もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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とりあえず、決闘の決着までは書き上げました。
あと一話と「幕間の物語」で第二章は終わりです。ギリギリ、週末に書き上げました、…よ?


決闘の行く末

「――……どうした、まだやるのか」

「ば、莫迦な……! この余がたったの数合打ち合っただけで、このざまだと!」

 

 王の手から吹き飛ばされた宝剣が、物悲しい金属音を鳴り響かせながら落下する。

 少し離れた地面の上で転がるそれに、愕然と目を見開いたのは、持ち主であるジャラーサンダ。

 

 正直な話、信じられないのは俺の方である。――嗚呼、いや、俺どころではない。

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 先ほど決闘の開幕を告げてから、然程時間が経過したわけではない。それなのに、拮抗するかと思われた両者の天秤は――あっという間にカルナの方へと傾いた。

 

 ――……そう、国王が口にした通り。

 たったの数合、カルナが適当に抜き取った周囲に刺さっていた兵士用の剣と国王が腰に帯びていた宝剣とが、打ち合っただけだった。

 鎧に身を包んでいるとはいえ、痩身の部類に入るカルナと、巌を削り取ったような大男の国王との凌ぎ合いである。体格だけを考慮すれば、間違いなく不利なのはカルナの方である――なのに。

 

 力くらべに競り負けたのは、優勢に見えた筈の国王の方であった。

 細身のカルナに押し負けていることを察した王の顔から侮蔑の感情が失せ、驚愕の色が広がる様は見ていて痛快であったが、マガダの臣民側からしてみれば悪夢でしかなかったことだろう。

 現に、信じられないと言わんばかりに観衆達は口々に囁きあい、国王の気まぐれを仕方のないことと言わんばかりの表情で見守っていた家臣達は揃って間抜け面を晒している。

 

「――……なるほど。余もこのところの連勝に知らず知らずのうちに驕っておったらしい。身分を理由に相手の強さを見誤るなど、戦士として二流もいいところであったな」

 

 この勝負の勝敗は相手を戦えない状態にまで追い詰めるか、降参させなければ決着がつかない。先手を取られたことで、国王もそれまでの態度を改めることを決めたらしい。

 放り投げられた宝剣には目もくれず、カルナと同様、決闘場の周囲に柵の代わりに突き刺さっている適当な剣を、勢いよく引き抜いた。

 

 それまでとは比べようにならない程の殺気と闘気、熱気が周囲に充満する。

 ――ようやく本気になったか、と胸中で呟く。まあ、先ほどのあれは幾ら何でもあっけなさすぎだったし、ここらで噂に名高い武芸の腕前を披露してくれるというのであれば、カルナの相手としても不足はないだろう。 

 

「……手を抜くことなど考えるなよ、マガダの王。我が主の意を踏まえて一度は見逃したが、二度目はない。次こそ、お前の全身全霊で持ってかかってこい――さもなくば、宝剣を取り落とすだけではすまないと知れ」

 

 冷ややかな眼差しで国王を見つめるカルナの言に、疑問が晴れる。

 カルナの技量ならばマガダ王の油断しきった一撃など、それこそ赤子をあしらうように相手できた筈だったのに、どうしてそうしなかったのだろうと思ったが――……嗚呼、そういうことか。

 

 出発前のドゥリーヨダナは、カルナになんと告げたかを思い出す。

 

『わたしはお前に武勲をたててもらいたい。それも、お前が今後わたしの側に控えていても誰も文句をつけられないような、()()()()()()()()()()()()()()()()――そんな手柄を、だ』

 

 誰もがカルナに一目置かざるを得ないような、そんな手柄。

 それは世に名高いマガダ王が持てる全ての力をもってかかってきてもらえなければ、難しいだろう。無敗の戦士として知られるマガダ王の本気と打ち合ってこそカルナの価値が上がり、その誉は輝きをいや増すというものだ。

 

 ――尤も、カルナが口にした通り二度目はないだろう。

 これで相手の実力も見抜けずに逆上するような相手であれば、それこそ眉一つ動かさずに、カルナは粛々と国王の首を切り落とすことで、己が実力を世に知らしめることだろう。

 

「ああそうとも、二度目はない。――機会を与えたことを悔いるなよ、黄金の若武者!!」

 

