もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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公式のカルナさんは、今の所は怒りをあらわにすることがないのですが、怒ったらきっとすっごく怖いんでしょうね。


侮辱、そして激怒

「――双方待たれよ!! これは神々にお捧げする神聖な御前試合である。それゆえ、国王陛下の許可なき決闘は許されない! お控えなされ!!」

 

 盛り上がっていた空気が、一気に霧散する。

 それまで敵意を隠そうともしなかったアルジュナ王子の気配が凪ぎ、落ち着きを取り戻す。

 まるで、自分らしからぬ感情的な振る舞いを恥じて、慌てて取り繕ったようにも見えた。

 

 ……ちぇ、なんだあのおっさん。折角いいところだったのに邪魔するなんて。

 固唾をのんで見守っていた観客の大部分も俺と同じ感想を抱いたようだが、国王の名が関係してか、突然の横槍に対して大きな罵声をあびせかけることはなかった。

 

 カルナもやや拍子抜けしたのか、武器を掴んでいた手から少しばかり力が抜ける。

 

「決闘のしきたりとして、互いの氏素性を明らかにせねばならぬ。これなるアルジュナはクンティー王妃の三男であり、クル族の王子だ。――そこな勇者よ。目にもまばゆい黄金の鎧をまとった者よ。そなたの素性を明かすが良い。何故ならば、王族とは、己よりも下位の者とは決して決闘は行なわぬものだ」

 

 ――しまった!!

 

 嗚呼くそ、こんな方法を取られるとは……!

 せっかく会場内の空気も盛り上がって、カルナが滅多にない表情を浮かべてまで、あの王子様と戦いたがっているというのに……こんな下らないやり方で邪魔されるなんて……!

 

 普段から俺もカルナも身分など気にせず過ごしてきたのが仇になった……!

 ましてやカルナなんて、半神の子供という敬われるべき立場にあるというのに自分自身を含めて全員を等しく考えているせいで、こんな返しをされるだなんて考えてもいなかったことだろう。

 

 ――カルナは、嘘をつけない。

 この場に限って、身分を偽る、という手もありだろう。だがそれは、今のカルナ自身の根本を作り上げた人々――それも身分の低い養父母たちを否定する――ということ。

 

 だからこそ、カルナがそのような真似をするはずがない。

 実父である太陽神・スーリヤに対するのとはまた別の感情で、拾い上げてくれたアディラタに恩を感じている故に、それを貶めるような振る舞いなど思いつかないだろう。

 

 案の定、萎れた花のようにうつむくカルナ。

 会場の者達も、名乗りに応じられないカルナの姿を見て、またざわめき出す。

 ここで対戦相手の王子が「そんなの構わない」とか言ってくれれば、話は別だけど……良くも悪くも優等生な彼にそれは期待できないだろう。

 

 その光景を視界に収め――どうする? と自分自身に問いかける。

 

 ここで俺自身の神格を解放するか?

 人間としての皮を脱ぎ捨てて、人外の本性を露わにして、カルナを血族として紹介すれば、少なくともカルナは挑戦の不名誉から救われる。それに、太陽神ゆかりの者だと知れば、それ以上あの王子様との一騎打ちを邪魔する者もいないだろう。

 

 ええい、迷っている暇はない。

 せっかく、あの受動的すぎるカルナが行動を起こしたんだ。

 意を決して、手首に嵌っている赤石を誂えた黄金の腕輪に手をかけ、勢いよく取り外そうとした途端――突如として、朗々とした声が会場に響き渡った。

 

 ――全く、次から次に! 今度は誰だよ!!

 

「経典によれば、上位三カーストは王族たる資格を持つというではないか! であれば、そこの勇士がアルジュナへ挑むことは何ら問題ない!」

 

 会場中の視線が、磁石に引き寄せられた砂鉄のように声の主の方へと集まる。

 それを当人も自覚しているのだろう。聴衆へと向かって、茶目っ気たっぷりに微笑んでみせた。

 

「……とはいえ、そちらのアルジュナが、王族の資格を持たぬ相手であれば戦わぬというのであれば――たった今! この場でこの勇士を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 堂々とした佇まいに、悪戯っぽくきらめく黒水晶の双眸。

