アニメ アイドルマスターシンデレラガールズ 3rd SEASON (完結) 作:栗ノ原草介@杏P
765プロとの合同ミニライブの話を聞いた翌日。
美波とアナスタシアは、プロデューサーに連れられて765プロの本社へ向かった。
朝の天気予報で〝間もなく梅雨入り、傘の季節になりますよー〟と言っていたのを、思い出してしまうような曇天だった。
黒い雲を肩に乗せた765プロの本社ビルは、その大きさも相まってとても威圧的だった。
「では、行きましょう」
プロデューサーの背中を追って、ビルに入った。
他のアイドル事務所に入ることなどめったにないので、どうにも視線が落ち着かない。
鼻につく素材の匂いが、新築のビルであることを主張していた。
壁に並ぶ765プロのポスターが、ここが346プロでないことを強調していた。
すれ違うアイドルも、知らない顔ばかりで、外国に足を踏み入れてしまったような心細さに自然と視線が下がってしまう。
「あれ、アーニャちゃん?」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、長い癖毛が目に付いた。
異国の地で日本人に会えたかのような安堵感に、強張っていた口元が緩んだ。
「ミホ!」
アナスタシアが、弾んだ声をだして大きく手を振った。
「二人とも、お仕事……、ですよね?」
笑みを浮かべて癖毛を揺らす小日向美穂に頷きながら、美波は思った。
確かにここは346プロの事務所ではないが、346プロから多くのアイドルが移籍している。
よくよく見れば、所々に見知った顔が歩いている。
知らない人ばかり、というわけではない。
そう思うと、強張っていた気持ちが緩み、臆することなく視線を上げることができた。
「ミホ、カークジーラ、あー、チョウシ、どうですか?」
「うん、ようやく慣れてきたって感じかな。寮も新築で綺麗なんだよ」
「ハラショー、それは、スバらしいです。アーニャのリョウは、いま、リョカンです」
「えっ、そうなの! それもすごいね」
そう言えば二人は同じ寮に住んでいたのだなと、美穂とアナスタシアの距離の近い会話を聞いて思い出した。
「あの、そろそろ……」
プロデューサーの声が、二人の会話を打ち切った。
久し振りの対面が嬉しかったのか、美穂とアナスタシアの会話は止まる気配をみせなかった。
「イズヴィニーチェ、あー、すみません。つい、おハナシ、してしまいました」
「いえ。では、行きましょう」
笑顔の美穂に手を振って、再び美波は歩き出した。
美穂のおかげで、随分と足取りが軽くなっていた。
それでも、765プロの新人アイドルとの対面が目前にせまると、緊張が戻ってきた。
プロデューサーが応接室のドアをノックする音に、鼓動が共鳴して胸を叩いた。
「失礼します」
プロデューサーに続いて美波も入室する。
部屋の中には、すでに765プロのプロデューサーが待っていた。
アイドルと見比べても遜色のない美貌をもった、女性プロデューサーだった。
その横に、新人アイドルと思われる少女がいた。
事前にプロデューサーから何も聞いていなかったので、美波は驚いてしまった。
その褐色の肌に、すらりと伸びた手足に、夏の太陽を思わせる笑顔に――
「みなさん、初めまして。今回お世話になります、うちの新人で――」
765プロの女性プロデューサーの言葉を引き継ぎ、褐色の少女が立ち上がる。
「ナターリア! よろしくナ!」
人懐っこい片言の日本語だった。
それを発したナターリアは、無遠慮に近づいてきて、至近距離からじっと美波を見つめてきた。
「えっと、新田美波です。よろし――」
言葉の途中で、ナターリアが抱きついてきた。
背中を優しく叩かれて、頬擦りをされた。
突然のことに、美波は目を見開いて全身を硬直させた。
「ちょっとナターリア! ノー! 駄目! ここは日本なんだから、ブラジル式の挨拶は駄目だって!」
