もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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インドの民族衣装、それも女性ものって綺麗ですよね。

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天女の呪い

 ――発端は、カルナと本格的に暮らし始めた頃にまで遡る。

 あれはそう、カルナの人としての一生を見守るために、人々の営みの中に埋没しだしたのとほぼ同じ頃だった。

 

 カルナの兄である俺ことアディティナンダは、とある天女(アプサラス)に求婚されたことがあった。

 ちなみに天女というのは、インドラを始めとする天上の神々に仕える水の精霊を指す。彼女たちはそれぞれ美形揃いの神々の侍女や接待役を任されているだけあって美しい容姿をしており、俺に求婚してきた天女もその例に漏れなかった。

 

 ……とはいえ、俺はカルナを見守るという名目で、地上に突き堕とされていた身。

 父・スーリヤからの命令に加え、俺自身がカルナを見守ることを決心したばかりの時期であったために、自分の使命をおろそかにすることはできないと断りを入れた。

 

 ――ところが。

 どうにもそれが自分の容姿に自信を持っていた彼女の逆鱗に触れたらしい。

 

 こんな美しい自分に恥をかかせるなんて! の一言と共に、俺は二度と他の女を誘惑などできないようにというよく分からない理屈で、性転換の呪いをかけられてしまったのだった。

 

 *

 *

 *

 

 全体的に少し縮んだ身長、全身の角が取れたことで、柔らかな曲線を帯びた蜂蜜色の肢体。

 男の姿の時よりも一回以上に細くなった手足はまろ身を帯び、指先はさらに繊細に。

 きゅっ、と締まった腰回りから伸びる、絶妙な輪郭を描く魅惑的な太もも。

 つついた指先がそのまま沈んでいきそうな柔らかさが魅力的な、胸元に実る二つの果実。

 

 確かにそれまでやや華奢とはいえ男の姿であった人物が、少し目を離した隙に絶世の美少女に変わっていたら、さすがのドゥリーヨダナも驚いたことだろう。

 

「――んな、ななな、なっ……!?」

 

 震える指で俺を指すドゥリーヨダナに、にんまりと唇が笑みを形作る。

 わざとゆっくりとした動きで、衣擦れの音を立てながら近づけば、天敵に遭遇した小動物のようにびくりとその体が震え上がった。

 

「――ふふふ。どう、吃驚した?」

 

 口からこぼれ落ちる言の葉も、男のアディティナンダの姿の時よりも高く、そして甘い。

 自分で例えるのもなんだが、硝子で出来た透明な鈴が揺れるような、耳に心地よい響きである。

 

「ア、アディティナンダ、なのか?」

 

 ドゥリーヨダナはカルナよりも背が高い。

 そこで、下から覗き込むようにその顔を見上げて嗤ってやれば、はたまたその体がびくりと震えたので、なんだか愉快である。

 

「その通り! どうよ、悪辣王子? ――美女で目が肥えている貴方のお眼鏡には敵いまして?」

「…………あ、ああ」

 

 最高級の金糸を連想させる指通りの良い髪が、幾つもの渦を描きながら地面へと流れ落ちる。

 女性らしさを強調するために、腰の長さまで流れる豪奢な金の髪を一房すくい上げて、女神のように淑やかに微笑んで見せる。うん、やろうと思えばこの程度の女性らしい仕草も朝飯前である!

 

 呆然としていたドゥリーヨダナが、ハッと声をあげて正気に戻る。

 

「――待て待て待て。騙されるな、わたし! 楽師アディティナンダは紛れもない男であった筈だ。しかし、今、わたしの前にいるのは兄上殿――否、この場合は姉上殿、か?」

「話せば長くなるのだけどね。昔、天女(アプサラス)に岡惚れされたことがあって……」

 

 冷静さを取り戻した王子の側から離れ、部屋の片隅に置かれていた黄金の壺に写っている自分の姿をしげしげと眺めれば、鏡像として映し出された文句無しの美少女が俺を見つめ返していた。

 

 ――す、と伸ばされた鼻梁に、薄紅色を刷いたようなふっくらとした口唇。

 瑞瑞しい蕾から、今にも咲きかけの花弁を思わせる薔薇色の頬。

 毛先に向かうほど華やかな紅色を帯び、朱金の輝きを放つ波打つ黄金の髪。

 繊細な飴細工のような金色の睫毛に囲まれた、最上級の宝石のような紺碧の双眸。

 

