もう覚悟は決まった。私の意志は既に賽を投げてしまった。
金剛の部屋を後にする。最早ここに用はない。
……私がいる間、最後まで彼女は身じろぎ一つしなかった。さっきの強制覚醒が堪えているのかもしれない。廃人に鞭打てば、度合いが深まるだけに決まっている。俯いていて、顔は髪で隠されて見えないまま。か細い呼吸がゆっくりとだ。こんなもの、惨めそのものだ。ドアを閉じ、内心で彼女を哀れむ。
向かう先は執務室。お休み中失礼なのだが提督の所へ行く。一日中休憩時間みたいなヤツなのだから構うことはない。
廊下に居る艦娘の数はまばらで、戻っていく第1班と遅れて食堂に向かう第2班の輩達だ。私は挨拶もせずにそのまますれ違う。相手もそうしてこない。私が外様だからというわけではなくて、ここではそういう雰囲気なのだ。つるみたいやつとだけつるめばいい、それだけ。仕事場が同じならそれなりの会話は必要だが、そうでないならば不要だ。違うクラスとは全然接点がない、みたいな。私にしても部門の代表としか話をしないし、その下に付くやつとは話す必要も感じない。今回の比叡達への伝達もそう。倉庫番の比叡には直接だが、榛名・霧島は大淀を介した。同じ仕事場に居るから。比叡は電話の第一声が“ね、寝てません!本当です!”で失笑モノだった。
一方大淀は妙に機嫌が良くて二つ返事で事が進んだ。……最近の新聞を見て考えられる流れだと、世界有数の電機メーカーの株をギリギリで売り抜け、かつ利益を回収できたのではないか。数ヶ月前資金運用をスタートアップした時、提督の指示でかなり買っていたはずだ。起きてすぐ新聞で見た時、”ウチ大丈夫かしら”と思ったけど。
まず、世界的な期待作となる製品についてリーク情報が流れた。それに目をつけて提督が大きな買いを指示、案の定発売からは株価大上昇。この時点で更なる伸びが期待できていた。
しかしながらその企業の現状は、色々な理由でガタガタ。しかも突然それが露呈したものだから、マーケットが急激に売りに傾き大荒れ。それで機嫌がいいのなら、値がそこまで下がっていない時点で売り抜けたはず。かつ最初の投資額より多く現金を手に入れたわけで、楽しくて仕方がないはずだ。提督の方針を守った結果、堅実に利益を得つつリスクを真っ先に切れた。
……大淀は明石がお気に入りだから、多分工廠の設備投資も考えていると思う。二人のさっきの筆談ならぬタブ談はそれか。
執務室の前に着いた。ノック無しで一気に踏み込む。
「失礼するわ」
本当に失礼だと思う。
入ってみると、執務机に座る提督が居た。煙草を蒸していないし、カップからは紅茶の湯気も立っていない。よく見ると――――――――
胸に、ドールを抱いて、物凄い笑顔。
しかも3つかよ。金持ちか。
それよりアレ、真っ当に笑えたのか。
てか何だアレ。
何だあの人間。
アレ人間だ。
笑ってる。普通に笑ってる。
アレ、人間だったのか。しかもすっごく可愛い。ド可愛い。
あの女可愛かったっけ。確かにド美人だけど可愛いとは全然思わなかった。
待て待て、え?
なんで笑ってるのあの女。
ドール、お人形さん、抱っこして、お楽しみ?
お人形さん遊び大好きな、いい歳した、20代半ばが?
