もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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兼ねてから予告していましたアルジュナ視点の「幕間の物語」です。
今回は原典の描写に対する筆者の見解が大幅に影響している話になりますが、こういう解釈もありなのかと思って呼んでもらえたら嬉しいです。

評価とか感想とか送ってもらえると、すごく励みになります。あと、誤字報告感謝しています。
それではどうぞ。


幕間の物語・2
<上>


 ――炎の翼持つ()()を目にした瞬間、自身を構成する歯車が噛み合った音がした。

 

 

 自分が、ひいては自分たちが、他の「人間」と呼ばれる人々と違うということを自覚したのは、いつの頃からだったのだろう?

 

 少なくとも、地上の父と二人の母と暮らしていた森の中での生活でそのようなことを思い悩むことなどなかった。

 だからそう――本格的に自分自身の異質性について彼が考え込むようになったのは、このハースティナプラに居を移してからであることは間違いない。

 

 ――父が亡くなり、その責任を取るような形で後追いした二人目の母・マードリーの死後。

 実母であるクンティーに手を引かれるようにして、この都に初めて足を踏み入れた後。

 実弟の死を嘆き悲しみつつも、その忘れ形見たちの存在に喜んだ国王・ドリタラーシュトラが、自身の子供達であるドゥリーヨダナを初めとする百王子たちを紹介してくれた日のことを、彼ははっきりと覚えている。

 

 ――お前たちもまた、クルの一族の者なのだから、仲良くしなさい。

 

 そう告げた国王の言葉によく分からないままに頷いて、父王の言葉に従兄弟たちが小鳥が連れ立って囀るように「よろしく」と笑ったことを覚えている。

 

 ――生まれて初めて見る、家族以外の人間たち。

 幼い頃から老成していた長兄が何を思っていたのかは分からないが、初めて自分と同い年の子供・ドゥリーヨダナに出会った兄のビーマがひどく興奮していたのは確かだった。

 あいつと友達になるんだ、とキラキラした目でそう言っていた兄の横顔を、憧憬と共に見上げた記憶をどうしても忘れられない。

 

 森の中の生活は確かに悪くなかった。

 神々の息吹が色濃い木々の合間を兄弟で駆け回って遊ぶ日々、怪物のような大魚が悠々と泳ぐ湖で釣りに興じた時間、時折森に訪れる客人の話にワクワクしながら耳を傾ける夜のひと時。

 

 毎日が新しい発見で、飽きることなどなかった。

 

 ――両親を初めとする大人たちは確かに彼らに優しかったし、愛してくれてはいたけども、共に山野をかける遊びに付き合ってくれることはなかった。

 父母から渡された書物から得た情報では大勢の人間が森の外で暮らしているというのに、同じ年頃の子供が自分たちだけだったことだけが、数少ない不満だった。

 

 ……話を戻そう。

 父と二人目の母の死は、確かに幼い彼にも大きな衝撃を与えた出来事だった。

 とはいえ、幼い子供のことだ。

 それまでの静かな森の暮らしから一転して、華やかな都で先王の忘れ形見として忙しい日々を過ごすようになると、胸を突き刺すばかりだった悲しみも時と共に次第に薄れていった。

 

 ――それに、出会ったばかりの百王子たちとの間柄だって悪くなかった。

 新たに現れた王国の継承者に内心きっと穏やかではなかっただろうが、従兄弟たちのまとめ役であるドゥリーヨダナは、父母を亡くしたばかりの自分たちにひどく同情的だった。

 

 もともと家族思いで面倒見のいいドゥリーヨダナのことだ。

 都に来たばかりで不慣れな上に傷心な従兄弟たちに、自分が先達として色々と教えてやったりしてやらなければ、と奇妙な責任感を感じていたのかもしれない。

 

 とりわけ、実の母とも死別してしまった双子の弟たちは、一番早く従兄弟たちに懐いた。

 いなくなってしまった母親を恋しがって泣いている彼らの元に、大勢いる従兄弟たちは交代で寝台に潜り込んでは、自分たちの知っている物語を読み聞かせたりするなどして、彼らの悲しみを紛らわす手伝いをしていたらしい。

 長兄であるユディシュティラは、兄弟の中で最も神の血が濃かったためにそうした人の心の機微に疎かったから、目に見えないところでうつむきがちな双子の内面に、いの一番に気づいたのは弟妹を数多く持つドゥリーヨダナの方だったのだろう。

 

