スーリヤさん家は過保護だが、肝心の息子の意思が堅牢なので、あまり過保護に見えない。
インドラさん家は過保護かつ過干渉で、息子がひどく従順かつ優秀なので、スパイラル。
原典とFate wikiを読んでの、作者の印象をそのまま設定に生かしました。
腕輪をめぐる騒動や青年の価値観、俺自身の在り方についての再確認。
それらを一通り済ませた俺は、ゆっくりと深呼吸を終えてから、背筋を正し、目の前の青年をひたと見つめ直した。
「それはそれとして、第三王子。俺は改めて君に礼を述べたい」
「――……? 礼、ですか?」
キョトン、とした表情を浮かべて、こちらを見つめ返してくる青年に首肯で応じる。
「君は、あんなにも怪しい俺のことを、燃え盛る屋敷に捨て置くことなく、安全な場所まで連れ出してくれた。君のものになっていた俺の腕輪をちゃんと俺の元へと返してくれた」
感情の読めない、黒々とした漆黒の瞳が、小さく揺れる。
切れ長の涼しげな目元に、今は遠くにいる弟の面影を思い出して少々寂しい気分に陥ったが、それはそれと割り切って言葉を続ける。
「――俺は、君のその真心からの善行に、心からの賞賛と謝意を贈りたい」
依然として座した状態でだが、胸の前で両手を合わせて、深々と首を垂れて感謝の意を示す。
「――助けてくれて、ありがとう。君のお陰で、俺は五体満足の状態でここにいられる」
人に助けてもらったら、親切にされたら、きちんとお礼の言える人になりなさい。
――それが、カルナを拾い上げた養母・ラーダーの説いた教えだった。
そして、カルナと共に過ごした時間に何度も聞いたその教えは、兄である俺の中にもしっかりと根付いていた。いまの俺の振る舞いに対して、人間が神々の被造物である以上、その奉仕を受けることは当然なのだから、感謝など伝えずとも良い……と他の神霊であれば嘲るかもしれない。
――けど、そんなの知ったことではない。
俺にとって一番大事なのはカルナにとって誇れる兄であること、あの子が誇ることのできる家族であることなのだから、そんなカルナを育ててくれた親切な養母の教えを無碍にすることなど、しようとも思わなかった。
それに、ラーダーの教えだけではない。仮にも俺は
蒼天にて光り輝き、あまねく万物を照らし出す日輪は炎神アグニの目に例えられる。そのため、太陽神であるスーリヤは天上から人々の行いを監視し、悪行を成した人間に裁きを下す、厳格な審判神としての側面を有しているのだ。
――善行にはそれに相応しき恩寵を、悪行にはそれに相応しい懲罰を。
この世界において、罪人を裁くのは人の領分ではない。
特に、復讐と断罪は、人ではなく神の領域の事柄であり、それらは神霊の一存で許され、齎される代物。文字通り、天から神々は人間たちを観ている存在なのだ。
「その感謝の表れとして――君の勇敢な振る舞いに、俺は何らかの形で報いたい」
俺の本性が熱と光である以上、あの火災で修復不可能なまでの破損を負ったとは考えにくい。
だけれども、そのような状態にまで追い詰められ、半ば封印状態が解除されていた
――であれば、なおのこと。
その危機を善意によって未然に防いで、腕輪まで返してくれた、この純白の名を冠した青年相手には感謝しかない。一つ問題があるとしたら、俺が自由にすることのできる財産が少ないことだけなので、その辺はきちんと青年に伝えておこうと正直に告げておく。
「ただ、人間のふりをしている俺が君へと渡せる物・与えられる物は然程ないのだけれども。――どうしたら、君の善き心根に俺の謝意を示せるのだろうか?」
……あと、口には出さないけど、もう一つ理由がある。
正直、カルナと敵対するパーンダヴァの王子様相手にいつまでも貸しを作ったままというのは、寝覚めが悪い。
なにせ、だいぶ昔の話のように感じられるのだけれども、うちの弟、国威のかかった神前試合の場で、この王子様相手に衆目の前で喧嘩を売ってるんだよなぁ……。どうしよう……昔、
「私は……別に、貴女からの報酬が欲しくて、お命をお助けした訳では……」
