エリート警察が行くもう一つの幕末   作:ただの名のないジャンプファン

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第15幕 西南

 

 

~side 剣心~

 

あの幕末の動乱からはや、10年が経とうとしている。

鳥羽伏見の戦い後、

拙者は『人を斬る事無く、新時代に生きる人達を護れる道』を探し求めて日本を渡り歩いた。

そして、信女の行方についても探したが、未だに彼女は見つかっていない。

あの日、信女が言った、『権力と言う名の砂の城の上でふんぞり返る』‥‥確かに仲間の維新志士達は権力を手にした者の多くはそうなってしまった。

また、『数多くの維新志士達の分、全てにその権力と言う名の椅子は用意されているの?』その言葉通り、全ての維新志士達が権力を手に入れた訳ではなかった。

新時代に夢を抱きながら戦い、その新時代を迎えてもその新時代が全ての維新志士達の夢に描いた時代とは言い難かった。

そう思うと、何のために戦って来たのかと考えさせられる事がある。

秩禄処分、廃刀令‥‥政府は侍には生きづらい世の中に作りかえている。

それは、侍と言う物騒な連中がいなくても平和な国を作ろうとする政府の方針なのだろう。

しかし、全ての武士が政府のやり方を理解してくれるわけでは無かった。

維新が成り立ってもそれはあくまで表面上の事なのだろう。

まだ、拙者の力を必要とする人は居る。

(信女‥‥お主は今何処で何をしているのだ?)

拙者は青く澄んだ空を見上げ、彼女もまたこの澄んだ空の下、何処かで元気にやっているのだろうか?と思いながら、流浪の旅を続ける。

 

 

その剣心の想い人である信女は今、九州の地に斎藤と共に居た。

西郷が挙兵した西南の役‥‥

明治政府は山県を最高司令官にして直ちにこの内乱を鎮圧せよと命令を出した。

その鎮圧軍には軍の他に斎藤や信女ら警察官達も後方支援部隊として参戦していた。

 

2月21日に始まった西南戦争。

翌日の22日 西郷軍は熊本城を包囲した。

この城を占領すれば、各地の政府のやり方に不満を持つ不平士族たちがともに立ち上がると期待していた。

しかし、谷干城司令官率いる3000の守備兵は粘り強く抵抗した為、戦線は膠着した。

余談であるが谷干城と新撰組にはある因縁があった。

彼は土佐の出身で同じく土佐出身の坂本龍馬を厚く尊敬していた。

そして谷は龍馬が暗殺された時、真っ先に現場に駆けつけ、瀕死の状態にあった中岡慎太郎から龍馬暗殺の経緯を聞きだし、生涯をかけて龍馬の暗殺犯を追った。

谷は事件当初より、犯人は新撰組と判断し、戊辰戦争の際には、流山で捕らえた新撰組局長であった近藤勇の尋問について薩摩藩と殊更対立した。

そして近藤を斬首・獄門という惨刑に処したのも谷だった。

 

当初西郷軍は所詮町人農民が中心となった素人の軍隊だと思っていた。

しかし彼らの予想は大きく異なり、政府軍の予想外の抵抗を見せた。

政府軍の予想外の強さ、その理由は政府軍の装備にあった。

主力兵器は当時、最新鋭のスナイドル銃‥‥弾丸の装填が早い後装式で、5秒に1発のペースで撃つことが出来た。

また、熊本城救出の軍は火力の大きな大砲やガトリング砲などの最新鋭兵器を装備していた。

さらに戦場の様子は開通したばかりの電信を使い、司令部にリアルタイムで逐次送られた。

一方、西郷軍の装備は政府軍と比べ見劣りするモノであった。

主力兵器は日本刀、使用するライフルも旧式のエンフィールド銃だった。

前装式のエンフィールド銃は弾の装填作業手順も多く、1発撃つのに30秒かかった。

戊辰戦争の時には最新鋭型のライフルだったエンフィールド銃も10年と言う歳月が経つと二線級、旧式の烙印が押されていた。

そもそも幕末に海外から輸入された銃自体、アメリカの南北戦争の中古品や売れ残りを在庫処分するかのように日本へ売られてきたのだ。

鎖国政策のせいで、外国の諸事情を知らない日本はそれらの中古品をアメリカが最新式と言ってきたのを信じ、高値で購入していた。

 