 背はカルナよりも高く、背筋をシャンと伸ばした、堂々とした佇まい。

 よく鍛えられていることのわかる、余分な肉の付いていない均整のとれた体つき。

 指先に至るまでに活力に満ちた黒い肌の上に、目にも綾な見事な衣装を身に纏った伊達姿。

 

 ――誰かと思えば王族、それも次期国王候補の一人・ドゥリーヨダナ王子だ。

 

 王子の粋な計らいに、パーンダヴァ側が苦虫を噛み潰したような表情を次々と浮かべたが、二人の優れた戦士たちの戦いを待ち望んでいた会場の観客たちからは絶賛の大嵐だ。

 ドゥリーヨダナといえば、軽やかな動きで玉座のある壇上から飛び降りると、そのままカルナの方へと悠々と歩み寄った。

 

 大歓声のせいで何を言っているのかはわからないが、カルナに対してドゥリーヨダナが何事かを話しかけ、それにカルナが驚いたような表情を浮かべる。

 そんなカルナの姿にドゥリーヨダナは楽しそうに笑うと、家臣たちとバラモンを急かす。

 そのまま、カルナの手を引いて、さっきまで己の座していた黄金造りの椅子に座らせると、王子はその傍らへと一歩下がった。

 

 すると、あれよあれよと思う間もなく、従者たちが鮮やかな色の花や聖水、黄金などでカルナの体を清め、バラモンたちが真言と共に祝福を与えていく。

 

 一見すると泰然自若としているように見えるけど、あの仏頂面は大混乱に陥っている顔だわ。

 ああ見えて、カルナ、意外と押しに弱いからなぁ……。

 

 おそらく前代未聞の速さで、王子の命を受けた者たちが、アンガ国国王となったカルナのための王位就任の儀式をすませると、改めて二人は固い抱擁を交わし合った。

 

 正直、どうしてドゥリーヨダナ王子が規則を何重にまで破ってまで、()()()()カルナに救いの手を差し伸べてくれたのかはわからないが、やや強引とはいえ、これでカルナは王族に対する挑戦権を獲得したわけだ。

 

 なら、それはそれで良しだな。

 今度こそ、カルナは誰にも邪魔されることなく、思う存分その武術の腕を振るえることだろう。

 

 嗚呼、兄としてもほっと一安心。

 ようやく思う存分気兼ねなく決闘を見届けることができる――と、安堵するのはまだ早かった。

 カルナの国王就任を祝い、夢の対戦を待ち望む群衆の中から、一人の老人が杖をつきながら、壇上から降りてきたカルナの方へと歩み寄っていくのを発見する。

 

「おや、あの老人は……?」

 

 隣でアシュヴァッターマンが何事かをつぶやいているのを捨て置き、観客席へと飛び込む。

 途中、間をすり抜けた観客たちの間で突然の乱入者に悲鳴が上がるのを耳に入れながらも、あえて無視する。

 

 会場中が成り行きを見守る中、ドゥリーヨダナから与えられた王冠をかぶったカルナが、綺麗な布が汚れるのも気にせず、養い親であるアディラタへ、頭を垂れる。

 粗末な身なりの老人へ敬意を示すカルナの姿に、会場は再度ざわめき始め、壇上に残ったドゥリーヨダナも驚いたように目を見張った。

 

――なんだ、お前は御者の息子だったのか! それでは、決闘でアルジュナに殺される資格など持ちようがないではないか! ましてや、御者の息子風情が神聖なる広場を汚し、国王の座を与えられるなど片腹痛い!! さっさとその身に帯びている弓矢を外し、槍の代わりに馬を追い立てる鞭でも持ったらどうだ?」

 

 呵呵大笑しつつ、痛烈な皮肉を口にしながら現れたのは、ドゥリーヨダナ同様に無数の宝玉で着飾り、文目の見事な緑色の衣をまとう、筋骨隆々の大男。

 パーンダヴァ五王子の次男に当たる風神の息子・ビーマまでもが、ドゥリーヨダナに張り合うようにして一歩前に出てきた。

 

「大方その薄汚れた老人も、子であるお前が身の程知らずにも国王に就任されたのを受けて、浅ましくもそのおこぼれに与ろうとして名乗り出たのであろうよ」

 

