幻想の日々〜絶望のしがらみから抜けた者達 作:アストラの下級騎士
紅魔館の一角、幻想郷中の全ての知識が集まる場所、大図書館。その中央の机がある場所に、寝巻きを着た女性が本を読み漁っていた。紫の髪が映えるその女性は、動かない大図書館という異名を持つ魔女、パチュリーノーレッジである。
そんな彼女はこの大図書館で本に囲まれながら過ごしている。静かな空間で、秘書の小悪魔と共にゆっくりと読書をする。それが彼女の最高の一日であった。
「ハァ...」
しかし、今日の彼女はため息をついて読んでいた本を机に置く。今日というか彼らが来てからはずっとこんな感じである。
「全く、賑やかなのは嫌いじゃないけど...どうしてこんなに色物ばかり集まったのかしら...」
大図書館、その響きに魅せられて一部の不死人やヤーナム民達はここに常駐するようになってしまっていた。幻想郷の中で知識を得ようとするならば、確かにここが一番であろう。...惜しむらくはまともなのが殆どいないという事か。
「見てくれビアトリス、これは『錬成』に関する本だぞ。どうやら何の変哲も無い物質から貴重な金を作り出していたようだ。何とも奥深い、クールラントでもこんな事は出来なかっただろう」
「何?少し貸してくれカルラ。フム...成る程、いわばソウルそのものではなく表面を変質させる業...なのか?異端である私でもこんなのは初めてだな」
そう言って彼女らは一つの本を交互に見ながら一様に意見を言い合う。異端の魔女ビアトリスと、闇の子カルラはこの大図書館に常駐している連中の中でも一番まともである。彼女らは、特にカルラは外部の知識に特に興味を示し、様々な歴史書を読み漁っているそうだ。ビアトリスも同様である。...と見せかけて実は恋愛小説を読んでいたりもするのだが。
「ビアトリス、やはりこういう本は専門家に読んでもらった方が良いだろう。ルドレス!居るか?」
カルラがそう呼ぶと、何処からともなく魔法陣が出現し、そこから脚の無い小人が現れた。頭には燻んだ冠を着け、ボロボロの衣服を身にまとっている。クールラントのルドレス、薪の王その人であった。
復活しても足が無く、歩けなかったルドレスであったが、通りすがった双王子ーーロスリックとローリアンから天使の魔法を教えてもらい、こうやってテレポートで移動出来るようになったのだ。距離制限こそあるものの、ルドレスは非常にこの魔法を気に入っている。
「何用かな?闇の子よ。また恋愛小説の批評などは辞めてくれたまえよ、私はそういうのは専門外なのだ」
「ち、違う!確かに何冊か批評したい本が控えているが、今回はそういった物ではーー」
顔を朱に染めて必死に言い訳をする闇の子。これがあの牢獄に囚われていた忌み子だとは到底思えない。
「まぁまぁカルラ、言い訳をしてもどうにもならないんだからさっさと本題に入ろう。一人の魔女として、純粋にルドレス殿の見解を聞いてみたい」
そうカルラを窘めて、ビアトリスは錬成の本を渡す。ルドレスにはその本は少し大きいが、まぁ問題は無いだろう。
「どれ?......フム、成る程確かに、これは私に聞きたくなるような内容だな。まさかこの世界にも錬成があるとは...いやこの本の通りに言うならば錬金かね」
そう言ってルドレスは真剣にその本を読み進め、一通り見終わった後パタリと本を閉じた。ビアトリスとカルラは目を輝かせてどうだったのかとルドレスに問う。専門家の意見は、どの時代でも貴重だ。
「私個人の意見だが、非常に興味深いと言わざるを得ないな。私は錬成炉を用いてソウルの記憶を読み取り、その記憶から力を取り出すのを『錬成』と呼んでいた。
だがこれは違う。必要な道具は釜があれば大体は揃うし、この理論通りなら特別な技術も必要ない。そして何よりの違いは取り出すのではなく変化させている事だ、つまりーー」
そう学者としての理論を話すルドレスとそれを座って熱心に聞く魔女二人。
その光景から少し離れた場所に、無造作に積まれた本の山に埋もれた人物が居た。巨大な帽子に使い古されたローブ、蓄えられた白い髭。顔こそ見えないが、この人物からは如何にも理知的なオーラが漂っている。それもそのはず、彼は「ビッグハット」ローガンなのだから。
「ブツブツブツ...つまりこの世界の魔術体系は術式を基本とし...その理論が正しければ原初の炎の魔術の再現も可能...」
そんな事をずっと呟きながら何時間も同じ姿勢で思索に耽る大賢者。やはり未知の知識とは、魔術師達にとって非常に甘美な物なのであろう。
「物を物質化...ソウルとは異なる属性の魔術...面白い、後であの紫の魔女にどういう物か聞かなくては...」
「知識の吸収は順調ですか?師匠」
そう言って棚から本を取り出してローガンの元にやってきたのは、ローガンの一番弟子、ヴィンハイムのグリッグスである。この世界でも師弟の関係はゆるく繋がっているようだ。時々ローガンが何処かに行ってしまうが。
