今回の話は…久しぶりにあの子と一緒です、どうぞ。
後、今回も独自解釈と捏造設定が有りです。
―――もう終わっちゃった。
ゾロゾロと撤収していくエキストラ役を見ながら、朱里は僅か15分弱で終わってしまった仕事にため息をつく。
梅雨のシーズンに突入し、連日雨が降る6月下旬。今日の仕事は午後9時に放送される連続ドラマ…所謂ゴールデンタイムのエキストラ役だった。
今回の撮影は物語の転機となる第5話。主演男優が演じる主人公の過去が明らかになるという重要な話だ。今回その収録に765プロから2人選ばれることになった。
白羽の矢が立ったのは「こういうのも立派な仕事だから、勉強してきなさい」という律子からの推薦である朱里と、先輩としてこういう現場に慣れている響。今日はこの2人だけでの現場入りとなった。今日は律子とプロデューサーは他の仕事があって同行することが出来なかったのだ。
朱里と響の今回の仕事は主人公と今回の話のキーとなるゲストキャラクターの言い合いに驚いて振り向く脇役の一人…という役だ。
セリフもなく、ただ驚いたような演技をして…それでおしまい。無名の芸能事務所に所属するアイドルのやる仕事といえばそこまでなのだが、現場で仕事している時間より移動時間の方が長いのはやはり味気ないと感じてしまう。
まあ、普段テレビで見ているような有名所の俳優や生の現場の空気など、普段は入ることの出来ない収録スタジオでの仕事は確かに得る物があったのは事実なのだが…。
(空模様も悪いし…早く帰るに限るかな…)
エキストラ役という括りで宛がわれた大部屋楽屋の一室を抜け出し、窓からそっと空模様を伺う。朝から雨は降っていたのだが丁度朱里たちが現場入りした辺りから雨脚は強まっていた。今となっては豪雨レベルまでに荒れており、沛然たる雨とはこのようなことを言うのであろう。締め切っている窓からでも、その雨音は響いてくる。
念には念をと荷物には折り畳み傘も入れてきたが、この豪雨で果たしてそれが通用するだろうか。ここまで酷くなるのなら、かさばってもいいから大きめの傘を持ってくるべきだったな…と後悔する。携帯できることが利便性となっている折り畳み傘だが、豪雨の中では携帯性が故の強度の低さが仇となりそうだ。
(プロデューサー達、大丈夫かな…?)
遠くの方ではゴロゴロ、バーンと雷の音が聞こえており、この雨模様では遅かれ早かれ交通網にも影響が出るだろう。響に声をかけて、さっさとここから退散した方が…。
「あっ、ここにいたのか朱里ー!」
「響さん。今、外凄い事になってますよ?」
窓に手を当てていると、響が控え室から息を切らして出てきた。
「うん、そのことなんだけど…今速報で、電車止まっちゃったって」
「ええっ!?」
「落雷で停電が起きたことが原因らしいんだ」
ほら、これ…と、響の携帯電話を差し出され、画面を覗き見る。どこかのニュースサイトの速報で、丁度自分たちが乗ってきた路線が落雷による停電により運転を見合わせているとのことだ。他の路線も二次被害を避けるために運転を一時見合わせる他、一部の駅では入場規制などもかかっているみたいだった。
「東京って、雨で電車止まっちゃうんだなぁ。船なら分かるんだけど」
「響さん、しょっちゅう台風が来る沖縄の感覚で言わないでください…都会の交通網は結構脆いんですから…」
毎年台風直撃コース圏内での生活に慣れている響にとっては変な話だろうが、積雪や大雨で都会の交通網が止まることは珍しくない。朱里は通勤通学に電車こそ使ってはいないが、改めて分刻みで電車が来る都会の便利さと一度崩れた時の脆さを今になって感じ取っていた。
帰り、どうするかな…と考えていると、ポケットの中で携帯電話がブルブルと震えた。慌てて取り出すと画面には事務所からの電話だった。あっちも速報を見て、電話をかけてきたのだろう。電話の主は小鳥さんか社長かそのどちらかだろう。通話ボタンを押し、電話に出る。
