アニメ アイドルマスターシンデレラガールズ 3rd SEASON (完結) 作:栗ノ原草介@杏P
〝悪いんだけど、迎えに来てもらえるかな?〟
用件だけを述べた端的なメールが、杏から届いた。
プロデューサーは了承し、車で杏のマンションへ向かい、電話で呼び出した。
しばらくして、うさぎのヌイグルミを抱いた杏がマンションから出てきた。
「悪いねプロデューサー。今日はちょっと、睡魔が強烈でさ……」
杏の顔をみると、確かに眠そうだった。大きな目の下にくまがあった。
「体調管理には、気をつけてください」
「へーい」
朝の空気の残る住宅街を走り出すと、何かを決意するような吐息があって――
「あのさ、プロデューサー。ちょっと、わがまま言っていい?」
「……はい? なんでしょう?」
「きらりんロボの舞台だけどさ、今の台本でも、まあ、悪くはないんだけど、もっといい話にできると思うんだよね」
「台本、ですか?」
「うん。今の話だと、きらりが悪役で、小関麗奈ちゃんが正義の味方じゃん? でもそれ、逆にしたほうがいいと思うんだよね。昨日の様子だと、麗奈ちゃんは悪役のほうが向いてそうだし、きらりはもちろん、正義の味方がいいだろうし」
「それは、そうかもしれませんが、今から演出家の方や脚本家の方にお願いして、新しい台本を書いてもらうというのは、時間的に厳しいかと……」
「うん、そう思って――」
赤信号で止まった隙に、杏が身を乗り出して――
「台本、書いてみた。まあ、悪くない内容だと思う」
「双葉さんが、台本を……ッ!」
プロデューサーは、思わず振り向いた。
杏は、両手にコピー用紙の束を持っていた。
彼女の目の下にあるクマの意味が、分かった気がした。
「プロデューサー、信号青だよ」
プロデューサーは、慌てて前を向いて車を発進させた。
「これは杏のわがままだから、聞いてもらえなくても恨まないよ。でも、こっちの話のほうが、その――」
杏はもぞもぞと、うさぎのヌイグルミをきつく抱きしめながら――
「プロデューサーの言う〝笑顔〟ってやつに、なれるんじゃないかなって」
プロデューサーは、車を路肩へ寄せて止めた。
杏から、コピー用紙の束を受け取って、素早く内容を吟味した。
話の大筋は変えずに、しかしきらりを正義の味方に、麗奈を悪の女王に仕立て上げてある。
「多少の直しは必要ですが、悪くないと思います。私も、こちらのほうが良いと思います。早速、演出家の人に話をしてみます」
「…………」
「双葉さん?」
台本から、杏へ視線を移した。
杏は、シートに倒れて寝息を立てていた。
プロデューサーは口元に笑みを浮かべ、車を発進させた。
* * *
「今日から本読みして稽古です。今更台本を変えてくれと言われましてもね……」
演出家は、プロデューサーの申し出に首をひねった。
隣に立つディレクターも、眉間にしわを寄せている。
「台本は、できているんです。目を通してみてもらえませんか?」
食い下がるプロデューサーに、ディレクターが口を開こうとする。
それを、演出家の手が制止する。
その手をそのまま、プロデューサーの方へ出して――
「まあ、読むだけなら」
プロデューサーが杏の書いた台本を渡すと、演出家は慣れた手付きでめくり始めた。
とても読んでいるとは思えないスピードでめくって、ぱたんと閉じた。
「これは、あなたが書いたんですか?」
「いいえ、私では……」
「それっぽく体裁とってますが、これじゃダメです」
「もちろん、そのままではダメだというのはわかっています。ですので、修正を入れてもらって――」
演出家が、手の平をプロデューサーへ向けた。
そして、鋭い目つきで――
「何でそんなに、この台本にこだわるんですか? 大筋の話は、変わっていないように思えますが?」
「それは……」
プロデューサーは、自分の中で考えをまとめ、演出家と視線を合わせ――
「演者の、モチベーションが違ってきます」
演出家は、目を丸くしてから、渋い顔をして――
「役者のために台本を書き換えたと、そういうわけですか。普通は、役者が台本に合わせるんですがね」
「わがままを言っているのは、百も承知です。ですが、アイドルの魅力を発揮させるためには、アイドルの個性に合わせた内容にする必要が、あると思います。その方が、よい結果になると、思います」
「だから、アイドルのやりたい演技ができるように、台本を変えたいと?」
プロデューサーは、演出家から目をそらさずに、うなずいた。
――アイドルのやりたいようにやらせて、成果を出す。
これは、プロデューサーの信念でもあった。
彼女達の気持ちを尊重し、笑顔のままでアイドルとして輝かせる。
プロデュースの方法で美城常務とぶつかったときも、これだけはゆずらなかった。
演劇とアイドル。
それぞれ舞台は違うが、しかし、彼女達を輝かせる方法は同じだと、プロデューサーは思っていた。
「いまから台本を変更するとなると、急がないといけませんね」
演出家がもう一度、今度は丁寧に杏の書いた台本を読み始めた。
「えっ、変えるんですか!」
ディレクターの声に、演出家は笑って――
「まあ、今回は出演者のほとんどが演劇の素人です。女優を舞台で輝かせる方法なら分かりますが、アイドルを輝かせる方法について私は詳しくない。だから、プロデューサーさんの助言を受け入れたほうが、良い結果が出そうな気がするんですよ」
演出家は今一度、プロデューサーと目を合わせて――
「プロデューサーさんは、良い目をしています。信念ってやつを感じます」
「しかし……」
ディレクターは、不満げな吐息を落とし、沈黙した。
プロデューサーは、無言で演出家へ、頭を下げた。
知らずのうちに、拳を強く、握っていた。