「――――賭博大会を開くぞ!!」
あれから数日後。
国王夫妻お気に入りの楽師として王宮に出入りしているところを捕まえられたと思えば、開口一番にドゥリーヨダナはそう言い放った。
数日前の暗澹たる気鬱の気配はすっかり消え失せ、いつもの根拠もなく自信満々なドゥリーヨダナである。
ドゥリーヨダナの常にないウキウキとした雰囲気に首を傾げていたら、秘書官的な役目を任されているアシュヴァッターマンがそっと耳打ちしてくれた。
「……なんでも、叔父上であられるシャクニ様のご提案で、諸国の王族たちを集めた賭博をするとのことです」
「――ちなみに、パーンダヴァの人々も?」
「――――当然だ!」
俺の囁き声を聞きつけたドゥリーヨダナが華麗にその場で一回転して、胡散臭さ極まりない笑顔を浮かべる。
ちなみに、よくよく見ると目が笑っていなかった。
「ふふふ……! ユディシュティラめぇ……、首を洗って待っていろよ……! このドゥリーヨダナ、受けた屈辱は必ず返す男……!
いや、具体的にはお前というよりもあの鳥頭の方が憎いのだが、弟の不始末はそう、兄の不始末! ――ということで、奴に責任を取らせよう!!」
そ、そうだったのか……! さすがは百人以上の弟妹の頂点に立つ男。
その言葉にはちょっと筋が通っていなさそうだけど、真の長兄たるこいつが言うのであれば真実なのだろう……!
心の記録帳にそっと今の言葉を筆記している俺の後ろで、心配極まりないと言わんばかりの表情をアシュヴァッターマンが浮かべていたが、こと兄弟間の問題に関してのドゥリーヨダナの言葉は見習うべきだとそっと黙殺する。
「――でも、賭博だぞ? 聖王とまで讃えられるような男が、そんな俗っぽい遊びに関心を示すのか? 誘ったところで、クシャトリヤの禁に触れるから、という理由で断られそうなのだが」
「……そっか。アディティナンダは知らないんだっけ、ユディシュティラ様の賭博癖」
キョトンとした表情を一瞬浮かべ、アシュヴァッターマンが納得したように一人頷く。
仕事と私事をきっちり分ける彼にしては珍しく、普段使いの話し方になった後、主君であるドゥリーヨダナが咎めないのをいいことに、そっと情報を流してくれた。
「これは王宮でも昔から殿下方の側仕えをしているものしか知らないんだけど……ユディシュティラ様は大の賭け事好きだ」
「へ、へぇ……。それはまた、随分と奇矯な趣味だね」
十年近く前に拝見した限りの、パーンダヴァの長兄の姿を思い浮かべようとするが、すぐにその像は消え去ってしまう。
――いかん、あまりにも関心がなさすぎて、すっかり忘却の彼方へと追いやってしまっていた。
けど、戦士というよりもバラモン――祭祀階級の人間か学者のような風貌の人間だったのは覚えている。
俗世のことなどに関心はありません、と言わんばかりの半神の王子の趣味が賭博、ねぇ……。なんか、どっかで聞いたことのある話だな――どこでだったっけ?
