一般的な艦娘と那珂ちゃんの身分の扱いを考証に合わせて訂正しました。
●
体の痛痒も全てが引き、同時に私につながる全てが外れた。
それまでにあったことは、喜劇的だった。人間失格の最終段のパロディめいて、しかし概ねユーモラス。
人殺しのヒトデナシには不似合いな、愉快な日々だったと思う。
●
まずは腹の管が外れ、次に股関節の管が外れた。寝相はまだ変えられない。私はあまりそういうのにこだわりはないので、別に困りはしなかったけれど。
いずれ全部が外れると点滴になるらしい。両手は自由だし、今の時点でも食事は摂れるんじゃないの、と思ってあの医者、――――今は色んな意味で“先生”と呼んでいる―――――に聞くと、
『消化器官であるが、使わなかったところで特に支障は出ん。艦娘の身体能力、代謝能力は人間のそれよりも極めて高い。改造の全行程が完了するまで栄養分を経口摂取せずともすぐに体が適応することとなる。君は病人のつもりかも知れんが、全くの考え違いである。加えて食事による栄養状態管理は非常に煩雑であり、何より君を飽きさせない工夫が必要になる。加えて君は寝ながら不浄を垂れ流したいかね。始末は誰がやると思う。若い男の看護師を差し向けてやろうではないか、純潔のその体に。私はそれに伴って起きる何々に関知せん。―――――それはともかく率直に言えば労力が勿体無い。よって現在も点滴を使用している。言わずとも理解していると思うがここは病院ではなく、君は患者ではあるが病人ではない。何か異論はあるかね』
『いや、先生本当に話長いし偏屈ですよね』
『遺憾である。点滴の段に至ったあかつきには中身をただの生理食塩水にしてやろう。何日持つか見ものであるな』
『ちょっとぉ!』
即死ではないけど餓死させる宣言はマジでヤバイと思った。今現在も命を先生に握られている実験動物、改造中のライダーだということは強く認識しなければならない、そう思った。医者って凄い。色んな意味で。
さて、現段階では両手が自由だったから、本を要求した。出来れば電子書籍がいいと。でないと度々本を要求して面倒をかけるぞ、と脅しも付けて。
鴎外全集を渡された。
違う、そうじゃない。マジでそれはない。
重い。
しかも全38巻、かなり豪華に装丁されたやつだった。先生が台車に乗せて持ってきて、それを瓦礫でも扱うかのように病室の空いたスペースに空けた。おい、本を。しかもそれ状態メチャクチャ良いじゃん、稀覯本の域だぞ。売れ。私に売れ。買う。転売して稼ぐ。もし娑婆に出ることがあったらせどりで稼ごう。
阿漕な商売だ。……惨め。はぁ。
ともかく。
仰向けでしか本を読めない私は、仕方なしにそれを読んだ。
両手で顔の上に掲げながら。
結局は筋肉が悲鳴を上げて力尽きて顔の上に本をズドンと落とした。顔はヤバイ。商売道具の一つだ。いや……もう使うことはないけれど。
ちなみに先生はそれを見て馬鹿笑いしていた。おのれ。
まる2日くらい腕や背中、果ては腹筋、腰まで筋肉痛で何も持てない状態になったが、逆に言えばそれですっかり治ってしまった。どうやら経過実験に使われたらしい。さすが先生だ。くそ。
私は逆上し、寝ながら読めるブックスタンドを要求してベッドに据え付けてもらった。ようやくクレーム対応か、と思ったが、本を据えてみるとスタンドが耐えきれず、留め具が外れて本がまた顔にズゴンと落ちた。また笑われた。性悪め。
ようやく電子書籍端末が渡されたが、中身はよりによって全部英書だった。辞書をくれと言ったら、辞書は紙のを渡された。なんだこの先生、本当に患者イジリに余念がないな。仕方なしに読んでいたが、気がつくと辞書を読んで一日が終わった。
