それまで遊んでいた王子達よりもやや年上、それもビーマと同じくらい年齢の外見。
秀でた広い額に、宝石で飾られ、丁寧に編みこまれた黒髪。
ビーマほどではないが鍛えられていることの判る均整のとれた体躯。
目鼻立ちのすっきりとした顔立ちに、憤怒の色を帯びて煌めく、黒水晶のような双眸。
――間違いない。
彼が、ドリタラーシュトラ王の最愛の愛息子である、ドゥリーヨダナ王子だ。
「わたしは、お前に、何をしている、と聞いたんだ。この横着者の
そこかしこで泣いている弟達の姿をちらりと視界に収め、王子は拳を握り締める。
大勢の兄弟を辱められた怒りからか、絞り出すように出されたその声は、収まりのつかない感情に震えていた。
「……いや、お前みたいに筋肉と脳みそが直結している鳥頭に、わざわざ尋ねてやるまでもない。どうせ、お前のことだから、なにもわかっていないのだろうし」
「誰が、鳥頭だよ! 第一、悪いことなんてなーんにもしてないぜ。だって、ビーマ様はこいつらと遊んでいただけなんだから、さ!!」
にやり、と笑うとビーマが片腕で水を切る。
飛沫とともに巻き上げられた川の水が、刃のような鋭さをまとい、ドゥリーヨダナの登場に安堵の表情を浮かべていた弟王子達を打ち付けた。
「いい加減にしろ! 前にも言ったことだろう、わたしの弟達はお前なんかと遊ばない!! だいたい、これも何度言ったらわかる! そんなことも理解できないお前なんて、鳥頭で十分だ!」
悲鳴をあげる弟達をかばうようにビーマの前に立ち、憤然と言い放つドゥリーヨダナ。
「――いいか、よく聞け! わたしの、弟達は、お前の遊びに付き合わない!!」
その姿に、ビーマがつまらなそうな表情を浮かべ、唇をとがらせる。
……まさかとは思うが、あの子供。
先ほどの虐めにしか思えない光景も、本人からしてみれば、従兄弟である百王子達と遊んでやっているに過ぎなかったのか?
目の前の光景にクギ付けになっていたせいで、窓から身を乗り出していたままだった。
なので、覗き見がバレないように、急いで室内の方へと体を引っ込める。
それでも、外を注意を注いだままにして、万が一、機嫌を損ねた第二王子が暴走しだした時に対処できるよう、身構えておく。
――そうだ! と、とんでもなく良いことを思いついたような、弾んだ声が聞こえて来る。
この声は、第二王子か。
「じゃあ、ドゥリーヨダナと遊ぶ! お前はそいつらと違ってすぐに泣き出したりしないし、弱くないし! それに、それに、ドローナ師匠に褒められるくらいには、このビーマ様と同じくらいには棍棒が上手だからな!」
「ドゥフシャーサナ、早く下の子達を医師の元に連れて行ってやれ。――……わたしは勉学で忙しい。お前みたいな狼藉者相手に付き合ってやる貴重な時間はないんだ」
台詞の前半はすぐ側でぐったりとした弟を抱きしめている黒肌の少年に、後半の方は笑顔のビーマの方を睨んでの拒絶の言葉だった。
それにしても、温度差がすごいな。
比較対象が近くにいるせいか、鈍感なビーマもドゥリーヨダナが本心から拒絶の言葉を告げていると察したようだ。
……まぁ、これで気づかないようだったら、それはとんでもなく鈍感な大馬鹿でしかない。
「……なんだよ、その態度。そんな弱っちい奴ら、放っておけばいいのに。ドゥリーヨダナはいつもそうだ」
「うるさい。そんなに遊びたいんだったらアルジュナやお前の双子達と遊んでろ。わたしはわたしの弟達を甚振るお前のことが心底嫌いだ。――いっその事、竜巻にでもさらわれてそのまま海原にでも沈んでしまえ、と常に思っている」
けんもほろろ、とはこういうことなのか。
