女提督は金剛だけを愛しすぎてる。   作:黒灰

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SISTER VIOLET

 誰もが不幸になればいい。

 誰もが不幸になって、私を幸せにすればいい。

 なのに、でも、どうして、そうなれば、ああ、なのに。

 私は一人じゃ生きていけない。

 私は私の幸福を、独りじゃ支えられない。

 だから、いなくならないで。

 私の前で、不幸になり続けて。

 どうして、そうならないのか。

 どうしてそうしてくれないのか。

 誰かを、どうしても不幸にしなきゃいけない。

 私が、私であるために。

 私が幸せな私であるために。

 だから、いなくなることが許せない。

 許せない私は、誰かを祝福できない。

 私の不幸に肩を貸してよ。

 支えてよ。

 

 でも、まだ?

 まだ生きなきゃいけない。

 

 

 ●

 

 

 さて、一転して私の栄転が決まった。ぶっちゃけ出戻りなんだけど。しかもブラック行きの可能性もある。

 で、何故かここ大湊警備府はお祝いムードを突然発現させたのだ。

 具体的には、私の搬出日時が決まったと同時に祝賀会の日取りが決められた。明後日だって。嘘でしょ。

 しかも驚いたことに、どうやら情報の出処と企画はアレ本人らしい。なので何のつもりだと問い詰めたら、

 

『栄転は祝うものだ』

 

 葬式あげるとか誕生日祝うとか変なところで一般的感性を持っているからよくわからないけれど、その”よくわからない”がいい加減分かってきてしまった。一般的感性というより、慣習には従うのだ。それを特に理解していなくても、誕生日は祝うもの、昇進は祝うもの、葬式はあげるもの、と。結婚式は……どうなんだろう。希望を聞くんじゃなかろうか。今回の私のお祝いは希望なんか取られなかったけど。

 そんなこと今更分かってももう遅い。

 あーあー、私の高給取りへの未来は昇進以外になくなった。どうせだから大佐くらいまで一気に上がってみたいものだと思う。大本営はダンゴ状態になってそうなもんだけれど、ちょっと頑張って頭一つ抜けてやろう。普通に人間だった時と変わらない。そのときに戻るのだから、そうしていくだけのこと。

 

 

 そう思って、その日を迎えた。

 

 

 ●

 

 

 今日の夜警は川内三姉妹と五十鈴。それと別に比叡と瑞鶴は欠席。で、残りの艦娘は皆集合だ。比叡は金剛の世話、瑞鶴はやめとくらしい。理由は教えてくれなかった。それ以外、タダで豪快に飲み食いが出来るということで全員出席。ほぼ100%だった。

 夜警の面子だけれど、五十鈴は流石にここまで人数が多いとテレビもないし耐えられないみたいで、川内三姉妹は酒の消費の見込みが不明なせいで遠慮してあっちに回った。多分アレは酒の量についても織り込み済みで準備すると思うのだけれど、彼女らはその予想も超えてきそうだと申告してきた。マジか。以前えげつない量を飲むのは見たことがある。神通なんかはとんだ詐欺だった。新提督着任祝い、つまりアレと私が来たときは自分達で酒を持ってきていて、引くほど飲んでいた。みんなはもう慣れていたし途中から煽り始めてた。で、何か変な幻覚でも見たのか情緒不安定を晒した那珂が暴走して脱落、それに何故か引っ張られてヒスった神通が更に暴走して脱落。最後は川内がそれをぼーっと見つめながらウイスキーラッパ呑みしてて、傍から見てる側としてはそれで決着。酒が違うから飲み比べになってないけれど、私にとってはこれ以上無い自己紹介だった。よーくあの三人がわかった。一番マトモっぽいのが一番マトモじゃない。次にマトモそうなのは精神がマトモじゃない。一番なんか怖いのが一番安定してる。そんなことが分かる飲み会だった。

 

