THE IDOLM@STER  二つの星   作:IMBEL

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全開の更新間隔が約1年半ちょっと。今回が1週間…ムラがあるってレベルじゃないですが、続きをどうぞ!
後、今回ちょっと下ネタ? が入っています。ご注意くださいませ。


第24話 藁の中の針

星井姉妹が初仕事を無事にやり遂げてから1週間弱。朱里の中でちゅうぶらりんに残されたままになっていたあれが帰って来ることとなった。

「よし、これからこの間のテストを返すぞ。出席番号順で呼ぶから取りに来るように」

そう、先日行った中間テストの結果である。今回の中間最初の教科である英語の答案返却となる為か、生徒の反応も両極端に分かれていた。

教師から答案用紙を受け取るたびにうげーとかうわーなど悲痛な声で叫んだり、何も言わずにそそくさと去っていく生徒。反対に余裕綽々な態度で答案を受け取って去っていく生徒やニタニタ笑いながら戻る生徒。

「星井」

「はい」

朱里の場合は後者であり、答案を受け取っても周りのように特に騒いだり怪しい態度をせずにそのまま席に戻る。席に座ると、机に答案を広げながら改めて結果を確認した。

(…まあ、英語は自信あったからこんなもんだろ。長文問題で一個ミスった所だけか…)

悪くない点数だと答案用紙を見ながら思う。答案用紙の右端には赤ペンで「98」の文字が燦然と輝いていた。それだけにケアレスミスで落とした一問が悔やまれるが…まあ、目標である『9割以上の点数』の目標を達成できたのだから良しとしよう。

(それに、亜美真美にも馬鹿にされずにすむしな。流石に90点以上取られたらぐうの音もでまい。あいつらの悔しがる顔が目に浮かぶな)

朱里はしてやったりな顔をして口元を緩ませる。あの双子にゴールデンウィークのパフェ事件でやられた借りをようやく返せると思うと大声で笑ってしまいそうになるが、変な注目を集めたくないのでにやけるだけにしておく。

『シンデレラガールズ』から始まり、間にテストを挟んでの初仕事…立て続けに起こった出来事にようやく一つのピリオドが打てたような気がする。その全てにおいて十分すぎるほどの結果を収め、全てが順調だったというのは自分でも少し怖くなるくらいだったが。

律子曰く、これらの結果は『きちんと努力をした見返り』らしいのだが…それ故に、この身体になる前に過ごしてきた怠惰な時間が惜しく感じる。どうにかなるなど楽観視していたあの時にもっと動いていれば、1周目ももっと違った人生になっていたのでは…。

(…違うだろ、私)

暗い考えを遮るようにぴしゃりと額を掌で叩いた。

今の自分は星井朱里だ、あの時の怠惰な自分ではない。女であり、男ではない。

他人には無い変わった過去の持ち主だけれど、今は女であり、駆け出しのアイドルだ。始めた経緯も変わっているし、周りにいるのも個性的な人たちばかりだけど、それが今の自分を形成している。

―――あの時とは少し違う世界だけど、私はここで頑張っている。結果もちゃんとついて来ている。それは間違いのない事実だ。

初仕事を終え、朱里の心境は少しだけ前向きになっていた。

自分を見てくれる人がいる、信じてくれる人がいる。それらがあるだけで、そしてそれを自分が理解していれば人間というものは前を向けるものなんだな、とも思った。

「…『to look for a needle in a haystack』。ここを直訳すると『藁の中で一本の針を探す』という意味になる。こういった長文読解は単語や文法を一つ知らないだけで難しくなるからな」

ふと教師の声に耳を傾けると、この一文を使った長文問題で自分がミスっていたことを思い出した。まずいまずいと慌てて机に放り投げてあったペンを掴み、答案用紙の端っこに正しい答えを書き込む。

「余談だが、この単語の意味は『不可能な企て』や『できそうにないことに挑戦する』という比喩にもなっている。今の君たちに言っても分からないかもしれないが、来年に控えている受験が近づくたびに嫌でも分かるようになるぞ」