 とか考えているうちに、猛獣の様に吠え猛りながら王がカルナに向かって突進する。只人であればその内に込められた気迫に震え上がり、恐怖にかられるであろう雄叫びにも、カルナは動じた様子を見せることはない。

 

「それでこそ世に名高いマガダの武王。ドゥリーヨダナのためにも――オレはお前を打ち倒そう」

 

 ジャラーサンダ渾身の横殴りの一撃を手にした剣で受け流し、カルナは返す刃で相手の急所を狙う。剣が打ち交わされる間隙に火花と金属音が生まれ、戦士たちが激しく動く度に砂塵が巻き上がり、玉の様な汗が飛び散る。 

 

「――――汗?」

 

 ……そうだ、何か違和感がある。だが、それがなんなのかが釈然としない。

 全身から湯気を出さんばかりの勢いでカルナに何度も打ちかかるマガダ王と剛力からなる尋常ならざる一撃を極限まで無駄を削ぎ落とした動作で受け流すカルナの姿を凝視し、その違和感の正体に気づく。

 

 ()()()()

 確かに玉の様な汗が飛び散っている――けれど、それは()()()()()()()()()()

 カルナの動きをよく観察して判明した事実に、知らず背筋に冷たい汗が伝った。

 

 涼やかな――いっそ静謐とも称されるべきその横顔には、一切の感情が浮かんでいない。決闘が始まる前の燃え立つ様な闘気が嘘であったかの様に、粛然とした雰囲気のままである。

 しかも、怪力・剛勇で知られた益荒男相手であるにも関わらず、その幽鬼のように白い肌は()()()()()()()()()()()

 

 ――ひょっとしたら、俺はカルナという武芸者の力量を()()()()()()()()()()()()()

 

 俺が見守る先では、国王が剛力と共に振り下ろした剣が勢いのままに地面を砕き、その余波だけで無数の小石が周囲に飛び散り、砂塵が巻き上がる。

 それを軽く跳躍したことで躱したカルナへと、足の指先が大地に陥没するほど力強く踏み込んだ国王が合間を入れずに襲いかかる。

 

 息もつかせぬ怒涛の攻撃の連続に、周囲の兵士や家臣たちが歓声を上げる。

 彼らは自分たちの主人の勝利を疑ってもいないだろう。

 

 確かに一見したところ攻撃を躱すか、受け流すことしかしていないカルナの動きは、彼らの目には攻勢に回ることができないために守勢に回っているようにしか見えていないことだろう。

 ――正確には、当たらないのではなく当てられないのだ……と気づいている者はどれ程いるのだろうか?

 

「――いつまでも避けてばかりか、小僧!」

 

 まともに打ち合う気がない、と思ったのか、剣を振るいながらマガダ王が怒声を上げる。

 軽やかな足運びで、激しい剣戟をいなすカルナの動きに、猛虎を思わせるその目つきがますます剣呑なものとなる。

 

「この余を相手にそれだけの動きができること、それだけは褒めてやろう。――だが、それもここらで終いだ」

「…………」

 

 一度カルナから距離をとると、国王は手にした剣を捨てて、代わりに周囲に突き刺さっている長大な槍を引き抜いた。槍は剣よりも間合いが広い――当然、剣を手にしたままのカルナが一層不利になると考えての武器交換だろう。

 おまけに、カルナの手にしている剣には罅が入り、刃こぼれをしている状態になっていた。

 あの剛力と打ち合い続けていたのだ、実用性を重視した兵士用の剣とはいえ限界が近づいているのも仕方ない。武器本来の性能と状態、どちらをとってもカルナの方が不利だ。

 

 けれども、カルナはそれを取り替えようという動きを見せない。

 そして俺自身も――()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――はあああっ!!」

「……っ、ふ」

 

 ――短く、息を吐く音がする。

 その微かな呼吸音をかき消すように、剛腕から繰り出される槍の穂先が銀色の閃光と共に、カルナの痩身を貫かんと吠え猛る。

 並みの鎧であれば切っ先が触れた瞬間に役割を消失し、その最奥にある心臓まで容赦無く抉られていたであろう――けれど、カルナの鎧は文字通り格が違う。

 

 凛、とした声がよく響いた。

 

「――決着を急くあまり、判断を見誤ったな。他ならぬお前自身が、欲するだけの価値があると認めた鎧であろうに」

 

