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「――やはり、この街に居たのは兄弟たちのようです」
「うんうん、それで?」
「街の人にそれとなく噂のバラモンの風貌について尋ねてみましたら、特徴が一致しました」
「そっか――で? 彼らの行き先とかは判明した?」
羅刹と謎の人物が戦ったという更地が未だに残されている、エーカチャクラの都。都の片隅に居を構えるバラモン一家の屋敷に、美しい夫人を連れた四人兄弟が滞在して居たという。
聞き込みを終えた青年の反応を見る限り、その謎の一家とやらが彼の家族――すなわち、パーンダヴァ一行であることは、ほぼ間違いないようだった。
「なんでも、パーンチャーラ……いえ、今は南パーンチャーラ王国へと向かったそうです」
確か、パーンチャーラって……。
昔、この王子様が師匠であるドローナの命令で攻め落とした王国ではないか。
かつては広大な領土を有し、各所に名を馳せていた王国であったが、目の前の青年をはじめとするパーンダヴァの兄弟たちによって国王が打倒されたことで王国は南北に両断され、北はドローナが支配する土地となっている。
何故、そんな因縁浅からぬところに彼の兄弟たちが向かったのかは分からないが、そうと決まれば次の目的地はそこしかないな。
「それにしても、どうしよっか」
「何がですか?」
「――だって、君に教えることはもうないじゃないか」
――であれば、この辺が潮時なのかもしれない。
未だにカルナや俺のように自由自在という訳でもないが、それなりに空を舞うことができる様になってきた青年にそう切り出して見ることにする。
「いえ……。まだ、私の満足のいく水準にまで至っておりません。ですので、是非とも魔力操作の伝授を続けていただきたいのです」
申し訳なさそうに謝ってくる青年に、どうかなぁ? と首をかしげる。
とはいえ、青年の言う通り、彼の魔力の扱い方には、まだまだ荒削りな部分があるのは確かなので、それもそうかと納得する。
「おーい! 聞いたか、お前ら!! カラウヴァのドゥリーヨダナ王子が、まーた
ドゥリーヨダナ、と言う名前に、思わず反応してしまい、背後を振り返る。
振り向いた先では、いかにもお喋りが好きそうな陽気な顔立ちをした若い男が、同じような年頃の職人仲間らしき相手に、興奮した様子で話しかけていた。
「あの王子様かぁ! 全く、お盛んなこって! この間も、どこぞの姫君の
「いやいや、ご自身の嫁や第二夫人とするために参加している訳ではないそうだぞ? あそこはご兄弟が百人もいるからなぁ。その弟たちのために嫁さんを探し求めているそうだ」
ひゅう、と下品な仕草で口笛を吹いた若い男を嗜めるように、やや年配の温和そうな容貌の男が訳知り顔で解説する。その近くで、適当な露天の商品を熱心に眺めているふりをしながら、その場に腰を落とし、彼らの世間話に耳を澄ませた。
「――けど、どこの婿選びでも、姫さんを獲得するためには、それぞれの父王たちが定めた難題を乗り越えなきゃいかねぇんだろ? 確かに、あの王子様は音に聞く棍棒の名手だが、それでも他の並み居る候補者を押しのけてまで、嫁さんを獲得できるもんなのかね?」
「そりゃあ、お前。そこはクル王国のカルナ将軍の出番だろうよ?」
――久しく聞いたその名前に、ピクリと肩が反応する。
思わず男たちを問い詰めたくなるのを我慢して、必死に話の続きを待つ。
「その武芸は天下一品、その挙動は泰然自若の比類なき勇者! どのような難題であろうと、武器を用いての試練だったら、カルナ将軍の手によってやすやすと乗り越えられちまう!