「はい、星井です」
『あっ、朱里ちゃん!? 私よ、小鳥! 今ニュース見ているんだけど、大丈夫だった!?』
「はい。響さんも一緒で、まだ現場にいます。電車が止まって、今どうするかと話していた所なんです」
『そう、よかった…』
電話の向こうで小鳥は安心したそうに安堵していた。近くに高木社長もいるのか「良かった…」という声も聞こえてくる。
『とりあえずは事務所への報告は明日以降で大丈夫よ。他の皆も仕事やレッスンが終わり次第帰らせるわ。2人もそのまま直帰しちゃって』
「はい、分かりました響さんにもそう伝えます。小鳥さんも気を付けてくださいね」
『夜になったら復旧するそうだから、心配しないで。寄り道しないで早く帰るのよ?』
そのまま電話は切れ、朱里は携帯の通話ボタンを押すと響は横からどうだったと顔を寄せてくる。
「とりあえず小鳥さんからそのまま家に帰れ、とのことでした。事務所へは明日以降来てくれと」
「帰る? 自分は今日、歩きでここまで来れたからいいけど。朱里は大丈夫なのか?」
「電車止まっちゃいましたしね…まあ漫画喫茶やファミレスとか、時間潰せる所は多くありますから。電車直らなかったら、最悪陸路で家まで帰りますよ」
適当に時間を潰そうと思えばいくらでも潰せる。その手の時間の潰し方など朱里はぼっち時代に経験済みだ。店員には悪いが、喫茶店にてコーヒー一杯で路線復旧まで粘らせてもらう算段を朱里は考えていた。それに最終手段ではあるが、家から迎えに来てもらうという方法もある。積極的に取りたい手段ではないが…。
そんなプランを頭に浮かべていると、響はうーんと何かを考えた後、パチンと指を鳴らした。何かとても良いことを思いついたような、そんな顔だった。
「じゃあさ、朱里今から自分家に来ないか?」
「響さん家?」
「ああ、自分家少し歩くけど、この近くなんだ。喫茶店で時間潰すより全然快適だぞ?」
※
バラバラ…と雨粒がナイロンの布を叩く衝撃を感じる。
「朱里、大丈夫かー?」
「…次からは折り畳み傘をあまり信用しないようにします」
朱里が持ってきた折り畳み傘は強烈な雨ですっかりヘタレてしまい、頭の上から足元までびしょ濡れだ。
ズボンも靴下もずぶ濡れであり、傘を差しているのに上から雨滴が跳ねてくるわ足元からの飛沫が顔から上がってくるやら…。整えてきた髪は濡れそぼって、唇は血の気を失った薄紫色になってしまっている。ちゃんとした傘を持ってきていた響も幾分かマシだが、朱里と同じように濡れてしまっている。
「東京もこんなに雨が降るんだなぁ…あっ、あそこが自分家だぞ!」
寒さに震え、俯き加減で傘の柄を握りしめたままの朱里は響のその声に顔を上げ、指を指した建物を目を凝らしながら見つめる。現場から20分程歩いた所、都心から少し離れた閑静な場所に響が暮らすマンションがあった。
「随分、良い家に住んでいますね…」
「そうかな? まあ、家賃は少し高めだけど…」
傘を閉じ、身体から滴り落ちる雨滴で廊下を濡らしながら、朱里はあちこちをキョロキョロと見渡していた。
てっきり学生向けのワンルームマンションをイメージしていたのだが、想像していた住まいと違っていた。外から見た限りでも結構大きく、部屋のスペースも広そうであった。
玄関ホールは広いし、エレベータも複数ある。住んでいる住人も結構裕福そうな人が多そうだった。まあ、多くの動物と一緒に暮らしている響が住んでいるのはペット可のマンションだから…結構お高いのだろう。
学生故に多少の仕送りなどの補助金が出ていると考えても、一人暮らしする住まいとしては豪華な気がする。響が仕事で稼げているのか、それとも我那覇家が金銭的に余裕のある家系なのかは分からないが…。
