2020/02/24
伊勢、日向のキャラ付けに関して再検討しましたので、セリフを修正しました。
2020/02/27
叢雲の「吐いた」経緯の描写ミスを修正しました。
私達が食堂に入った頃には、既に提督は食事を終えて下膳しているところだった。盆を両手で持ち、レバーを右手の甲で擦るように操作している。グラスもマグカップも皿の二枚も空いていて、配膳ほどの危険はないらしく、少々ぎこちないながらもカウンター端の下膳口に近づいていっていた。
瑞鶴が先に盆を取り、カウンター前へ。私もそれを追う。小鉢2種、主菜、椀物、麦飯の順に取っていく。今日の小鉢はほうれん草の御浸し、それに白菜と人参の浅漬。昆布も細切りで入っている。主菜は焼鯖、椀物は掻玉、麩と三つ葉のお吸い物。カウンターの大盆の上に並ぶそれらをテキパキと取って行く。全てを載せ終えて席に向かおうとしているところ、提督が私たちに気付いた。いつも通り、長い前髪に遮られた目がこちらに向いている。本当は何を見ているのだろうか、まるで分からない。
無精とファッションの境界をさまよう黒髪、無駄に膨れた乳房、そして動かない足。特に二種軍装は白いから着痩せの逆になり、胸が更に増して見える。それでいて顔は常に無表情、恐怖画像並なこと以外は満点以上、かつこれでノーメイクなのだそうだがなんだコイツ喧嘩売ってるのか。加えてアレは女所帯で女に敵視されることを一切厭わないどころか、自分のスタイルに興味が欠片もないらしい。まぁ四六時中スパム食ってるような女が体型を意識しているとかお笑いだし、逆に意識していないのにソレなのも笑えてくる。乾いた笑いだが。
「叢雲。スパムの形をしたスパム以外のモノとは何だ」
「は?」
何を言っているんだアレは。
……ああ、さっきの話か。今日は間宮羊羹が楽しみだった。しかも人の金で食べられると慣れば尚更だ。……羊羹も、形だけはスパムと同じと言えるかもしれない。だからあくまで似ているからテキトーに答えただけで、
「自分で考えてみなさいよ」
「スパムの形をしているのはスパムではないのか。君の言わんとする意図が分からない」
スパムを侮辱された、とかそういうよくわからない短気を起こしているわけではないらしい。とは言え怒っているのかそうでないのかも全く読み取れないのだけれど。今は怒っていないと仮定して考えよう。
……理解しがたいけれど、アレにとっては本当に“スパムの形をしているものはスパム”らしい。だから何に似ているかとかそういう発想がないのだろう。
「いいから頭を使いなさい……」
「む」
”む”だ。まだ付き合いは浅いけれども、アレは“困ったとき”にその一言を返してくる。そう、ピリピリと来ているわけでもなく、ただ本当に困っているのだ。そして考えている。けれど、
「ランチョンミートか」
「結局スパムじゃない」
「スパムはスパムだ」
案の定だ。やっぱり何を考えているのか分からないが、どうも想像力がない上に融通も全然らしい。良くそんなもので管理職を務めていられると思うのだけれど。
このまま相手をしていると疲れてきそうだったから、
「……羊羹よ。間宮羊羹」
「羊羹は羊羹だろう」
「漉餡固めたのと豚肉固めたので、その2つの形は似てるってことよ」
「……ああ、そういうことか」
私が言うまで本当に分かっていなかったらしい。前髪の向こうで数回目を瞬かせたのが見えた。目から鱗とまではいかなくとも、それなりに驚いたみたいだ。こう、なんでこんなに面倒くさいのが提督なんだろうか。仕事の時なら話は早い方なのだけれど。
「もういいかしら」
「ああ、余計な時間を取らせた」
そう言うと、提督は出入り口へと向かっていく。相変わらず、ナチュラルに部下と没交渉だ。
一方、そんな私を放っておいて、瑞鶴は間宮に羊羹と抹茶の注文を済ませて席に座っていた。もう食べている。鯖の身をつついているところだ。3分の1はなくなっている。彼女が盆の上の昼食を片付けたころにはデザートの準備ができているはずだ。
私は手を合わせて、それから箸を持つ。すると、瑞鶴は目線だけ上げて私を見て、
「何の話してたの」
「スパムと羊羹が似てるって話」
私はざっくりとさっきの話を纏めると、瑞鶴が気味悪そうに眉を顰めた。
「うげ、頭おかしいじゃん」