俺が表面的には涼しい表情を浮かべつつ悶々としていれば、青年の漆黒の瞳が左右に蠢き、俺のものよりも数倍大きい掌が握りしめられる。それこそ、しどろもどろと喩えざるを得ないような、躊躇うような雰囲気の第三王子に、内心で小首を傾げたが、気づかないふりをしておく。
「――うん。君がそう言うのであれば、そうなのだろうね」
俺が思うに――人が人を助ける、と言う行為は、ひどく尊く美しいものだ。
ドゥリーヨダナが、あの瞬間にカルナに手を差し伸べてくれた時を、思い起こす。
人間は神々へと救いを求めるが、滅多に神々がその叫びに答えることはない。
そして、神々が人の悪逆と増長を律し、天地の監視者としての性質を持つ存在である以上、人を救うのは――いつだって人間しかいないのだ。
だからこそ、この青年の振る舞いに、俺は、心からの賞賛を贈りたいと思ったのだ。
「でも、それだとこっちの気が済まない。それに、俺自身、人の子に助けてもらったのは今回が初めてなので、人の真似をしてお礼をしてみたい……と、いうのもある」
驚いたように、俯き加減だった青年の顔が、勢いよく持ち上げられる。
彼が何を躊躇っているかは皆目検討がつかない。けど、きちんと受けた恩は返さないと。
……そういえば、神々が助けてもらった場合って、どうするのが普通だったっけ? 確か……大概の場合、何か恩寵を与えてた気がする、うん! うろ覚えなので、多分だけど。
――とは言え、こうやって直接口でお礼をいうことは滅多にしないだろうなぁ……。
そんなことをつらつらと考えていれば、ポツリと。それこそ、木の葉を伝う雫が一滴、水面に触れるような――そんな静かな声が耳朶へと滑り込む。
「……我が師から難行を為せ、と言われて、奥義や武具を授けられたことは……ありました。王族の務めとして助けを請うた相手に慈悲を垂れ、理想の王子としての有り様を賞賛されたことも」
――――今は昔。
クル王家の戦術・武術指南であるドローナは、己の持ちうる全ての武芸の技を習得させる対価として、彼を侮辱したパーンチャーラ国王を打倒することを、教え子たる王子たちに要求した。
それを快諾したのが、今、俺の目の前に座る第三王子であり、ドローナの期待に応える形で、この麗麗たる青年は師の持ちうる全てを習得した。
そして、青年は見事に師の期待に答えた――――今では誰もが知る有名な話である。
「――ですが、何の打算も無く、感謝の言葉を戴いたのは……私も――これが、初めてです」
「――なら、丁度いいんじゃないかな? お互いに初めて同士で」
こちらを不思議そうに見つめ返す青年の表情はひどく稚い。
そういえば、この子、俺やカルナよりもガタイが良くて背が高いから忘れていたけど、カルナよりも遥かに年下だった。あと、温室育ちなのが関係しているせいか、同じ年下であっても、スレているドゥリーヨダナにはない純真さがまだ残っている様な気がする。
そう思うと、ますますカルナのことが恋しくなるのと同時に、それ以上に心配になってくる。
……大丈夫かなぁ、あの子。ちゃんと、ご飯食べているかなぁ……?
頼みを断らない性格を悪用されて無理難題をふっかけられたり、持ち物を要求されたり、嫌味を言われたりしていないだろうか……。怪我や病気の心配はあの鎧のお陰でないとはいえ、変な呪いとか、面倒ごとに巻き込まれてはいないだろうか……? 巻き込まれてそうだ……。
出立する前に、ドゥリーヨダナが一応は面倒見てくれるとは言っていたけど、どこまで信頼できるのだろう……。なにせ、その口で白々しくも俺の暗殺計画を立てるような悪辣王子だし……。
――正直、心配事は尽きない。
だが、カルナと一切の憂いのない状態で再会するためにも、面倒ごとは片付けておかなければ。
「――……それでは、一つ、願いを口にしてもよろしいでしょうか?」
真剣な面持ちで考え込んでいた青年が、ようやっと頭を上げる。
それに鷹揚に頷けば、青年は小さく息を吸い込み、引き締められていた薄い唇を開いた。
――さて、なんだろう?
この子は何を俺に望むのだろう?
