THE IDOLM@STER  二つの星   作:IMBEL

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3年ぶりにこっそりあげても・・・バレへんか?

追記:3年じゃなくて4年ぶりでした・・・。


第37話 海原とナンパ

「朱里ちゃーん、まだかかりそうー?」

「も、もうちょっとかかるから、先に行ってて!」

「本当に大丈夫ー?」

「あ、あとは身体に塗るだけで終わりだから!」

 

備え付けの鏡とにらめっこしながら朱里は、カーテンで覆われている簡易更衣室の向こう側で待っているやよいに向かってそう叫んだ。

 

―――皆が準備を終えてビーチへと向かう中、朱里はその準備で手間を取っていた。

各々が水着へと着替える中、朱里も先日買った水着を着替える中、双子や伊織から色々からかわれ赤面しつつも、着替え終えるまでは順調だったのだ。

 

「顔は、これでOK。次は身体・・・と」

 

・・・が、最後に日焼け止めを塗るという段階で朱里は大きくブレーキを踏む羽目になった。

 

プロデューサーからも事前に日焼け止めなどを持参して、紫外線対策の準備はしてこいと言われていた。

故郷村の時とは違い、かなりの長時間、しかも森や建物などの遮断物が何もないビーチで日焼け止めなしで飛び出すのは自殺行為に等しい。肌を不必要に焼いてしまうのは事務所的にもNG行為で、最悪仕事にも支障が出てしまう。

朱里もプロデューサーの言葉に従い、身体に着るラッシュガードだけでなく、クリームタイプの日焼け止めを事前に購入していたのだが・・・。

 

「う~、面倒臭い・・・」

 

いざ実戦となった途端、手こずる羽目になってしまった。ぶっつけ本番ではなく、もっとしっかり予習するべきだったな、と今更ながらに後悔する。

ここ最近で化粧をするようにこそなったものの、あれはあくまでも顔全体の範囲の話で、全身にオイル系の化粧品を使用するのは初めてだった。

人生初とも言える本格的な日焼け止め塗りに試行錯誤で大いに時間を取ってしまう。これまで日焼けなど気にすることのない人生だったため、これで本当に大丈夫なんだよな? という不安もあり、かなり念入りに行っているのも皆よりも時間がかかっていた原因だった。

 

(えーと、薄くのばしすぎるとかえって焼けやすくなるから、ケチらずに厚めに塗りつつ、それを全身に広げて・・・)

 

付属していた解説をしっかり見つつ、朱里はこれであっているんだよな? となりつつも手のひらに日焼け止めクリームをすりあわせながら少しずつ身体へと塗りたくっていく。

誰かに手伝って貰えば多少は楽できるのだろうが皆を待たせるのも嫌だった為、つい意地を張ってしまったのが悪手だった。カーテンの向こうには誰もいる気配はなく、今更誰かの助けを求めることも不可能な為、一人で頑張るしかない。

 

正面だけでなく身体の側面や背中、手の甲や足・・・塗り忘れの箇所がないように塗り進め、うっかりクリームだらけの手で髪や目を触ってしまい、ベタベタした感触に舌打ちをかましながら続けること十数分。

とりあえずは大丈夫だろうというレベルで終えることは出来たのだが・・・。

 

(でも、これをもう一回やらなきゃ駄目なんだよなぁ・・・)

 

日焼け止めは一度塗れば終わりという話ではない。多少の濡れならば大丈夫だが、タオルで身体を拭くと日焼け止めは落ちてしまうし、流れる汗でも落ちてしまう。

その為、物にもよるのだがしっかり効果を保つためには2~3時間おきに付け直さなければならないのだ。

どれくらいの間、炎天下の中にいるか分からないが・・・日没までの時間を逆算すると、この作業を最低もう一回はやらなければいけない。

 

これをもう一回やることを想像して億劫になる。正直、サボってしまいたいが、これをしっかりやらないと肌へのダメージが馬鹿にならないし、シミやそばかすの原因にも繋がる。

アイドルをやる上でこの2つは致命的だ。最悪、アイドル生命を縮めかねない。

肌を焼いてしまうのは簡単だが、それを戻すとなるととてつもなく難しい。化粧品やメイクでそれを隠すのも限度がある。白く美しい肌を保つには紫外線対策は必須であり、アイドルならば尚のこと気にかけなければならない。

