そんでもってよく考えたら、不老不死にメリットなんかあんまりないよなぁ、と。
「それにしても、もう十年近い日々が経過したんだねぇ……」
天には星々が輝き、地には篝火が燃え盛る。
王宮のドゥリーヨダナの執務室を辞したあと、カルナと連れ立って壮麗な廊下を歩いていたら、そんなことがするりと口から溢れ出た。
――そうだな、とカルナが足を止めて、こちらを見下ろす。
その姿を見つめ返せば、ゆるりとカルナを包む雰囲気が俄かに和らぐ。
ざんばらの白髪に幽鬼のように白い肌、対峙した者の心の奥底まで見通すような蒼氷色の双眸。
痩身を包む黄金の鎧に、胸元を飾る炎を閉じ込めたような赤石。
――そして、人間の一生のうち、最も精力に溢れた時期のまま、
「……カルナの成長、止まったちゃったね。いつからだったのか、覚えている?」
「……数年前のことであったかもしれないし、それよりももっと後のことだったのかもしれない。
――まさか、この鎧にこのような副作用があったとはな」
淡々と残酷な内容を意に止めることもなく告げるカルナに、慚愧の念が胸中に湧き上がる。
……嗚呼。
人を愛し、人の側に寄り添うことを選んだこの子に、そのような道を辿らせたくはなかったのに、と思う。
「――そうだね。まさか、その鎧が所有者の肉体を全盛期のままに留めておく作用があっただなんて、気づかなかった。同じ鎧を持つスーリヤは元々神だから、人間のように肉体が衰えることもないせいで、すっかりその可能性を失念していた」
「――然程、嘆くことあるまい。齢を重ねることはできずとも、この姿のままで維持されるのであれば、戦士として力量が落ちる恐れを抱かずに済む」
「………でも、ドゥリーヨダナが死んだ後は?」
――す、とカルナの目が逸らされる。
人と神の最大の違いは、まさしく
定命であることを定めづけられた人である以上、カルナの理解者であり友であるドゥリーヨダナはいずれ死ぬ。
あれはひどく稀有な人間だ――それこそ、あのような資質を持つ人間を、見いだすことが困難だと言い切れるくらいには。
「ドゥリーヨダナは神々を憎んでいるし、嫌悪している。例え、俺が隠し持っている不死の霊薬を差し出したところで、絶対に口にしないだろう。――つまり、
いくら彼が特異な生まれであり、通常の人間よりも寿命が長く老化の遅い貴種の生まれであったとしても、その終わりがやってくることは必然である。
そして、いくらカルナが忍耐強く、困難に打ち勝つ高潔な性格であったとしても、親しい者たちに先立たれることが確約された将来に耐え切れるのだろうか。
「――俺は、俺はまだいいよ。どうしたって、俺は人外だもの。そうあれかしと定められて生まれてきたから、まだ見送り続けることができる。
――――幼い頃のカルナの姿を思い出す。
あの日の誓い、あの日の決意はまだこの胸にあり、あの絵画のように美しかった光景をも、くっきりと思い起こすことができる――けれども。
「……カルナ、お前は人として生きることを自身で決めた人の子だ。
そして、
――そうでない限り、どんなに頑強な魂と高潔な精神でも、気づかないうちに蝕まれ、次第に腐っていってしまう」
今までは、カルナがこのまま普通の人間と同じように年を取り、そうして死んでいくのだと思っていた。
だからこそ、弟が人として育つことを容認し、人の中で暮らしたいと言う願いを首肯できた。
――それはカルナの肉体が人として着実に齢を重ねていたからこその肯定と楽観であった。
……けれども、これ以降のカルナは歳をとることがないのだ。
「――俺は、お前の肉体の死ならばまだ耐えられる。
だけど――お前の
このまま、太陽神の鎧を身につけている限り、カルナに死は訪れない。
不死者の戦士は戦力としては非常に魅力的だが、人として生きる限り、カルナは誰とも寄り添えない。