「おぉグリッグスか、すまんが本はそこに積んでおいてくれ、後で読む」
「分かりました師匠。では私はオーベックと語らいに行って参ります。後...くれぐれも本に潰されないで下さいよ?」
分かった分かったとローガンは軽く返事をした後、グリッグスを見送った。何時もならばローガンの方が何処かへ行ってしまうのだが、やはり人とは変わるものだ。
「さて、思索に耽るとするかね。次は『基本魔術と闇の術の関係性』でも読むか」
そう言ってローガンはブツブツと呟きながらまた埋もれる様に本を読み漁る。いつ倒れてもおかしくない本の山の中でそれだけ思索に没頭出来るのは、やはり大賢者だからであろう。
そのローガンがいる場所の上階では、二人の人物が一緒に座って本を読んでいた。どうやら読み聞かせをしているようである。
「そして神は言った...『煩いぞ愚民共!我ら神は願いを叶える物ではない!感謝されるべき者なのだ!何の努力もせずに我々に願うんじゃない!』と」
「フフフ、それは流石に作ったでしょうイーゴン。話の流れが余りにも違いすぎます。」
「いやいや本当だぞ、貴様がおかしいからおかしく聞こえるのだ」
そう言い合うのはカリムのイーゴンとイリーナである。イリーナは目が見えないが為に、イーゴンに本の読み聞かせをしてもらっているようだ。まぁイーゴンはかなり話に脚色を加えているが。
「神様はそんな暴言は吐きませんよ、誰でも知っています。この狂った私でも...」
「フン、どうだかな。神であろうと何も言わずに暴力に訴える時もある筈だがな」
その言葉にまたクスクスとイリーナは笑う。それを見てイーゴンは顔を背け、そっぽを向く。兜を被っている為分からないが、その兜の中の顔はきっと笑っているだろう。
「だがまぁ、今の所神は俺たちを救ってくれたな。こうして、ゆっくりと本を読める位の幸せをくれた」
「いいえ、違いますよイーゴン。これは幸せではありません。これが普通なのです」
「...あぁ、そうだな」
椅子の横の壁に立て掛けていたモーンの大槌を触りながら、そうイーゴンは答える。もうこの大槌が怒りを放つ事も無いだろう。そうイーゴンが思っていると、不意にイリーナがおぼつかない手つきでイーゴンに触れる。アレの到来を感じとったのだ。
「...イーゴン、アレが来ますよ。注意してください」
そう言い終わった瞬間、狂気じみた笑い声とそれに続く形で誰かの叫び声がこだました。
「オォオウ!!マッジェスティィィィィイイイイィイィィィィク!!!!違う世界でも上位者とは!!」
「ふぇぇぇぇん!!それ返してくださいよーー!!パチュリー様に返してこいって言われた本なんですぅ!!」
そう叫び合いながら大図書館中を追いかけっこしているのは、パチュリーの秘書である小悪魔とーー学者の服を着用し、奇妙な動きで全力疾走する檻を頭に被った変態ーーあの悪夢の主、ミコラーシュである。
「アッハハハハハハハハハハァ!!超次元の思索!!宇宙よ!!私とこのH.P.ラヴクラフトと巡り合わせてくれた事を感謝する!!オッホオゥ!!」
「だからそれは創作なんですってばーーーー!!その人が実際に体験した訳じゃないんですーーー!!」
そう叫びながらミコラーシュは器用に本棚をすり抜け、飛び上がって上の階に行き、更には自分で設置したワープ出来る鏡を使って追跡者である小悪魔を華麗に出し抜いていく。誠に無駄な華麗さだとパチュリーはつくづく思う。
「あぁゴース...!!或いはゴスム...!!小悪魔に瞳を授けたまえ!!されば、この本『クトゥルフの呼び声』が妄想の産物ではなく、歴とした真実である事が分かり、私と明かし語れるはずだ!!夢の先...超次元を!!」
「化け物になるのは嫌ですけどその本を返してくれないのも嫌ですぅ!!後貴方と会話なんてした日には絶対発狂するから絶対喋りたくないです!」
先ほどから結構経つが小悪魔とミコラーシュの距離は全く縮まっていない。
小悪魔は少し疲れてはいるものの、ミコラーシュは手から生やした触手「エーブリエタースの先触れ」を器用に使って本棚から本をめちゃくちゃに抜き取っていく余裕っぷりである。というか本を取るのに使われる上位者の力が不憫で仕方ない様に思えてしまう。
「やれやれ...ローガンさんから教えて貰った魔術のスクロールは...あった、これだわ」
逃走劇にいい加減飽きて来たパチュリーは、ローガンから受け取ったとある魔術のスクロールを読み解き記憶する。
そしてそれを自身の知る術式に当てはめ、魔力を高めながらそれを詠唱していく。ミコラーシュが近づくのを待ちながら詠唱しつつ、目を閉じ更に集中する。
叫ぶ声は段々とパチュリーの方に近づいてくる、だがまだ遠い、もう少し、もう少し近く...!
