THE IDOLM@STER  二つの星   作:IMBEL

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前回の感想でたくさんのメッセージと評価、ありがとうございます。

大人も眠る真夜中にガンガンキーボードを叩いて、あーでもないこーでもないと唸りながら執筆するのものも滅茶苦茶久しぶりな気がします。

ではどうぞ!


第30話 準備、それぞれの想い

生意気な子供の容赦ない洗礼を浴びながら765プロの面々は控え室として用意された空き教室へと入れた。数分後には顔を青くしていた雪歩の手を取った真も戻ってきたのだが…。

「豪華料理は」

「無理だったね」

昼ごはんとしてテーブルに並べられていたおにぎりや煮物をジト目で見つめる双子。

育ちざかりにとっていささか物足りないメニューで文句の一つも言いたくなる気持ちも分からんでもない。特に煮物は味が薄めで亜美は「5、60年後にベッドの上で食べるような優しい味ですな」、真美は「小っちゃい頃パパとママの仕事場で似た味のご飯を食べたのが懐かしいですぞ」と食レポじみた感想を漏らしている。

「はいはい、愚痴なんかこぼしている暇ないわよ。お昼ご飯食べ終わったのなら、さっさと会場の設営に入る!」

「「はーい…」」

「しょうがないじゃない、人手が足りないんだから。あんたたちはステージ前の椅子並べるだけなんだから、簡単でしょ?」

とぼとぼと歩く双子を急かす様に律子が「リハもあるんだから、さっさと動く!」と声を張り上げる。双子たちは納得がいかない様子であったが、「人員不足」と言われればぐうの音も出ない。小言を漏らしつつもステージが設営されている校庭目指してとぼとぼと歩きだす。

「春香さん、こういう事も仕事やってればあり得るんですか?」

「う、うーん流石の私も初めてかな…? アイドル時代の律子さんならあり得るかもしれないけど…」

朱里はおにぎりを頬張りながら「意外といける」と思いながら、隣の席に座る春香に耳打ちする。春香も苦笑しながら小鉢に盛られた煮物に口を付けていた。

逃げ出した雪歩を連れ戻し、控え室に入ってリハをやってから、メイクをして本番…という気持ちで完全にいた765プロの面々は、申し訳なさそうな顔をしたランニングの兄ちゃんから「会場設営やら準備を手伝ってくれ」と言われ、全員あんぐりと口を開けてしまった。

今、故郷村は上京やらなんやで若い人が少なく初老や老人が多いという典型的な逆ピラミッド状態で、会場の設営に携える人手が足りていないらしい。ステージの鉄骨など力仕事に人員を割くので精一杯で音響やら横断幕、今日出す料理の準備やらに手が回らないみたいだ。

流石にそんな事情があるのならば…ということもあるが、そもそもステージが完成しなければ仕事にならないのでやるしかないのだが。

程よい塩加減の鮭おにぎりを食べ終えた朱里は「ごちそうさま」と手を合わせ、設営の方へと向かおうと立ち上がるが、呑気に7つ目のおにぎりに手を伸ばそうとしていた美希に目が移った。

いくら好物のおにぎりが目の前にあるからといっても、いくらなんでも食べ過ぎだ。

「姉さんもそのくらいで食べるのを止めて。双子と一緒に椅子並べるんだろ?」

「…まだ美希、食べられるんだけどなぁ」

妹の言葉に腕を引っ込めると名残惜しそうに指についたご飯粒をくわえながら、美希は口を尖らせた。

「あんまり食べすぎると動けなくなるし、太るぞ? この前の身体測定で体重が増えたなんて言ってたくせに」

「う~、朱里のイジワル…」

「はいはい。さっさと食べたら、さっさと動く。律子さんも言ってたろ…じゃ、春香さん先に行っていますね」

美希に適当に釘を刺しつつ春香に挨拶をすると、朱里は自分に割り振られた「ステージで使う横断幕を倉庫から持ってくる」という作業へと移る。

確か体育館脇の倉庫に段ボールの中に入っているとは言ってはいたが…体育館はどちらへ向かえばよかったか…。

と、勢いよく廊下に出た途端、ギシッと足元から響く音にビクリと反応してしまう。踏むたびにギッギッと鳴る廊下についおっかなびっくりになってしまった。

「床板、踏み抜いたりしないように…」

朱里の通う学校は教室や体育館の床も木の床は使われているが、あれはあくまでもフローリングの板を張った張り物の床に過ぎず、下にはコンクリートで固めた土台がきちんとあった。

