば、あまりにも慣れていないせいで、舌噛みそうだ。

 

 突然の闖入者に混乱している会場内へとさりげなく視線を巡らせれば――玉座の隣のカルナと目があった。

 不安に曇った蒼氷色の双眸と目があったので、安心するように微笑みかける。

 

「私の弟を助けに来た――といったところでしょうか。嗚呼、それだけでしかありません」

「ほう……それはご立派だ。――ところで、ご存知かな? 侍女殿」

「あら、何を、でございますか?」

 

 シャクニ王の口の端が吊り上がる。

 ――さながら、獲物を見定めた蛇のようだ、と思わずにはいられない。

 

 骰子賭博のために座っていた姿勢をゆっくりと崩して、シャクニ王が立ち上がる。

 その長身に気圧されていると思われないように、そっと身構えた。

 

「――賭博場には今回のドラウパティーのような事情がない限り、原則として女人の入場は禁止されている。

 従って、どこの誰かは知らぬが、お主はこの場への立ち入りはそもそも認められていないのだ。おい――誰ぞ、この女を摘み出せ!」

 

 台詞の前半は物腰柔らかに、後半は命じることに慣れた王族として。

 王族の命令を受けた男の召使い、それも筋骨隆々なのが二人。

 そんな彼らが肩をいからせながら俺の方へと手を伸ばしてきた――のを、魔力を帯びた片手で振り払った。

 

「――けど、()()()()()()()()()()()()?」

 

 にやり、と出来るだけ不遜に微笑んで、俺の周囲に朱金の炎を生み出して威嚇する。

 空気を焦がしながら燃え盛る炎に王妃が悲鳴をあげ、双子がハッと顔を見合わせる。

 

 頭髪を隠していた布を勢いよく剥ぎ取り、大きく頭を振る。

 ばさり、と音を立てて、豊かな金の髪が窮屈な布から解放され、羽のように広がった。

 会場内の篝火が俺の魔力の影響によって一層激しく燃え盛り、炎の照り返しによって、只人とは一線を画す朱金の頭髪は、さぞ威圧的な輝きを周囲の目に焼き付けたはずだ。

 

 自分たちが手を出そうとした謎の女が、人外の存在であることに気づいた召使いの男たちが、慌ててその場から退いた。

 

 ――よし、ここからは人外の空気をこれでもかと前面に押し出していこう。

 でないと適当な理由でなあなあにされてしまいそうだし、それではドゥリーヨダナの頼みが果たせない。

 

 芝居掛かった仕草で指を鳴らせば――轟ッ!! と炎が渦を巻く。

 

 酔っ払っていた男たちも人知を超えた力に驚いたのか、すっかり酔いが引いた顔で目を見開く。

 ぐるぐると渦を巻く炎が室内を縦横無尽に暴れまわり、空気を焼き尽くし、熱風を人々の顔へと吹き付ける――よし、これで場の空気は俺へと靡いたな。

 

 ――と、思いきや。

 

「確かに! 貴女のおっしゃる通りだ。法によって禁止されているのは、人間の女に対してのみ。――とはいえ、天にも地にも境なく、女は子供のうちは父の、嫁いでは夫のものであると定められている!!

 そんな貴女が一体、この賭博場において、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「――賭場?」

 

 む、と眉根を顰めれば、愉快そうにシャクニ王が笑う。

 こいつ、ここまで人外の気配を明らかにしておいたのに、全く動じることがないとは――流石はドゥリーヨダナの叔父ということか。

 

「――左様。ここは賭博場だ。集う者たちが己の財を元手に一攫千金の夢を掴むための場所だ。

 ……まあ、中にはそこにいる元国王のように全財産を失ってしまうような愚か者もいるのだが――財を持たぬ輩は摘み出されるのが賭場の掟である。つまりは財産を持たぬ以上は――とっとと元の場所へお戻りなさいということだ、お嬢さん?」

