もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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前話へのご感想の数々、ありがとうございました。
こんなに一度に感想をもらえたのは初めて、画面の向こうで欣喜雀躍してました。

しっかし、驚きました。
自分的には前回のアルジュナとの会話に特に恋愛要素を入れたつもりはなかったのです。(だからこそ、台詞もあんな内容になりました。どんな関係性でも構いません、みたいな内容に)なので、そこへの反響にびっくり。
あと、意外と泥ぐちゃルート希望が多くて、またまたびっくり。

――さて、皆様お待ちかねの、ドゥリーヨダナとカルナのターン!!




不可視の矢

 青年の言葉を最後に、俺たちの長い様で短かった旅は幕を下ろした。

 真っ直ぐの道をそれぞれ正反対の方向へと進んだ青年も俺も、決して背後を振り返らなかった。

 

 なんとも後ろ味の悪い、胸にしっくりこない――嫌な幕引きであったと独り言ちる。

 

 カルナと一緒に暮らし出すよりも前に、どこかで暮らしているだろうあの子の所在を求める最中、旅をしていたことはあったし、それ以外にも楽師という職業柄、カルナを養父母に預けて出稼ぎと情報収拾も兼ねて遠方へと赴くことだって度々あったのだ。

 

 一人で街道を歩いたり、あるいは、他の人々の旅にご一緒させてもらったり。

 そういう訳なので、誰かと出会い、そして別れること自体は慣れっこだったのだ。

 

 そう――慣れっこだった、筈なのだ。

 それなのに、今回の旅ほど後味の悪い別れ方をしたのが初めてだったせいか、どうしても胸がむしゃくしゃしてしまう。

 

「――〜〜よしっ!!」

 

 パン! と音を立てて、自分の頰を張る。

 いつまでもウジウジしてはいられない。いい加減、気分を切り替えよう! どれほど悩んだところで、あの王子様とは、もうこの姿で会うことはないだろう! である以上、彼が“アディティナンダ=ロティカ/タパティー”の図式に気づくことも、今後接触することもなかろうて!

 

 ちっとも根本的な解決にはなってないだろうけど、もうこれでいいや!

 これにて一件落着!! ――はい、これで終わり! もう考えない!! 

 

「――――さて」

 

 気分転換ついでに、思考も一緒に切り替える。

 というか、あの王子様のことで悩むよりも、俺にはやらなければないけないことがある。

 

 ――そう、ドゥリーヨダナのことだ。

 

 なんやかんやで道中に色々ありすぎて、脳裏の片隅に追いやっていたが、ドゥリーヨダナが家来に命じて、俺のことを殺そうとしていたのは厳然たる事実である。

 

 どうしてこんなことになったのか? どうしてこんなことをしたのか? 

 ドゥリーヨダナに再会したら、その辺をみっちり問い質す必要がある。そして、返答の内容次第では、それなりの報復をドゥリーヨダナには受けてもらわなくてはならない。

 

 ――報復と奇跡は、神々の領域であり、神のみぞなせる業である。

 神が舐められたままではいけないのだ。俺が曲がりなりにも神霊の端くれである限りは、その辺はきっちりと〆ておかねばいかんだろう――その結果、ドゥリーヨダナがどうなるかわからんが。

 

 ……。

 …………。

 ………………でも、なぁ。

 

 気に食わないけど――ドゥリーヨダナってば、カルナの友達なんだよね……?

 だったら――カルナは、俺がドゥリーヨダナを傷つけようとしたら、嫌がる……かなぁ?

 それに、もし――俺がドゥリーヨダナのこと勢い余って殺しちゃったり、廃人にしてしまったら……きっと悲しむんじゃないかなぁ……? うぅ〜ん、悩ましいなぁ……どうしようか?

 

 ――いや、待てよ?