それに対しこれは紛れもない本物の板だ。ミゾがあって、恐ろしいことに踏むたびにぐいぐいと撓むところもある。

うっかり力を入れてバキッと廊下を踏み抜くことがないようにそろりそろりと歩き、ようやく外へ出る。

ふう、とため息を漏らしながら顔を上げると、一面に木々が生い茂る山が目に飛び込んできた。人と物とビルに溢れかえっていた東京では見られない珍しい光景に足を止めて見入ってしまう。

(凄い…都会には無い山や森がどこまでも広がっている、来る途中に川なんかも見えたし…)

定年後はこんな所に隠居するっていうのも悪くはないかもしれない。こういうゆっくりとした場所で迎える老後っていうのも中々―――。

思わず疲れたサラリーマン的な独り言を漏らしてしまったが、ギンギラに照らす太陽にしかめっ面になり、やっぱり涼める所が多い都会の方が良いかも、と前言撤回した。

いくら景色が良くても暑さだけはどうにもならない。クーラーなんて洒落た代物が木造建築の校舎に置かれている訳もなく、教室から廊下に至るまで窓も扉も開けっ放し。その光景が余計に暑さを体感させる。

(飯はちゃんと食べたけど、こまめに水も飲まないとこりゃ倒れかねないぞ)

じっとりと額に浮かび上がる汗をTシャツの肩口で拭いながらグラウンド脇をしばらく歩く。グラウンドで双子が学校行事などで使われるパイプ椅子を持ちながらせっせと並べていく光景を横目に砂利道を踏みしめること数分、意外にもあっけなく体育館脇の倉庫は見つけることができた。

鍵は既に開いており、開けられた南京錠が扉の前にぶら下がっていた。

朱里はギギギ…と錆びついた扉とレールが擦れる嫌な音に耳をふさぎたくなるのを我慢して、引き戸を開ける。立てつけが悪いのか、持ち上げるようにしないと上手く開かなかった。

「うわっ、凄い湿気…それに埃も…」

開けた扉から漏れてくる年季の入った埃と湿気の猛攻にケホッと咳き込んでしまう。しかも中はかなり薄暗く、電燈もない。

来る前に懐中電灯を借りてきた方が良かったかも、とちょっと後悔する。日光があるとはいえ、手探りで動き回るのは少々不安がある暗さだ。

手探りで探すことしばらくして、ようやく暗がりに目が慣れてきた頃、それらしいダンボールが数個、戸棚前に重ねて置いてあるのに気がついた。一番上の段ボールには横断幕を固定するのに使用するらしいロープも飛び出していた。

(お、見つけた見つけた。多分これだな)

よし、これをステージ前に持っていけばオッケーだ。後は作業が終わっていないグループの方へと合流することにしよう。

確かグラウンド脇を歩いていた時、音響準備組になっていた響の苦戦するような声が聞こえた気がした。何やらあっちは上手くいっていないようだし、そっちの方へ行けば問題ないだろう。

料理準備組はやよいやあずさ、春香といった比較的包丁を扱うのに長けた面子だ、心配はないだろうし…。何故かあのメンバーに包丁を触ったことのないような箱入り娘の伊織が組み込まれていたが。まあ、あの家事に長けた超人のやよいが目を光らせているのだ、指を切るなんてことは起こらないとは思うが…。

よいしょと、つま先立ちをして一番上の段ボールを持ち上げようと腕を伸ばす。上手く指を使って段ボールをたぐり寄せ、そのまま持とうとするが…。

(お、重い!?)

ズシッとくる重さに思わず面食らう朱里。

段ボール程度なら問題ない…と、男の頃の感覚で考えていたが、意外に中身は重い。

今の自分の筋力でロープが入ったダンボールを持つのは少々無茶だったのか足元がおぼつかない。あっちにヨロヨロ、こっちにフラフラとしている内に、別の戸棚に背中をぶつけてしまう。