………………読書じゃない。それには先生もドン引きしていた。私もドン引きだけど、集中するとよくある事だと言ったら、何か考え込んでいた。なんだろう。今度は筋肉痛にはならなかった。超回復がすごすぎる。私が私じゃなくなっている。
●
ようやく全部の管が外れて、点滴生活が始まった。今までは繋いでいた機械のおかげでトイレも何も要らなかったみたいだけど、これからは立って歩いてトイレに行くことが出来る。それで、その……催してベッドから立ち上がろうとしたら、歩けなくて、その、うん、漏らした。その時先生がまた見ていた。流石に忍びなさそうな顔をしていたのが余計に滅茶苦茶悔しい。笑えよ先生。こうやってね、ははははは。……私は泣いたぞ。
ちなみにそのときもオムツ履きだったから床に垂れ流しってことはなかったのだけれど、それでもショックはショックだった。それで歩行器か補助を要求したら歩行器をくれた。でも、すぐに必要なくなった。これも艦娘化の恩恵なんだろう。歩き方の復習をしただけで大丈夫になった。
ついでに煙草をくれと言ったら、“ハァ?”みたいな顔をされた。いや馬鹿なこと言ってるのは分かってるけど。
でもなんだかんだ出てきた。機械にヤニが付くとイカンというから電子タバコ。みっしり詰めた煙草葉の入ったスティックを差し込んで吸うやつ。最近流行ってたな。いっつも在庫切れでついぞ買うことはなかったけれど。
で、吸ってみると……なんだこれ、毒っぽくない。私的には宗教上の理由でダメだ。というかなんか甘い。甘やかされてる感じでちょっと、何というかくすぐったい味だった。でもニコチンはちゃんと入ってて私をしっかりダウンさせてくれた。
先生、ヤニクラで”うー“と唸っている私を見てクスクス笑いしていたのはちゃんと見ていたぞ。
夜道は気をつけろ私がウォッチング・ユー。
ともかく、これで寝相が変えられるので、鴎外全集だろうが英和辞書だろうがベッドに置いてページをめくれるわけだ。そうして英和辞書、鴎外全集、全部英文の電子書籍となかなか普段読まないものを読んでいたけれど、思った以上に没頭している。気がつくと先生がページを捲る手を押さえてきてご挨拶なんてこともしょっちゅうだった。その度、先生は重々しい方の“なるほど”、という顔をしていて、何が“なるほど”なんだろう、とずっと疑問だった。入ってくる音が聞こえないんだし、先生はニンジャか何かなんだろうか。医者がなんでニンジャなんだ。……いや確かにそんなにうるさい扉じゃないけれど、ちゃんと分かるような音だったと思うんだけどな。ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ、って感じで。
長い。
●
手術を受けた。手術室までは目隠しで車椅子。楽ちんだ。
で説明を受けたけど、内容は脳と脊椎を改造する手術だった。マジで?
本格的に改造人間じみてきたけれど、やることはそこそこ単純だった。いや滅茶苦茶難しいんだろうけど。
脳にブレイン・マシン・インターフェース―――――つまり思考で機械を動かすコントローラ、を埋めて、そこから出るコードは脊椎を貫通させて腰に出すんだそうだ。いずれ腰にも何か埋め込むらしい。
手術台に寝っ転がってる時、開頭手術ってやつだと気付いて先生に“髪が無くなるのは嫌だ”って駄々こねたら、上から顔を近づけて凄まれた。
あっ手術服の帽子の中身……なんか、ごめんなさい。でも帽子いらない……マジでごめんなさい。
ちなみに植毛手術もついでにやってくれたらしくって別にハゲで困ることは結局なかったんだけど。芸達者で気の利く先生だ。性悪のくせに。でも『どこの毛だと思うかね』とか言うな、マジでビビったでしょうが。
でも先生、植毛という手があるならなんで全部剃ったんだろう。それが漢の生き様なんだろうか。今度は先生が塾長に見えてきた。元々見た目が右翼っぽいのも相まって。ステレオタイプ極まる目線だけど。
