ちなみにロティカになると、誘惑系のスキル「魅惑の美声」「フェロモン」といったものが使えるようになります。
――轟ッ! と風が大きな唸り声を上げ、途方もない解放感が全身の細胞を駆け巡る。
人間を大地へと押し付ける重力の軛をすり抜け、無重力の世界へと身を投じたことを知らしめるのは、眼前へと広がるこの世で最も美しい青色の空。
突き抜けんばかりの青色と輝かんばかりの純白の雲。
普段は地上から見上げるしかない二色を間近に、興奮のあまり喉の奥から笑声が湧き上がる。
「上出来、上出来! ほーら、これでこの空もお前の領域になった! さすがは俺の弟!!」
燃え盛る灼熱の魔力によって構成された炎の翼。
カルナの黄金の鎧の背中に付属している深紅の飾りがカルナの膨大な魔力を受け、炎の翼として実体を得たことで、超高速での空中飛行が可能となる。
半神特有の膨大な魔力を自在に操ることで戦闘技能の補助としたり、こうして空を舞うことで移動手段として使える。地上に住まう人の子である限り、あのドローナ師匠であれども、天を駆ける術を弟子たちに教えることは叶うまいよ!
風神・ヴァーユの子供である第二王子ならば、その本能で空を舞うことが出来るかもしれない。
――が、それ以外の兄弟たちでは教わらずに空中闊歩することは難しかろう。
「――ああ、実に見事な光景だな」
カルナも感銘を受けた様子で、眼下に広がる色鮮やかな
それから、眼前に広がる青空、天空で燦々と輝く日輪を見上げて、眩しそうに瞳を眇めた。
「では、飛ばすぞ。……しっかりと捕まっていろ」
「わかってる。目的のマガダ国はあちらの方面だ。くれぐれも方角を間違えるなよ?」
――ぐっ、とカルナの全身に力がこもり、炎の翼が帯びる魔力の濃度がいや増す。
途端、瞬き一つの合間に見慣れた王国の街並みが通り過ぎ、よく肥えた平野、そして険しい峰が特徴的な山脈へと景色が移り変わる。
炎の翼によって生み出される熱が吹き抜ける冷たい風と程よい感じに混じり合ったことで、空高くを高速で移動していてもちっとも寒くない。
――うむ、前に教えたことを実践できているようで、大変結構!
そういや……空、といえば、だが。
このまままっすぐ天空を突き抜けていけば、神々の住まう天の都へと辿り着けるんだよなぁ。
……太陽神スーリヤの住まう彼の天空の都に向かえば、この子も地上の余計な偏見やから解放されて、光輝なる半神の子供としてのあるべき姿を取り戻せるのだけども。
――そう思うが、すぐさまそんなことはあり得ないと首を振る。
カルナがドゥリーヨダナを主君として定めた以上、滅多なことが起こらない限り、それを覆すことはないだろう。
「――アディティナンダ?」
「ごめん、今のはなんでもない。……忘れていいよ」
どうも、女の姿になっていると、感傷的になってしまっていけない。
女と言えば……、カルナの母親――クンティーのことを思い出す。
もしもの話でしかないが――あの武術大会の日に、ドゥリーヨダナではなく、彼女がカルナに助け舟を差し出していたら、どうなったのだろう。
もし、それが叶っていたら……カルナは本来だったら与えられるはずだった、母親からの祝福と愛情、太陽神の寵児としての立場、そして優れた戦士への賞賛をその手に収めていたのだろうか?