吸い物を流し込んで気分を整える彼女。私はまずは浅漬けに手を付ける。……爽やかな味わい、それに昆布の風味が効いている。流石の出来だ。白菜と人参をポリポリと噛み締め、飲み込んでから私は、
「……提督はそうね、おかしいわよ。誰も気にしないけど、というより“今までの誰よりもマシ“だから分からないのよ」
「……なによ、それ」
他の艦娘から聞く話では、瑞鶴は前提督に相当懐いていたというし、その彼女を現提督以下と言ったのにも納得が行かないのだろう。そんなことは気にしない。実際私は今のほうがマシだろうと思う。ピンピンして生きている人間にはいくらでも悪く言えるものだから。死んだ人間に鞭を打てる人間はそうそう居ない。特にここには。
「前提督はやつれ果てて死んだ、って話を聞いたけど。聖人君子だったっての差し引いてもマイナスじゃないの。酷い死に方だわ。その点アレはきっちり0点、そう思わないかしら」
懐いていたというなら、その分提督の死は“傷”になっただろう。突然死などではない。徐々に命をすり減らして死ぬべくして死んだのだ。……現提督による改革の後だから言えるが、確実にそれは犬死だったと言えるだろう。ほぼ全業務を一人で抱え込んでいたというのだから、非効率極まりない。過労死宜なるかな。
「……そう、そうかもね。うん。あんな女、どうでもいいけど、心配することなんて欠片もないから気は楽」
瑞鶴は0点の意味を飲み込んだついでに、麦茶を一口。
「そういう感じ。“どうでもいい”、は0点でしょ」
「言いたいことは分かった」
瑞鶴が睨むような目をして鯖の身をつついて、ごろりとした塊が分かれた。それを摘んで口に放り込む。……案の定骨が入っていたみたいで、いらついて眉間に皺が寄った。もう少し小さくほぐせばいいのに。下手だ。そう思いながら私は私で鯖の身を解していく。ふわふわとした身を掻き分けて、つやつやとして光る骨を箸で挟んで引っこ抜く。それを繰り返すと随分すっきりとした。小骨取りは昔取った杵柄というか、人より数をこなしているから慣れている。
「私からしたら金払いが良いからプラスなんだけど」
そう言って鯖の身を噛みしめる。脂がよく乗っているし臭味もない。焼いたと言うのに瑞々しいくらいだ。すぐに麦飯を頬張る。口の中で香りがよく立って鼻に抜ける感覚が心地よい。満悦至極の昼食だ。
「その割には貧乏くさい」
うるさい。
「身も心も清貧が身についてるのよ。たまの贅沢はそうね、神様もどうせ許してくれるわ」
どんなに慎ましやかに生きていても、時には甘味に舌鼓を打って贅を味わいたいものだ。当然の感情として。むしろそうでなければ健全ではないと信じているし。
「殊勝なの、適当なの」
「ドライなだけ。捨てられないものはここにはないの」
「へぇ」
椀を持って吸い物を啜る。鰹、海参、昆布、他にも色々な出汁が混ざっていて複雑、かつ強烈な旨味だ。色も薄い黄金色で綺麗。いっぱいに吸い込んだ麩も摘んで口へ。少しの弾力となめらかな歯ざわり、そして搾れるようにあふれた汁が味覚を刺激する。
瑞鶴は一気に浅漬けと飯を掻き込んで、最後に汁を飲み干した。それで食事は終わりだ。鯖は皮も食べたらしく、骨が何本か皿の上に残っているだけ。
「ああ、金はあげないわよ」
「いらない。いくらあっても別にいいけど、いくらあったところで変わらない。何も」
「薬代は貰ってるくせに」
「保険入れないから手当で買うしか無い」
「ならとっとと退役して金だけ貰って余生を過ごしたら。で、出家とか」
「神も仏も信じてないし、そこまで悟ってない」
「女神様はいるんじゃなかったの」
「いるよ。女神様だけはね。ここに」
それで話は終わりだ、と言いたいのか、彼女は錠剤のシートから薬を押し出し、麦茶で胃に流し込むと席を立ち、お盆を持って下膳口へ歩きだした。
「……取ってきてあげるから」
「落とさないでよ」
そう言うと、すたすたと歩いていった。私はまだのんびりと食事を楽しんでいよう。抹茶もすぐには冷めないし、そこまで急ぐこともないと思う。……この御浸しも出汁が効いてる。こっちは鰹一種類か。醤油の香りも飛んでいないし、塩気が薄めだからか素材の味が引き立っている。この素材の味というのが濃いと、苦いというかえぐ味がきつくなりがち。そこで灰汁抜きやらが必要でこの茹で時間が難しいのだけれど、この御浸しは深みのある味を残して完璧に仕上がっている。このほうれん草そのものだって良いものなんだと思う。スーパーとかで普通に探していてもなかなか見つからない類だ。高そう。
