もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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ちょっと、アルジュナ視点の「幕間の物語」の設定を受け継いでおります。
多分、次で第三章は最後になると思います。あー、長かった。


太陽の輝き

 お互いに本音でぶつかり合うことに夢中になりすぎていて、外界の様子がちっとも耳に入ってこなかったが、こうやって冷静になると、現在進行形で天幕の外側に惨状がもたらされていることを察知せずにはいられなかった。

 

 耳を澄まさずとも聞こえて来る、破砕音をはじめとする無数の轟音。

 荒れ狂う暴風雨の奏でる暴虐の音色に、業火となって燃え盛る炎熱の轟。

 空を走る稲妻の怒涛の怒声に、灼熱に焼かれる大気の叫声。

 

 ――どう控えめに見積もっても、外で大災害がもたらされているとしか思えなかった。

 

「…………カルナだな」

「…………カルナだね」

 

 無数の矢によって切り裂かれる風の金切り声、劔が打ち合う金属音。

 何か重量のあるものが激突するような轟音、巨木の倒れる重低音。

 建物が崩落する際に生じる地響きに、大地の抉れるような破砕音。

 

 愛嬌のある引き攣った笑顔を浮かべたドゥリーヨダナが、片手を上げて提案する。

 

「あー、その。このまま、騒ぎが収まるまで天幕に引きこもっている……というのはどうだろうか? ほら、わたし、あなたの弟のせいで重症人だし」

「すごく魅力的かつ責任を感じさせるお誘いをお断りすることになって、心苦しいのだけども……ほら、部下の不始末は上司の役目だし……な、頑張れ?」

 

 嫌だー、出たくない〜、と虚ろな目と声で呟くドゥリーヨダナの頰に、そっと左手をやる。

 驚いて目を見張ったドゥリーヨダナに小さく微笑んで、頰を撫ぜた左手を首の付け根へと回す。

 

「な、なななななな………!?」

 

 素っ頓狂な声をあげたドゥリーヨダナに構うことなく、そっと目を閉じて意識を集中した。

 触れた指先を中心に、金の鱗粉を纏った朱金の炎が、薄い薄衣のようにドゥリーヨダナの全身を覆い、包み、そして――()()

 

「――これでも神霊だからな。普段はカルナが怪我しないせいで機会が少ないだけで、俺とてこれくらいのことはできるんだぞ?」

 

 左目の周囲、右顔面、右手、脇腹、左腕……、と!

 カルナの拳一撃と離宮の崩落に巻き込まれただけあって、決して軽症とは癒えない負傷具合ではあったけど、この程度であればまったく問題ない。

 

「――そら、喜べ! これで怪我は治したぞ」

「本当だ……。まったく問題がない……。――それにしても、驚いたな」

「何に?」

 

 服の内側で吊るしていた右腕を動かし、顔面の半分を覆っていた包帯を取り外しながら、ドゥリーヨダナが意外そうな声を上げる。それに小首を傾げれば、ようやく揃った二つの黒水晶がキラキラと悪戯っぽく輝きながら、俺を見やる。

 

「――それは、あれだ。あなたがカルナ以外の人間に、こんなことをすること自体が、だ」

 

 ……ふむ、と小さく頷いた。

 確かにこれが初めてなのかもしれない。弟に頼まれたわけでもないというのに、俺が自発的に動く形で、誰かの傷を癒すような真似をしたのは。

 

 ――素直に面白いな、と思う。

 

 カルナ以外の人間相手によってもたらされる経験も、ドゥリーヨダナのもたらしたそれも。

 性格も境遇も立場も違う二人がもたらすモノは、何もかもが初めて尽くしで――――とても新鮮ですらある。

 

「――そうだな。カルナに会って以来、本当に俺は変わった……と、思う。それこそ、地上に堕とされたばかりの頃の俺では考えられないくらいに。」

 

 ……それは、間違いない。

 あの頃の、灰色の機械人形の様だった俺と今ここでドゥリーヨダナと言葉を交わす俺。

 義務に過ぎなかった末弟の保護をその領分を越えて護ろうという意思を抱いた瞬間からか、それともまた別の何かがきっかけだったのか――それは、わからないけれど。

 

