もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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 これにて、ドゥリーヨダナ王子視点の幕間の物語は終了です。
 ちょっと最近忙しくなったので、これまでのような連日投稿は難しくなると思います。



<下>

 ――そして、その答えがドゥリーヨダナの目の前にある。

 自分よりも頭二つ分ほど小さな少年を、大事で大事で堪らないと言わんばかりに、情愛に満ちた眼差しで見つめているその姿。

 

 まるで親が子の幸せを望むような、姉が弟の成長を寿ぐような、妹が兄を敬愛するような。

 それは、下手したら相手を圧死させかねない、世界の超越者による押し売りの愛とは違う。

 

 ――そう、違うのだ。 

 

 そういう存在を厭うが故に、彼らに詳しくなったドゥリーヨダナだからこそわかる。

 アディティナンダがカルナへ差し出しているのは、ドゥリーヨダナが父や母、弟達から受け取っているものと同じ種類の愛情(オモイ)だった。

 

「そもそも、お前とてオレを満たすために甘露を求めたわけでもあるまい。お前が甘露を入手したのはお前自身の下らない欲求を満たすためでしかない……違うか?」

「あー、可愛くない! 嗚呼、もう! 昔の可愛かったカルナはどこにいってしまったの!」

「……この際だから、はっきりと言ってやったほうが諦めの悪いお前のためになるだろう。どれほど懇願されたとて、オレがその望みを叶えることは永劫ないと、いい加減理解したほうがいい」

「ひどい! 放任主義な上にロクデナシのスーリヤのことは父親として認めているくせに、どうして俺のことは兄として呼んでくれないの!」

 

 カウラヴァ百王子の長兄として日々努力し、身近に弟に迷惑をかけることに関しては天下一品な面倒な年上の従兄弟の存在を知るが故に、ドゥリーヨダナは悟った。

 

 ――あ、これ。弟に構い過ぎて、却って邪険に扱われている兄貴と同じだわ、と。

 

 思い込みによって視野狭窄に陥っていたのは自分の方だったらしい。

 ドゥリーヨダナが下手に神々という存在に偏見を抱いて、あの最初の宴の時以来、まともに顔を合わせていなかったから、気づけなかっただけだった。

 

 ……アディティナンダは、確かに変化していた。

 だからこそ今のドゥリーヨダナの目の前にあるのは、どこにいてもおかしくない普通の兄弟の、普通のやりとりだった。

 

 内心でやや苦笑しながら、ドゥリーヨダナは弟であると判明した、カルナの方へと視線を送る。

 

 それまではどこか得体の知れない謎の人物という印象が強すぎて、きちんと視界に収めてみたことはなかったが、兄であるというアディティナンダとのやりとりを見ているうちに、それまで感じていた苦手意識が払拭され、初めて先入観のない目でカルナを見ることができた。

 

 ――そして、目を疑った。

 

 始めに目に飛び込んできたのは、目にも眩い黄金の輝き。

 

 肉体と一体化し、そのまま鎧と為した、あらゆる不浄と穢れを焼き尽くす灼熱の光輝。

 涼やかな目元を彩るのは、万物を等しく照らす太陽を象った黄金の耳飾り。

 燦々たる輝きを放つ太陽の鎧の胸元に埋め込まれた、炎を閉じ込めたような赤の宝玉。

 

 ――――太陽の化身だ、とドゥリーヨダナは思った。

 

 それまでのドゥリーヨダナの目は、一体何を映していたのだろう。

 アディティナンダの件といい、気づくことのできなかった己の不明を、ドゥリーヨダナは恥じ入るだけだった。

 

「……オレが生を受けたのは父と母あってこそ。父がどのような人物であったにせよ、その名を穢すような振る舞いをするべきではない。ましてや、オレは父の温情により、ただでさえ人よりも多くのものを戴いて生まれてきた。そのことに感謝をこそ覚え、恨むような真似などできるはずがないだろう」

「……なんでだろう、この敗北感。俺の方がずっとカルナと一緒にいるのに、一度も会ったことのないはずの実父に負けるなんて……」

 

 大げさに落ち込む兄からは見えない位置で、カルナが口の端に薄い笑みを浮かべる。

 弟は弟でやや邪険に扱いながらも、きちんと兄のことを慕っているようなので、同じ兄として他人事ではないドゥリーヨダナもちょっと安心した。

 

「……あーあ、それにしてももったいないなぁ」

「――?」

「お前が未だにお前の価値を分かってくれる相手と出会えていないことだよ」

 

 その言葉に、カルナは咲きかけの蕾が綻ぶような、そんな柔らかな微笑みを浮かべる。

 

「その言葉は買いかぶりというものだ……人の価値というものは、オレを含めて皆が平等だ。……ゆえに、オレとて他者に理解を求めてもらえるような特別性も理由もない、ただの凡夫にすぎん」

 

 ――それは紛れもなく本心で言っている言葉なのだと、ドゥリーヨダナは理解した。

 

 今日まで呪われた子供として育ち、尊い半神の従兄弟達と比較され続けて生きて来たドゥリーヨダナは、必然的に他者の心の内を察する能力にも長けていた。

 だからこそ、彼は弟王子たちが本心でドゥリーヨダナを慕っているのだと識っているし、己の立場を求めて近寄ってくる相手に望む物を報酬として与えることで、見識ある者達に疎まれながらも、確固たる地位を王宮で築き上げることができた。