「……ははぁ、なるほど。お前の言い分は理解したぞ、クルの王族。けど、生憎だな。俺の父は地上におらず、俺の伴侶などどこにもいない。そんでもって、俺より年嵩の男兄弟も存在などしていないのだ。

 ――つまり、俺の身柄は俺のもので、俺は賭け事に出せるだけの財を持っている、ということだ――であれば、賭けに参加する資格はあるだろう?」

 

 この王様もなかなか愉快な人間だ。いいね、なかなか面白い。

 ――まさか、神霊を賭け事勝負――それも、自分の得意とする領分に引きずり込むとは。

 

 皮肉っぽい喋り方といい、話の流れを自分の方へともっていく才覚と言い、ドゥリーヨダナによく似ている。

 もっとも――じゃなきゃ、半神の王を相手に勝負など仕掛けられないか。

 

「元手があればいいのだろう? ――()()()()()()()?」

「ほほぅ、これはなかなか奇矯なお嬢さんだ。――ですが、自分がその誘いに乗ってやる義理などありますまい?」

「――おや、それでいいのか?」

 

 できるだけ不遜に、できるだけ蠱惑的に、ゆったりと微笑んでみせる。

 先ほどから固唾を飲んで様子を伺っている観衆の誰かがゴクリと唾を飲み込む音がする。

 

 普段よりもずっとゆっくりとした動きで腕を開き、首を傾げてみせる――確か、娼婦のお姉さんがいっていた男心にゾクリとくる仕草ってこういうのだったような、気がする。

 

()()()()()()()()()()()()()?」

「……何をです?」

「自分の豪運と一流の賭事師として磨いたその技量を、だ。半神の王を相手に、それも、法を司る神の子を打ち負かすようなお前の持つ技倆が――果たして、本物の神霊()を相手に通じるかどうかっていうことを、だ……!」

 

 相対しているシャクニ王の目がぎらりと光る――()()()()()()()! 

 内心で快哉をあげながらも、できるだけ表情は不遜で不敵な顔を浮かべた侭である。

 

「ドゥリーヨダナ、この方の勝負に応じてもいいかね?」

「……ご自由に、叔父上。かなり舐めた口を聞いておりますが、相手は女です。――あまり、手荒な真似はしませぬよう」

 

 目だけは抜き身の刃のように輝かせたシャクニ王が、じっとこちらを凝視しながら甥っ子へと尋ねかける。

 済ました声のドゥリーヨダナの返事を受け取ったことで、勝負は成立した。

 

 なんか、話の流れで賭博勝負に持ち込んじゃったが、うーん、本筋から離れていないからこれで良しということにしておこう。

 ……今更やーめた! と言い切れる雰囲気でもないし。

 

 ――さて。

 俺たちはこれでいいとして、もう一人だけ、その欲するところを確認しておかねばならぬ人物がいた。

 

「――それで? お前の方もそれでいいのか、ドラウパティー?」

「――え?」

 

 双子の間に守られながら事態の展開を伺っていた王妃が、キョトンとした顔をする。

 何もわかっていない顔に内心で舌打ちして、前に立っていた双子の片割れ――あまりにもよく似ているのでどっちがどっちかはわからない――を押しのけて、その眼前に立った。

 

「え? じゃないだろう。俺は今からそこの王とお前の身柄を賭けて勝負するが、()()()()()()()()()()()()? ということを尋ねているんだ」

「え、え? だって、そのようなこと、(わたくし)には……」

 

 美しい顔を困惑で染め上げながら狼狽している王妃に、あることに気づいて、できるだけ優しい声を出した。

 

「――あのな。正直にいうと俺は別にお前の味方じゃない。

 俺がお前を助けるような真似をしているのだって、突き詰めれば俺の大事な子たちの為だ。俺は俺の目的のために動いている。

 ――けど、お前だって当事者なんだから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――貴女は、(わたくし)の味方ではないの? (わたくし)を哀れに思ったからこそ、先ほどの蛮行を止めてくれたわけでもないの?」