嫌らしい顔で講釈垂れる英語教師の言い回しに、朱里はフフッと笑ってしまった。できそうにないことに挑戦…まさに自分が行おうとしていることに似ているなと思ってしまったからだ。

トップアイドルを目指すこともそうだが、姉の美希を超えようとするのは、まさに藁の中で針を探すに等しい難事だろう。

だがそれでもあのステージを見て、自分は挑もうと決心した。姉さんがビジュアルならば、自分は自信のあるボーカルを武器にして戦っていこう。今は通じないかもしれないけれど、いつかは通じさせてみせると。

朱里が初ステージを通して一番変わったこと―――それは超えるべき目標が出来たことだった。その目標がアイドルを始める前はなによりも苦手としていた美希だということはなんという運命の悪戯なのか。

(でも…)

だが、朱里の笑いはすぐに鎮火してしまった。英語教師の言葉で思い出したくもないことも思い出してしまったからだ。

(できそうにないこと…今日の仕事もまさに『不可能な企て』なんだよな。いくらなんで無茶すぎますよ律子さん…)

言葉にならない感情を込めながらペンを握り絞め、頭を抱える。朱里は初仕事を終えて事務所に戻った直後まで記憶を呼び起こしていた。

 

 

 

 

 

 

「ただいま戻りました!」

「お疲れ様です、律子さん! 美希ちゃんも朱里ちゃんもお疲れ様!!」

車で眠ったにもかかわらず疲れが取れない朱里と美希は律子に引っ張られる形でようやく事務所に戻ったのだが、そんな2人を迎えてくれたのは小鳥だった。いつものようにデスクで書類を纏めながら、労いの言葉をかけてくれる。

「お、お疲れ様です…」

「お疲れなの小鳥~」

だが朱里と美希の体力は限界に近く、小鳥の労いの言葉に対して短く答えるのが精一杯だった。ドッと押し寄せてくる疲れで疲労困憊な2人はふらふらとそのままソファへとダイブする。

「ず、随分とお疲れみたいね…?」

「…まあ、今日くらいは大目に見てあげて下さい。2人とも頑張っていましたから」

律子は苦笑しながら「今から社長と話してくるからゆっくり休んでなさい。風邪だけは引かないようにね?」とだけ言い残すと、そのまま社長室へと姿を消していった。

「朱里ー、毛布借りるねー?」

「うん」

ソファ脇にあった毛布を渡すと、美希はあっという間に包まってミノムシのように寝入った。ぴょこん、と毛布からはみ出ている髪の毛が尚のことミノムシを連想させる。

朱里は眠くはないもののシャワーでも浴びたい気分だった。じんわりと出てくる汗で下着の中が蒸れている気がする。汗だけでなく、全身にこびりついている疲れを一気にそぎ落としたかった。

「あれ? 2人帰っているのか?」

「あ、あかりっちとミキミキがいる!」

「お疲れ様!!」

すると朱里たちの声に気付いたのか、ぞろぞろと皆が集まってくる。ソファ周りに集結する面々に出所祝いか何かかよ、とぼんやりと思う。

「生きてるよね?」

「死んじゃやだよー」

「生きてるよ馬鹿野郎…」

寝ている美希と疲労困憊の朱里を見てしゃくりあげる真似をしてからかってくる亜美真美の頭を軽く小突こうとするが、腕を振りかぶるのもしんどいので2人にデコピンをかますだけにしておく。

