アニメ アイドルマスターシンデレラガールズ 3rd SEASON (完結) 作:栗ノ原草介@杏P
Aパート 1
どこか遠くで、自分を呼んでる声がする。
愛嬌のあるカタコトの日本語を、聞いて全身が硬直する。
嫌だ、まだこの温もりを失いたくない。
猫のように体を丸める自分に、しかし彼女は容赦がない。
「ミク、朝です! ごはん、出来ました!」
ばさっと、掛け布団が剥がされた。
「ふにゃぁぁああ――ッ!」
みくは、尻尾を踏まれた猫の剣幕で悲鳴を上げた。
強烈な朝日に、目を細めた。
狭い視界の中で、アナスタシアが笑っていた。
「ドーブラエ ウートラ、あー……、おはようございます」
「……おはよう、アーニャちゃん」
寝起きのガラガラ声で挨拶すると、アナスタシアは満足げに微笑み、次なる獲物を求めて浴衣をひるがえした。
みくは体を震わせて、掛け布団をかき集めた。
――寒いにゃ……。
強い朝日が差し込む部屋に、夜の冷気が居座っている。
朝の寒さに震えるたびに、ここは新しい女子寮なのだと思い出す。
美城グループの業績悪化のあおりを受けて、アイドル部門が縮小された。
そのほとんどは解散になって、シンデレラプロジェクトだけが残った。
経営資金を調達すべく、本社のビルが売却された。
美城グループの保養所として使われていた旅館へ、事務所を移すことになった。
ここまで説明された時、みくは危機感を覚えた。
「Pチャン。みく達の寮はどうなるの?」
アイドル部門はシンデレラプロジェクトを除いてほとんどが解散し、所属していたアイドルは他の事務所へ移籍する。
アイドルのいない女子寮は、果たして存続できるのだろうか?
答えはもちろん――
「女子寮は、アイドル部門の縮小に伴い、売却される予定です」
「そんな……」
「ですが、安心してください。寮に住んでいる、前川さん、アナスタシアさん、神崎さんには、新しい事務所に部屋を用意します。今までと変わらない環境で生活できるように、できるかぎりのことをします」
プロデューサーの言葉は、嘘ではなかった。
寮に住んでいるアイドルのために、旅館の部屋が割り当てられた。
観光客をもてなすために作られた部屋を、自分の部屋として使える。
みくも蘭子もアナスタシアも、引越しの時は浮き足立っていた。
プロデューサーの用意してくれた新しい寮に、不満はなかった。
ただ一つ、とても重大な問題を除けば……。
「ミク! ごはん、いきましょう」
戸口から顔をのぞかせたアナスタシアに返事をして、みくは抱いていた布団を放した。
足の裏に畳の柔らかさを感じながら歩き、猫の模様が入ったスリッパをはいた。
「煩わしい太陽ね……」
アナスタシアの後ろに、蘭子がいた。
フリルのたっぷりついたパジャマを着ている彼女は、しきりに目をこすっている。
「おはよ、蘭子ちゃん。また夜更かししたの?」
「ふふ、我は闇の眷属。夜は魂が猛る」
「夜遅くまで何してたの?」
「禁断のグリモワールに術式を書き込んでいた。いずれ世界を統べし天使の
「歌詞、考えてたの?」
「いかにも。冥界からの召喚に備え、
「ランコは、熱心、ですね。アーニャも、昨日は、夜更かし、でした」
「その様子、我が魔眼が観測していた。星いずる舞台にて、漆黒の世界と対話」
「アーニャは、ズビズダー、あー……、星を、見てました。ここは、とても綺麗に、星が見えます」
「確かに星は綺麗だけど、夜とかすっごく寒くない? みくは布団から出たくないにゃ……」
「アーニャは、ロシアと北海道、住んでました。寒さ、強いですね」
横一列に並んで談笑しながら廊下を歩いていると、最初に匂いがやってきた。
続いて、厨房の音が耳に馴染んで、食堂が目前にせまった。
「おいしそうな、においです」
「うむ。朝の供物をいただこう」
目を輝かせる2人とは対照的に、みくは不満顔を作った。
彼女の鋭い嗅覚は、〝それ〟の存在を察知していた。
食卓を見るまでもない。この匂いは――
「キェータ、あー……、鮭、ですね。北海道で、たくさん食べました」
「地獄の業火をくぐりし赤き魚か。香ばしき香りが我をいざなう」
「むー……」
みくはうなりながら食卓についた。