 ――ったく、先ほどまでの青ざめた顔色が嘘のようだな。

 

 まるで、羅刹の首でもとったように、いい気になりやがって。

 カルナの所属する身分が判明した途端にこれかよ。

 どうしてカルナのことを悪くいう人は、カルナ自身の性格の難のことではなくて、カルナの所属する身分のことばっかりあげつらうんだろう。

 

 昔からあまり好きではなかったけど、この瞬間にこの王子様のことが俺は大嫌いになった。

 

 アディラタもビーマの情け容赦のない痛罵を受けて、真っ青になっている。

 もともと、そんなに大それたことのできる人間ではないのだ。

 

 川に捨てられた子供を普通に哀れに思い、成長するに従って段々と人間離れしていく人ならざる子供に普通に畏れを抱き、それが緩和された今でも距離を置かずにはいられない。

 

 つまるところ、彼は普通に善良な人間なのだ。

 今日ばかりは養い子の栄達に浮かれて、らしくない振る舞いをしてしまった普通の人間だった。

 

 それでも。

 ――ただ御者であるという理由だけで、ここまで衆目の前で罵倒される謂れなどないだろうに。

 

「さっさと神聖な舞台から消え失せろ。――ハッ、御者の息子風情が。薄汚い父親共々恥を知れ」

 

 それまでじっと黙っていたカルナだったが、養父を面罵する台詞を耳にして、静かに口を開く。

 

「オレ自身をあざ笑うのであれば、甘んじて受け止めもしよう。――確かに、お前の目から見れば、オレは身分もわきまえず、武勇の誉れ高き王子に決闘を挑んだ愚か者でしかないだろうからな。――……だが!」

 

 それまでは静かに吹き抜けるだけだった風が、餓えた獣のように唸りを上げ、会場内の砂塵を巻き込んで渦を為す。ちろりちろり、と燃えさかる炎が広場の上を蛇のように走り回り、パチパチと音を立てれば、いくつもの火花が空気中へに咲き乱れる。

 

 ――強い意志と燃えさかる怒りを宿した蒼氷色の灼眼が、カッ、と音を立てて見開かれた。

 

「オレ自身ではなく、捨て子であったオレを拾い上げ、今日まで育て上げてくれた我が父を、オレへの当て付けとして大衆の前で愚弄し、侮辱したこと……。――それだけは……断じて聞き逃すことなどできん!!」

 

 カルナが手にした槍を大きく振り下ろせば、穂先に宿った真紅の炎が、その激情に呼応するように一層その勢いを激しいものとする。

 

 先ほどのアルジュナと対峙していた時の武人としての高揚していた様子とは違う――ビーマの養い親に対する蔑みの言葉に、カルナは恐らく生まれて初めて激怒していた。

 

「武器を取れ、風神の息子! お前が劣ると見做した御者の子供の一撃、その身で受けてみるといい……!」

 

 赤金を帯びた陽射しと昼の陽気で満たされていた会場が、カルナ一人の気迫に飲み込まれる。

 自然神の子供たる彼の感情の動きに合わせて燃え上がる真紅の炎と、それによって熱せされた灼熱の温風が、会場内を縦横無尽に暴れまわる。

 

 会場のあちこちで悲鳴があがり、せせら笑っていたビーマの表情がこわばり、アルジュナがそっと手にした弓矢を抱え直した。アディラタに至っては、養い子の激昂した姿に腰を抜かしている。

 

 衛兵たちは高貴な者たちを守ろうとそれぞれ武具を構えるが、その穂先は小刻みに震えてまともにその役目を果たすことなどできそうにない。

 

 ……あ、またクンティーが失神した。




<登場人物紹介>
・アディラタ
…言わずと知れたカルナさんの養い親。『マハーバーラタ』によれば、カルナを川で拾って以降、妻との間に子宝に恵まれるようになったという。ドリタリーシュトラ王の御者、と記載されてはいるが、たびたびカルナが御者の息子であると罵倒されるので、アディラタは国王の信頼の厚い者が任命される戦車の御者ではない、と考えられる。

(*ここの武術大会での振る舞いについては、原典と公式wikiとで違います。こういう場合は、この物語では公式wikiの記載に従うこととなります*)

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