ドゥリーヨダナは余程ビーマが憎いのか、刃のような言葉には、嫌悪感しか感じ取れない。
手酷く拒絶された色白のビーマの顔が憤怒の感情で真っ赤に染まる。
握り締められた拳に血管が浮かび上がり、今にも怒りのままにドゥリーヨダナに殴りかかりそうな雰囲気だった。
……さすがに、これ以上放っておくのはまずい。
短い時間の観察の結果ではあるが、あの風神の子供は己の価値観が、人の子であるカウラヴァの百王子達とすれ違っているのに気づいていない。
同じ神の子であれば抵抗できても、未だ未成熟な人間の子供達ではそれが叶わないことなのだという、無慈悲な現実に気づいていない。
だから、自分が酷いことを彼らに強いているのだと気づけないのだ。
そして、そのせいで従兄弟たちに恐れられ、嫌われているのだということが理解できない。
――それは、下手したらカルナが辿りかねなかった道だった。
そう考えれば、子供の小さな世界から排斥されかけている半神の王子の姿に、憐れみを覚えずにはいられなかった。
「さて、と。調整中、調整中。……あ、あー、ああ〜〜」
喉を軽く拳で叩いて、音程を調整する。
軽く息を吐いて、――先ほど聞いたばかりな、絹のように淑やかな女の声を再現する。
「……ねぇ、ビーマ。私の愛しい息子。いったいどこにいるのかしら? 早くおいでなさいな」
うむ、なかなかなものである。
俺の楽師としての才能の一端である。よほどのことがない限り、気づかれることはないだろう。
母親の声だと錯覚したビーマが、弾かれたように頭を振り上げる。
そうして、その場でわずかに逡巡するように王子の方を見やると、憤然と宣言した。
「――っ、母上! おい、ドゥリーヨダナ! お前、あとで覚えておけよ!」
「ふん。お前のような鳥頭のことだ。一晩寝たら忘れるに決まっている。それをどうして、このわたしが覚えておく必要がある」
「〜〜いつもいつも、偉そうなことばっか言いやがって! お前なんか、ユディシュティラ兄上には敵わないくせに!!」
ビーマの捨て言葉に対して、ドゥリーヨダナといえば無表情なまま眉根一つ動かさなかった。
しかし、だらりと降ろされた拳に一瞬とはいえ、わずかに力が込められたのを俺の目は見逃さなかった。
「……大丈夫か、お前達。怪我はしていないか?」
ビーマが砂埃とともに立ち去ったのを確認すると、くるりとドゥリーヨダナが振り返った。
「ごめんなさい、大兄様。ぼくたちが弱いばかりに、いつも大兄様に迷惑をかけてしまって……」
「全く。いつも言っているだろう、ビーマが暇を持て余している時に外で遊ぶなと」
申し訳なそうに眉根を下げる弟達の頬を軽くさすってやりつつ、ドゥリーヨダナが溜息を吐く。
さすがは百人兄妹の長男だ。弟の構い方が実に堂に入っている。
俺が挑戦しているカルナの兄役の比較対象とすることさえおこがましく感じてしまう。なるほど、あれが真の長兄というやつか。
「……あいつ。あいつは、ユディシティラのボケに、いい子ちゃんのアルジュナと違って、自分の力のことをちっともわかっていない大莫迦者だからな。 何時も言っているだろう? 付き合うだけ時間の無駄だと。おまけに、あいつ自身、何度言っても程度の理解しない知的能力の低さを誇っているのだから、真面目に付き合ってやるだけ莫迦をみるぞ」
しかし、この王子、王族とは思えないほど口が悪いな。
するすると次から次にビーマへの悪態が品のいい唇から流れ出てくる。なんだか、聞いてて逆に楽しくなってきた。
「ただし、わたしをすぐに呼び出したのは賢明だった。大人達は頼りにならないからな」
「お勉強の最中だったのに、ごめんなさい。……お師様に怒られたりしないかしら?」