 泣いている餓鬼には人肌の温もりが一番だ、と嘯いていたドゥリーヨダナに、双子の兄として素直に感謝の言葉を口にすれば、照れ臭そうに笑っていたのを思い出す。

 

 ――ああ、それは間違いなく森での暮らしの日々に劣らないほど輝いていた時間だったのだ。

 

 先王の子供である自分たちにも分け隔てなく愛情を注いでくれる国王夫妻。

 厳しい顔つきを綻ばせながら自分たちを孫のようだと可愛がってくれる曽祖父。

 父母を亡くしたばかりの自分たちに親切に接してくれる同い年の大勢の従兄弟たち。

 

 家族を失った悲しみや戸惑いも次第に薄れ、王都で始まる自分たちの新しい生活は、何もかもが順調なように思えた。

 

 ――そんな矢先の事だった。

 

 兄のビーマが弟たちに怪我をさせたといって、怒り狂ったドゥリーヨダナが、ユディシュティラの部屋へと駆け込んで来たのは。

 

 それまで自分たちに同情的で優しかったドゥリーヨダナの初めて見る険しい表情に、柄にもなく気後れしてしまった――あの時の自分にとっては、それほどの衝撃だった。

 

 同い年ということも関係していたのか、次兄のビーマは彼の兄弟の中では一番ドゥリーヨダナを意識していた。

 

 書物の中でしか読んだことのない“友人”という関係に、最も憧れていたのもビーマだった。

 実際、ドゥリーヨダナの方もビーマに対してその時までは少なからず好感を抱いていたと思う。

 悪戯小僧の素質を持つ二人が頭を寄せ合って悪巧みをしていた情景を見たのも、決して一度や二度のことではない。

 

 ――――自分たちの歯車は、それまでは確かに彼らのものと噛み合っていたのだ。

 

 自分の弟たちが木から落とされて何人も怪我をした。酷い者は骨折した子もいる。

 水遊びの最中に水底にまで引きずり込まれて、そのまま息が止まりかけた子もいる。

 戯れの取っ組み合いだったのに、全身が血で染まるまでの重傷を負った子がいる。

 

 その日から、ドゥリーヨダナが時に蒼白な表情で、時に憤激のあまり真っ赤に染まった顔で、度々彼らの元へと訪れるようになった。

 一体何が起こったのか、不安になってビーマに直接訪ねたことも数度のことではない。

 それに対して、兄はむしろ戸惑った様子で彼にこのように告げるばかりだった。

 

 自分は、酷いことなど何もしていない。

 

 お前たちにも同じようなことをこれまでにしてきたが、それでも命に関わるような怪我したりすることなど一度もなかったではないか。

 

 なぜ、ああもドゥリーヨダナがあいつらに過保護になるのかが理解できない。

 ――なに、ドゥリーヨダナは大げさなだけだ。

 

 そういって快活に笑う次兄の話に首肯して、不思議そうに首を傾げる長兄に、どうしようもなく胸がざわついたのを思い出す。

 それでも、次兄が告げた内容に彼もまた違和感を感じなかったのもあって、その時は尊敬する兄たちの言葉だからと大人しく引き下がった。

 

 ――歯車の噛み違いが起こり始めたのは、その頃からだ。

 

 無知であるからといって全てが許されるわけではない。

 知らなかった、気づかなかった、というのは確かに罪である。

 ビーマが悪意を持っていなかったことも、その行為に拍車をかけた。

 ――そしてなにより、彼らが尊き神々の寵児たちであったことが、決定的なトドメとなった。

 

 それまで同じ半神同士でしか遊んだことのなかったことが、災いした。

 

 確かに神秘の気配の濃い時代に生まれただけあって、ドゥリーヨダナとその弟たちも尋常な人間ではなかった。

 ……それでも、優れた師匠の元で満足に身を鍛えていない幼子の柔らかな体躯に、次兄の怪力は過ぎたるものであったのだ。

 

 ――兄が軽く腕を振るだけで子供の軽い体は簡単に宙を舞った。

 ――兄が少し力を込めるだけで肉が裂け、あっけなく骨が砕けた。

 

 自分たちならば宙に飛ばされても、身を翻して身軽に地面に降り立つことができただろう。

 自分たちならば、腕を握りしめられても抵抗することが叶っただろう。

 そして、たとえ、怪我を負ったところで痣程度で済んだ事柄だったろう。

 

 今までのビーマはその力で誰かを傷つけたことがなかった。

 同じ半神同士で遊ぶ分には問題のなかったことだったからこそ、話を聞く限りでは、長兄も自分もわからなかった。そのせいで、半神の子供の、何気無い身動きや無造作な振る舞いだけで、他者を怪我させてしまう可能性について、気づくことができなかった。