 で、その精神がマトモじゃないのが結構マトモになった場合の飲み会を見てみたかったものなんだけれど、それはまぁ、仕方ない。……というか、要は精神的にマトモになったらもっと呑めるってこと?恐ろしい連中だ。そんな奴らには奢りも割り勘も御免被る。

 

 食堂は少しだけざわついて賑やかだ。少しだけ。けれど、皆が歩き回っている感じはまるでない。アレの手短な演説の後は固まってる。固定の人間が集まって飲んでる。……しかし、主賓たる私に挨拶だけしてあとは置いてけぼり、っていうのはなかなかシュールだ。私、一人ぼっち。提督も一人ぼっちだ。どうしろっての。

 私、殺されかけた。アレ、殺しかけた。

 そんな二人をひとりぼっち2つにしておくのは、事情を知らないから仕方ないんだけれど。それでも気まずいったらありゃしない。あっちも”気まずい”という概念はあるみたいで視線を向けてこようともしない。ずっと私から視線を逸したまま。しかもどこかを見ているわけでもなく、あー、なんだこの生き物、食べる分だけ取ったらあとは俯いてばっかりだ。もさもさ静かに食べてる。というか用意されたスパムはこいつしか食わない。生スパム焼きスパム二種類あって、どっちもアレしか手を付けていない。なんだこれ。量も控えめだったけど完全に別メニューみたいなものだ。遠回しな村八分か。そっとしておいているわけではないと思う。

 この様子を見てると妙に切なくなるけど、それは傍から見たものであって、本人は全然寂しくないし、周りもそれを悪いと思ってないはずだ。私だけがマトモだからだ。そして、この置物提督を理解していないから。私のこの哀れみというものはおせっかいというわけだ。

 

 ……よくよく考えると、この提督の立ち位置というのは絶妙にも程がある。普通上司には媚びへつらうものだと思っていたけれど、ここの艦娘はそういった事を全くしない。ある意味先進的ですらある。全員フラットな関係に見えるというか。でも、多分そうですらないんだろう。それよりももっと遠い関係だ。神様みたいな、そんなもの。実際ここの業務は1から10までアレによって規定されてるわけだから、確かに仕事においては創造神めいている。まず『仕事あれ』と言った、みたいな。何だそれ意味分からない。

 

 一応ここの鎮守府の経緯は前々の情報から、そして実際にここにいた明石から聞いている。

 前の提督は神様のような人だったと。それ以外は口を噤んだ。いや、口はきけないから、それ以外何も書かなかった、というのが正しい。ただ絶対に何か隠している。それは明白だった。無言は何よりも雄弁にそれを語っている。その中身は”外様”には分からないことだけど。過労で死ぬほど頑張りやさんか何か、それくらいしか。

 

 ともかく、どうしたものかな、と思ってグラスを持って席を立ち、近づいて話しかけに行ってみることにした。

 気まずいのは私も同じだけど。おせっかいが抑えられない。

 

「ねぇ」

「うん」

 

 “うん”……?いつもと違う相槌だ。そこでちょっと横から失礼して顔色を覗いてみる。

 ……顔が赤い。呑んでるのか。うら寂しきスパムだけの皿の横には……ワイングラス、ボトル。しかもこれ、そんなに高くない白ワインだ。シケてる。この銘柄を飲んだ覚えは……ある。買わないけれどそこそこ知っているつもりだ。タカるときの参考にしたし。で、これは白でシャルドネ……甘口も辛口もある品種だけど、この銘柄は確かお安くて甘いやつだ。

 

「それ、ワイン、少しもらえる?」

「うん」

 

 そう言うと、アレはボトルを私に渡してきた。注がないのか。まぁいい。自分でグラスに少し注いで、ボトルは机に置いて返した。貰ったときには半分くらい空いていた。

 