西郷軍が政府の軍施設を襲った時、政府はスナイドル銃の弾薬や銃を既に移動させており、西郷軍が手にする事が出来たのは、この旧式のエンフィールド銃だけだったのだ。

また政府軍は物資を後方から次々と調達できる反面、西郷軍は武器弾薬の補給路は乏しく、物資はすべて現地調達、連絡も人の足か馬を頼りにした。

そんな西郷軍は政府軍に勝るもの‥‥それは西郷が自分達と共に居ると言う安心感からの士気であり、彼らの士気は非常に高かった。

2月25日 山県は博多に到着、援軍を待ち、3月3日、前線に入る。

既に熊本の高瀬には先発隊が居り、山県が率いている主力の軍と合わせてその数15000。

一方、西郷も熊本城の包囲部隊の半分を割き、高瀬へと向かわせる。

両軍が睨み合ったのが‥‥田原坂

田原坂は熊本城の北にある標高80mの小さな丘だった。

西郷軍はここに厳重な防御陣地を築いた。

その長さは田原坂を中心に総延長10km。

7000人の西郷軍の兵士達が配備されていた。

田原坂の道は此処を難攻不落の要害とすべく戦国武将、加藤清正によって整備されていた。

北方から熊本城を攻めるにはこの道を通るしかなかったからだ。

清正は道を溝の様に細く掘り抜き、両側を高い土手にした。

坂を上って来る敵を高所から狙い撃つ為であった。

古の侍が残した遺産を西郷軍は見逃さず、高所から政府軍を待ち構えていた。

3月4日、田原坂の戦いが始まった。

物量に勝る筈の政府軍はいきなり苦戦を強いられた。

田原坂の地の利を活かして崖の上から射撃してくる西郷軍。

彼らの弾丸の雨が政府軍を寄せ付けなかった。

また兵士の戦う姿勢にも違いが見られた。

西郷軍は弾を恐れる事無く、身体を乗り出して、しっかりと狙いをつけてから発砲してきた。

戊辰戦争の時、薩摩の立ち撃ちと呼ばれる姿勢だった。

それに引き換え、政府軍は敵弾を恐れて銃だけを出して撃っていた。

命中率の差は歴然だった。

また、侍ならではの切込み攻撃も有効的だった。

猛烈な気合と共に斬り込んで来る薩摩武士。

銃の効果が薄い接近戦では圧倒的な強さを発揮した。

農民や町人が主体の政府軍の兵士は侍の刀での攻撃に怯えた。

突撃を命じても声を上げるだけで命令には従わず、脱走兵も続出した。

実戦経験も乏しく侍への恐怖が根強い庶民軍の弱点が露呈された。

開戦一週間で政府軍の死傷者は1000人以上出した。

政府はこの大苦戦に頭を抱えた。

それ以上に追い詰められたのが、最高司令官である山県だった。

政府からは士族を兵にして、戦場に投入せよとまで言われた。

しかし、今ここで士族の力を頼れば、自分がこれまで進めていた徴兵制が無駄になる。

農民、町人の軍隊でも戦争が出来る事を知らしめなければ、近代軍隊は作れないと思っていたのだ。

3月11日、4度目の次総攻撃が始まる。

しかし、またもや侍の切込み攻撃の前にあえなく失敗する。

誰が言ったか、

 

越すに越されぬ田原坂

 

世間ではそのような言葉が言われた。

 

田原坂の攻防が続く中、熊本城の籠城は既に2週間以上続いており、このままでは弾薬、食糧は尽きてしまうのは目に見えていた。

 

そんな中、司令部近くの物資集積所では、

 

「斎藤‥‥退屈‥‥」

 

信女が物資の入った木箱の上に座り、制帽を人差し指でクルクルと回しながら、足を上下にブラブラと揺らして、「私暇です」をアピールしていた。

 

「文句を言うな、軍の後方支援、それが俺達の仕事だ」

 

斎藤は煙草を吸いながら物資の目録が書かれた書類に目を通していた。

 

当時、信女や斎藤ら警察官達の多くは侍の出身者が多かった。

生活の糧を失った侍たちが大挙して雇用されていた。

そして、この戦場に派遣された東京、警視本署の警視隊は軍の後方支援、周辺の治安維持活動に従事していた。

 

「後方支援っていつも、怪我人か死体運びに弾薬、戦闘配食運びだけ‥‥つまらない‥‥目の前に土方達の仇が居るのに‥‥」

 

信女は木箱に立ち、ジッと田原坂の方を睨む。

 

「貴方だって、久しぶりに人を斬りたいんじゃないの?」

 

「まっ、否定はしない」

 

警官のクセに物騒な事を口走る2人だった。

 

「このまま田原坂で足止めを喰らっていたら熊本城は陥落するんじゃないの?」

 

「だろうな、籠城から既に2週間以上経っている‥‥」

 

「上申書でも書いて、川路から山県に出してもらう?」

 

「上申書?」

 

「そっ、私達警官が前線に出れるための上申書」

 

「‥‥」

 