 俺のことをよくわからない理由で殺そうとしたドゥリーヨダナが一番悪いじゃん! なのに、なんでこんなに悩まされなくてはいけないんだ? こんなにも俺を悩ませるだなんて――人間の癖に生意気である。

 

 悶々と考え込みながらも歩み続ければ、王宮近辺に設置された婿選び式(スヴァヤンヴァラ)の会場へと到着した。

 

 周辺諸国に美姫として名を轟かせる姫君の婿選びということで、会場のあちこちに設置された黄金と宝玉づくりの特別席には諸王や戦士たちの姿があり、布施を求めてやってきたバラモンたちが聖典を唱える声や、ひっきりなしにやってくる観客たちの興奮した声が場を彩る。

 

 鮮やかな極彩色の花弁に彩られた壇上へと目を凝らせば、ちらほらと見知った顔――マガダの国王やその虜となっていた王たち――を見つけて、その盛況ぶりに内心で驚嘆する。

 

 ……それにしても、パーンチャーラの姫か。

 正直、俺が旅していた時にパーンチャーラ国王ドルパタに王妃との間に子があったという話を一切聞かなかったのだが、これはどういうことなのだろう?

 

 婿選びが開催されたということは、その姫君もお年頃ということを示しているのだが……。

 人一人が成長するのにはそこそこ時間がかかるというのに、生まれてから今日に至るまでに、あまり噂にならなかったのはおかしな話だ。特に、パーンチャーラ王国については、ドローナとの因縁のこともあって、噂話の類にまで気を配っていたと言うのに。

 

 ましてや、渦中の王女は誰もが口をそろえる程の美姫だぞ?

 そんな姫君の話が噂という形で流れ出したのがここ最近だなんて……なーんか、きな臭いなぁ。

 

 ――こりゃあ、聖仙が一枚噛んでいそうだ。

 

 実際、聖仙が関係すると、とんでもない経緯で生まれてくる子が多いからなぁ……。

 自称・真人間のドゥリーヨダナとその兄弟達でさえ、生まれた時の逸話はとんでもないし、この間のマガダの国王もそうだった。

 

 とか、つらつら考えていれば、会場の前方が騒がしい。

 つられてそちらを見やれば――舞台へと熱心に視線を向けていた観客達の中から声が上がる。

 

「おお! 見ろ! 姫さまが出てこられるぞ!!」

「とうとうお姫様のお出ましかぁ! 待ちくたびれたぜ!」

 

 おお、とうとう出てきたのか。件の姫様が――とか、考えつつ、人混みの中をくぐり抜ける。

 会場の奥まったところ、何重にも薄衣が張られた天幕の前面に設置された聖なる火が煌々と燃え盛る中、一層バラモンたちが高らかに聖句を唱え出した。

 

 会場を賑やかしていた楽師たちの歌声が途切れ、踊り子たちが舞台の裾に引っ込んでいく。

 会場の警備を行う兵士たちが一斉に手にした槍を高らかに掲げ、彼らの鎧と武具がかち合うことで、澄んだ音色を辺りへと響かせた。

 

 王宮に使える侍女たちが天幕の奥から一人一人と出てきては、恭しく首を下げる。

 いつの間にやら、舞台の中央には立派な甲冑を纏った青年が佇んでいる。この場所からだと遠目すぎて、細かい養殖の特徴はよくわからないが、彼がパーンチャーラの王子なのだろう。

 

「――まぁ! 何と、お美しいお方なのでしょう!」

「女神さまだ! ラクシュミー女神の生まれ変わりに違いない!!」

 

 幾重にも張られた薄衣の向こうに、光り輝く金銀の飾りを帯びた優美な影が見える。

 侍女達の手で恭しく持ち上げられた薄衣の合間を練る様に、艶やかな衣装に身を包んだ背の高い女性が、しゃなりしゃなりと淑やかに歩を進めれば、あちこちから感嘆の声が上がる。

 

「こんなにも綺麗なお方を見たことがない!」

「俄然、楽しみになってきたなぁ! どなたがこんなに美しい方を娶られるのやら!!」

 