 ……飲む。甘い。かなり甘い部類だ。飲みやすい。これ、ジュース感覚でイケてしまうやつだ。そこまで酒に強くない私だけれど、これボトル一本となると流石にキツいものがある。でもまぁ半分なら――――――――、ってこの女。

 

「アンタ、酔ってる?」

「あんまりよってらい」

 

 かなり酔ってる。しかも弱っ。

 

 ●

 

 呂律のまるで回ってないアレを見て、しばし固まってしまった。

 アレも特にリアクションはない。

 無かったことにして続ける。

 

「呑めない方なのね」

「のんでる、のめてる」

 

 無理。なかったことになってない。状況は未だ続いている。息を入れて仕切り直したつもりだったのに。

 しかしこれで呑めているとは言えないだろう。

 

「いや、そういう話じゃなくって、大量には呑めないって話よ」

「ボトルはんぶんは、いっぱい」

 

 あーもう。

 前提からすり合わせないと話が出来ない。アレはもう判断力が枯れていて本格的に言葉が通じなくなっている。いつもならばあっちもある程度文脈を読み解いて推測してくれるみたいだけれど、今回はそうも行かないらしい。どうやら聞く耳そのものはあるのに。簡単な言葉だけで話をしよう。

 

「もういいわ、量の話は。あんた、お酒苦手?」

「あまいおさけ、すき、スコッチ、すき」

「苦いの、例えばビールは?」

「あ、ブリティッシュ、だからわたし、のまないと、ビア」

 

 そう言って車椅子のレバーを引いて後退しようとする。取りに行こうとしているらしい。

 けれど、

 

「……やめときなさい」

 

 間一髪、左のレバーを操作。モードをニュートラルに入れさせて止めた。こっちは手元が狂ってなくて良かった。しかし、いくら車椅子でも飲酒運転は感心しない。というか単純にこれは危険だ。その後は思いとどまってくれて何より。思った以上にこの女、へべれけだ。

 でも……ブリティッシュ、本当に英国人だったのか。その辺も聞いておこう、冥土の行き損ね土産に。

 

「アンタ、本当はイギリス人なの?」

「ちがう。だでぃがイギリスじんで、ママがにほんじん」

 

 混じってたのか。やっぱり。ということは瑞鶴が言っていた生え際の話も、

 

「地毛、金髪なの?」

「うん」

「なんで染めてるのよ」

「めだつね、っていわれたから、そめてゆ」

「はぁ」

 

 本当らしい。嘘をつかないこの女のことだ。理由もまとめて本当に違いない。多分、『目立つね』が褒め言葉かそうじゃないかの区別が付いていないと思う。個人的には……金髪のコレを見てみたいけど。

 しかし酔ってこの女、幼児退行起こしてやがる。

 すごい。この生き物なんだ。なんなんだ。

 怒るとか、怒らないとか、引くとか、そういうのよりなんだ……その、美人は得だ。本当に得だ。

 かわいい。別にニコニコしてるわけじゃないけれど、年不相応に子供っぽい表情のせいか、自分の姉本能が疼いてくる。私のほうが少し下くらいなんだけど。

 でも、少しイタズラもしてみたい。

 例えば、

 

「私のこと、どう思ってる?」

「……ん」

 

 聞いた途端、目尻に光る物が。

 あ、ヤバイ。いきなりだった。あの時は何泣いてんだ、ってブチ切れたけど。

 

「ごめんなさい……」

 

 こっちも見ずに泣き始めた。

 悪者か、私は。

 お互い悪いしどっちかというとあっちの方が悪いんだけど。

 

「じょーくへたでごめんなさい」

 

 まずそっちか。まぁわからないジョーク言ってきたんだしそりゃ下手クソだ。通じないジョークで場が凍るとかありえんわ。『お前おもろないわボケ』でキレられること請け合いだ。

 

「ひとのきもちわからなくてごめんなさい」

「え?」

「おもいやりがなくてごめんなさい」

「あの」

「くうきよめなくてごめんなさい」

「ちょっと」

「でも、すきなの、こんごう、すき、すきなの」

「あー」

 