 ――然し乍ら。

 はぁ、とすべすべとした大きな壺の地肌に片手を乗せて、大きな大きなため息を吐く。

 

「――これで中身が俺なのが残念すぎる」

 

 ……そう、もしも欠点があるとしたらそこしかない。

 俺が憂鬱な心地のまま視線を上げれば、そこに写っている絶世の美少女もまた憂いを帯びた面持ちでそっと吐息を零していた。本当に、見た目だけは文句のつけようのない極上品である。

 

 残念なことに――――見かけだけ、はな!

 

「……確かに。外見が完璧であることを思えば、つくづく中身が惜しいな。これで中身も女性かつ、まともな人間の女であれば、わたしの妃の一人として迎えたものを」

 

 薄々感づいていたことだが、ドゥリーヨダナは神々の眷属が嫌いらしい。

 普通の男であれば、だらしなくやに下がった挙句、頼んでもいないことをべらべらと語り出すほどの美少女相手に、すぐさま正気を取り戻した様は好感が持てる。

 

「――薄衣姿の美少女に対してその反応はないんじゃない?」

「冗談は存在だけにしておけ。いくら外面が美しくても、内面もそれに応じたものでなければ食指は動かん。こう見えてもわたしは美食家なんだ、悪食の趣味など断じてない」

「……その気持ち、よく分かる。……振られた腹いせに呪いをかけるような相手は、いくら美女でもごめん被るよ」

 

 ほんと、激怒した美女は何をしでかすのかわからなくて怖い。あと、理不尽すぎて訳分からん!

 

 ――さしもの俺も、呪いをかけられた時はひどく絶望した。

 不自由な人間社会において、カルナを守るために男の姿を選んだというのに、女体化の呪いをかけられる始末。まだ俺に慣れていない状態のカルナでさえ、おずおずと慰めてくれたほどの落ち込み具合であった。

 

 幸い、太陽神の眷属の中でも俺の格は高位に属していたのと元々の人形(ヒトガタ)としての特性、それから神具として授かった四つの金環の加護のお陰で、呪いを自分の意思で操作することが可能だったので、この時ばかりは、スーリヤに対して、心からの感謝の念を捧げたものであった。

 

 問題があるとしたら、この姿になると男の姿の時よりもさらに身長が縮んでしまって、年長者としての威厳がますます薄れてしまう点だろう。

 

 ――まあ、それはさておき。

 いつまでも下着姿のままでいるわけにもいかないので、カルナが渡してくれた衣装に身を包んで、きちんと衣服を着込めているのか確認のためにその場でくるりと回る。

 

 用意してもらったのは真紅に金、黒の差し色の施された豪奢なレヘンガ。

 贅沢にも砕いた宝石を装飾として縫い付けた裾が、俺の動きに合わせてふわりと広がる光景は蕾が花開く瞬間を思わせて大変気に入った。俺も一端の神霊として美しいものが好きなのである――女の体になるのは不本意だが、女性の衣は美しいに越したことはない。

 

「そう言えば、名前はどうするのだ?」

「――名前?」

「ああ。なにせ、アディティナンダというのは男の名前だろう? ――その姿でその様に名乗ったところで、本名とは思ってもらえんぞ」

 

 先ほど気がついた、と言わんばかりのドゥリーヨダナの言葉に、少し考え込む。

 確かに、この王子様の言う通り、男性名であるアディティナンダでは色々と都合が悪いだろう。

 

「――ふむ。そうだ、カルナ! よかったら、お前が名前をつけてくれないかい?」

「そう、だな……。では、ロティカというのはどうだろうか?」

 

 唐突な俺からの提案に対して、暫し考え込んだ仕草を見せたものの、簡潔さを美徳とするカルナらしく、すぐに名前案を出してくれる。――なるほど、ロティカか……悪くないね。

 

「なら、これから俺がこの姿になったら、ロティカと名乗ることにする。ありがとな、カルナ」

「……大したことではない。――それよりも、ドゥリーヨダナ」

 

