もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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サブタイトル:ドゥリーヨダナ王子、大爆発。

『マハーバーラタ』には色々な人がいるけれども、彼程、運命に翻弄された人間はいなかったのではなかろうか、と。


物語の出演者たち

 普段は陽気で豪快で、自信に満ちているドゥリーヨダナ。

 流れる水のように滑らかな声音で歌うように毒を吐き、半神相手であっても臆することなく皮肉を言い放つ度胸の持ち主で、神霊相手にも不遜な態度を崩さない――悪辣王子。

 

 ――それが、ドゥリーヨダナが俺に見せる表向きの顔だった。

 

 ……嗚呼、嗚呼!

 あまりにも彼が朗らかで、馴れ馴れしく、それでいて常に太々しい態度で俺に接するものだから、()()()()()()()()()()()()()

 

「――ああ、そうだとも! わたしは、昔からお前らに聞いてやりたいことがあった!!」

 

 ドゥリーヨダナが生まれた時、あらゆる不吉の予兆が王国中に表れた。

 それを目にした知恵ある者たちは皆、彼を赤子のまま殺すようにと王に進言したという。

 しかし、初めての我が子を惜しんだ国王の一言で、ドゥリーヨダナは王子として育てられる。

 周囲の人間は、神に愛されぬ彼を呪われた王子として賤しみ、そのような子供を産み落とした王妃を非難し、国王を子供惜しさに王国に災厄の種を蒔いた愚王として影で嘲弄するようになった。

 

 ――そんな周囲の態度に拍車を掛けたのが、先王の遺児として王国にやってきたパーンダヴァの五兄弟の存在であったのは間違いない。

 

 聖仙の呪いにかけられた先王・パーンダヴァのために、妻であるクンティー妃が真言によって召喚した神々と交わることでこの世に生まれ落ちた、光り輝く栄光を約束された神々の寵児たち!

 

 敬愛すべき、畏怖すべき、絶対者の落とし胤たる彼らが、王国の正統なる継承者として王国にやって来て以来、ドゥリーヨダナは、どのような気持ちで日々を送っていたのだろうか。

 それ以上に、人知を超えた力を幼少時から垣間見せる従兄弟たちの、神の血族であるが故の無邪気な残酷さに翻弄されていたことは想像に難くなかった――現に、この俺もそうした光景を彼らの日常の一環として目撃していたのだから。

 

 ――そんな彼は、一体どのような気持ちで俺と語っていたのだろうか?

 普通に考えれば、すぐに思いつくことだったのではなかろうか――彼が、俺を含めて神々のことを()()()()()()()()()()

 

「なあ、知っているか、姉上殿! わたしが生まれた時、国中に不吉な予兆が現れ、ジャッカルたちは怨嗟の唸りを上げて、その誕生を祝ったそうだ! 従兄弟たちの時は花の雨が降り、天上から妙なる調べが鳴り響いたというのになぁ!!」

 

 嘲弄というには引き攣った響き、悲痛というのは歪みきった表情。

 何よりも色濃い感情として発露しているのは――あまりにも高濃度の憤怒と憎悪。

 

「物心つく前から、うんざりするほど聞かされたさ! “お前が王国を滅ぼす” “お前が王国を終焉へと導く” “お前が全ての兄弟に破滅を齎らす” お前が、お前が、お前が――!! どいつもこいつもそればかりで、二言目には父上や母上に対する失笑と愚弄の言葉!! いい加減、聞き慣れ過ぎて飽きるほどに!!」

 

 巫山戯るな、とドゥリーヨダナが吐き捨てる。

 

 笑おうと失敗したような、そんな捻れた口の端、引きつった頰。

 いつになく乱雑な仕草で乱される髪型、どす黒い感情で塗りつぶされた闇夜のような隻眼。

 

「どいつもこいつも、自分の頭では何も考えていやしない! 大いなる運命の流れ? 定まった未来? 少しは可笑しいと自分の頭で考えやがれ、老害ども!! ()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()()()!! そもそも、神の子供が五人もクルに生まれる時点で、何かが可笑しいと気づけや、阿呆が!!」

 

 外から聞こえる轟音や荒れ狂う風の音に負けないほどのドゥリーヨダナの怒声。

 憤懣やるかたない、という言葉では表されないほどの激憤、激情、激怒。

 普段の彼の声が流れる水のような滑らかさを宿すのであれば、今の彼の叫びは――荒れ狂う暴流のようだった。

 