「とにかく入ってさー」
「お、お邪魔します」
とにかく、このままでは風邪を引いてしまう。どしゃぶり姿の響は玄関の鍵を開けると、同じくずぶ濡れの朱里を招き入れる。他人の家に入るのなど本当に久しぶりの朱里は若干どもりつつもそれに従うことにした。
「玄関、びしょびしょになっちゃいますね」
「いいから気にしないで、ささっと上がっちゃって」
多くの動物の匂い…知らない匂いが漂う中、朱里は恐る恐る玄関へと足を踏み入れる。意外…と言えば失礼かもしれないが、中はきちんと掃除されている。一人暮らしの女というのはガサツだという勝手な偏見をもっていた朱里は少し面食らっていた。
「ワンっワン!」
「おっ、いぬ美ただいま!」
玄関が開いた音を聞いたのか、開けっ放しになっていたリビングから大型犬である響の飼い犬、いぬ美が飛び出して来た。バスタオルを2枚咥えており、それを無言でこちらへと差し出す。
「あはは、いぬ美ありがとな! ほら、朱里も受け取って!」
「ど、どうも…」
あっちに悪意はないとはいえ、大型犬が口にくわえたタオルを受け取るという行為はそれなりの度胸がいる。故郷村での一件以降、雪歩が犬嫌いという情報は事務所の皆に周知の事実となってはいたが、これじゃ人のことを笑えないな…と朱里は一人思う。
指先で慎重につまみながらタオルを受け取ると、ようやく身体を拭けた。
身体を拭いても拭いても水が滴り落ちてくる。梅雨のシーズン故に仕方ないとはいえ、仕事の帰りにこういうことをやられてしまうと気分がブルーになってしまう。幸いにも、ノート類などはカバンの中に入っていたおかげで、ずぶ濡れにはなっていないのだが。
すると、飛び出して来たいぬ美につられるようにゾロゾロと他の動物が玄関前へと集まってくる。
「みんなただいま! 今日は友達連れてきたぞ!」
「お、おじゃましてます…」
大型犬のいぬ美だけでなく、ハムスター、蛇、リス、オウム、兎、猫、豚、モモンガ、ワニ…計10匹が並ぶ光景に朱里は卒倒しかけた。ハムスターや猫、兎はまだ可愛いものだが、豚や蛇、終いにはワニに至ってはどうリアクションをとればいいのか分からない。思わず卒倒しかけるも、気力を振り絞り響に尋ねてみる。
「あの、響さん。豚とか蛇とかはギリギリでも…ワニとか飼っていて本当に大丈夫なんですか? 確かワニって日本で飼っちゃ駄目な動物じゃ…?」
朱里の頭の中に動物保護のための法律である、かの『ワシントン条約』を思わず思い出してしまうが、響はあっけらかんと笑う。
「分かってないなー朱里は。ワニはちゃんと役所に許可を貰えば大丈夫な動物なんだぞ!」
でも1回事務所にワニ子を連れていったら小鳥と社長にもの凄く怒られちゃってな、と笑う響であったが、それは全面的に小鳥さんと高木社長が正しいというか常識的な反応だと言わざるを得ない。
この現代且つ日本という国でワニと遭遇など、それこそ動物園かサファリパークでも行かなければ不可能。事務所に来たらいきなりワニとエンカウントなんて、気絶してもおかしくはない。
話を聞く限りはその日は外部からの人が来なかったらしいが、こんなものを余所に見られてしまったら大騒ぎになってしまうだろう。あんたの所の事務所は何を飼っているんだ!? と。
「あはは、皆でお出迎えは嬉しいんだけど、遊ぶのはもう少し待ってて!ハム蔵は暖房を付けて! へび香とシマ男はお風呂の準備! オウ助、うさ江、ねこ吉は洗濯の準備に、ワニ子とブタ太といぬ美とモモ次郎はタンスから着替えを持ってきて!」
テキパキと動物達に指示を出すと動物たちは響の言っていることを理解したのか、言われた通りの組み合わせでチームを組んで行動を始める。