「嗚呼、そうだ。酷い言い方をするが、俺はお前がどうなろうとどうでもいい。お前の境遇を哀れにこそ思うが、お前個人に対する好感も好意も恩義も義理もない。

 ただ、俺は俺の都合でお前を助けてやるような真似をしているだけだ――いいのか? これからお前の身柄を賭けて勝負をしようとしているのは、そんな人でなしなんだ」

 

 人でなしと自負している身だが、随分と情のないことを口にしている自覚はある。けれども、この王妃だって当事者の一人である。

 ただ場の流れに流されるままに貶められたり、救われたりするのは、却って不実であろう。

 そもそも、妻に夫の暴論を退けられるだけの権利が認められていたのであれば、このように、この王妃が衆目の面前で辱められることはなかったことだけは確かだ。

 

「……なら、どうしてそんなことを仰るの? (わたくし)にそのような話など聞かせる必要など、益々なさそうに思えますわ」

「――お前にも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺にしてみれば、人間は等しく人間でしかない。そこに身分の違いも、男も女もあるものか」

 

 ――だから、と口調を強める。

 ただ神々の定めた台本通りに従うのではなく、ただ俺の忠言通りに生きるのではなく、己で道を定めて生きるドゥリーヨダナやカルナの持つ人の意思という輝きに心奪われた俺だからこそ。

 ただ漫然と流されたままにこの王妃を救ってやるような真似だけは絶対にするまい。

 

「――だから、お前にも敢えて尋ねるぞ。そんな相手であったと知った上で、()()()()()()()()()()()?」

 

 ――王妃が息を飲み、軽く瞼を閉ざす。

 困惑で染まっていた面が引き締まり、己の身を守るように胸元を抑えていた手の震えが治った。 

 

「この際、貴女が誰であっても構わない――どうか、私を助けて」




<裏話>

アディティナンダ「よっしゃ、言質はとったぞ!」

<感想という名の考察>
…インド女性の権利について。
 正直、カルナさん側からしてみれば、身分の低さを理由に婿選への参加を拒絶したドラウパティーってあんまり好きになれないキャラクターなんですけど、当時の価値観や教えからしてみれば、彼女の主張するところって至極真っ当なんですよね。(というか、それだけ実力主義でカルナを重用したドゥリーヨダナの異常性の方が際立っています)
 ぶっちゃけ、夫を決めてしまってからは基本的に夫に絶対服従なのが、神代のインドの女性観という感じなのでしょうか。夫が五人とか、賽子賭博の時か、彼女の意思というか人格は完璧に無視されているんですよね(原典を読んだ限りの作者の印象です)ある意味、彼女が「嫌だ」と口にできたのはそのカルナとの婿選の一件だけ。
 実際、ドラウパティーは五人の夫がいることに対して嫌味を言われたり、揶揄されたりしているんで、それが賽子賭博をきっかけに、自分を助けてくれなかった夫たちに対して(特にユディシュティラ)怒りが爆発してしまっても致し方ないというか……それで、夫に復讐するわけにもいかないから、カウラヴァにその怒りが向いても致し方ないというか……(詳しくは原典の森の巻を参照ください)

 とは言え、この時に大ピンチに陥ったドラウパティーを助けようという素振りを見せたのって次男のビーマだけなんですよね。他の兄弟たちが規則や教えに背くことになるためにドラウパティーに助け舟を出せなかった時に、長男のユディシュティラを止めるべく動いたのは彼だけでした(身内には優しいビーマの性格がよく出ているエピソードです)けれども、同じ会場にいた三男のアルジュナに長兄の定めたことに弟は背いてはならないと制止され、泣く泣くその拳を納めて、目の前の惨状を歯を食いしばりながら見ている羽目になったとか。
その屈辱を忘れていなかったからこそ、クルクシェートラでのあの横紙破りのような戦い方を是としたのかもしれませんね。

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