「痛っ…」

背中に感じた鈍い痛みに思わず声が漏れてしまう。が、背中をぶつけた拍子で戸棚上の絶妙なバランス加減で置かれていた荷物がグラリと崩れる音がした。

さっと顔を青くしてやばい、という直感がした。すぐさま逃げようとしたが、持っている段ボールのせいで素早く動くことが出来ない。

そして無情にも戸棚から落ちた荷物は朱里の頭上へと落ち―――。

「うぇあああああああああああ!?」

頭にぶつかった衝撃、どたばたと動き回ったせいで舞い上がった大量の埃を吸い込んだ朱里の悲鳴が倉庫中に響き渡るのだった。

 

 

 

 

 

 

「…?」

「どうかしましたか如月千早?」

音響組の千早はどこからか聞こえた悲鳴に作業の手を思わず止めた。貴音はそんな千早を面妖な顔で見つめる。

「いえ…なんでもありません四条さん。機材の件ですが、職員室の方にマニュアルがあるそうです。それがあれば何とかなりそうです」

気にはなったが、何事も無かったかのような顔で再び手を動かす。どうせ、萩原さん辺りがまた男に近づかれたりして悲鳴をあげているのだろう。見慣れた光景に一々手を止めていたら進む作業も進まなくなる。

「そうですか」

貴音は何か千早に言いたげだったが、それだけを言うとまた作業へと戻った。

音響設備には多少の知識がある千早だったが、故郷村にあった機材は古すぎて自分の管轄外の領域だった。

どう配線を繋げばいいのかも分からず、思わぬ所でブレーキがかかってしまったがこれで何とかなりそうだ。

「我那覇さん、コードの方はどう?」

「うー、こんがらがってて中々解けないぞ!」

グルグル巻きになって置かれていた音響用のコードと格闘する響だったが、中々決着がつかないみたいだ。あちこちに絡まっているコードを引き千切らんばかりに引っ張っている。

恐らく前回使用した際にいい加減な方法で保管していたのだろう、そんな光景が千早には目に見えた。千早の胸にいい加減な仕事をした者への怒りがふつふつと込み上げてくる。

「焦らないで下さい我那覇さん。コードは予備も無いんです、無理矢理引っ張って断線してしまったら元も子もありません。音響無しでの今回の屋外ステージはいくらなんでも無謀すぎます」

「う…ごめん」

そう千早に言われた響はしょんぼりとしてしまい、千早はしまったという思いに駆られる。響に悪気があった訳じゃないのに、ついイライラをぶつけてしまった。

「響、私も手伝います。千早は職員室へ行ってまにゅあるの方を持ってきてくれませんか? ここは私が代わりますので」

「…わかりました」

場の空気を読んだのか、貴音が間にフォローへと入ってくれた。ここは響と付き合いが長い貴音に任せた方がいいと千早も判断し、そっと校庭を離れる。

(やっぱり、誰かといるのって…少し疲れるわ)

職員室へと向かう廊下の途中で立ち止まると、近くの壁に背中を預けながらため息をつく。

今回の仕事は疲れることが多い。体力的にも精神的にもだ。

ステージの準備もそうだが、今回のステージもソロでなくユニットを組む以上、必然的に誰かと絡むことも増える。基本的にソロでステージに上がることが多い千早はそれを余計に負担に感じる。自分のことだけでなく相手のことも考えなければならない。一人であれば自分のことだけ考えていればいいのに。

誰かと絡むと口下手な自分は無意識の内に誰かを傷つけてしまいがちだ。そう、さっきみたいに…。

さっき自分が作り上げてしまったぴりりとした空気。あの空気は千早がまだアイドルを始める前に何度も経験した空気と同じだった。

自分の気持ちが強すぎるが故に、周りが引いてしまう。学校でかつて所属していた合唱部での衝突がまさにそれだった。熱意がありすぎるが故に周りにあたってしまう自分。なあなあな気分でやっていた他の部員にイラつく日々。

ある日、一人が嫌そうな顔でこう言った。

『如月さん、あなた自分が女王様か何かだって勘違いしていない?』

それを機に始まったギクシャクした人間関係。結局そんな関係が修復されることもないまま、千早は合唱部へと顔を出さなくなった。事実上の退部といってもいいだろう。

いや、学校だけじゃない。それよりも前、自分が一人暮らしを始める前の家でも味わっている。

暗い廊下で蹲る自分、扉の向こうのリビングでは不仲の両親。話しているその内容は―――。

「千早ちゃん?」

「―――!?」

急に声をかけられ、意識が現実へと引っ張られる。

「千早ちゃん、どうしたの?」

目の前にいた春香は怪訝そうな顔で千早の顔を覗きこんでいた。そこで千早は自分がずっと廊下の隅っこで突っ立っていたこと、目の前の窓ガラスに映った自分の顔が凄く怖い顔をしていたのにようやく気がついた。