 

(女って大変だよなぁ・・・)

 

水着と一緒に購入したラッシュガードを身体に羽織りつつ、しばらく悩まされることに日焼け問題に頭が痛くなりそうな思いだ。向こうに戻ってもメイクに加えて、日焼け止めも新たに盛り込む必要があるだろう。

向こうの天候はこちら程ではないが、すぐに匹敵するレベルにまで高くなるのは容易に想像がつく。適当に買った日焼け止めだったが、今持っているクリームタイプよりも使い勝手の良い物もあった気がするし、後で皆が何を使っているのか聞いてみよう。

日焼け止めの他に、紫外線対策に効く化粧品とか帰ったら調べて・・・と今後の紫外線予防を頭にしつつ、財布など軽い手荷物を纏めたポーチ片手に更衣室を出た。

 

あちち、と熱々に熱せられたコンクリート舗装の熱を感じながら早足で駆けると、潮の匂いはより濃く香り、電車の中で見えていた景色はより鮮明に見えてくる。

 

「おお・・・」

 

砂浜の向こう、そして目の前に広がる光景に思わず心が奪われた。

煌めく太陽、輝く海原、照らされる砂浜。立て並ぶパラソルに、波打ち際ではしゃぐ人達、様々な物が売っている海の家・・・日本の何処にでもあるような海水浴場なのに、とても魅惑的に見える。

 

来る前は何やかんやと言っていたが、改めて目の前の風景を見ると撤回してしまう。

夏にはやっぱり海は欠かせない。熱い日差しを浴びながらの潮風と波音を身体で感じて・・・普段は絶対に味わえない感覚だ。この光景を見るだけでも慰安旅行に来た甲斐は充分にあった。人もいるがまだ本格的な夏休み前ともいうこともあってか、人も多いがギュウギュウ詰めレベルではない、ほどよい賑わいを見せている。

 

歳応にも・・・いや、今の自分は中学生なのだから年相応か。なんだかとてもワクワクした思いでビーチに続く階段を降り、砂浜へと足を載せる。

最後に海に行ったのなんて何時ぶりだろう、と波打ち際まで走りたくなる気持ちを押さえつつも、まずは皆を探すことにした。

確か海の家でパラソルを借りて、それを目印に場所取りをしているはずだが・・・。

 

「あっ、千早さん」

「・・・朱里さん」

 

・・・意外にもすぐ見つかった。10人以上の大所帯で来ている以上、大きめのパラソルを借りているはずだと目星を付けて探していたら物の数件でヒットした。

大きなパラソルの下でちょこんと座っている千早の姿があり、千早も朱里のことに気づいてくれた。とりあえず顔見知りに会えたことに安堵し、パラソルの下へと潜り込んだ。

 

「千早さんは休憩中ですか?」

「ええっと。荷物番中、なのかしら?」

「いや、私に聞かれても・・・」

 

疑問文を疑問文で返され、朱里も軽くツッコんだ。

近くには千早が持参してきたであろう文庫本が置かれており、どうやらパラソルの下での読書をしており、自然と皆の荷物番も兼任していたらしい。

折角海に来てやることが読書か・・・とも思ってしまうが、皆と交わらずに行動しているのが何ともこの人らしい。最近の仕事では皆と多少なりとも歩幅を合わせようとしたりなど周りと協調していた感じだったのだが、プライベートだとまだまだなのか。

 

「随分時間かかっていたのね。皆もう向こうにいるわよ」

 

ほら、と細い指でビーチを指さすと、水着姿の皆が思い思いの時間を過ごしていた。

砂場で穴を掘る雪歩、水泳競走をやっている真と響。双子は持参してきたと思われる水鉄砲で西部劇ごっこじみた打ち合いをおり、流れ弾が直撃した伊織は怒りながら2人を追い回している。春香や美希、やよいはそれを見ながら笑ったり、ハラハラした顔をしていて・・・座りながらでも確認できる。それぞれが普段は出来ないようなことを思い切り楽しんでいるみたいだ。