 これ、だんだん子供の懺悔めいてきて完全に私が怒ってた側になっちゃった。どうしよう。この大人ガキ。あーあー、本格的にシクシク泣きだ。

 というか、私を殺すに至った原理が完全に金剛に依存している。はっきり分かった。好きだから殺そうとした、ごめんね、邪魔する気なかったってのに殺そうとしてごめんね、ってことか。言いたいのは。語彙力が下がってるけど、却って言いたいことは分かる。

 

「あーもう、空気は読めないけどアンタ思いやりはある方よ、多分」

 

 そう言って、横から背中に手を回してぽんぽんと叩いてやった。ぶるりと体が震えて泣きが増幅したのは……やめとけばよかった。おさわりはノーらしい。すぐにやめた。

 

 そう、多分思いやりがない、というのは正しくない。

 私はそのように思えるようになった。

 私の個人的な思想だけれど、金の絡まない思いやりにどこまでの価値があるかと言われると、実はそこまでの値打ちはないように思う。パフォーマンスのようなものだから。

 

 例えば、そう。

 信号機でご老人の手を引いて差し上げる。

 安い給料でも熱心に働く。……ちょっと例えが少ないけれど、私も酒で頭が働かないからだ。

 

 そしてそうじゃない思いやりにこそ、実は無限の価値があるように思う。世の中は金だから。

 例えば、こう。

 お年寄り専用レーン……レーン?とりあえず歩く道があってもいいはずだ。金と土地さえあれば。

 労働者はもっとお金を要求しても良いはずだ。その権利はあるはずだから。

 

 その点、この女は金や福利厚生という、誰もが納得するもので以て私達を思いやっている。思いやりという考えでは無いだろうけど。

 で、そうする実際の理由は多分、その目に見える思いやりの光景をなんとも思えない人間だから、実践が不可能ということだろう。

 ……人のジョークを理解できないからジョークを言えない。

 なら、思いやりを受けてもわからないから、思いやれない。そういう生き物なのか。わかってきた。この生き物が。

 

 多分、金剛さえ絡まなければ私に敵意を持つことなんて一生涯なかっただろう。それを私のせいだけにするのは却ってこの女を動物扱いしているようで良くないとは思うけれど、最初にその敵意の引き金を引いたのは私の方だ。

 

 ずっと孤独だったんだろう。

 孤独に選ばれて、そして孤独を選んで生きてきたんだろう。

 そんな孤独の殻の中から外を覗き込みながら、人間らしくなれなくて、せめて合理的な何かになろうとして。もう本人は自覚していないと思うけれど、本質は優しい人間じゃあ無いのだろうか。殺そうとしてきたことは……癇癪かなにかだと思うことにしよう。私の弟の一人もそうだった。喧嘩の一つの形みたいなものだ。

 この女がかわいそうになってきた。命拾いして心がものすごく広くなってるってのがあるけれど、それでも私自身死にかけてみて変化は劇的だった。命拾いした人間が悟ったようになるのって本当かもしれない。まぁ、私は俗物を貫き通すけれど。それも一つの悟りだと思う。クソな神様、お許し下さい。南無アーメン陀仏。

 

 そういうわけで私は、実は泣き上戸なこの女の前に陣取って、彼女の酔いが醒めるまで話を聞いてあげることにした。ワインの残りは全部もらった。

なんだか、可愛くもなってきてしまった。くそ、私より10段上くらい美人じゃなかったら話は聞かなかったってのに。なまじ美人の泣き顔だから正直眼福なのだ。可愛くって。

 

 懺悔は、祝賀会が終わるまで続いて、彼女の酔いが醒めたのもだいたいその頃だった。

 

 どうやら記憶は全部残っていたらしく、お開きにした後に私に話しかけて、

 

「ありがとうございました」

 