 怜悧な蒼氷色の双眸の先、難しい顔のドゥリーヨダナが腕組みをしながら、思索に耽っている。

 ややあって思考がまとまったのか、輝く黒水晶の双眸が俺とカルナを捉えた。

 

「――それで? どうするのだ、お前たち。確かに、アディティナンダの姿には驚いたが……その女姿で、マガダ国王に対して閨で暗殺でも仕掛けるのか? であれば、父上に余計な疑いがかけられるような不慮の死だけは勘弁してもらいたいのだが……」

 

 普段おおっぴらに態度に示さないだけで、結構ドゥリーヨダナも父王を慕っているよね。

 やっぱり家族というものはお互いに関する感情を明け透けにしないものなのだろうか? だから、お兄ちゃん扱いしてくれないのかなぁ……とカルナの横顔を見やる。

 

「伝え聞くに、ジャラーサンダ王はスナータカ行者相手であれば、いついかなる時にも会見するという誓約を立てている。――この際だ、いっそのこと、それを逆手にとってカルナをバラモンにでも扮させるか?」

 

 ドゥリーヨダナの慎重かつ狡猾な意見に、鋭い目つきになったカルナが口を開いた。

 

「……今回の命令の主旨は、オレが衆目の面前で国王を降すことに意味がある――違うか?」

「違わない。わたしはお前に武勲をたててもらいたい。それも、お前が今後わたしの側に控えていても誰も文句をつけられないような、誰もが一目置かざるを得ないような――そんな手柄を、だ」

「わかってるよ。俺のこの姿はあくまでもカルナへの手助け――補助でしかない。そこから上手く勝利を収めることができるかは、この子の技量次第なのは結局変わらない」

 

 カルナとドゥリーヨダナの手を引いて、部屋から出る。

 廊下を大股で闊歩する謎の三人組の姿を視界に収めた宮廷人たちが、驚いたように目を見開いているのを尻目にしつつ、ずんずんと前へ突き進む。

 

「――険しい山脈に囲まれたマガダ国にたどり着くには、どんなに速い戦車を用いても数日かかる。ましてや、そこから山間にある首都・ラージャグリハに登るのだって結構な苦行だ。――だけど、カルナに限ってそれは大した難関にはなり得ない」

 

 幾つもの入り組んだ廊下を抜け、ようやく目的である植物園が併設された中庭へと辿り着く。

 植樹されているがっしりとした幹の樹木は深い緑色の葉を無数に茂らせ、園のあちこちに咲き誇る鮮やかな花々が濃厚な甘い香りを漂わせている。

 

 結んでいた手を解いて、カルナへと向き直る。

 凛としたその双眸に視線を合わせ、最後の確認として声をかける。

 

「――……この間、教えたことを覚えているね?」

「繰り返されるまでもない」

 

 不敵な笑みを浮かべるカルナの姿に、よろしいと頷いて手を伸ばす。

 女の姿になった俺を片手で軽々と持ち上げたカルナの形のいい頭をくしゃりと撫で、鎧に覆われた肩を叩いて合図を出す。

 

 一歩、二歩、三歩! ――そして最後の四歩目で、カルナが力強く大地を蹴った!




<登場人物紹介>
・ロティカ(アディティナンダ)【NEW!!】
 カルナの兄・アディティナンダが、とある天女の呪いを受けて女体化した姿の名称。
 アディティナンダの姿をベースにしているものの、腰まである波打つ赤みを帯びた金髪に、紺碧の瞳の(外見だけは)絶世の美少女。
 当人にとっては不本意なことに、身長はアディティナンダ時よりもさらに5センチほど縮む。
 男の名前であるアディティナンダのままでは不都合が多かろうということで、弟であるカルナさんから「ロティカ」と名付けてもらった。

 ――ちなみにロティカというのも、サンスクリット語でとある物を意味する言葉である。

追記:師匠のもとでの修行期間を務め上げ、沐浴の儀式を行った、一家を持つ前の若いバラモンの学生をスナータカ行者と呼ぶ。バラモンの中でも特に高い地位を与えられている特異な請願でも知られ、大概の場所で歓待されるため、後々のパーンドゥによるジャラーサンダ王征伐の際に、ビーマ・アルジュナ・クリシュナが王の懐に潜り込むために、変装した。

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