「――だとすれば、面白いな。神霊ゆえの完璧さを喪ったことでこんな風に変われるなんて……不完全であるが故に変化が生まれるのだとしたら……それって、かなり歓迎すべきことなのかも」

 

 ふふ、とはにかめば、手早く身なりを整えたドゥリーヨダナが謝意を込めて俺の肩を軽く叩く。

 それから、柱の一つに立てかけていた棍棒を持ち上げ、そのまま出口へと向かう。

 その堂々とした背中に遅れてなるものか、と俺もその背中を小走りに追いかけた。

 

「それにしても、カルナ一人だけにしては音が大きいというか……。先ほどから雷鳴が聞こえてくるし……インドラでも降臨して、会場で暴れまわっているのか?」

 

 王子の負傷を隠すために天幕内にくまなく張り巡らせていた垂布。

 それらを面倒くさそうに手で払いのけながら、ドゥリーヨダナが思わず、と言った様子で呟く。

 

「インドラ? ――……あ!」

 

 それを耳にして、まあまあ大事なことを思い出して、意図せずして声が上がる。

 ――その途端、胡散臭そうな眼差しでこちらを睨め付けたドゥリーヨダナに、さっと視線をそらして下手な口笛を奏でれば、がしりと肩を掴まれた。

 

「その様子だと、何かを知っているな? ――さあ、吐け。サクサク吐け。でないと、上司権限でカルナを僻地まで遠征に出させるぞ?」

「そ、そんな横暴な! 圧政反対、理不尽上司!」

「やかましい。半神だろうがなんだろうが、わたしの部下になった以上は、相手の正体が何であれ、絶対にこき使うと密かに誓っている――で?」

「――えぇ……と、怒らないで聞いてね?」

 

 かくかくしかじかでパーンダヴァの第三王子との間に起こったことを、できるだけ簡潔にドゥリーヨダナに説明したら、頭痛がすると言わんばかりに頭を抱えられた。

 

「――敵に塩を送るにも程があるぞ……!」

「だ、だってぇ!! 俺だって、あの王子様がそんなことを教えてもらいたいと言ってくるだなんて、想像していなかったんだよ! てっきり、宝玉とか武器とか、そう言った品物を要求されると思って……! でも、ごめんなさぁい!!」

 

 もう、こればっかりは仕方がないし、どうしようもない。

 そもそもの話、神霊が一度口にしたことを違えることは最大の禁忌なのだ。

 これは、神霊の格を問わずに存在する縛り、あるいは制約のようなもので、彼のインドラや三大神でさえ、その例外ではないと言っていい。

 

「――まぁ、いい。元はと言えば、わたしの失策により始まったようなものだからな。……とは言え、カルナだけではなく、アルジュナもか……」

 

 深々とため息をついたドゥリーヨダナがやや呆れたように肩を竦めると、何に引っかかったのか、やや訝しげに眉根を寄せる。しばし熟考したものの何も考えつかなかったのか、まあいいかと言わんばかりに軽くかぶりを振った。

 

 

「――……帰りたい」

 

 天幕を出て早々、ドゥリーヨダナの口から出たのはこの一言だった。

 その気持ち、本当によくわかる。というか、理解できる。

 

 いや、俺もドゥリーヨダナも覚悟はしていた。天幕の内側から聞こえてきた、まるで戦場のような不穏な響きの数々に、絶対に外には惨状が広がっていると確信さえしていた――とはいえ。

 

「ここまで、ここまで、だったとは…………」

「いやー、ははは。きっと、誰も止める人がいなかったんだろうね」

 

 豪奢な刺繍の施された飾り布、今が盛りと咲き誇る大輪の花々。

 子々孫々に伝わってきたのであろう緻密な細工の施された飾り家具。

 着飾った紳士淑女、猛々しい武具に身を包んだ兵士。

 装飾品が目に眩い王侯貴族に、目にも彩な衣装をまとった魅惑的な肢体の踊り子たち。

 バラモンたちの聖句を暗唱する厳かな響きや観衆たちの熱狂、楽師たちの奏でる優美な音色の楽曲によって彩られていた式場は――ひどく様変わりしていた。

 

「まるで、嵐が通過した後のようだな……」

「それか、火災現場の跡地、なのかもね……」

 

