もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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さて、答え合わせといきましょう。

【カルナさんの敗因】
…会場内にいた全員がどちらが先に賭け金にされたのか目撃しているので、別にいうまでもあるまいと言葉を端折ったこと。


助け舟

 ――嗚呼、弟よ。君を泣く。

 お前のその心配りは素晴らしいものなのだけど、もの、なんだけど……!

 

 つい周囲も理解していると勘違いして言葉を端折るのはお前の悪い癖だ、と言うことを忘れていた……!

 なまじ、俺もドゥリーヨダナもカルナ語を理解できるだけに、その癖を改めさせるのをかまけていたのは間違いだった……!

 

 発言したカルナの方は常のごとく無表情だが、内心で大混乱に陥っているのが手に取るようにわかった。

 

 そりゃあそうだ。

 まさか、自分の伝えんとした内容と真逆の意味で会場が荒れるとは思っていなかったからだろう……。

 であれば、その困惑も宜なるかな。

 

 よろよろとその場を離れて、怒声と罵声、それから悲鳴の聞こえてくる会場から離れる。

 立派な柱の陰に飾りとしてあった豪奢な壺を抱きしめて、心の安静を図る。

 

「そ、そこは、ユディシュティラ王が先に奴隷になったのだから、王族であるドラウパティーを賭け金として差し出すような権利を有するはずがない。――従って、彼女の言い分には従うべきだ、とまで言い切るべきだった……!」

 

 賭けてもいいが、先ほどの言葉の真意を理解できたのは俺とドゥリーヨダナ、それからアシュヴァッターマンぐらいだろう。

 他の人間には絶対真逆の意味、すなわちドラウパティー姫は夫の手で奴隷になったのだから、そこから逃れることはできない。周囲の言い分に従うべきである、と解釈したことだろう。

 

 つまり、カルナの善意が空回りして、あのお姫様の主張にトドメを刺したわけになる。

 過去にカルナを身分の低い男だと罵倒した王妃には痛烈な皮肉として受け止められただろうし、踏んだり蹴ったりである。

 これでカルナが嫌がらせの一環としてそう発言したのであれば兎も角、そうじゃないだけに――胃が痛い。

 

 ドゥリーヨダナと和解して以来、痛むことのなかったお腹が痛い。

 おかしいなぁ、この俺が封印具たる金環を身につけておきながら、なぜこのような目に遭っているのだろうか。

 

「嗚呼もう、仕方ない……! 弟の不始末は兄の不始末だし、このままカルナのせいであのお姫様がひどい目にあわされるのは目覚めが悪い、ここは文字通り人肌脱ぐか……!」

 

 取り敢えず、誰にも“アディティナンダ”だと分からなければいいんだよな。

 そんなことを思いながら、会場から聞こえてくる騒めき声を背景に、そっと腕に嵌めた金環を引き抜く。

 どこに置いておくべきなのかを迷い、抱えたままの壺の中に腕輪を投げ入れれば、澄んだ音色がした。

 

 ――着用中の男性用の衣服を焼き捨て、どろりと溶けて器の形を変え、魔力で服を編む。

 王宮で働く侍女の制服とよく似た衣装を纏い、目立つ金色の髪を布で覆い、そうして金環の入った壺を片手に抱え込んだ――主に、精神の安定のために。

 

 ――作戦はこうだ。

 ドラウパティー姫が寝室に消えたのを心配して会場まで探しに来た(侍女)、宴の喧騒に紛れて適当なことをまくし立てながら、王妃を会場から連れ出して、寝室へと戻し、朝まで待つ。

 参加者たちの男たちの酒が抜けた翌朝ならば、酒精のせいで気が大きくなっている彼らも正気に戻るだろうし、あのドゥリーヨダナがいいように決着をつけてくれるだろう――とにかく、俺はこの場を切り抜けさえすればいいのだ。

 

 なんとかなるさ、多分、多分きっと!

