早く、アルジュナやカルナさんのことを書きたい……。公式にインド系英霊を増やして欲しいと思うけど、下手にクリシュナとか出したら、インド兄弟の心痛は半端なものでは済まされないんじゃとも思う。
神々に祝福された国王を讃える歌詞を滔々と謳いあげれば、万雷の喝采が宴の間に鳴り響く。
身分を問わずに観衆たちが興奮冷めやらぬ表情を浮かべていることを目に留めながら、礼の代わりに微笑みを浮かべて謝意を表した。
――俺は今、ドリタラーシュトラ王とその妃のための小さな宴に、楽師として出演していた。
クル王国の王が盲目の身であること、その妻である王妃も夫に倣って目を布で隠していることは、この国に住まう者ならば誰でも知っている有名な話である。
国王夫妻は目の不自由な身であるためか、腕の良い楽師を殊の外好んでいた。
そのため、一念発起して本格的に楽師として活躍しだした結果、都でさすらいの楽師として頭角を現した俺の話を聞きつけた国王からお呼びの声がかかったという訳だった。
しかも、初舞台ながら主役が国王夫妻という豪華な聴衆である。
当然のことながら、彼らが俺の技量に感服しているのはその表情を見れば一目瞭然であった。
「なんと美しい声なのでしょう……! その歌声を聴くだけで、この世のありとあらゆる美しい物・輝かしい物を思い起こしました。何よりも、その歌声によって、全身がまるで浄化されてしまったかのよう。――ああ、困りましたわ。妾の拙い言葉では、この感動をどう言い表していいのか……」
美しい宝玉で身を着飾った王妃が身を震わせる。
その隣に座っている国王もまた恍惚の表情を浮かべ、感嘆の溜息をついた。
「我が妻・ガンダーリーの申す通りじゃ。生まれながらに盲目の身であるこのワシも、妃の語る様に、暗闇のはずの瞼の奥にありとあらゆるものの輝きを見た。この世の美しいものを須らく、其の方の歌声によって識ることができた上に、其の方の歌声を聞くまで我が身に巣食っていた、厭わしいものが、綺麗さっぱり剥ぎ落とされた気分じゃ」
まぁ、俺はどんなに心中で罵倒していてもスーリヤの眷属である。
不浄なものの浄化や、地上のあらゆる命の活力を活性化させる程度の能力など、この歌声に合わせて聴衆の元に届けることくらいはお茶の子さいさいなのだ。
「ふむ。――類稀なる声音の楽師よ、其の方の名を何と申す?」
「もったいなきお言葉。……私は皆からアディティナンダと呼ばれております」
畏まって頭を垂れる俺に、絹を撫ぜるように淑やかな声音が投げかけられる。
「――
顔を伏せたまま、初めて聞く声の元へと視線をさりげなく向ける。
すると、滑らかな褐色の肌に豊かな黒檀の髪、魅力的な肢体を惜しげもなく晒した、絶世の美女がそこに佇んでいた。
「……まぁ、クンティー。貴女もいらしていたの? ちっとも気づかなくてよ」
「とても素晴らしい楽師でしたもの。王妃様がわたくしのような端女に気づかなくてもご無理はありませんわ」
金銀の装飾品で飾った片手で口元を隠しつつ、美女は淑やかに微笑む。
女の盛りはとうに過ぎている年齢である筈だが、その肢体に容姿の衰えは微塵も感じられない。
艶かしい、肉付きの良い四肢。上品な美しさの中に、成熟した女の色気を感じさせる婉容。
いかにも高貴な生まれと推測できる女性が、豪奢な飾りの付いた長い着衣の裾が地面につかぬ様に、そっと繊細な指先で摘み上げ、楚々とした雰囲気で歩み寄ってくる。
ああ、これが巷で話題のパーンダヴァの王子たちを生んだというクンティー姫か。
なるほど確かに、神々の目にも叶う美しさである。
――……確かに、これで
「ご無礼をお許しくださいな。どうしても両陛下にお伝えしたいことがありまして、無理を言って侍従たちに通してもらいましたの。そうしたら、何とも言えぬ妙なる調べが耳に届いて……気づけば用件も忘れてしまって、聞き惚れてしまいましたわ」
「――この身に余る光栄です……クンティー様」
思ったことを率直に告げる点では、天真爛漫という言葉がふさわしい女性である。
彼女の形のいい唇から溢れる言葉には、きっと一片たりとて悪意など含まれていないに違いないと、そう感じさせる姫君であった。
……クンティーは先王・パーンドゥの第一夫人であった姫である。
その美しさもさることながら、彼女の名が広く王国中に知れ渡っているのは、聖仙の呪いで子をなすことの叶わなかった夫の為に、