美希を始めとした残りの皆は見えないが、きっと海の家やここから少し離れた所でいるのだろう。

 

「・・・日焼け止めに手こずりましてね。もっと手際よく出来ると思ったんですけど」

 

ぶっつけ本番は良くなかったですねと軽く笑って、ラッシュガード下の素肌をチラッと見せる。

朱里的には不器用なりに一人で日焼け止め塗りを頑張ったんだぞというアピールだったのだが、千早は違う意味に捉えたのか、むっと顔をしかめる。朱里の肌・・・というより、水着の、胸部をチラッと見つめて・・・。

 

「くっ」

 

朱里に聞こえないようなトーンで悔しそうなつぶやきを一つ漏らした。

 

「・・・? あっ・・・」

 

何か千早の琴線に触れてしまったと、朱里はなんとなく察した。今の視線から、多分自分のスタイルか何かを比較したのだろう。

 

前から思っていたのだが、やはり千早は自分のスタイルに多少なりともコンプレックスを持っているみたいだ。特に胸・・・バストの話題や他のメンバーの無意識なバストアピールに先ほどのようなつぶやきを何度か聞いたのは聞き間違いではなさそうだ。

歌以外に興味はありません、なんてスタンスな千早なのだがやはり人の子。自分と同じように身体の大なり小なりで気にしたりすることもあるみたいだ。

 

―――こういう所も気にするし、やっぱり千早さんも女の子なんだよな。

 

これは流石に失礼すぎるので口には出さず、朱里の心の中にとどめておくが。

と、いうより千早は3サイズ云々よりも色々と痩せすぎだと思うのだ。公式プロフィールで確認できるだけでも明らかに同年代の子よりも一回り以上下・・・正確な数字で言えば160センチ弱の身長に対して体重は40キロ前後。良く言えばスーパーモデル並みのプロポーションかもしれないが、悪く言えば拒食症の疑いを持ってしまうくらいの数字だ。まだまだおしゃれ云々の知識に疎い朱里でも流石にこの数字はおかしいと気づけるレベルなくらい、おかしい。

この間見た自分のプロフィールがきちんと正確だったことから765プロは数字を盛ったり減らしたりはしないので、あそこに載っている数字がありのままの千早の身体情報のはずだ。

バストだのスタイルで色々気にすることはあるかもだけど、まずは食生活を正してみるのが良いのではないだろうか。きちんと食べていないから発達も控えめな原因の一つだと思う。なんだかそういった所には無頓着な所が一緒にいる中でも見え隠れしているし、春香もそれを気にしてあれこれ気を焼いているところもあるのかもしれない。

 

「・・・ああ、そういえば。色んな仕事、やるようになったみたいじゃないですか」

「え?」

「春香さん達と一緒にテレビ出演したって話ですよ。この前は料理番組の」

「ゲロゲロキッチンね」

「そうそう、それですよ」

 

少し冷えた場の空気を変えるため、話題を切り替える。ゴールデンウィークの時と同じように興味のある分野から攻めて行くに限る。まずは食いつきそうな話題で会話を弾ませよう。

 

「最後の方、結構ノリノリだったじゃないですか。録画で見ましたよ」

「まあ、色々とあったから。あなたと話して、思うところもあったし」

 

あの時のモンデンキントでの会話のことか・・・そういえば、千早と2人きりなんてあの時以来か。ゴールデンウィークが終わったらオーディションやらなんやらで会う機会無かったし、故郷村でも結局トラブル云々でゆっくり話すなんて無理だったし。

 

「あの収録は・・・個人的に良い勉強になったと思うから」

「へえ」

 

朱里は録画分しか見ていないため、TVで流れた内容しか知らない。収録中に何か起きたかは分からないが、千早の何かに触れるようなことがあったらしい。

 

ゲロゲロキッチン――――所謂ローカル枠の番組なのだが、コアなファン層が多い番組だ。

番組名の通りカエルをマスコットキャラクターにして、毎週ゲストメンバーを呼んで料理をする・・・というここだけ聞けばありふれた内容なのだが、そこにバラエティ要素を足しているのが他と違うところだ。