カルナに直接の危害を加える様な願いでさえなければ、大抵のことは叶えてやろうじゃないか、と鷹揚な気持ちで身構える。
「――……私の願い。
一拍おいてからの青年の申し出に、暫くの間、絶句していた。
そのせいか、目の前で座していた青年が、実に申し訳なさそうな表情で伺いを立ててくる。
「差し出がましい願いだったのでしょうか? 尊き御身に、このような申し出をするなど……」
「嗚呼、いや……」
――どちらかといえば、即物的な物。
例えば、子宝や尽きぬ黄金の恵み、金銀宝玉の類を要求されるかな? と思っていたのもあって、彼の申し出に不意をつかれただけだ。
「そんなことはない」
それにしても、この子、本当に礼儀正しいな。
ドゥリーヨダナなんて猫を被っていたのは競技会の時だけで、その後ときたら、臆することなく本性を曝け出してきたというのに。
「そんなことないよ。寧ろ、
そう、それは即ち――
カルナの見立てでは、現時点の王子は、自身が有する莫大なまでの魔力を、自在に操れるだけの技量を身につけていない。
苦行次第では天上の神に匹敵するバラモンとはいえ、この子の師であるドローナは人である。
であれば、類い稀な潜在能力を持って生まれた半神が有している神の力の扱い方を理解させるよりも、自身がパラシュラーマより受け継いだ、戦闘の技能を教え込む方に注力していたとしても仕方がない。
また、自らが神の力を十全に使い熟しているとは言い難い事実を誰よりも理解しているからこそ、この青年は直接神霊相手に教えを乞う機会を見逃せなかったのだろう――その辺は流石としか言いようがない。
「――……まあ、いいだろう。ただ、君も俺もそれぞれに目的がある。だから、期限と上限を定めておくべきだな」
「――それでは、期限は私が兄弟たちに再会するまで、でお願いします」
「では、上限はどうする? 基礎的な魔力の扱い方、は絶対として……どこまでできる様になっておきたい?」
カルナの兄であるアディティナンダとして本音を言えば、敵に塩を送る様な真似はしたくない。
けど、神の眷属である以上、一度口にした約束を違えることしては出来ないからなぁ。
そういう意味では、この王子がもっと即物的な物を要求してくれた方が、気が楽だったわ。
とはいえ、どうして半神の王子がここまで魔力を扱えないままでいたのだろう?
確かに、未熟な半神であっても、ただの人間には負けないだろうけど……。うーん。だからこそ、本人も周囲も何も言わなかったし、思いつかなかったのか? それとも、無意識のうちに本人が神の力を行使することに忌避感を抱いていた、とか? 可能性として高いのは、これかなぁ。
そんなことをつらつらと考えていたら、すみません、と躊躇いを帯びた丁寧な声がかけられる。
「そこまで、私に決めさせて戴けるのですか?」
「君は可笑しなことを言うなぁ……。――というか、なんで俺が決める必要があるんだ?」
「――いえ。……いつも、師や兄たち……時に、父によって定められていたので……、つい」
なんかよく分からんが、言葉の端々から察するに、かなり不自由な生活環境にあるらしい。
あまり想像ができんが、何でもかんでも他の人に決められたり、年長者たちの意思に従っているのだとすれば、この子はかなり束縛された毎日を送っているんじゃなかろうか?
――――まあ、俺には関係のない話だが。
そう割り切って、尚も戸惑う青年相手へ無言で顎をしゃくって続きを促す。
「――では、その、あの……」
「……? なんで、そこで躊躇う?」
「できれば……その、空を」
「――空を?」
何故だか、ソワソワとしだした青年が、やや目尻を赤く染めた。
それまで揺らぐことのなかった漆黒の双眸をあちこちに走らせ、羞恥を感じているのか、青年は片手で顔を隠す様に覆う。
――遠くで、清々しい朝を祝福するかの様に、象の群が高らかに嘶いた。
その余韻が完全に聞こえなくなる前に、青年が首を絞められた鶏が死の間際に出す様な、そんなか細い声を、その喉の奥から絞り出した。
「空を…………飛べる様になりたいのです」
褐色の肌でも、羞恥で真っ赤に染まるんだ……ということを、俺はこの時、初めて知った。
あと、ちょっと思ったのは、年下ってやっぱり可愛いのかもしれない。
「うん。いい目標じゃないか」
真っ赤に染まっている青年に小首をかしげつつも、その提案が妥当なものであると判断した。
「そもそも自力で飛べる様になるって、かなり難度の高い技だし……目標としては妥当なところだよね。神の血を引く君であれば、自由に空を駆けたところで他の神霊たちも咎めないだろうし」
なんでここまで青年が恥じらっているのかは分からないが、明確な目標があるのはいいことだ。
であれば、俺のすべきことはなるだけ早くこの子に魔力操作の方法を教え込んで恩を返すこと。
