次は間章になります、時間軸的にはこれと前の話よりも少し前です。
「――――なぁ、ドゥリーヨダナ。前々から聞いてみたいと思うことがあったのだけども」
「ん? どうしたのだ、姉上殿。他ならぬあなたからの問いかけだ。答えられる範囲では、という条件がつくが何なりと答えよう」
それって、何なりと答えようと胸張って保証できるような言い分なのだろうか。
まあ、それはともかくとして。
「――……お前は、どうして王になりたいんだ?」
ドゥリーヨダナの動きが止まる。カルナもまた、静謐な眼差しでドゥリーヨダナを見つめる。
……そう。
ユディシュティラは天の意志によって聖王たる資質を有して生み出された子供であり、人々を神々や聖典の教義に導くという役目を天上の神々や聖仙たちに期待されている存在だ。
基本的に、神という存在はその格を問わずに“かくあれかし”という呪縛あるいは制約に囚われている以上、その血を色濃く受け継いでいるであろう、あの第一王子もまたその軛からは逃れられない。
つまり、第一王子は王になるべくして生まれた故、
でも、ドゥリーヨダナはその限りではない。
それに、いつぞやの天幕の一件の時に彼が言っていたように、彼がいずれ来たる英雄譚のための供物として位置付けられているのではないか? という恐れがある以上、下手に半神である従兄弟に対抗する必要ために王位継承争いに参加をしないほうが、ずっと無難だった筈だ。
――それなのに、ドゥリーヨダナはそうはしなかった。
長い年月、誰もが認めざるを得ないユディシュティラ第一王子と王の資質を競い合いながら、王宮の金庫番を任せられるだけの信用と信奉者を集め、一つの派閥を形成し、ついには謀略の結果とはいえ政敵が留守の間に次期国王の座を確約されるにまで至った。
彼の、その王位にかける熱情は一体どこから生み出されているのだろうか?
何が、彼のこれまでの積み重ねにおける原動力となっていたのだろうか?
今までになく悶々としている俺の心情を理解できたのか、ドゥリーヨダナは悪戯っぽく微笑む。
「なんだ、まだ気づいていなかったのか? まだまだだな、あなたも」
――キラキラと輝く黒水晶の双眸。
変化に富む人の子であるからこそ生み出される、不確定な未来に対する野心の象徴が輝く。
猫のように弧を描いた口元がニンマリと吊り上って、そうしてその一言を言い放つ。
「――では、教えてやろう。――そう、
「……はっ!?」
高らかに言い放たれたその言葉の含有する、圧倒的なまでの傲岸さと不敵さ、そして屈託のなさに、呆気にとられる。
復讐、復讐……って、こんなに楽しそうに口にするものだったっけ?
復讐という言葉の宿すおどろおどろしさや負の想念とは裏腹に、どこまでも軽やかな上に爽快ささえ宿した声音。あまりの落差に理解ができないというか、理解が及ばずに脳みそが空回りする。
「わたしの生まれのことはすでに聞き及んでいるな?」
「嗚呼、うん」
「どこにでも口さがない輩はいるもんでな。物心つく前から、わたしはわたしが王国を滅ぼすのだと人々から貶され続けてきた。それでも、父上の息子として、これ以上、父上や母上たちが莫迦共に愚弄されぬよう努力はしてきた――そこにだ」
――ドゥリーヨダナが一息つく。
さらりと語ってはいるが、今よりも幼く傷つきやすかったであろう子供の時分だ。彼の苦労は、並大抵のものではなかった筈だ。
「ある日突然、先王の息子たちという名目で、半神の子供たちが五人もやってきた。――まあ、最初はそんなに仲も悪くなかったのだが、王宮という場所には色々しがらみがあるし、ビーマの件もあって私たちの仲は次第に疎遠になった」
……
あの婿選びの会場で第二王子とドゥリーヨダナの協力によって生み出された、黄金の美しい曲線を思い出してしまった。あの見事な黄金の軌跡は、ある意味ではそうした彼らの幼少時代の名残とでも言うべきものであったのだろう。
「まあ、自然と派閥が生まれるよな」
その時の情景を思い起こしているのか、どこか遠い目になったドゥリーヨダナ。
茫洋とした黒水晶の双眸に写っている景色は、俺たちが踏み込むことを許されないものだ。
「――その上、なんとも腹が立つことにユディシュティラの阿呆は阿呆だったが、莫迦ではなかった。客観的に見ても、あの時のわたしとユディシュティラとだったら、あいつの方が何十倍も優れていた王子だった」