焼きたての鮭を睨み、ため息をおとした。
「アーニャちゃん、あげるにゃ」
鮭の乗った皿を、アナスタシアの方へ移動させる。
「ミク、お腹、不調ですか?」
「いや、そうじゃないけど……」
「みくさん! まーた子供みたいなことしてるっちゃ!」
厨房から飛んできた声に、みくはびくっと肩をはね上げた。
「鮭は栄養満点っちゃ。好き嫌いせんで食べんと、立派なアイドルになれないっちゃ!」
食堂のおばちゃんめいた
厨房から出てきた少女は、小柄だが迫力があった。
きちんと着物を着こなして声を張り上げる姿は、まるで旅館の若女将だった。
彼女は近くの旅館の娘で、板前修業を兼ねてみく達寮生の食事を作りにきてくれているのだが――
みくにとって、天敵といえる存在だった。
――首藤葵、13歳っちゃ。年少者やけど、お父ちゃんにばっちり仕込まれてるけん、大船に乗ったつもりでいてほしいっちゃ。
自己紹介の言葉に、嘘はなかった。
確かに彼女は、板前として優秀だった。
料亭のそれを思わせる豪華な料理を作って、寮生を驚かせた。
それだけなら、よかったのだが――
――得意は、魚料理っちゃ。
この一言で、葵はみくの敵になった。
みくは魚料理を連発する葵を、〝この寮の重大な問題〟に認定した。
「みくさん! なんで鮭を食べないっちゃ!」
「みく、お魚はノーセンキューって言ったはずにゃ!」
「そんなみくさんに魚の良さをわかってもらおうと、腕によりをかけたっちゃ! さあ、食べるっちゃ!」
「嫌にゃ! みく、お魚は食べないにゃっ!」
「なしてそげなこと言うっちゃ! 猫は魚が好きっちゃろう?」
「みくは猫チャンじゃなくて猫チャンアイドルにゃ! 猫チャンアイドルはお魚食べなくても務まるにゃ!」
「屁理屈こねちょらんと、試しに一口食べてみるっちゃ! 絶対おいしいから!」
「いーやーにゃっ! 煮ても焼いてもお魚は食べないにゃ! みく、ハンバークが食べたい!」
「そげん子供みたいなこと言って……。じゃあ、ちゃんと魚を食べたら、ハンバーグでも何でもつくっちゃるけん」
「じゃあハンバーグいらない!」
こんな調子でみくと葵は戦っていた。
魚を食べさせたい葵。
魚を食べたくないみく。
2人の議論は平行線をたどり、その戦いは泥沼化していた。
とはいえ、それは本当の戦いではなかった。
例えるなら、水鉄砲で撃ちあって遊んでいる程度のお遊びに過ぎなかった。
本当の戦いは、まだ始まってすらいなかった……。
* * *
みくが地獄の戦場へ叩き落とされたのは、週末のミーティングの時だった。
346プロの新しい事務所は、都心から離れた郊外に位置している。
なので、普段は都内でレッスンができるように、プロデューサーがスタジオを手配している。
何か連絡事項があった場合のみ、ミーティングと称してアイドルを集めていた。
「今日、皆さんに集ってもらったのは、346プロの今後の活動方針について、説明するためです」
プロデューサーの言葉に、みくは猫耳パーカーの裾を握り締めた。
長い八重歯で下唇を噛んで、プロデューサーの顔を見つめた。
「今までのように単独で大きな興行を行うのは、難しくなります。プロデュースの方向性は、変更せざるをえない部分があります。これからは、今までとは違う種類の仕事を、やってもらうことが増えると思います」
「例えば、舞台でお芝居をやったりとか?」
手を上げて発言した未央に、プロデューサーはうなずいた。
「以前、本田さんが経験したような舞台や、緒方さんや三村さんが担当したレポーター、そのような仕事が、増えると思います」
「じゃあ、歌って踊る仕事は、減る感じ?」
凛の挑むような視線を、プロデューサーはしっかり受けとめて、うなずいた。
「しばらく、ライブやCDの仕事は、減少すると考えてください」
覚悟していた事とはいえ、事業縮小の現実を前に、シンデレラプロジェクトの面々は気落ちした。
しかしそれは一瞬のことで、すぐに持ち前の明るさを取り戻して――
「わたし、お菓子を作るグルメ番組とかやりたいな♪」
「じゃあ、わたしは食べる役で出演したいな。かな子ちゃんの作るお菓子、おいしいから」
「それなら、レポートしてほしいな。智絵里ちゃんの食レポ、見てみたい!」