 神々に捧げる供物を乗せた黄金の盆を天高く掲げている彼女が舞台にその姿を現せば、彼女を中心として、咲き始めの青蓮の瑞々しい香りが会場に広がっていく。高貴な王女の登場に、天幕の近い位置に陣取っていた観衆たちが歓喜の叫びを上げ、ざわめきが後方の俺のところにまで届く。

 

 ――この位置からは王女の輪郭しか分からない。

 だが、それでも王女が女性としては最上級の褒め言葉しか見当たらないほどに素晴らしい体つきをしていること、黄金や宝玉に全身を彩られた美しい服装をしてるのは確かなようだった。これは正直なところ、勘でしかないが、絶世や傾国の二つ名が相応しい美女であることは間違いないな!

 

 周囲の観客たちがこの位置から王女の容貌を視認できているかどうかは不明だが、王女と思しき人物の発する優美な気配に感嘆の溜息を吐いている中、俺はといえばその美しさに当然となることもなく胸中でひとりごちる。

 

 ――でも、あーいう天女みたいな女性って、怖いんだよなぁ……。

 

 かつて、俺に女体化の呪いをかけた天女の姿を脳裏に思い起こし、両腕をさする。

 いやはや、記憶の底に封印したはずのおっそろしい出来事を思い出してしまった――大輪の花のように美しかった女の顔が歪み、悪鬼羅刹にも紛うような忿怒の表情を浮かべ、おどろおどろしい声で呪いをかけて、き、た――いや、忘れよう――落ち着け、落ち着け、俺。

 

 そんな俺の心中を置き去りに、舞台の上では新たな人物が登場していた。

 粛々と佇む王女の隣へと寄り添い、その身をパンチャーラ国王の座す玉座の隣の椅子へと導くと、固唾をのんで見守る観衆達の方へとくるりと振り向く。

 

「――婿選び式(スヴァヤンヴァラ)にお集まりの王侯貴族の方々、よくお聞きなさい! ここに我が父・ドルパタが用意した弓と矢がある。――そして、よくご覧なさい。ここにその的がある!」

 

 若木のようなしなやかな声が静まり返った会場中に響き渡る。

 王子の瑞々しい声に導かれ、群衆たちは王子が指差した先にある、天に浮かぶ黄金の的を目撃して先程とは別の意味で息を飲んだ。

 

 ――あれ、絶対にどこかの神からもたらされたものだな……。

 標的として示されたのは、鈍い青色に輝く球体であった。けれども、良く見ると、その球体は無数の真円を描いた輪が重なり合い、離れあいながら、構成されているものであると判明する。

 

 ――そして、その輪と輪の隙間から、光り輝く黄金の球体の姿を確認できる。

 

 つまり、真の標的は矢が数本通るかどうかも危ういような連環の隙間から覗く、黄金の球体の方なのだろう。交差する輪が作り出すほんのわずかな隙間から黄金の球体を射抜くだけでも難しいだろうに、その上、その標的はどうやって固定したのか、宙に浮かんでいると来た。

 

「家柄と容色と力を備え、この行い難い行為を行なった人……ここにいる私の妹の黒い肌の女(クリシュナー)は、今日その人の妻になるだろう――!」

 

 ワァッ、と群衆たちが歓声をあげ、諸王たちが熱り立つ。

 それにしても、王子が手にしている弓もなかなかの逸物ではないか。的の難易度ゆえに見落としがちになってしまいそうだが、弓もまたなかなか長大で、糸を張るだけでもかなりの力を必要とするのは疑いようがない。

 

 宣言を終えた王子が傍の王女へと何事をかを告げ、王女が優雅な仕草で観衆に対してお辞儀をする。王女の一挙手一投足に合わせて、咲き始めの青蓮の香りがふわりと会場を漂った。

 