料理の途中に挟まれるゲームの結果で使用する食材が決まるなどランダム要素があり、ゲームの結果では高級食材を使用できたりするが、場合によってはゲテモノ系を使っての料理をすることになったりなどが起こる。

そんな無茶ぶりにゲストはどう応えるのか? どうアドリブで乗り切るのか? など何が起きるか分からない要素が人気を博している。

バラエティ要素が強く、千早があまり受けたがらないタイプの番組であり、選べる仕事の枠が少ないとはいえよくこの仕事をやったな、と小鳥が撮ってくれた録画分を見ながら驚いたものだ。千早も自分の興味のある分野以外にも色々と手を付けて、見聞を広めようとしているのかもしれない。

 

録画の回は千早の他に春香と響と貴音の3人が出演し、それぞれ千早と春香、響に貴音の2チームずつに分かれての勝負となった。最初は固かった千早も場の空気に影響されたのか、最後は珍しく照れた表情や軽い微笑みなんかも見られ、普段と違ったギャップも感じられた回となった。

 

「あなただって、見ないうちにパフォーマンスが良くなっていたじゃない」

「いやあ、まだまだですよ。皆で立ったの、あれが初めてですし。持ち歌も少ないですし、まだまだ改善点もありますし」

 

しっかり出来るのは、まだ2曲だけだもんなぁ。個人的にはもっとボーカル面を強く推した曲・・・千早やあずさなんかの持ち歌にも興味がある。そろそろそこら辺にも手を付けてみたいと思うのだが。

 

「そういう千早さんだって・・・」

 

そんな互いの近況報告から始まった会話はしばらく続く。水着姿でビーチパラソルの下での会話という何ともヘンテコな光景だった。

 

「というか、千早さんよく旅行に来ましたね。断りそうなのに」

「仕事のない人は全員参加の殺し文句を出されたし・・・場の空気もなんか断りづらくて」

「そういう割には、しっかり水着着込んでいるじゃないですか」

「こ、これは春香に無理矢理」

 

Tシャツ下から少し見えている青色の水着を指摘すると、千早はポッと顔を赤く染める。

向こうもこちらと似た経緯があったらしい。千早らしくないチョイスの水着だと思ったが、春香が絡んでいたのか。春香も美希と同じく押しがかなり強いタイプなので、千早も自分と同じように折れたに違いない。

 

「色々お節介焼いてくれるのは分かるんだけど。私より張り切らなくても」

「まあ、海と言えば水着! らしいですからね。姉さんも私の水着選ぶ時の方が時間かけていましたし」

 

どうやら春香も美希と同じ事をしていたらしい。他人のコーディネートが絡むと、当の本人より熱くなりがちなのも同じにならなくても・・・と思うが、それが女の子のサガなのかも知れない。

 

「千早ちゃんに朱里ちゃーん!」

 

おっと噂をすれば、だ。満面の笑みの春香がこっちにやって来た。水着姿でも、トレンドマークのリボンがばっちり決まっていて様になっている。

 

「2人とも一緒に遊ぼうよ!」

 

まあ、春香さんならそう言うよなぁ。皆ビーチに出ているのに、2人だけずっと日陰でガールズトークしているのだからそりゃ誘うにも来るか。

 

「あっちでね、皆でビーチバレーしているの! 2人とも交ざらない?」

「春香・・・えっと・・・でも荷物もあるし・・・」

「荷物番なら私が代わるから、2人とも行ってきなさい」

 

と、ハンディカメラ片手で律子が呆れたような顔をしてパラソル付近に立っていた。

 

「と、撮ってたんですか・・・」

「結構珍しい組み合わせだったからカメラ回していたけど・・・ずっと籠もっているのは感心しないわね」

 

使えそうな映像は今後の宣材にも使うんだから、とカメラのスイッチを止めた律子はこっちを見る。要するに仕事で使う絵的にも足りないから遊んでこいということか。

1泊2日のスケジュールだし、日が暮れてしまったら日中の絵は撮れなくなってしまうだろうし。

 

「ちょっと春香・・・一人でも出来るから・・・」

「朱里ちゃんも来る? 美希も一緒にいるんだけど」

「うーん」

 