「――どいつもこいつも表面ばかりの神々の恩寵とやらに気を取られて、何のための奇跡であるのかを考えることもせずに、奴らを褒め称えるばかり! 貞淑なクンティー妃への神々の慈悲? 偉大なるパーンドゥへの神々の贈り物? ――そんな訳がなかろう!! そもそも、それと対になる形でオレという忌み児が生まれていることからして、雲上人の思惑とやらが透けて見えるようじゃないか!!」

 

 収まるべき鞘を失った魔剣のような猛々しい輝きを帯びたドゥリーヨダナの左目が険を増す。

 初めて向けられた人の悪意、激しすぎる感情の本流に身を硬くするしかない俺を、斬りつけるようにドゥリーヨダナが言葉の刃を放つ。

 

「――先ほど、オレは“よく出来た御伽噺”のようだと言ったな? まさしく、この現状こそが御伽噺のようじゃないか! いいや、それとも結末が決定づけられた英雄譚か? ――この配置、この配役で物語を創るとしたら、勝利と栄光に満ち、秩序の担い手たるパーンダヴァに、悪徳と悪逆、破滅の体現者であるドゥリーヨダナとの、国中を巻き込んでの大戦と言ったところか!! ――ははは!! だとすれば、とんだ笑い草だ!! 破滅の子である俺だけではなく、あいつらも国を滅ぼす一助を担うわけなのだからなぁ!!」

 

 狂ったように嘲弄するドゥリーヨダナであったが、傷を負ったままの状態であったためにどこかを痛めたのか、苦しそうに咳き込んだ。

 

「……出来過ぎた話だ、出来過ぎた環境だ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()! なのに、どうして誰もそのことに気がつかない!? どうして、不思議に思わない!? 少し考えれば、誰もが気づくことだろうが!!」

 

 悲鳴のような声だった。恐怖に慄く悲痛な叫びだった。

 自分自身を守るように、ドゥリーヨダナが動く片腕で自身の身を抱きしめる。彼の恐怖を示すように、褐色の肌には鳥肌が立っている。

 

 ――何時から、彼自身を取り巻く、完成され過ぎた環境の歪さに気づいていたのだろうか?

 

「――このことに気づいた時は気が狂いそうだった。――まるで寝物語に聞く英雄譚、書物で語られる伝説や御伽噺、オレたちの環境はあまりにもそれらに似ている――似過ぎている!! であれば、今ここに居るオレは何だ? わたしがこれまでに積み重ねてきたことは? わたしが、オレが王になるためにやってきたことは!?」

 

 狂人のような叫び声だった。死地に追いやられた獣の雄叫びのようだった。

 事実、常日頃から飄々とふてぶてしくあるこの王子の中に、これほど鬱屈した感情が封じ込まれていたなんて、誰が予想できたのだろう?

 

「何より、父上がわたしを子供の頃に殺さなかったのは、父親としての愛情などではなく、いずれ来るべき英雄の物語を完遂させるための要素としてだったのか!? ――だとすればいっそ、気が狂ってしまった方がマシではないか!!」

 

 ガリガリ、と短い爪が褐色の肌を削っているのに気づいて、ようやく体が動いた。

 短い悲鳴を口内で噛み殺して、荒れ狂う内心の影響で自傷に走っているドゥリーヨダナの手を止めるべく、その手を掴もうとすれば――それよりも先に、伸ばされた腕が俺の襟首を掴み寄せた。

 

 今までに見たことのない険しい表情、呪詛を吐くような声、震える指先。

 冷静であろうとして、それでも内包する感情を抑えきれない、そんなドゥリーヨダナ――これこそが、彼が今まで隠し続けてきた本心なのだと、いやでも理解できた。

 

「――なぁ、教えてくれ、姉上殿! いと尊し天上の佳人、誉れ高き天上の御方、万物の創造主たる梵天の系譜を受け継ぐ者よ!! ――我々は、人間は、オレたちはいったい何なのだ!? 今、ここにあるわたしの意思は本物なのか? それとも、お前らの無聊を慰めるための舞台の役者として演技をしているだけなのか!?」

「ド、ドゥリーヨダナ……待って、待ってくれ」

「わたしが家族に向ける愛も、心も、全て意味がないのか? 父上がオレに告げてくれていた言葉も、愛情も、全てが物語を円滑に進めるために造られた感情でしかないのか!? ――だとすれば、わたしはいったい何を信じればいい? それとも、信じるべきことなど、信じられることなど、神々の被造物たるこの世界には、欠片も存在していないというのか?」