政敵の美質を認められるわたしはすごいな、と自画自賛しているドゥリーヨダナにおもんばかってか、カルナがパチパチとなんとも気の抜けた拍手をしている。
……でも、表情がいつも以上に無感情である――ちょっとは愛想笑いでもすればいいのに。
「――で、悔しさのあまり、日夜寝台を涙で汚していたわたしは、唐突に閃いたのだ」
「何を?」
「誰もが素晴らしいと讃えるユディシュティラ。そんな男を差し置いて、わたしが王になったところで、誰もがこう思うだろう」
芝居がかった仕草で両手を広げたドゥリーヨダナが、舞台役者の様に言葉を紡ぐ。
つくづく、そうした大仰な仕草が嫌味なまでに似合う男だな、こいつは。
「――ドリタラーシュトラ王は我が子可愛さのあまりに、あのような呪いの子に玉座を与えられた。残念ながら、この国の終わりもそう遠くはあるまい、と」
確かに……神々を崇拝する有識者ほど、そう思ったとしても可笑しくはないな。
そう頷いて見せれば、しかめっ面をしたドゥリーヨダナがそうだな、と大きく頷いた。
「だったら――否、だからこそ。
「随分と結論が飛んだような……?」
首をかしげる俺へと、ドゥリーヨダナがニヤリと口角を持ち上げる悪戯坊主の笑みを浮かべた。
「わたしという忌み児が治める国こそを、この世で最も栄えた王国にしてみせる。領土を拡大し、交易をさらに発達させ、人々の行き来の利便性を向上させる。そうすることで、わたしが滅びの子であると思っていた奴らの期待を、全力で裏切ってやる」
流水の如く滑らかな、耳に心地よい声に熱が篭る。
俺を、カルナを通して、遥か彼方を見つめているドゥリーヨダナの双眸が星の様に瞬く。
「――そのためには王にならねばならない、いや、なってやる! ――そうして、先代、先先代、いや王国の始祖の時よりも、クルを栄光に満ちた王国にしてやるのだ、と心に誓った」
決意を感じさせる、力強い言葉だった。
ある種の執念と情動を感じさせる、忘れがたい言葉であった。
「わたしが王国を滅ぼすのだと決めつけている奴らの前に、わたしの統治する国の素晴らしさ、豊かさを見せつけてやるのだ。そうして、父上や母上が予言に逆らってわたしを生かしたことは、決して間違いでも、盲目な愛情故の過ちなどではなかったのだと――
ああそうだとも、と力強く言い切ったドゥリーヨダナ、がカルナを睨むようにして見つめる。
綺麗な目だった、可能性に満ち溢れた力強い人の子の目をしていた。
――そして、それを受け止める澄んだ碧眼にも同様の輝きが宿っていた。
「宮廷に理解者がいないのであれば、それも結構! だったら、味方集めの一環として、わたしは有益だと思った人材はどんどん登用してやろうじゃないか! ――当然ながら、その第一号であるカルナ、お前の力を飾りにしておくつもりはないぞ」
「……俺の槍も弓も、既に主人であるお前に捧げている。何より、友の頼みに否やと答える道理がどこにある」
二人が不敵に笑って手を握りしめる。多分、これが男の友情とか、そういう類の絆なのだろう。
ただ、その光景は俺の視界には写ってはいても、目には入っていなかった。
――嗚呼、と思った。
熱と光で出来て、人間の皮を被っているだけの、まがい物に過ぎない
――なんだろう、なんなのだろう、この形容しがたい、喩えがたいこの感情、この情動は。
ふるり、と肩が震える。
ぞくり、と偽物の臓物の奥から震えが駆け上がってくるようだ。
……嗚呼、どうしてしまおう。
言っていること、やろうとしていることは、ある意味では暴君の理屈でしかないというのに――どうしようもなく、どうしようもなく、その言葉に、その決意に、
なんとまぁ、大胆不敵な言葉なのだろう。
地上の人間たちへ、
自身に貼り付けられた偏見も自身に向けられた侮蔑も、それら全てを呑み込み、高すぎる壁である対抗馬を前にしても、己が次代の国王として優れていると嘯く豪胆さと大胆さ、そして悪辣さ。
自身の置かれている現状に負けたくないと足掻き、踠き、奮闘し、理想の聖王として産み落とされた神の子にも匹敵するだけの勢力を築き上げたその執念。
――不遜である、傲慢である、不敵である。
許されるべきではない悪辣ぶりであり、看過すべきではない主張である。
神々の大いなる思惑、天の意志に反する、将来的には大逆へと繋がりかねない言の葉である。
嗚呼でも……、と熱っぽい息を吐く。
ぐるぐると視界が回る、ふつふつと腹の奥底から熱が湧き上がってくる。
――そうだ、