 婿選びという特別な晴れの日のために設えられた会場の設備は崩壊し、櫓や観客席、王族用の観覧席などの一部を除けば、往時の賑わいぶりを思い出すことさえ厳しそうな惨憺具合。

 

 崩落した組み木細工の肌を舐める真紅の炎に、稲妻の直撃を食らったのか焼け焦げている大木の残骸、見えない巨人の手によって薙ぎ倒されたような天幕の数々。

 

 何かが激突したせいでところどころ罅が入ったような王宮の外壁に、真上から打ち砕かれた祭壇、大小様々な上に深さがそれぞれ異なる陥没した大地。

 

 婿選びの会場は煤や灰、土埃や泥に塵芥によって飾り付けられ、廃墟のような塩梅であった。

 

「下手すれば、この惨状がわが国でも起こり得ていたということか……」

 

 俺、というよりも腕輪の守護の範囲内にあったがために無事であった先ほどの天幕だけが、何事もなかったかのように佇んでいるのを、死んだ魚で確認したドゥリーヨダナが、力なく呟く。

 

 それに内心で同意して、地上を見ていた視線を上――上空へと持ち上げた。

 

 太陽が地平の彼方へと沈みきってしまった上に、重々しい暗雲で覆われている。

 新月の夜の様に、光源が限られた中でも目立っているのは、二つの閃光が放つ煌めきであった。

 

 一つは、天空をものすごい速さで移動する真紅と黄金の輝き。

 もう一つは、大気を自在に操り稲光を放っている純白と紫電。

 

 どちらも互いには負けぬとばかりに輝きを放ち、互いに互いを喰らい合うかのようにぶつかり合い、軋めき合い、弾き合いながら、縦横無尽に空を駆け巡っている。

 時折、天からは落雷や灼熱の光球が降り注いでいるが、あまりにも高所で戦っているせいか、地上に落ちる前に確固たる形を失い、被害を出す前に霧散してくれるのが数少ない救いであった。

 

「ダメだ。あの位置じゃ、こっちからの声も届かない。仮に、あの位置まで飛んだとしても、戦闘に夢中になりすぎて気づいてもらえないよ」

「あーこれだから、戦うことしか関心のない生粋のクシャトリヤは苦手なのだ……。いや、あやつらはあの鳥頭よりは聞く耳持っているだけマシなのだが……。――とはいえ、そのせいで、わたしが王国を回すのにどれだけ苦労していると……予算が無尽蔵に湧くわけないだろうが……!」

 

 ブツブツと呟いているドゥリーヨダナ。

 相当日頃の鬱屈が溜まっていたようで、生気の欠片もない、虚ろな目をしている。

 そういや、ドゥリーヨダナってば、王宮の金庫番だったよなぁ。戦争にはお金かかるっていうし、そうした細々とした責務も彼の仕事だとしたら、かなり大変そうだ――いや、大変なんだな。

 

「――――なぁっ!? 貴様、ドゥリーヨダナ! 今までどこに引っ込んでいやがった!」

 

 戦いに夢中になりすぎて、お互いの姿しか見ていない――見えていない、と想定される二人の戦士を止めるためにはどうすればいいのか、ドゥリーヨダナと一緒に唸っていたら、瓦礫の山を掻き分けながら誰かがやってきた。

 

 暗いせいで、よく見えない。

 無事に立てられたままであった天幕横の松明の灯りの届く範囲にその人影が踏み込んできたおかげで、それが誰なのか判明した。

 

「――っち! ……ビーマセーナか。……ふん。自分の弟の落とした稲妻にでも直撃していれば、さぞかし愉快だったものを」

 

 本当に、こいつは上品に舌打ちをするなぁ……。

 

 おかしな物言いだが、品のある響きと仕草で舌を鳴らしたドゥリーヨダナ。

 しかし、その数秒後には興味も失せたと言わんばかりに、天空の二人へと視線を移す。

 当然のことながら、嫌味を言われた上に毒を吐かれた側も黙ってはいない。

 

「毎度のことながら、随分な挨拶だなぁ、おい! 第一、ヴァーラナヴァータでの屋敷の一件、貴様が全くの無関係だとは言わせんぞ!」

「――何を言う。そもそも、あの屋敷に火をつけて脱出したのは貴様ら自身ではないか。何故、貴様ら自身の行動の帰結に対してまで、このわたしが責任を負わなければならんのだ」