 カルナが低く凛然とした声音で呟いた内容は、きっと誰もの耳に入ったことだろう。

 ――国王は判断を間違えた。己の力を誇る王は鎧に守られた心臓ではなく、その隙間を狙うべきだった。カルナの身にまとう鎧を貫けると己の力を過信しての、歴戦の戦士ならざる失態だった。

 

 鎧の胸元と激突した瞬間、無骨ながらも頑丈さを売りとする槍の穂先が、鎧とかちあって粉々に砕け、持ち手の部分が大きくしなってバキバキと裂けていく。

 破砕音が完全に消える前に、銀色の金属片と大鋸屑が周囲に飛び散る中をカルナが押し通る。

 武器を失い、信じられないと言わんばかりに茫然自失の表情を浮かべた国王の眼前で、勢いよくカルナが手にした剣を振り下ろした。

 

「――――っ、せい!」

 

 白銀の輝きが一筋の光の軌跡を描く。裂帛の気合いの込められた斬撃が、唐竹割りの勢いで国王の体の上を走ったかと思えば、再度の破砕音と共にカルナの手にしていた剣も粉々に砕け散った。

 

 ――あまりにも速く、あまりにも正確無比に過ぎる、その一撃。

 当の本人でさえ、いったい何が起こったのかをとっさに理解することが叶わなかったことだろう。人の括りに押し込められたとはいえ、人外の域に達した身体能力の持ち主である俺だからこそ、何が起こったのかを理解できた。

 

 ――それほどの早業、それほどまでの技量の差だった。

 いっそ冷酷なまでに無慈悲な一撃、非人間的なまでに冷徹な技の切れ。

 何よりも俺の目を惹きつけたのは、カルナのその涼やかな双眸に宿る冷厳とした光。

 

 それを目撃して鳥肌が立つと共に、背筋に戦慄が走る。

 もしかしたら、俺が思っていた以上にカルナは……――

 

 絹を裂くような悲鳴にどよめき声があがり、飛んでいた思考が引き戻される。

 おそらく国王が自分の状態を理解するよりも、決闘を見守っていた観衆の方が何が起こっているのかを先に理解したに違いない。

 

『きゃあああ!』

『へ、陛下ぁ!? い、いったい何が起こったのだ!?』

『う、うわあああ!!』

 

 国王の顔面を走る眉間から顎先までの裂傷の跡を一筋の赤い線がなぞる。

 いや、あれはなぞっているのではない。なぞっているのではなく浮かび上がってきているのだ。

 

 例えるのであれば、無花果の実に鋭利な刃物で切れ筋を入れたようだった。

 ぱっくりと裂けた皮の内側から、人目を惹かずにはいられない赤の果肉が現れて――そうして。

 

 ――――その一瞬後に、真っ赤な血飛沫が噴き上がった。

 

「う、あが……!」

「…………やはりな」

 

 自分の陥った状態に気づいた国王が絶叫をあげる時間もなかった。

 それこそ、あっという間だった。あっという間に国王の巌を削り出したような巨体が、脳天から股間まで真っ二つに切り裂かれていた。

 

『う、うえぇぇ』

『いやああぁぁ!』

『き、貴様、よくも……!!』

 

 悲鳴が上がる、怒声が轟き、泣き声が響く。

 偉大なる王のその無惨な有様に、その場は大混乱に陥った。兵士が具足をかき鳴らし、女たちは意識を失い、年老いたものは神への慈悲を求める言葉を紡ぐ。

 

 カァァァアアン……ッッッ!!

 

「――――騒ぐな」

 

 まるで蜂の巣をつついたような光景に、ヒマラヤの万年雪のような冷たい声が制止をかける。

 無感情で非人間的なその声に、混乱の渦中にいたはずの人々がぴたりと動きを止める。

 圧倒的な強者に対する恐怖がその場を支配していた。

 

「……お前の生誕の逸話を伝え聞いた時から予想していたことだが、()()()()()()()()

 

 歩むカルナの具足が透き通った音色を奏でる。

 常ならば耳に心地よく聞こえるであろうそれは、この場においては不思議とどこか寒々しい。

 

「お前は誕生した時、肉体を半分ずつ持った赤子として生まれたという。

 ならば、お前がよほど疲弊していない限り、その程度の傷では死ぬことはないだろう」

 

 ――ロティカ、と呼ばれて、倒れ伏した王を見つめるカルナの側へと駆け寄る。

 嗚呼、まさか、そんなことが……! そんなことがありえるなんて……!!