 それにしても、黒い肌、蓮の香り、黒い肌の女(クリシュナー)か……。

 なんだろう、この嫌な予感。例えるのであれば、奈落へと続く第一歩を意図せずして踏み出してしまったかのような、そんな不穏な感覚に小首をかしげる。

 

 パーンチャーラの王子王女が壇上へと設えられた玉座に国王と並んで座れば、控えていた従者たちが集まった諸王に対して呼びかけを始める。最上の女を手に入れることのできるという名誉と困難な試練に打ち勝ったという誉れを求めて、婿選び式(スヴァヤンヴァラ)に参加した王たちが我も我もとばかりに名乗りを上げていった。

 

 

 

 ――そして、数時間後。

 会場内は死屍累々といった塩梅であった。絶世の美姫を求めてやって来たはずの王たちは、与えられた試練の難易度の高さに一人、また一人と破れ、悲嘆に暮れていた。

 

「これは……今回の婿選び式(スヴァヤンヴァラ)は中止だろうな」

「姫さまには悪いが、こうも力自慢の戦士たちが相次いで失敗するとだなぁ……」

 

 ヒソヒソと囁く民衆の声、戸惑いの声をあげる従者たちの不穏な気配。

 そして、それに動じることもなく、会場へと視線を投げかけている国王一家。

 

 ――というか、まず弓に弦を張るといった作業自体に、王たちは躓いていた。

 あまりにも巨大な弓はその分、元に戻ろうとする力が非常に強い。なんの材木を使用しているのかは不明だが、かなり頑丈そうな材質であるらしく、まず非常にしなりが悪かった。

 

 おまけに強弓の反動によって、王たちは耳管や腕輪といった装飾品を粉々に砕かれ、二重の意味で顔を真っ赤に染める始末である。正直な話、集った王たちが与えられた課題の困難さに意気消沈して、名乗りをあげるのを躊躇う羽目に陥ったのも、仕方のないこと――と思わざるを得ない。

 

「でも、なんというか、婿探しの割には国王一家が落ち着きすぎているというか……」

 

 穿ち過ぎかもしれないが、なんというか国王一家があまりにも平然としているのが気になる。

 そもそも、挑戦して敗れ去った王たちはもともと眼中にないというか、本命は別にいるというか……何にせよ、変だなと思う。

 

「――おお!? 見ろ、次の挑戦者が出て来たぞ!」

「なんと! そして、どこのどいつだ? その挑戦者は!?」

 

 ――太陽が東の空から昇ってくる時に放たれる黄金の光が、日没とともに翳りつつあった会場の雰囲気を一掃するように照らし出した。

 

「――……嗚呼」

 

 夜明けを告げる破魔の輝きにして、天上の神々の威光を体現する灼熱の光輝。

 誰もが心奪われる輝きを目にして、我知らず、口から言葉にならない声が零れ落ちる。

 

 懐かしさと慕わしさで眦が熱いのは何故だろうか。

 何かがこぼれ落ちそうになるのを必死にこらえて、ぎゅっと唇を噛み締めた。

 

「カルナ将軍だ! カウラヴァの王子ドゥリーヨダナの家臣!」

「おお、彼の方が次の挑戦者か! こりゃあ、どうなるかわからんぞ!!」

 

 民衆の間をくぐり抜け、人間よりも速く、足早に歩を進める。

 できるだけ近くで、できるだけ間近で、あの子の姿をこの目に焼き付けたい。

 

 なんとか顔の見える位置までたどり着いて、ようやく息をつく。

 ……よかった。俺が離れている間もきちんと食事をとり、休息を適度にとっているようだ。

 少しばかり表情が固いのが気になるが、緊張のためだろう。その他に目に見えて異常らしきものは確認できないため、兄として一安心である。

 

 目立つ髪の毛を隠すために付けている頭巾をぎゅっと握りしめる。

 元気そうでよかった。ドゥリーヨダナがきちんと面倒を見てくれていたようなので、健康面での問題はなさそうだった。……嗚呼、本当によかった。

 