それから、カルナと合流して、その後、ドゥリーヨダナに真意を問いただしに行くことか。
あと、そのついでに、この子に腕輪を渡した友人とやらにはそれなりの報いを受けてもらうことにしよう――まぁ、これは最後でいいや。
色々思うところはあるけれど、青年に関する感想だけを腕を組みつつ淡々と告げる。
すると、黄金比の比率で整えられている麗麗な
「――どうしたの? なんか、変なことでも言った?」
「いえ……、貴女は私のやることを正そうとはしないのですね」
「正す? なんのために?」
青年の間違いを正すようなこと言われたっけ? ちょっとばかし考え込んでいたのも事実だから、聞き逃してしまったのかもしれない――と不安になったので、先を促した。
「そう、ですね……。折角の恩寵なのに、空を飛びたいなどと幼子の様なことを願うのはよしなさい、とか……神々の王・インドラの誉れ高き息子としてその様な言動は間違っている、とか……そういうことでしょうか……?」
青年自身、逡巡する様に、訥々と言葉を紡ぐ。
暫くの間、青年は虚空を見つめていたが、俺が何の反応も返さなかったこともあってか、ややあってから気分を切り替える様に首を左右に振った。
「――いえ、詮無きことを申しました。お忘れください」
「あっそ」
ほっとけと言われたので放っておくよと態度で示せば、はたまた青年が切れ長の目を見開く。
なんだかやること為すこと全てがこの青年の価値観と相違している様な気がして、気疲れする。
やだなぁ、王族の価値観とこれまでに身を置いてきた下級階層の人間の価値観ってここまで違うのかなぁ……? ――でも、同じ階級に属しているドゥリーヨダナとはそんなことなかったから、間違いなく、ドゥリーヨダナの方が特殊なんだろうな。
ドゥリーヨダナの憎らしくも愛嬌のある笑顔が脳裏を過ぎる。
それを脳内でボコボコにして、スッキリさせると、気分を切り替えるために軽く咳払いをする。
「それじゃあ、話をまとめるね? 俺は君に魔力操作のやり方を教える。具体的には空が自力で飛べる様になるまで」
空を飛ぶって口で言うのは簡単だけど、結構複雑な魔力操作を必要とするんだよね……。
この王子様の習得にどれくらい時間がかかるかなぁ? 彼の期限に間に合えばいいのだけど。
「その期限は、君が兄弟たちと再会するまで――これでいいよね?」
――チラリ、と青年の表情を伺うが、変化はない。
彼の涼しげな態度に、先ほどまでの羞恥や困惑といった感情を読み取ることはできなかった。
「その……両方の条件が果たせられるのがお互いの最上だけど、君が先に兄弟に再会した時はその限りではない。――ということでも、構わないかい?」
「はい。宜しくお願い致します」
真剣な表情を浮かべて深々と頷いた青年であったが、ふと思いついた様に声を発した。
「――申し遅れました。私はクル王国の先王・パーンドゥとその妻・クンティーの息子。第三王子・アルジュナと申します。アルジュナ、とお呼びください、天上のお方」
――それで、貴女のことをなんとお呼びすればいいのでしょう?
涼やかな声で己の身分を明かした青年は、困った様に眉根を寄せる。
その態度に、なんと答えればいいのかわからなくて、始めて言葉に詰まった。
よく使うアディティナンダ、は男性名だから、この姿では即時却下だ。
それに、下手にあの“国王お気に入りの歌い手・アディティナンダ”と目の前の俺が、同一人物であると青年に知られるのは困る。
かと言って、カルナによって名付けてもらったロティカと名乗るのも気が引ける。
マガダ王討伐を手助けした“ロティカ”と目の前の俺が同じ存在だと知られて、カルナとの繋がりが明るみに出たら、さすがにこの王子も困るだろう。
何せ、ロティカとカルナの名前は、彼とその兄弟たちの政敵に当たるドゥリーヨダナの臣下として、一時期、王都を騒がせたこともある名前だしなぁ……。かといって、あんまり本性とかけ離れた名前は使えないし……。
……ううーん。
カルナが王宮政治と関わる様になってから、自分自身の立ち位置にも気を配る必要が出たのは、少々面倒臭い。
――とは言え、この王子様との関わり合いも、これっきりの付き合いになるだろうし。
「――好きに呼ぶといいよ。どうせ、君が兄弟に巡り合うまでの短い付き合いでしかないし」
少々、ぶっきらぼうな口調になってしまったかと反省したが、パーンダヴァの王子と下手に馴れ合うわけにはいかないし、これでいいやと内心で頭を振る。
そんなことより、未だに火災現場の爪痕を色濃く残すこの青年を沐浴させてやろう。
そもそも、煤と煙の匂いや痕迹を綺麗に落としておかないと、これから先の旅で下手な村にも顔を出しにくいだろうしね。
(*アルジュナくん、生まれて初めての自由。周りに家族もお師匠もいないので、誰も彼に何も注意しない*)