「ず、随分疲れているね」

眠っている美希はともかく、普段は真面目な朱里のぐったりした様子に春香は目を白黒させていた。

「衣装で踊るのも初めてですし、何よりも場の空気が違いましたからね…ゴリゴリ体力持っていかれましたよ…」

「何となく分かる気がするわ~」

「初ステージはそうなるのがお決まりみたいなもんだからなー」

あずさと響は朱里が言いたいことが分かったのか、うんうんと頷いていた。

「でさ、やっぱりステージは大きかったの?」

「何歌ったの?」

「衣装はどのように?」

「あの新幹少女も出てたって聞いたよ?」

「ちょ、ちょっと待って下さい…一気には答えられません…」

皆があれこれ質問してくるのを朱里は慌てながらも今日起こった出来事を一つ一つ答えていく。皆の質問に朱里一人が返答をするやり取りを幾度も繰り返した時、ふと、デスクの方を見てみるとプロデューサーの姿がないことに気付いた。

「…あれ? プロデューサーは…」

「? 兄ちゃんなら今出かけているよ?」

「外回り? に行っているって小鳥さんが言っていましたー」

朱里の独り言が聞こえたのか、真美とやよいがそう言ってくれた。朱里は短く何とも無いように「そう…」とだけ答えた。

(プロデューサーはまだ帰っていない…のか…)

なんともタイミングが悪い。仕事が終わっているころには帰っていると思っていたのだが。

あの人には色々言いたいことがあったんだけど。

朱里は少し寂しそうな顔をしていると、伊織と亜美が面白いものを見つけたような顔つきで

「何? あんたあいつが気になるの?」

「んふふ~、あかりっちは兄ちゃんのことが気になるようですなぁ~」

と茶化すような声を上げる。伊織はともかく、亜美の顔つきは完全におっさんのそれであり、とても自分と同年代が出す表情とは思えなかった。

「あのなぁ、そういう事じゃなくて…」

「あ、あのね朱里ちゃん…アイドルと男の人のそういった関係は…」

「雪歩さん、それは違いますから」

何か変な想像をして顔を真っ赤にしている雪歩を朱里は断固として否定する。

全く、どうしてそっちの方向に行ってしまうのかな? と朱里は女性の難しさを改めて感じる。自分が抱いていたのは色恋とかそういう感情じゃなかったんだけど…やっぱり女だから、そういう風に見られてしまうのかな?

「プロデューサーはオーディションの時も一緒で、受かった時も一緒に喜んでくれたから…今日のこともしっかり自分で報告しておきたかったってだけだよ。『シンデレラガールズ』でもあの人がついてくれたおかげでコンディションを維持できたから、今日の初ステージのこともしっかり伝えたくて」

「…あかりっち、真面目だね」

「なんかつまんないわね」

「だから言ったろ? 恋だのそういう事じゃないって…」

この話題に関して一段落ついた辺りで、肝心なことが聞きたいとばかりに千早が身を乗り出してきた。

「それで、仕事の方はどうだったの? 上手くいったの?」

「!」

その言葉に反応するかのように毛布からはみ出ている金髪がぴくんと跳ねたが、朱里は気づかないまま「ええ、まあ…」と答えようとしたのだが…。

「よく聞いてくれたの千早さん!」

「うわぁ!?」

いきなり大声を出しながら毛布から飛び出てきた美希にこの場にいた全員が驚いた。寝たり起きたりと忙しい姉だ…と思いつつも、朱里はこれがうちの姉だからなぁ…と笑った。

「美希も朱里もとーってもキラキラできててね! 朱里もすっごく歌が上手くて…ああ、皆にも見せてあげたかったの!」

「ええっ! そんなにすごかったの!?」

「姉さん、そんなに大声で言わなくていいから…」

「それでね。本番前、朱里はとっても緊張してたんだけど美希がギュッと…」

「! それ以上は喋らなくてもいいよ!!」

「抱き―――むぐっ!?」

朱里は美希の口を慌てて手で塞いだ。ステージでの感想はしょうがないとしてもこのままの調子では舞台裏でのやり取りまで暴露されそうだったからだ。あれは流石にばれたら洒落にならないどころか、特殊な性癖の持ち主と誤解されかねない。

「と、とにかく! 私も美希も失敗らしい失敗はしませんでした! 律子さんも褒めてくれましたし!」と引きつった笑顔でそう言うと、口を塞いだままの美希を引きづって給湯室まで連れていく。もう疲れがどうだの言ってられない状況だった。