…この人、本当にペットと会話できるんだ、と感心する。そして動物達も響の言っていることをきちんと理解できているのかと驚いた。例えアイドルが無理でも、響だったらこの動物達とサーカス団を開いていっても生活できるのではないだろうかとさえ思ってしまう。
「さ、朱里! 先に入ってて!」
「あ、でも私替えの服は持って…」
「後でちゃんと洗濯するからまかしといて! それまでは自分の服、貸すからさ!」
さあ早く入ったと、強引に服を脱がされてバスルームに押しやられる。湯気が立ち込める中、突っ立っているのもアレかなと思い、頭から熱いシャワーを浴び始める。
(やっぱり…この心地よさは何物にも変えられない…)
男だろうと女だろうが、寒さに震えた身体へと熱湯の雨が当たるのは気持ちが良いものだ。
数分程シャワーを浴び、曇った鏡を手で拭いて見るとさっきまで蒼白じみた顔色は、シャワーのおかげですっかり血色を取り戻し、肌の方も鳥肌が立ちまくっていたのが嘘のようにつやつやと輝いている。
―――髪、伸びてきたなぁ。
鏡を見ながらそう思う。しばらく見ない内に、あちこちが伸びてきていた。気のせいかもしれないが女であることを意識するようになってからか、髪の毛が伸びるスピードが心なしか速くなった気がする。
(…髪、伸ばしてみるとかアリかな? これを機に姉さんばりに伸ばしてみるとか…)
自分の髪の毛が美希やあずさ、貴音並みに長くなっている光景…毛先を弄りながらそんな妄想をしてみる。ロングヘアにそれ程憧れは抱いてはいないものの、765プロ内でも長髪のアイドルが多い為、『もし自分が長い髪の毛だったら…?』という想像はどうしてもしてしまう。
今でこそロン毛というものがあるが『髪を伸ばせるのは女性の特権』という先入観じみた古くさい考えが朱里の中にはあった。
自分が女なんて認めたくなかった以前では積極的に髪を伸ばそうなど考えておらず、伸びたら速攻でカットして貰っていたが、こうやって鏡を見てみれば伸びる髪の毛をすぐ切ってしまうのは何だかもったいないような気がしてしまうのだ。髪が長い方が女らしく見られるだろうし、演技とか仕事の幅が広がるのでは…? とも思ってしまう。
髪を切る前に、今度律子さんと相談してみるかな…とぼんやり考えていると、ガチャリとバスルームの扉が開け放たれた。
「!?」
「おっまたせさー、朱里!」
そこには湯気で大事な所は辛うじて見えていないが、あられもない素っ裸の響が立っていた。沖縄育ちは伊達ではないらしく、全身が健康的な小麦色の肌をしている。
「!! ひ、響さん、なんで裸!? というか一緒に入るつもりですか!?」
いきなりバスルームに入ってきたことにビックリして、思わず胸元を手で隠してしまう朱里。
「? 別に女同士なんだし、減るもんじゃないだろ?」
「い、いや心の準備ってものが…入るときはノック位してください!」
「あはは、ゴメンなー!」
いくら女の身であろうが、いきなり同僚の裸を視界に納めて動揺しないはずがない。しかも元男の朱里、勃つものが無いとはいえやはり多少の罪悪感はある。
「まーまー、裸の付き合いってことで! 背中、流してあげるからさー」
だきっと背中から抱き着かれ、むにゅりと背中に乳房が当たる感覚がする。身内以外のこの感覚に朱里の身体は固まってしまった。
「…!」
我那覇響、事務所のホームページにあった3サイズが正しければ、確か上から83/56/80だったはず。つまり、今朱里の背中には10代にしてはかなりサイズの大きめのものが当たっている訳で―――。
「ん? どーしたんだ朱里? のぼせちゃった?」
「い、いや…シャワーでのぼせはしませんし…とりあえず、離れて下さい…。響さんも濡れていたんだし、シャワー浴びないと風邪ひきますよ…?」
