ただし、その愛によってどのようなアクションを取るのか、ということが大きく異なっているのです。
月下の邂逅<上>
――静かな、夜であった。
悠々と流れゆく母なる大河、煌々と輝く野生の獣の瞳、しんしんと降り積もる月白の光。
澄んだ夜空には星々が銀沙の様に撒かれ、透き通った夜の空気には濃厚な蓮の香が入り混じる。
……あまりにも静かな、そんな夜であった。
虫たちは番を求めて恋の歌を奏でることはなく、獣たちは遠吠え一つ響かせることはない。
近くの里も不自然なほどに寝静まり返っており、人々の生活音すら届かない、そんな夜である。
雲ひとつない天空に煌々と輝いているのは純白の満月。
常になく光り輝いているせいか、周囲にある他の星々の光輝をも圧倒している。
美しい月夜だ。そう――些か、
天上の月の輝きのせいか、その光の届かぬ地上の数箇所は常よりも闇が色濃くなっている。
例えばそれは、水面の真下であり、洞窟の奥底であり、木立の足元であった。
そして、そうした闇の凝った場所の一つ。
滔々と流れゆく母なる大河の側に、一際目を惹く、巨大な大樹が生えていた。
さざめく月光をふんだんに浴びた、その大樹の根元。
――一段と、闇が色濃ゆくなっている木陰に、年若い青年の姿があった。
彼は、大樹の庇護の元、静かに座禅を組み、ひっそりと闇に溶け込むように瞑想に耽っていた。
その両眼は固く閉ざされ、その唇は柔らかな弧を描き、神秘的な微笑みを浮かべている。
鍛え上げられた身体に金色の
宛ら、腕のいい職人が黒い大理石を掘り上げ、大樹の木陰に、信仰の対象として祀られている人型の神像のような、全体的に人の気配の薄い青年であった。
――よくできた彫像のような青年の胸元が、大きく動く。
そうして、それまで固く閉ざされていたその両眼がゆっくりと見開かれた。
すると、みるみるうちにそれまでの作り物めいた風貌が一転して、若く生気にあふれた闊達な雰囲気が青年を包み込む。それでいて、泰然とした王者の覇気がその身から漲っており、彼が尋常ならざる存在であることは一目瞭然であった。
ゆったりとした動きで、青年がその場から立ち上がる。
彼が一歩足を踏み出すごとに大地へと彼の力が浸透し、地脈を潤し、また彼の力となってその身のうちに吸い込まれていくような、そんな錯覚さえ感じさせる歩みであった。
「――初めて逢った時から、随分とまあ、年月が経過したものだ」
低く、どこか艶かしささえ感じる、ゆったりとした独特の抑揚。
耳にした者の理解を助け、意識の覚醒を導くような、そんな人知を超えた力が宿っている。
この声で愛を囁かれれば乙女は恋に落ち、この声が理を説けば罪人とて導きを知るだろう。
その声だが、どこか超然とした雰囲気とは裏腹に、ひどく弾んでいるように聞こえる。
「あの頃は
例えるのであれば、長い間待ち焦がれていた相手に、やっと再会できるような。
例えるのであれば、長い間探し求めていた相手に、やっと巡り会えたような。
簡潔に言ってしまうのであれば、人間離れした雰囲気の彼にはあまり似つかわしくないような、そんな感情の込められた声だった。
――青年の、歩みが止まる。
ちょうど、大河の畔りに位置する場所であった。
青年の目の前に広がる雄大な景色を遮るものは何もなく、大自然の雄大さを物語るような見渡す限りの絶景が広がっていた。
天上には穢れを知らぬ純白の満月。
夜空を彩る満天の星々に、眠りの帳に包まれた静かな森、そして果てし無く続く水の流れ。
月と星の光が降り注ぎ、大河の流れがその光を受けて輝く、密やかな夜の一時――そこに。
――夜の闇も、月の輝きも、星々の瞬光をも、薙ぎ払うようにして。
炯炯と、煌々と、燦々と、そして何よりも傲然と燃え盛る、
天上より飛来した灼熱は、収縮し、凝縮し、そうして――
純白の炎で編まれた緩やかな衣を纏い、首元や腰には炎を閉じ込めた赤石と黄金を差し色とし、左手を除いだ細い手足には緻密な紋を描く黄金飾りが嵌められている。
足先・指先、そしてふわりと広がる長い髪先から、朱金の炎を蝶の鱗粉のように散らしながら、人型となった光は川の流れの上に佇んだ。