「うぐぐ……! ああいえば、こう言うところは、ちっとも変わらんな!」

 

 う〜〜〜〜ん。

 そもそも、燃えやすい材質で屋敷を作って暗殺計画を実施するようにと命令したのはドゥリーヨダナなんだけど、実際に放火したのはパーンダヴァ側であるだけに、ドゥリーヨダナの言い分の方が正しそうに思えるから不思議である。

 

「――それより、あの男をなんとかしろ! 貴様の飼い犬だろうが!!」

「飼い犬……? 生憎、幼い頃に可愛がっていた子犬が貴様のせいで圧殺されて以来、犬を飼うのは控えるようにしていてな。心当たりなど微塵もないのだが」

「いちいち嫌味ったらしい従兄弟だなぁ、全く!! ――カルナだ、カルナ! 貴様が武術競技会以来、雇い上げているあの身の程知らずだ! この惨状はあいつのせいだぞ!」

 

 この第二王子、全然変わらないなぁ……。

 これだけカルナが実力を見せつけても、アルジュナ王子に匹敵する腕前であると証明しても、彼の中ではうちの弟は相も変わらず身分の低い御者の養い子でしかないのだなぁ……。

 

 いつか絶対に、この暴言に対する報いをくれてやらぁ……!

 内心で静かに荒ぶっている俺を尻目に、米神を抑えたドゥリーヨダナが小さな溜息をつく。

 

 そうして、手にしていた棍棒でポンポンと自身の肩を叩き、黒水晶の双眸でジト目で睨みつけながら、次々と言葉の矢を第二王子目掛けて発射した。

 

「――であれば、その半分は貴様の弟のせいだろうが」

「うぐ」

「大方、わたしが引っ込んだ後に、アルジュナの奴が婿選びに参加したんだろうよ。そして、貴様のその仮装を見る限り、本来の階級を隠してバラモンとして参加したのは必須」

「ぐぐ」

「――あの優等生のことだ。さぞかし涼しい顔で試練を合格し、絶世の美姫を嫁として獲得したのはいいものの、他の王族達の顰蹙を買って大騒動」

「……んぐぐ」

「その騒ぎを聞きつけたカルナがアルジュナと対峙して、それからこんな大騒動に……と言うのが、一連の騒動のあらすじと言ったところか。おい、わたしのこの名推理に相違点でもあれば言ってみやがれ」

「…………」

 

 返す言葉もない第二王子相手に、ドゥリーヨダナが嫌味ったらしいとしか評しようのない、毒の籠った笑顔を浮かべて、なおも口撃を続ける。

 

「それだから、貴様らは人心に疎いと言うのだ。お前らのやることなすことは決して間違っていないが、だからと言って、それで誰もが納得すると思うなよ? そもそも、今回の一件も下手に身分を隠そうとするからそうなったのだ。最初から王族として参加していれば、騒動だって起こらなかっただろうに。――なぁ、親愛なるビーマセーナ?」

 

 い、嫌味ったらしい……! なんとも、嫌味ったらしい!

 全くもって正論なのだが、そもそも彼らが身を隠すきっかけとなった事件自体にドゥリーヨダナによる暗殺未遂が関わっているせいなのを、軽やかに棚上げして忘却の彼方に捨て去っているのがまた卑怯というか、なんというか……。

 

――(ビーマセーナ)を苛めるのはその辺にしておき給え、ドゥリーヨダナ

 

 ドゥリーヨダナの嫌味混じりの屁理屈に口を噤まざるを得なかった第二王子。

 苦虫を噛み潰した表情で沈黙せざるを得なかった彼を擁護するように、清水のように透き通った声が不意に辺り一帯に響き渡る。夕暮れに鳴り響く晩鐘のように、彼方まで木霊する玲瓏たる美声を耳にして、ドゥリーヨダナは隠すことなく顔を顰めた。

 

「――貴様か、ユディシュティラ。どこから話している?」

――パーンチャーラの王宮さ。(わたし)だけではない、会場から避難して来た民草たちや王たちも一緒だと伝えておこう

「……そうか。では、認めることは癪でしかないが、そいつらは無事なのだな」

勿論だとも。パーンダヴァの長兄として、正義を司るダルマの子として、(わたし)は正しいことしか口にしないから、信じるといい

 