「美希、あのことは絶対に皆の前では言わないで」

「えー?」

美希の抱きつきは善意100%で行ってくれたのは十分わかるのだが、あの場で言ってはいけないことくらい何故この姉は察してくれないのだろうか。日本であのやり取りはアウト過ぎるだろうし。しかもそれが姉妹同士で行われたというのが尚更まずさに拍車をかけていた。

「いいから!」

「???」

美希は最後までよく分かっていないような顔をしていたが、朱里の鬼気迫る様子に渋々納得してくれた。

「ど、どうしたのよあんた達…」

「ああ、うん、まあ、ちょっとね」

給湯室に引っ込んだと思ったらすぐに出てきた2人を皆は怪訝そうにしていたが、触れてくれるなというオーラ全開な朱里の様子を察してくれたのか誰もそれ以上追及することはなかった。

…その後は、皆で春香が家で作ってきてくれた自家製のケーキを食べ、雪歩の『とっておき』と称している茶葉で淹れた緑茶を飲んだ。その流れで皆のデビュー時や現在の仕事内容などの話題に移っていく。

「千早さんは最近色んな仕事やるようになりましたよね!」

「…ええ高槻さん、そうね。歌の仕事がないのもあるけど、色々やってみようって…」

「伊織は最近雑誌のモデルやったって聞いたよ?」

「まあ、私が表紙じゃないっていうのは不本意だけど…隅っこでも乗るっていうのは気分がいいわよね」

「いいなぁ!僕も早くフリフリのドレスを着て、可愛いポーズをとってみたいなぁ!」

「が、頑張ってね真ちゃん…」

皆の話を聞きながらも、朱里はケーキを口に運んだ。ケーキの甘さが身体全体に染み渡るのを感じつつ、その様子を観察する。

やっぱりここは不思議な事務所だ。改めてそう思う。居心地がいいというか、呼吸がしやすいというのか。芸能事務所というのはもっと上下関係に厳しく、体育会系にガチガチな規律があるものだと勝手な偏見を持っていたが故に当初は色々とショックを受けたものだ。

765プロには生まれた年の違いや入ってきた年月など気にするものは誰もいない。お互いに言いたいことを言い合っている、それぞれの夢に向かって頑張っている。

…本当に良い人達だ。この皆で売れたいと切実に思う。自分だけでなく、この765プロ全員で大きなステージに立ちたい…。

「姉さん」

「ん?」

隣に座っている美希はケーキを食べ終え、フーフーと冷ましながらお茶をすすっていた。

美希はまだまだ上に行けるはずだ。でも自分もそれに負けてはいられない。美希にも簡単にアイドルの夢を諦めて欲しくない。だから…。

「明日から、頑張ろうね。皆に追いつけるようにさ」

「うん!」

美希はニコリと微笑んだ。朱里も同じように微笑み返し、目の前にあるカップを掴もうと手を伸ばす。

律子が社長室から出てきておもむろに口を開いたのは、そのときだった。

「朱里、ちょっと聞いてくれる? 大切な話があるの」

「?」

そんな切り出しから始まったものだから、朱里だけでなく話していた面々も何事だと注目する。自然と朱里を中心に円が築かれた。一体なにを言い出すのかと、朱里も少々心配になりながらカップから手を放す。

「早速で悪いんだけど…次の仕事の話をしたいの」

「次の…ですか?」

確かに早い話だ。今日の興奮がまだ冷め切っていないのに、もう次の仕事…。

「朱里は346プロダクションって知っている?」

「ミ、ミシロ…?」

「あ! 映画とか作っている!」

「古い事務所だということは存じております」

「有名なアイドルもいっぱい所属している事務所ですよね?」

全然わからずに小首を傾げたが、周りの様子から相当大手の事務所のようだ。朱里は一周目の世界に存在していた『ジャ』から始まる超有名事務所みたいなものなのかな、と想像を膨らませる。

「そう、ここ数年アイドル事業に力を入れている大手事務所よ。男女問わず、アイドル業界全体の活性化の為に色々な企画を手掛けていることでも有名ね」

「…えっと…?」

「朱里が受けた『シンデレラガールズ』もその一つ。あれも主催しているのは346プロなの」

「はあ…」

その346というのはウチなんかとは比べ物にならない程のデカい事務所だということは理解できるのだが、その大手事務所と次の仕事に何の関係があるのだろう?