「……平気だ。わたしは父上の息子だからな、誰も何も言えないさ。それよりお前達はさっさと部屋に戻れ。またあの鳥頭が戻ってこないとも限らないからな」
そういってドゥリーヨダナは弟達を庭園から送り出す。
全員が立ち去ったのを確認すると、王子は独り言にしてはやや大げさな口調でその澄んだ声を中庭へ響かせた。
「……それにしても、不思議だなぁ。クンティー叔母上はわたしが来る前には父上と母上の部屋にいらしていたはずなのに、どうしてこんな離れたところにビーマの阿呆がいるのを分かったんだろうなぁ?」
――この王子、先程のクンティーの声が誰かの声真似であることに気づいてやがった。
なるほど、強かな子供である。
尊ぶべき半神の子供であるビーマ王子への遠慮のない振る舞いといい、なかなか面白い性格の持ち主のようだ。
「――ま、誰であったとしても助かった。……あんな、からっぽ頭に負ける気はしないけど、負ける気なんてこれっぽっちもないけど! 弟達の前で無様な姿を見せる訳にもいかないしな! それに、本当に頭のいいやつは戦わずに勝利を収めるものだって、ビーシュマの禿頭も言っていたし!」
そう言って、黒水晶の目の王子も立ち去っていった。
その後ろ姿を見送りつつ、俺もまた見るもののなくなった窓辺から離れる。
ふみふむ。なんか色々とあったけど、今回のことはそれなりに俺にとっても収穫だったな。
カルナの実母と母方の肉親について知れた上に、国王にも気に入られた。
それに、ドゥリーヨダナ王子のおかげで真の長兄という存在の一端を知ることができた。
家族とはいえ、意外と殺伐としている間柄の関係があるのを知ってしまったが――きっとあれは従兄弟という繋がりであったからに違いない。
事実、直系の親族に当たる百王子達は仲が良かったし。
……それにしても、兄というものは弟の前では見栄を張るものなのか。これは意外な情報だな。
あと、兄弟同士の間で身体に接触することは結構いいらしい。
長兄にかまってもらえる弟達、なんだか嬉しそうだったし――今度からカルナ相手にもっとしてあげよう、っと。
<登場人物紹介>
・ビーマ
…クンティーと風神ヴァーユとの間の息子、超人的な怪力と食欲の持ち主。
叙事詩には色白に逞しい体付きの美丈夫として記載されているために、今回のような容姿設定になった。
直情径行な性質で、明記されることはないがやっていることは暴漢あるいは自覚のない苛めっ子である。
幼少期にドゥリーヨダナに何度か殺されかけているが、天性の肉体でその災難を逃れている。
けど、その行状を知ればドゥリーヨダナが殺意を覚えても仕方がないとも言えることを無邪気に行ってもいる。子供は残酷というよい一例、詳しくは原典をどうぞ。
そういう意味では、母親のクンティーとは別の意味で『マハーバーラタ』の悲劇の引き金を引いた人物に含まれる。
・ドゥリーヨダナ(あるいは、ドゥルヨーダナ)
…王国最大級の内紛を引き起こすことになる『マハーバーラタ』における悪役。
彼の生誕と共に国中に不吉な徴が現われたことで赤子のうちに殺されかけるが、子供を惜しんだ国王の決断によって救われる。そういう意味ではカルナとは違い、親には恵まれていたのかもしれない。
一説によれば、彼はユガ(カリ・ユガの不吉さの擬人名)の一部であったともされる。
ただし百人も兄妹がいる中で骨肉の争いを繰り広げることなく、基本的に彼の弟たちも最終決戦まで彼と共に戦い抜いたことから、いいお兄ちゃんであったことは間違いない。
また、御者の息子として卑しまれたカルナを終生庇護し続けたことから、その友情も本物であったのだろう。
容姿の設定と性格に関してはオリジナルである。