……こうして艦娘になって得をしたことと言えば、こうして間宮達の作る美味い料理が毎食食べられること、艦の厨房で延々と根菜の皮むきをしなくていいこと、上官からバッターで殴られないこと、男連中からセクハラされないこと、男女混成のやりにくい生活じゃないこと、あとは人間としては“殉職”になるから見舞金が出たこと。
ちなみに解体されると戸籍が復帰するのだけれど、その時に退職金も貰える。そのまま退役になるのだ。ちなみに見舞金は取り上げられない。“戦地で死んだと思われた”人間が戻ってきたのでその祝い金ということになるみたい。はたから見れば随分お優しいけれども、私達は解体の時までは人を捨てているのだ、お国のために。だから金に関しては出て当然だと思っている。……そうだ、冤罪が分かって逆転無罪になった時に貰える多額のお金だ。それに似ている。ちなみに轟沈、つまり艦娘として戦死したら出ない。理不尽なのか当然なのか測りかねるが、二度死ぬ権利は無いのだ。兵器だから特別損失で計上されて、はいオシマイ。それだけ。艦娘になってしばらく横須賀にいた時、簿記上に先任艦娘の評価額が特別損失の科目で載ったのを見たことがある。その日の晩は流石に吐いた。そう考えるとなんで私もそんなものになったのかということになるが、何の事はない、金のためだ。
私には金が必要だ。いくらあっても困らない。いくらあってもいい。いくらでも欲しい。だから私はこうして艦娘でいるのだ。それに、この提督はそこそこ金払いがいいから、為人がどうだったとしても構わない。全てはより金を出してくれるか、だ。だから今日の瑞鶴のよくわからない趣味にも付き合ってやったのだけれど。
ともかく、私達艦娘は死なないように長く勤めて、適当なところでシャバに帰るのが目的だ。金のことを考えるなら。
「ごちそうさま」
私も最後は汁をすすっておしまい。今日も充実の食事だった。夕飯が楽しみだ。でもその前に、
「はい」
羊羹が来た。とにかく一度食べてみたかった。漆塗りの皿に薄紙を敷いて、その上に羊羹。糖衣で白く化粧されて光っている。これは甘い。そうだすごく甘い。よく存じ上げているけれどものすごく甘い。そして抹茶。これは焼き物の器に淹れてある。多分この羊羹、抹茶で口直ししないと舌が焼けるくらい甘い。でもそういうのも好きだ。嫌いじゃないわ。
盆が置かれた音を合図に、思わず口許が吊り上がって鼻息が出る。
「毎度あり」
「じゃあね、私はしばらく……寝てるから……落ち着いたらまた……出てくる」
そう言って、瑞鶴は食堂を後にした。足取りが目に見えて重い。薬が抜けてきて具合が悪いみたい。……病人というのも難儀なものだ。無理やり生きる、それだけで上乗せで掛かる金、切り詰めようがないそれ。彼女は浮世では生きていけないだろう。いや、保険が効くようになるから慎ましく暮らすならなんとか、か。所詮は他人事だし、どうしようもないけれど。
楊枝で羊羹を刺し、賽の目に切る。口に入れる。……衝撃の甘さだ。舌に波紋を感じる。脳が痺れるほどスウィート。あまりに甘すぎて視神経がスパーク、オーバードライブ。コレ、何かヤバイものなんじゃないか、と思ったこともあるけれど、本当にこれはただの甘さで起きているのだ。ああ、山吹色の体験。脊髄が官能で満たされていく。
…そういえば高校生の時に付き合った元カレはどうしているだろうか。ロリコンで、私の胸が徐々に膨らんでくると反比例でセックスにやる気が失せていった。おのれ女性ホルモンと悶えたが、そのうち私が彼に冷めてくるとみるみる胸が縮んで、あっちはまた盛っていた。結局ついていけないので振った。
いやこんなことは全くどうでもいい。思考がおかしくなっている。ああ視界が今度は虹色に染まっていく。明らかに幻覚だ。
……あの子達は今日もタイムアタックで私の後塵を拝しているだろうか。私が最終ステージをバグ技連発して超短時間でクリアしたのをきっかけにあの子達もバグ技タイムアタックに熱中し始めて、でも結局私の記録に勝てていない。永遠に私のゴーストの背を拝み続けている。いきなり逆走するゴーストは自分でも笑える。でももういい加減第1作は休ませたほうがいい。というか結局ソフトはあれしかないけど。もう中古のWiiと中古ソフトのキューブ時代作品に乗り換えればいい。でもやっぱり第1作が一番退屈だけどバグらせがいがあると思う。ああ視界の虹に金の欄干が見える――――――待て。