それからすぐに警察官の間で噂が広まった‥‥自分達警察官も前線に出ると言う噂が‥‥

普通そんな噂が出ると、怖気づいてしまうものだが、此処に集まった警察官‥‥特に旧会津藩出身の警察官は士気が高かった。

ようやくここで戊辰の仇が取れると言って‥‥

噂が広まり、中には川路に直接直訴に行く警察官も現れ、川路は山県に戦争参加への上申書を出すが、山県はそれを却下した。

士族に頼るのをあくまで拒否したのだ。

しかし、田原坂は未だに落ちず、政府軍の負傷者が増える一方だけであった。

 

3月13日 山県はついに決断を下した。

警察官に戦争の参加を要請した。

そして隊の名前を山県自ら、『抜刀隊』と命名した。

抜刀隊の方針は、銃は持たず、太刀のみで斬り込むと言うモノであった。

薩摩の切込み攻撃に対し、切込み攻撃で迎え撃つ。

侍にしか出来ない戦い方だった。

抜刀隊は軍隊ではない。あくまでも警察官として戦場に送り込む。

抜刀隊と軍隊の違いの区別をはっきりさせて山県は徴兵制の面目を守ろうとした。

 

戦争への参加が決まり、信女は髪の毛を皮の紐で一括りにした。

その髪型を見た斎藤は、

 

「まるで馬の尻尾だな」

 

と呟いた。

信女の今の髪型は俗にいうポニーテールだったので、斎藤の言う事はあながち間違いではなかった。

 

「それにしても随分と嬉しそうだな」

 

斎藤は信女が嬉しそうにしているように見えた。

 

「当たり前‥‥土方や仲間の仇‥‥連中に思い知らせてやる‥‥」

 

此処まで気合の入った信女を見るのは初めてだった。

 

3月14日 早朝、抜刀隊は田原坂後方の西郷軍の陣地に迫る。

政府軍が切込み攻撃をかけてくるとは思ってもいなかった西郷軍は兵士の多くがまだ眠っていた。

しかし、全員が眠っている訳では無く、信女達の前に1人の西郷軍の兵士が見回りをしていた。

隊長はやり過ごそうと、皆に静粛を保つように手で押しとどめる仕草をとる。

しかし、信女はすかさず、その兵士の背後に回り、

 

「むっ!?」

 

手で口を押え、刀でその兵士の頸動脈を切断し、その兵士を失血死させた。

 

「さあ、行きましょう」

 

兵士の返り血を浴び、無表情の顔で振り向きながらそう言う信女に抜刀隊の隊員達はドン引きしていた。

やがて、信女が所属する抜刀隊は西郷軍の兵士が眠っている至近距離まで来た。

 

「突撃!!」

 

『わぁぁぁー!!』

 

突如、喊声をあげて斬り込む抜刀隊。

政府軍が振りかざす刀に大混乱となる西郷軍。

 

「飛天御剣流‥‥土龍閃」

 

信女は刀で地面をえぐる様に衝撃を与え土砂とその衝撃波を西郷軍の兵士に向けて飛ばし、相手が怯んだ隙に急接近し、相手を切り伏せ、囲まれると、

 

「龍巻閃」

 

回転による遠心力を利用し相手の攻撃を真半身でかわし、そのまま回転しながら相手の背後に回り込み後頭部や背中に斬撃を叩き付ける。

その後も信女は神速の抜刀術や牙突で西郷軍の兵士を蹴散らしていく。

 

「あ、あの女まるで死神だ‥‥」

 

「相手の急所を一撃で仕留めていやがる」

 

「何を呆けている!!女如きに負けるな!!我等も続け!!」

 

『おおおお!!』

 

先頭をきる信女の姿勢に他の抜刀隊も信女に続き、西郷軍の兵士を斬っていく。

この日、抜刀隊は西郷軍の陣地3つを陥落させる戦果を残した。

しかし、銃を持たず太刀のみで斬り込んだ抜刀隊は多くの死傷者を出した。

被害が9割に達する部隊もあった。

だが、この時一番に活躍したのは旧会津藩出身の警察官達で、彼らは西郷軍の兵士を斬る際、

 

「戊辰の復讐!!戊辰の復讐!!」

 

と叫んでいた。

 

3月15日、抜刀隊を先頭に政府軍は総攻撃を敢行。

西郷軍の最重要拠点を陥落させた。

3月20日、政府軍はようやく田原坂を突破し、熊本城救出に大きく前進した。

この田原坂の戦闘で政府軍は西南戦争全体の3割近い犠牲者を出した。

しかし、山県は政府軍存亡の危機を何とか瀬戸際で食い止めることが出来た。

 

 

 

・・・・続く




ではまた次回。

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