すっかり千早を連れ回す気満々の春香は千早のTシャツを剥ぎ取りながら、朱里を誘う。

ビーチバレーもいいけれど・・・と漏らしつつ、朱里は自分のおでこを指でなぞる。指先には湿っぽい感触があり、汗をかいていたことを自覚する。身体も火照っているし、少し泳いでから交ざってもバチが当たらないだろう。

 

「私は、一泳ぎしたらいきますね」

「じゃあ、待っているからね!」

「はい、後で交ざりますから」

 

響や真のような全力水泳とまではいかなくても、ゆったりと泳いでリラックスしよう。泳ぎにはそれなりの自信がある。スイミングスクールには通っていなくても、遊泳できるくらいの実力はあるのだ。

 

ラッシュガードをクーラーボックスの上に投げ、足がつらないようにと軽い準備運動をする。

そして頭の中で春香の持ち歌の『太陽のジェラシー』をリピートさせながら、朱里は暑い砂浜を駆け抜けた。本当は声に出して歌いたいのだが、他の人の迷惑になるので止めておく。

あの歌詞のように甘い恋の予感など微塵もないし、一緒に追いかけっこをするような人もいないのだけれど、ノリノリな気分になれる気がする。

 

「ひゃ・・・」

 

足先が海水に触れるとその冷たさに小さな声が漏れてしまうが、太ももが海水に埋もれた辺りから水温に慣れ始め、首下あたりになると心地よさを覚えるくらいになる。

身体が慣れ始めたのを感じ、目をとぷんと頭から海水に浸かった。

 

・・・久しぶりに入った海水は冷たくもどこか暖かさを感じる、不思議な気分だった。全ての生命の母である海だからか、この包まれるような暖かさも決して不思議ではないのかもしれない。

 

まぶたの向こう側に見える水模様を見つめながら、沖に出すぎないように気をつけつつ、ゆっくり泳ぐようにする。

朱里はあまり体力を消耗しないようにと平泳ぎの態勢で、ゆっくりと泳ぎ始めた。

 

 

 

 

 

 

平泳ぎにクロール、バタフライに犬かきに背泳ぎ・・・最後は胸を大きく出してぷかぷかと浮かんで・・・。

 

天高く輝いていた太陽が少し西へと傾き始めた頃。ひと仕切りの泳ぎ方を試して泳ぎつづけていた朱里はビーチへと戻ってきた。

波打ち際まで這いずるように泳ぎ、温かい砂に頬を預け、しばらく何も考えずに横になる。

べったりと砂が身体についてしまうが、気にしない。

 

「ふぅ・・・」

 

数年ぶりに海で泳いだ感想は―――水中ゴーグルかシュノーケルのどちらかを買っておくべきだったなということだった。視界がきちんと定まらない中での泳ぎは怖いなんてものじゃなかった。

慣れれば目を開けていても平気だという人もいるが、シャンプーをする時にも目を閉じる癖がある朱里には無理だ。試しに目を開けていたら入り込んだ海水が目に染みてたまらない。ヒリヒリして痛いし、髪の毛にも少し塩のジャリジャリした感触が混じっている気がする。シャワーとか使って洗わないと、髪が痛みそうだ。

 

後、とにかく疲れた。全力で泳いでなどいないのに、レッスンをやったような体力の消耗を感じる。遊泳気分で泳いでいたのに、がっつり疲れてしまった。

これを幼い頃から繰り返していた響は、そりゃあどれだけ動いても疲れない体力お化けになれるはずだ。ただ水が張られているプールとは違って、潮の流れなどの関係で海での水泳はもの凄く体力を消耗するということなどちょっと考えれば分かるだろうに。

 

(・・・もっと泳げると思ったんだけどなぁ)

 

男時代の感覚で泳ぎに出たが、予想よりも早く戻ってきてしまった。

やっぱり、男女での身体能力って違うものなんだよなぁ、と改めて思ってしまう。少し泳いだだけでもうヘロヘロになってしまうとは。男時代の時は運動系の部活には所属していなかったが、この頃の年齢だったらもっと泳げていた気はしたのだが。