手術後しばらくは頭が痛かった。そりゃあ、異物が入ってるんだから仕方ない。詳しく聞くと、機械が入っているだから当然、加えて脳脊髄液の量がちょうど良くなるまで待てだとか。脳が直接傷んでいるから痛み止めが効かなくて辛かった。
またしばらくして頭痛も治まってくると、今度は腰への機械埋め込み手術だ。
この機械と先に埋め込んでおいた脳のBMIが接続されて、機能を発揮するようになる。この腰の機械だけれど、単純なバッテリー式だ。入れ替えも容易で、ご家庭のコンセントでも充電できるやつ。なんてチープなんだろう、と思ったけれど、構造そのものはしっかりしていて丈夫らしい。あと、機能も武器を扱うくらいだからそもそもマシンパワーが大した事ないんだって。この時、腰に機械を埋めるという都合と点滴が左腕に刺さっている状況から、私の寝相は左を下にした横寝になった。釈迦入滅の逆だ。だから縁起が悪いって言ったら、『入滅の逆だから縁起は良いだろう』って言われた。……うん、確かに。
そういえば、そろそろ良いだろう、って言った先生に鏡を見せられた。
……なんというか、整形と分からない整形を受けた気分。初めからそうだったように、微妙に私の顔は変貌していた。変貌と言うには大した変化じゃないんだけれど、ともかく変わっていた。先生が言うには、これが私の艦娘としての顔なんだとか。
それで、艦娘は何種類もいる。
適性はその種類ごとに出てきて、出た女性がその種類の艦娘に改造されることが出来る。
私の出た適性は、――――――――”那珂”。
昔に存在した軽巡洋艦、“那珂”をモチーフにしたものらしい。この顔もほとんど”那珂”の顔なんだそうだ。
それで私の型名だけど、正しくは、”川内シリーズ・タイプ3・那珂”だって。もっと厳密な呼び方があるらしいけれど、それは殆ど私には関係ないと言われた。まあ、先生が言うなら仕方ない。
腰もしばらくは随分痛んだけれど、艦娘の治癒能力が高いからか、数日で馴染んでしまった。
先生曰く、これで素体としては完成らしい。ほへー、と思ったけれど、あっけないような結構長かったような。
ちなみにその頃読んでいたのが“ニューロマンサー”と“スキズマトリックス”の原書。だってサイボーグだもん。
でも先生がこういうエンタメ寄りのSFを電子書籍で入れてくれていたというのは結構意外。もしかして世代ってやつなんだろうか。
それで聞いてみると、
『悪いか』
それだけだった。いや、悪いも何も、何が?
●
素体として完成した私は、これから本当の意味で艦娘となる。艦娘が背負ってる機械、あれは艤装と呼ぶらしいのだけれど、それを私の腰についたコネクターに接続するのだ。その初めての接続を以って、私は本当に”那珂”になる、というわけだ。ついに人間卒業の時が来た。
また目隠しに車椅子で移動。今回は看護師じゃなくて先生が車椅子を押してくれている。けれどかなりガサツで乗り心地は悪い。目的地に着くと、目隠しは外された。……場所は、倉庫だ。鉄骨が天井を走る、そしてクレーンが吊り下がっている、そんな倉庫だ。
そして今、クレーンのフックに引っかかっているのが、“那珂”の艤装だ。あれを初回接続する。
私は呟く。
「殺そう。殺して、殺されて、私は人生の幕を引こう。それまではお国のために力を尽くしてみせよう」
それを耳聡く聞いていた先生はそれに、
「あたら若い命を散らすのは懸命ではない。君は人間に戻るが良いだろう。君の務めを君が果たしたと思ったならば、速やかに海を去るが良い。君の裁判はまだ終わっていない。気が済んだら判決を受けよ。罪の有無を確認するが良い」
裁判が生きている?