 と俯いたまま言ってきた。

 あの日から初めて聞いた”ありがとう”。そして、もしかすると、彼女の本当に本当の真心がこもった”ありがとう”も初めてだったのかもしれない。

 だから私は上機嫌に、

 

「いいってことよ」

 

 そう、気風よく返してあげたのだ。

 

 ●

 

 私が叢雲を殺害しかけた日から、1週間。叢雲は待機となっていた。扱いとしては休養中だ。私が休日を付与していることに後から変更した。

 

 その間に私が大本営に送った叢雲の解体願はなんとか受理されることとなった。そして、退役は許可されなかった。彼女はあまりに有望であったから、軍が手放したくなかったのだそうだ。解体が通ったのはギリギリだったのかもしれない。代わりに、私は彼女に解体後の休暇を付与するように要請した。ここでまだ消化されていない有給休暇の分だ。彼女は帰るつもりだと言っていたので、せめてもの償いにそれを上に提案した。

 なんとかそれは受理され、かくして彼女は解体工期、そのあとの休暇を消化し次第、ただの海軍軍人として復帰する。彼女には少佐として大本営でポストが用意されるらしい。艦娘OBであることが軍の中で強みか何かになるのだろうか。私には分からないが、ともかくそういう連絡が返ってきた。

 

 しかし、まずは彼女の解体だ。

 大本営からの返答の4日後、そして祝賀会の2日後の朝。

 時計の針は指して7時30分頃。白いバンが司令部の前に横付けして停車。予定通り、艦娘を回収する部隊が到着した。

 白衣の女5人が、出迎えた私と瑞鶴の前で一列に並び、敬礼した。私と瑞鶴もそれに返す。そして、後ろから叢雲がやって来て、同じく敬礼。

 真ん中に立っている女が敬礼し、話す。

 

「では、坂神中尉、特型駆逐艦シリーズ1、タイプ5”叢雲”、あなたを回収し、工廠にて解体を行います。その後休暇を消化されましたら、大本営にて復職していただきます」

「坂神紫苑海軍中尉、”叢雲”、その命令を了解いたしました」

 叢雲、いや坂神中尉は美しく敬礼し、肯定の意を示した。

 それに白衣の者たちも敬礼にて返礼。バンのスライドドアを開ける。

 中には拘束具付きのベッドが荷台に設置されており、来たときのように眠らされた上で搬入されることが伺われる。

 

 彼女は敬礼を解くと、ドアの前の白衣の彼らは脇に退いて道を空ける。花道のようだ。

 そして、中尉はバンのステップに足を掛けた。途端に、私に向かって振り向く。

 私は、何か言いたいのだろうか、と思い、彼女に、

 

「別れの挨拶は必要だろうか」

「ええ、さようなら。スパム大好きスパ子さん。それなりに青森の味覚を堪能できたわ。感謝します。お世話になりました」

「よく働いてくれました。……良い休暇を」

「ええ、そうします。ありがとうございました、提督」

 

 私に背を向けた中尉。

 でも、私には言いたいことがあって、ドアが閉まる前に私は口を開いて、

 

「それと、話を聞いてくれて……ありがとう」

「……いいのよ」

 

 振り向きもせずに、彼女はそう言い残す。

 そしてバンに乗り込み、ベッドに腰掛けた。あとは回収部隊の指示を待つようだ。

 代表者として話している白衣の女は、

 

「では、提督。これにて失礼致します」

「遠方よりお疲れ様でした。持て成しも出来ず、申し訳ありません」

 

 私が用意した台詞を述べると、彼女らは特に表情を動かさない。

 代表者の彼女は、

 

「いえ、お忙しいでしょうからお構いなく。では出発いたします。大湊のこれからの健勝をお祈り致します」

「ありがとうございます」

 