ゴールデンウィークの自主練を機にランニングなどの運動は行ってはいたが、それだけでは足りないのかもしれない。皆よりも遅れての所属だし、今も運動部に所属はしていないのだから、そもそもの基礎体力が皆よりも劣っているのは仕方ないかもだけど。

 

「・・・なんか、飲むかな」

 

泳ぎながら海水を数度口に含んでしまったこともあってか、少し口内が塩辛く、一刻も早く水分を欲していた。水分補給して、少し休憩してからビーチバレーに合流してもいいだろう。

 

「コーヒーって気分じゃないんだよなぁ。もっと、こう・・・」

 

海の家にある、氷水の張った大型のクーラーボックスに手を突っ込みながら、飲み物を選ぶ。普段だったらコーヒー一択なのだが、今はもっとハイカロリーで甘い飲み物が欲しかった。ラムネにサイダーにメロンソーダ、どれも美味しそうで色々あるけれど・・・。

 

「久しぶりにこいつにしてみるかな」

 

最終的に朱里は選んだのはコーラだった。もう何年も飲んでおらず、ついラベルを見てしまったら味を思い出して唾が出てきてしまった。甘味料マシマシの炭酸飲料ではあるが、一汗流したんだからこれくらい飲んでも大丈夫だろう。

 

「うわっとっとっと」

 

会計が済んで適当な席に座って勢いよくプルタブを起こす。中の炭酸が噴き出して中身が漏れてきて、慌てて飲み口を口元へと運ぶ。仕事終わりのサラリーマンが缶ビールを飲むように、ゴクリゴクリと中身を胃の中へと落し込んだ。

 

普段は無糖系のコーヒーを好む朱里だが、こんな炎天下の下では冷えた炭酸飲料も捨てがたい。むしろ、疲れた身体には糖分をダイレクトに補給できるこれがベストに思えた。

育ちが良い故に舌が肥えて、甘味料などを使った甘ったるい清涼飲料が苦手な伊織からは「こんなもの飲むなんて」などいった否定的な声が飛び出すのだろうが、この甘みと苦みが混じったわざとらしい味・・・如何にもジャンクフード的な感覚がたまらない。

 

庶民舌の朱里には変に畏まった飲み物よりもこっちの方こそ親近感がもてるのだ。

…無論、コーラなどの炭酸飲料はその甘みが故に入っている砂糖の量も尋常ではない為、飲み過ぎは太る原因になるのであまり好ましくはない。炭酸飲料は一時期歯を溶かすだの何だのといってネガティブなイメージを持たれており敬遠する者も多いが…度を越さなければ健康にも問題はないのだから、適度に運動していて自己規制がしっかり出来る人間ならば酒と同じで、多少は飲んでも問題はないという自論を朱里は持っていた。

 

だが、そんな真面目な考えを持っていても、炎天下の中で飲むコーラは破壊的に美味かった。朱里は一気に中身全部を飲み干して「ぷはぁ」という吐息を漏らす。そして、「けぷっ」と炭酸一気飲みお約束の軽めのゲップも漏らしてしまったが、まあ、誰も見ていないからセーフとしよう。

 

ふぅ、と一息ついて、飲み終えた缶を捨てて、春香さん達の所へ行くかなと立ち上がった時だった。

 

「ねぇねぇお姉さん!」

 

すぐ近くでいきなり叫ばれた。ぴくりと視線を上げると、20代くらいの若者が2人、朱里のことを無遠慮気味に覗いていた。

 

「へー、結構可愛い子じゃん」

「・・・?」

 

水着などのファッション、また黒く日焼けした風貌からしても、いかにも若いボーダー、といった感じの彼らは馴れ馴れしく朱里に絡んでくる。

 

「ねぇ、君ひとり?」

「俺たちと一緒にあっちに遊ばない?」

「え、えっと・・・」

 

若者からのまさかの言葉に驚いてしまう。

・・・これは所謂・・・ナンパ、っていうやつなのだろうか。ビーチでナンパだなんて半ば都市伝説的なものだと思っていたイベントに、まさか自分が遭遇する羽目になるとは。

 

(参ったな・・・こういう時、どうすればいいんだろ・・・?)