華奢な男にも、長身の女にも見える、中性的な風貌の持ち主であった。
――それも、然もありなん。
本来、光や熱といった現象に人間のような雌雄の区別はないのだから、そうあって然るべき容貌であるとも言えた。
「……嗚呼でも、とても嬉しいよ。興奮しているとさえ、言ってもいい。――あのような紛い物の人格でも、器でもなく、
――そして何より、それはひどく
青年の容姿も人間として魅力的な外見であれど、それはあくまでも人としての括りである。
けれども、それは違った。
それが示しているのは、誰もが一目で理解せざるを得ない人外の美しさであり――人を超えた領分の聖性と神性を宿した美貌を誇っていた。あるいは、人の手の及ばぬ大自然の擁する麗しさ、人の目の届かぬ大宇宙が有する壮麗さであって、言葉の通り、人を超えた美貌であると称すべきか。
「――改めて、宜しく。脆き人の子の世界において、
常であれば、泰然とした威厳に満ちた態度を貫き、人々の尊崇を集めている青年であったが、流石の彼も興奮を隠せない様子であった。
――事実、彼は猛っていた。興奮していた。
そして、それも仕方のないことであった。
生まれながらに神々の代弁者、人々を正しき方向へと導く先導者としての役目を背負っている彼にとって、それは初めて出会えた、
「バララーマにヴィドゥラ、彼らは人としてその責務を全うすることが求められている存在だ。――でも、
精神の特異性・特殊性はともかくとして、青年の肉体を構成しているのは血と肉――つまり、傷つけられれば血を流し、肉を割かれれば致命傷を負うことになる。
簡潔に言い換えるのであれば、人の器に神の精神、その二つが折り合ってこの青年という存在を確立しているのだ。
けれども、青年の前に佇むそれはその器もその
「――世辞など無用です。アナタとて、そのような詰まらぬ言葉を告げるために、ワタシを招いた訳ではないでしょう」
男にも女にも、大人にも子供にも聞こえる涼やかな声音が凛然と響く。
身より光を放っている炎と熱の化身であるというのに、雪の降り積もった霊峰を想起させるその声音に、青年の顔がいよいよ華やぐ。――事実、青年はかつてない歓喜に襲われていたのだ。
「いや、済まないね。つい、嬉しさのあまり口が滑ってしまった。そう、神とは超越者とはそうであるべきだ。それなのに、
「そうですね、その点においては同意します。我らの末子のことばかりにかまけた挙句、アレは己の本来の役割をも放棄しようとしている。――実に、実に嘆かわしいことです」
――そのせいで、と人外は淡々と言葉を紡ぐ。
無機質かつ冷淡な響きを宿しているその声を耳にしただけで、心臓の弱い者であれば呼吸を止めることに繋がりかねない――人にやつしたこの神霊が、普段どれだけの制約の下にあるのかを思い起こさせるような強大な力の、その一雫だけで、その様であった。
「……そのせいで、貴方の掛けた詰まらぬ術に捕らわれる羽目になったのです。全く、あのような無様を見せた人格がワタシから生み出された者であるとは……非常に屈辱的ですらあります」
「まあ、掛けた幻術もせいぜい
――軽やかな青年の声と冷ややかな人外の声が宵闇に唱和する。
人知を超えた人ならざる青年と対話しているというのに、青年の体には何の気負いもない。
その呟き一つ、囁き一つで人の精神を狂わせるだけの力を持った言霊を、むしろ全身で心地よく味わいながら、青年は機嫌よく話を続ける。
「――クル王国の
「嗚呼、流石は天にありて人を監視する者の系譜を受け継ぐだけのことはある! ――その通り! ドゥリーヨダナは
自身の企みを看破されたというのに、青年の微笑みが崩れることはない。
むしろ、それすらも次の愉しみに繋がるとでも言わんばかりの揺るぎない姿勢に、対峙している人外の方が嘆息して見せた。
「――
「
「そして、あの
ゆらり、と人型を構成する朱金の炎が風と戯れるように揺れ惑う。
月の光を反射していた川の流れに炎の照り返しが映り込み、何ともいえぬ幻想的な光景を作り出していた。