「…もしかして、次の仕事は346プロが主催するイベントのステージで歌うってことですか?」

「惜しい。そういうことじゃないわ」

「じゃあなんの…?」

律子が首を振るのを見て、ますます分からなくなる。用心深く先を促した。

「…346プロが主催するTV番組があってね。単発物の企画で時間も短いんだけれど、新人アイドルを出すっていうコーナーがあるの」

「…………」

「大部分は346側のアイドルが出るんだけど、他事務所からの枠も少数あってね。その枠の一つが…ウチに回ってきたわ。先方さんが先日の『シンデレラガールズ』で勝ち上がった子を気に入ったらしくてね」

「「「まさか……」」」

伊織など察しの良い何名かは気付いた様子で朱里を見る。朱里も次に出てくる言葉が予想できてしまった為、息を呑む。

律子は朱里の顔を見ながら、悠然と述べた。

「朱里、あなたの次の仕事は…テレビ出演よ!」

―――その瞬間、事務所中に絶叫と混乱が渦巻いた。無論、朱里も割れんばかりのボイスで叫んだ一人だ。

 

 

 

 

 

 

「…二回目の仕事がテレビ出演なんて……」

「ま、まあ良かったじゃないか。良い経験になるし、ライブより注目が…」

「でもいきなり過ぎません? 仕事終わったその日に言わなくても」

「ま、まあ、律子も初ステージで余計なプレッシャーを与えたくなかったから喋らなかったって言ってたし」

「それは分かりますけど…」

収録日当日。ブツブツと呟きながら、制服姿の朱里はお腹を押さえながら助手席に鎮座していた。運転するプロデューサーはそんな朱里を説得しながら車のハンドルを切る。

(過去の出演者を見ると、結構有名な人たちも出ている番組らしいし…)

あの後すぐに調べてみた所、オッドアイなアイドルだのJKカリスマギャルだのテレビに疎い朱里でも顔くらいは知っている有名アイドルも出演していた。美希は昨日『もしかしたら有名な人に会えるかもね』なんてことを言ってたが、ミーハーな気分を抱く余裕はなかった。

制作局の関係上、関東圏内でしか番組は放送されないとはいえ、自分の姿が公共の電波に乗るということにプレッシャーを感じることは当たり前だろう。放送する時間はゴールデンタイムを逃しているとはいえ、深夜前の放送枠が故にそれなりに見る人も多そうだし。

星井家でも「朱里の出演記念!」と放送日に番組を録画する気満々だったし、小鳥さんなんかは事務所だけでなく、自宅でも録画する準備をしているという万全ぶりだ。

(アイドルだから、いつかはテレビに出るっていうのは覚悟していたけど…)

早すぎる、と思う。まだ765プロ内でも古参の春香など一部のアイドルくらいしかテレビ出演はしていないのだ。

一番遅く入った自分が偶々受けたオーディションが大手主催で、それに勝ち上がったおかげでこの仕事を掴み取ってしまった。

(上に進めるスピードやチャンスは平等じゃない…。何にでも言える、当たり前の話だけど…)

改めて突き付けられると凄く残酷で理不尽だ。頬に手を当てながら朱里はそう思った。

オーディションだけじゃない。就活やバイト、そこら辺の学校や会社で果てしなく繰り返されている事と同じだ。違うのはその規模だけ。大なり小なり…誰かを負かして、踏み越えなければならない状況は飽きる程転がっている。そして芸能界はそんなことは日常茶飯事に行われている。