 

男時代にも女時代にも体験したことがないようなシチュエーションに、頭を悩ませる。

勿論ついて行く気はないのだが、絡んできたナンパ達は所謂肉食系男子的な空気がしたし、下手に断ってもつきまとわれてしまうかもしれなかった。それだけならまだどうにかなりそうだが、最悪ならばナンパ以上のことに発展する危険性も考えられた。同伴者も女性ばかりだし、下手すれば他の皆にも飛び火しそうだし・・・。

 

色々、複雑だ。

声をかけられたと言うことはナンパ達の眼鏡にかなうレベルだと評価されているのかもで嬉しくもあるのだが、元男の身としては男にナンパされているという事実は同時に嫌悪を感じてしまう。故郷村の件で雪歩に色々と思う所はあったが、これじゃ私も人のこと言えないな・・・とも思う。

 

よりにもよってこいつらは何故私に声をかけたんだと毒づきつつも、美希ならこういうのをスルッと切り抜けるんだけどなぁと考える。

学校の男子だけでなく、町中でもそういった対応を受けることが多い美希は受け答えやあしらい方も上手い。

・・・思い切ってここは美希の真似をして乗り切ってみるか? でも、美希の男を無自覚に振り回すようなムーブは独特すぎて私でも再現できるかどうかだし・・・。

 

「あれっ、朱里も休憩中?」

「あっ・・・真さん・・・」

 

どうこの場を切り抜けようと頭を回転させていた所、丁度海の家に入ってきた真は朱里に向かって声をかけた。朱里もついいつもの癖で手を上げて返答した。

ナンパ男達は朱里の手を上げた方向を見て・・・そして真の姿を見て、さっと顔を青くした。

 

「つ、連れがいたんですね」

「す、すみません!」

 

さっきまでの勢いは何処へやら、すっかり弱気になった2人は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 

「・・・? ねえ朱里、どうかしたの?」

「いや私にも・・・?」

 

何故急にナンパは引いたのだろう・・・と小首をかしげながらじっと真の姿を見ていると、真の今の服装に気づいて「あ」と合点がいった。

 

今の真は日焼け防止のためウインドブレイカーを羽織っており、胸元のチャックも首元まで上げていた。女性用水着の胸部部分や喉仏など・・・女性特有の身体的特徴が上手い具合に見えなくなっていたのだ。水着のデザインも朱里と同じで黒色だし、ぱっと見では男性用のと区別がつかない。丁度真が立っていた辺りは日陰になっており、日陰の中で更に黒色の水着で見づらくなっていたのもあるのだろう。

更に海で泳いだばかりで髪も少し散らばっており・・・男性と疑われても仕方がないような雰囲気を漂わせていた。

ぶっちゃけ、初見では男性にしか見えない。

 

つまりは・・・ナンパ達は真を朱里の彼氏だと勘違いしたのだろう。彼氏持ちの女に手を出したらどうなるかを想像して、慌てて逃げていった・・・というところか。

 

いや、確かに真は水もしたたる良い男・・・もとい、女だけれど。まさか彼氏に間違われてしまうとは・・・。

 

「真さん、ありがとうございます」

「?」

「と、とにかく! ありがとうございました。では」

「・・・う、うん。どういたしまして・・・?」

 

事情を知らない真は何のこっちゃな顔をしていたが、説明するのも面倒なのでお礼だけを言う。

とりあえずこの件は自分の中だけにとどめておいた方が良い。真を始め、色んな人のためにも。特に雪歩には聞かれたらマズい気がする。

とんだ一夏の思い出だ。まさか同期のアイドルを彼氏と間違われる日が来るとは。

 

空き缶をゴミ箱に投げ捨てながら、ふとちょっと前にクラスメイトの空羽の言っていたことを思い出していた。

 

――――――夏と言えば男! スイカと花火に男よ! 水着着て、いい男を逆ナンパするのよ!

 

・・・空羽さん。ナンパってやる方は楽しいかもしれないけどやられる方は結構複雑ですよ、オチも含めて・・・。

そう思いながら朱里は海の家を後にするのだった。




はい、ミリマスアニメの先行上映でアイマス熱が再発して書いちゃいました。
続きは・・・どうなんだろ? とりあえずキリが良いところまでは頑張りたいです、はい。

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