―――この瞬間だけ、自分が女であって良かったと心から思った。ありえない話だが、もしこれが男だったら、目も当てられない大惨事になっていたことだろう。特に下半身が…。
※
2人は体中に湯気を昇らせながら、リビングへと入った。シャワーのおかげで、すっかり身体の震えも治まっている。
「ドライヤー貸してくれてありがとうございます。それに服も…」
響から借りた青色のトレーナーとズボンを摘みながら、朱里は響にお礼を言う。
「あはは、別に気にしなくていいぞ。今、朱里の服は乾燥させているから待っていてくれさー。自分の部屋着だからサイズ合ってないかもだし、ちょっとカッコ悪いかもしれないけど我慢してて」
「大丈夫ですよ。服のサイズ、殆ど変わりませんし」
「やっぱり朱里って良い身体しているよなー」
2つ齢が離れているのに、殆ど服のサイズが同じだということに朱里は改めて驚き、響は関心したような声を出す。先ほどの風呂場でも、ジロジロと身体を見ていたしこのようなことはもう慣れっこなのだが…。
「何食べたらそんな身体になれるんだ? 自分、それが不思議でたまらないんだけど」
「それ皆に言われるんですよね…私にも分からないのに…」
一応、説明するとすれば…親からの遺伝なのだろうか? 朱里の両親は食べても食べても太らない体質であり、それが子供である朱里たち星井三姉妹にも受け継がれている。もしかしたら星井家の女は食った分は胸や尻に行くような特異な体質なのかもしれない。
「へー、そしたら将来はあずさや貴音を超えるかもな? まだ成長期終わっていないんだろ?」
「これ以上増えても困りますよ。ただでさえ今でも大きいのに」
「贅沢な悩みだなー。あ、温かい飲み物入れるから、適当に座ってて!」
「私も何か手伝い…」
「いいからいいから!」
強引に朱里を座布団の上に座らせると、響はキッチンへと引っ込んでしまった。
(座ってろって言ったって…)
朱里の足元には蛇がチョロチョロと床を這い、頭の上ではオウムとモモンガが空を舞い、前方ではワニと豚が一緒に昼寝をする。あちらこちらで動物が動き回る光景に朱里は心休まるどころかハラハラしていた。響がきちんとしつけているから、噛んだり引っかかれたりするなどいったことは起こらないのだろうが…。普段動物と触れ合うことが全くない朱里は戸惑いを隠せないままだった。
落ち着きはしないがとりあえず気晴らしにでも、と部屋の周りのインテリアを観察する。
(…家族とか動物との写真が多いな。後はミニコンポとか本とか…菜緒姉さんの部屋みたい。その他で多く場所を取っているのはペットの寝床とかか…)
一目見ただけだが、女の子らしいインテリアの中に多くの写真が混じっているという印象だった。
棚には写真立てが置かれ、壁にはコルクボードに張られた写真、本棚にはアルバムなど…響は家族や動物との時間をこまめに記録し、写真に収めているみたいだ。
壁のコルクボードにある写真は今よりも少し幼そうな様子の響と家族と思われる人物2人の写真ばかりがあった。1人は母親なのは間違いなさそうだが、もう一人は…お兄さんだろうか? 齢が少し離れた男性の写真もあった。
どの写真も皆が笑顔で映っており、明るく活発そうな我那覇家の様子が人目で伝わった。見ているこちらも思わず笑顔になってしまいそうだ。
少し気になったのは写真には響の父親らしき人物が映っていないことだ。ただ単に写真嫌いなのか、それとも写真に映れない事情があるのかは分からないが―――。
と、そんなことを考えていた時、テーブルの上に置いてあった朱里の携帯電話がブルブルと震えた。
また事務所からの連絡かな? と思い、手に取って―――、一瞬だがグッと顔が強張った。液晶画面には『母』と表記されていたのだ。恐らく、仕事場でニュースの速報を知り、朱里が心配で電話をかけてきたのだろう。
(響さんはまだキッチンにいる…よな?)