 俺や観衆が見守る中、カルナは従者から挑戦者たちを打倒していった強弓を無造作に受け取る。

 そうして、ざっと弓の上から下に至るまで鋭い視線を投げかけると、一つ頷いた。

 

「……弓の弦を」

「――はっ、こちらでございます!!」

 

 ぐい、と差し出された黄金の籠手に覆われた手のひらに、従者が強弓専用の弦を差し出す。

 うわぁ、近くで見たからわかったけど、あの弦自体もただの植物の糸などではなさそうだ……あれ、かなり高位の聖仙の呪いがかかっている。

 

 ――悲鳴のような、驚嘆の叫びが会場のあちこちから上がった。

 

 それも然もありなん。

 ぐい、と鎧を纏った腕が隆起すれば、それまでどのような剛力自慢にも容易く靡かなかった強弓が、自ら首を垂れる稲穂のようにしなったかと思うと、カルナの額に汗ひとつ伝う間も無く弦が張られたのだ。

 

 それまで平然とした様子で情景を眺めていたパーンチャーラ国王がガタリと音を立てて玉座から起き上がり、王子もまた信じられないと言わんばかりに口と目をあんぐりと見開いている。

 

「……用意されている矢を」

「はっ!? ははっ!!」

 

 自分の役目も忘れて目を見張っている従者へとカルナが冷淡に促せば、慌てて用意されていた五本の矢がその手のひらへと載せられる。

 

 やすやすと強弓に弦を張り終えたカルナは、黙々と次の作業に移る。

 ――すなわち、頭上でくるくると回り続ける円環に守られている黄金の球体を射抜くために、矢を番えたのだ。

 

 会場中が静寂に包まれる。

 誰もがカルナという勇士の前代未聞の行いの次の挙動に着目し、その矢が放たれる瞬間を今や今やと待ち望んでいる。……ゴクリ、と誰かが唾を飲み込む音が嘘のように会場に響く。

 

 ――会場の誰もが、カルナが見事に黄金の的から狙いを外すことなど微塵も疑っていない。

 全員が全員、次の瞬間に起こされる、この黄金の武人の妙技を期待して、息を止めた。

 

 ――――と、そこへ。

 

「――嫌です! (わたくし)は御者の妻になどなりたくありません!!」

 

 その緊張した空気を袈裟斬りにした挙句、粉々に粉砕する、甲高い悲鳴が会場内に木霊した。

 

「――なっ!?」

「姫さま!?」

 

 ――まさしく、それは絶叫であった。

 最高の職人の手で作られた楽器の音色を思わせるような、麗しいとしか例えようのない女の声で、全身からの嫌悪を誤魔化すこともせずに、拒絶の叫びを上げていた。

 

 会場中の視線が、声の主の元へと向かう。

 皆の視線が集まった先には、美しいとしか評しようのない女が震えて、立っていた。

 

 渦を巻きながら落ちる長く艶やかな黒髪に、黒檀のように滑らかな黒い肌。

 蓮の花びらを思わせるような形の両目、すらりと伸びた鼻筋。

 口付けたら甘そうなふっくらとした唇に、むっちりとした蠱惑的な肢体。

 全身を飾る装飾品にも負けぬ輝きを、女自身が放っているような、そんな最上級の美しさを持つ女性が、そこにいた。

 

 ――嗚呼、けれども。

 黄金づくりの玉座より立ち上がり、シミひとつない額にはじっとりとした汗を掻いている。

 長い服の裾から覗く手足は小刻みに震え、何よりも目を惹く花のような顔には、こらえきれない嫌悪感で満ちている。

 

 確かに、負の感情を浮かべてさえ、美しいと感じさせる女だった。

 けれども、そんな顔さえしなければ、文句なしに美しいと認めることのできる女でもあった。

 

「…………」

 