 よほど、パーンダヴァの長兄が気にくわないのだろうか。

 話している相手が正面におらず、どこか遠いところから声を届けているのを逆手にとって、嫌悪感丸出しの表情を浮かべているドゥリーヨダナに、他人事ながらハラハラする。

 

「――それにしても、あの優等生がここまで戦闘意欲をむき出しにしているなんてなぁ……。ははは……! とうとう反抗期か?」

 

 ニヤニヤと揶揄してくるドゥリーヨダナに惑わされることなく、彼方より木霊する玲瓏たる響きは嘆息した。

 

……(わたし)の言葉も聞こえないほど、君の部下との戦いに夢中になっているとは。……あれはいけない、あれではいけない。あの子は“アルジュナ”だというのに。最優の戦士として人々の模範たるべく産み落とされたものであるというのに、あのように戦いに執心するなど……――あゝ、全くもって嘆かわしい

 

 ――うーん、そういうものなのかなぁ……?

 俺としては普段から控えめなカルナが戦闘意欲を剥き出しにしてまで戦いたいと、俺の声も聞こえないほどに熱中するものを見つけたのだとしたら、それは喜ばしいことだと思ってしまうし、よほどの事情がない限りはその心の赴くままに行動させてやりたいと思うんだけどなぁ……。

 

 わりかし、今の俺はカルナの家族としても兄としても成長したと思うのだけど、やはり真の長兄への道のりは遠そうだ……人間って本当に複雑だなぁ。

 

 悶々とそういうことを考えていたから、ドゥリーヨダナとパーンダヴァの長兄との間で話が進展していることに気づかなかった。気づけば、この場にいる面子だけでこの騒動を終息させる方向で決着がついてしまっていた。

 

――という訳で、ドゥリーヨダナ。あとは君がどうにかし給え

「はあっ!? このわたしにあの怪獣大戦争に横槍を入れろというのか、貴様は! ビーマにさせろ、ビーマに! こいつだったら雷に焼かれようが、炎に包まれようが、死なんだろうが!!」

……君はカルナの友達なのだろう? 無論、こちらとてビーマセーナに手伝わせるとも。けれども、君の部下のことまで面倒を見てやる気はないよ

 

 ――第一、(わたし)はこれ以上被害が拡大しないように王宮と街を守るのに忙しい、と冷ややかな口調で教えられ、ドゥリーヨダナが不満そうに口をへの字に曲げる。

 

 ……嗚呼、なるほど。

 道理で会場周辺は二人の戦いの余波でしっちゃかめっちゃかなのに、会場の外に見える町並みは綺麗なままなのか、と納得した。よくよく目を凝らせば、会場一帯をすっぽりと覆うように繊細な銀色の輝きが天と地に跨って存在している。守護の力の籠ったそれこそ、パーンダヴァの長兄の関与しているもので間違いない。

 

――では、二人のことは任せたよ。――ビーマセーナ、構わないだろう?

 

 その一言を皮切りに、不思議な余韻を宿した玲瓏たる声音からの呼びかけは途絶える。

 はぁ〜〜、とこれ見よがしに大きな溜息をついた第二王子が、心底不服ですと言わんばかりの顔つきのままドゥリーヨダナへとにじり寄る。

 

「……やい、ドゥリーヨダナ。兄上たってのご命令だから、今回限りは貴様に協力してやる。いいか? 今回限りだからな。せいぜい、地に頭をつけて感謝しろよ?」

「――ふん。素直に“自分の力だけでは弟を止められないから力をお貸しください、ドゥリーヨダナ様”とでも言えば良いものを。これだから神々の血を引くものは礼儀に欠けるのだ」

 

 目と目で火花を散らし合うドゥリーヨダナと第二王子。このままカルナと第三王子に倣って地上戦でもおっぱじめるのではなかろうか、とヒヤヒヤしたが、二人は同時に鼻を鳴らすと揃って反対方向へと顔を背けた。

 