(今!)
ミコラーシュが本棚から姿を現し、丁度パチュリーと一直線状になった時、遂にそれは放たれた。
ーー『ソウルの結晶槍』!
膨大な魔力が結晶により強く結びつき、強大な槍を形成する。城塞をも破壊する程の威力の槍は、一応威力はパチュリーによって衰えさせているが、当たればミコラーシュであろうと倒れ臥す程には魔力が込められている。
ミコラーシュが気づいた時には遅かった、素早く、確実に追尾するそれはミコラーシュの眼前まで迫りーー
「ギャアアアアアアァァァァァァァアァアアァアアアア!!!!」
ーー見事に直撃し、走っている勢いのまま別の本棚まで吹き飛んでいくのだった。
「あぁ...これが覚め、全て忘れてしまうのか...」
「はいはい、覚めませんし忘れませんから、本返してくださいねっと」
オォンと喘ぐミコラーシュから本を抜き取り、何とか小悪魔は奪還に成功した。ミコラーシュに本を貸してしまうと適当に返すか永久に借りられてしまって大変な事になるので、出来れば貸したく無かったのである。
「こあを困らせた罰よ、反省しなさい狂人さん。まぁでも結晶槍の実験台になってくれた事には感謝するわ」
「ミコラーシュさん賢いんですけど、性格がこれなので大変です...」
それから小悪魔とパチュリーは少し会話を交わした後、ミコラーシュを放ってまた元の持ち場に戻っていった。哀れミコラーシュ。
こんな感じで毎日がドタバタ騒ぎになっているのだ、残念ながら静かとは言い難く、少しパチュリーは難儀しているのである。難儀しているが、それを悪いとは微塵も思わない、何故ならーー
『全く、騒々しいな奴等は』
「えぇ、全くそうですわ。シース卿」
そう言いながらパチュリーの後ろから現れたのは、古竜の裏切り者であり、また聡明な科学者でもある白竜、シースであった。更にその巨体の側にはシースには及ばないまでも大きな身体を持つ杖をついた竜がいた。妖王オスロエス。シースの信奉者である彼は、無論シースに付き従っていた。
『全くですなシース様、このオスロエスも、オセロットが起きてしまうのではないかと心配になってしまう。なぁオセロット?』
オスロエスはそう言うと何かを抱えている様な手の空間を撫でる。パチュリーにもシースにも、オセロットとやらは見えてはいない。
「オスロエス様もいらしたのですか、貴方達が大図書館の魔術結界を結晶で強化してくれたのは、今でも感謝しております」
『魔女よ、そう堅くならなくても良い。もう我らに肩書きなど無為なのだ』
『そうですとも、オセロットももう、竜の御子として狙われる事も無いのですから。私も王ではないのです』
そう一人と二匹は微笑みあう。
『では魔女よ...お楽しみの議論を始めようか。テーマは運命でどうだ?』
「良いですね、私としても運命には興味がありまして。熱く議論を交わそうではないですか、もちろん無礼講で」
ーーそれ以上に、自らより知識を蓄えた者との議論が出来る事、そして大図書館が賑やかになった事に、孤高であった紫の魔女は少し喜びを覚えているのであるのだから
余談だがミコラーシュの騒ぎに乗じて白黒の魔法使いが本を盗み取っているのを、誰一人として気づく事は無かった。
最近カルラちゃんが読んでいる恋愛本は「ウーラシールの姫君との時を超えた愛」です。ビアトリスちゃんは「暗月と指〜禁じられた恋〜」を読んでいます