naka kill you
海の音楽が聞こえる。
波と風のオーケストレーション、飛沫のパーカッション、闇の垂れ幕。
まるで夜な夜な繰り広げるドレスリハーサル。
観客のいない一人舞台で、役割を、誰も見ていないけれど、役割を演じている。
仇討ちの冒険活劇。あるいはお決まりの飽き飽きの、お約束の時代劇。
分かっている。みんな知っている。どんなスペクタクルで着飾っても、最後に待つのは勝利だ。
だから、みんな。
私のステージを見ないで。
私が私じゃないから。
夜が明けるまでの夢遊のアクトなんて。
こんなにも恥ずかしくて。
お願い。
●
午前3時45分。夜は最深部。空は曇って星1つ見えない。月はもちろん影もない。
その一方で風は強く吹いている。荒む風に煽られて海面はうねって、山となり、谷ともなる。
闇に慣れた目の前には、ぽつりと1つの点。青白い影。
見つけた。
深海棲艦だ。人型タイプ。この海域の中では比較的大物だ。
それに狙いを付けて、足の主機を停止させる。足元が波を切るのをやめて、静かになった。
波に体を乗せるだけ。ここで停止する。錨を下ろしたように。
落ち着いて、那珂ちゃんは右手で魚雷発射管の魚雷を引き抜く。指と指の間で挟んで4本。
左も同じように。鉤爪のように、狩人のように荒々しく、美しく。
頭の中で繰り返す。方法は染み付いている。普通の方法じゃないけど。
手首はスナップ、肩は力を抜いて。指先が玩ぶように、そして全身の回転力を中心から末端へ。
狙いを定め、でも視線は切る。投げ込む角度は決まったから、最早見る意味がない。
体を右回転で捻る。相手には背中を向けるように。振りかぶる。引き絞る。
右腕はアンダースロー、水面を滑るように投げ込んだ。足元は波紋のように浅く小さい渦を描き、すぐに消えた攻撃は静かで、飛沫もない。すぐに少しだけ水面から沈むと、影を見せずに飛んでいく。すぐに左手から右手に魚雷を持ち替え、同じくもう一投。狙いは同じだ。全弾命中させる。散布させる意味はない。
攻撃の物体は過たず、闇の中の波を叩く影へと向かっていく。
きゃは。
誰が見ても会心。速度はスクリューの限界を超え、視覚を欺く超高速雷撃。それが8本。
十数秒後、連続の大爆発がファンファーレ。大輪の花火。やったね。那珂ちゃん大勝利。
落としたのは戦艦だ。これまた大金星。
あは。
那珂ちゃんのサーカスへようこそ。夜の天蓋はペントハウス、夜の透明がスポットライト。
あなたも那珂ちゃんも泣き笑うクラウンなの。サーカスのアイドルなの。
さぁ、サーカスへ放り込んであげる。あなたの命が錯覚だったように、回る振り子天秤から落としてあげる。
こんなにスリル、どこでも味わえないの。だから、代わりに綺麗に赤く咲いてね。
じゃあ次のお客さんを探しに行こう。落としてあげよう。
那珂ちゃんの舞台を見せてあげるの。
主機一杯。爆音に紛れて那珂ちゃんは海をゆく。
ああ、見つけた。次は重巡洋艦かな。また人型だ。
今日のサーカスは大入りだ。まとめて招待してあげよう。
左腕を持ち上げて、3つの砲塔で狙いを付ける。花火を突っ切って逆落しだ。外さない。散布界を限界まで狭めて、撃つ。
数秒後、また花火が咲いた。あは。那珂ちゃん本当にすごい。さっすが艦隊のアイドル。センターは一番凄いんだから、だから一番強いんだ。那珂ちゃん天才。超天才。
那珂ちゃんは、凄いんだ。
那珂ちゃんは、強いんだ。
那珂ちゃんは。
那珂ちゃんは。
那珂ちゃんは。
私は、那珂ちゃん。
私は、那珂ちゃんだ。
違う。
私は―――――私だ。
●
「那珂ちゃん?どうしましたか?」