 会場に立ち込める酒精と男たちの汗の匂いに鼻を顰めながらも、できるだけ目立たぬように会場の中心を目指す。

 

 柱と垂れ幕で会場は囲まれ、すり鉢状の会場の段差には王族たちが思い思いに座す。

 中央の広間には、宴の主役であるユディシュティラ王とその兄弟たちに相手を務めていたシャクニ王、それに引きずられて来たドラウパティー姫の姿がある。

 シャクニ王の背後に備え付けられた壇上の玉座には主催者のドゥリーヨダナが座っており、その隣には狼狽しているカルナ、それから長老方が国王と並んで座っている。

 

 全員が全員、参加者たちにお酒を注ぐ召使いに至るまで、すり鉢状の広間で広げられている悲劇に目を奪われているために、こっそり潜り込んだ俺に気づくものはいない。

 

 ――あ、ドゥリーヨダナが俺に気づいたのか、ホッとした顔をした。

 

「そう言うわけだ! これで王妃様、いや、元王妃! 貴様もドゥリーヨダナ王子の奴隷だ! 嘆くなら、貴様を抵当に出した情けない夫たちを恨め! そら、奴隷にそのような服など不要だ、温順しくしていろ!!」

「いやぁ、やめて! ああ、助けてください、天の神々よ! 助けてちょうだい、ゴーヴィンダ!!」

 

 酔っ払った男が一人、赤ら顔でドラウパティー姫の夜着を脱がそうと、その服を引っ張っている。それに抵抗しているドラウパティー姫だが、なにぶん男と女だ、力の差は歴然である。

 

「ああ、どうしての夫たちは誰も助けてくれないの!? 聖典(ヴェーダ)に通じたユディシュティラも、怪力自慢のビーマもどうしてこの蛮行を止めてくださらないの!? 助けて、アルジュナ!」

 

 頼りの綱の夫たちもすでに奴隷の身に落とされてしまい、この場においての発言権もその乱行を止めるための権利を有していない。

 ビーマ王子なんて眼光だけで他人を殺せそうな顔つきをしているくせに、目には見えない法や道理にがんじがらめにされていて唸り声を上げることしかできない。

 

 長老たちはせめてと言わんばかりに目を背けているし、酔っ払った客人たちは舌舐めずりしながら艶かしい王妃の裸体を愉しんでいる。

 冷たい顔のドゥリーヨダナが止めようとしたカルナを制止し、アシュヴァッターマンが天を仰いだ。

 

 ――嗚呼、やれやれ。

 人と獣の最大の違いは理性や法、秩序や道義という目に見えないものに従って、どれほど自分を律し、抑えられるか否かと言う点にある。

 とはいえ、こうもご婦人を寄ってたかって辱めを与えるような真似が公然と罷り取ってしまった以上、その法についてもご婦人の権利という点において正すべき必要があるというべきだな。

 

 手にした壺をおおきく振りかぶって、狙いを定める――せーの!!

 

「……オオーット、手ガ滑ッタ!!」

 

 自分でもびっくりする位には白々しい声が出たが、その辺はしょうがない。

 酔っ払いの醜態ほど見苦しいものはないし、あんまりこの現状も見ていて楽しいものではないから致し方ないのだ。

 

 カコーーン! と、いい音を立てて、王妃の服を剥こうとしていた男の後頭部に壺が激突した。

 そのまま綺麗な弧を描いて戻って来た壺を片手で受け止め、そうして、できるだけにこやかな微笑みを浮かべて、涙目の王妃の元へと楚々とした仕草で歩み寄った。

 

「嗚呼、このようなところにおられたのですね、王妃様! 御寝所にお姿が見えなかったので、心配いたしました。――さあ、お部屋へとお戻りを」

 

 突然の乱入者に人々があっけにとられている合間に、王妃の手をとり、忠実な侍女のふりをして部屋に戻るように促す。

 夜着という名の肌着一枚しか纏っていない王妃の姿に内心で顔を顰めながらも、それを表情には出さない。あくまでもこの場の俺は侍女である。

 

 ――さて、これであとはこのお姫様を部屋に返してやるだけだ、と思いきや。

 

「ま、待って。貴女は誰? わ、私は貴女のような侍女など知らないわ……!」

「……嫌ですね、妃殿下に使える侍女の一人ではありませんか?」

「そ、そんな筈ないわ! だって、私は自分に仕えている侍女の顔を全員覚えているのですもの……! 貴女が私の侍女な筈がない!!」

 