「――それで? どうする気だ、ドゥリーヨダナ」

「こちらから声は届けられない、下手に介入もできない――か。まあ、何もあいつらの土俵に立ってやることはない。こっちは奴らを冷静にさせればいいだけだ」

「とは言え、普段物静かなアルジュナがああも猛っているのを見るとだなぁ……水をかけた程度では正気に戻るとも思えんのだが」

「…………なぁ、ビーマ。昔、二人で師匠(バララーマ)に不意打ちを入れるべく磨いた技を覚えているか?」

「あー、流石の師匠でも遠距離攻撃には気付くまい、と思って考えた、()()か……」

「そう、()()だ。幸い、お前の怪力であれば届かない距離でもあるまい。わたしの棍棒を貸してやるから、お前は何も考えずに振り抜け」

 

 ――ぽい、とドゥリーヨダナが手にしていた棍棒を放り渡せば、こちらを振り返ることのないまま、第二王子がそれを危なげない様子で受け取る。

 

 ――この二人、ひょっとしたら……いや、やめておこう。

 そっと首を振って、それ以上深入りすることを意識して留めておく。誰だって第三者に立ち入って欲しくない問題がある――誰にだって、だ。

 

「……壊しても知らないぞ」

「安心しろ。そんなヤワなつくりはしていない。――そうだな、そこの瓦礫とかどうだ。あの大きさをぶつけられたら、流石の奴らも正気に戻るだろう」

「そうかぁ? それよりもその柱はどうだ? 当たったら痛そうだ」

 

 軽口を叩き合いながら、互いに背中を向けあいながら、周辺を物色する二人の後ろ姿を見ていると、どうしてだか悪ガキ二人が瓦礫の山で仲良く巫山戯あっているように見える。

 

 気が置けないもの同士の他愛ないやり取りに、どうしてだか物悲しい気分になる。

 ひょっとしたら、ありえたかもしれない光景、多分――これはそういうものを知った時、見てしまった時に感じる、感傷の類なのだろう。

 

「――ドゥリーヨダナ」

「ああ、姉上殿。ちょっと地上から奴らへ固そうなものを投じてやろうと考えているのだが、何か良さそうなものでも見つけたか?」

 

 見知らぬ女に怪訝そうな表情を浮かべる第二王子を横目に、ドゥリーヨダナへと手を差し出す。

 カルナから返却してもらって以降の怒涛の出来事の連続のせいで、すっかり身につけ忘れていた黄金の腕輪を、ドゥリーヨダナの手のひらへと載せてやれば、ドゥリーヨダナが瞳を瞬かせる。

 

「――これは?」

「地上から天の二人が正気に戻るほどの衝撃を与えるのでしょう? それだったら、これが一番だ。この腕輪を二人の近くまで放るといいよ」

「おいおい……。そんな小さなものでは、アルジュナたちに気づいてもらうことすら難しいんじゃないか? 別のを探そうぜ」

「……いや、姉上殿の言葉を信じよう。これを、近くに放るだけで構わないのか?」

「嗚呼、そうだ。欲を言えば、二人のちょうど間になるように投げて欲しい。まあ、難しいのであれば、無理しなくても……」

 

 ――いいや、とドゥリーヨダナが不敵に笑う。

 棍棒を手にした第二王子も、傲岸不遜な態度で口角を吊り上げる。

 

「なあに、バララーマ師匠の頭にぶつけるよりも、ずっともっと簡単だ」

「癪だが、貴様に同感だ。やい、ドゥリーヨダナ! 狙う先は貴様に任せる、しっかりやれよ?」

「誰にものを言っている。第一、お前が師匠の頭に鞠を当てられたのだって、わたしの完璧な計算があってのことだろうが」

 

 腕輪を手のひらの上で軽く放り、そして、しっかりと受け止めるドゥリーヨダナ。

 がっしりとした太い棍棒を両手で握りしめ、体をくの字に曲げる不思議な姿勢の第二王子。

 

 ――飛び散る火花に、迸る雷光。

 天上では変わらずに、真紅の光と紫電の光がぶつかり合っては弾き返され、くっついたり離れたりを繰り返している。

 

 それを一瞥したドゥリーヨダナが軽く頷き、距離をとって向かい合う第二王子へと合図する。

 俺が見守っている先で、ドゥリーヨダナがその眼光を俄かに鋭いものへと変えたかと思うと、次の瞬間には、腕輪を手にしていた手を大きく振りかぶり、その勢いのまま、第二王子の方へと放り投げた――――!!