愛する者と心を交わし、思いを重ねたところで、置いて逝かれることが決定づけられている以上、ある意味ではそれは死にも勝る苦痛にしかならない。
「――神々の血を引く者でさえ、時として、愛するものの喪失には耐えきれないんだ。
ましてやそれが人間であれば、言うまでもない」
――何よりも、愛した存在と同じ時を重ねることができない、と言う事実は残酷すぎる。
考えるだに、ぞっとする話だ。
夫はどれだけの年月を重ねても、若く美しい青春そのものの姿をしているのに、その妻は齢を重ねるごとに肉体は衰え、美しかった容色には老いが宿っていく。
たとえ、カルナの心が変わらなかったとしても、伴侶の方でそれに耐え切れるとは思えない。
伴侶との間で子を作ったところで、その子供もいずれは時の流れの中に消えてしまう。
人間の中に混じったところで、カルナは永久にひとりぼっちだ。
――カルナが自身の伴侶を求めることを止めるように、俺とドゥリーヨダナに訴えたのは、その可能性に気づいてしまったからだろう。
最初、俺はカルナが何故そのように懇願してくるのか分からなかった。
神霊であるが故の時の流れに対する鈍感な側面が、それを察することを妨げていたとも言えるし、そもそも考えつかなかった。
カルナの嫁さん探しに悪乗りしていたドゥリーヨダナが次に気がついた。
あのお調子者にしては責任を感じたらしく、数日の間は殊勝な顔をしていた。
そして、自分がどうあったしても置いて逝く可能性が高いと言うことに気がついたのか悩ましげな表情を浮かべていたが、それもほんの数日のことで、すぐに元通りになった。
「それに、お前は生まれながらの戦士だ。お前はドゥリーヨダナとは違い、自分の望みを強く持つことは少ないけど、その戦士としての拘りだけはそう簡単に譲れないだろう?
であれば――戦場以外の死を迎えることは本意ではなかろう。けれども、お前を殺すことのできるだけの器量を持つ者なんてそういないし、その鎧がある限りは、尋常な果たし合いにおいてお前の望むような最後を迎えられる可能性は皆無と言っていい」
――そして、俺がその可能性に気づいたのは、カルナの養い親のことがきっかけだった。
カルナが大出世を果たしたことで、老齢のアディラタとラーダーを屋敷に迎え入れ、彼らがそれまでの村の暮らしとは違う、悠々自適な老後を過ごせたことは間違いない。
ただ、彼らは広大な敷地の屋敷に住むことになった後も、村で暮らしていたような慎ましやかな暮らしぶりを好み、カルナもまたそれをよしとして受け入れ――――そうしていく内に身体が弱り、
肉体的に変わらないと言うことがこのような弊害をもたらす可能性を、俺はちっとも理解していなかった。
不完全な俺ではなく、完成されたワタシの方であれば、また別の言葉も出てきたのであろうが、あの善良な御者夫妻の死は、俺にとってひどく衝撃的だったのだ。
「だから、カルナ。お前も今のうちに覚悟を決めておきなさい。――太陽神の恩寵がある限り、お前に死は訪れない。そのせいで、お前はドゥリーヨダナに置いて逝かれる側になると言うことを」
――それに、アディラタとラーダーの間に、実子となる子供たちが残されていたこともカルナが割り切る原因となった。
神々に最愛の妻を差し出すことになっても一家の長が子供を求めるのは、そうしなければ先祖の霊を供養する役目を担う者が途絶えてしまうためだ。
――その点、アディラタの系譜は実の子供たちが遺されたことで、そうした責務をカルナが追う必要も無くなったのだと判断したらしい。
ましてや、実父に当たるスーリヤは天に輝く太陽神。
――少なくとも、世界の終わりでも来ない限り、その霊魂を祭り上げる必要はない。
「――アディティナンダ」