「違いない! この間も、主君である王子様の命令で国一つ陥落させたらしいからなぁ!」
そう言って朗らかに笑う人々の声に、どうやら弟が元気にやっているようだと安心する。
相変わらず、あの子がドゥリーヨダナにこき使われているのは確かなようだ。それにしても、兄弟たちのお嫁さんを獲得するために、自分の代理にカルナを試練に挑戦させているのかぁ……。
懐かしさと慕わしさ、それから恋しさが胸中に渦を巻く。
早く会いたいなぁ、俺の弟に。こんなにも離れていたのは、初めてなだけに、なおのこと。
「最近、カウラヴァの方々の話はよく聞くが、ほれ」
「ん? なんだ?」
「あの、半神の王子さまがたはどうなったんだ? パーンダヴァのご兄弟さ」
何かを作っている手元の動きを止めることなく、職人の男たちは話を続ける。
俺の傍らで慎ましく佇んでいる青年の肩がピクリと揺れたところから、彼自身、一家を取り巻く状況がどうなっているのか気になっているようだ。
「ああ、あの話なぁ……。なんでも、外遊中に火災に遭ってしまって落命なさったそうだぞ。こりゃあ、クルの次期国王はドゥリーヨダナ王子に決まりだなぁ」
「本当に気の毒になぁ。焼け跡から人数分の遺体も見つかったらしいし、母親のクンティー王妃共々、天にその命を召されたってことか」
「幸い、王子さまがたのお命を狙っていた不届き者も死体で見つかったらしいし、天罰が当たったんだろうよ」
怖い怖い、と囁いている男たち。
とはいえ、遠い都での王族たちの不幸な事故など、彼らの暇を潰すには打って付けの出来事なのだろう。一頻り感想を述べあってから、彼らの話題は別のものへと移っていく。
「でも、あそこの第三王子……ええと、アルジュナ王子様だったか? あのお方が亡くなったって言うんだったら、とうとうカルナ将軍に敵う相手はいなくなっちまったってことか?」
「うーん、そいつはどうだろうか。ほれ、なんかすごく各所で崇められておられる王族がいただろ? 竜を退治したとか、魔物と通じて悪政を敷いていた王を倒したとか……」
「ああ、■■■■■様か! あの方であれば確かになぁ……」
……ん? 可笑しいな。
雑音が急に耳に飛び込んできたせいで、彼らが誰の話をしていたのか、よく聞き取れなかった。
「いやはや……それにしても、勿体ねぇなぁ。あの王子様方であれば、カルナ将軍との間での名勝負が見られただろうに」
「そういや、
「か〜〜! そんな美女なら一目でいいからお目にかかりたいもんだ! それにしても、パーンチャーラ国王にいつの間にそんな別嬪のお姫様が生まれたんでぇ?」
暫くの間、耳をすませていたが、職人たちの話は次々と変わっていき、終いには晩飯の献立を予想しだしたので、もう十分な情報を仕入れることができないと諦めた。
ふぅ、と。軽く肩に入っていた力を抜いて、お尻を叩きながら立ち上がった。
商品を冷やかすだけの客に露天商が迷惑そうな表情を浮かべていたが、気づかないふりをする。
――そこへ、静かな声がかけられた。
「……聞きたい話は聞けましたか?」
「嗚呼、ごめん。他人事じゃないだけに、つい聞き入って、しまって、い――」
止めていた足、職人たちの方を向いていた視線を戻し、青年の方へと振り向く。
見上げた先にあった凍えた眼差しに、背筋に冷たい戦慄が疾った。
「――どうやら、ドゥリーヨダナの目は誤魔化せているようですね。それは重畳」
うっそりと微笑む彼に不吉なものを感じ、思わず後退りしたくなる足を必死に抑える。
――ぐ、と。力を入れて奥歯を噛みしめることで、感じた動揺を表に出すまいと堪えた。
「……それにしても、
――昏昏とした、光のない瞳。
陰影を色濃くした端正な容貌に浮かんでいる、その感情の正体は一体なんなのだろう。
初めて見る顔だ、初めて見た感情だ。
カルナが浮かべたことのない、そんな類の情感だ。青年が見せた感情についての情報を脳が処理しきれなくて、大いに戸惑った。
「そう言えば、カルナ、でしたか。――最近、よく名前を聞くようになりましたね」
「そ、そうだな」
「あの男は一体何者なのでしょうか? 空を飛ぶ姿を見た時から思っていたのですが、あの男が仮に神々の血を引くものであると言うのであれば……何故、あの男はドゥリーヨダナに従っているのでしょう?」
なんと返事をすればいいのかわからなくて、無言になる。
しかし、問いかけの形こそとってはいたものの、特に返答は求められていなかったらしい。
その代わり――貴女は、と。茫洋とした瞳の青年が静かに新たな問いを投げかける。
黒々とした、深い闇を宿した切れ長の双眸に、俺の姿が鏡像として写り込んでいた。
「――貴女は何かをご存知ですか? あの男について」
さも、突然思いつきました、と言わんばかりに、青年は俺へと問いかけてくる。
じっとりと濡れた闇色の双眸が、俺の一挙手一投足を逃すまいとこちらを凝視していた。