「そうだね。そして、その光景を目撃したドゥリーヨダナは当然、こう考えた筈だ。――今はまだ、カルナが自分の意思で己に従ってくれているからいい。だけれども、カルナの兄だと名乗る天の一柱が突然本意を翻したらどうなるのだろう? もしかしたら、カルナはその言葉に従い、自らの元を離れるかも知れない。そんな危険は当然のことながら冒せない」
「……余程、貴方はあの
「……彼は大胆に見せかけていても、その内実は小心者だからね。常に、幾重にも謀略や保険を必要としている。最近はカルナという過剰戦力を手にいれて、少しばかり心に余裕が生まれたのか、前ほど非難されるような手段を取らなくはなったけど」
――くるり、と人外がそのほっそりとした手首を回す。
細い手首を飾り立てる幾重にも交差する黄金の籠手と散りばめられた赤石の細工を目にして、青年は少しばかり申し訳なさそうに声を潜めた。
「とはいえ、
「……社交辞令の一環として、お尋ねしておきましょう。――――これを貴方の元へと運んだのは、誰の侍女だったのですか?」
「――パーンダヴァ一家に仕える新入りの侍女さ。彼女はやや誘惑に弱い性格でね、主人の遣いで政敵の屋敷に行った際に、生まれて初めて見た神宝の美しさに魅了されて、誰もいないのを良いことに懐に収めてしまったのだと」
やれやれ、と誘惑に負けて神の宝をくすねた名も無き侍女を哀れむように青年が眼差しを伏せる。そうして、大河の流れの上に浮遊する人外の次の言葉を待ち焦がれるように、意味ありげな視線を寄越した。
「――……その女が死んだのは、何時です?」
「そこまでお見通しか! 嗚呼、やはり
――嗚呼、と青年が感嘆の溜息を吐く。
そうだ、神という存在はそうでなくてはならない。情に流されず、情に惑わされず、誰よりも冷酷に何よりも冷徹に物事を見定め、見透かし、そして裁決を下す。そういうものであるべきだ。
――だというのに、この地上でようやく出会えたと思った同族は、どうしようもなく変質していた。時折見かけるその姿に、年々失望と共に奇妙な共感とも言える感情を抱いたことを思い出す。
「マガダ王討伐の数日後、とでも答えておこう。腕輪を盗み出して以降、日に日に彼女は体調を悪くしてね。
「……歪な形で人の感性に身を鎮めようとするから、些細な可能性にも気づかずにいるのです。
燃え盛る豊かな朱金の髪に映える、真紅の瞳がそっと伏せられる。
普段、意識の主導権を握っている
――血のように紅く、炎のように鮮烈な印象を与えずにはいられない双眸。
人ではない存在の証である神の瞳が闇夜に煌々と輝き、じっと青年を見据える。
「――……アレもまた、哀れな存在です。どんなに必死になって人間を真似ても、どんなに必死になって感性を獲得しようとも、どれほど焦がれたとしても、
「……そうだね。生まれながらに完成された存在として生まれ落ちた以上、最早どうすることも叶わないというのに……。その気持ちには共感できるけど、そのために自分の果たすべき使命を忘れ、ただ日々を漫然と過ごしているというのは、正直、戴けないな」
星の瞬く夜と同じ色を宿した双眸が、真紅の瞳をじっと見つめ返す。
只人であれば直視しただけで心臓の鼓動が止まり、視界を焼かれかねないその灼熱の眼を恐れることなく捉えるその眼差しに、彼は恍惚の微笑みを浮かべる。
「……その腕輪を雷神の息子に預けていたのは、彼の姿をワタシに見せるためですか?」
「まあ、一つにはアルジュナへのお守りも兼ねていたね。突然の都落ちなんて、ドゥリーヨダナが仕組んだとしか思えない。であれば、当然ながらその行く先には様々な試練が待ち構えているに決まっている。その助けになるように、と手渡した」
それまで超然としていた青年の雰囲気が、友人のことを語る時のみ、情を帯びた声音になる。
己の策を次々と暴かれたものの、青年はそれに心を揺らすことはない。寧ろ、自身と同じ視点で物事を語ることのできる存在と見えた奇跡の邂逅を愉しむように、朗々と言葉を紡ぐ。
「――だけど、本当の出会いは
だって、
武勇に優れ、礼節に富み、驕ることをせず、神々を尊崇する気持ちも決して忘れない!