駆け寄ってきた765プロの女性プロデューサーが、美波からナターリアを引き離した。
ナターリアは悪びれずに笑顔のままで、えー、ナンデー? と首をかしげる。
「ごめんなさいね、新田さん。彼女、まだ日本に慣れてなくて……」
765プロの女性プロデューサーに謝られて、美波はようやく我に返った。
挨拶としてハグやキスをする国があることは知っていたが、実際にされたのは初めてだった。
なんのためらいもなくハグをされて、突然のことに驚いたが、嫌な気持ちにはならなかった。
親しみをもっているのだと全身で表現されて、警戒心やら緊張やらが消し飛んでしまった。
千の言葉を持ってしても成し得ないコミュニケーションを、ナターリアのハグは一瞬で成し遂げていた。
「アーニャは、ハグ、ヘイキですね。ロシアでは、よくありました」
アナスタシアの言葉に免罪符を得たナターリアは、無邪気な笑みを浮かべてアナスタシアに抱きついた。
そして頬をすり合わせた。
はたから見ると、確かにそれは日本の常識を超越していた。
日本人なら、たとえ恋人同士でも人前では見せない親密さだった。
そしてやはり、効果的だった。
くすぐったがって笑うアナスタシアから、すっかり緊張が消えていた。
「ラブライカの、新田美波とアナスタシアです」
プロデューサーが改めて紹介をした。
それに合わせて、美波とアナスタシアが頭をさげた。
ラブライカの二人を見るナターリアは、嬉しそうに笑っていた。
彼女は、まるで真夏の太陽のようだった。
いつでもそこにあって同じように輝いている太陽のように、消える気配の無い上機嫌な笑みを浮かべていた。
「これから、よろしくお願いしますね。とりあえず今日は顔あわせということで、レッスンは追って別の日に」
立ち上がって別れの挨拶をしようとする765プロの女性プロデューサーへ、美波は「ちょっと待ってください」と断りをいれた。
そして、ナターリアをちらりと見てから――
「あの、このあとナターリアちゃんとご飯とか、どうかなって。これからユニットを組むことになるわけですし、もっとお話をできたらいいなと、思うのですが……」
美波の提案に、765プロの女性プロデューサーは笑顔でこたえた。
「それはいいわね。じゃあお言葉に甘えて、ナターリア、ご馳走になってきちゃいなさーい!」
背中を押されたナターリアが、嬉しそうにお腹をさすった。
「ナターリア、たくさんたべられるナ!」
プロデューサーの顔をうかがうと、口元に笑みを浮かべて頷いてくれた。
「ナターリアちゃん、何か食べたいものはある? やっぱり、ブラジル料理とかがいいのかな?」
訊きながら、美波はスマホで店を調べた。
東京は食べ物屋に困らない。
歩ける距離にブラジル料理の店がいくつかあった。
その中から好みの店を選んでもらおうと思ったのだが、ナターリアは満面の笑みで――
「ナターリア、スシがたべたいナ!」
美波は慌てて、周辺にある寿司の店を検索した。
* * *
クルクルと、皿に乗った寿司が回転している。
みくが見たら卒倒しそうな空間で、ナターリアは最高の笑みを浮かべている。
「カイテンズシ、はじめてだナ! ブラジルにはないナ! おもしろいゾ!」
外国の人が見たら喜んでくれるんじゃないか、という美波の狙いは的中した。
遊園地のアトラクションでも見るように、ナターリアは目を輝かせて、今にも踊りだしそうだった。
いや、良く見ると軽くステップを踏んでいた。
「ナターリアちゃん、遠慮しないで食べてね。プロデューサーさんからお食事代もらっちゃったから」
765プロの入り口で別れる際に、プロデューサーは少なくない金額を預けてくれた。
接待交際費です、と言って、回らない寿司屋にも行けるお金を渡してくれた。
「ナターリア、オオトロをたべるナ! イクラもすきだゾ!」
「ここでチュウモンすると、マワってきますね」
アナスタシアに回転寿司の作法を教わったナターリアが、おっかなびっくり注文している。