「ん」
あ、あの女、いやアレが私に気付いた。アレ真顔。超真顔。だめだ、もうだめだ。
「あ、はははははっはっ、ひぃ、ひひひひひひっうひひえええっへへへへへひひひ」
ダメだもう堪えられない。なんだアレ。お人形大好きおばさんか。弱みに付け込みに来たのにもう一つ弱みを握ることになるとは思わなかった。腹が痛い。死ぬ。
「ノックはしたまえ」
それしか言うこと無いのかコイツ。慌てろ。
笑える。恥ずかしくないのかいい歳こいてお人形さんでハッピーとか。だから彼氏いないのか。それは、確かにこんな仕事だ、遠距離恋愛どころか着任のせいで別れてもまぁ理解は出来るけど、そういう女臭さとか男の痕跡とか皆無。こいつ干物。私でも一端に男作ってハッピーなことしたぞ。相手は貧乳マニアだったけど。くそ。でも振ったのは私だから悔しくない。悪いのはロリコンだ。奴らは時を過去に進んでいけばいい。
「なん、で、ひぃっひひひ、ひるやす、み、げほっごっほ、お、お人形遊びいひひひえへっ、げほっ」
「一応秘密の趣味だからだ」
「ばれ、ば、ばれてやんの、ういひっ、うひひひひひっ」
「君がノックをしないからだ」
昼休みにノックしなかったら一発でバレる秘密のお楽しみってなんだ。アホか。なんでこんな艦娘が一斉に暇になる時間にそんなことしてるのか。笑いが止まらない。
……なんとか笑いが収まって、私はまた話し始めた。
「いや、なんで昼休みなのよ。私みたいにいきなり入ってくるとか考えないの」
「ノックするように指導はした。それは守られなければならない。叢雲、君はそれを逸脱した」
「あらあら。それは失礼したわね」
「だが、今回害を受けたのは私であって鎮守府ではない。確かに私にとって秘密の趣味、つまり極めてプライベートなことではあるが、咎めはしない」
「あら」
意外だ。いや、意外ではないか。自身のことにひたすら無頓着だが、流石にこれは気に障っただろうと思ったのに。
「じゃあなんで隠してるのよ」
「20代半ばの女が、ドールが好き、というのは恥ずかしいものだと考えられるからだ。ならば、それは隠すものだろう」
「なによそれ」
つまり、アレはこう言っているのか。
”一般的には隠すべきものと思ったから隠しているだけ”。意味がわからない。
「で、別にアンタ自身は恥ずかしくないわけ」
「そうだな」
「ホント訳分かんないわね」
どういう感性だ。今の恥ずかしくなかったのか。マジか。私だったら発狂モノだ。というかこの女でも流石に慌てふためくものだと思ったのだけれど。もう今さらだがコイツ一体何なんだ。いきなり女の子女の子してるのを見られて死ぬほど笑われたのにそこで全然恥ずかしがらないし、本当に分からない。おかしい。
「それで、君は何の用があってここに来た」
私がとやかく考えていると、当の本人は何食わぬ顔で私に質問する。ドールを仕舞いながら。執務机の右側一番下の引き出しに。そこか。思春期男子のエロ本か。本当にあるのを見たことある。彼氏の家で。全部疑似児ポだった。トラウマだ。もしかするとホンモノもあったかもしれない。というか撮られてないはずだけどもしかして……。いやこれ以上いけない。やめ。しかしよりによってそこに隠すのか。コイツ本当に女か。
そうだ、とりあえず用があったから来たのだ。結構個人的に重要な用事が。
「そう、用事ね。提督。アンタ、自分の立場にいくら払える?」
「むしろ私は立場で給料を得ているが」
「そうね――――――じゃあ、その立場が有料になるとしたら、どうかしら。ねぇ」
「む」
しばし、沈黙。
おい。
ちょっと待ておい。
真面目に考え始めるな。怖がって話がスムーズに行くかと思って私悪役っぽく悪い雰囲気出しちゃった。恥ずかしい。全然空気読んでくれない。コイツ本当どうしてくれようか。
「社会保険料などの控除額のことを言っているのか。最初から有料だが。福利厚生はそれに見合ったものと考えている」
そうきたか。そうだね、社会保険料とかは額面から控除されるよね。高いよね。特にこの鎮守府、福利厚生の充実の代わりにかなり差っ引くよね。お前のせいだ。まぁそれでも結構な手取りがあるけど。
「ごめん本当にごめん私が悪かったわバカ」
「かつての君より上の序列で卒業した自信はある。確か君は海軍主計学校だったはずだが」
「よくご存知で。でも陸軍軍学校は成績でバカを検出できないってよくわかったわ」
「それではテストの意味がない。その旨を進言しなければ」
あー違う、そうじゃない。なんなのコイツ。真面目か。クソ真面目か。バカが真面目なのか。
「真面目に答えてんじゃないわよ」
「む」
私が一体何を言っているのか分かっていないような答えばかりだ。またクソ女は考え込むと、ようやく何か答えに思い当たったように、
「となると、君はもしかして冗談を言っているのだろうか」
いやその通りではある……ような、ないような。一体私も本当に何を言っていたんだろう。でもコイツは何を言っているんだ。ギャグのつもりか。