 ……こいつもか、というのが俺の正直な感想だった。

 高貴な生まれの王女からしてみれば、溜まったものではなかったのだろう。

 卑しい御者の育ちの男などが、武勇の腕を買われて敵国の王子に引き立てられただけの理由で、自分の肌に触れる権利を有するなどということは、悪夢でしかなかったに違いない。

 

 ――だからこその拒絶、だからこその嫌悪だったのだろう。

 

 ……あー、それにしても。()()()()()()()()()()、とも思う。

 周りを見渡せば、白けた表情の者たちの顔が目に飛び込んでくる。

 そのうちの何人かは見知った顔、かつてマガダ王の牢獄に捕らえられカルナに救い出された王族たちで、驚いたことにカルナに一蹴されたマガダの国王でさえも、同様の表情を浮かべていた。

 

「――何かを勘違いしているようだが……オレは我が主君であるドゥリーヨダナの代理であって、オレ個人としてパーンチャーラの姫に興味は一切ない」

 

 困惑したようなカルナの言葉に、群衆の一部が同意したように頷く。

 ……ついでに、あまりにも魅力的な容姿の姫君に対して冷徹に対応したカルナの態度に信じられない様子で目を剥く人々もいたのだが、それも姫の美しさを知れば仕方のないことだ。

 

 確かに、カルナが主君であるドゥリーヨダナに従って、彼の弟たちのために婿選び式を荒らしまわっていたことは各地で噂になっていた程度には有名な話であった。

 

「嫌です! 嫌なものは嫌です! 何故、其方の様な下賤の者が(わたくし)婿選び式(スヴァヤンヴァラ)に出席などしているの! 誰です、このような男をこの場に招いたのは!?」

 

 それを聞いて尚、瑞々しい花飾りや黄金の冠に飾られた豪奢な黒髪が乱れんばかりの勢いで首を左右に振る姫君に、周囲が落ち着くように促す。――それもそうだろう、()()()()()()()()()()

 

「――おやおや、これは異な事を仰る姫君だ。このカルナは歴とした戦士階級(クシャトリヤ)であり、アンガ王だ。そして、先の戦において、長らく我が国を脅かしていた敵国を打ち負かした、一騎当千の勇者でもある。それを愚弄するような真似は一国の姫として教育がなっていないと受け取らざるを得ないが、お父上であらせられるドルパタ様はいかがお思いか?」

 

 燃えるような夕日を逆光に、一人の男が姿を表す。

 こ、この流水の如く耳に心地よい響きでありながら、さりげなく猛毒を潜ませた喋り声は――!

 

「こ、これは、ドゥリーヨダナ王子! その、娘が大変失礼な真似を致しました、申し訳ない!」

「――いやいや、周辺諸国にその名を鳴り響かせる姫君のことだ。下手すれば我が国の面子を汚すような真似をするような、そんな愚かしい真似をするような馬鹿ではあるまい。従ってだな、わたしの空耳であると思うのだが――その辺りについて、どう思う、ドリシュタデュムラ王子?」

「え、その……、それは……」

 

 え、えげつねー! 自分の正当性を押し出しつつ、それでいて相手を下げることも忘れることなく、相手自身に非を認めさせようとするその戦法、相変わらずであるとしか言いようがない。

 

 ――しかも、当事者である姫君本人ではなく、将来国を背負う責務を担う王子相手に尋ねているところが厭らしいことこの上ない。政治に携われない姫君ならば感情のままに答えられても、政治を知る王子からしてみれば、大国であるクル相手に、下手に言い返せないのが分かっていてやっているだけに悪辣である。

 

 それにしても、逆光のせいでどんな様子なのか、どんな顔をしているのかが明らかではないが、目立つことも大好きなあの男がこうも遠慮するように舞台端から嫌味を言っている事実に、少しばかり首をかしげる。

 

「――とはいえ、こうも我が友のことを侮蔑するような言葉を抜かした姫君など、こちらからも願い下げだ。カルナをクシャトリヤに定めたのはわたしであり、アンガの王としたのも、このドゥリーヨダナである。姫君の本意ではなかったようだが、カルナを愚弄するような言葉を口にした時点で、わたしを――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 おかしい、先ほど詭弁で王子を言いくるめて、なかったことにしたのではなかったのか。