ナターリアの反応は小さな子供のように無邪気で、美波は寿司を食べるのも忘れて眺めていた。
「ナターリア、スシ、スキですね。ニホン、スキですか?」
アナスタシアの問いに、ナターリアはイクラの軍艦巻きを至福の表情でほお張って、ペロリと舌を走らせてから――
「ナターリア、ニホン、スキだナ。ブラジルに、スシバーがあって、そこでスシすきになったゾ。あと、テレビでニホンのこと、やってて、それでアイドル、スキになったナ」
「ブラジルでも、日本の番組がやってるの?」
美波が口を挟むと、ナターリアは流れてきたエビを取って、尻尾をつまんでワサビの有無の確かめながら――
「ニホンのエイガ、バラエティ、ウタバングミ、ブラジルでもニンキだナ。ラブライカも、みたことあるナ。だから、あえてすごくうれしいゾ!」
口の端からエビの尻尾をつまみだしながら、ナターリアが笑う。
その笑顔に、もしかしたらと、思う。
ナターリアがずっと笑顔なのも、会っていきなりハグをしてきたのも、ブラジル人だから、ではなくて、自分達のことを知っていたから、かもしれない。
ラブライカの二人だからこそ、ナターリアは喜んで、こんなにも笑顔なのかもしれない。
もしそうなら――
それはとても嬉しいことだと、美波は思った。
自分が笑顔になって、それを見た誰かを笑顔にする。
それは、パワー・オブ・スマイルを提唱してきたプロデューサーの信念であり、目標でもある。
ナターリアの笑顔がその成果であるならば、シンデレラプロジェクトの一員として、こんなに嬉しいことはない。
「ナターリア、ニホンのアイドルにあこがれて、ニホンにきた。だけど、ニホンゴ、とくいじゃないし、だれもナターリアのこと、しらないナ」
ナターリアが、持っていたイカの寿司を皿においた。
太陽に雲がかかったように、笑顔がしぼんで――
「ナターリア、アイドル、できるカナ……?」
唐突に、思い出してしまう。
自分が、同じ顔をしていたと。
あの日、あの場所でデビューするまで、本当にアイドルになれるかどうか、不安で胸が一杯だった。
そもそも、アイドルになるということ自体が、まったく予想外の出来事であって、先のことなんて何も分からない状態だった。
それでも――
一歩踏み出して見えた景色は、忘れることができないくらい素晴らしいものだった。
そこに行き着くまでに、たくさん不安になるし、緊張するし、辛い思いもするけれど。
でも――
そんなことは全て忘れてしまえるくらいに、ステージの上から見える景色は最高にキラキラしていた。
だから、美波は思う――
デビュー前の自分と重なって見えるナターリアに、言ってあげたい。
「私も、デビューするまでは、すっごく不安だったの。本当にアイドルになれるのかなって、何度も考えたの。でもね――」
ふと、思い出した。
去年の、デビューライブ。
ステージを目前にして、手の震えが、とまらなかった。
しかし――
アナスタシアと手を繋いだ瞬間、嘘みたいに震えがとまった。
「不安は、分かち合えるから。他のアイドルや、プロデューサーさん。サポートしてくれるみんなと一緒だから、大丈夫だよ」
振り向けた視線に、アナスタシアも頷いて――
「ダー。ミナミの、いうとおりです。ナカマ、オウエンしてくれます。きっとアイドル、なれますね」
ナターリアは、イカの寿司をほお張った。
続いて、流れてきたトロのスシを口へいれて、笑みを浮かべた。
その目元に、光るものがあった。
「ワサビが、つーんとしたナ。ナターリア、ワサビはトクイじゃないナ」
その涙が、ワサビのせいかどうかは分からない。
ただ、その笑顔を守りたいと、美波は思った。
ナターリアのデビューステージとなるミニライブを成功させて、もっともっと〝いい笑顔〟になってもらいたいと、思った。
プロデューサーさんは、いつもこんな気持ちなのかな……。
そんなことを思いながら、美波は寿司を手に取った。