「なんでもないわ、春香。私は…」

「休憩に行くの? だったら、これ!」

どうやら春香は千早が休憩に行こうとしていると解釈したらしい。休憩じゃない、と言うよりも早く、春香が千早の手の上に何かを乗せた。視線を落とすと屋台などで使う透明のパックにおにぎりや漬物が入っていた。

「千早ちゃん、お昼も食べずに作業に入っちゃったでしょ? はい、これ!」

余ったお米で作ったんだ~と笑顔で話す春香。どうやら千早の分として用意されていたおにぎりは美希が全部食べてしまったらしく、春香がわざわざ千早の分を作ってくれたらしい。

「春香、私お腹は…」

「ダメだよ、ちゃんと食べなきゃ! 外も暑いんだし、倒れちゃうよ!?」

「ご飯ならちゃんと」

「ああいうのはご飯って言わないんです!」

ピシャリと言い放つ春香。ああいうの…というのは、所謂ブロックタイプの栄養食やゼリー飲料のことだろう。自分が持ってきて控え室の隅っこで食べていた姿を春香に見られていたらしい。

「とにかく! 休憩するのならちゃんと休んでね! 私、今から音響の方に手伝ってくるから、千早ちゃんの分も頑張ってくるから!」

私が作ったおにぎり、ちゃんと食べてねと言い残すと、春香はギシギシ鳴る廊下を駆けて校庭へと出ていった。

「………あ、職員室」

春香の勢いに押され、職員室に行くという用事をすっかり忘れていた。ちらりと視線を落とし、パックに入ったおにぎりを見ると、ぐうと腹の虫が自然に鳴り響いた。

元々小食な千早だったが、人間である以上当然だがお腹も空く。

春香にあれだけ言われた手前もあり、このまま食べないでいるのも気が引けた。何より空腹を感じた以上、夜まで何も食べないでいるのはリハーサルでのパフォーマンスにも響く、と千早は感じた。

(お腹には入れておきましょうか。捨てちゃうのももったいないし)

この際、空腹を満たせれば何でもよかった。ベリッとパックを開け、おもむろにおにぎりを掴む。

立ち食いはあまり行儀が良い行為ではなかったが、誰にも見られていないのだから問題ないか、と思い、おにぎりをかじった。

―――美味しい。

口に入れた米は程よく塩が効いており、具のおかかもしょっぱすぎず、ほんのり甘さを感じる。

噛みしめた米の甘みと塩分が程よくて、美味しくて、思わず顔が綻んでしまう。

基本自炊もしない千早にとって、市販されていない握られたおにぎりを食べるのは本当に久しぶりだった。海苔もまかれていない急ごしらえが見て取れたが、誰かの手で握られたおにぎりは心なしか、ほんのりと温かみを感じる。

「うん…美味しい…」

二口、三口とかじっていく内にあっという間に一つ平らげた千早はもう一個…と手を伸ばすが、一気に食べたせいか喉の渇きを感じていた。

(控え室には麦茶があったはず)

そういえば、控え室には運動部で使うような大型のボトルが机の上に置かれていたのを思い出す。

―――まずは戻って、椅子に座って味わいながら食べましょう。職員室には食べ終わってから行っても怒られはしないはず…。

そう思いながら、千早はギシギシと撓む廊下を歩きだした。

 

 

 

 

 

 