他人の家で自分の家族との電話をすることに戸惑いながらも…通話ボタンを押し、耳に携帯を押し当てた。
「もしもし?」
『朱里? 今ニュース見たけど大丈夫?』
向こう側からはいつもの母の声が聞こえてきた。
「うん、仕事は無事に終わったよ。今は事務所の先輩の家にいる。電車止まっちゃって、しばらく先輩の家に居ることになった」
『そう…帰ってこれそうなの?』
「分かんない。しばらくたったら復旧するみたいだけど。お…母さんこそ、大丈夫?」
『こっちは大丈夫よ。時間はかかりそうだけど家までなら帰れるわ。ご飯は外で食べてくの?』
「いや、私もご飯までには帰れると思う。電車さえ動けば、こっちのものだし。もう今日の分、作ってあるんでしょ? それに皆もいるんだし、私だけいないのは変でしょ」
『…無理して早く帰って来ることないのよ? ほら、先輩達とご飯食べて来てもいいんだから。明日は学校も休みでしょう? 先輩さんが良いと言っているのなら、泊まっていったっていいのよ?』
「…いや、帰るよ。あんまり人の家に長居する訳にもいかないし、よほどのことが無い限り晩ご飯は家で食べるっていつも言っているじゃん」
『そう…』
一瞬、数週間前の食卓での明子の顔が脳裏に浮かび、グッと携帯を握る力が強くなる。別に悪いことをしている訳でもないのに、あの悲しんでいる顔がフラッシュバックする。
「…電車、動きそうになったらメールするから。それじゃ、お母さんも気を付けてね」
電話を続けることが気まずくなって、早口気味にそう言うと、通話を切り、そして携帯をテーブルの上へと放り投げた。僅か1分にも満たない通話時間なのに関わらず、全力疾走をしたかのような脱力感を感じる。
「朱里、おまたせさー!」
と、丁度響がお盆を持って、リビングへと戻ってきた。お盆の上には熱々のお茶が入っている湯呑みが2つ、乗っている。朱里は何事も無かったかのように表情を戻した。
「朱里はコーヒーの方が良かったかな? でも、自分コーヒーなんて普段は飲まなくてこんなものしか出せないけど」
「あっいや、別に…お茶を出してくれるだけでも有り難いですから…」
テーブルに置かれた緑茶を朱里は啜る。雪歩が淹れてくれたお茶とは味が違ったが、これはこれで中々イケた。でも、何故か気分は晴れず、ずっと渋茶を啜っているような気持ちだった。
※
我那覇響にとって、父親という存在はよく分からない存在だった。響は父親のことを全くと言っていいほど覚えていないのだ。
それは響が生まれてからすぐに事故で死んでしまったせいであり、響の父親に対する記憶は、母と兄などの家族や父親の仕事仲間が語ってくれる言葉の中と、いつも見せてくれたアルバムの中の写真にしか存在していなかった。
父親が普通にいる家庭と母子家庭の我那覇家とではどこか違う。そんな気持ちがあったからなのか、響は幼い頃からやたらと動物を飼いたがった所があった。
学校の帰り道に捕まえた魚やザリガニ、拾ってきたカブトムシや蛇にヤモリ、祭りで捕まえた金魚や亀…何でもかんでも捕まえてはカゴや水槽に放り込んで家で飼っていた。おかげで今では動物が大好きになり、周りが驚くような生き物にもベタベタ触れる。台所によく現れる『黒くてカサカサしたG』の討伐にも臆することなく行える。
色んな動物を拾ってくる癖はアイドルを始めてからも変わらず、捨てられた犬や猫だけでなく、ペットショップで元気のない兎や蛇、挙句の果てには野良ワニまで放っておけなくて飼ってしまう始末だ。
幼い頃に父が死んでから、響はずっと母と兄の3人で暮らしてきた。響は家族のことをとても大事に思っている。
だから響は学校の同級生が自分の家族の陰口をおもしろおかしく語っている光景をみるたびに、不愉快な気分になる。