 その場に膝をつき、レヘンガが赤く染まるのも気に留めず、じっとそれを凝視する。途端に、むっとする鉄錆の臭気が辺りに充満し、すんと鼻を鳴らす。

 

「これは、なんというか……えぐいな」

 

 はくはくと半分になった唇が動くのを見下ろして、思わず感想が漏れる。

 この光景には歴戦の戦士であっても言葉を失うことだろう。眼下にあるのは真っ二つに裂けた大男の人体、そこまでなら戦場にでも転がっている悲惨な情景に過ぎない。

 

「……なのに、動いている……!」

 

 その言葉に、ギロリと二つの目玉が動く。普通だったら即死ものの裂傷だ。綺麗に裂かれた半身からは今も赤い血が滴り落ち、断面には鮮やかな赤色が覗いているというのに。

 

 それなのに――この国王は()()()()()

 

「――ロティカ」

「――っ! わ、かってる!」

 

 カルナに促され、長く伸びた髪を一筋引き抜いて俺の魔力を込める。

 くたりと力を失っていた髪の毛が魔力を通したことで針金のように芯を持ち、そのまま、ひとりでに傷口を縫い合わせていく。

 

 即興ではあるが傷口を縫合したのを確認して、髪の毛を媒介に、治癒のための魔力を込める。

 傷口を朱金色の輝きが覆った後、裂かれた皮膚がみるみるうちに癒着し、最後には金の鱗粉を残して消失するまで見届け、ほっと息をついた。

 

「……はぁ、心臓に悪い」

「感謝する。ただ切断面を合わせるだけで不安だったからな、お前の治癒の力があって助かった」

 

 荒事とは基本的に無縁の生活を長らく送っていたから、さすがにぎょっとした。

 表情一つ動かさないカルナとは違い、俺の方が気づけば額に薄く汗が浮かんでいた。

 それを手の甲で拭っていれば、大きく咳き込む音を立てながら復活したマガダ国王が起き上がろうとしていた。

 

「……信じられん」

 

 自らの両手を呆然と見つめながら、国王がうめき声をあげる。

 まあ、普通に考えて真っ二つに裂かれた筈なのに生きていること自体が信じがたい神秘だよね。

 かくいう治療した俺も、別の意味で信じられないよ。

 

「――さて。どうする、マガダの王? まだ続けるというのであれば、オレは相手を務めるが」

「…………いや」

 

 王が大きく首を左右に振る。地に腰を下ろしたままの王が大きな溜息を吐き、まいったと言わんばかりに両手を挙げた。

 

「……腹立たしい限りだが、今の一撃で悟らざるを得なかった。誠に噴飯ものではあるが、余は貴様に勝てないという事実を突きつけられたわ」

 

 苦々しい表情を浮かべた国王が、自身を見下ろしているカルナを睨みつける。

 うーん、視線だけで人が殺せる目つきというのはこういう状態のものを指すのか、なるほど勉強になる。

 

「民の巻き込まれぬ場所に移って、思う存分己が力を発揮したところで、結果は同じだろうよ。余の腹心たちを率いてドゥリーヨダナ相手に戦を仕掛けたところで、貴様一人に戦況がひっくり返される光景しか思い浮かばん」

 

 先ほどまで大量の血を流していた重症だったとは思えないほど滑らかな動きで立ち上がる。

 戦々恐々と様子を伺っていた家臣たちに国王が軽く肩を竦めると、あちこちから安堵の溜息と歓声が湧き上がり、その光景を黙して見守っていたカルナがぽつりと呟く。

 

「……慕われてるのだな」

「ふん、当然だ。自国の民にすら慕われず、王が務まるものか」

 

 ――いっけね、服の裾に血がしみ込んじゃってる。

 そういやこの服って借り物だったよね……こんなに汚してしまって後で怒られたりしないかな。

 軽く服を叩きながら、俺もまた立ち上がる。マガダ国王はすっかり戦意を喪失してしまったようだけど、ここは審判として確認しておかないと。

 

「――陛下。それではこの決闘の勝敗は……」

「負けだ、負けだ。余の敗北だ! ――さあ、カルナ、勝者は貴様だ。煮るなり焼くなり好きにするとよかろう」

 