「あの男が神の血を引くと言うのであれば、一体どのような理由で忌み子たるドゥリーヨダナに従うのか、私にはそのことが不思議で仕方ありません」
「――
さあ、どうしてでしょう? と歌うように青年が言葉を紡ぐ。
薄い口唇が幽かに吊り上がり、光を呑む込むような漆黒の双眸が僅かに眇められた。
「ただ、初めて見た時から感じたのです。――あの男と私は、
どうしてなのでしょうねぇ、と青年が虚空を見つめながら嘯く。
今度は逆に、俺の方が不穏な気配を醸し出す青年の一挙一動を見過ごすまいと、目つきが自然と剣呑なものに変わってしまう。その様子に気づいていないわけではないだろうに、依然として、青年は鬱蒼とした微笑を浮かべているその表情を崩すことはない。
「――こんな醜い感情、
「可笑しなことを言う――まるで、その“アルジュナ”が、お前自身ではないみたいじゃないか?」
自身に対する侮辱だと言って、怒りだすのだろうか。
そう思って口にした嫌味に対し、青年は一転して弱弱しい表情を浮かべ、ただ一言こう呟いた。
「……ひょっとしたら、そうなのかもしれませんね」
それを聞いて、ちょっと思った。
ひょっとしなくても、この子、すごく面倒くさい人間なのかもしれない。
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エーカチャクラの都での一件以降、どこかギクシャクとした雰囲気だった――のだが。
「――決めました。私は貴女のことを、タパティーと呼ぶことにします」
ちょっと、川辺に水を汲みに行って来ますね。
そう言って場を離れた青年が、ようやっと戻って来たかと思えば、唐突にそう宣言した。
あまりにも突然すぎるその言葉に、こちらとしても目を瞬かせることしかできない。
「えーと、あの名称の話、まだ続いていたんだ」
「ええ。勝手にせよ、とのことでしたので。勝手にさせて戴きました。それで? どの様な呼び名を用いても、貴女はお構いないのでしょう? ねぇ、
「いや、その名前はちょっと……」
いつぞやとは裏腹に、輝かんばかりの微笑みを浮かべて、語りかけてくる青年。
確かに好きなように呼べばいいとは言ったけれど、それって同時に遠回しに俺のこと詮索するなや、といった意味も含んでいたのだが――そうきたか。
「何故です? 貴女に似合う名前だと自負しておりますが」
「ううーん、その、だな……」
――にしても、タパティー、か。
わりかし、俺に縁のない名前ではないだけに、ちょっとビビる。この青年、ひょっとしたら俺の背景というか、俺がスーリヤの眷属であることを察しているのではなかろうか。
「――それよりも、青年」
「なんでしょうか、タパティー」
その名前には思うことがあったので、なんとか話をあやふやにしてやろうと青年に声をかける。
――そして、然程時間をかけるまでもなく、話の種は見つかった。
よくよく見れば、青年は焼け落ちる不吉な屋敷から持ち出していた長弓を手にしていない。
それに、きちんと整えられていたはずの蓬髪が少し乱れ、どことなく煤の匂いや物が焦げた様な匂いが服から漂っている。水汲みついでに何かがあったのは間違いない。
「君の持っていた、弓は? あと、君がいない間に、轟音が鳴り響いたけど、それって君と関係していたりする?」
「ああ、そのことですか。先ほど、ガンガー河の畔りで水を汲もうとしていたら、この森を住まうというガンダルヴァに難癖をつけられまして」
ほっそりとした指先を青年がその唇にのせて、悪戯っぽく微笑む。
きらきらとした黒曜石の輝きと青年の全身から発せられる楽しげな雰囲気は、この旅を始めてから初めて見るので、少しばかり面食らう。
「自分の森で、音を立てるのも、勝手に水を汲むのもダメだと、文句を言うのです。その暴論に対して、少しばかり私が理を説けば、怒って矢を射かけてくるので、そのまま戦闘になりまして」
ここは、ガンジスの畔りの聖地・ソーマシュラバーヤナなので、いちゃもんをつけてきたガンダルヴァといえばアンガーラパルナを指すのではなかろうか。そして、アンガーラパルナと言えば、細かいことにネチネチ難癖つけてくる、自惚れ屋の粘着野郎だった筈。
「向こうから先に手を出して来たのです。――なので、私も弓矢をとって応戦いたしました」
「で、どうだった? 苦戦したりした?」
「いえ、然程」
あっさりと言い切る青年。嫌味がなさすぎて逆に嫌味に感じる類の人間だなぁ、この子。
とはいえ、ガンダルヴァ相手に苦戦しなかったとさらりと口にするあたり、青年の力量のほどがうかがえる。
「戦士であると豪語したからには、その首を落とされるのも敗者の役目。そのまま、首でも切り落とし、修行の成果として、貴女の元へ持ち帰ろうと思ったのですが……」
――いや、いらないから。
俺ってば、戦士ではないので、虜にした相手の首とか欲しくないから……!
