THE IDOLM@STER  二つの星   作:IMBEL

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第16話 月下の贈り物

朱里と美希がオーディションに出場することが決まり、レッスンもオーディション対策用の物へと変わっていった。

オーディション本番で使用する曲のそれの振り付けなど覚えることは山ほどあり、今まで以上に忙しい日々を過ごしていた。流石の朱里も肉体的にも精神的にも疲労を感じ始めていた。そして、その疲労と共に襲い掛かってくるプレッシャーもまた、朱里を悩ませていた。

オーディションは何がどうあってもやり直しがきかない一発勝負だ。「これだけやったのに、当日上手くいかなくて、失敗したらどうしよう」というプレッシャーが、朱里の心と体を無駄に重くしていく。律子は「肩の力を抜け」と言ったが、何しろ初めてのオーディションなのだ、緊張するなという方が無理な話だ。

この間もその無駄な疲労のせいで、学校の授業で一時間丸々、睡眠に費やしてしまい、隣の席の名瀬に怪訝な顔をされてしまった。…眠っていた理由は適当に誤魔化したが、名瀬はどうも納得してなさそうだったが、余計な心配をかけたくなかったのでそれで通すことにした。

更に朱里以上に酷いのは美希だ。オーディションまでたった一週間しかないので、1分1秒も時間を無駄に出来ない。いくら才能があるからといっても、オーディションまで1週間という急行スケジュールは流石にこたえるらしい。レッスンが終わったら疲労困憊であることも珍しくなく、帰路につくときも夢遊病状態で8割方寝ながら歩いていることもあった。危なっかしい事この上ないので、朱里は帰る時は絶対に一緒にいたし、美希から目を離さないようにしていた。

「朱里、調子の方はどうなの?」

ある日、美希と朱里はそんなことを話しながら帰路についていた。ここ最近はレッスンが一緒のことがなかったし、家でもあまり会話がなかったから、久々の互いの現状確認ということなのだろう。

「…ぼちぼち、かな? 今は細かい所を直しているけれど。…姉さんの方はどうなの?」

「美希はね、早く踊りたいって感じかな! 早くキラキラしたいの!!」

ある日、そんなことを話しながら美希と朱里は帰路についていた。

(姉さんのほうの仕上がりは順調…なのか)

美希はもう準備万端と言わんばかりに体調も精神も最高潮の状態で、しっかりと自分をコントロールできていた。晴れ晴れとした顔と自信満々な態度からそれが物語っている。

その事実が余計に朱里を焦らせてしまう。美希は自分より準備期間が短いのにも関わらず、最高潮の状態でいるのに、自分はまだまだの状態。

(…こんなんで、本当に受かるのか?)

朱里はリラックスしている美希とは対象に言い知れぬ不安に駆られていた。このままでいいのか、と。

…そんな朱里の様子に残念ながら気づく人は誰もいなかった。恐らく、朱里本人でさえも。

 

 

 

 

 

 

そんなこんなであっという間に数日が過ぎ『シンデレラガールズ』本番まで残り10日を切った。美希も『ルーキーズ』本番を2日後に控え、最後の調整に入っていった。

「もう10日を切ってしまった」か「まだ10日近くもある」と捉えるかは人それぞれだろうが、朱里の場合は前者を捉えていた。

(しっかりと出来ているはずなのに、何で…)

朱里がオーディションで使用する曲『READY!!』の大まかな部分は出来ていた。ダンスの方も最後まで踊りきれるし、歌の方も歌詞を完璧に覚えて、しっかりと歌えている。…が、朱里の現在の状況は芳しくない。

何故なら、直すべき細かい問題点が多く、それを見つけては修正を繰り返している状態だからだ。しかも、その問題点のほとんどが苦手なビジュアル関係であり、それが余計に焦りを募らせる。

「顔が曇っているわ! もっと笑顔を自然に!」

トレーナーの声が部屋中に響く。

(…分かっているよ、何回も言わなくても)