優れた器量に、溢れ出んばかりの才能。何一つ欠けたところのない完璧な子!
彼こそが
その存在を誇るように、とっておきの宝物の素晴らしさを見せつけるように。
彼は高らかに、朗らかに、歌い上げる。全てにおいて人の範疇を大いに逸脱した青年であったが、その名を読み上げる声には、溢れんばかりの愛情や友情と言った、人が素晴らしいと賞賛する類の感情が強く込められていた。
「実際に目にして、会話を交わして、
――……けれども、と彼は密やかに嘆息する。
人というよりも神々の領域に近い彼の寵愛をも一身に受けている青年のことを思って、深い悲しみと嘆きの込められた、憐憫の感情を露わにする。
「――そんな彼でさえ、恐れ、惑うことがある。そして、善なることをなす為に、確かなる導きを必要としている。そうした愛し子たちの迷いに答え、正しい道を指し示すことこそ
――莞爾、と彼は微笑んだ。
それこそ、世の中の憂いも苦しみも、最早彼自身を苛むことはないのだと言わんばかりに。
身の内より炎と熱を発する天上の化身へ、これ以上ない親愛の情を示すように。
彼は魅惑的に微笑んで見せた。
それは数多の美女を虜にし、無数の乙女たちの心を奪い続けてきた魅力的な微笑みだった。
「――でも、良かった。その姿の
――そして、青年はその手を人外へと向けて差し出した
しっかりとした力強い手であった。指は長く、手は大きい。手の関節の節々には修練の証として胼胝ができ、幾つかの武器によってついた擦り傷が目立っている。
「育ちにこそ瑕疵を抱えているものの、
――だって人は弱い、と青年は歌うように言葉を奏でる。
それを人外は静かに聞いている。その様子は彼の奏でる耳に心地よい言葉に囚われているようにも、あるいはその反対にただの美しい言葉として聞き流しているようにも見受けられた。
「――
神の被造物である人間特有の脆さや儚さを嘆き悲しむように、青年は深い悲しみと慈しみを込めて断言する。彼は深く深く人という群体を愛し、その中でも、己の親友として位置付けている或る青年のことを、半神らしからぬその弱さと脆さも含めて――ひどく慈しんでいた。
――そうであるが故に、彼は心に誓ったのだ。
人は弱く、儚く、そして脆い存在であり――彼が庇護するべき対象であるのだと。
その愛は本物であった。その想いも真実であった。
彼は彼として人を愛し、人を守り、人を導くことを人生の指針として掲げていた。
――そして、その為であれば、どのような手段を選択することも厭わないという、揺るぐことのない確固たる決意を有していた。
「――
<登場人物紹介>
・クリシュナ
…話数が50になったようやく登場した御大。インドで一番人気のあるお方。
もしFGOで実装でもしたら、アルジュナさんの胃痛がハンパないことになりかねないので切実にお断りしておきたいお方である。
とある使命を帯びて生まれてきたパーンダヴァの五兄弟を助ける為に、三大神の中でも最高位に位置するヴィシュヌ神が引っこ抜いた黒い髪の毛が変じた(らしい)天意の代行者。(ちなみに白髪が兄のバララーマになったとか)
武芸に関してはカルナさんに及ばない(本人談)とのことだが、だったらそれ以外の方法で勝てばいいじゃないか、と思いつき、それを実行した作中随一の策謀家。
<今日のダイジェスト>
クリシュナ「僕とタッグを組んで、アルジュナFC(本人未公認)に入ろうよ!」
(*こいつはこいつで人間のことを愛しているし、その行く末をより素晴らしいものへとする為に日夜努力している。そのためのユディシュティラ、そのためのパーンダヴァ。属性でいうなら、紛れもなく秩序・善*)
(*厄介なことにアルジュナへと向ける感情はアディティナンダがカルナさんに向けるのと同じくらいに強い*)