 

「――っ、セェェエイッ!!」

 

 裂帛の気合いとともに第二王子が手にしていた棍棒を大きく振り回しただけ――のように思えたが、その矢先に澄んだ音色が会場いっぱいに聞こえ渡った。

 

 ――カァッーーーーーンッッッ!!

 

 ――嗚呼、と納得する。

 ドゥリーヨダナの全力で放り投げられた腕輪が、第二王子の手にしていた棍棒と凄まじい勢いでぶつかったことで、みるみるうちに黄金の輝きが天上へと引っ張られるようにして昇っていく。

 

 ――そうして、まるで狙ったかのように、真紅と紫電の光の間にまで浮かび上がった。

 

「――――今だ! 任せたぞ、姉上殿!!」

「嗚呼、任せろ! さあて、カルナ! いい加減、目を覚ませーーーーいっ!!」

 

 両手足に一つずつ。

 光り輝く赤石を象嵌した黄金の腕輪の材質だが、実はカルナの鎧と同じもので出来ている。

 カルナの生みの母親であるクンティーは未婚の娘が子を産むという醜聞を恐れ、父親である太陽神に対して、生まれ落ちてくる子が彼と同じ光り輝く黄金の鎧を持つようにと強請った。

 

 太陽神たるスーリヤはその願いを快諾し、己が身に纏うのと同じもの――()()()()()()()()()()()()()()()()――光そのものを鎧として、生まれてくる子に分け与えた。

 

 ――つまり、一見したところ、単なる腕輪でしかない()()も。

 その実態は、太陽の輝きを腕輪という手のひら程度の装飾品へと縮小されただけの、日輪の光輝そのものだと言って良い訳であって、つまり――――

 

「ぐあああ! 目がぁ、目がぁ――!?」

「おいいいぃい!! こういうことになると前もって言っておかんかぁ! これだから神霊ってやつはぁ……っ!!」

 

 ――暗雲立ち込めていた真っ暗な空に、突如として降臨した灼熱の太陽の輝き。

 それまでの淀んだ空気や陰鬱な雰囲気を圧倒的な輝きで焼き払い、万物を傲岸と照らし出す、世界で最も激しく力強い光に――()()()()()()()()()()()、という訳だ。

 

「――あ、止まった」

 

 そうして、当然のことながら。

 その輝きを至近距離で直視する羽目になった天を飛び交っていた二人も、唐突すぎる太陽の輝きに目を焼かれ、その動きを止めていた。

 

 中空で静止していた二人であったが、ややあってカルナであろう真紅の光が天を横切る。

 きっと、支えを失って地上に落下しつつあった俺の腕輪を拾い上げてくれたのだろうと直感して、踵を返した。

 

「……ん。どうやら正気に戻ったみたいだし、俺はひとまず退散することにしよう」

「は? おい、ちょっと待て!?」

「――という訳で、ドゥリーヨダナ、あとよろしく!!」

「あ、こら待て! 一体どこに行く!?」

「カルナには後で俺の腕輪返しとくように伝えておいて! それじゃあ、ドゥリーヨダナ! 後片付けは任せた! ――んじゃ!!」

 

 後のことは、あの子たちに任せておいて問題ないだろう。

 ドゥリーヨダナも、カルナも俺がいつまでも守ってやらなければならない子供じゃない。

 

 きっと、この後のことだって上手くやってくれるはずだ。うん!

 それに個人的にこの場にとどまって、あの王子様と顔をあわせるのも気まずいし……この辺でズラかるとしようっと!

 

 

 ――……。

 ――――……。

 ――――それに、俺が片付けないといけない問題は、むしろ()()()にある。

 

 荒地となった会場を走り抜けながら、前を睨む。

 煤や灰、物の焦げる匂いや土埃が漂う中、俺の鼻は確かに濃厚な蓮華の香りを捉えていた。




<裏話>

in地上
アディティナンダ「じゃあ、後は任せた!」
ドゥリーヨダナ「逃げやがった、あいつ!!」
ビーマ「そういえば、何者だろう、あの女……?」

above地上
カルナ「……相変わらずだな」
アルジュナ「!? その腕輪は……」

(*みんな、度重なる鬱展開への予兆に鬱になりそうになる作者を応援してくれ!(悟空感) もうやだー、どれもこれも悲劇へのカウントダウンにしか思えない……*)

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