 さらりと木の葉が舞うような軽やかさで前言撤回したドゥリーヨダナに、パーンチャーラの王子が衝撃を受けた顔を浮かべた――のを視界の端に捉えながら、内心で突っ込む。

 

「言い過ぎだ、ドゥリーヨダナ。この姫は、この姫なりの信条に基づいてあのような発言をしたのだろう。その責任を果たせぬような者を、これ以上追い詰めるのもどうかと愚考するが」

「――馬鹿者、それではわたしの気が済まんではないか! 第一、わたしの言葉を忘れたか? お前どころか、お前を取り立てた、わたしのことまで貶すような言葉を吐いたのだぞ? よく覚えておけ! お前の敵はお前だけではなく、わたしの敵も同様なのだ!!」

 

 ――ふ、とカルナが苦笑した雰囲気が伝わった。

 

「相変わらず、道理に叶っているようで、叶わないことをいう男だ。――だが、その友として憤ってくれるお前の信頼に、オレもこの弓で以って答えるとしよう」

 

 カルナの碧眼が刃の鋭さを宿し、その痩身が炎のように苛烈な気迫によって包まれる。

 触れれば切れてしまいそうな、そんな鋭気に観衆が息を飲み、誰もが目を惹きつけられる。

 

 ――――ビイイィィィィン!!

 

 鳴弦の響きが会場内を木霊する。実際には矢は番えられていなかった。

 けれども、強く固い弓の弦から放たれた不可視の矢が、そのまま風を切って、空に浮かぶ標的を突き刺す――そんな光景を、場内の皆が幻視したのであった。




<登場人物紹介>

・パーンチャーラ国王
…名前はドルパダ。ドローナの幼馴染だったが、即位後、彼を頼ってきたドローナをこっぴどく侮辱したことで、後に報復され、王国の半分をドローナに奪われた王様。
 その後、ドローナへの復讐を願って、聖仙に『ドローナを討ち亡ぼすような子供』を求め、下記の二名が炎の中から誕生した。ここで面白いのは、それでいて、ドローナの命令を受けて実際に王国を相手したアルジュナを娘の婿にと求めていたという二律背反具合である。

・ドリシュタデュムラ王子
…後述のドラウパティーのお兄さん。
 妹同様、父親のドローナへの復讐心をきっかけに炎の中から鎧をまとった姿で誕生した。ある程度成長した状態で生まれ落ちたたため、人間的には幼いだろうと作者が考えたために、ドゥリーヨダナにチクチクいじめられる羽目に陥った。

・クリシュナー(ドラウパティー)
…決して、あの鬼畜ではないのでご用心。ラクシュミー女神の生まれ変わりと言われるほどの絶世の美女。
 ドラウパティーは結婚後に与えられた名前なため、あえてクリシュナーを使用。生まれた瞬間、「クシャトリヤを滅亡させる」と予言され、実際にその通りになった。
 多分きっと、お尻も胸もむちむちの美人だろうと作者が思い、作中随一の巨乳キャラになった。(あとやっぱり、ふくよかな体の美女の方がインドでは人気があった)兄同様の生まれ方をしており、そういう意味では精神的にロリな巨乳。
 『マハーバーラタ』には色々なタイプの女性が登場するが、作者は彼女が一番怖い。気になる方は是非、原典を読んでみてください。

(*カルナの挑戦の有無に関しては書籍によって異なっていましたが、あえて挑戦した内容で書きました。あと、いくらなんでもその場合だとクリシュナーの発言は外交問題になりかねないんじゃないかなぁ? と思い、ドゥリーヨダナが嫌味言っています*)
(*さーて、断章配信されるのは何時かなぁ? 取り敢えず、スーツぐだ子かっこかわいくて、すごく幸せです*)

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