 

 とはいえドゥリーヨダナは他者からの善意を糧にしてでしか、生きられなかった人間である。

 生まれた時に赤子のドゥリーヨダナを殺すようにと進言した大臣の言を退けた、父であるドリタリーシュトラからの親としての無償の愛なんて、その最たるものだ。

 

 いくら国王の息子として尊大に振る舞い、半神であるユディシティラと同格の王位継承者であると周囲に誇示し続けようとも、己がそういう哀れな存在であることを、彼は幼少の頃から自覚していた。

 

 ――だからこそ、彼はそんな風にしか生きられない自分自身に絶望していた。

 きっとこのままドゥリーヨダナは父の、母の、叔父の、臣下達の、そして弟達から寄せられる、本来ならば受け取るべきではない、人々から差し出される美しい愛情(オモイ)を貪るだけ貪って食い荒らした挙句、予言の通りに王国を破滅に導くのだろうと。

 

 犯した覚えのない罪に苛まれながら、人々の愛に縋るようにして自分は生き続けるのだと。

 ――終生、自分という存在は呪われた王子としてでしか、生きられないのだと。

 

 そう思って、否、()()()()()()()()()()()()

 ――……けれども、あの太陽の輝きを宿した男の言葉を信じるのであれば。

 

「……あぁ、ダメだ。あいつはわたしのような悪党には勿体無さすぎる男だ」

 

 どれほど時間が経過していたのだろうか。

 気づけば、黄金の輝きをまとった美しい兄弟の姿はもうどこにもなかった。

 胸にこみ上げてくる感情に、そっと蓋をしてドゥリーヨダナは小さく呟く。

 今まで抱き続けていた、ビーマ達に対抗するためにカルナを自陣に引き込もうという野心はすっかり薄れていた。

 

 あんな、人間の精神の輝かしい部分をひとところに集めたような眩しい存在に、ドゥリーヨダナがよく使う甘言や虚飾に満ちた言葉など、何の意味もなさない。

 王宮の一室を埋め尽くしてしまうような財宝の山も、宝玉がぎっしりと詰められた宝箱も、カルナ相手には何の価値も持たないに違いない。

 

 ――だが、それでよかった。

 そういう人間がこの神々に支配された箱庭で息をして、何気無い日々を――彼らの言葉を借りるなら平凡に――過ごしているということが知れたこと自体、ドゥリーヨダナにとって一つの救いになった。

 

 カルナのように特別な存在であっても「誰もが特別ではない」と切り捨てたあの言葉は、突き詰めてみれば、ドゥリーヨダナのように呪われた王子のことも、ただの人間としてカルナが認識してくれるという可能性を秘めた言葉となった。

 

 カルナは、自分の言葉がどれほど他者に影響を与えたかなんて、きっと知らないだろう。 

 ドゥリーヨダナも別にそのことを公言する気もない。ただきっと、この一方的な出会いによって特別ではないドゥリーヨダナが勝手に救われ、それこそ勝手に恩を感じただけの話だ。

 

 少し離れたところで自分を探して家臣達が走り回っている音を聞きながら、ドゥリーヨダナは王子としての仮面を被りなおす。

 

 この部屋を出たら、いつも通りのドゥリーヨダナだ。

 尊大で大胆で、あらゆる悪名も悪行も気にも留めない悪辣王子・ドゥリーヨダナ。

 父である王の寵愛をいいことに、神々の御子である五王子に対立する悪徳の化身。

 

 それが皆の知っているドゥリーヨダナだ。

 それを演じることに今更躊躇いなどしない。

 ……それでも、もし願いが叶うのであれば。

 一度でもいいからあの兄弟と正面で向かい合って話し合ってみたいものだと夢想する。

 

 その時こそ、ドゥリーヨダナは破滅の王子(ドゥリーヨダナ)ではない自分を、あの蒼氷色の双眸に見つけることができるに違いない。

 

 

 ――その些細な願いが叶うのは、これより数年後。

 王家の武術指南であるドローナによって提言され、ドリタリーシュトラ王の許しの元で開催された、クル王家による武術競技会。

 そこで、ドゥリーヨダナは再び地上の太陽と出会うことになるが、それはまだ先の話。

 

 ――――誰も知らない、誰も知ることのないはずの、遠い未来の話である。




<設定>

・なぜドゥリーヨダナはカルナの本当の姿に気づけたのか?
 簡単に言ってしまえば、アディティナンダとのやりとりを通して偏見が薄れたために、カルナの真実を見る目が開かれたから。そのおかげで、太陽神の鎧をまとった本来のカルナの姿を見ることが叶いました。

・ドゥリーヨダナについての考察
 公式Fateのカルナさんのスキル「貧者の見識」は基本的に、相手の言われたくないことや知られたくない姿を見抜いてしまうが故に、カルナが敵味方問わずに誤解されるきっかけとなってしまう…とありました。
 ならば、周囲から一方的なイメージを押し続けられてしまう人間に対しては、それって却って救いになるのではないかと考えた結果、その条件に当てはまる人物って誰がいるのだろうと思いーーそしてそれは、生前の上司ことドゥリーヨダナ王子だったのではないか、というのが私の見解です。

(正直、『マハーバーラタ』はドゥリーヨダナに設定盛りすぎだと思う。カリ・ユガの擬人化ってなんやねん。)

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