「えぇ……いやアンタのその答えが冗談かと……」
私は額に左手の甲を当てながらふらつく。知恵熱気味か頭が熱い。どうして今日はこんなに面倒くさい日なんだ。私がたたらを踏んでいると、アレが何か言おうと口を開き、
「貧――――」
「貧血じゃないわよ」
「生―――」
「それでもない」
「む」
なんだコイツ。人がふらつくと貧血かあの日しか理由が思い当たらないのか。セクハラで訴えたい。
更に考え込んだアレはついに重々しく口を開いて、
「ならば脳卒中の可能性が疑われる。特別強い頭痛は無いようだが、運動機能に障害が出ていることから油断は出来ない。直ちに医務―――」
「それも冗談のつもり?」
「……いや、私は知っているジョークしか言えないが」
「でしょうね……別に血管切れたわけでも詰まったわけでもないわよ、キレそうだけど」
はあ、キレそう。プッツンと。
落ち着こう。深呼吸。
……大して落ち着かなかった。やらないよりマシなくらい。
まぁこの女に皮肉も冗談も通じないのはなんとなく分かっていたけど、それもここまでだと度を越している。こいつと会話するにはどうすればいいのか分からないレベルだ。気分は宇宙外交官だ。この宇宙人め。
しかも“言えるジョークは知っているジョーク”と言っているが、そのジョークにしても不条理、かつ淡々としすぎた説明で笑いどころが分からない。会ったばかりのときは私も多少のコミュニケーションは取ろうと努力していて、それで何か笑い話を、と言ったらそういう感じになった。心底私が悪かったと思う。
いや、後々見た元ネタは確かに面白かった。これ以上無いほど。でも、それをこう説明されてみろ。
『イギリスで、とある二人組が朝食を食堂に食べに来た。ちなみにワイヤーで上から降りてくる。それで、おかみにサンドイッチは何があるかと聞くと、”卵・ソーセージ・スパム”、”スパム・ソーセージ・ベーコン・スパム”、”スパム・スパム・スパム・卵・スパム”などとスパム尽くしだった。だが二人のうちの老婆の方はスパムが大嫌いで、”卵・ソーセージ・ベーコン・スパムのスパム抜き”をくれと言った。するとおかみは”ウエェ”とえづいた。……この意味だが、スパムとスパームつまりスパムと精液が掛かっていてだ、かつソーセージ・卵はペニスと卵子の言い換えでもある。その
『まって』
会ってすぐの奴にド直球下ネタ連打か。それに女でしょアンタ。ドン引きした。精…のあたりで絶句して、種……の所でようやく制止した。上手いこと言ってない。
元のスケッチ――コントと同義らしい―――に興味があるかと聞かれて、つい“まぁ、ないわけじゃないわ”と言うとDVD-BOXを押し付けられた。結構年季が入ったのを。なんで鎮守府にそんなもの持ってきてる。というか信者か。それで更に慄いて一旦引き“再生機が無いわ”と言った。しかしアレはすぐに福利厚生として予算を組み、テレビとBlu-rayレコーダーを全部の寮に備え付けた。おかげで私は駆逐艦寮の共用スペースのテレビで半ば衆人環視の下、”空飛ぶモンティ・パイソン”というものを見る羽目になった。イッツ……最後まで言え。面白かったけど。ちなみに実際はみんなDVDとかを買うのに興味が無かったから、最終的にはアレがパイソンのDVD-BOXを全部の寮に買った。また予算組んで。まぁテレビが面白くない時には重宝している。でもアレはやっぱり重篤な信者だ。
……何話そうとしてたんだっけ。
あまりに相手が軌道に乗って来ないから気が削がれてきた。正直疲れたからもう話したくない。
ああそうだ、これからこのクソ女を恫喝するんだった。
私としては。
正直あのお荷物金剛がどうなったところで知ったこっちゃあない。どうでもいい。
だけども一応、これはスキャンダルの部類だ。でもだからといって、私の古巣たる大本営に上奏しても別に何も起きやしないだろう。
“海から来た人類の守り神”たる艦娘―――実は私達も海で死んだことになってる――を拷問。
……大本営は看過する。きっと。この戦争の激戦期に横行した死兵戦術、”捨て艦戦術”も無かったことにされているし、コレにしたってまた揉み消されるだろう。アレも提督の椅子に座ったままだ。上が求めているのはその能力だけだから。それに対象があの金剛。使えなくなった艦娘の1体や2体、どうなったところで構わない、そんな方針のはずだ。加えてアレは、“余力有る運営を実施している”とか言いそう。それでおしまいだ。事実だし。人類の営みにも、軍が要求する結果にも、何も影響がない。
だから、結果など知ったことではない奴ら、そう、人道とやらを主食とするブン屋達にリークするのだ。そうすれば、人の形をしていてかつ見目麗しい艦娘には国民からの大きな同情票が集まる。そうすれば民衆圧力に耐えかねて人事の変更が起きるはずだ。具体的には、現提督の解任。
私は、提督をこれで脅迫する。
私が他所にペラペラ喋るか、私の前に金を積むか。そういうふうに。