雪歩と真に割り当てられていた作業は屋台での準備だった。

雪歩が調理で使うボウルや皿などを並べ、力に自信がある真はランニングシャツの兄ちゃんに交じって屋台テントの骨組みなどを組み立てる設営に回っていた。

「―――よいしょっと…これで完成か。雪歩、一段落ついたから先に休憩入っていていいよ」

全部のテントの骨組みを組み終え、大きな伸びをした真は腕時計を見ながら雪歩に言った。

「え、でも…」

「おーい兄ちゃん、手が空いたんならこっちも運んで!」

「もう、兄ちゃんじゃないですよ!! …こっちももう一働きしたら行くから。雪歩、まだ一回も休憩に入っていないでしょ? 先行っていて大丈夫だよ」

ランニング兄ちゃん達から、そうからかわれた真は意味もなく笑うと、調理用に使うガスボンベを運ぶ為に設営テントを離れる。

ボンベを運ぶほどの力仕事が出来ない雪歩はポツンと取り残されてしまい、結局真の言葉に従って休憩に入るしかなかった。

―――また、やった。気を遣わせた。

じりじりと陽炎が揺らめき、雲一つない空がグラウンドを照らす中、雪歩はコンクリートに打ち付けられた蛇のようにノロノロと歩くしかできなかった。

プロデューサーと律子が気を遣ったのか、一緒に真と組んで作業に入らせてくれた。

真が間に入ってくれるおかげでランニング姿の男性に怯えることはなかったが、それは同時に雪歩に言いようのない罪悪感を与えていた。男性に交じって力仕事をしていた真の方が疲れているはずなのに、自分が先に休憩に入るだなんて。

思い出すのは故郷村についた直後の逃走劇。真が息を切らしながら逃げ出した自分を捕まえたこと。

着いて早々、皆に迷惑をかけた。

せっかく意気込み充分だったのに、また逃げ出した。アイドルをやっている限り、自分は誰かに迷惑をかけ続ける存在なんだ…とまた自己嫌悪に入ってしまっていた。

やっぱり自分はアイドルなんかやるべきじゃなかったのだ。誰かの足を引っ張ることしかできないちんちくりんな自分。もう高校生なのに、自分一人では何もできない。こんな自分は今日のステージでセンターに立つべきなんかじゃないのだ。

もう全てを投げ出して逃げ出したい―――そう思った瞬間だった。

「うぇあああああああああああ!?」

「!?!?」

ドサドサという何かが崩れる音に混じって聞こえる悲鳴。

ビクッと反応した雪歩は、悲鳴がすぐ近くから聞こえたことから、もしかしたら誰かが事故か何かに巻き込まれたのでは…と最悪の想像をしてしまう。

―――確か、こっち辺りから悲鳴が…。

そろりと歩きだし、握りつぶさんばかりの握力でポケットから携帯を取り出す。最悪の場合はすぐに救急車を呼べる準備をする。もし、男の人だったら…逃げ出さないように頑張らなければならないだろう。

確か悲鳴はこの向こうの体育館側から聞こえた気が…と曲り角を曲がった途端。

「あ、朱里ちゃん?」

雪歩は目を白黒させた。それもそのはず、体育館脇の倉庫の入り口近くで朱里が頭から布か何かを頭から被って、モゴモゴともがいていたのだから。

「えっほ、けほげっほ!」

「……朱里ちゃん朱里ちゃん!?」

一瞬、悪戯か何かしているのかと雪歩はフリーズしてしまったが、朱里はこういった悪ふざけを一切やらないタイプの人間だ。つまりは、本気で彼女は今困っている。

「大丈夫!?」と慌てて駆け寄り、頭に被された布を大急ぎで取っていく。

近づいてみてようやく分かったが、朱里の頭に被っていたのは祭りか何かで使用する法被だった。恐らく朱里は何かの拍子でこれを被るようなトラブルに見舞われてしまったのだろう。

「た、助かりました…けほっ」

「だ、大丈夫…?」

「死ぬかと思いましたよ。いきなり上から落ちてきたと思ったら頭にこれが被るんですから…」

「そ、それは」

自分の頭の上にいきなり物が被るなど、考えただけでも恐ろしい。

雪歩に救出され、埃で顔をメイクした朱里はポツリとそう漏らし、頭に被っていた法被をつまんだ。

埃のせいで顔色が悪く映り、自分に見舞われた災難に落ち込む朱里。それを見た雪歩は何だかいつも何かに落ち込んでいる自分を鏡で眺めているような、そんな場違いな感想を抱いてしまった。

自分以外の落ち込んだ人を見る機会などなく、そう思うとますます自分が情けなく思ってしまう。自分はいつもこんな顔をして他人を困らせていたんだ…と。

「…雪歩さん?」

暗い顔をしていた雪歩に朱里はすぐに感づいた。

「その、私…何か悲しませるようなことをしてしまいましたか? 確かに雪歩さんには今、迷惑をかけてしまいましたが…」

雪歩は違う、と無言で首を横に振った。

じゃあ、と朱里は「埃吸っちゃいましたか?」とか「皆が見ていない所でまた男性に触られちゃいましたか?」とあれこれ落ち込みそうな理由を聞いてくるが、どれも違うため雪歩は首を振る。