(…だからこそ、しっかりやりきらない、とな)

私はそういう世界で生きようとしているのだ。だからこそ、任された以上、中途半端にしたくない。

ギュッと頬に置かれた指の力が強まっていく。強まるたびに頬に指の置いた跡が刻まれ、まるで化粧をしたかのように赤く染まっていく。

「…朱里、その…大丈夫か?」

「―――大丈夫です。こうなったら腹を括ります。」

プロデューサーの心配そうな声に反応し、グッと朱里の顔が覚悟を決めたような表情へと変わる。

「それに…」

「それに?」

「『シンデレラガールズ』の時と同じで、あなたがいますしね。初ステージでは危うかったですけど…皆のおかげでやり切れました。だから今度もやりますし、きっとやれます。上に行くために、次につなげるために…」

そして何よりも、美希を超える為にも――。

「だから大丈夫ですよ、プロデューサー」

朱里は唇をほころばせ、眉を困ったように寄せながら笑った。指の跡のせいで赤く染まった頬で微笑む朱里の姿は美しく……そして可愛かった。

「…あ、ああ」

「?」

プロデューサーの顔が何故か赤くなっていることを朱里は不審に思いながらも車はテレビ局の駐車場へと停まる。何だか変な空気の中、2人は車を降り、局の中へと入った。

「じゃあ、受付してくるから、しばらく待っていてくれ」

「分かりました」

プロデューサーが離れ、ほっと一息つきながら周りを行き来する人たちを眺めていると…朱里は不意に下腹部に違和感を感じた。生理とは違うが、腹の中で水が溜まっていくあの特有の感覚…。

(う、トイレに行きたい…)

―――そうだ、これは尿意だ。緊張感と熱意の中ですっかり自分がトイレに行っていないのを忘れてしまっていた。

(我慢するにも…これはちょっと無理があるな…)

溢れんばかりに増えていく尿意を朱里は抑える自信がなかった。いっそ出しちゃった方が気が楽になる。

ちらっとプロデューサーを見てみると、受付の方はまだしばらく時間はかかりそうだった。ちょっとトイレに行くくらいの余裕はありそうだ。

(…すぐ帰ってくれば、大丈夫か)

そう思いながら朱里はそっとその場を離れ、来る途中にあったトイレへと急いだ。

いくら女性に生まれ変わったとはいえ、朱里も生きている以上、生理現象には逆らえない。

特にそれを痛感するのは日々のトイレだ。もういい加減に慣れはしたのだが、男時代の経験がある分、女のトイレは手間暇がかかるよなぁと感じてしまう。

男なんてズボンのチャックを開けて、溜まっているのを出した後2、3回振って、出したものしまっちゃえば終わりなんだから。女の何を出すにも大の方に入って、下着を下げて、何をするにもトイレットペーパーを使わなきゃいけないのはどうにかならないのか。

(どうにか、女でも立っておしっこできないものかなぁ…)

そんなどうでもいいことを考えながらトイレの前まで辿りつき、駆け込むようにドアを開けるが、ここで朱里は重大なミスを犯してしまった。

一つはどうでもいいことを考えてしまった為にトイレの表記をしっかりと見なかった事。もう一つは元男であるが故に無意識の内に男子トイレの扉を開けてしまった事。

この二つのミスが導き出す結論は―――。

「うおお!? 何入って来てるんだてめぇ!?」

男子トイレに女子が介入するという、珍事であった。

「あ…」

丁度小便器に構えて出す体勢を取っていた男子と思いっきり目が合ってしまい、朱里はやってしまったと後悔しながらその場に立ち尽くしていた。




朱里は普段は真面目ですが、男時代の癖が完全には抜けておらず、時々こんな奇行を起こしてしまいます。そのことで皆は「天然」であると認識しており、同時にそういう所が美希と似ているなぁ…と思っていたりします。

次回、デレマスのキャラも出来れば出したいんだけれど…出せるかなぁ?

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