 多分、生まれて初めてだろう急転直下の事態に動揺し、誰も彼もに疑心暗鬼状態になっている王妃にはこの手段は逆効果だったようだ。

 まあ、彼女を一番に守らねばいけないはずの夫たちが頼りにならず、正義の人たちである老人方も何も助けてくれなかった、ということも、彼女の精神が不安定になったのに拍車を掛けたのだろう。

 

 ――涙と屈辱で潤っている目を大きく開き、嫌悪と不信の表情を浮かべた王妃自身の手によって、掴んでいた俺の手は振り払われてしまった。

 

「――っち!」

 

 どこかで上品な舌打ちが聞こえたが、十中八九ドゥリーヨダナだろう。

 新たな女の闖入者へと四方八方から遠慮なく投げかけてくる野郎どもの獣欲によって血走った視線に、この深窓の姫が、よくもまあ耐えられたものだと内心感心しながらも、どうやってこの場をくぐり抜けようかと思案する。

 

 正直、この王妃様に関してだけは同情の余地がある。

 この会場にいなかったこと、夫全員の妻であるとされながらも長兄であるユディシュティラの独断だけで彼女が賭け金として出されてしまったこと、カルナの悪意なき言葉によってさらなる窮地に追い込まれてしまったこと。

 

 特に最後の一点だけでも、俺が彼女をこの状況から助けてやらねばならない理由となる。

 ぶっちゃけ、この王妃様に思うことがないわけではないが、夫の財産として、所有物として扱われるがゆえに、その意思を蔑ろにされ続ける人間の女というものに対しての憐憫の情もある。

 

 ――さて、どうしたものか。

 

 王妃を一瞥すれば、気丈に振舞ってはいるが、よく見れば全身が小刻みに震えていた。

 その姿に溜息を吐けば、びくりと王妃の体が大きく震えたので、両手を広げて魔力を編み込み――優しい仕草を心がけつつ、一枚の布をその肩へと羽織らせる。

 

 そして、そっと王妃にだけ聞こえるように囁いた。

 

「あー、取り敢えず、羽織っておけ。俺の魔力で編んだものだが、何もないよりましだろう」

「あ、貴女……! まあ、なんて乱暴な喋り方!」

 

 羞恥で顔を染めた王妃がモゴモゴと口の中で礼をつぶやき、魔力で編み出された布を羽織って体を隠す。まあ、その場しのぎに過ぎないが、それでもマシだろう。

 

「それからそこのアシュヴィンの双子。ちょうど二人いるんだ、前と後ろに立って、壁になってやれ」

「あ、え、えっと――わかった!」

「あ、は、はいっ――わかった!」

 

 そっと肩を押したドラウパティーを男どもの視線から隠すように指示してやれば、それまで長兄にかかりきりになっていた双子が慌てて駆け寄ってくる。

 

「――あの人は……」

「知り合いか、アルジュナ? そーいや、あの侍女どこかで……」

 

 どっかで聞いた覚えのある声が驚愕したようだが、こちとらそれどころじゃない。

 依然として座り込んだまま、こちら――パーンダヴァの五兄弟とドラウパティー、そして俺の方を悠然と見つめているドゥリーヨダナの叔父、シャクニ王が口を開く。

 

「見た所、さして年端のいかぬ少女のように見えるけど……ドラウパティーの侍女でないのであれば、君は一体どこの誰なのかな? それに一体何の目的でこのような場所に足を踏み入れたのか、是非ともお尋ねしたいところだね」

 

 まあ、普通はそう尋ねてくるよなぁ……。

 壇上で後は任せたと言わんばかりに肩の力を抜いたドゥリーヨダナとその隣で焦りの表情を浮かべているカルナへと軽く頷いてみせた。

 

 ――安心しろ。

 お前に頼まれた通り、しっちゃかめっちゃかに引っかき回せてやるから、後片付けは任せたぞ。




<裏話>

ドゥリーヨダナ「いつの間にか片付け名人になっている件について」

(*ちなみにアシュヴィンの双子は非常に太陽神スーリヤと縁が深かったりする*)
(*ちなみに次回は断章の続き『月下の邂逅<下>』を投稿しますので、悪しからず*)

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