そんなやり取りを数度繰り返していく内に―――限界を迎えてしまったのか、雪歩は泣き出しそうな声で、目の前の朱里にこう言った。

「―――――私、嫌なんです。自分が嫌いなんです」

 

 

 

 

 

 

まるでダムが決壊したかのように、雪歩は朱里に自分の想いをぶつけた。

いつも自己嫌悪をしてしまう自分が嫌だ、男の人に近づかれるだけでビクビクしてしまう自分が嫌だ、誰かの後ろに隠れないとまともに設営も出来ない自分が嫌だ、強い皆と違う弱虫な自分が嫌なんだ…と。

ぽろぽろと涙が頬を伝いながら、雪歩は想いを吐露していた。泣き出してしまった最初は驚いていた朱里だったが、尋常ではない様子の雪歩に真剣な顔で聞いていた。雪歩が怯えたり、縮こまったりする光景はよく見るが彼女の思いを直接聞くのは初めてだったからだ。

「ひっく…」

「雪歩さん。その、顔、拭きましょうか」

朱里もどう言えば分からなかったが、涙で濡れる女の子をそのままには出来なかった。ジーンズのポケットからハンカチを取り出し、そっと目元を拭う。

「私が皆の足を引っ張ってばかりで。皆は私の事、臆病者とか、卑怯者とか……思っているんじゃないかって……皆が色んなことを出来るのに、私に出来ることなんて何もないんじゃないかって……そう思ったら……」

「雪歩さん…」

思いの丈を語った雪歩はそのまま無言になって俯いてしまった。

雪歩は優しい子だ。周りの事をよく見て気を回してくれる。でも、それが故に周りの空気にも敏感だ。だから、自分が失敗したことやブレーキをかけてしまうことに、必要以上に責任を感じてしまうのだろう。今までの行動から、なんとなくだが朱里には分かった。

「その…確かに雪歩さんに出来ないことは、私には出来るかもしれません。コーヒーを上手く淹れたり、男の人にも苦手意識はそれほどありませんし……私は、その…元…で、ああいや……」

「………?」

朱里は上手く自分が言いたいことを言葉に出来ず、ごにょごにょと口ごもってしまう。うっかり自分が元男でしたというとんでもないカミングアウトをやりかけてしまう程に。

ああ、ほら、雪歩にも怪訝な顔をされてしまっている。

こんな時、春香だったらきっと何か上手いことを言って立ち直ることができるだろうに。あの人はそういう懐に入れる人だから。

…でも、とたどたどしくも朱里は言葉を続けた。雪歩にこのことだけは伝えたかったから。

「逆に私に出来ないようなことが、雪歩さんは出来ます。美味しいお茶を入れたり、一歩引いた所で周りの事凄く見ていたり…。宣材写真の時も入って間もない私のこと、しっかり見てくれていたり、その…」

それが凄く、嬉しかったです。朱里は雪歩にそう言った。

同じであること、違うこと。どうしてもこの2点に人は目を留めてしまう。運動、勉学、要領の良さ、顔の優劣―――いくらでも他人と比較することはあるだろう。

だが、誰もが同じでいる必要があるのだろうか。誰もが同じになることを目指し、最終的に全ての人が等しく画一的になってしまったら、それはもの凄く気味の悪い世界の出来上がりだ。

誰かと違うのは当たり前、誰かと違っていたりしても良い。

真っ直ぐな奴、捻くれた奴、変わった奴―――それぞれがそれぞれにしか出来ないことがきっとあるはずだ。

雪歩が出来ない事を、朱里が出来るかもしれない。でも、朱里に出来ない事が、雪歩に出来ることだって絶対にあるはずだ。

例えば―――雪歩の自分のことを変えたいという強さ。そんな強さに朱里は尊敬していた。

朱里は女の自分のことをずっと認められなかった。みっともなくて、どうしようも無くて、認めたくなくて、ずっと逃げていた。見て見ぬふりをしていた。

朱里がずっと出来なかったことを、目の前で泣きじゃくっていた女の子の雪歩は出来ていた。見て見ぬふりなどせずに、それに立ち向かおうとしていた。逃げ出すことはあったが、また戻って立ち向かおうとする強さを持っている。