 敗者であると己を称しながら、太々しく腕組みをして仁王立ちする王は流石だった。

 これまでに決闘で負けた王族たちを次々と虜にして、破壊神の生贄にしてやると豪語するだけのことはある。てっきり、武術自慢なだけあって自分の敗北を認めきれずに散々喚いたりするかと思ったが、存外肝の据わった態度だ。

 

「――カルナ、お前はどうしたいの?」

 

 最も手っ取り早い手段はここで首を刎ねてしまうことだろう。

 

 殺せ、とは命じられていないが、殺すなとも言われていない。

 王を討伐した証拠として、その首をドゥリーヨダナに捧げる。

 

 難敵の死にドゥリーヨダナもにっこり、いちゃもんつけてくるうるさ方はびっくり、パーンダヴァ勢はどっきり――うん、文句無しの大団円だ。

 

 ――けど。

 

「カルナ、もう一度聞くよ? ()()()()()()()()()()?」

 

 影を背負った白皙が、こちらを伺い見る。薄い唇が一度開いて、そして閉ざされた。

 それの意味するところを正確に読み取って、胸中で小さく溜息をつく。

 ……嗚呼もう。本当に不器用な弟だなぁ、全く。

 

 常ならば無礼だと弾劾されるだろうが、そこはそれ勝ったのは俺たちだし。

 まっすぐマガダ国王の目を見つめ、周囲にも聞こえるように声を張り上げた。

 

「――ドゥリーヨダナ王子の首級とカルナの鎧、そして我が身。それら三点が陛下の要望の品でありましたな」

「……寸分たがわず肯定しよう、女楽師殿。見事に貴様の連れにしてやられたわ」

「――……陛下は決闘を始める前にこう仰いました。"堂々と勝負を挑み、闘いに勝ったものは、相手を己の意のままに扱っても良いというのがクシャトリヤの慣習だ"と。――それでは戦士の慣習に倣い、我々も敗北者であらせられます陛下に三つ、要求を突きつけさせていただきますが前言の撤回はございませぬな?」

「くどいぞ。余はクシャトリヤにしてこの国の王だ。口にした誓いを破るような真似などせぬわ」

 

 それを聞いて、それはそれは美しく微笑んでみせる。絶世の美少女の極上の微笑を目にした兵士や民衆たちの一部が頬を赤く染めたのを確認し、しめしめと内心でニンマリした笑みを浮かべる。

 

「では一つ、今後ドゥリーヨダナ王子の敵にならぬことを、貴方の先祖と最も信奉する神、そして正義と法の神・ダルマにお誓いいただけますか?」

「……よかろう、ドゥリーヨダナ王子がクル王国に居る以上は敵対せぬことを誓う」

 

 ダルマ神に誓った以上、それは絶対だ。屁理屈つけて破っていいような内容ではならない。

 

 ――文字通り、言葉の重みが違うのだから。

 

 この誓約で重要なのは"ドゥリーヨダナの敵"にならないことなんだよなぁ。

 ある意味、言葉遊びにすぎないのだが、無条件で直接味方になれといわれないだけ、誇りたかそうなマガダ王の腹の虫も収まることだろう。

 

「二つ目、陛下が虜囚として遇している各国の王族たちの身柄全てを我らに譲っていただきたい」

「……っ! 仕方あるまい。余も敗者であることを理由にあの者たちを虜にしたのだからな」

 

 苦虫を百匹くらい噛んで擂り潰して飲んだような表情をしながら、しぶしぶと首肯した王にこれでもかと言わんばかりに素敵な笑顔で微笑みかけた。

 どういう理屈で生きている人間を神への生贄にしてやることを思いついたのかは知らんが、きっと王なりの道理があってのことだろう。人間を生贄にするというのは天上の神々ではなく、それらと敵対する羅刹や阿修羅側の理屈っぽいけど、マガダ王の信じる神はシヴァ神なんだよな。やっぱりそこらへんの事情はよくわからん。

 

「三つ目は解放した王族たちの世話にかかる全ての負担です。彼らの体を休ませるための空間、滋養のある食事、国へ返すための手段諸々を要求します。――それから、ドゥリーヨダナ王子とドリタラーシュトラ王宛に一筆したためていただきたい」

 