「うーん。上手くできるかな……」
首をかしげる智絵里。
それを見て、微笑むかな子。
「それよりも――」
ぴょんと立ち上がった莉嘉が、大胆なポージングを決めながら――
「カリスマJC莉嘉のセクシー道場なんてどう? ファンのみんなを、セクシーポーズで悩殺しちゃうのっ!」
「莉嘉ちゃん、せくしー、できるの?」
みりあの視線を横顔に受けて、莉嘉は笑う。
「もっちろーん! ほら、あたし、毎日お姉ちゃん見てるから、自然とセクシー、覚えちゃったんだ! だからP君、どうかなどうかな!」
「けっ、検討させていただきます……」
思わず首の後ろをさわったプロデューサーに、他のアイドルも詰め寄って――
「アーニャ、プラネタリウムの仕事、興味ありますね?」
「私、新しいことに挑戦してみたいです」
「ククク、今こそ、禁断のグリモワールを解放する時!」
「きらりね、きゃわいい杏ちゃんとハピハピお仕事したいにぃ!」
「ちょっ、巻き込まないでよ。杏は週休8日を狙ってるんだから」
「どんなお仕事でも、島村卯月がんばりますっ」
プロデューサーを取り囲むアイドル達を遠巻きに眺めていた李衣菜が、つぶやくように――
「わたしは、やっぱり歌の仕事がいいな。バラエティの仕事って、何かロックじゃない気がする……」
「李衣菜ちゃん!」
みくは立ち上がって、ネズミを睨む猫の目つきで――
「どんなお仕事でも完璧にこなしてこそ、真のアイドルにゃ! 好き嫌いはよくないにゃ!」
「そりゃ、そうだけど……」
「自分がロックと思ったらロックって言ったのは誰にゃ? どんなお仕事でも、自分でロックにしちゃえばいいにゃ!」
「もー、分かったってば……」
「分かればいいにゃ!」
腕を組んで、ふんと息を荒げる。
そしてふと、気がついた。
いつの間にか、みんなの声が消えている。
「みくにゃん、良いこと言った!」
未央の賞賛に続いて、拍手が起きた。
「ちょっ、やめっ、恥ずかしいにゃ!」
「いいもの見せてもらったよ。青春だねえ、うん、うん」
「もうっ、見世物じゃないにゃ!」
未央の笑顔にそっぽを向けたみくだったが、その口元は緩んでいた。
アイドルに対する心構えを褒められて、実のところ嬉しかった。
「あの、話の続き、よろしいでしょうか……?」
「おっと、ごめんねプロデューサー。さあ、続きどうぞ!」
未央にうながされたプロデューサーは、アイドル達に背を向けて、ホワイトボードへ板書した。
「観光大使……?」
首をかしげる卯月に、資料が渡された。
他のアイドルにも、同じものが配られた。
「この町の役所の観光課の方から、オファーをいただきました。この町に住所を移したアイドルに、観光大使になってもらいたいと」
「観光大使って、たまにTVにも出てるよね? これって、ちょっとすごいんじゃない!」
思わず立ち上がった未央。
他のアイドルも目を輝かせた。
ただ一人、杏を除いて。
「派手な仕事ではありませんが、この地域のイベントに呼んでもらえますし、何かのきっかけでTVに出ることも、珍しくありません。悪い仕事では、ないと思います」
みくは、プロデューサーに言われるまでもなく、観光大使という仕事がいかに大きなチャンスであるか、理解していた。
アイドル活動において、大きなプラスになるのは、間違いない。
そして恐らく、候補にあがるのは――
「今回は、この地域へ引っ越したアイドルを、という希望がありましたので、アナスタシアさん、神崎さん、前川さんを、観光大使の候補とさせていただきます」
――思ったとおりにゃ!
みくは、心の中でガッツポーズをとった。
転がり込んできたチャンスを、絶対にのがすまいと思った。
「……ただ、一つ、懸念事項がありまして」
首の後ろをさわったプロデューサーと、目があった。
明らかに、自分を見ている。
「なっ、何? みくのこと……?」
プロデューサーは、無情にもうなずいた。
そして、死刑判決を言い渡す裁判官のように、冷酷に――
「観光大使は、この地域の名物を宣伝する仕事なのですが、その、この地域の名物が――」
プロデューサーは、一旦言葉を区切って、みくが覚悟を決めるのを待ってから――
「川魚、なんです……」