――法と正義の神・ダルマとの間に
――荒ぶる風神・ヴァーユとの間には
――そして、神々の王・インドラとの間に
そういう意味では神々の寵愛を一身に受けた、この世で最も恵まれた女性の一人である。
その経歴故に、災いの子を産み落としたと噂される王妃以上に彼女を讃える国民は多い。
神の子を産み落としたという名誉、日々届けられる賞賛の声。
生まれながらに備わっている非の打ち所のない容姿、王女という出生ゆえに満たされた環境。
……彼女が自分が捨てた最初の子供のことを思い出すことは、この数年間の間に果たして何度あったのだろうか。
軽く首を振って、泡沫のような疑問を脳裏から追い出す。
こんなことを思い起こしたところで、何かが変わるわけでもない。
それに、彼女がカルナのことを探そうともしていないのは、とっくにわかっていたことだった。
だから、どれだけ思考を張り巡らせたところで、意味のないことだ――と感傷を斬って捨てる。
「――……国王陛下。申し訳ありませんが、少し休ませていただくことは叶いますか? 高貴なお方の面前で歌う名誉に、思っていた以上に心身が疲弊してしまっていたようで……」
「……よかろう。誰か、このものを適当な部屋へと案内してやるといい」
下手すれば無礼だと受け止められない申し出だったが、王の方も俺の言葉がクンティーに配慮したものであることを察したようだった。
王の許可を得た玉座に近づいたクンティーが、嬉々とした表情を浮かべつつ国王夫妻に何かを囁いているのを視界の端に収め、俺はそのまま部屋を退室する。
――特に誰かとすれ違うこともなく、侍従に連れられて豪奢な小部屋へ足を踏み入れる。
一礼と共に「ごゆっくりどうぞ」と告げた侍従が退室したのを見届けて、窓際へと近づく。
大きな窓の向こうに、綺麗に整えられた庭園とその中心を流れる川のせせらぎを見渡せた。
他にすることもなかったので、商売道具の
適当に弦を爪弾いていれば、陽気につられたのか、褐色の肌に綺麗な着物をまとった子供達が次々に飛び出してきては、川の中に飛び込んでいった。
――きゃらきゃら、と笑い合う子供達。
水を掛け合ったり、水中に潜れる時間を競い合って遊んでいる光景は素直に微笑ましい。
どの子供達も身につけていた装飾品や顔立ちが似通っているため、ドリタラーシュトラ王の愛息子・カウラヴァの百王子たちで間違いないだろう。
なんともなしにその光景を見守っていれば、誰かが小枝を踏みつけた小さな音がした。
音の大きさからして、子供であるのは間違いない。とすれば、王子達の兄妹だろうか?
話によれば聖仙の加護を受けたガンダーリー王妃は、百人の息子と一人の娘を産んだ様だから、そのうちの一人かもしれない。
そんなことを思っていたら不意に木木の木立が大きく揺れ、褐色の王子たちよりも、年上に見受けられる大柄の少年が姿を現した――途端、楽しそうに戯れていた子供達の様子が一変する。
「ビーマ、ビーマだ! 逃げろ、みんな!!」
それまでの笑い声が一転して、鬼気迫った金切り声に変わる。
それまで思い思いに遊んでいた子供達が、血の気の引いた表情になって慌てて川から上がろうとする光景に、これは尋常ではないと思わず身を乗り出した。
彼らにビーマ、と呼ばれたのは体格のいい色白の少年だった。
将来は勇壮たる美丈夫に育つだろうと予期させる広い肩幅に、太い両の腕、彫りの深い顔立ち。
カルナのそれが幽鬼のような肌色と忌避されるのに対し、少年の肌色は上等の牛の乳を思わせるしっとりとした色合いである。深い緑の衣を纏っているのは、彼の父親が風神だからだろう……となれば、あれが第二王子か。
「……何をするつもりだ?」
豪奢な刺繍の施された上衣を脱ぎ捨てると、少年は愉快そうに口の端を釣り上げる。
そこだけを見ると王宮の外の子供達となんら変わらない、どこか悪戯坊主を思わせる小気味の良ささえある。
――だが、幾ら何でも、カウラヴァの王子達の様子は尋常ではない。
眼下の王子たちの何人かなんて、悲鳴をあげ、涙を流しながら逃げ出そうとしていた。
彼らの長兄が次期国王の座を巡ってパーンダヴァの王子達と複雑な関係にあるのは有名な話だが、それでも彼らは親族で――家族の関係にあるはずだ。
本当に、いったいどうしたのだろう?