 とりあえず、ドゥリーヨダナの目的は自国に攻めてこようとするジャラーサンダの企みを阻止せよと言うものだったし、これで果たせたようなものだろう。ただ首級を得る以上の利益をもたらせば、文句を言う口だって噤まずにはいられないだろう。

 

 拍子抜けした表情のジャラーサンダ王を急かし、家臣たちに命じて筆記具を持って来させる。

 ついでに兵士たちに指示して決闘場の周囲に突き刺さっている刀剣類を引っこ抜かせ、洞穴の中で幽閉されている王族たちを解放するように命令する。

 それから観衆と化していた市民にも市場にある滋養のある食べ物や清潔な布、よく沸かした湯などを用意して、王宮の客人用の棟へと運ぶように言いつけた。

 

 ちなみに費用は全てマガダ王持ちである、いやあ、実に気分がいいね!

 

「カルナ、それを持って象の都(ハースティナプラ)に戻りなさい。その時は必ず大勢のいる前で、その書状を読ませること――いいね?」

「……承知した。委細その通りにしよう」

 

 マガダ王の直筆で玉璽が押されていること、それから肝心の内容を確認してカルナに渡す。 

 それから、髪の毛を一本引っこ抜いて硬化させ、それをくるくると回して、っと!

 

 ――ピチチ、と軽やかに囀る金色の針金の小鳥を、カルナに手渡す。

 

「絶対に何かを聞かれるから、取り合えず王子にその子を渡しといて。口下手なお前の代わりを務めてくれるから」

「そうか……何から何まですまない。――何よりオレの我欲に受け入れてくれて、感謝する」

「滅多にないお前の願いだもの。それを叶えてあげるのが俺の役目ってやつだよ。気にしないで」

 

 少し小狡いやり方だけど、カルナがジャラーサンダ王の命を惜しんだことを配慮して、なるだけ最上の手段でそれを果たしてやっただけ。

 

 言外にそのことを告げると、ふわりとカルナが微笑んだ。

 ……兄としては、お前がそうやって偶に笑ってくれるだけで十分なんだよなぁ。

 

「――さて。俺は俺の仕事をしようか」

 

 ――カルナが来た時同様に虚空へと舞い上がり、まっすぐに象の都(ハースティナプラ)への進路をとるのを見送り、解放された王族たちの運ばれた客人用の棟へと足を進める。

 彼らは長い間の幽閉生活のせいで衰弱しきっているだろうし、ジャラーサンダ王相手に色々と根回ししないといけないしで、やることがいっぱいだ。

 

 けど、ここで打てるだけの手を打っておかないといけない。

 この決闘で力量が明白となった。不都合な現実を直視した。残酷な事実を把握してしまった。

 表情はにこやかなままに、後ろ手に隠した拳だけを固く握りしめる。

 

 俺の弟は、カルナは――――俺が想定していた以上に、()()()()()()()()()()()()()




<登場人物紹介>
・ジャラーサンダ
 …『マハーバーラタ』に登場する剛力無双の国王。ユディシュティラのラージャスーヤにおける最大の難敵であると見なされ、原典においてはビーマと十数日に渡る激闘を繰り広げた結果、体を三度引き裂かれて死亡する。しかし、それ以前にカルナとも決闘したことがあるらしく、ビーマに数回引き裂かれても負けを認めなかったこの王は(原典に結構さらっと書かれているため、詳細は不明だが)カルナと戦った時には一度引き裂かれた瞬間、自らの力量がカルナに遥かに及ばないことを悟って降伏したという。カルナの武勇の凄まじさを物語る有名なエピソードの一つ。

(*あのビーマ相手に互角に戦えた王がカルナ相手だと一度で敗北を受け入れた、とあるため、カルナのキャラクター性・冷酷かつ無慈悲な武人としての一面を強調し、力量の差を感じずにはいられないような決闘内容にしました……戦闘描写苦手なので結構疲れた*)
(*いかにもインド!な内容にしたかったのですが、決闘の場所が街中であることやジャラーサンダ王が生まれこそ奇妙ではありますが、一応はただの人間であるので、あえて白兵戦だけに留めました*)
(*征伐編の締めくくりにもう一話だけ書いて、それから「幕間の物語」を執筆したいと思います。まだアンケートは続いておりますので、活動報告へコメントしてくださいますと幸いです*)

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