俺とて、末弟探しの道中に行った調査で、その母親が誰なのか突き止められたのだ。
ましてや、カルナの身につけている鎧はこの世に二つと無い至宝中の至宝である。
共にいた期間が短くとも、生まれ落ちた赤子の印象的な鎧を忘れることは難しいだろうに。
――彼女が、カルナを見て自分の産んだ子供であると、あの時気付かなかった筈がないのに。
どうして、彼女はカルナに声をかけてくれなかったんだろう。
あのまま、何の邪魔も入らずに第三王子との決闘が行われたら、二人の実母であるクンティーはどうするつもりだったんだろう。
――いつもだったら心踊る風の音も、俺の心の憂いを晴らしてはくれない。
じっと黙りこくった俺にカルナが気遣わしげに視線を向けている。
だが、暗澹たる気分に陥ったせいで、ごまかしのための軽口も口から出てこなかった。
険しい山々をいくつも通り過ぎ、ようやく目的地近辺へとたどり着く。
――ぽつり、とカルナが口を開いた。
「……見えてきたな」
「――そうだね。地上を走れば数日の距離も、険しい山の難関も、空を飛べるお前にとってはなんの障害にもならなかったろう?」
四方を天然の要害に囲まれた王都の丁度真ん中。
巨大かつ荘厳な建築様式の建物、あれがジャラーサンダ国王の住む宮殿であるのは間違いない。
軽く肩を叩いて合図を出し、指先で宮殿前の大広場を指し示す。
木の葉が大地へと舞い落ちるような静けさで、炎の翼を操るカルナがそっと地上へと降り立つ。
突然、空から降りてきた二人組に、人々が騒然とする。
それはそうだろう。黄金の鎧をまとった物々しい雰囲気の若武者とその腕に抱えられた、よく似通った面持ちの少女だなんて、怪しさ抜群過ぎる。
視界の端では、揃いの防具を身につけた兵士の集団がそれぞれ囁き合い、手に刀や槍を始めとする武器を持ち、俺たちの様子を伺っている。高い城壁の上の方でも雑兵用の鎧が触れ合うことで発生する耳障りな金属の音が聞こえるため、きっと城壁の上でも大騒ぎになっていることだろう。
「――――カルナ」
「……ああ、わかっている。この場は任せたぞ」
顕現させた炎の魔力を凝らせて創った弓矢と槍を手にしたカルナが周囲に目を光らせてくれる。
隙のない構えを見せるカルナの姿に、遠くから射抜こうとしていた兵士たちがその闘気に気圧されて、後ずさった音が聞こえた。
「――さぁて。これより奏でるのは、まさしく天上の調べ、音曲の極み。人の身では到底至れぬ絶佳の音色。一生に一度聴けるだけでも、貴方がたは幸運だ」
俺自身から発せられる視覚化した魔力の迸りによって、結わずに垂らしている金の髪が左右に広がり、朱金色に輝く炎となって周囲を彩る。
人ならざる異形であると認識した人々のうち、ある者は腰を抜かし、ある者は恍惚の表情を浮かべ、ある者は紡がれる天啓を逃すまいと必死に耳を攲てる。
――注目は十分に集めた。
この場にいる誰もが突然の闖入者が何をしでかすのか戦々恐々と様子を伺っている。
誰もが俺たちから視線を逸らすことが出来ないし、逸らそうとも思わない。
始まりは恐怖や不安――それではその原始的な感情を、
美しい蒼天を抱きかかえるようにして、大げさな仕草で両腕を広げる。
――さあ、来い。偉大なる武王・ジャラーサンダ。
貴様が王であり、戦士であるというのであれば、決して無視することのできない祈りだぞ?
カルナが背後で見守る中、大きく息を吸って、そして――
「――勝利をもたらす祭式、それによりインドラが勝利を得たるその献供により、われらをして、祈祷主よ、主権のために勝利を得しめよ――」
これより奏でるは神の言語で綴られた、偉大なる戦士の勝利を祈る
そして、その背後に隠された、もう一つの意味を持つ音を持たぬ誘い。
人の子では理解できない、神秘の歌声に、人々の表情は随喜と法悦の念に染め上げられていく。
「――神・サヴィトリは汝をして、月神・ソーマは勝利を得しめたり、汝をして一切万物に勝利を得しめたり、汝が勝利者たらんがために――」
――その瞬間、文字どおり
*
*
*
「――競争者なく、競争者を滅し、王国に君臨し、克服者として、われこれら万物を、また人民を支配し得んがために――、っと! ……ふぅ」
神霊でなくば理解できない言語で綴られた歌詞の最後の一節を唱え、そうして口を噤む。
久方ぶりに神の力を行使したことによる万能感に全身が満たされ、充足感に息を吐く。
これが普通の宴なら、ここら辺で終幕とするところだが――あくまで、これは前座。
手にしていた武器を取り落とし蕩けきった表情を浮かべている兵士たちや、感激のあまり泣き出している民衆の姿を視界に収める。派手な演習で兵士たちの戦闘意欲や民衆たちの心理意識を操作したのは、ついでのようなものでしかない。
王宮の奥深くで大勢の兵士たちによって守られている、この国の王を誘い出すために。
海の魔性たちがその美しい歌声で船乗りたちを誘惑するように、王が自分の意思で歌声の主を確認しに来るように、その心を軽く操作する――俺が奏でたのは、そんな調べだ。
すぐ近くで歌声に耳を傾けていたカルナは、静謐な表情を浮かべたまま。
けれども、その涼やかな視線を、まっすぐに、固く閉ざされている王宮の門へと向けていた。
――――そうして、扉が開く。
<裏話>
取り残されたドゥリーヨダナ
「う、うわー! カルナが、カルナが空飛んでる! ずるい!」
たまたま目撃したアルジュナ
「飛んだ、だと……!」