トレーナーの指摘に、思わず心の中で愚痴る。もう何回目か数えるのも忘れてしまったほどの同じ指摘だ。その指摘が朱里の余裕と思考を鈍らせていく。

「あっ…!」

しまった、と思った時にはもう遅かった。朱里は自分で自分の足を引っかけてしまい、派手に転んでしまった。ビジュアル部分を意識するあまり、ダンスステップが疎かになってしまったのだ。

(…くそ)

朱里は悔しげに顔を歪ませる。笑顔でいようとすればするほど他の部分が疎かになってしまう。どうしても上手く踊れる美希の姿が脳裏にちらついてしまう。

「…朱里ちゃん、今日はここまでにしましょう」

「…大丈夫です。まだいけますよ」

朱里は少しムッとした。まだ自分は動けるのに、どうして切り上げるんだろう。不思議で仕方なかった。

「もう2時間もレッスンしているのよ? これ以上の練習は認めません」

「…けど」

トレーナーは朱里に反論の余地も与えなかった。

「けどじゃありません。これは命令です。まだ本番まで1週間ちょっとあるんだから、焦りは禁物です。ここで無理して、体調を崩したら元も子もないわ。直す所はゆっくり直していきましょう」

…結局、朱里は折れた。あれから少し粘ってみたが、トレーナーの態度が目に見えて冷たくなったので、退散せざるを得なかったのだ。

 

 

 

 

 

 

さて、あれから朱里は大人しくトレーナーの言うことを聞いただろうか?…答えは否だ。

朱里はレッスンが終わって、事務所に報告しに行った後、近くの公園でこっそり自主練をすることにした。無茶をするなというトレーナーの命令を無視してしまったことに多少の罪悪感があったが、それでも練習することを止めることが出来なかった。もっと悪い状況に陥ってしまいそうで、怖かった。

朱里は不安で不安で仕方なかった。1周目で散々行った就活とはまた違った怖さと緊張感がそこにはあった。

朱里は勉強などの分野はまだ自信があった。何故なら自分が1周目で培った経験があるからだ。所謂「強くてニューゲーム」という状態である為、中学に至るまでほとんど勉強しなくてもテストで高得点はキープできていたし、仮に勉強するにしたって周りの子たちよりも遥かに少ない量だった。その他にも、箸の持ち方や自転車の乗り方など周りが苦労するであろう出来事も一切の苦労もなくできた。大した努力をしなくても、「なんとなく」で今まで過ごせていた。それは周りの子たちよりも長く生きていることによる「経験」と「一度出来ているから」という自信が働いていた結果である。

…でも、今回のオーディションは違う。勉強とも就活とも違う、自分が今まで全く経験のしたことのない分野に初めて飛び込むのだ。最初は「楽しい」と思えたそれも、先日、ふと感じた美希との実力の差がこの数日間の間に「本当に大丈夫なのか?」という疑惑へと変わっていった。

そして一度そんなことを思ってしまったら、芋蔓式に、次々と不安が押し寄せてくる。本当に1カ月くらいのレッスンで周りに通用する実力があるのか、本番で失敗するのではないか、そもそも男であった自分にアイドルなんて務まるのか…。

(…それがたまらなく怖いんだよ)

そんな不安を振り払うように朱里はがむしゃらに練習に打ち込んだ。身に降りかかるプレッシャーを克服する方法を、朱里はそれ以外に知らなかった。

 

 

 

 

 

 

それからどれくらい動いていたのだろうか。ふと気がつくと辺りがとっぷりと日が暮れていることに気がついた。空には小さな星々と綺麗な月が姿を現しており、すっかり遅い時間になったのだということを教えてくれる。

(…暗いな。今、何時くらいだ?)