自分の個性は何なのかを真と雪歩に聞いたあの日、雪歩の強さを朱里は感じた。そして、その強さに自分は背中を押されて一歩を踏み出し、女である自分を少しずつ受け入れることが出来ている。

「それだけじゃありません。雪歩さんは私よりも多くの曲を歌えます。自分だけの持ち歌を持っています。『GO MY WAY!!』だって私より上手く踊れます。それって―――とても、凄い事です」

春香との自主練後も、朱里は対策を積んで、最終的にはようやく少しはマシな状態へと持ち込めた。

ただし、これはあくまでも『ユニットを組む前提でのマシな状態』ということであり、これが注目を浴びるセンターや一人しかいないソロステージでは通じないということは朱里自身もわかっていた。

大なり小なりの規模関係なく―――本番の舞台に立った経験が少なすぎる自分では、現段階では古株の春香や真、雪歩のパフォーマンスを超えることはどうしても不可能だからだ。

本番の空気、それに飲み込まれない強さや誰かに見られることへの慣れ―――入ってまだ数か月の朱里はまだ数回しか経験のないものだ。

今の朱里が喉から手が出る程欲しいものを雪歩は持っている―――それはとてもうらやましく、自分には出来ないことだった。

「ステージ中にもし男の人が飛び込んだ時は私が全力で助けます。それに私だけじゃありません。今日のステージには姉さんや春香さんに真さんもいます、一緒には歌わないけど響さんや貴音さんもあずささん、伊織にやよいに亜美真美、千早さんに律子さん、プロデューサー…皆がいます。きっと皆が全力で雪歩さんを支えます。でも、もしかしたら皆も怖がることや不慣れな事もあってミスをしてしまうかもしれません…」

大声で知らないって叫ばれたり、会場の設営とか皆、慣れない事で面食らってたりしてますしね、と冗談半分で笑った。

雪歩や他の皆だって人の子だ、そんなに変わらない。笑ったり、怒ったり、泣いたり、悩んだり、怯えたり、信じたり…そんな当たり前の感情があるだから。多分雪歩は優しい故に、怖いものが他の皆よりずっと怖く感じられる、ただそれだけのことなのだ。

朱里は無意識の内にそっと雪歩の手に自分の手を重ねた。雪歩の手は震えていて冷たかったが、それを包み込むようにして、触る。

「そんな時は…雪歩さんが私たちを助けてくれますか? 私のことを見ていてくれた時のように」

「………!」

その言葉に雪歩は反応して、朱里を見た。雪歩の目から涙はいつの間にか止まっていたが…何故か目だけでなく顔も赤くなっていた。

「………?」

朱里は視線を下に降ろし……自分の手が雪歩の手を触っていたことにようやく気がついた。

自分は何やってるんだ!? と我に返って、慌ててバッと手を離した。励ましながら手を触るなんて…一昔のメロドラマみたいな行動をとってしまった自分が恥ずかしくなる。

「ああいや、その…雪歩さんにも苦手なものがあるように、私たちにも苦手な事とか不安な事がいっぱいあるって、その、それが言いたくて! 何か、その…すみません…手まで握っちゃって!」

何言ってるんだろ私…と自分自身で呆れかえってしまった。やっぱり自分にはこういうのは似合わない、美希や春香や真だったら、きっともっと上手く出来るのだろうに。

雪歩は朱里のように慌てふためいたりはしなかったが、もじもじとしている。やっぱり同性とはいえ、手を触られるのは恥ずかしいものがあったのだろう。でも、握られた手は柔らかくて、温かくて―――。

「…ありがとう、朱里ちゃん」

慌てている朱里には聞こえなかったが、そう小さな声で言った雪歩の顔には―――少しだけれど笑顔が戻っていた。




はるちはの描写を加えてしまったら、1万文字を超えてしまいました。久々にこんなに文字を打ち込んだ気がします。それもこれもアニマス再視聴であれやこれやと妄想してしまう自分が悪いんですけどね…。

そしていつになったら、アニマス3話が終わるんだ!? まだAパートも終わっちゃいねぇのに…。書きたいことがいっぱいありすぎる…。

今回の話を書く為に5年ぶりくらいに過去の話を見返して…ちょっと恥ずかしくなったりならなかったり。結構書き方が知らない内に変わりまくっていますね、私…。

では、次回まで。ごきげんよう。

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