本当に危ないものは入っていないはずだがLSD味の羊羹って何だ。
抹茶を流し込む。ほろ苦さで緩和、もとい解毒されてようやく現実に戻ってくる。
これは羊羹だ。羊羹なのだけれど、毒物だ。間違いない。その超ハイカロリーを揶揄して言ったはずだけれど、これでは本当の意味で毒物だ。脱法ドラッグのたぐいだ。この鎮守府にマトモなやつは居ないが、食堂まで汚染されているというのはとんだブービートラップ。普通こういう所に居る輩は最終的なタガの役であると思う。何故だろう、この羊羹だけが振り切って毒物なのだ。さっきの定食と比べると同じやつが作ったとは思えない。間宮も頭がおかしいらしい。
間宮羊羹。
砂糖の塊どころか砂糖そのものを小豆で風味付けしたような超劇物系スイーツ。
だが決して雑ではない。
抹茶を啜りながらじゃないと正気の評価が出来ないのだが、味そのものは計算され尽くした完璧な出来だ。一体どう計算したら幻覚剤になるのか分からないが、ともかく抹茶で中和したら味は極上だ。そこで抹茶羊羹にすればいいってもんではなくて危険物のままになると思う。猛烈に甘いのだが、決してガサツではない。まぁダンプに轢かれるか同じサイズのGT-Rに轢かれるかの差だけど。しかしながら、本当に砂糖そのものだったならば砂を噛んでいるような食感になるだろうが、そこがこの羊羹の分からないところ、ちゃんと羊羹そのものだ。羊羹ではない何かなのに、食感は羊羹なのだ。まるでカニのすり身で作ったカニカマのような、存在そのものに全く納得が行かないそれだ。なにせ原材料は確かに羊羹と同じなのだから。羊羹の再仕込みとかいう意味の分からない単語がふと出てきたがなんだそれは。醤油じゃないんだけど。
……羊羹が軍で重宝されるのって、単純な体力回復だけじゃなくて幻覚作用による向精神薬的な意味があるからだろうか。そのうちヤクザが羊羹で商売を始めそうだ。カタギか。しかし本当に何もヤバイものは入っていないらしいのに何故こんなコズミックな体験をしているのか。上白糖に小麦粉混ぜてるんじゃなかろうか。いや小麦粉で得られると聞く体験とは全然違うのだけれど。
ともかく抹茶で解毒しつつ羊羹を食べ終えた。言ってはいけないと思うが素晴らしい体験だった。毒物だったけど。バッドトリップしたら目も当てられない。けど間宮がその腕でグッドトリップだけを体験させてくれるのかもしれない。ああ、今それを聞こうにも第二陣の食事の準備に入っていて忙しそうだ。感想と質問についてはまたの機会にしよう。そのためにはトリップしている暇がないのが残念だが。
一度伸びをして、盆を二枚重ねて一つに纏めてから起立。私も下膳して戻ることにした。
急ぐこともないが、この休みを浪費するにも惜しい。ちょっと早足で食堂をあとに後にする。それとすれ違うように、艦娘達が群れをなして入ってきた。
「そういえばさ、最近は晴嵐って言うの?あれ出てきたじゃん、どうなのさ日向」
「ああ、瑞雲もついに旧式か……いや、むしろ水上機の流れを感じるなやはり脚付きでなければ意味がないんだ」
「だよねぇ、結局私達はそういう生き物かー。仲良くあんなになっても結局水上機水上機ってね」
「まぁ、そうだな……もうとても乗れないが。しかし、カッコいいというものを分からないやつは殺すまでだ」
「ダサいと言おうものなら死なすまでだよね」
――――――――
「そのぉ……雪風が打たせて頂くときは自動卓だとちょっとぉ……」
「いいのよ、それで……いくらでも……毟らせてあげる……不幸……不幸……いひひひひ」
「もう……不幸不幸言ってると不幸が逃げちゃいますよ?言うでしょう、厄除けに「棄」と名付けるとかって。もっと前向きにならないと」
――――――――
それに続いて、三人、似たような背と顔をした輩が肩を組んでやってくる。雰囲気は悲惨そのものだ。
「ふたりとも……ご飯だよ、ちゃんと食べて」
「でも、おねえさまが、おねえさまが」
「榛名、どうしようもないの、もう、ダメなのよ、私達」