朱里はジャージの裾で額の汗を拭い、バックに閉まってある携帯で時刻を確認しようと、のろのろと歩き出したその時だった。

「星井朱里?」

不意にかけられた声に、朱里は思わずびくっとした。喉元まで出かけた声を何とか呑み込み、朱里はゆっくりと顔を上げて、声が聞こえた方向へと顔を動かす。

数メートル離れた公園の入り口で、貴音の姿があった。

「あ…貴音さん。お疲れ様です」

朱里は頭を下げて、挨拶を交わした。…いったい彼女は何時の間にそこにいたんだろう?全然気づかなかった。

「…申し訳ありません。覗くつもりはなかったのですが」

そう言うと貴音は申し訳なさそうな顔をした。…どうやら貴音は朱里の自主練を覗いてしまったことを気にしているらしい。

「…大丈夫ですよ」

朱里は短くそう答え、近くのベンチに腰掛けた。貴音も朱里が座る姿を見て、隣に腰掛ける。

「…今までずっと鍛錬をしていたのですか?」

鍛錬という単語を日常生活で初めて聞いた気がするな、とぼんやり思いながら、朱里は「ええ」と答えた。貴音と話していると、なんだかこっちまで堅苦しい喋り方になってしまいそうだ。

「…ちょっと不安な所があったので」

…本当はちょっとどころの不安じゃないんだけどな。心の中でそう呟いた。

「ふふ、あなたは本当に練習熱心ですね。でも無茶だけはしないでくださいね。おーでぃしょんまでまだ時間があるのですから」

そう言うと貴音は笑った。…オーディションって言い方が片言だったな、横文字苦手なのかこの人?

「…私が言いたいことはそれだけです」

…貴音はそれだけを言うと、黙ってしまった。2人の間に静寂が生まれ、それが辺りを支配していくような雰囲気が生まれる。

(…この人は本当に何をしにここに来たんだ?)

朱里は不思議でならなかった。貴音は朱里に何かするということはなく、隣に座って、頭上に浮かんでいる月をジッと見つめるということだけを行っていた。

…ただ、朱里はあまり自分に突っかかってこない貴音の態度がとてもありがたく感じた。今の自分の状態で「頑張れ」だの「緊張するな」など、あれこれ言われると余計にストレスを感じ、プレッシャーが生まれてしまうからだ。何も言わずに自分の隣に座って、そばにいてくれている。貴音の一歩引いた行動がとてもありがたく、暖かく感じられた。

(…この人になら、言ってもいいかもしれない)

朱里は自分の心が落ち着きを取り戻していくのをしっかりと感じていた。それと同時にこの胸の奥にしこりのように渦巻いている重苦しい思いを誰かに聞いてほしいという感情に捉われる。

以前の自分なら、こんな行動を取る事なんてありえなかった。「自分は周りと違うから」と捻くれた思いを胸に抱え、鬱憤をため込んでいた。周りの人間は勿論、姉である美希にすら弱みを見せたことがなかった。だって「魂は男で外見は女」なんて人間、この世界で恐らくは自分一人だけだから。女であるはずの姉さんに絶対に理解何てされるはずがないから。

…でも、この間の生理痛の時、自分はあずさの言葉を受け入れ、弱さを見せた。

『…もう少しだけ、こうしていていいですか?』

無意識の内に自分はあずさを頼った。あずさに抱きしめられた時、とても心が暖かくなるのを感じた。その時、はっきりと感じたはずだ。たまには誰かに頼るのも悪くはないのかもって。

「…私、オーディション用の対策が上手くいっていないんですよ」

朱里はわざとなんでもないことのように打ち明けた。…そのような言い方をしたのは、面と向かって言うのは恥ずかしかったからだ。

貴音は少し黙り「そうですか」とだけ言った。

「姉さんは短い期間であれだけ上手く仕上げているのに、私は全然ダメで。トレーナーにも休めって言われて。でも練習していないとますます怖くなってしまって…」

まるで決壊したダムのように、朱里は色々と貴音に打ち明けた。自分は本当にオーディションに出てもいいのか、美希よりも劣っているのではないか…色々な弱みや心配事がそこにはあった。