「ふふふふ……! しかも、それだけではない!! あのユディシュティラは大の賭け事好きなのだが――ズバリ!! 鴨ネギなのだ!! ふふ、今から奴の悔しがる顔が目に浮かぶわ!」
はーはっはっは、と哄笑するドゥリーヨダナの後ろ姿をアシュヴァッターマンと二人で見つめながら、揃って嘆息する。
アシュヴァッターマンが困ったように前髪を撫でつければ、その額に生まれながらに宿している貴石が陽光を浴びて煌めく。それに自然と目を見やれば、照れたように前髪が撫で付けられた。
「そうだ! ここまで来たら、徹底的に嫌がらせを仕込んでやる! アシュヴァッターマン、文を持て! 今すぐ、わたしが並べ立てる奴らに招待状を送ってやれ!!」
「はい、ただいま」
困ったように苦笑していたアシュヴァッターマンの顔が、滔々と列挙された面々の名前を聞いて、次第に困惑へと変化する。
「その、殿下……。先ほどお伝えになられた方々は、その……」
言い淀むアシュヴァッターマンに助け舟を出すつもりで、ドゥリーヨダナに声をかける。
その俺の声にもやや困惑の感情が隠れていることには、ドゥリーヨダナとて気づいていることだろう。
「皆、過去にパーンダヴァの一家に領土を削られたり、貢物を強いられたことのある奴らばかりじゃないか。
それに、あのドラウパティー姫の婿選びに参加していた面々の名前もちらほらある。
嫌がらせにしては度がすぎるのではないか?」
「皆まで言わすな、兄上殿。それが分かっているから呼ぶのだ」
「つまり、殿下は反パーンダヴァの人々の前で賭博を開くというのですか?
それは少しばかり、外聞が悪いのでは? 殿下の評判に傷がつきます」
主君を慮っての言葉に、ドゥリーヨダナが鼻を鳴らす。
「――ふん! わたしの評判であれば生まれながらに傷だらけだ! ……だが、お前のいうことにも一理ある。
……よし、賭博大会には禿と髭とドローナにも参加してもらおう。それに王宮の良心であられる父上にも娯楽の一環ということで列席いただければ、諸侯も文句を言うまいよ」
えーと、今のはドゥリーヨダナが宮廷のお偉方――つまり、反ドゥリーヨダナで心情的にはパーンダヴァ側にある人々につけた渾名、だったな。
――確か、ビーシュマ老に王弟ヴィドゥラ、か。
なんでも昔から滅びの子扱いされてきたらしく、名前を呼ぶのも虫唾が走るとかで、身内だけの時はいつもそう呼んでいる――でも、渾名のつけ方がやっぱりお坊ちゃんなんだよなぁ……。
カルナが幼少期を過ごした村での渾名なんて「無表情冷徹男」とか「表情死滅筋」だったのに……。案外、カルナの渾名は的を射ていて怒るに怒れなかったんだよなぁ……。それに比べれば身体的な特徴だけなんて、お上品だわ……。
でも、ドゥリーヨダナにも躊躇なく諫言をしてくる彼らが参加してくれていると言うのであれば、嫌がらせの賭博大会であっても、ドゥリーヨダナと諸侯が暴走する前に止めてくれるだろう。
ドゥリーヨダナとて、仮にも一国の王をすかんぴんにして夜空の下に放り出すことはしないだろうし――深く考えすぎだな。
ふむ、と一人頷いて、そのように結論づける。
隣のアシュヴァッターマンも、同様に考えたのだろう。そっと目配せすれば、心得たように頷き返してくれた。
「会場の建築にはすでに取り掛かったし、諸侯への招待状は今日中に書き上げるだろう……! ふふ、待っていろよ、ユディシュティラ! 貴様の財を全てこのドゥリーヨダナが掌中に収めてやろうではないか……!! はーはっははっは!!」
「大丈夫なの、あれ?」
「――ああは言っていますけど、なんだかんだで破滅までには追い込まないんですよね、殿下」
悪ぶっている癖に、根が善良なんだから。
そう苦笑するアシュヴァッターマンに合わせて、俺もまた微笑みを浮かべたのであった。
まあ、ドゥリーヨダナの軽い気晴らしになればいい。
ドゥリーヨダナの悪ふざけが過ぎたら、周囲の人の誰かがきっと止めてくれるだろし、そこまで気を配る必要はないか。
*
*
*
――――そう、思っていたのに。
「アディティナンダ!! 頼む、今すぐ僕と一緒に来てくれ!!」
血相を変えて走って来たアシュヴァッターマンに、賭博場へと連れていかれるまでは、そう思っていたのだ。
――そう、他愛のない嫌がらせ、だったのに。