「霧島、榛名を怖がらせちゃダメだから……ご飯取ってきてあげるから早く座って、ね」
――――――資料室で
出入り口から外へ出ようとする所で、さらに二人。タブレットを一つずつ手に持って無言で入力・見せ合いをしながら歩いてくる。私は右側に避けて彼女達をかわして歩いて行く。……歩きスマホ禁止の風潮が外で起こっているのは承知だが、歩きタブとはまるでトンチだ。その二人は、使うのも貯めるのも好きな
……他にもまともじゃないやつらがいっぱい。とは言え、仕事はきちんとしているのだけれども。そう、そこが現提督の手腕の表れ。マトモじゃない奴らはマトモな部分だけを利用する、要は“私達の能力を部品として考える”管理方法。そう。前提督は脆い自分の全てを歯車に捧げたから、つまり耐久性が無かった。私達は違う。代わりがいるし、休養も出来る。悲惨な顔してたあの姉妹だって、仕事に差し障るなら休んだってかまわない。すぐに今休んでるやつらの誰かを回して、どこかで埋め合わせをすればいいだけのことだから。
さて、私はと言うと気になることがある。
金剛の部屋で何があったのだろうか。自他共に認める外様の身としては、興味を抱かずにはいられない。野次馬根性だ。休み時間もまだ残っている。少し、金剛の様子でも見てみよう。私の仕事場はどうせ司令部だ。あの部屋だって司令部、特に時間を食うこともない。
●
一応、ノックは三回。返事はない。ということは物言わぬ金剛以外不在だ。アレも居ないらしい。
アレは確かに金剛にご執心なものの、休み時間の使い方はいつだって同じ。紅茶を飲んでチェーン・スモーキング。そう言っていた。銘柄もいつだって同じで赤い煙草、ダンヒル。輸入タバコだから国産銘柄より頭一つ抜けて高いはずだが、どうにもそれがお気に入りらしい。イギリス煙草と紅茶が好き、というとジョンブル気取りみたいで、私はそんなに好感を持たない。私があまり嗜好品に興味が無いのもあるけれど。高いから。
ドアノブを捻って入り、後ろ手に戸板を押して閉じる。目の前にはリクライニングベッドに沈んでいる金剛がいる。何度か見たけど、代わり映えのしない姿だ。ただ、今日はどこかが違う。
歩いてベッドに近づいていく。すると、彼女の左腕に目が行く。ハンカチか何かが縛られている。というか、枯れ木のような腕だから括り付けられているようにも感じる。
私にとって驚くべきことは、そのハンカチに血が滲んでいることだ。怪我か。だが、この部屋に怪我の理由になるものなんて、どこにあるというのか。だが、それはすぐ近くにあった。
……ベッドサイドテーブルに転がされた、一本の注射器だ。シリンダーの中はぼんやり赤みがかっていて、血の名残が見える。普通、注射って打つ時にわざわざ吸ったりしないだろう。そして、彼女の左腕に点在する点のような傷の数々を見ると、その傷の正体も自明だ。
「……これって」
一応把握している。金剛がこうなった理由の一つが、クスリを使った禁断症状なのだと。彼女には、薬効が切れた後の強烈な自己嫌悪、倦怠感は致命的だった。こうなってはクスリを完全に抜いた所で、決定的となった鬱からは抜け出せないのだろう。かくして彼女はこうなった。でもなんで今注射なのだか。
これが意味するところに気が付き、私は一度鼻を鳴らした。
「なるほどね」
……アレが打ったのか。コレを。それで合点がいく。
“元気にした”とは”キメた”ということだ。全く間違っていない。
「ちっ」
はしたなく舌打ち。思わず出てしまった。
控えめに言って、アレはとんでもないクソ女だ。色々と金剛から聞き出したとは言っていたが、これでは拷問だ。中毒を既に飛び越して廃人となったこの金剛にソレをやってのけるあたり、本当に人でなしだ。
ならば、私はこれに対してどうする?知ったこの事実に対して、何を為す?
本当なら為すべきことは何もない。
金剛なんてどうでもいい。
だから知らないふりして艦娘を勤め上げて、金を持って娑婆に去ればいい。
この鎮守府では逸脱こそが悪だ。軍なんてどこでもそうだけど。
私だって知らないふりをして、歯車として、人形として、この鎮守府を回せばいい。
黙して車を回すネズミのように。
でも、私は。
為すべき自分の理由を為す。今、そう決めた。
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