 

 襟首を握りしめるドゥリーヨダナの指先に付着していた赤い血が、俺の衣服に移る。

 じわじわと滲んでいく真っ赤な血に、だんだんと苦しくなる呼吸に、ぎらぎらと睨んでくるドゥリーヨダナの眼光の鋭さに、なんと答えればいいのかと混乱してしまう。

 

 ――どうすればいいのだろう、どう答えてやればいいのだろう。

 

「どうなのだ、姉上殿! この地上にいる神の化身、人ならざる神秘の体現者よ! 世界の管理者、傲慢な神の一柱として、あなたは、お前は! この忌み児の問いに、何と応えるのだ!?」

 

 天に住まう太陽神との接続を切られた俺では、ドゥリーヨダナの怒りに、憤りに、何と答えていいのか、どうやったら答えられるのかが分からない。凝縮されたドゥリーヨダナの怒りの一端、疑問の切れ端、燃え盛るような激情に、どう対処してやればいいのだろう――そして、何よりも。

 

 ――心の中で血の涙を流す青年を、どうやったら泣き止ませることができるのだろう?

 

「ドゥリーヨダナ、ドゥリーヨダナ。――お願いだ、少しだけ力を緩めておくれ。……人の身を象っているこの器のままでは、息ができないと……お前の言葉に満足に応えることさえ出来ない」

 

 ――想いが伝われ、と心から願ったのは初めてだ。

 ――泣かないで、と誰かのために祈ったのは初めてだ。

 

 何もかも……何もかもが初めてだ。

 

 人に悪意を向けられたのも、負の感情を一身に浴びせられたのも。

 こうやって、神々への目に見える形での疑問を、煮えたぎるような怒りを直接ぶつけられたのも、何もかもが初めてだった。

 

「なか、泣かないで、ドゥリーヨダナ。ごめんなさい、俺は、俺は神としては欠陥品だし、人としても未熟者で……お前の嘆きを取るに足らぬものとして一蹴するには……不完全で、お前の怒りに同調するには……力不足だ」

 

 襟首を絞められているせいで、途切れ途切れにしか言葉が出てこない。

 人の身を模して造った器の中心、胸元にあたる箇所がじくじくと痛み出すのはどうしてか。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ドゥリーヨダナ。――でも、お願いだ、どうか、泣かないで。お前が泣くのは何というか――ここ、ここがどうしてだか、苦しくなる」

 

 ぎりぎり、と締め上げられる襟首に置かれた手をそっと左手で包み込み、もう片方の手で自身の心臓のあるあたり、胸元の上で拳を握りしめる。

 

 胸が張り裂けるような悲しみ、という言葉の意味を、俺はようやく理解できるようになった。

 

 ――嗚呼、そうだ。ここが痛い、ここが苦しい。

 誰かの見えざる手で絞りあげられるように、胸の奥が――とても痛くて苦しいのだ。




<考察、という名の感想>

 正直、こんな針のむしろのような環境なら、性格がすごい歪んで身分を笠にきて周囲を虐げるようなろくでなしになったとしてもおかしくはないと想像してしまうくらい、ストレスフルな生活を送っていたのではなかろうか……と。
 原典を読む限り、ドゥリーヨダナさん、絶対に頭のいい人だったと思うのですよ。(時々、ポカもするけど)

 であれば、自分の置かれている環境とか、周囲からの偏見の眼差しについて考えずにはいられなかったのではなかろうか、と。そうして、自身を有する社会制度に疑問を感じていたからこそ、あの競技大会の時に王子に引けを取らない実力の持ち主であるカルナを侮辱した人々へ、おかしいのではないか、と一石を投じられたのではなかろうか、と。

 私たちは原典を読者として(ある意味)神の視点から見ることができますが、その当時を生きていた人にとってはあまりにも出来すぎている世界に気持ち悪ささえ感じていたとしても可笑しくないよなぁ……と、思いました。

 ましてや、生まれた時から勝手に破滅の子扱いされて、陰口叩かれまくって、従兄弟の半神には弟たちを虐められたら、そりゃあ神々への怒りと不信感MAXになっても可笑しくないよねぇ、と。

 タグの独自解釈、とはこのことさ!

(*パーンダヴァの長兄は迷わない人、次男は考えない人、三男は迷える人。そして、ドゥリーヨダナは考える人、です*)

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