初耳だ。だから、先生に娑婆の状況を聞くことにした。
「あの、私、死んだはずじゃないんですか。前に聞きましたけど、艦娘になると戸籍上は死亡ってことになるって」
「あれは失踪期間が長くなるとという話だ。必然的に死亡認定が為されるまで艦娘でいる、というだけのこと。まぁ世間には知られることはないがな。戸籍やら銀行口座やらは軍が預かる。主には”生きて帰ってきた”ときのために。……しかし、君は特別に一般人と同じように戸籍などを普通に持ったままになるそうだ。なので、本当に死んだなら病死かなにかで処理されるだろうな」
……病死、か。自殺で落ち着きそうな気もするけど。
実際、いつまた死にたくなるかも分からない。精一杯、張り切ってはみたけれど。
「ともかく、裁判は続いてはいるが、進行もしていない。結審寸前で停止しているのだろう。事情についてはそこまで把握してはおらんが。ともかく、君が戻るまで終わることはないか。ちなみに現在君は軍保有の療養施設で療養中ということになっておる。以上だ、何か不満があるか」
「いえ、不満はないですけれど……特別扱いされてるみたいで、なんだか」
「特別扱いだとも。君は中将殿の御息女というやつなのでな、かなり圧力などが働いておる。よって君が無駄に命を散らすことは契約に反する。私の仕事は完璧に成された。だが、君の命の責任は私の肩に掛かったままだ。よって、君の双肩には私のクビも掛かっておるのだ。首が2つあると思って生きるがいい。繰り返すが無駄死にはしてくれるな、よろしいか」
「あー、はい。善処は」
約束はそりゃ、出来ないけれど。無駄に死のうと思うのはやめておこうと思った。義理として。
生きようとはまだ思えないけれど。
さて、目の前には椅子だ。
背もたれだけがない、へんてこな椅子がある。肘置き、ヘッドレストまで完備しておいてなんで背もたれがないのか、と言うとその背中につながる部分にレールが延びているのだ。クレーンの先に下がった艤装がそこに向かっていくことから、どうやらレールを伝ってそこに来るらしい。
「ボヤボヤするでない。早く立ってあそこに座ってくるが良い。アレを装備することで君は漸く艦娘として完成だ。……お国のために働こうという意識が芽生えたのはどういう形にしろ感心する。君のその中途半端な気高い意思に、私は君の艦娘の資格を認めるとしよう。早く“成って”くるが良い」
もう最後まで本当に五月蝿い先生だ。だけれど、この人は私にとってどういう人なのかは分かった。
背中を押してくれる人だ。甘やかすでもなく、意地悪するでもなく……いや、意地悪はされたけど、殺すでもなく。
やっぱり、先生は先生だった。色んな意味で。
私は車椅子から立ち上がり、その椅子へ向かう。
座った。間もなく、レールから振動が伝わってくる。クレーンの先の艤装が降りたらしい。ということはこちらにスルスルと向かってくるわけだ。私は姿勢を正して、その時を待つ。
目の前の先生の表情は、いつもの仏頂面だった。多分、油断していないんだと思う。責任者として、誇り高き医師として、そして私を改造した正義の科学者として。そう言えば私、勝手に改造されたけど……まぁいいや。
ガチリと腰に艤装が接続され、脳がシェイクされた。
時が来た。
視界が暗転する。
●
暗転した視界を落下していく。夢のような空間は無重力じゃない。
けれど、弱い。沈んでいくような。溺れていくような感覚。
怖くない。そこまで、怖くはない。ただ、少しの焦燥感がある。背筋にひりつくような圧迫感も。
落ちていく先に、誰かが居た。
キラキラとしたオレンジに、白いレースのフリルが沢山。
髪はお団子2つ、艷やかなブラウン。
いかにもアイドル。現代における正統派アイドル。
『待ってたよ』
そう言って私を手招く。
私はそれに応えて更に落ちていく。
でも、
『さぁ、“那珂ちゃん”をあげるよ』
『違う』
彼女が見ていたのは、私の背後の影で。
私の、知りたくない私で、私が、私に、私を、私。
あの子を殺した私だ。
『違う!違う!それは、私じゃない!』
その拒絶の言葉を、“那珂”は気にも留めない。私を避けて、私の影に近づいていく。
そして、それを抱く。
『やめてよ!そんなの、ないよ!それは、違う、私じゃない、私じゃないの!』
『うん』
“那珂”がこっちを見た。
そして、
『そんなあなたじゃ、那珂ちゃんはあげられないかな』
困ったような笑みを浮かべて、そんな残酷なことを言った。
『違う!やめて、やめて、お願い、違――――――――』
光の中に、私は吸い込まれていく。
“那珂”は、あの“那珂”は私の影と1つになっていったのに。
●
自分の叫び声で目を覚ますと、先生が冷や汗タラタラさせながらこっちに来た。
「何が、あったのだ」
私は、答える。
「私じゃない、私に、那珂が入った」
「馬鹿な」
私は、那珂ちゃんにならなかった。
私じゃない私が那珂ちゃんになった。
こうして、私は那珂にならず、那珂になれず、那珂になりたくなんてなくなった。
私にとって今や、“那珂ちゃん”とは忌むべき存在となった。
私自身を、棚上げにして。
「あんなの、私じゃない。私は、那珂じゃない」