同級生から「響ちゃんってマザコンだね」と笑われたこともあるが、マザコンで当然だと響は思う。家族を大切にしない奴なんて碌なもんじゃないぞ、と感じることさえある。
それは幼い頃から母が夜遅くまで働いている光景を見て育ち、齢の離れた兄が高校を卒業した後、進学しないで働いている姿を見ていたからだろう。
苦労している身内を常に見ていたからか、響は外弁慶な子へと育っていた。
家の外では明るく調子に乗ったりして周りを賑やかしているくせに、家に帰って家族の前ではおとなしい子供を振る舞って演じている…今となっては外での自分が素だとは分かってはいる。だが、その当時としては子供というのは家族の前ではおとなしく、良い子でいなければならない、子供のままでいなければならないとそういう風に思っていた。家族の手にかかるような迷惑なことをしてはいけないのだという考えが響の中にはあった。
だから幼い頃より芽生えていた『アイドルをやりたい、東京に行きたい』という自分の想いを響は言えずにいた。自分のそんな行動が我那覇家全体に迷惑をかけてしまうのでは…? と思ったのだ。
でも、自分の中から湧き出てくる気持ちに嘘はつけず、怒られるのを覚悟でとうとう母と兄に相談した。「自分はアイドルをやりたい」と。
永遠とも思われる沈黙の後で―――2人は「心配するな」と豪快に笑って見せた。
兄は「俺はまだまだ働けるしお金のことなら大丈夫」だと言い、母は「必要だったらどこにだって頭を下げるし、あんたが心配するようなことは何もない」とぴしゃりと言ってのけたのだ。そして続けて、2人はこう言った。
―――あんたがアイドルに憧れていたのなんて、ずっと昔から知っていた、と。毎日、アイドルの真似をして、町はずれの海辺で歌を歌っていただろうと。
響は自分の秘密にしていた行動が筒抜けだったのに赤面したが、すぐに反論した。「でも、自分が出て行って迷惑にならないか?」「勝手なことをやって大丈夫か?」と。
「変に気を遣わせられる方がこっちとしては迷惑だ。やりたいことがあるんなら、それをやってくれ」
「で、でも…やっぱり、兄ぃ達にも迷惑かけちゃうだろ? お金とか…」
「だったら、お前の夢はここで駄目と言われて諦められるほどの夢なのか?」
「…それは、違う、けど」
「あんたはまだ若いんだから、今できることをやりたいように精一杯やりなさい。どんな結果になろうと、母さんと兄ぃは応援するから。ただ、勉強だけはきちんとするんだよ」
その言葉に押されるように響は上京し、765プロでアイドルとなった。
だから響は何事にも一生懸命だ。皆が見ていない間にも自分だけこっそりと練習だってする。ラジオやテレビなんかも見て、上手い人の喋り方や映り方も勉強している。素の自分を隠すことなく、毎日を全力で生きている。
家族から来る応援の手紙、写真なども響の大きな原動力となっている。応援してくれる家族が誇れるようなアイドルになりたい―――それが今の響の目標だ。
それに今は新しい家族、いぬ美達もいる。新しい家族が不自由なく暮らせるようにしっかりと稼げるアイドルにもなりたかった。動物達との全員集合の写真を母達に送ったら「あんたまた動物を拾ってきて…」と呆れた様子で電話をかけてきたのも記憶に新しい。
「親子」という関係は難しいものだと思うが、「家族」という関係はもっと複雑で物凄く面倒なものだと響は感じている。
「親子」は響と父の関係のように、自分の記憶がない存在でも「親子」という関係であることに変わりはない。たとえ死んでしまったとしても、戸籍上では父としてそこには存在している。言葉や写真の中だけの存在だとしても「親子」という関係が出来上がっている。