「え?」
振り向くと、お姉ちゃんがいた。神通。私の実の姉。次姉。次女。
少し心配そうな顔。探照灯は電気を落としていて、今は暗い。
けれど、慣れた目はお姉ちゃんの顔をはっきりと捉えていた。
沈痛な面持ち。けれど、私を慰める気なんてこれっぽっちもないのだ。
そもそも“那珂ちゃん”を作った人達の一人が、この人なのだから。
だから、私を”那珂ちゃん”にする方法も知っている。
怖い。嫌だ。嫌いじゃないのに、好きなのに、一緒にいたくない。
私が那珂ちゃんになって一人で夜を戦うのは、この人たちと一緒にいたくないから。
私が夜狂うのは、誰も見ていないから。
でも、今、私の夢は覚めてしまった。それを見られてしまった。
私は怒られる前の子供。目も見れずに、俯いている。
私は波の上で、ぼうっと佇んでいた。周りの音は水以外何もなくて、そこに波紋を落としたお姉ちゃんの声ははっきりと聞こえた。声は見渡す限りの闇に溶けたけれど、私の脳で深く響き渡っている。
辛さが募って、私は懺悔する。
「……ごめん、なさい」
「……那珂ちゃん」
静かで、恐ろしい声で、私をその名前で呼ぶ。
お願い、嫌なの。
私は私なの。そんな名前じゃない。お願い、私を呼んで。
「那珂ちゃん」
「止めてよ!」
私の癇癪が限界に達する。その名前は私のものじゃない。私じゃない。
両手の拳を握って震える私に、お姉ちゃんは、
「いい加減にしなさい」
それだけ言って、私の頭を左こめかみから殴った。意識が……少し遠くなる。
体が力が抜ける。立てない。でもお姉ちゃんの左手がそうさせない。私の服の襟を掴んで立たせる。
「私の目を見なさい」
いやだ。いやだ。私は私だ。私以外じゃない。やめて、やめて。やめて、お願い。
右手で前髪を引っ張られて、顔を近づけられる。そして、呪文を唱えた。
「あなたは誰」
「ちがう」
髪が離されて、代わりに腹を殴られた。力が入らないから拳がどぷりと沈み込んだ。位置は、鳩尾。
「ひっ」
息が絞り出されて、気が更に遠くなる。それでもお姉ちゃんは私を許してくれはしない。
私がまた那珂ちゃんに戻るまでは。
「あなたは誰」
息ができない。答えられない。
そこに、もう一発。次はさっきより下、腹の真ん中。胃が押される感覚があった。
気持ち悪い。代わりに息は出来るようになったけれど、
「っひぃ、は、ひぃ、ひぃ」
「あなたは誰」
意識が朦朧とする。
また前髪が掴まれて、目を合わさせられる。
閉じられない。まぶたを閉じられない。見るしか無い。
「あなたは誰」
「あぁー、う゛ぁー」
私は誰。私は、私は、私は、わたし、私は、わたしは、私は、誰。誰。誰。誰。
わからない。
「だれ」
聞く。聞いてしまう。私が、分からない。私が分からない。私は誰なんだ。
教えて、教えて。教えてよ。お姉ちゃん。
「おし、えて、お、ね、ちゃん」
また髪を離されて、腹を殴られる。二回目と同じところ。
「っあ゛ぁ、あ゛ぁぁ」
吐きそう。気持ち悪い。気分が悪い。頭が痛い。お腹が痛い。
体が痛い。首が、肘が、背中が、肩が、膝が、全身の節々が痛い。
「私は、神通です」
お姉ちゃん。お姉ちゃん。助けて、私が誰か分からないの。わからないよ。
「おじえ゛で」
「あなたのお姉ちゃんじゃありません」
じゃああなたはだれなの。あなたがお姉ちゃんじゃないなら、わたしはだれなの。
「那珂ちゃん」
那珂ちゃん。いやだ。それはいやだ。ちがう。那珂ちゃんじゃない。私は違う。
「い゛や」
殴られる。いやだ。殴られるのいや。いやだ。やめて。お腹が痛いの。痛いのいや。