やや無念そうに語る青年に、内心で激しく突っ込む。
とはいえ、目に見える形で戦利品を持ち帰ってこなかった限り、平和的に騒動は解決したのだろうと彼の話の続きを待つ。
「一緒にいたガンダルヴァの妻が、命だけはと懇願するので許しました。すると、男が命を助けてくれた礼として術を伝授すると言い――かといって無償で受け取るのもどうかと思ったので――私の弓と引き換えて来ました」
とりあえず、敵の首級とか持ち帰ってこなくて、本当に良かった。
青年が差し出してくる水の入った皮袋を礼と共に受け取り、そんなどうでもいいことを思う。
「その時にですね、面白い話を聞いたのです」
愉快です、と言わんばかりに軽快な口調の青年に、それほど楽しい話を聞いたのかと胸中でひとりごちる。黙って話の続きを促す俺に対してどう思ったのか、にこりと青年が唇を緩めて見せた。
「彼は、私のことを“
口に含んだ水を吐き出しそうになったのを必死に堪える。
青年の問いかけに、できるだけ平然とした様子で応じるべく、口元を軽く拭った。
「……あ、嗚呼。わりかし、俺にも他人事ではないからな」
「――やはり、貴女の輝く朱金の髪色は、彼の太陽神に由来するものだったのですね?」
「…………!!」
伸ばされた指先が、俺の髪の毛を一房分、そっと掬い上げる。
甘やかな仕草に反して、俺を覗き込む青年の瞳は正解を求める子供の様に好奇心で煌いていた。
……やべーわ、これなんかやべーわ。
何がやばいって、こんな小さな手がかりをきっかけに、ここまで俺の正体を推測してくる青年の直観力と考察力がやばい。これは不味い、なんと言うか非常に不味い……気がする。だらだらと冷や汗を流しつつ、できるだけ平静を装ったが、青年には俺の動揺が手に取るように分かっているのではなかろうか。
とりあえず、下手に否定することもできないので、青年の問いかけに頭を上下に振って首肯してやれば、青年が浮かべる笑みをますます色濃いものとした。
「――では、
人は、何かを隠されるとどうしてもそれを暴かずにはいられない性質を持つ。
実際、青年の黒々とした眼には、正解に一歩近づいた喜びにも似た感情が渦巻いていた。
これ以上ごまかすことは無理だと諦めて、小さく頷けば、青年が破顔する。
「それでは私は、ターパティヤとでも名乗ることにしましょうか。これについては、あながち、偽名というわけではありませんから」
――その言葉を聞いて、決断した。
パーンチャーラの都に着いたら、直ちに別れよう。
魔力操作のやり方はもう教え込んだし、免許皆伝ということで青年も文句はないはずだ。
「それでは、タパティー。今日の修行も宜しくお願い致しますね?」
謳う様に言葉を紡ぐ青年の雰囲気は、初めて取り組んだ難題を解決した幼子の様に朗らかだった。
<用語説明+考察>
・
…簡単に言ってしまえば、お姫様たちが大勢の候補者の中から気に入った婿を自分で選び出す、ちょっと変則的なお見合いみたいなもの。婿候補として名乗りをあげるためには、様々な条件をクリアする必要があり、そのためにちょっとした試練が用意されたりするのはお約束。
(*なんでカルナがドゥリーヨダナと連れ立って、婿選びに参加したのかなぁ?と自分なりに考えて、思いついた理由の一つが弟たちの嫁さん探し。伴侶の血族との結びつきもかなり古代インドは強かった様なので、勢力を広げる手段としては打って付け。おまけにドゥリーヨダナの兄弟は九十九人。
原典の方にドゥリーヨダナが姫君を戦車で攫い、カルナがその後を追走して追手をぶちのめした……みたいな描写があったので、カルナがドゥリーヨダナと一緒に度々婿選びに参加していたのは確か。だったら、カルナがドゥリーヨダナの代理として登場していたとしたら、次回にあるドラウパティー姫の婿選びにも納得がいくなぁ、と*)
(*なんせ、階級差のある男女の結婚が厳しく取り閉められていたし。であれば、御者の息子として卑しまれていたカルナがドラウパティー姫を娶ろうとしていたよりは、はるかに現実的だと思い、「もしカル」ではこの様な設定に。まあ、素人の勝手な想像でしかありませんが*)
(*まあ、アルジュナの嫁になろうとしていたドラウパティー側からしてみれば、政敵と結婚するのは御免被りたいんで、あの様な拒絶反応をしたのかもしれない*)
・タパティー/ターパティヤ
彼女はクル王族と縁が深く、血族としての繋がりはないが、カウラヴァ/パーンダヴァ双方が彼女の系譜を受け継いでいる。アディティナンダ(ロティカ)がぎょっとしたのは、そのせい。(ネタバレになりかねないので、詳しくは各自で)
(*気になる、親しくなりたい相手のことを知りたいと思うのは、どの様な感情に基づいていたとしても、人が人に抱く気持ちとしては真っ当なもの。なまじ秘密主義を貫いたがために、逆に好奇心に火をつけてしまったアディティナンダの失策*)
(*次回、少しだけアルジュナ本人に語らせるけど、この段階では、彼からの感情にはまだ名前はない*)