だが「家族」という関係は、「親子」の関係ほど単純な物じゃない。死別や離婚のような別れだって当然ある。それによって関係が変わったり、最悪の場合は崩れたり…一筋縄ではいかない。自分が気を許せて、無神経な関係でいられるような場所にほど、実は細心の神経を求めてしまう。
生活という土俵の中で時間をかけて互いに信頼を築き、時には傷つけ合いながらも相手を理解しなければならない。時にはそのぶつかり合いでその関係そのものが崩壊してしまう時だってある。でもそういうことがなければ分かり合えないこともあるのもまた事実だ。
響は動物達とよく話し、よく喧嘩する。ハム蔵やいぬ美と事務所で取っ組み合いの喧嘩をしたことさえもある。それを良しとしない人も当然いるが、響はこうでもしないと相手の本音なんか分かりっこないという自論があった。
分かる事と分かりあうことは違う、言いたいことは言わなければ分からない。そして細心の神経を使うような場所だからこそ、互いの良し悪し、腹の中など全部を知っておくべきだと思っているのだ。
「ジュイ」
「…ああハム蔵。ご飯はもうちょっと待っててさ。洗い物が終わったら直ぐに用意するから」
「ジュイ…」
「あはは、朱里にも事情があるんだろ? そんなに残念がっちゃ駄目だぞ?」
響はガチャガチャと中身が空になった湯呑みを洗剤で洗いながら、朱里のことを考えていた。リビングでの電話の内容も盗み聞きするつもりはなかったのだが、つい聞いてしまった。その内容から親と何かを話していたような様子だった。電車がどうとか、ご飯までには家に帰るとかどうとか…。
気付かないふりをしてお茶を飲みながら、他愛のないことを話すこと数時間、何とか停電が回復して電車の運航を再開してから朱里は飛び出す様に響の家を出ていった。「あまり長居する訳にもいきませんから」とだけ朱里は言うと、乾燥した服に着替えるとまだ風が吹きすさむ街中へと消えていった。
自分に対して気を遣っていたのもあるのだろうが、それ以上に響は朱里が電話時の態度がどこか引っかかっていた。無理してでも家に帰ろうとするようなあの態度に。無論、盗み聞きした会話だけで全部が分かる訳ではないのだが…。
(良い子でいればいいって訳でもない。変に気を遣った方が却って迷惑になる場合だってあるし…)
朱里の電話越しでの、不自然なまでに良い子でいようとしているような態度は―――昔の外弁慶だった自分を見ているような気がしたのだ。
朱里は周りに対して、必要以上に気を遣う所がある。事務所に入り立ての時なんかは特にそうだった。あの様子では家族に…特に親に対してはあのような態度なのだろう。
朱里は家族に対して気を遣っているのだろう。迷惑をかけないように、心配させないようにと。でも、逆の立場から見てみるとそういう変に気を遣われる方が逆に心配をかけさせる。
罵りあい、傷つけあって訣別した家庭状態というのは当たり前だが悲劇だ。だが必要以上に気を遣うせいでどこかぎこちなさを感じる家族というのも別の意味で悲しく、苦しいと思う。それが善意で行われていれば、余計に…。
「やっぱり、家族って難しいな…」
「ジュイ?」
そう呟いた響の独り言に、肩に乗っかっていたハム蔵は理解が及ばないとばかりに小首を傾げるのであった。
他人から見た朱里の、美希以外の家族への振る舞い。
765プロの中で『家族』に重きを置いてある響目線で描いてみました。
遠慮なく言い合ったり、動物と喧嘩する響にとって、必要以上に気を遣って、親に心配をかけさせないとしてしまう朱里の態度にはやはりぎこちなさを感じてしまうのでは…と思ってしまいます。
たぶん、過剰な気遣いや言葉がなくても理解しあえる関係こそが、ほんとうの家族というものなんでしょうから…。
次回は…誰がメインになるのかしら? 次回もお楽しみに!