やだ。いやだ。こわいよ。こわい。こわいの。つらいよ。くるしいよ。やめてよ。
「那珂ちゃん」
「ぃあ゛」
また殴られた。何度目かわからなくなった。何回痛くなったかわからなくなった。
息が出来ない。息が出来ない。助けて。助けて、神通。
神通。
「私は神通です」
「じんつう」
絶えかけた息で、そう呼ぶ。
神通、そう呼ぶ。
「あなたは那珂ちゃん」
「な、か」
なか。
「那珂」
那珂。
「な―――か」
那珂。
「そう、あなたは、那珂ちゃん」
那珂ちゃん。
なか。
なか。
なか。
なか。
那珂。
那珂ちゃん。那珂ちゃんだ。那珂ちゃん。
那珂ちゃんは那珂ちゃん。那珂ちゃんは那珂ちゃん。那珂ちゃんは、那珂ちゃんだ。
那珂ちゃんは、那珂ちゃんです。
「あなたは、艦隊のアイドル、那珂ちゃんです」
那珂ちゃんは艦隊のアイドル。
那珂ちゃんは艦隊のアイドルなんだ。
そうだ、那珂ちゃんは艦隊のアイドルだった。
艦隊のアイドル、那珂ちゃんです。
「那珂ちゃん」
「私が神通ですから、あなたは那珂ちゃんでしょう」
「―――――う、ん。那珂ちゃんは、那珂ちゃんです」
那珂ちゃんは那珂ちゃんです。
あは。
●
「那珂ちゃん」
「うん、那珂ちゃんに後はおまかせ」
那珂ちゃんがそう言うと、神通は安心した顔で、
「じゃあ、また様子を見に来ますから」
「大丈夫!那珂ちゃんはー、艦隊のアイドル!サーカスのヒロインなんだから!」
そう、那珂ちゃんは艦隊のアイドル、サーカスのヒロイン。一人舞台だってお手の物。
お茶の子さいさいで、深海棲艦なんてやっつけちゃうんだ。
那珂ちゃんは目を輝かせて、左手で左目の前でピース。腰もクイッと左に軽く曲げて、上目遣いで愛らしく。
キラッ。目から星が飛んで行く。ついでにターンも決めちゃおう。軸足は左で左回転。二回回っちゃった。
那珂ちゃんが元気だって分かってくれて、神通はニッコリ笑顔でこの場を後にした。怖い怖いしてた神通も、那珂ちゃんの才能でもうニッコリ。やっぱり那珂ちゃんは最高のアイドルだね。
あは。
さぁ、那珂ちゃんのステージは終わらないよ。今夜全部が那珂ちゃんのものなんだから。
那珂ちゃんのサーカスへようこそ!
とっても綺麗なサーカスを夜に放り込んでみたよ!
泣いているのか笑っているのか分からないくらい、感動のショウを見せてあげる!
だからみんな、私と一緒にお道化てみようよ!軽く地獄にGO招待!
空中ブランコで宙を舞って、一緒に無重力の夢を見よう!
那珂ちゃんは主機を目一杯まで回して、全速力で夜というペントハウスを駆け回る。
いっぱいのお客さんをお楽しみさせるために。
地面に墜としてあげるために。
はじめてで最後のチュウをしよう。地面とこの世にお別れのキスをしよう。
マイナーキーのBGMで飾ってあげよう。
そうしたら、もう一度ブランコであの世に跳ばしてあげるから。
那珂ちゃんは天才クラウン、世界一アイドル、天性のヒロインだもの。
一流の道化師は、お客さんも一流にしちゃうんだ。
だからみんな――――――華やかに死んでね!
紫の空に闇が溶けるまで、いつでもお客さんは大歓迎だよ!
朝が来るまで、那珂ちゃんは踊り続けた。
魚雷も砲弾も撃ち尽くして、喜んで貰ったお客さんの数は今日も分からなかった。
いいことだよね。数え切れないくらいの、たくさんのお客さんが来てくれたんだから。
那珂ちゃん、いい子。いいことしたからいい子なんだ。
那珂ちゃんは凄い。
那珂ちゃんは凄い子なの。
那珂ちゃんは、那珂ちゃんなんだから。
●
何が言いたいかというとニンジャ・サムライ・ゲイシャだとゲイシャが最強ってことかな。