「何、カルナ? 言っておくけど、俺は間違ったことは口にしていないぞ。言いづらいことではあるけれど、でもお前は知っておかなければならないと思ったから、言ったんだ。非難の言葉だなんて、受け付けないからな」
「……そのような泣きそうな顔をされて言われずとも、理解している」
変なことを言う弟だなぁ、と唇を曲げる。
だって、俺はどうあがいたって人外だ。人にはなれない
――――そんな俺が。
「……馬鹿な子だなぁ。俺が涙を流せる訳がないじゃないか。それが許されているのはカルナ、お前の方だと言うのに」
「…………自覚がないと言うのも考えものだな。いや、そう気を急くこともない」
――カルナがそっと視線を持ち上げて、険しい表情で外を睨みつける。
涼やかでいながら苛烈な炎を宿す碧眼のその先に浮かんでいるのは、導きの星である北極星とそして純白に光り輝く――月。
「ドゥリーヨダナの国づくりはまだ始まったばかりだ。その完成した姿もまだ目にしていないと言うのに、すでに終わりのことを考えるなど、早計に過ぎるぞ」
「――……そう、だな。確かに、焦っていたのかもしれない」
こわばっていた肩から力を抜いて、そっと目を覆う。
――あれから十年。十年も経ったのだ。
その間、小さな小競り合いこそあったものの王国を揺るがすような事件も起きず、王国は平穏そのものであった。
ドゥリーヨダナが神々に付け入られないように、内政に力を注いでいたことも関係しているのかもしれない。
――考えすぎ、考えすぎなのかもしれない。
ただ一人でカルナを守らなければならなかったあの時とは違う。
幼かったカルナはすでに成人し、天上の神々とてかなわぬ力量を持つ戦士へと成長した。
ドゥリーヨダナもまた、俺のもたらした情報を元に政務をこなし、天界の方々がつけ入れるような隙を与えることなく、父王の補佐として王国を営んできた。
この平穏が続けばいい、と思う。
天と地を揺るがすような大戦など起こってほしくない、と切望する。
そして、その願いはこの十年の間叶えられ続けていた――だから、きっとこれから先もそのようにできるのだろうと思い込んでいた。
けれども、この時の俺は少しばかり失念していたのかもしれない。
――星の大勢を決定づけるのが神々の御業であると言うのであれば、人の世を回すのは人の意志であることの意義をきちんと理解していなかった。
……必ずしも、世界を回すのは勇気ある者たちの賞賛されるべき行動だけではない。
積もりに積もった悪意もまた、世界の行く末を決定づけるだけの、重大な第一歩となり得るのだということを。
<考察という名の感想>
太陽神の鎧がある限り、カルナは不死であるということは原典においても確定しております。
で、そんな宝具がある限り、先に死ぬのは紛れもなくドゥリーヨダナの方。置いていくことよりも置いて逝かれることを意識せねばいけない立場だったのはカルナさんの方だよなぁーと思いながらこの話を書き上げました。(まさか、インドラが我が子可愛さのあまりあんな暴挙をするとは誰も予想がつくまい)
――で、型月世界を見る限り、人間から不死者になった奴らはもれなく魂が腐ってしまっているし、永遠の長さに耐えられない。一見、耐えられているように見せても、その実、どこかおかしくなっている人ばかりだし。
この「もしカル」では可変的な人間の魂はそもそも永遠に耐えきれず、神々はそれに耐えられるように設計されているため、としております。(良くも悪くも神は不変であるため、人間と違って不死による弊害がない/アルテミス参照)
ぶっちゃけ、嫁さんと子供の葬式の喪主を務め続けなきゃいかんというのはきついとしか言いようがない。
という訳で「もしカル」ではカルナさんの嫁さんはなし。期待させてごめんね! (原典のカルナさんの嫁がドラウパティー並みにインパクトがあったら出してた……)