 そんなやり取りのあと、白衣の者たちは全員が乗り込み、バンのスライドドアは閉じた。

 運転席に一人が座ると、エンジンがスタート。ディーゼルエンジンがドロドロと唸りを上げる。

 助手席の女性は、窓越しに私たちに向けて敬礼。それに続いて他の連中も窓を軽く開けて敬礼。叢雲もだ。

 

 バンが発進した。少し鈍く、エンジンを唸らせて這うようなスピードで進んでいくと、ギアがどんどん入り、速度が上がる。10数秒後には遠くの点になっていった。

 

 私は、見えなくなるまでそれを見つめていた。

 

 見えなくなると、

「瑞鶴、仕事に戻ろう」

「はい、提督さん」

 

 左後ろに瑞鶴を控えさせて、玄関前のスロープを登り、執務室へと戻る。

 現在、叢雲がやっていた分の仕事は私が行わなければならない。

 私が把握している限りでは、瑞鶴は監査・私の世話役で十分仕事をしているため、任せられない。

 シフト管理は再び私の仕事に戻っている。面倒ではあるが、やらねばならないのだ。書類以外の久しぶりの仕事だった。だが要領は覚える必要がない。私が自分で制作したマニュアルがあるからだ。だから、大丈夫。私は彼女を失ったツケを払うことが出来る。もとよりそのつもりだった。雪風が最初に死んでいれば、私がするはずだった仕事なのだから。

 問題はない。この鎮守府の運営に、問題は出ていない。

 

 問題なく、今日も大湊は動いていける。

 

 ●

 

 

 ……叢雲さんがここを去っていく。一応今日だとは聞いていた。でも、見送るのもなんだか違うと思って、私はそこに行かなかった。みんなそうみたい。生きて出るならば『良かった』で済ませるばかりだ。涙ぐむほどに情はないし、関わりもない。それでいいと思う。

 死ぬわけじゃない。生きてここを出た。それはそれで、別にいい。とりあえずは解体されたら栄転するらしいってお祝いをやったんだし、それと彼女がやった祝賀会欠席組への挨拶回り。もう十分だ。

 ここはそういうところ。関わりに疲れることのない、つるみたいやつとだけつるみ、喜びたいことだけ喜び、悲しみたいことだけ悲しむ。集まって何かをするわけじゃない。何かをしたいと思ったら、ただ皆がそこにいて、なんとなくつながりを感じる。そういう距離感。だから、その距離感そのものが私達の総意そのものなんだ。ここに来て1年くらいになるけれど、最近はそれをひしひしと感じる。沼のようだけれど、生暖かくて居心地がいい。

 

 お姉ちゃんたちは……寝ている。今日はみんなまとめて休みだ。今晩からの夜警部隊は久々の大北コンビ・木曾さん・五十鈴さんの4人だ。ちゃんと骨休めさせてもらうことになる。私は夜警が終わって夜更かしならぬ朝更かし中だ。全然更けてないし意味通ってないけど。下姉ちゃんも寝ていることだし、ちょっとタバコを失礼しよう。

 火を付けてタバコを咥えると、窓を開ける。冬の風が部屋に吹き込んだ。

 気まぐれに私は軽巡寮の、私達姉妹の部屋の窓から身を乗り出して、司令部の前の様子を伺った。白いバンが動き出して敷地の外へと向かっていった。アレかな、乗っているのは。

 

 ……私が言った“生きるといいよ”の言葉は届いただろうか。少し気がかりだ。理由を聞かせてもらうことはなかったけれども、彼女は彼女なりの生きる道として“解体”を選んだんだと思う。私が“生きよう”と決めたように。人生の明るい面を進んでいくんだ。そう信じて、私は彼女の門出を見守った。

 

「……寝よ」

 

 去ったものは追わない。一足先に戦場を抜け出したになった彼女に、この惰眠を捧げよう。

 いやまぁ、眠いだけなんだけれど。

 私は携帯灰皿で火を揉み消して、窓を閉めると寝床に潜った。

 今晩は呑もう。

 


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