まぁ、実際金が払われなかったところでどうこうしようとまでは思っていないが、可能な限り多く金がほしいだけ。全ては金、金、金。金のためだ。金がなければならない。
沈みゆく天秤の皿を、もう一度、さらに一度、力尽くに跳ね上げるための力が。
「そうね、話があるのよ。……とっても大事な、ね」
「なるほど。では筋道を立てて詳細に述べたまえ。大事なことなら尚更だ」
「アンタとことん台無しにしてくるわね」
マジか。ここまで空気読めないのか。いやホント雰囲気で怖がらせて優位に立とうとか考えるんじゃなかった。ここまででダメージ受けてるの私だけだ。何やってるんだろう。何もない所で転んでるみたいだ。アホか。
そもそも食堂でも面倒になる前にさっぱり話を終わらせたのだから、今もそうすれば良かった。じゃあきっぱり言おう。スッキリしよう。
「じゃあはっきり言うからキッチリ理解しなさい。……アンタが金剛を拷問したという事実は把握したわ。私がそれを外部のマスコミにリーク、結果として世論からの圧力がかかってアンタは解任……なんてことになりたくなければ、私に金を払いなさい。口止め料というやつよ」
「……」
黙って話を聞いている。“む”もなし。ちゃんと意味を理解しているみたい。相槌も何もなしというのは気になるけれど。
続ける。
「アンタね、鬱病患者に覚醒剤を打ち込むとか、立派な病人虐待よ。このことが明るみに出れば、国民の感情がどう向くかは自明よね。アンタへの反感が高まるに決まってる。政府はそれを無視できない。なぜなら、艦娘はこの国の、ひいては世界の守り神だから」
「……」
ここまでちゃんと説明したけれど、最後に纏めだ。言うべき点は全て言い終わった。その要約だ。私はざっくりと、
「要するに、クビにされたくなかったら、私に金を積みなさい。……話分かった?オーケー?」
「OK」
この最後の一言で少し目が見開いたのが気になる。そこで反応するのか、という違和感があるけれど、返事は即答だった。……どういう心境なのだろう。それにしても、
「ん?……んん?えらくあっさりね」
「次の給料日で昇給だ」
なんだその話の早さ。というか昇給ってなんだ。意味分かってるのか。私は、言ってしまえばアレだ、賄賂とかそういうものを要求しているのだけれど。
「え、コレ、冗談?あのね、一応、口止め料を要求してるのよ、自分で言うのもなんだけど綺麗なお金じゃないわけ。給与とか、そういうものと別に要求してるの」
「私は知っているジョークしか言えない。二度も言わせるな。その金については昇給ということにする。以上だ」
そう言うと、アレは煙草に火を付けて吸い出した。美味そうとも不味そうとも思っていない、いつもの無表情で。じゃあ吸うなよ。
「えぇ……そういう流れになると思ってなかったんだけど」
「いや、そういう流れだと私は判断したが。……これも君の冗談なのか」
「ああいや、本気よ。……まぁいいわ、じゃあ次の給与明細を楽しみにするわ。賢明な判断よ、提督」
「それと、君には役職を追加する。金剛の世話役、これを君が務めたまえ。明日からだ。あの三姉妹は解任とする」
煙草の先の赤が強く光って、灰が伸びる。それを、アレは灰皿の上で一度弾いて振り落とした。
また咥える。光って燃える。あれは吸い込み過ぎだ。絶対美味くないだろう。もうちょっとのんびり吸え。
彼氏に吸わされた時期もあったけど、強く吸うと煙草は不味い。すごく。周りに悲しまれたのでフッたあとはすっぱりやめた。好きでもなかったし。
「ふぅん……それで給与計算上おかしくならないようにするって言うのね。ご丁寧な対応、痛み入るわ。全くもってね」
「言いたいことはそれで終わりか」
「ええ。これで十分。くれぐれも、宜しくね」
そう言って、私はアレに背を向け、ドアノブを捻って部屋を出た。
とりあえず上手くいきそうだ。
アレは嘘を言わない。私も十分に意図を伝えた。
これで私は目的を達せられる。金は手に入る。もう少し上手に、私は私の理由を果たすことが出来る。
今日の晩酌が美味しくなりそうだ。
●
叢雲からの要求を、私は受け入れたわけではない。さっき見た映画のように反応しただけだ。
吹替版では「OK」だが、原語では、
「
そう。ダメだ。叢雲の目的が私の排斥ということであれば、私が為すべきは一つ。
「逸脱には罰を与えなければならない」
加えて、これは彼女が一方的に私から利益を引き出す取引。取引そのものを守る保証もない。私から一方的に金銭を搾取しつつ、そのまま世間に私の金剛に対する扱い方をリークする、つまり両取りにかかることも考えられる。ならば、
「――――ここから居なくなるのは、君の方だ」
利益は不利益で相殺を。不利益は利益で相殺を。
利益には利益で報いる。不利益には不利益で報復する。
私は、ここを離れるつもりなど無い。
金剛は誰にも渡さない。私の特別なひとを手放しはしない。
だから叢雲は排除する。外に出してやることもしない。この鎮守府で始末する。
私はバグを、逃しはしない。
Q.92分の20世紀FOXの映画って?