じっと見つめていれば、ビーマが逃げ遅れた王子の一人に掴みかかった。
自身よりも体格のいい少年に飛びつかれたせいで、王子は悲鳴とともに体勢を崩して、そのまま水の中に沈んでいく。
その光景を見た他の王子たちが、慌ててビーマにしがみついて引き離そうとするが、半神の少年の腕の一振りで吹っ飛び、次々と庭園の木に打ち付けられていった。
「――やめろ、やめろ、ビーマ!」
「誰か、大兄様を呼んでこい! 早く!!」
声をかけられた王子達が数人、泣きながら王宮の方へと走りだす。
それ以外に残った王子達がなんとかして捕まっている一人を助け出そうとして、一斉にビーマのところに走り寄る。
必死の形相を浮かべて自分の方へと突進してくる王子達の姿に、ビーマは一際楽しそうに笑い声をあげると、押さえつけていた手を離して、水の中に潜っていった。
「しっかりしろ、大丈夫か!」
「今、他の奴らが大兄様を呼んできてくれる。それまでがんばれ!!」
ようやく水上に浮かび上がってきた兄弟の腕を掴んで、なんとかして岸辺へと運ぼうとする子供達の一人が、不意に水の中に沈む。
水中に潜むビーマに足を引っ張られたのだと察するのに、さほど時間はかからなかった。
「――――あはは! もう、息が切れたのかよ! なっさけないなぁ、お前達。それでも、このビーマ様の従兄弟かよ!!」
少し離れた水面に浮かび上がってきたビーマが、闊達な笑い声をあげる。
彼の目には先ほど水の底に沈められた王子が涙と鼻水を流しながら、苦しそうに咳き込んでいる光景が見えないのだろうか。自分を睨む様に見つめている従兄弟達が、恐怖と嫌悪の色を顔面に過ぎらせているのに、気づけないのだろうか。
幾ら何でも見過ごせない。
まるで姿形は似通っていなかったとしても、カルナと同じくらいの年頃の子供達が、地獄の悪鬼に苛まれるような絶望した表情を浮かべているのを目にし続けるのは、なぜだか不愉快だった。
そうして俺が窓枠から身を乗り出そうと、身構えた瞬間――
「――何をしている、ビーマ!!」
「おっ、ドゥリーヨダナ。今日は遅かったじゃないか? また、勉強をしてたのか?」
突如として響いた、鞭のようにしなる声がビーマを叱責する。
先ほど立ち去った王子達に連れられてやってきたのか、宝石で飾った長い黒髪を綺麗に編んだ少年が、汗と土埃を物ともせずに飛び込んできた。
<登場人物>
・ドリタラーシュトラ王&ガンダーリー王妃
…クル王国の国王夫妻。母親の過失で生来盲目の身であったドリタラーシュトラは、一度は譲った王位に弟であるパーンドゥの隠居後、着任する。ガンダーリーは目の見えない夫を自身がないがしろにしないように両目に布を巻くことでその視界を封印し、貞淑な妻として讃えられた。
ガンダーリーは若い頃、聖仙相手に「100人の子供が授かる」という祝福を受け、その予言通りカウラヴァ百王子の母親となった。英雄ばかりに目が行きがちな『マハーバーラタ』だが、登場する女性達も意外と実績が凄まじかったりする。
・クンティー
…先王パーンドゥの妻。やはり聖仙に授かった真言のおかげで自分と第二夫人を含む二人の女性との間に神々との間の五人(カルナを含めて六人)の子供をもうける。品行・性質・美貌の点において名高い美姫で、おそらく過失といえば赤子のカルナを出産幾ばくもしないうちに川に投棄した点だけかもしれない。とはいえ、カルナ誕生以後の夫であるパーンドゥと満ち足りた夫婦生活を送り、カルナが武術大会でその姿を表舞台に晒すまで思い起こすことがなかったという点では薄情な性質の女性であった可能性は非常に高い。『マハーバーラタ』の悲劇の引き金を引いた人物のうちの一人。
(*主人公・アディティナンダは基本的に個性のない人なのですが、徐々にそれも成長していきます。カルナを始めとする人々との交流を通じて、だんだんと内心の言葉が変化していくのを楽しんでもらえたら嬉しいです)