これを、変化に富む人の子によってのみ生み出される、途方もない生きる力を、逃れられない運命を克服さえしてしまうような、人間の持つ輝きを見たかった。
だって、ワタシにも、諦め掛けていた願いがあった。
本来の世界の管理者・維持者としての神々の道からは外れることになったとしても、■■■のためにも、ワタシにはどうしても変えてやりたい決まりごとがあった。
――カルナとドゥリーヨダナ。
彼らに、我が力を貸し与えたい、その望みを聞き遂げてやりたい。
その救いの声に優しく応じてやりたい、その求めを快く聞き遂げてやりたい。
もしも、彼らに願い請われるのであれば、どのような事柄であったとしても反応せずにはいられないのだろう――そんな確信さえあった。
……だけど、
ワタシが力を貸し与え、艱難辛苦の道筋を平らげることは、きっと求められていない。
彼らは神による導きを必要としていない。それが分かった、それが理解できた――であれば。
「……アディティナンダ?」
「――嗚呼、カルナ……。ワタシ、いや、俺はどうしよう……、どう告げればいいのだろう」
「姉上殿? 一体、どうなされた。頰が少し赤いぞ?」
頰を抑える、唇を噛みしめる。
――伝えたい言葉がある、形にしたい感情がある、示したい態度がある。
あらゆる欲求が全て俺の腹のなかで巡り、廻り、入り混じって、一体化してしまったが故に、なんとも言えない心地になる。
「……どうしよう、カルナ。本当に、どうしたら良いんだろう。
俺、お前以外の存在によって、こんな気持ちになるなんて、思ってもいなかった」
「――少し、枷が外れかけているが……大丈夫か? 普段は抑えている神威が溢れでているぞ」
こちらの身を案じるようにカルナがそっと頰に手を寄せる。
その手首に嵌められたままだった黄金の腕輪がキラリと輝き、四肢に嵌められている三つの金環と呼応することで我が身を縛る封印具としての機能を一層高める。
大きく目を開いて、正面に佇むドゥリーヨダナの瞳をしっかりと見据える。
神々に忌避された呪われた王子にして、王国の滅びの予兆。
神々が寵愛するパーンダヴァと釣り合うように生み出された悪徳の化身――嗚呼、だけれども。
この世界には、あんなに大勢の神々がいるのだ。
――だったら、ただの一柱くらい、この忌み嫌われる王子を祝福し、その行く末を見届けたいと願うような、そんな奇矯な神霊がいたっていいだろう。
「――……ドゥリーヨダナ、ドゥリーヨダナ」
そっと囁く、そっと宣告する。そして、密やかに誓いを立てた。
万感の思いを込めて――――ワタシは、俺は、そして俺たちは、この呪われた王子へとその願いを口にする。
神霊としての役割上、きっとこれは許されないことであろう。
それについての自覚はしている、ただ、それでも――……
「――ワタシは、俺は、お前の治める王国を見てみたい。神の力によるものではなく、人によって創り上げられる、人の国を、見てみたい――――!」
――導くような真似はするまい。
――正すような真似もするまい。
けれども、彼らの進むべき道が暗雲や濃霧によって隠されることのないよう、その行く先を照らし出す、その程度の手助けであれば、きっと許されることだろう。
カルナが目を見開いて、蕾が綻ぶような優しい微笑みを浮かべる。
ドゥリーヨダナが一瞬呆気にとられて、そうして豪快に破顔して見せる。
「――任せろ! あなたの期待に、必ず、このわたしは応えてみようではないか!!」
<独自設定>
自分が国を滅ぼすと予告されているのであれば、その逆のことをして、今までバカにしてきた奴らを見返してやろうと決意したドゥリーヨダナ××歳。
ついでにそれをすれば自分が虐げられる原因を作った神々への、これ以上ない意趣返しになるよな! と閃いた。
ちなみに、ユディシュティラはアルトリアやレオ系の王様、ドゥリーヨダナはギルガメッシュやイスカンダル系の王様、として意識して区別しております。
<裏話>
ドゥリーヨダナ「それにしても、だいぶマシになったとはいえ、姉上殿の愛って重いよな?」
カルナ「……そうだな」
アディティナンダ「!?」
神様の愛はゼロか百のどっちかだけだぜ!(オリオンを見ながら……)
カルナ以外に大事な人がいないので、正直、書いていて愛が重かった第三章当初に比べると、アディティナンダのブラコンは大分緩和されたと実感します。
<予告>
皆様のお待ちかねの例のあの人は次の章で登場するよ! それまでは例のあの人でよろしく!!