 

 加えて、周囲の大人たちの対応が自分たちが自覚するのを妨げた感もある。

 尊ぶべき神々の子供である自分たちには微塵の瑕疵も許されなかったから、真実が判明した後も、従兄弟たちの怪我は彼らの自己責任という形でまとめられてしまった。

 ドゥリーヨダナがどんなに懸命に訴えても、それは優秀なパーンダヴァの子供たちへの、妬みからくる陰口だと受け止められるようになった。

 

 弟たちを傷つけられ、誰にも助けてもらえなかったドゥリーヨダナの怒りも、尤もだった。

 次兄はすぐに自分の力が従兄弟たちを傷つけるものであると早く自覚すべきだったし、長兄はもっと彼らの様子を気にかけるべきで、自分に至っては考えることをやめるべきではなかった。

 

 ――ただ彼らが自らの無知を自覚した時には、何もかもがもう遅過ぎたし、取り返しもつかなくなってしまっていた。

 

 従兄弟たちは次第に彼らと距離を取るようになり、大人の目を盗んでこっそりとお互いの寝室を行き来する真夜中の冒険も無くなった。

 

 最初に距離を置かれ始めたことに気づいたのは、最も交流のあった双子たちだった。

 同い年の子供同士で無邪気に遊ぶことで取り戻しつつあった笑顔がだんだんと塞ぎ顔へと変わり、遊びの誘いをかけても断られるようになったことを悲しい顔で告げるようになった。

 

 敵意を向けられるようになったのは長兄だった。

 同じ王位継承者候補ということもあって、ドゥリーヨダナとユディシュティラには、異なる派閥の者達がつくようになった。

 そうして、本人たちよりも、むしろ周囲の方がどちらがより次期国王にふさわしい候補者であるかということを、喧伝しては、対立するようになっていった。

 

 一番諦めきれなかったのはビーマだった。

 友達になりたいと誰よりも強く願っていたのが兄だったし、事実ドゥリーヨダナとの相性だって最初は悪くなかったのが大きかった。

 神の子である彼に明け透けにものを言い、自分と棍棒の腕で競い合うことのできるドゥリーヨダナの存在を、誰よりも喜んでいた。

 

 ――けれども、ドゥリーヨダナはそんなビーマの無邪気さこそ許せないものだったらしい。

 ビーマが仲直りしたいと思って行動すればするほど彼らの溝は深まっていき、しまいにはドゥリーヨダナが真剣にビーマの殺害を考え出すまで関係性は悪化してしまった。

 

 ――自分といえば、ただそれをじっと見ているだけだった。

 

 ドゥリーヨダナをはじめとする従兄弟たちとの交流が疎遠になっても、最も優れた者として生まれ落ちた彼の側には、いつだって彼を愛してくれる人々が取り囲んでいたから、孤独を感じることもなかった。

 

 自分たちの――特に兄が――悪意がなかったとはいえ、彼らにしでかしてしまった仕打ちを兄弟の中でも最も真剣に考え、その全容を把握してしまった。

 だからこそ、これ以上お互いに関わりを続けることは双方に不幸しか生まないと結論づけたことも、関係していると思う。

 

 ――結果として、こうして彼らの歯車は、完全に噛み違えてしまったということになる。




(*原典の中にビーマの台詞として「俺たちは幼いころはインドラの子供達のように仲が良かった」と嘆く場面があり、同じくビーマが「あいつとは子どもの頃無邪気に遊んだことがあったのに」と従兄弟たちの死を悲しむ描写があります。なので、彼らの仲は最初はそんなに悪くなかったのだろうと考察しました。*)
(*「もしカル」でのドゥリーヨダナとビーマの関係は友人になり損ねた幼馴染です。幼少ビーマの暴虐も自分自身の力について把握していなければそれが相手を傷つける行為であると自覚せずに、従兄弟たちを怪我させたりしてもしょうがないよなぁと思い、またビーマに悪意がなかったにせよ弟たちを傷つけられてドゥリーヨダナが怒りを覚え、それが殺意にまでエスカレートしてもしょうがないなぁと*)
(*この話を踏まえて、第一章の「母親と兄弟」「呪われた王子」を読んでもらえたら、改めて彼らの関係性を読み解けるんじゃないかなぁ、と思います*)

(*ちなみに、パーンダヴァ三兄弟についてですが、長男・迷わない人、次男・考えない人、三男・思い悩む人、といったところです*)

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