「星井朱里」

そして、それらを打ち明け始めてから、何時ぐらい経っただろうか。貴音がすっと手を上げて朱里の言葉を遮り、こう言った。

「…恐れないでください」

貴音の口調は、安心させるような穏やかなものだった。

「あなたはこの事務所の誰よりも熱心に鍛錬を積み重ね、努力しています。現にあなたは誰に言われる訳でもなく、自主的に鍛錬を行っているではありませんか。それはあなたが芯に力強い自分を持っている証拠です」

貴音の言葉は続く。

「私ですら、あなたのようにその芯を信じ、努力できる人間ではありません」

「…」

「星井朱里、あなたは間違いなく強いです。あなた自身が思っているよりもずっと」

貴音はそう言うと、ぎゅっと朱里の手を握り締めた。

「それと…あなたは少し周りを気にしすぎなのかもしれませんね」

「え?」

「先ほどのダンス…動きが少し、あなたらしくありませんでした。焦りが感じられるような雰囲気でしたよ?」

「…分かるんですか?」

「ええ。動きが固く、少し迷いが見えましたから」

…この人、エスパーかなんかじゃないだろうか。朱里は反応に困ってしまう。固いとかならともかく、迷いが見えるとか、そんな漫画みたいな表現を使われても困る。

(…確かにその通りだけど)

貴音の言ったことは図星だった。レッスンの時だけじゃない、自主練の時も迷いを感じていた。

ミスをするたびに頭の中に美希が現れては邪魔をしていた。こんな動きや表現、美希ならすぐに出来るのに、どうしてできないんだろう。…その焦りが朱里の動きを固くし、朱里から余裕を削りとり、新たな迷いを生み出していた。…朱里は自分で気がつかない内に泥沼に入り込んでいたのだ。

「あなたはあなたです。確かにあなたの姉、星井美希の実力は凄まじいものがありますが、あなたも、星井美希にはないものをたくさん持っているではありませんか」

貴音は「からおけの時のあなたの歌、真に感動いたしました」と言い、言葉を続ける。…やっぱり横文字苦手なんだなこの人。

「あなたは決して美希に劣ってなどいませんよ。あなたが持つ、透き通るほどの歌声は美希のびじゅあるに勝るとも劣らない、魅力的な武器です」

「…」

朱里は貴音の述べた言葉に黙ってしまった。…やっぱりこの人は凄い。しみじみと感じた。

(…自分は自分、か)

その言葉を聞き、どこか心が軽くなった気がした。その理由は、ここ最近、美希の凄さを目の当たりにして、余裕がなかったからかもしれない。

当たり前のことだけど、当たり前だからこそ忘れていたことなのかもしれない。

自分と美希は違う。自分は自分だ。何も必要以上に美希を意識する必要なんてなかったのだ。覚えが美希よりも悪いのも、変に繊細な所も全部ひっくるめて「自分」なんだから。

(…それに自分にだって、姉さんに負けないものがあるじゃないか)

朱里は胸の奥に突っかかっていた何かがようやく取れる感覚がした。…やっぱり話してよかった。しみじみとそう感じる。

「…じゃあ、そろそろ時間なんで、失礼します」

脇に置いておった鞄を持ち、朱里はベンチから立ち上がった。…問題が解決した今、ここにいる必要はない。それに、そろそろ家に帰んなきゃ、皆心配するだろうしな。

朱里はベンチから立ち上がった後、ゆっくりと貴音を見る。

「…また相談に乗ってもらってもいいですか?」

「…私でよければ何時でも構いませんよ」

朱里の発言に、貴音は優しく笑っていた。それを見た朱里も同じように笑う。夜空に浮かぶ月もまた、そんな2人を見守るように優しく、笑うように輝いていた。

…朱里のデビューオーディション『シンデレラガールズ』まで残り、9日。




貴音の口調がめちゃくちゃ難しいです。…この小説を書くのにあたって、かなり悩むのが「貴音独特の喋り方」なんですよね。…まさしく面妖な!状態です。
ちなみに今回の主な舞台となった公園は、アニマス18話で律子が一人で「七彩ボタン」のダンス練習をしていた公園と同じ公園です。…どうでもいい情報ですね。

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